透明すぎる死   

mahler: adagio from symphony no.10
strauss: four last songs
strauss: death and transfiguration
christine brewer (sp), leif segerstam / lso @barbican hall


ロンドン・シンフォニーの今シーズンのシリーズのひとつはlast words。それにしても今日のプログラムはそれにふさわしい。マーラーの最後のアダージョに、シュトラウスの美しい最後の4つの歌、そして死と変容。もういつ死んでもいいわ。なぁんてウソ。今日はシュトラウスの死と変容が聴きたかったんです。わたし、この曲好きなのにまだ生で聴いたことなかったから。アナウンスされてた指揮者がキャンセルになって、代わりにセーゲルスタムさん。ちょっとラッキーかも。
さて、マーラーの交響曲第10番の第1楽章になるはずだったアダージョ。マーラーが書いたままの未完成の楽章。一応スコアになってるとは言え、オーケストレイションが完成されてるとは言えず、音的にすかすかという印象があります。最近いくつか出てる全曲版(第1楽章もマーラーが書いたものに補完が加えられています)をよく聴いてるので、ますますその思いが強いのです。ロマンティックにマーラーが書いた音楽を膨らませて演奏する様式の演奏だったらスコアの欠点も多少補えると思うのだけど、スコアに忠実に対抗旋律なんかも対等に聞こえるように演奏する最近の演奏をすると、その対抗旋律がまだスコアに書き込まれていない部分もある単楽章版では物足りないんです。セーゲルスタムさんの演奏を聴いてますますそんな感じがしました。
セーゲルスタムさんは、ゆったりしたテンポで巨大に音楽を創っていく指揮者だと思うのだけど、楽譜の音符をニュートラルに音にしていく、透明感のある音楽を作っていく行き方は、どうでしょう、黄昏時の混濁のある音で書かれたシュトラウスの音楽にはすっきり割り切りすぎのような気がします。シュトラウスにはよく分からない曖昧な部分が残っていた方が音楽が豊かに聞こえると思うんです。彼の死と変容はなんか明るい日差しの中、病院の白いベッドの上で若い娘が突然清楚なまま死んでいくという感じに聞こえて、老人が意識の混濁の中で人生を回想しつつ黄昏色に染まった畳の部屋の布団でいつの間にか息を引き取っている、というわたしの頭の中に刷り込まれてる音とはちょっと違っていて残念でした。わたしの死と変容は古いけど、フルトヴェングラーさんがウィーンフィルを指揮した録音の演奏なんです。この感じ分かってもらえるかしら。
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by zerbinetta | 2009-01-25 06:50 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)

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