一期一会   

kurtag: stele
mahler: symphony no.2
adriana kucerova (sp), christianne stotijn (ms), vladimir jurowski /
london philharmonic choir, lpo @royal festival hall


今シーズン、中心に聴こうと思ってるロンドン・フィルハーモニックのシーズン・オープナーは昨日だったんですけど、それには行かず2日目の今日のに行ってきました。その理由は昨日はマーラー1曲だったのに、今日はそれに加えてクルタークの曲がプログラムされていたからです。同じ値段なのでついついコストパフォーマンスをとってしまった。さてさて、クルタークの作品「石碑」は、マーラーの「復活」に輪をかけて大編成。かなり技巧的なピアノ(連弾)が入るし、打楽器もたくさん。これが10分ちょっとくらいの短い曲だったんですけど、とっても良かったんです。始まりは皆さんのとあってないよぉ、気持ち悪〜いって思ったんですが、これわざと音程をぼかしてあるんですね。そういえば演奏前の音合わせもしてなかったし。してやられた! 調性的な部分がちらりちらりとあって、やっぱり調性的なものがあると大海の中に島をぽっかり見つけたというか、とりつく島があってほっとするんですね。ピタゴラスの整数比は生きてるというか美しいものは美しく感じるんです。とっても力のある音楽で魅力を感じました。クルタークもっと聴いて行かなくちゃだわと思って、うちのCDケース見てみたら、この曲のCD持ってた〜〜。今まで気がつかなかったなんて。確かにほとんど聴いたことのないCDだったけど。。。

でメインはマーラーの交響曲第2番「復活」。休憩を挟むと思ってたんだけど、休憩がなくて、休憩時に買おうと思っていたプログラム、別になくてもいいんだけど音楽会のプログラムずうっととっておいてるんです、わたしの唯一のコレクション、うっかり残念。音楽会が始まる前に買っておくんだった。他の音楽会のチケットを買うのに時間をとられて席に着いたのが開演間際っていうのがあったんだけどね。さて、ユロフスキさんとロンドンフィル、昨シーズンはマーラーは交響曲第10番の作曲者の手になる部分、アダージョと交響曲第1番、そして葬礼を演奏しています。葬礼は今日演奏される交響曲第2番の第1楽章の元になった曲です。わたしはそれを聴いているので、交響曲版だとどういう演奏をするのか楽しみでした。オーケストラの大きさからして違うんですね。ユロフスキさんの演奏は、第1楽章の主部は基本的に音をスタッカート気味に短く、快活テンポ。それに対して夢見るような第2主題はじっくり速度を落として対比をつけます。基本的には葬礼のときの演奏の仕方と同じなんですけど、オーケストラも大きくなってるし、凄みが違います。そしてなんといっても凶暴さまで感じ出せる2台のティンパニ。深みのある音で思いっきり叩いてました。これ凄かったです。きっちりと音楽を締めていましたし、離れたところに配置された2台の掛け合いが面白くてずうっとティンパニばかり見ていました。一転、第2楽章はゆったりとしたテンポで静かに奏でられていきます。安らいだ感じにわたしもぼんやりと我を忘れていました。音楽って一音一音聞き漏らすまいと張り詰めて聴くのもあれば、音に身をゆだねて一瞬一瞬戻ってこない移ろいを忘我に楽しむという聴き方もあると思うんです。そしてそれは音楽の持ってる性格にも。この第2楽章はピンと張り詰めた気持ちで聴く音楽ではないと思うんですね。まさにマーラーが仕掛けたとおり第1楽章とは全く別の世界に連れてこられます。自分がどこにいるか分からなくなっていたときに、ティンパニの強打で思いっきり我に返らされました。心臓に悪かった。それくらいの強打でしかも最後の音を思いっきりスタッカートで裁断して。とたんに現実の世界に引き戻されたというか無理矢理音楽に振り回されてる感じです。どこに連れて行かれるんでしょう。そして、また中間部のトランペットの歌の柔らかで夢のようなこと。最後の打楽器の余韻が消え去らないうちに静かに歌い始めたアルト。コラールを舞台の左手上(合唱席)で吹奏させて、でも1回目のコラールは2本のファゴットを含むのでステージのオーケストラから移動して(ホルンとトランペットはあとでステージ裏で演奏する人たちです)ってなんと贅沢なことなんでしょう。そしてわたしはこのコラールの部分の最後に出てくるオーボエを聴いてびっくりしてしまったのです。これって、、、第9番のアダージョの主題。今まで何回も聴いてきたのに、気がつかなかった。。。じゃああのフィナーレは天国への希求? とか関係のないことが瞬間頭によぎったりして。ついにフィナーレはもうやりたい放題。ユロフスキさんがぐいぐいとオーケストラを引っ張っていきます。そしてあのティンパニですから、煉獄や闘争の場面は超かっこいい!手に汗握るドラマ。この長い楽章が短く感じてもっともっと聴いていたいと何度思ったことか。最後はステージ裏で吹いてた金管楽器も表に出てきて全員で復活を讃えます。わたしは最後独唱者も合唱と同じパートを歌うように書かれていることで、独唱者の声は個別には聞き取れないけれども、マーラーは全員で復活を讃えることを訴えたんだと思っています。今日のユロフスキさんの解釈はそれをさらに敷衍してものなのではないか、なんて勝手に凄く共感しました。そして、わたしがもっと聴いていたいというのを最後のロングトーンを引き延ばすことでちょっぴりかなえてくれたのでした。ものすごく感動しました。フィナーレの後半はずうっと涙を流していました。それは会場にいた誰もが感じていたことのように思います。オーケストラもとても上手かった。特にティンパニは、オーケストラをねぎらう中で指揮者が最初に立たせていました。それからトロンボーンのソロ。もちろん彼より上手なトロンボーン奏者は他のオーケストラにもたくさんいるでしょう。でも、彼の演奏はまさに今日の演奏にあるべき場所であるべき音で吹かれたのでした。彼の表現が曲の表現と完璧に合っていました。

公演後、指揮者のユロフスキさんを囲むインタヴュウがあったんですが、ユロフスキさんの生の声を聴けて良かったです。こもった朴訥な感じの英語で話していましたが、朴訥っぽいのに話し始めると結構長く語るというか、ずいぶんと素朴な若者って感じ(あっわたしより若いんですよ、彼)。お客さんの質問に答えて彼がおっしゃるには、マーラーの交響曲は順番にひとつずつ採り上げていきたいと。例外は断片で残ってる第10番のアダージョだと。去年は第1番(とアダージョ)、今年は第2番だったので来年は第3番を期待できるのでしょうか。それ以降わたしは聴くことができるのでしょうか。彼の後期のマーラーは聴きたくもあり、マーラーが作曲した年齢に彼が達するのを待ちたくもあり、複雑な心境です。そしてお客さんのひとりが言ってました。「1962年、オットー・クレンペラーの指揮で聴いて以来、最高の復活だった」って。多分、わたしたちの気持ちは同じでしょう。音楽会は一期一会です。もう2度と聴くことはできません。たとえ録音されてそれが聴けたとしてももうそれは同じものではありません。いわば実物と写真の違いみたいな。今日の音楽会ももうわたしの記憶の中にしかありません。でも、記憶に残る演奏です。いつか、何ヶ月後かなん10年後になるか分かりませんけれど、今日の演奏は2009年に聴いたユロフスキさんの演奏以来最高の演奏と言う日を楽しみに待ちたいと思います。ああ、しかし、今シーズンはあと2回は復活聴くんですけど。。。

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by zerbinetta | 2009-09-26 08:31 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(4)

Commented by 藤井 at 2009-10-02 11:26 x
クレンペラー以来の最高の「復活」とはすごいですね!!私もそういう「復活」に出会ってみたいです。でも、公演後指揮者を囲むインタビュー、割と砕けた雰囲気に見えますが、なかなかよさそうですね。
Commented by かんとく at 2009-10-07 20:52 x
zerbinettaさん トラックバックありがとうございました。このコンサートには本当に感動したので、感動を共有できたことをこのブログで知り、とってもうれしくなりました。こらからも、寄らせて頂きますのでよろしくお願いします。
Commented by zerbinetta at 2009-10-10 23:44
藤井さん、
お客さんもCDのようには客観的には比較できないので、全面的に賛成することはできないのですが、でもわたしにとっても特別な「復活」であったことは間違いないです。こういう奇跡的な瞬間をたくさん聴いていきたいです。
公演後の座談会ってナショナル・シンフォニーもよくやってましたよ。USの方がお客さんに開かれてるような気がします。スラトキンさんは啓蒙的な考え方をする方だと思うので、デトロイトでも音楽会のあとに座談会が企画されるのではないでしょうか。
Commented by zerbinetta at 2009-10-10 23:46
かんとくさん、
早速のご訪問ありがとうございました。音楽会の感動を共有できてわたしもとっても嬉しいです。かんとくさんが聴いておられる音楽会、わたしも行ってることが多いのでこれからもいろんな音楽を共有できればますます嬉しいです。

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