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笑顔がステキなのに   

tchaikovsky: fantasy overture 'romeo and juliet'
prokofiev: violin concerto no. 2
tchaikovsky: symphony no. 4
sayaka shoji (pf), yuri temirkanov / po @royal festival hall



テミルカーノフさんとフィルハーモニアのチャイコフスキー、プロコフィエフ・シリーズ、第2夜のお目当てはヴァイオリンの庄司紗矢香さん。紗矢香さんはシマノフスキのソナタの入ったCDを持っているのでずっと気になっていたんですね。ついに実現。わくわく。

今日の小手調べはチャイコフスキーの幻想序曲「ロミオとジュリエット」。チャイコフスキーらしい豪華にとろけるような感じのメロディ。テミルカーノフさんは甘美になりすぎずにきびきびとダンディに音楽を導いていきます。甘ちゃんのわたしはもうちょっととろけてくれても良かったかしらなんて思ってましたが。

紗矢香さんは空色のワンピースで登場。大きな白い花弁の柄がいくつかあしらってあってちょっぴり和風。それにしても。。。紗矢香さんって若い。。っていうか子供に見える。小学生でも中学生でも通じそう。ってわたしも人のことは言えないんだけど。まぁわたしの場合は男の子だけどさ。
その紗矢香さんのヴァイオリン。音が汚くなるのを厭わずごりごりと弾いていきます。わおっプロコフィエフ! 野獣よね〜ワイルドだね〜。ってちょっと待って。この曲ってこんなにワイルドだったっけ?丸くなった古典的な音楽ぽかった気もするけど。でも紗矢香さんの演奏はそんなのお構いなしに、アグレッシヴに弾いていく。尖ってはいるけど、技術が確かなので雑にならずにしっかりと音楽を保ってる。そしてとっても感心したのは、自分の音楽を持っていて、きちんとそれを表現してること。こういう風に書くとプロなら当たり前って思うかもしれないけど、日本人の演奏って、とっても上手いのに何かが足りないって思ってしまうことがよくあるのね。和を持って尊しとなしというか一歩下がっちゃうと言うか。もちろんこれは微妙な感覚で、はっきりと言葉では言い表せないんだけど(わたしが表現できる言葉を持ち合わせていない)、これは決して音楽だけじゃなくて、外国で陥る日本人の特徴といってもいいんじゃないかと思うんです。わたし自身も日本ではかなり自分勝手でわがままだったけど、こちらにいるとやっぱり一歩下がった感がして日本人なんだなぁ、抜け切れてないなぁって思ってしまう。そういう感じが紗矢香さんからはしなかったんです。勝手にわがままに弾いてるなんてことはなく、いつも指揮者を見てコンタクトを取りながら弾いているんですけど(独奏者によっては指揮者を全く見ない人もいます)。プロフィールを見ると紗矢香さん、日本よりヨーロッパでの生活が長いんですね。特に幼年期と中学生以降をこちらで過ごしているので感覚的にはこちらの人なんでしょう。ひとりで納得してました。
ただ、些細なことだけどひとつ残念だったのは、それはわたしが勝手に思ってるだけなのかもしれないけど、第1楽章演奏中の彼女の顔がとおってもイヤそうに見えたこと。厭々弾いてるんじゃないことは音を聴いていれば分かるんだけど、確かに彼女の表現したい音楽は、がしがしと無機質で人を拒否するところがあるのかもしれないけど(ところどころに温もりも感じられましたが)、厭々オーラを感じさせるのではなく(もちろんわたしだけが感じていたことかもしれません)、も少し気を遣った表情をしてくれたらいいのになって思ったのは正直な気持ちです。彼女は集中すると表情が硬くなると言うか怖くなるタイプなのかもしれません。それはわたしも分かるんです。なぜって、わたしもよく友達に何怒ってるのとか、怖くて近づけなかったなんて言われるので。決して不機嫌なわけではなく、集中してるだけなんですが。でも、わたしと違って演奏者は、1000人以上の人の視線を集めてるんだから、見せ方も大事と思うんですよ。音楽は「音だけ」の芸術って違うと思うから。第1楽章が終わってにっこりしたときの彼女の表情とってもステキだった。ああいう人を幸せにできる表情を持ってるのにもったいないって思ったんです。もちろんいつもにこやかに弾けということではないんです。わたしが彼女の表情に厭々と形容したようなネガティヴな感じを見いだしたことが問題で、真剣な怖い顔でもポジティヴに見えればいいんですね。
音以外のことを長々と書いてしまったけど、音楽はとっても良かったです。紗矢香さん、プロコフィエフをよく知ってらっしゃる。迷いなく自信を持って世界を創ってる。多分、テミルカーノフさんに薫陶を受けているのでしょう。テミルカーノフさんの音楽と紗矢香さんの音楽の方向は一緒だったし、ときどき指揮者を見ながら弾いてる彼女の姿勢は、ふたりで音楽を創りあげていく姿勢そのものでした。自分の驕ることなく他の人の音楽を受け入れ止揚していくことができるのは、うんとステキな美質だと思うんです。彼女はこれからまだまだ成長していくでしょう。聴き続けていくことが楽しみな音楽家のひとりになりました。

お終いの交響曲第4番は、前に別のオーケストラでテミルカーノフさんの演奏を聴いています。そのときは、ぐいぐい音楽を進めたいテミルカーノフさんと、普段通りのテンポで音楽を弾きたいオーケストラの間で火花が散って面白かった。そういう面白さはどんな指揮者にも適応してしまうフィルハーモニアにはないんですが、テミルカーノフの音楽がそのまま出るという点ではいいのかもしれません。冒頭いきなり遅いテンポでファンファーレが鳴って、ヴァイオリンが歌い出す主部に入ると、溜めもなくぐいぐいと快速テンポは相変わらず。オーケストラは少し前掛かりになりながらもついていきます。硬質な弦の音は前回と同じ。暗闇の中からバネの付いた人形のかしらのように弾けて飛び出すクラリネットの悲しいワルツ。わたし的にはもう少しゆったりとちょっぴりエロスを感じさせるテンポが好きなんですけど、ここまで確信に満ちてやられるとそれはそれで素晴らしくて共感できちゃう。内面的にも充実したチャイコフスキーです。第2楽章は少しゆったり目のテンポで、乾いた悲しみ。決して甘くならないのがいいですね。第3楽章は透明な無機質感。チャイコフスキーの音楽って夜の音楽だと思います。どことなく現実感が薄らいで夢との境目がぼんやりしてくる。最後の楽章の爆発もこれが現実のお祭りなのか夢の中の世界なのか曖昧で、同じ運命交響曲といってもチャイコフスキーの(交響曲第4番と5番)はベートーヴェンと違って勝利が曖昧で、最後運命に打ち勝つ勝利感がうすいんだけど、それはわりとわたしたちの今に近いのかもしれないなんてちょっぴり思ったりもして。お祭り騒ぎで運命はチャラなんて思いつつも、でもやっぱりチャイコフスキーはステキだなって思ったのでした。

by zerbinetta | 2010-06-27 01:11 | フィルハーモニア

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