ふるさとは遠きにありて思うもの 現実ではない   

19.11.2010 @barbican hall

shchedrin: piano concerto no. 4 'sharp keys'
mahler: symphony no. 1
olli mustonen (pf),
valery gergiev / lso


マーラー記念年にはそっぽを向いてる、ゲルギー、ロンドン・シンフォニーのマーラー。でもその前に、シチェドリンさんのピアノ協奏曲第4番。シーズン・オープナーでは第5番を採り上げていたので、彼のピアノ協奏曲を聴くのは2度目。ゲルギーは今シーズンシチェドリアンさんのチクルスを組んでるんです。これが楽しみで。バービカン・センターの玄関に15分前に着いたら、入り口脇の妙なところに黒い車が一台。奇異に思って中を見たらゲルギーが。
さて、今日の協奏曲は前回の打鍵バリバリの音楽とは趣が変わって、吉松隆さん風。分かりやすい和声の中に音をちりばめる感じで、より耳に馴染みやすい音楽。ただ、音が不揃い、というのはひとつの分散和音の中で音の強弱をひとつの音符ごとにつけてるので、これは難しそう。2つの楽章からできているのだけど、最初の楽章はそんなピアノの分散和音風の音たちに、オーケストラがロシア正教の聖歌風の旋律を後ろで奏でたり、夢見るような音楽。何か音が現実的でなくて、そう、夢の中の世界。次の楽章の予告編があったあと、ロシアの鐘と題された第2楽章。明るいチャイム音色を模したピアノと高音のベルとフルートでなんだかクリスマスの楽しい朝の雰囲気だなって思っちゃった。この音楽はクリスマス・イヴに見た夢の世界。そして、最後、現実にかえって、ってなんだかくるみ割り人形の世界ね。という感じの楽しくも美しい音楽だったのですが、2つの楽章で1時間近く。内容の割にちょっと長かったかな。ムストネンさんのピアノはこの曲にぴったりの、ガラス玉のような音色。透明で寒色系な音色感は、紋切り型に北欧の音(ムストネンさんはフィンランドの人です)なんて言ってしまいそうだけど、でもなぜかそう思うのよね。
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さて、マーラーの交響曲第1番は、ロンドン・シンフォニーで聴くのは2度目です(前回はハーディングさん)。でも、ゲルギーのマーラーを聴くのは、オープニング2日目の第5番や、プロムスでのワールド・オーケストラとの第4番と第5番を聞き逃しているので、ずいぶん久しぶり。前回はマリインスキーのオーケストラと第9番でした。CDでも聴いたことがないので初物に近いですね。
全然関係ないけど、とっても気になったのが、どうしてここでこの曲を演奏するのか、なんです。今シーズンはマーラー記念年といえどもゲルギーはあんまり関係なさそうだし、第5番と3月に予定されてる第9番は、進行中のマーラーの交響曲全曲のライヴ・レコーディングがおこなわれるから分かるんですけど、もう録音も済んでる第1番がなぜここで? いやつまらない疑問なんですけどね。愚問なんで愚答をすると、これから日本ツアーが始まるので、マーラーの曲を3曲用意するのに(リクエストされた?)、器楽だけで比較的演奏しやすい第1番を選んでそのリハーサルがてら演奏したとか。でも、わたしとしては来年演奏される(日本ツアーでは演奏されるみたいですが)第9番がらみで、演奏されたのならいいな、と。だって、第9番ではこの第1番が徹底的に回想されるんですもの。青春の音楽。

ゲルギーの第9番。前に聴いたとき不思議な感想を持ちました。そのときの日記を引用しますね。

ー引用ここからー
こうなるとマーラーも期待できる。マーラーの音楽って狂気というか突き抜けていっちゃったところがあるから。ただ美しく弾いただけでは物足りないの(美しい演奏がだめっていってるんじゃないよ極限まで美しさを極めた演奏だってものすごいもの)。指揮台に立ったときからもうすでに狂気を醸し出してるゲルギーの震える指揮棒(割り箸サイズの白い棒を使ってました)にオーケストラと一緒に全神経を集中させるわたし。ぎこちない歩みのように(音楽がそう書かれている)聞こえてきた音楽は少しゆっくり目。弦楽器はわりと硬質の冷たい音色。さぁ、これからもの狂おしいくらいに過去に過ぎてきた青春に憧れるのだわって思っていたのに、音楽はそんなわたしを拒否するかのように、夢見るような切ない感傷を一切切り捨てた音楽。いつまでたっても夢見ない音楽に戦慄が走って鳥肌が立つ。どうして?この恐怖。音楽を聴きながら、ゲルギーの青春時代って辛い思い出したくないものだったのかな、旧ソヴィエト時代ってそんなに暗かったのかなって勝手に勘ぐってしまいました。熱にうなされたような悪夢。青春の郷愁がそんな風に聞こえるなんて。となりに死神がいるんだわ。わたしはマーラーの音楽って暗くて辛くて悲しいときもあるけど、本質的にはオプティミスティックな音楽だと思っていました。第9交響曲だって、居心地のいい過去と決別して新しい世界に足を踏み出していく音楽だと考えていました。そしてそういう風に解釈できる演奏も多いと思います。でも、ゲルギーのは全然違う。キーロフオーケストラの冷たい硬質な音色によるところもあるけれどもゲルギーは死の音楽ととらえてる。この先どういう風に音楽は進むのでしょう。

第2楽章と第3楽章は、それほど変わったところのない演奏でした。ただ、音楽は瞬時も飽きさせるところのないしっかりとした強靱なものでした。そして最後のアダージョ。速くもなく遅くもない淡々としたテンポで音楽は進むのだけど、どちらかというと冷たい音色で、透明になって消えていくようでした。心が暖まって感動すると言うより、何だか空になっていくような自分が消えていくような不思議な感じでした。どう言ったらいいのだろう。わたしがいなくなってしまったの。音楽だけになってしまったの。第1楽章は死の音楽だったけど、最後の結論は、わたしは死んでしまったのかまだ息をしているのかどうしていいのか分からなかったの。ただ消えてしまった。もしかするとゲルギーは楽譜に書いてあることをそのまま音にしたのかも知れません。音を感情で包んでぼやけさせないで、音だけに語らせたのかも知れません。わたしが聴いたゲルギーのマーラーはこれだけだけど、もっと他の曲も聴いてゲルギーの音楽を確かめてみたいです。

ゲルギエフさん/マリインスキー・オーケストラ @ケネディ・センター in DC

2003年3月の日記 ー引用ここまでー

青春の夢や憧れ力みが悪夢のように暗く恐ろしく演奏されたのでした。そして今日の第1番。出だしのフラジオレットから硬質の音で、感傷を寄せ付けない雰囲気。テンポが速いわけではないのだけど、音楽が前に前に流れる感じです。牧歌的なところ(序奏のホルンのアンサンブルとか、第1主題とか)は、普通に牧歌的なんだけど、全体を支配してるのはなんとも言えない孤独感。特に真ん中のゆっくりした部分でのチェロの独白は、道に迷った森の中で孤独に包まれて絶望してる感じ(でもこのチェロがとっても上手かったです)。わたしは、もしかすると青春を美化しすぎてたのかもしれない。前に(といってもベルリンの壁崩壊のあとですが)初めて東欧に行ったとき、無言の圧迫感みたいなものを感じて、ここにはわたしが逃げてきた過去があると思ったことがあります。子供時代は美しい思い出だけど、現実には、貧しかった田舎の景色が広がります。窓から見える無機質の灰色の団地。重い曇り空にのぼる家々からの黒い煙。わたしが子供時代に過ごした町は記憶の中では自然と幻想に満ちたステキなところだけど、現実にはそこに戻って住みたくはない。もしかしたらマーラーもゲルギーも同じなのではと感じました。マーラーの子供時代(クラリネットやトランペットのファンファーレや猥雑な音楽で引用されてる)は、ノスタルジーはあるものの現実にはそこには戻りたくない逃げてきた過去なのではないか。ゲルギーも、よく分からないけど、ってか勝手に想像するだけだけど、国の複雑な事情を考えると、あそこには帰りたくない、甘美にデコレイトされた記憶の中だけにとどめておきたい、そんな場所なのではないか。音楽はそういうふうに語ってるように思えました。第2楽章は溌剌と推進力があった唯一の明るい楽章だけど、トリオに入る前のホルンの合図は異様な感じがしたし、トリオの音楽も夢見がちなのに冷めている。第3楽章のパロディも淡々と進むが故に屈折してる(新しい主題に入る前の微妙なアチェレランドがステキでした)。中間部もヴァイオリンの音をかなり抑えて解決しない感じだし、続く第4楽章も盛り上がるのだけど、圧倒的な勝利には至らない感じ。それにしても、マーラー、第4楽章のとろけるような第2主題をどうして十全に再現しなかったんでしょう。無惨に引き延ばされちぎられ、でも、最後のオーボエがあまりに心に沁みるように断片を歌って。ああ、やっぱりマーラーも還りたくなかったんだ。
ずいぶんと頭で聴いて演奏です。混乱して考えさせられました。演奏自体は、完璧ではなかったけど、とっても上手かったです。やっぱりロンドン・シンフォニー上手い。ゲルギーも自分のやりたい音楽をきちんと表現していました。かなり気合い入ってたです。第3楽章冒頭のコントラバスはパート・ソロだったけど、弦の音が細っそりと聞こえて、ソロみたいでびっくり。ちょっと残念だったのは、オフ・ステージのトランペットを鳴らしたあとで、ドアの音がきしきしいってたこと。静かな箇所だけにあの雑音は余計。今までそんなことなかったのにな。
不思議なマーラーでした。ゲルギーのマーラー感はかなりユニークかも。他の曲でも聴いてみたいです。CD買うしかないのかな。

PS 最後の最後で一瞬無音のところがあったんだけど、あれはわざとなのか落ちたのか。ずうっと鳴らされてる打楽器が落ちるとは思えないので、やっぱわざとなのかなぁ。
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by zerbinetta | 2010-11-19 20:54 | ロンドン交響楽団 | Comments(6)

Commented by Miklos at 2010-11-21 02:36 x
舞台裏の音は、トランペットが1フレーズ吹くごとにギシギシと音がして、いったい何なのかと思っていました。1フレーズごとに立ち位置を変え、舞台のほうへと徐々に近づいて来ているのかなと思いましたが、扉を開けたり締めたりしていたんですね。最後の無音は私も意表をつかれました。やっぱり落ちるってのは考えにくいですかねー。

いつもよりオケが鳴ってないと思いましたが、圧倒的勝利に向かうのをあえて避ける解釈、というのは言われて初めて、そうかも、と納得しました。
Commented by zerbinetta at 2010-11-21 10:15
あの音ほんとじゃまでしたね。ホールの人も音楽を作る側の人間としてきちんとやって欲しいです。
あの無音は事故だとしたら、完璧なタイミングですね。でも、実際のところどうなんだろう? わたしにも分かりません。日本ツアーでも演奏されるので、誰かブログに書いてくれないかな。
オーケストラは抑えめだったような気がします。第2楽章の主部は溌剌としていましたが。ゲルギーが何を表現したいのか、実はまだあまりよく分かりません。他の交響欲の演奏を聴いてみなければと思います。
Commented by voyager2art at 2010-11-21 18:03
ゲルギーのマーラーは本当に独特ですよね。僕は先日の5番が全く理解できなくて、今回の1番の方がまだ分かりやすかったです。僕が慣れただけかも知れませんが。次の9番はどうなるんでしょうね。
トランペットのバンダの後のドアの音は、僕の座席からドアが見えなかったので最初は何か分からず、天井の照明機器か何かが落ちてくる前兆かと上を見上げたり、挙動不審状態でした(笑) 二回目のバンダの後も同じ音が鳴ったので、ようやくドアの音だろうと気付きました。
Commented by かんとく at 2010-11-22 02:57 x
つるびねったさん
ゲルギーのマーラーが特徴的ということが、自分として判明し、ちょっとほっとしています。自分の感じ方が普通でなかったわけではなさそうなので・・・
それにしても、つるびねったさんって、随分前からずーっと、とっても詳細な演奏会記録を付けているんですね。尊敬します。
Commented by zerbinetta at 2010-11-22 06:23
voyage2artさん、
ゲルギーのマーラーはわたしもかなり特異だと思います。好みが分かれるでしょうね。わたしは、これが最高だと思わないけど、でも確かに面白い考えさせられる演奏だと思いました。第9番は前に聴いた印象と同じだとすると、今回の第1番と同じような感じになるんじゃないかと思っています。
客席から見えるドアは閉めていたように思いますが、奥のドアの開け閉めをしてたように思いました。ステージの後ろからも重い大太鼓のような音が聞こえてましたよね。あれはなんだったんでしょう。
Commented by zerbinetta at 2010-11-22 06:47
わたしが言うのもなんですが、かんとくさんの感想はいつも的確につぼを突いてると思いますよ〜。
当時はほら、ウェブ日記や誰でもできるホーム・ペイジ作りが流行った頃でわたしもなんかやってみたいと思ったの。でも、実を言うとUS時代の最後の1年は書いていないんです。三日坊主なんです。

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