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マーラーの9番聴き比べ? 愛がわたしに語ること   

27.01.2011 @barbican hall

mahler: symphony no. 9

gustavo dudamel / lap


今日から約1ヶ月の間にマーラーの交響曲第9番を3回聴くことになります。なんという高密度。この曲はマーラーの作品の中でもよく演奏される曲だし、音楽が深いので指揮者もオーケストラも気合い入れてくるし、お別れコンサートとか特別な音楽会で演奏されることも多くて、良い演奏が聴ける確率が高いのです。今まで聴いた中で一番印象的だったのは、ちょうど10年前に聴いたレヴァインさん指揮のMETオーケストラの演奏。この世のものとは思われない美しい音楽で時間が止まってしまいました。ロンドンでもすでに3回も聴いています。というわけで(?)、わたし、聞き比べに挑戦です。CDとかでも聞き比べとかしない人なんだけど、ちょっとがんばってみようかなと思って。実は聞き比べ、苦手なんですね。まず第一に、聴いてるとそれが最高って思ってしまう。そしてすぐ忘れる。なのでちっとも比べられないの。印象は残っているんだけど、それぞれ別に存在していて、ここはこちらが、あそこはあちらが、とかって比べられないのね。と、まずは言い訳しといて。

ドゥダメルさんは、実は不安が大きかったのです。だってこの、マーラーの最後の交響曲には死や別離や耐え難い郷愁やそんな情念が分厚く塗り固めてあるんですもの。若い音楽家にそんな人生の深みを表現することができるのかなぁと。この音楽には、人生の経験が不可欠であると、まだ、マーラーの年齢に達していないわたしは思うのです。
ドゥダメルさんの演奏は、はっとするような音のバランスで始まりました。ホルンの裏打ちのリズムをとても弱くして、ハープの歩みを前に出す感じ。ゆっくりと、そしてアウフタクトにためを持って。複雑な対位法の音楽が立体的で、ヴィオラやホルンの中声部に独特のアクセントを付けていて、とっても惹き付けられます。そして音色が美しい。ロサンジェルス・フィルは、金管楽器はちょっと音が野卑になることがあるのだけど、弦楽器がふくよかでとってもきれい。ドゥダメルさんは年齢にさばを読んで背伸びをしない。楽譜を通して感じたことを素直に音にしていく。誰かが(そしてマーラー自身さえも)塗りたくった情念を全く取り去って、音楽だけを拾っていく。もしかすると、聞き込んだオーセンティックなマーラー・ファンからすると物足りない演奏かもしれない。でも、ここまで信念を持って表現されたら、それを誰が拒否できるでしょう。好き嫌いはあっても、ひとつの行き方であるのは間違いないと思えます。わたし自身も素直にならなければと思った。とにかく今演奏されている音楽を信じること。感じること、受け入れてみること。

第2楽章はそんなドゥダメルさんのアプローチに唯一物足りなさを感じたところです。もちろん、十分にステキな音楽を奏でていたのですけど、この楽章に隠されている対位法的な仕掛けを聞き取る面白さがなかったからです。もちろんそういう演奏の方が特殊なんですけど、一度その仕掛けの面白さに気づいてしまうと、なかなか離れないですね。でも、続く第3楽章は圧巻でした。音に込められた力は半端ではありません。熱く迸る、音たち。各声部が縦横無尽にぶつかり絡まり、弾けます。最後は興奮のるつぼ。フィナーレかと思っちゃった。ブラボーの声を叫びたくなるよ。ブルックナーの第9番の交響曲のようにひとまずここで終わっちゃったらいいのにとさえ、思った。

そして、ほんとのフィナーレ。この音楽がこんなふうに演奏できるなんて、初めて知りました。もちろん、最初から一貫したドゥダメルさんのアプローチなんですけど、なんと楽天的で、美しく、幸福なんでしょう。ここに、死も離別も彼岸もない。あるのは、語り合う愛。まるで交響曲第3番のフィナーレの世界。音楽の途方もない愛おしさ。音が内面から迸るように力のある美しい弦楽合奏。ロサンジェルス・フィルの能力が最大限に生かされた類い希な演奏。心があたたかくなる。愛が語ること。それは悦び。そして語り疲れて、眠りに落ちるように消えていく音楽。幸福感。この曲からこんなことが聴けるなんて素直な驚き。ドゥダメルさんすごすぎ。
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by zerbinetta | 2011-01-28 09:48 | 海外オーケストラ

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