男前っ   

24.03.2011 @barbican hall

shchedrin: lithuanian saga
shostakovich: violin concerto no. 1
tchaikovsky: symphony no. 2

leonidas kavakos (vn)
valery gergiev / lso


今シーズンと来シーズンにわたるゲルギー、ロンドン・シンフォニーのチャイコフスキー交響曲シリーズ、第2弾は交響曲第2番。かなりマイナー。全曲を順番に演るのでしかたないんだけどね。

オーケストラの音合わせが終わったあと、ステージの隅にMD(米語だとCEO)のマクドウェルさんとゲルギー、カヴァコスさんが出ていらして、マクドウェルさんが、ロンドン・シンフォニーと日本との関係、今日のコンサートを日本の方々に捧げる旨の挨拶。ゲルギーとカヴァコスさんの表情を観てたら、心痛してくださってる気持ちがきりきりと伝わってきてじーんと来ました。今日も音楽会の前に泣かされるぅ。

始まりはシチェドリンさんのリトアニアン・サーガという作品。今日はタコとチャイコフスキーの2曲とばかり思っていたから、おまけが付いたみたいでお得な気分。リトアニアのナショナル・フィルハーモニック協会の委嘱で作曲されて、ゲルギーとロンドン・シンフォニーによって2年前に初演された曲。ロシアの聖歌を元にしたような旋律が聴かれて、とても分かりやすくて美しい音楽。シチェドリン好きのわたしには嬉しい。今シーズンはこの作曲家をゲルギーはたくさん採り上げてくれたけど、どれもステキな音楽ばかり。ゲルギーとシチェドリンさんの相性もとってもいいし、わたしも好きなんだな〜って再確認。シチェドリンさんは会場に来ていらしていて、ミーハーなわたしは奥様のマイヤ・プリセツカヤさんを一目見ようと探してしまいました。遠くからしか見えなかったけど、美しい人。あとで彼女が85歳と聞いてびっくり。美しい人は年を経ても美しいのね。

そして、タコこと、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲。有名な第1番。カヴァコスさんとゲルギーはどんな演奏をするのでしょうと思って聴き始めたら、もう最初っからノックダウン。とんでもなく凄い音楽が。まるで次元の違うタコ。ブラックホールに吸い込まれるように、二度と再び引き返せない世界に連れ込まれてしまう。カヴァコスさんは、魂の深い淵から音楽を紡ぎ出すようにヴァイオリンを弾いていく。リズムが切れるようにしっかりしていて、それでいて横の線も豊か。ものすごく余裕のある音作りで、これ以上の演奏はまず聴けないだろうと唸ったくらい。筋肉質で、こういう音は女性には出せないだろうな、だって筋肉の付き方が違うもの。わたしのアリーナが秋に日本でこの曲を弾く予定になってるのだけど、わたしは聴けないけど、今日の演奏を聴いたら、アリーナといえども太刀打ちできないなって素直に思いました。もちろん音楽は多様なアプローチがあるので、アリーナはアリーナのステキな演奏をするはずですけど、今日のカヴァコスさんのはタコの演奏のひとつの究極だと思います。特にパッサカリアの鋼のような何かを拒絶した無機質さ(それでいてどこかあたたかいのは雪の優しさ?)から長大なカデンツァに移行するあたりは、音楽の重力の大きさに身体ごとつぶされそう。そしてバックのゲルギーとロンドン・シンフォニーが輪をかけて良かった。なんか今日の音楽会、ゲルギーの集中力がいつにも増して(いつもものすごいんですけど)凄かった。曖昧なところが全くなくリズムが切れまくり。音が重いから、速いところはものすごいエネルギーが発散されてる。タコはこうでなくちゃ。演奏者にとっても一期一会の演奏だったように思えます。会場は割れんばかりの拍手と歓声(半分は便乗して騒いでる高校生)。アンコールにバッハのソナタ第2番からアンダンテ。下で等間隔でリズムを刻みながら上で旋律を弾くというとんでもなく難しい曲だと思うけど、リズムむちゃきちんと刻んでました。重くどっしりしたバッハ。今日の音楽会のテーマは重厚さです、って言っちゃえるかも。

チャイコフスキーの交響曲第2番は愛称、小ロシア。日本語だと、小日本。あっこれだとなんだか侮蔑されてるみたいだから、ちょっとスケールは違うけど、小京都とかそんな感じですかね。もしくは谷中銀座とか。なんてくだらないことを思っていたら、オーケストラのトゥッティ一発あと裸のホルンが民謡風のメロディを吹き始めてびっくり。なんて大胆な管弦楽法。そして第2楽章にいきなり行進曲。うひょひょ〜チャイコフスキーぶっ飛んでるよ〜。で、思い出したのは、シューベルトの交響曲第8番の第2楽章も見方によったら行進曲。音楽の冒頭も裸のホルン(ユニゾン)だし、シューベルトはグレート、チャイコフスキーはリトル。うふふ、なんたる符合。ははは、もちろん偶然のこじつけ。チャイコフスキーのはウクライナの民謡がいくつか引用されてるので、このニックネームが付いたのです。
ゲルギーのチャイコフスキーは、抒情的な要素を押しとどめて、音楽の勢いや構成を大きく構築する方向性。これは前回の交響曲第1番のときも感じました。ロンドン・シンフォニーもそれに応えてとっても立派に演奏していたんだけど、曲が曲だけに叙情性をもうちょっとブレンドしないと面白くないなっても思いました。なんかドライすぎてぱさついちゃうみたいな感じ。わがままかも知れないけどちょっぴり潤いが欲しかった。

今日もゲルギーとロンドン・シンフォニーは本当に凄い演奏をしていたのだけど、今日はお客さんが悪かったです。同じ曲目で2夜(録音のためだと思います)、しかもマイナーな曲だったのでお客さんが入らなかったのでしょう、わたしの近所には先生が引率してきた高校生のグループが何組か座って、クラシックの音楽会にあまり馴染みのない人が多かったのです。もちろん、そんな人たちも音楽のステキさに目覚めてくれたら嬉しいのだけど曲目がね。一般受けしないから。で、タコの協奏曲のときは楽章の合間に拍手が入ったり、チャイコフスキーも1回拍手が入ってゲルギーが手で制したかな、最後はフライング・ブラヴォーに寛容なわたしでもまゆを顰めたくなるタイミングで拍手をされた方が。ちょっと演奏者がかわいそうでした。わたしも集中するのに精一杯。こんな日もあります。
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by zerbinetta | 2011-03-24 10:30 | ロンドン交響楽団 | Comments(2)

Commented by Miklos at 2011-03-28 08:00 x
こんばんは。ゲルギーのチャイコシリーズはどうも日程が合わず、1番、2番は聴けずじまいでした。いつもキレている私から見れば観音様のように寛大なつるびねったさんですら眉をひそめたくらいなら、私だったら額からぴゅーと血が吹き出ていたでしょう。ロンドンの聴衆の民度は、相対的には決して低くはないんですけどね。
Commented by zerbinetta at 2011-03-28 09:22
ありゃりゃ、残念ですね。ゲルギーのチャイコフスキーは第5番がめちゃ感動するので来シーズンのそれはぜひ聞き逃さないようにしてくださいね。
わたしは観音様というより、ただぼんやりとしててあまりまわりのことが気にならないだけですよ。今回は、高校生軍団に囲まれてちょっとむむーとなってしまいましたが。ロンドンの聴き手の質は高いというのはわたしも同意見です。でもほんとは、もちょっと高くなって欲しいですけどね。

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