わたしはもやは青春ではないんだ   

12.04.2011 @royal festival hall

mahler: lieder eines fahrenden gesellen
symphony no. 1

michelle deyoung (ms)
lorin maazel / po


マゼールさんとフィルハーモニアのマーラー交響曲チクルス始まりました。日本で大晦日にベートーヴェンでやったように、一晩は無理としても1日で全曲演奏すれば話題になるのに、なあんて毒づいてしまうわたし。実は、それほど興味がなくて、だってマーラー食傷気味だし、演るならマゼールさんじゃなくて若い人なんて思っちゃうし、まっ、いくつか聴けばいいかなと思ってチケットもあまり取っていません。フィルハーモニアと言えばスミスさんのティンパニなのでティンパニの活躍するのを中心に取りました。でもね、そういえば、ひとりの指揮者で全曲を聴けば、また聴き方も違ってくるんじゃないか、実はわたし、録音を通してもひとりの指揮者でマーラーの交響曲全曲を聴いたことがないんだってことに気がついたのです。マーラー指揮者の権化バーンスタインでもなぜか第6番は聴いたことないし、アバドさんも第8番を聴いたことがないんです。となれば、これは滅多にないチャンス。しかも生で聴けるなんて。って慌てて思ったんですけど、予定を見るとすでにいくつかの日程は埋まってる。うううん、やっぱり歯抜けだな。というわけで、今日の音楽会も一昨日チケットを取ったばかり。だって、今週予定ないし〜、チェックしたら、一番安い席(ほんとは2番目に安い席)まだ残ってたんだもん。ってかまだ結構空席あり。ということで安い席で入って空いてる席に移動作戦をとることにしました。あんまりやらないんだけどね。たまには。

今日はデヤングさんを迎えてのさすらう若者の歌と交響曲第1番。若いマーラーの音楽です。今日は珍しく女性の肉声でアナウンスがあって(いつもは男性のテープでの放送です)、電子機器のスウィッチを切るようにということですが、特に今日は録音されるのでしっかりね、ということでした。えっ!もしかして、マゼールさん、3回目のマーラー交響曲全集の録音をするの? 次の音楽会が録音されるのか分からないので確かなことは言えないのですが、でも、そうなったら何というか凄いというか、なんでマゼールさん?というか、この間のニューヨークとの録音はすぐこの間だし。

さすらう若者の歌は、出だしからむちゃゆっくり。おおお、こんなゆっくりなテンポで弾くのかって思いました。基本的にはマゼールさんの音楽でしたね。デヤングさんはも少し先に行きたいようなところもちらりと見えましたから。そして、ちょっと普通でないと思ったのは、響きが初期の作品のようにロマンティックに響かなかったの。細部の部分部分を取りだして緻密に音にして、それを構成して組み立てたみたいな、なんだか20世紀的な演奏の仕方で、後期の作品を聴いているような響きでした。マーラーが作曲した時点の目で音楽を見るのではなく、マーラーの作品全体を通して、さらに飛び越えて、マーラーの反映が見られる新ウィーン楽派の音楽を消化した目で、この曲を透視したようなんです。若き日の幻影的な恋の歌とはなんだかちょっとちぐはぐな、面白かったんですけどね。歌のデヤングさんは大きな身振りで歌っていましたが、ちょっと大振りかな、でも、マゼールさんの音楽には直立不動で感情を排して歌った方が似合うのかも知れないと思いました。でもそうしたら、きっとつまらなくなりそうですね。もしかするとこのちぐはぐさが微妙に良いバランスなのかも知れません。

ということで、交響曲第1番もそんな演奏かと思ったら意外と違った。とはいえ、ロマンティックではないのだけど。じんわりと霧が顔にかかるように始まって、序奏は意外にも愚直なまでにインテンポ。よく駆け足で吹奏される舞台裏のトランペットもステージのオーケストラと同じテンポで吹かれたんですよ。でも、音の強弱やフレージングは神経質なまでにコントロールされていて、よく知ってると思ってる音楽でも、あっこんな音あったんだっていうような音が聞こえてきて面白い。さすらう若者の歌の朝野を歩けばのチェロの牧歌的な旋律もお終いにテヌートをかけて音を倍くらいに伸ばすふわりとするような心憎いフレージング。弱音にこだわって、春の陽気な爆発というより薄膜を通して景色を見ているみたいです。春霞の中、というより記憶の中、手の届かないもの、みたいな感じ。中性的で熱くもなく冷たくもなく、ロマンティックでもなく分析的でもなく、なんか不思議でした。
そのうっぷんは第2楽章に入ったとたん晴れました。アタックの効いた溌剌と元気な音楽。生の音が直接耳に伝わってきます。やっとなんか現実感が出てきました。第3楽章は、最近では珍しい(?)コントラバスはひとりのソロでした。国際マーラー協会の新改訂版の見解はパート・ソロですからマゼールさんは独自の解釈を通したと言えるでしょう。この曲の一番最後のホルンの起立もマーラーの指示に敢えて逆らって別の場所から立たせたので、確信犯的な解釈でしょう。でも、マゼールさんの良いところはそれがきちんと意味のあるものになっていること。音のバランスやフレージング、間の取り方、加速や減速、音の出し入れ、強弱等、マゼールさんの神業的なバトン・テクニックから自在に生み出されて、ブレのないマゼールさんの音楽になっていました。フィルハーモニアもマゼールさんのマジックの元、曇りなくぴたりと弾いていました。やっぱり合わせるのが上手いオーケストラです。マゼールさんの確信は聴いてるわたしにも、それがわたしの好きではなかったとしても、納得できるものです。第3楽章の葬送行進曲のパロディに闖入して来る音楽は、アチェレランドをかけてダンスのように聴かせるなど、はっとする瞬間はいくつもありましたし。わたしは、一昨年、同じコンビでマーラーの交響曲第9番の演奏を聴いていますが、そのとき明らかに感じたマゼールさんの到達点なのかもという思いは今日の演奏でも感じられました。ただ、マゼールさんの演奏はとっても面白いんだけど、燃えるものがわたしの裡に湧き出てこなかったのも事実です。わたしは、この曲が大好きです。そして特別な想いを持っています。それはわたしの青春の過去へと直接つながります。でも、今日は青春を自分自身として感じることができませんでした。何か遠い手の届かないものとしか感じられませんでした。それはマゼールさんの演奏のせいか、、、もしかするとわたしの青春もわたしの手の届かないところに行ってしまったせいか。。。わたしは、もうこの音楽に同化して音楽を聴く、いや音楽になる、ことができなくなってしまったのでしょうか。そんなふうに考え始めたら、哀しくて涙がこぼれてしまいました。みんながスタンディング・オヴェイションでたたえてるのに。。。
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by zerbinetta | 2011-04-12 08:36 | フィルハーモニア | Comments(2)

Commented by Miklos at 2011-04-17 03:32 x
こんにちは。マゼールさんの演奏は、クセになりそうなくらい面白いものと感じましたが、感動的だったかというと、なんだかそういう評価軸には乗らない演奏だったような。
私も、この曲には青春の想い出がありますねえ(しみじみ)。苦い部分も含めて、今となっては遠い過去から現在の自分を見守ってくれている何か生温かいもの、という感じですかねえ。すいません、気の利いた文学的な表現は全く苦手なんで…。
ところで、バーンスタインのマーラーは6番に止めを刺す、と言い切ってよいくらいですので、ウィーンフィルとの録音(DG)は是非ライブラリに加えてください。こいつもいろいろと青春の苦い思い出と繋がっていて(以下略)。
Commented by zerbinetta at 2011-04-17 07:07
そうそう、マゼールさんっていつも面白いんです。感動するかと思えばしない。でも、大好きなんですね。どうしてなんでしょう。
ふふふ、Miklosさんの苦い青春。聞いてみたいです。わたしのは定番の甘酸っぱいのです〜。じゃなかった、結構暗いです。。。思い入れがあるだけに、なかなか納得のいく演奏に出逢えませんね。ロンドンに来てからも6回くらい聴いているのにこれだというのにまだ出逢っていません。頭の中に自分の音楽ができちゃってるからですかね。あまり良くないのだけど。

バーンスタインの第6番いいのですか。ぜひ聴いてみなくちゃデスね。わたしも若き日のひとつの景色と結びついているので、この曲は高い青空です。

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