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僕のフィオナちゃんと変態満喫   

05.05.2011 @royal festival hall

mahler: six songs from des knaben wunderhorn, symphony no. 5

sarah connolly (ms), matthias goerne (br)
lorin maazel / po


いきなりぼくっ娘になっちゃってるけど、フィオナちゃんなんです。わたし的にはフィルハーモニアはティンパニのスミスさんとフィオナちゃんを見に行くための音楽会なんですけど(きっぱり)、わたしがずうっと目を付けてきたおふたりに魔の手が。ブログ仲間のMiklosさんがあろう事か俺のフィオナちゃんだって。ううん、フィオナちゃんはわたしのものよ。などとどうでもいいことから始めてみましたが、マゼールさんとフィルハーモニアのマーラー・サイクル、ロンドンの公演は、気がつくとストイックにマーラーの作品のみを演奏するんですね。地方での公演はその限りではないけど、意外と芯が通ってることを発見してちょびっと好感度アップ。そして今日は交響曲第5番(アダージエットで有名)と少年の魔法の角笛から歌曲を6曲。いつも奇抜な衣装で度肝を抜くセイラ・コノリーさん、今日はシックなブラウン系の無地のドレスでまともでした。

角笛歌曲は、「トランペットの美しく鳴り響くところ」「ラインの伝説」「この世の生活」「原光」「死んだ鼓手」「少年鼓手」です。マゼールさんが指揮棒を構えた瞬間からそこはマゼールさんの世界。空気を瞬時に変えられるマゼールさんはやっぱり凄い。で、面白かったというかびっくりしたのが、前半の3曲をコノリーさんが、後半3つをゲルネさんが歌ったんです。よくあるのは、男声と女声が交互にうったったりすると思うんだけど、そうではなかったんですね。だから、原光でいきなりゲルネさんが歌い出したのにはびっくり。だって、この曲、交響曲第2番の第4楽章にもなっているけど、女声でしか聴いたことなかったから。
音楽は、オーケストラが伴奏になるところは抑えるものの、全体的には完全にマゼールさんの音楽。マゼールさんの雰囲気作りが上手くて、なんだか暗い世界に引き込まれました。最期の少年鼓手はもうそのまま、交響曲第5番と同じ世界ですね。交響曲第5番はいわゆる角笛交響曲ではないけれども、死んだ鼓手と少年鼓手と第5交響曲の作曲時期は重なってるし、音楽も旋律が引用されているのです、ということに気がついてはっとしました。軍用太鼓(中太鼓)をマレット付きのバチで叩かせていて、独特のずどんとした音色を作っていたのが印象的でした。
歌手はおふたりとも言うことなしでした。コノリーさん服装の趣味は悪いけど(今回は別です)、彼女の歌でがっかりさせられたことがありません。常に最高の状態で歌えるプロ中のプロですね。ゲルネさんの方は、体を揺すったり身振りを交えながら、歌っていました。この人の音楽への没入度はとっても深くて、世界を自分の中に体現して歌ってる感じです。声も暗い音楽に合っていました。
ただひとつ残念なのは、角笛からの抜粋だったことです。できたら、このふたりの歌手で全曲を聴きたかった。マゼールさんのマーラー・サイクルはCD化されるみたいですが、歌曲は外されるのでしょうか。だとしたらとても残念ですし、だから角笛も抜粋になったとしたら二重に残念です。

交響曲は、もうマゼール節満開。お腹いっぱいになるくらい徹底的にやってくれましたね〜。緩急を極端に付けたり(全体的にはかなり遅い演奏でした)、強弱を極端に付けたり。マーラーの音楽と言うよりはっきりマゼールさんの音楽なんですけど、わたしにはそれがちっとも嫌ではなかったです。全く楽譜通りではないんだけど、それがいいんです。最近の演奏スタイルの傾向は、楽譜に忠実、作曲者の意思は絶対、が金科玉条のように言われてるけど、だったら演奏家って何? 作曲者の召使い? ですよね。わたしは演奏家も作曲家も音楽においては対等だと思うんです。だいたいマーラーの時代だってそうでしょう。マーラーは積極的に過去の音楽に朱を入れたし(編曲したのもあれば、当時一般的だったテンポやアーティキュレイションを変えていたフシがある)、自作にも演奏ごとに朱を入れてたのは有名(ウォーク・イン・プログレスなのかもしれないし、演奏家の立場で演奏者(会)に合わせての変更だったのかも知れない)。マーラーが今に生きていたら、きっと、演奏家の立場で、楽譜とは違った演奏したと思うんです。だから、わたしは、楽譜の指示とは違う演奏解釈があってもいいと思うんです。それが理にかなっていて納得できるものであるならば。マゼールさんの演奏はまさにそう。一点の曇りもなく説得力があります。
最初のふたつの楽章は、鬱々ととっても重い。足を引き摺るような行進と暗い激しいけど鬱屈した音楽。意外なことに対旋律を弱音に抑えることで、歌謡的な旋律線を浮き立たせていた感じです。第1楽章の最初のトリオに入ったところ、突然音が弱くなってどこにいるのか分からなくなってドキリとしました。金管楽器はかなり鳴らしていたのですが、曲の前半はちょっと荒く感じました。後半になると荒さが取れてきたんですけど。それにしても、オーケストラはマゼールさんの独特の歌い回しによくついて行ってましたね。そして相変わらず、スミスさんのティンパニが音楽に楔を打つようにしっかりとアクセントを付けて演奏をリードしていました。マゼールさんの意志をオーケストラに伝えたのは、弓と身体でリズムをとっていたリーダーのヴィゾンテイさんと、このスミスさんでしょう。
スケルツォは、一転明るい雰囲気、と思ったら、これもずっしりとお腹にたまる音楽。なにかこう、マゼールさんの音楽、普通の1秒ごとにカチカチという時間が流れていなくて、相対性理論で予測されるように、時間が延びたり縮んだり。よく知ってるはずの曲なのに、どこにいるのか分からなくなるというか、そんなことはどうでもよくなって、時間も空間もふにゃふにゃと柔らかで、有名なダリのとろけた時計の絵の中の世界。コーダにはいるところで大太鼓のソロがリズムを刻むところ、あれ?こんなリズムだっけと驚いていると、ヴァイオリンが入ってきて、あっこんなに遅いテンポで弾いているのか、とリアライズ。すぐに現実に戻って、テンポは戻ったんですけどね。ほんと油断してると何されるか分からない。

あっそうそう、指揮台のそばの椅子にお水が用意してあったんですけど、何かなと思ったら、マゼールさん用のお水だったんですね。スケルツォの前と、あとでちょっと間を開けるときに、飲んでいました。グラスのお水、ほとんど飲んじゃった。ってずいぶんお水飲むんだなぁと変なところに感心(わたしは水をほとんど飲みません)。

アダージエットは、わりとさっくりかと思ったらさにあらず、途中から、やっぱり時間の感覚がなくなってしまいました。もう速いのか遅いのかも分からない。でも、ものすごく静寂で美しい、でも甘さを寄せ付けない、どちらかというと人肌の感情のないミスター・スポックみたいな、とわたしなに書いてるんでしょう、なんだかマゼールさんに当てられて自分でもよく分からなくなっていますが、こうなんだか、美の世界にいるみたいなんです。美の世界って、全てが数学的に整っていて人間の感情なんてお構いなしに自律してる世界でしょ。ってピタゴラスな感じだけど、そんな世界がマゼールさんにはあった。
最後のロンドももうどこに連れて行かれるのか、多分大団円が待ってるとわたしの記憶は告げているんだけど、もうどうでもよくなって、宇宙の穴にぽっかり放り出されて、ああ好きに、好きなところに連れてってって感じ。これだけ、マゼールさんの変態ぶりに付き合ってきたら、でも、わたしのなかのマゾキズティックな資質が頭をもたげてきて、なんだかわたしの文章も変態的。いいんですよ。もういいように弄ばれたから。最後は開放感からか大拍手になったのでした。かなり特異な演奏。わたしは、ほんと変態的と思っていたのですが、スタンディング・オヴェイションをしていたお客さんは、音楽に感銘を受けていたのかしら。わたしは、もう心から面白かったけど、そしてサディスティックにいたぶられて疲れたけど、わたしの聴き方が変態的だったのかな。
ずうっと、わたしのフィオナちゃんばかり見てたけど、健気に弾く姿に萌え〜〜。あっやっぱり変態だわ。

わたしのフィオナちゃん、第2ヴァイオリンのトップ下です。後ろのフルートの女の人はゲスト・プリンシパル。ロイヤル・フィルのプリンシパルさんです。
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マゼールさんとフィオナちゃん(半分)
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by zerbinetta | 2011-05-05 09:09 | フィルハーモニア

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