行間を意味を読む音楽 ゲルギエフ、ロンドン交響楽団 チャイコフスキー交響曲第5番   

24.11.2011 @barbican hall

prokofiev: symphony no. 1
gubaidulina: fachwerk
tchaikovsky: symphony no. 5

geir draugsvoll (bayan)
valery gergiev / lso


ゲルギーとロンドン・シンフォニーのチャイコフスキー交響曲全曲演奏シリーズ。いよいよ第5番。実は前に、ゲルギーとマリインスキーのオーケストラでこの曲を聴いてむちゃ感動したので(わたしの音楽会体験の中でも最も良かったもののひとつ)、今日もとっても期待してたんです。オーケストラはめちゃうまのロンドン・シンフォニーだし。でも、その前に今日はプロコフィエフの交響曲第1番とグバイドゥーリナのバイヤンのための協奏曲「fachwerk」が演奏されました。

まずは最初のプロコフィエフの交響曲第1番。「古典」という題名が付いているとおり、疑似クラシカルで、ハイドンっぽさもあるんだけど。。。ゲルギーのは古典じゃないっ。この曲、「古典」に見せかけて実は一筋縄ではいかない音楽ではあると思うのだけど(実際いろんな演奏を聴きました)、ゲルギーのもなんか不思議なニュアンスを付けて、ロシア・アヴァンギャルドの面目躍如。

2曲目の「fachwerk」、意味は木組みみたいなものみたいです。そういえば、わたし、彼女の作品は以前CDを持っていて知っていたんだけど、ちょっと苦手なかあって思っていたのでした。ところが、今日の曲、2009年の作品ですけど、なんかずいぶんと聞きやすかった。CDに入っていた曲は、CDを買ったのがまだ20世紀の時代でしたから、最近になって聞きやすい作風になったのかも知れませんし、もしかしたら、嬉しいことにわたしの理解度が上がったのかも知れません。独奏のバヤンは、ロシアのアコーディオンのことだそうです。始まりは聖歌のようなバヤンのコラールと弦楽器のソロのグリッサンドが互い違いに対比されて、静謐な空間を作っていきます。曲の真ん中らへんでは少し盛り上がるのだけれども、バヤンの音量があまり大きくないので、それほど盛大に盛り上がることはありません。いっそのことアンプを使ってバヤンの音を増幅してもいいかなと思ったけど、そうしたら全く違う作品が生まれるのでしょうね。この曲は、生のバヤンの音に合わせて作られてると思います。そのため、瞑想のような音楽空間が広がりました。グバイドゥーリナのCD聴き返してみたくなりました。バヤンという楽器は初めて聴くので、この曲がどのくらい難しいのか、ドラウグスフォルさんが、どのくらい上手いかはよく分からないんだけど、バヤンの魅力の一面をよく伝えていたと思います。アコーディオンやバンドネオンにはない(のかな、それともあまり使われていなかった表現)、魅力が音楽の中にありました。

休憩のあとはいよいよチャイコフスキー。ゲルギーの十八番。クラリネットのトップは前半のマリナーさんに替わって、同じく主席のリチャーズさんです。この人もめちゃうま。総裁のコリン・デイヴィスさんがクラリネット出身なためか、ロンドン・シンフォニーのクラリネット・セクションって抜群に充実してます。ほの暗いクラリネットのパート・ソロで音楽が始まるんだけど、ゲルギーの演奏、結構ゆっくり目。そして、フレーズとフレーズの間に余白をとります。主部が始まってからもわりとゆっくり目。これ、前に聴いた演奏(10年ほど前に聴いたライヴとウィーン・フィルとのCD)と違う。ゲルギー進化?第2主題の入りではさらに腰を落として、ってこれは前にもやっていたことだけれども、第1主題がすでにゆっくり目なので、かなりゆっくりとなるんですがなんだかすごい大きな音楽を聴いてる感じ。チャイコフスキーには大きすぎるかもとも感じてしまう。ゲルギーはそこここで上手にテンポを変えたり、ダイナミックの変化を付けるのだけど、もうそれはステキにゲルギーの世界(わたし、ゲルギーってこの曲ほんとに愛してるんだと思う)だけれども、オーケストラは上手いんだけどちょっとツアーの疲れがあるのかゆるい感じで、ゲルギーの要求は完全に満たしていなくて、多分ゲルギーの方もこの音楽の作り方を完全には咀嚼し切れてなくて、ちょっとゆるい感じ。これが完璧になったらもっとすごくなるのになぁって思ってしまった。
うつうつと暗いまま第1楽章が終わってそのままの雰囲気で第2楽章。やっぱりかなりゆっくりで、気持ちに重くのしかかる音楽。ロマンティックで艶やかな美しさを捨てて、北の冬の暗さが感じられる、チャイコフスキーを真剣に哲学したらこうなりました的な解釈。聴く方もだから甘さに酔うのではなくて襟を正して聴かなければという感じ。
ゲルギーは楽章の間に間をほとんど置かないので、一筆書きで一気に音楽を書き上げる。第3楽章からは、普通のテンポに戻った感じで、意外性は少なかったけれども、第1、第2楽章の音楽的な気分を引き継いでいて、とっても大きな交響曲として演奏されていました。もともとゲルギーの演奏ってこの曲の弱さが消えてとっても説得力のある音楽になっていたと思うけど、今日はさらにそれに凄みを増していました。フレーズとフレーズの間に絶妙な余白を置いて音楽の裏にあるものを考えさせる。音の後ろに遠大な真実が隠されているような気がしました。音だけではなく、音のない部分の行間も読まなければ音楽の本質に達しないと思える解釈。この音楽がもっと演奏を重ねて成熟していったものをまた聴けるといいな。将来、録音されないかしら。
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by zerbinetta | 2011-11-24 21:53 | ロンドン交響楽団 | Comments(2)

Commented by Miklos at 2011-12-03 22:37 x
こんにちは。日付が11月3日になっていますよ。埋もれていて気付きませんでした。ゲルギーさんのチャイコフスキーって、何かどっぷりと「俺のチャイコ」に浸っているような気がしませんか?楽章の合間を開けないで(聴衆の咳で流れが中断されないように?)演奏するのもその現れかな、なんて。極めて個性的だし、オケが変わるとまたがらりと変わりそうですね。
Commented by zerbinetta at 2011-12-03 22:50
ううう、わたしもトップに出てこなかったのですぐ気がついて直したんですが、そんな短い間にMiklosさんのコメントが。。。
そうそう「俺のチャイコ」。ゲルギーってチャイコフスキーに絶対の自信(っていうか愛?)を持っていて否応なしに彼の世界に浸らされますね。わたしはそれがとっても好きなんですが。タコなんかはわりと客観的に演奏するけど、チャイコフスキーはかな〜り思い入れがありますね。最後の悲愴が楽しみです。

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