人気ブログランキング | 話題のタグを見る

圧倒 音楽のブラックホール ピエール=ロラン・エマール リサイタル   

07.12.2011 @queen elizabeth hall

liszt: la lugubre gondola s200/2
wagner: sonata 'für das album von frau mw'
liszt: nuages gris
berg: sonata
liszt: unstern! sinistre, disastro
scriabin: sonata no. 9 'black mass'
liszt: sonata in b minor

pierre-laurent aimard (pf)


ちょっと前、ツイッターのTLでエマールが凄い、良く落ちるし、色物も大丈夫というツイートでにぎわって、ええ!そんなにきれいになるならわたしもエマールにしたいなと思っても、こっちにエマール売ってないのでした。ボールドとかアリエールしか売ってない。
じゃ、もちろんないんですよ。クラヲタのわたしのTL、エマールと言ったらもちろんピアニストのエマールさんなのです。うわ〜、リサイタルそんなに良かったんだ、聴きたい聴きたいとじたばたしてたら、日本でのと同じプログラムがロンドンでもあるじゃないですか。しかもその日はフリー、ちょうど、サウスバンク・センターで行けない音楽会のチケットがあったので、チケットを交換してもらうことに。わたしがチケットを取った時点でまだ、わりと席残ってました(今日も満席ではなかったです)。

エマールさんは聴いたことあります。ってこの間ブーレーズ祭りしてたじゃん。それ以外にも、USにいたとき、リサイタルや暗譜で弾いてたトゥランガリーラ。意外とわたし好きじゃん、エマールさん。エマールさんって見た目はなんだかさえないおじさんっぽくて、トゥランガリーラのリハーサルのときは、くたびれた黒の大きなショルダーバックでなんか、サラリーマンのお父さん(昭和)っぽいなって思ったんです。でも、ピアノに向かえば別人。凄い人だと思っていたんですが、今日それを更新。とんでもなく凄い人です。

はっきり言いましょう。圧倒されました。完全に。完膚無きまでに。
それはもう凄い音楽会だったのです。前半は、リストのワグナーの死を予感しながら書かれた「悲しみのゴンドラ」第2稿から始まって、ワグナーのソナタ(珍しいっ!)、リストの「灰色の雲」、ベルクのソナタ、再びリストの「不吉な星!不吉な災難」に戻って、最後にスクリャービンのソナタ第9番「黒ミサ」。リストの3曲はどれも晩年の無調になりかけた音楽で、今聴いてもこれが19世紀の音楽だなんて信じらんない。エマールさんはこれをひとつの作品のように続けて(いくつかの曲の間には短い間はありましたが)弾いたので、なんだか薄ぼんやりとした調の影の中にゆらゆらといるよう。細心の注意を払って構成された素晴らしいプログラム。華やかさも何もない所謂リストっぽくないリストを筆頭に、とても難解な音楽が並んだけれども、分からないからと言って、決して拒絶させることなくむしろ、見えない力によって音楽に引き込まれてしまうような強力な磁場を持った演奏。わたしは固唾を呑んで音楽に耳を集中させるのみ。それは会場にいたお客さん全員の気持ちだったように思えます。エマールさんの集中力はとてつもなく凄かったんですが、それだけではなく、聴いているわたしたちにもそれが感染するところが凄いんです。

でもどうして、こんな聞き慣れない音楽なのに、決してよく分かる音楽ではないのに、音楽に取り込まれてしまうのでしょう。これは謎なんです。音楽の力がそうさせてるとしか思えないのですが、いつもそういうわけではないし、そんな力を音楽に与える演奏が凄いのでしょうか。
作曲家も作曲された時代も違う作品をひとつの作品のように演奏することで、ソナタや交響曲の楽章のように、それぞれの違いや共通性が見えてくるのも、それぞれを単独で聴いたときには分からなかったことが見えてきて面白いと思います。ただ、残念なのは、わたしが全くの素人なこと。演奏された作品のこと、も少し良く知っていれば、もっともっと面白かったでしょう。それでも素人ながら、リストーベルクースクリャービン(ワグナーは少し異質でした。トリスタンだったら良かったかも)に音楽の底にある流れが感じられたことは目から鱗でした。

休憩時間にはピアノのの交代があって、あとはリストのソナタが1曲だけ。でも30分を超える途方もなく大きなソナタです。この曲、この間観たバレエ「マルグリートとアルマン」に使われていて、それはもうとっても感動したので、この曲を聴くと反射的にバレエのことが思い出されて、純粋に音楽を聴かないかも、なんて危惧していたんですが、エマールさんの演奏はそんな感傷など受け付けない、峻厳な孤高の峰のような音楽。呼吸することも忘れて息を飲む演奏というのはまさにこのような演奏を言うのですね。前半からの流れでここに至ると、リストの音楽が単にヴィルトゥオーゾを満足させるだけの音楽ではないことが明らかになります。まだ、言葉に上手くできないけど、リストの音楽に内在している未来に向かって疼くマグマのようなものを感じました。
音楽は完璧にコントロールされてるとかピアノの音がいいとか、そんなことはもうどうでも良く、ただもうそこには音楽しかない。そしてその音楽の中心には巨大な重力が渦巻いていて、ひとたびそこに捕らわれれば2度と再び外に出られないみたいな。あのとき会場に渦巻いていた重力はそれはとてつもなかったんです。音楽の最後の方で大きな休符があるんだけど、あろう事かそこで客席からがちゃんと何かを落とした大きな音。いつもなら、そこで気持ちが一瞬途切れたりもするんだけど、今日は会場の誰もが皆張り詰めたまま次の音を待ってる。会場の空気には音楽しかない。全く希有な体験でした。もちろんお客さんはスタンディング・オベイション。こういう日は会場にいるお客さんどうしで一体感が生まれるのがステキです。エマールさんありがとう。

by zerbinetta | 2011-12-07 09:23 | 室内楽・リサイタル

<< アドヴェント・カレンダーのよう... 評する言葉が見つからなかった ... >>