タコ、ハイドンの精神で ゲルギエフ、ロンドン交響楽団   

21.02.2012 @barbican hall

tchaikovsky: fantasy overture, romeo and juliet
prokofiev: piano concerto no. 3
shostakovich: symphony no. 5

denis matsuev (pf)
valery gerviev / lso


ショスタコーヴィチ、通称タコ、は、実はとってもユーモアのある愉快な人だったんではないかと思います。気むずかしくてひねくれ者かも知れないけど、外の社会と無理矢理折り合いを付けなければならなかったけど、ぼそりとおかしなことを言う、根は明るくて快活な人だったのではないかと。ユーモア溢れる愉しい音楽を書きまくったのはハイドンです。タコもハイドンのような音楽を書いたんではないでしょうか。そんなタコを聴きました。

今日は久しぶりのゲルギーのロンドン・シンフォニー。ゲルギーがタコですから来ちゃいますよ。去年の交響曲第10番も素晴らしかったし。で、始まりはチャイコフスキーの幻想序曲「ロミオとジュリエット」。前にゲルギーの演奏を聴いたことがあるのだけど、結構乾いた演奏でロマンティックじゃなかったの。そんな印象があったから今日はどうかなぁ〜と。で、やっぱりストレイトにロマンティックじゃなかった。かといって乾いてるかというとそうではなく、行間を読むというか、情景を丹念に描き出して内面を見せるみたいな。物語を直接語るのではなく、まわりの景色を語って物語を想像させるような余白のある演奏。特に際だったのが、最初の叙情的なシーンで、もの凄く音量を落として、でも、ふくよかにさわさわととてつもなく丁寧に夜の風に静かに揺れる木々や草花を描いたの。それによって、ロミオとジュリエットの愛の営みが頭の中にふわぁっと湧き上がってきて(きゃーーえっちーー)。ゲルギーの丁寧な音楽作りに感動してしまった。後に引くというかずうっと思い出される演奏。これはステキでした!わたし、恋人にするならこの演奏が好きな人を恋人にしたい。そう思いました。

2曲目はマツエフ(マツーエフ? ロシア語は長音を区別しないと思うのでどちらでもいいんですが、アクセントはどこにあるのかな?)さんのピアノでプロコフィエフの協奏曲第3番。個人的にはまだプロコ祭りが続いてます。マツエフさんは、昔からがたいの大きな人でしたけど、なんか立派な青年になりましたね〜。貫禄つきすぎ(太ってるというわけではないですよ)。しかも彼は弾きまくり系。プロコフィエフの協奏曲は彼にぴったり。ゲルギーのオーケストラもがしがしと工場の機械の爆音のようにぶつけてくるけど、マツエフさんもがしがしとピアノを叩く。巨体からしなやかに繰り出される音は、決して濁らないし割れない。上手いのでたま〜に弾き飛ばしちゃったりしたこともあったけど、音楽が成熟しつつある実感。特に第2楽章の繊細な表現が印象的でした。この人はこれから、音楽の深さを身につけてくれば、ポテンシャルの高い人なので大化けするのではないかしら。アンコールはリャードフの「音楽玉手箱」。わたしこの曲初めて聴いたし、曲名分からなかったんだけど、今は便利ですね〜、ネットで分かっちゃいました。これがまあステキで。まるでオルゴールみたくて、右手と左手の音色をはっきりと変えてガラス細工のように繊細で、うわ〜、マツエフさん、こんな風に弾けちゃうのね、がしがしと弾くばかりではないのね、と改めて驚愕。

そしていよいよタコ。ゲルギーがどのように演奏するのか楽しみでした。
すぱっと切れ味のいい包丁で大根を切るように、重いけどざっくりと始まりました。ゲルギーの音楽作りは、とにかく繊細に美しく。かといってちゃんと爆発するところでは爆発するんですけど、我を忘れることなくしっかりと美しい楽音の範囲で。それにしても、ピアニッシモのもの凄く丁寧で美しいこと。ゲルギーって、ネットで検索すると爆裂系とかって言われるけど(わたしは今まで何度も聞いてきてあまりそう思ったことはないのですが)、ここのところ繊細なピアニッシモにこだわっているような気がします。去年、フランスものを多く採り上げたからかしら?その成果が今日の音楽会には如実に出ていたと思います。高い音の弦楽器のピアニッシモも、ヴィブラート控えめなのに、決して音が細く枯れることなく、冷たいけれども芯に優しい柔らかさをしっかり残したのは、さすがロンドン・シンフォニーの実力。今日の弦楽器のアンサンブル、和音の美しさは最高でした。シモヴィックさんがしばらくぶりにリーダーに戻ってきて芯がピンと通った感じ(副リーダーのラウリさんもいいのですが)。それにコントラバスにはイブラギモヴさんがいらっしゃるし(アリーナのお父様)。ゲルギーのタコは、細かくさりげなくテンポを変えてオーケストラとの間に緊張を保ちつつ、決して異形の表現はしないまさに王道のど真ん中を行く演奏。切断面がきらきらと輝くほど切れ味抜群。第1楽章の前半で、チェロの刻みの伴奏が入るところで少し豊かに弾かせるあたりがもう、心憎いばかりにステキで、ここで涙腺崩壊。涙目で聴くタコ。
そして、第2楽章。答えはここにありました。速めのテンポで、軽やかに進む音楽。なんと素直で明るい。タコというと、皮肉屋とかアイロニーとか屈折した精神とか、特にスケルツォの諧謔性にそういうものを認めると評されることが多いと思うのですが、そんなのは皆無。まるでハイドンのように愉しい音楽。シモヴィックさんのソロ、それに続くフルートのソロも皮肉のかけらもない、ストレイトにかわいらしい演奏。こんなに愉しく、かわいらしくショスタコーヴィチの交響曲第5番が演奏されたことってあったでしょうか。でも、かわいらしいシーンって交響曲第4番にも第9番にも第13番にさえ出てきますよね。最後、思いっきりテンポを落として、ユーモアを締めくくります(オチって言うの?)。
第3楽章ではぐいっとテンポを遅くしてゆったりと歌います。この楽章を、この楽天的な解釈の中でどういう風に演奏するのか興味があったんですね。さらさらと何ごともなかったかのように通り過ぎるとか。でも、ゲルギーはゆっくり。ともすれば哀しみに満ちた祈りの音楽になるところを柔らかな音色で、感謝に満たされた祈りの音楽になりました。窓の外の美しい冬の夜の景色を暖かい部屋から眺めるよう。
そして喜びに溢れる第4楽章。これはやっぱり勝利の音楽なんだ。だってそうでしょう。政治によってねじ曲げられた勝利とか、偽りの勝利とか言っても、わたしたちが知ってる現実は、間違いなく音楽の勝利だもの。スターリンは死んだ、でもショスタコーヴィチの音楽はずうっと生き残っている。これを勝利といわずしてなんと言うの。タコは、自分の音楽の勝利を確信してたんじゃないか。少なくとも、わたしたちは楽譜をひねくれた目で見なくてもいいし、素直に音楽が語ることに耳を傾ければいい。というか、ショスタコーヴィチは音楽を書いたんだ。決して変な自叙伝を音譜に乗せたんではないんですね。もう本当に素直に朗らかに楽しめたタコ5でした。それにしても、本気出したときのゲルギーとロンドン・シンフォニーって凄いな。
あとでBBCラジオ3(この音楽会は中継されました)のインタヴュウの中でゲルギーは、わたしが感じたことを語っていました。歴史云々ではなくて音楽を素晴らしい音楽を演奏するんだって。まさにそんな演奏だったんですね。
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by zerbinetta | 2012-02-21 09:48 | ロンドン交響楽団 | Comments(2)

Commented by Miharu at 2012-02-27 05:12 x
こんにちは、初めまして。
金子扶生さんを検索して訪問してから1ヶ月位経つのですが、今までコメントせずにゴメンなさい。いつも楽しく拝見しています。

ショスタコーヴィチとハイドン!共通点なんて考えた事なかったけど、確かにフムフムって思います。
どうして今まで感じた事がなかったんだろう。zerbinettaさんの感性素晴らしいです。

これからは、ブログを読んだ感想などコメントしますので今後ともよろしくお願いします。
Commented by zerbinetta at 2012-02-27 08:13
Miharuさん、こんにちは。はじめましてっ。
コメントくださってどうもありがとうございます。とっても嬉しいです。また、気が向いたときコメントくださいね。もちろん読んでくださってるだけで大喜びなのです。

ショスタコーヴィチとハイドン、意外と親和性があるんです。とふと気がつくと、アルゲリッチさんが弾いたタコのピアノ協奏曲のCD、ハイドンの協奏曲とカップリングでした。

Miharuさんは扶生さんファンなんですか?ぜひぜひ、扶生さんを応援していきましょう!

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