指揮者変更でがっかり、そして混乱 ロンドン・フィル マーラー、交響曲第9番   

28.03.2012 @royal festival hall

mozart: violin concerto no. 3
mahler: symphony no. 9

lisa batiashvili (vn)
matthew coorey / lpo


ネゼ=セガンさんは、一目惚れ以来ずうっと大好きな指揮者です。ロンドン・フィルとのマーラーの交響曲第9番、今シーズンのプログラムが発表になった1年も前から一番楽しみにしていた音楽会のひとつなんです。なのでむっちゃわくわくしながら会場に着いたら、ホールの入り口で紙を手渡されて、ええええっっっっっ!指揮者変更!聞いてないよぉ。ネゼ=セガンさん、お腹くるインフルエンザのため降板。ぐぅぅ下痢止め飲んで来てよぉ。楽章ごとにトイレ行っていいからさぁ。なんて言ったところで、インフルエンザは伝染病だからなぁ。仕方ないねぇ。そういえば去年も、ズウェーデンさんがインフルエンザで突然降板。そのときもマーラーでしたね(第6番)。呪われてる、マーラーwロンドン・フィル。あああ、でもがっくり。。。今日は隣町で、アリーナがサンサーンスの協奏曲を弾くことになっていて、泣く泣くそちらを諦めてネゼ=セガンさんにしたのに。feliz2さんによると、アリーナのサンサーンス、予想どおりとっても良かったそうなので、ほんと悔しい。予想できたらそっちに行ったのに。むむむ、これでキャンセル3連チャンだわ。

気を取り直して。ってどうやって気を取り直したらいいのぉ。プログラムの前半は、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番。これは指揮者なしで、ソリストのリサ(・バティアシュヴィリさん)が弾き振りすることになりました。オーケストラの人数は、少なく第1ヴァイオリンが6人。今日は前半、ゲスト・リーダーにゲオルギエワさんが座りました。この人がゲストに来られるのは、わたしが知ってるだけで2回目。ブルガリア出身のきれいな人で、現在シュトゥットガルト放送交響楽団で弾いてるそうです。我らがショーマンさんは降り番かなと思ったら次席で弾いてらっしゃいました。
華やかなドレスで登場のリサ。ヴァイオリンを弾かない間は、ちょっとぎこちない感じもするけど、右手でちゃんと指揮していました。確か彼女は弾き振りでCD出していましたよね。でも、オーケストラは自発的にアンサンブルをしていたので、彼女がしたのはキューを出すくらい。もちろん、彼女がソロを弾くので、やりたい音楽はリハーサルの段階できちんと伝えているでしょうが。なので指揮者がいなくてもちっとも問題なく、でも、ネゼ=セガンさんがどんなモーツァルトを演るか興味はあったんですけど(ソリストと指揮者のせめぎ合いとか聴くの好きだし)。
リサのモーツァルトは、ドレスに負けず劣らず、ふくよかで柔らかい感じ。決して厚い音を出しているわけではないのですけれども、大らかで力強くて、それでいて優しく清楚。リサもなんだか最近とっても音楽が深くなっているように思えて嬉しいです。彼女の演奏を聴いていると、耳で聞いているというよりなんだか、景色の中に迷い込んだ気になるんですね。彼女の音楽からはいつも風景が見えてる。それがなんだか心地良いのです。

休憩後はいよいよ、マーラー。さて、指揮者は、慌ててもらった紙きれを読むと、30代半ばのまだ、メジャーなキャリアを歩み始めていない人。オーストラリア生まれ、イギリス・ベースで活動しているそうで、しばらく前までロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニックで副指揮者を務めていたそうです。今は自分のオーケストラ持ってらっしゃるのかしら?書いていないので分かりませんでした。
さあ、そんな若者のクーレイさん、実直そうな青年です。大丈夫かなぁ、いきなりこんな大曲。しかも人生の最後にふさわしいような音楽。ドキドキあわあわしながら聞き始めると、意外といいのですよ。ちゃんと音楽になってる。もしかして、この人、凄い?と考えつつも、これだけで判断していいものかどうか。まず、オーケストラが、非常事態に自発的に音楽をしている。去年の交響曲第6番での突然の指揮者変更のときもそうだったけど、オーケストラがいつも以上に集中して、自ら音楽を奏でているのを感じるのです。それから、多分、ネゼ=セガンさんの降板は急遽決まったので、リハーサルはすでにかなり進めていたんではないかって思えるのです。音の表現の端々にネゼ=セガンさんの音が聞こえるようで。かなりゆっくり目のテンポで演奏されていたけれども、これもネゼ=セガンさんのテンポを踏襲したのではないかと思ったのです。これくらいの若い、まだ経験の浅い指揮者が、リハーサルをほとんどしないで自分の音楽を押しつければ崩壊することは天才でもなければ間違いない。もちろん、部分部分には、彼の音楽の表現を付けようとしているところも感じられたけれども、それは音楽全体ではなくて、ごく一部。実務的な利をとった演奏なのではないかと思ったのです。クーレイさんは、あるとき突然現れる天才、ではなかったと思います。それは、この曲で音楽会を支配する司祭になれなかったことが証明しています。明らかによい演奏だったんだけど、神が降りてきたようにオーケストラと会場の聞き手を音楽の秘蹟に導くまでには至らなかった。楽章の間にぽつりぽつりと拍手が起こって、それをコントロールすることができなかったから。音楽の緊張の持続が、音のないところで途切れてしまうんですね。ただ、クーレイさんは誠実な実務者として十分な実力を持った指揮者であることも間違いありません。短期間のうちに、破綻なくこの曲をまとめ上げ演奏してしまうのですもの。これだけど、なんの予備知識もなく純粋に聴けば、かなり立派な演奏の部類にはいると思います。特にフィナーレは、蕩々と流れて美しい名演でした。

正直に告白すると、それで、わたし、よく分からなくなってしまいました。クーレイさんの音楽をどう聴いたら良いのか。わたしの音楽を聴く耳の未熟さがもろに出てしまいました。むしろ、素直に演奏を聴ければ良かったのに。余計なことがくるくるくる。
クーレイさんには、代役ではなくて正式な音楽会で聴いてみたいです。そこで、初めて、彼の音楽を評価しましょう。彼はきっとステキな音楽を奏でてくれると信じています。
[PR]

by zerbinetta | 2012-03-28 08:29 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(0)

<< ショパンは麻薬 アンスネス リ... ソリスト変更でがっかり、そして... >>