人気ブログランキング | 話題のタグを見る

幽玄の魔境の音たち 内田光子 シューベルトの最後の3つのピアノ・ソナタ   

23.04.2012 @royal festival hall

schubert: piano sonatas d.958, 959, 960

mitsuko uchida (pf)

内田光子さんの、シューベルト最後の3つのソナタ。同じ演目を去年の秋に聴いているので、ちょっとお疲れ気味のわたしは、今日はさぼっちゃおうかななんてことをちらりと考えたのですが、聴いて良かった、あまりにいろんなものを超越したシューベルトでした。そして、それが光子さんの音楽の完成型ではない、まださらなる高みに向かってもがいている音楽でした。基本的な設計は変わらないのだけど、音楽がさらに深みに、彼の国に近づいている印象です。最後の一線を越えるのは臨死体験になっちゃうのか、それとも、シューベルトと一緒に向こうに行っちゃうのか。聴くのも命がけ。シューベルトも凄い、光子さんも凄い。

光子さんはロンドンでは大人気。日本人だからということもなく、会場に日本人が溢れることはなくそれ以上に地元の人が多いです。そして、今日はロイヤル・フェスティヴァル・ホールが満員、ステージの後ろ側にパイプ椅子を出してお客さんを座らせていました。ここまで人を呼べるピアニストはロンドンでは光子さんの他にはキーシンさんくらい?

そう、秋に聴いたときは、D958のソナタなんて、まだこっち側に足をしっかり残してたと思うんですよ。でも今日は、この間と同じように、椅子に座るなり勢いよく弾き始めたのだけど(生命が迸ってる)、ふうっと力が抜けて命の灯火がゆらりと揺れる瞬間があるの。ぞっとしちゃった。弱音の表現はほんと消え入りそうで、足元からすうっと向こうの世界に連れ込まれる感じ。特に、虚無的な半音階の速いパッセージが聴かれるところなんて、向こうから足を捕まれて引っ張り込まれそうで。そして最後は、なんだかやけになって死に神と踊るよう。D958のソナタってもう少し健康的だと思ったのに、こんな風に演奏されてびっくり。正直、光子さんがシューベルトの最後のソナタにはまっていく世界観が怖くなりました。わたしは、まだあの世界をのぞき見したくない。もう少し、健やかに生きていたいから。

続けて演奏された、D959は対照的に、むしろこの世的。もちろんふらりとあちら側の世界も顔を出すのですが、まだ、生きる喜びが残っています。
ところで、今日の光子さんの演奏、音楽に没入しまくってて、外から冷静に音楽を観察する目がないみたい。それ故に、とんでもない世界が繰り広げられてる反面、ミスタッチも多く、ときどき荒れている感じもしました。これ、録音されて放送された演奏を聴くと顕著なんですが、でも、その録音、会場で聴いていた印象とは全然違って、会場では、ミスタッチはほとんど気にならず、むしろ、音楽の凄さに惹かれていった感じです。あとで、友達と凄いもの聴いてしまったと頷き合ったほど。なにしろ踏み越えてはいけない世界を覗いてしまったのですから。

やっぱり圧巻は、最後のD960。静かに始まるこの曲は、ステージに座っていたお客さんが落ち着くのを待って始められました。なんていう弱音のこの世のものならぬ(言葉どおりに)美しさ。そして、左手に染み出てくる虚無的な絶望。D958でも半音階の無機質なパッセージにそれを感じたのですが、この曲ではさらに黒いものがもくもくと広がって、命に覆い被さろうとするのです。
第2楽章には、諦観というかもうここには別離の音楽しかない。そして生への憧れ。光子さんは楽譜から本当に自由で、しみじみと語るように、シューベルトが楽譜に写し取ろうとした前の音を紡いでいく。個人的で普遍的な告白。涙が落ちて止まらない。
後半の2つの楽章は、踊るような音楽だけれども、ついに魂が肉体を離れて自由に踊っている感じ。魂ってほんとは自由でいたかったんだなぁ。肉体から解放して空に返してあげることは、わたしたちに最後に与えられた大切な仕事なんだなって思った。わたしも、まだまだ先だけど、いつかそのときが来たら、そのときまで大事にしてきた魂をつつがなく静かに解き放してあげよう。そうしてわたしは完成するのですね。

by zerbinetta | 2012-04-23 09:03 | 室内楽・リサイタル

<< いよいよ幸せの本番 コジョカル... 異化された大作?? アーノンク... >>