痛恨の微睡、もしくは至福の時 ピレシュ、ハイティンク、ロンドン交響楽団 モーツァルト、ブルックナー   

14.06.2012 @barbican hall

purcell/steven stucky: funeral music for queen mary
mozart: piano concerto no. 23
bruckner: symphony no. 7

maria joão pires (pf)
bernard haitink / lso


本当は今日はフィルハーモニアのチケットを持っていました。でも、ハイティンクさんのブルックナーをどうしても聴きたくなって、チケットをリターンしてこっちに来てしまいました。買うときもずいぶん悩んだんですが。。。
その理由は、ハイティンクさんのブルックナー交響曲第7番は前に、シカゴ・シンフォニーとの演奏を聴いて、あまりよい印象を持たなかったこと、でもロンドン・シンフォニーとの第4番は同曲のわたし一番の演奏になったこと、この間のロイヤル・コンセルトヘボウとの第5番がいまいち焦点が合わなかったことで、ハイティンクさんのブルックナーをどう捉えて良いのか、わたしの中でもやもやしてたからです。今日聴いたからといってもやもやが晴れるとは思わないんだけど、でも晴れたらいいなと、淡い期待もあって。第7番大好きだし。ピレシュさんのモーツァルトなんて至福の時だしね。

と、思っていたのに。のに。なんと、モーツァルト、うつらうつらと眠ってしまったんです。痛恨の極みだわ。全く聴いていなかったわけではありません(言い訳)。ただ音楽の心地よさに、心がとろけてしまって、夢とうつつを音楽に乗ってゆらゆらと。演奏者とモーツァルトには悪いけど、でも、こんなステキな生演奏でうっとりと眠るのって至福の贅沢ですよね(恥の上塗り)。ううう、悔しい。最近は音楽会で寝ることがないのでちょっと油断してた。モーツァルトじゃなくてブルックナーで寝るべきだったわ。だって、ちょっとくらい寝ても同じことやってるし。

ピレシュさんのモーツァルトの前には、パーセル、スタッキー編曲の「メアリー王女のための葬送音楽」が演奏されました。管楽器のための音楽です。そういえば、リハーサルで聴いた前回は、パーセルの弦楽合奏のための作品、今日は管楽器と対をなしたプログラムですね。もともとは合唱のための音楽でしょうか。管楽器のコラールがとってもきれい。でも、ジュビリーのおめでたいときにこの音楽はありかってもちらっと思った。

そのブルックナー、霧が晴れるように明快な演奏なんだけど、ハイティンクさんへのもやもや感は消えることはなかった、というか、ハイティンクさんのブルックナーが一筋縄ではいかないことが分かりました。曲によってわたしとの相性がこうも違ってくるのにびっくりしてます。
ハイティンクさんのブルックナーの第7番はとってもストレイトに美しい演奏。ロンドン・シンフォニーの音色の柔らかさも相まってとってもきれい。ではあるのだけど、とろけるようなクリーミーな音楽ではなくて、芯は固いアルデンテのような音楽なんです。大好きなカラヤンの演奏で比較すると、晩年のウィーン・フィルとの録音ではなくて、ベルリン・フィルとの録音の方。カラヤンが自分のやりたい音楽を徹底的に表現した硬質な、でも美しい演奏なんだけど、ハイティンクさんのを聴きながら、なぜかそれを思い出していました。音楽が渓流のようにさらさらと流れて、第1楽章は、息の長い歌の最初の主題こそ、普通に幅広いテンポで歌っていたんだけど、第2主題、ダンスのような第3主題は速めのテンポで、すっと流れてすがすがしい。ブルックナーの音楽を渓流に例えた時点で、頑固なブルヲタさんから見れば、なんたることってなるのでしょうが(例えるなら大河に例えられることが多いような気がする)、わたしは、ありだなって思いました。スマートでかっこいい。

第2楽章は澄み切った青空。暗さが全くなくって、静かな充足感と、速いテンポで弾かれた第2主題の美しさと慰め。重さよりかろさ。ワグナーの死に際して書き進められたワグナーチューバの4重奏から始まるコーダのところも、決して悲しみではなく、安らぎのある表現。悲しみのかけらもない。ブルックナーの音楽に悲しみなんてあり得ないんだと思った。だって、彼は深く神さまを信じているから。すでに神さまに救われている人に欠けとか悲しみなんてないのですね(キリスト教ってそういう信仰でしょ)。ブルックナーはそりゃ俗世で、諍いとか認めてもらえない辛さとかあったと思うけど、神さまの前では全てが解決されてて悲しみなんてなかったと思うし、神さまへの捧げものとして作曲していた音楽にも、悲しみが持ち込まれる余地なんてなかったに違いないって思います。そういうことをハイティンクさんの演奏を聴いて強く感じた。ただ、ハイティンクさんがそんなカトリック的な音楽をしていたからというわけではないんですけどね。多分、ハイティンクさんはより現実的に、楽譜に描かれていることを丁寧に抽出して職人的に音にしていたんだと思う。

後半の第3楽章も第4楽章も、ハイティンクさんのザッハリッヒな演奏は冴えています。余計な感情は捨てて、きわめて丁寧にしつこく、音楽の美しさを追求して引き出してる感じ。だからこそからっとすがすがしい。第4番のときはもうちょっとウェットな演奏だと思ったんですが、音楽の完成度の高い第7番は、楽譜をきちんと音にできれば十分に素晴らしい音楽になるので、小細工は必要ないんですね。確固とした意志を持って、余計な精神論を伴わない純粋な音楽を作っているのだと思います。でも、そんな硬質な解釈なのに、ロンドン・シンフォニーが柔らかな音色で応えるから、もうなんとすっきりと清々しく美しいんでしょう。ハイティンクさんとロンドン・シンフォニーのいいとこ取りをして最良の成果を出した演奏ではないでしょうか。
ただ、それをわたしが好きかどうかは別。納得しつつも、もっと好きな演奏あるかなぁなんて思ったりして。少し感情移入する隙間のある演奏が好きかな。

オーケストラはハイティンクさんを本当に敬愛しているようです。ハイティンクさんを称えるオーケストラ全員の拍手は、たっぷりと心のこもったもので、今日の音楽会で一番感動したのは、このときでした。本当に良い関係なんだ。いつまでもこの友情が続きますように。
[PR]

by zerbinetta | 2012-06-14 07:29 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)

<< 超やばい人 コボー 「ラ・シル... やっぱりプリンシパル ラム、モ... >>