シンメトリー マーラー随草 その三   

ごめんなさい。そんなことよく言われてることだし、何を今更っておっしゃるのも分かります。でも、あとのお話にも必要なので話させて下さい、シンメトリーのこと。もちろん、そんなこともう知ってるよという方は笑って飛ばしちゃって下さいな。

お話ししようと思うのは、マーラーの交響曲によく見られるシンメトリカルな構成のこと。交響曲様式による音詩「巨人」、交響曲第2番、第5番、第7番、「大地の歌」、第9番、第10番、そして、変則的だけど,第3番、第4楽章をプロローグとしてとらえたときの第4番にみられるものです。ということは、シンメトリカルではないのは、「嘆きの歌」、「さすらう若者の歌」、「亡き子をしのぶ歌」、「巨人」を改訂して4楽章にした交響曲第1番と第6番、第8番ですね。交響曲と名が付くものは、ほとんどがシンメトリカルな形式を持っていることが分かります。

マーラーの前に,シンメトリカルな形式を持った交響曲はあるでしょうか?ハイドンの初期の3楽章の交響曲までさかのぼっちゃうとあれだから、形式が確立して意識的に交響曲が書かれた頃からの作品を見てみると、ベートーヴェンの「田園」。それからベルリオーズの「幻想」。それくらいかしらね〜。本当のところはただ5楽章あるだけで、作曲家はシンメトリーを意識したわけじゃないと思うけど、シンメトリーを意識させるのには十分打と思うんです。どちらもマーラーが生涯にわたって10回以上指揮した愛奏曲ですから、ヒントを得たとしても不思議ではありません。

マーラーはシンメトリックな構成を意識してたんでしょうか。それは分かりません。わたしの知る限り、ってもほとんど何にも知らないんだけど、そのことに言及してる彼の言葉は見つからないので。でも、交響曲のシンメトリックな形式への偏愛をみると、意識的にせよ無意識にせよ内的な欲求はあったんじゃないかなって思うんです。

マーラーだってベートーヴェンを強く意識していたので、シンメトリカルな形式の交響曲でも音楽のドラマ、暗から明へみたいな、を描いているように思えます。多分、「巨人」と交響曲の2番、5番は。だからこれらの曲には、暗から明への一方向のドラマと真ん中で方向が逆転するシンメトリカルな形式の間で軋みが見られるような気がするのです。ドラマの筋がはっきりしている第2番は形式が隠れ、形式への志向が強い第5番ではドラマ性が弱くなってると思うんです。
ドラマ性が薄くなり、形式が音楽を支配するようになるのは交響曲第7番からだと思います。マーラーの第7はベートーヴェンのそれと同じように形式の音楽です。さらに、晩年のマーラーを捉えた永劫回帰の思想は、ついに音楽の形式との完全調和を成し遂げるんです。(この辺、わたしの主張というか思い込みが強いのですが)

マーラーの交響曲のシンメトリック構造の1番目立つ点は真ん中がスケルツォなんです。交響曲って昔は第1楽章とそれに続く3つの楽章の仲間たち、みたいな感じで、第1楽章が中心でした。そのうちモーツァルトの最後の交響曲やベートーヴェンの頃から、ドラマの結論を担う第4楽章(最終楽章)が大事になって、「合唱」なんかはその最たるもので、多くの普通の日本人は第九と言ったら最後の楽章しか知らない、なんてことが起きちゃいます。諧謔性を持ったスケルツォが曲の中心になるなんてなかったんです。こんなのマーラーだけ。
そしてマーラーのスケルツォには,交響曲の真ん中に置かれているだけではなく、中心のテーマ(音楽的に、ではなく哲学的に)、場面の転換のポイントになってるように思えます。

そのことに気づかされたのが,ニューヨークで聴いた,ブーレーズさんとウィーン・フィルの交響曲第3番の演奏。ブーレーズさんは第3楽章の森の童話を思い出させるようなおどけたスケルツォの最後を遅いテンポで,ティンパニをはっきりと際立たせて演奏したのです。その結果、見事な場面転換。夜の帳が降りて後半の夜の音楽につながったんです。トリスタンの昼と夜。表と裏。スケルツォを介して世界が転換するのをまざまざと聴いてはっとしたのです。この曲のシンメトリカルな構成が浮かび上がった瞬間です。

さて、この間の第6交響曲。マーラーが、スケルツォを作曲過程で置いていた第2楽章ではなくて,最終的に第3楽章にしたのは、マーラーのこのシンメトリカルな形式への(無意識な)偏愛があったからではないかと秘かに妄想しています。だって、スケルツォを第2楽章に置くと、第1楽章と繋がっちゃって(曲想が近いから)、マーラー的スケルツォの役割を果たせないんですもの。長大なフィナーレと他の楽章とのスケルツォをはさんで形式的なバランスを取るということもあります。本当のところはマーラーのみぞ知る、ですが。

わたしは、こういうマーラーの謎かけを妄想して勝手にあーだこーだと考えるのが大好きなようです♡
[PR]

by zerbinetta | 2013-04-16 20:28 | 随想 | Comments(2)

Commented by 藤井 at 2013-04-16 23:55 x
シンメトリー構造ですね。ようやくzerbinettaさんの6番の中間楽章演奏順序に関するお考えが理解できました。その二で、調べられた事を書いていらっしゃるように、スケルツォ第三楽章が正しいんですね。でもマゼールの選択がぶれているのも面白いですね。
Commented by zerbinetta at 2013-04-17 22:37
そう、キーワードはシンメトリーなんです。
第6番は、発表されている文献を見る限り、第2楽章にスケルツォを置く合理的理由はなさそうです。聞き手はその方がいいと言ってもあなたはマーラーより偉いのかなぁんて。
マゼールさんは不思議な人です。

<< はばたけ!世界へ。日本のオーケストラ サー・コリンさん、素晴らしい音... >>