マーラー交響曲第7番「復活」 マーラー随草 その四   

多くの非キリスト者の日本人が誤解しているように思えるんだけど、キリスト教の教義って死んだら天国にすうっと行くのではありません。死んでから、死んだままお墓で復活を待つんです。昔は、その(肉体的な)復活のために,死者の心臓とか腸とかを壺に入れてとっておいたとも言います。昔、ウィーンのシュテファン寺院の地下のカタコンベに見に行きました(あとで調べたら,シュテファン寺院は心臓以外の内蔵を置いてるんですね。心臓は別の場所)。イエス・キリストだって死んでから墓に入って3日目に復活します。天国に行くのはそれから。というかキリストの場合は、しばらく地上に現れては弟子を教え、昇天するのはちょっと後なんですね。そして、これが一番大事なことなんですが、天国に行くのは本人の善行でも努力でもなく,ただひとえに(神の)恩寵なんです。いわゆる信じる者は救われる,デス。何も努力しなくても神さまさえ信じていれば,ポワンと天国に行けるわけです。だからそこに人間的なドラマはありません。

マーラーの音楽は、少なくとも交響曲第8番までは、とてもキリスト教的な背骨を持っているように感じます。最初の頃、ベートーヴェンばりの暗から明へ、人間は努力して幸せを得る、みたいなドラマを描いてたけど、だんだんとそんなドラマツルギーからは離れていったように思えます。マーラーの時代は、ベートーヴェンの頃のような未来を単純に信じられる時代ではなくなってきていますからね。未来への閉塞感がある。また、マーラーは強い疎外感を持っていました。彼の言葉、「私は三重の意味で故郷がない人間だ。オーストリア人の間ではボヘミア人、ドイツ人の間ではオーストリア人、そして全世界の国民の間ではユダヤ人として」は、彼の疎外感を端的に表していると思います。どう足掻いても抗いようのない出自。だからこそ、彼は人間の努力に対する諦めに似たものを感じていたのではないでしょうか。そして彼は、ブルックナー以上に宗教を考えた人だったように,彼の音楽から感じます(ブルックナーは完全に宗教の中にいたので、闘争も悲しみもドラマもない)。
ヒューマニズムとキリスト教は相容れないものです。なぜならキリスト教は神の論理なので人の論理とは別物だからです。だからこそ、ひとえに神を信じることで救われる。どんな悪人であろうともです。
そんな、ドラマ性のなさが、マーラーの音楽には見られると思うんです。努力でも自分で掴み取るでもない,結局、天から振ってくる恩寵。そんな自己実現の弱さが、例えば、まだ、暗から明への交響曲を書こうとした第5番のフィナーレの弱さにつながっているんじゃないかって思います。幸せは棚からぼた餅、天から降ってくる。

交響曲第7番のフィナーレの、KY気味の唐突さは、だから、これこそが神の恩寵の神髄です。マーラーは、闘い、努力を積み重ねて、最終的な喜びを得る人間的なドラマを交響曲第7番には持ってきていない。人生は全てチャラになる、偉大な神の勝手な意思を音楽にしていると思うんです。苦しかろうが,楽しかろうが、悪いことをしようが、努力しようが怠けようが、そんなことは結局何の意味をなさない、恩寵による天国行き。勝手に現れる白昼の喜び、お祭り。だから、フィナーレが弱いなどと言うアドルノの批判などは,本質を外れてるんです。だって、描いているものが違うのだから。むしろ、意思に関係なく唐突にやってくるから最強。その代わり、第10交響曲の真ん中のスケルツォ、「この世の生活」(敢えてプルガトリオと言わない)に象徴されるように、スケルツォは現世の人間の営みを強烈にカリカチュアライズしてる。

マーラーは現実の生から、死んで天国に行く,「復活」というタイトルを付けていい音楽を3曲書いてます。本家「復活」の交響曲第2番、天国の扉が開いて天国の情景が音楽になる交響曲第4番、そして、唐突に天国の馬鹿騒ぎがやってくるこの第7番です。
フィナーレが天国の音楽、復活の音楽だとすると、その前の楽章は死の音楽です。だって死ななきゃ復活できないから。4つの楽章全てが死の音楽かどうかは分かりません。きっとこの世での闘争もあるでしょう。でも、最初の3楽章の暗さは、夜の音楽ですね。夜と言っても言葉通りの意味だけではなく、その言葉に内包している意味も含めてですが。マーラーのこのグロテスクだけれどもロマンティックな音楽は、ロマン派的な死への憧れかも知れません。風が吹き抜けた夏の世のセレナーデを含めて。そして夜は何の脈絡もなく裂けて真昼の燦めきに取って代わる。交響曲第1番のフィナーレの半ばで、マーラーが天の啓示と言った、ニ長調が突然降ってくるところ、同じことがフィナーレが鳴り始めたとたん、最も強烈な形で現れる。

この曲のドラマツルギーは、だから、キリスト教的な恩寵をフィナーレに持ってくることで崩れているのだけど、だからこそ、わたしは、マーラーの交響曲第7番は、カラフルでロマンティックで艶やかな音楽だと思っています。各楽章がそれぞれに対比されて枯山水の石組のように、観る(聴く)人の裡に波紋を作るように置かれてる。もしくはカラフルな抽象画のように、それぞれの絵の具が観る(聴く)人の神経細胞を活性化するように配置されている。
マーラーの最もハイドンチックな交響曲。眩い光りに目が眩みながら音楽会をあとにできればステキですね。
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by zerbinetta | 2013-04-18 23:43 | 随想 | Comments(0)

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