宇宙から来るチェンバロ エスファハニ、チェンバロ・リサイタル   

2013年6月4日 @東京文化会館小ホール

ウィリアム・バード:解き明かしたまえ主よ(I、II、III);ドレミファソラ;
ジョン、今キスしに来て;第5パヴァーヌと第5パヴァーヌへのガリアルド;
戦争への行進曲;ファンシー;第1パヴァーヌと第1パヴァーヌへのガリアルド;
カリーノ・カスチュラメ;ファンタジア;ウォルシンガム
バッハ:音楽の捧げ物より、3声のリチェルカーレ;6声のリチェルカーレ;2声のカノン
リゲティ:ハンガリー風パッサカリア;コンティヌウム;ハンガリアン・ロック

マハン・エスファハニ(チェンバロ)


チェンバロという楽器に注目し始めたのは。昔のオペラのつま、ではなくて多分、シュニトケの合奏協奏曲。多様式で書かれた音楽はチェンバロが活躍。チェンバロの、細い鋼線のような、金属質だけど尖っていない、シャンシャン、ジェーンジェーンという音が好きです。どんなに強く弾いても弾くような丸みのある音。チェンバロのリサイタルは、実は2度目です。ずううっと前に、ここ、文化会館小ホールに聴きに来ました。友達に誘われて、曽根麻矢子さんのリサイタル。美人音楽家さんだったと思うけど、デエトにそんなところに誘うなんて、ブルックナーに誘って講釈をたれるのと同じくらい間抜けてるよね。イケメンが指揮するブルックナーだったらいいけどねえ。

なんて無駄話。ずいぶんと久しぶりの文化会館小ホールは、ああやっぱり、小ホールが好き。演奏者と適度に近くて一緒に音楽を楽しめる感じ。扇のように開いた感じで、照明を絞った落ち着いた空間は、典礼が行われる神聖な場所みたい。
ただ、お客さんが少ないのが本当に残念。若い(まだ20代)、コンクール歴のない無名の音楽家さんでは厳しいのかしら。わたしも友達が勧めてくれなければ(どうもありがとう♪)聴きに行かなかったかも知れないし。でも、この会場にいたお客さんは、とてもステキな時を過ごされたのではないかしら。

プログラムの前半は、バードの曲。どれもわたしは初めて聴きます。というかバードという作曲家の曲を聴くのも多分初めて。ルネッサンス期の(モンテヴェルディのひと世代前)イギリスの作曲家、らしいです。
始まりは、初期の曲、「解き明かしたまえ主よ」。テンポが揺れる不思議な感じのする曲で、右手と左手にリズムのずれみたいなのがあるような、記譜法がまだ未熟だったのかな。それに、エスファハニさんがかなり自由に弾いていた感じです。時間がゆるくゆがんだような感じで面白かった。こういうの初めて聴くので、へ〜〜!(びっくりマーク付き)って思いました。
次の「ドレミファソラ」は後期の作品。最初のとは全然違ってきっちりと楽譜が見える音楽。こういう黎明期の音楽を比較して聴くのって面白いですね〜。個人の発展と歴史の発展が同調して、音楽史の秘密を垣間見たような。1回、曲間に拍手を入れただけで、続けて弾かれたので、初めて聴く上にプログラムが見えなかったので、どの曲が、っていうのは言えないのだけど、成熟したバードの曲はどれも素晴らしかったです。当時の流行歌(?)、民謡(?)を元にした曲は、タイムスリップしてシェークスピアのいたエリザベス朝のイギリスに行ったみたいでステキでした。きっと、かの時代の人もにっこりしながら聴いたんでしょうね。

休憩の後は、バッハと、楽しみにしていたリゲティ。バッハは「音楽の捧げ物」から3声、6声のリチェルカーレと2声のカノン「昇り行く調が如く王の栄光高まらんことを」です。実は、6声のリチチェルカーレは、わたしはウェーベルンの方から入ったので、ラジオの現代の音楽のテーマではなかったでしたっけ?子供の頃の記憶で、曖昧なんですけど。でも、そんなわけで、このフリードリヒ大王(ほんとは違うらしいけど)の半音階的なヘンテコな旋律はわたしにとってむしろ現代の音楽だったんです。わたし、最近古楽の音色が、なんだかとても現代の音楽と親和性が高いと思ってるのですけど、チェンバロはその最たるもの。もちろん、エスファハニさんは昔のチェンバロのコピーで弾いているので、昔の人が聴いてた音色なんですけど、なんか宇宙の闇の向こうから来るような音色で、(前半のバードのときは、同じ楽器で弾いて朗らかで明るかったのに)、そうだ、この音は星が降ってくる畏怖を含んだ音なんだと思いました。本当に暗いところで星空を見上げると、星がすぐ近くで瞬いていて、落ちてくるような圧迫感に襲われるのですよ。きっとそのときに聞こえる音がチェンバロの音。バッハは、この曲を何で弾くのか楽器を指定していないそうなのだけど、チェンバロの音が一番ふさわしいように感じます。ただ、6声のリチェルカーレの方は、音楽が複雑で、チェンバロひとつでは音のかき分けがきついかなとは感じました。音色を分けたダブル鍵盤の楽器だったけど、同時の上下の鍵盤を使って音の描き分けはしていませんでした。音楽的にムズカシイのかな。

バッハが終わった後、エスファハニさんは、鍵盤に向かった姿勢から、さっと立ち上がって舞台袖に帰っちゃったので、一瞬拍手をするタイミングを失いました。後ろ姿に向かってぱらぱらと拍手。そして、舞台上ではチェンバロの配置転換が行われて、リゲティへ。リゲティは、現代チェンバロで弾かれます。
どうして、エスファハニさんが拍手を受けなかったのかは分かりません。バッハとリゲティの間につながりを持たせたかったのか、とも思うのですけど(300年以上の時を経た音楽は違和感なくつながっていきました)、そうでなくてただ神経質になっていただけかも知れません(リゲティのとき、とても緊張している(?)、疲れているようにも見えました)。本人に理由を聞いていないので分かりませんが。

「ハンガリー風パッサカリア」は単純な音符の繰り返しの上に、音楽が展開されるのだけど、古びたタイトルの通り、もちろん音の運びは現代的だけど、バロック音楽の直系なので、敢えてリゲティじゃなくても、ってヘンな感想を持ちました。でも、現代チェンバロのガラス細工のような透明でシャリンとした音色はすぐ好きになりました。
すごく良かったのは、「コンティヌウム」。これぞリゲティという感じ。アトモスフェールの世界をチェンバロでやるなんて。ものすごく速い連続音が、ひとつのつながったロングトーンのように聞こえてきたり、ひたすら連続音のクラスターを弾きまくる奏者にとって体育会系の音楽だけど、出てくる音は、まさに宇宙。宇宙で自由落下する衛星。これは凄い。この凄さは絶対録音したものだと消えてしまう繊細さ。いいもの聴いた。感激。それにしても、エスファハニさん、精根尽き果てたみたいで、譜めくりの人にお水を持ってきてもらってました。ごくり。
最後の「ハンガリアン・ロック」は、ロック音楽に対するアンチテーゼみたいな。大音響に拡大した音をスピーカーでがんがんに聞くのがいわゆるロックなら、現代チェンバロといえども、小ホールを静かに満たす音しか出ない楽器。でも、この耳を澄まして聴くロックが、障子の向こうの秋の虫の音を楽しむようで、面白かった。音楽はフォルティッシモを要求してるのに、静かに静かに音が生まれる、熱い音楽。CDで聴いてアンプのヴォリュームを上げて聴いたら壊れてしまう、それこそ邯鄲のような薄い羽の音楽。いいね、いいねっ。

アンコールはやらないかと思ったんですけど、少ない分かってるお客さんの鳴り止まない拍手に応えて、そのまま現代チェンバロでパーセル。チェンバロでこういう曲を弾くと、弦を弾く、ギターのような音色がフォークソングのように聞こえて、しみじみともの悲しく、懐かしく、とってもステキ。現代のチェンバロで弾く昔の音楽ももっと聴いてみたくなりました。

うっとりした気持ちでホールを出たら、片隅の引っ込んだところにサイン用のテーブルみたいのがしつらえてあって、何かなと思ったら、エスファハニさん。うわっ。せっかくだからプログラムにサインをしていただいて、生写真までいただきました♡なんだかおちゃめ。ゆっくりお話ししてみたかったけど、感謝の気持ちだけお伝えして、上野の夜に静かに帰りました。
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by zerbinetta | 2013-06-04 00:22 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)

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