佐村河内守さんの交響曲第1番「hiroshima」と現代の音楽って   

最近(というかちょっと前)、そこら中で絶賛されてる、佐村河内さんの交響曲「hiroshima」、テレビで放映されたのを録画して聴きました。ひねくれ者のわたしですから斜に構えて聴いたんですけど。正直言って、わたしにはどうしてこんなにも絶賛されているのかよく分かりませんでした。

わたしは音楽を聴くのに、最初、音楽家の出自や境遇には興味がありません。「現代のベートーヴェン、degital age beethoven (time magazine, 15.9.2001)」といううたい文句は、耳が聞こえないつながりからかと思うんだけど、音楽からはベートーヴェンを感じることはあまりありませんでした。曲から受ける印象は、むしろ、現代のマーラーと言った方がいいくらい。もちろんマーラーばかりが聞こえるわけではありませんが、象徴的に。大交響曲だし、最後は彼の交響曲第3番のエコーが聞こえるから。彼自身も、耳が聞こえないことで同情的な見方がされることを嫌っていますから、現代のベートーヴェンをまわりの人が宣伝文句にするのはどうかと思います。

佐村河内さんは、元々、ヴィデオ・ゲームの音楽で評価を勝ち得た作曲家なんですね。プレイステイションのゲームがUS(ヨーロッパまで席巻したのかについてはわたしは知りません)を席巻したとともに、人気(?)ゲーム(そのゲームが人気かどうかもわたしほんとは知りませんが)「鬼武者」の音楽作家として佐村河内さんの名前が知られます。前述のタイム誌の記事は、ゲーム音楽作家としての佐村河内さんの記事です。NHKの番組では、クラシック(芸術)音楽の作曲家として世界の注目を浴びているような感じ(ぼかしてあったけど)に紹介していましたが、タイム誌では、映画、ゲーム音楽の作曲家として、「アラビアのロレンス」の音楽に匹敵するものを作ったということが書かれているだけです。クラシックの作品のことについては触れられていません。ジョン・ウィリアムスの音楽が、ヴォーン・ウィリアムスやジョン・アダムズの音楽と同列で語られることがないように(優劣のことを言ってるのではありません。違う種類の音楽というだけで、優劣はないのですから。実際彼らの音楽が同じ音楽会のステージ(ファミリー向けの音楽会等を除く)で演奏されることないでしょ)、佐村河内さんのクラシックの分野での作品が、ところどころで目にするように、世界の注目を集めているという記事は、残念ながらわたしには見つけられませんでした。どなたかご存知の方がいらしたら教えて下さればとても嬉しいです(記事があるとされている英紙やワシントン・ポストの記事は見つけられませんでした)。

もちろん、世界でどのように注目されてるかなんて、音楽を聴くのに関係はないのです。ただ、世界で注目されている(という、ちっともそうではないのにまことしやかに語られる日本で独特の言い回し。同じような文句に、全米で〇〇もあります。USはほとんど、全米で〇〇という言葉が成り立たないくらい多様)、括弧が長くなったので、最初から繰り返すと、世界で注目されている、という誤解を解きたかったんです。むしろ、これからこの曲が世界のオーケストラのレパートリーとして定着できるかの方が、大事ですよね。この曲を知っているのは、現在ほとんど日本人だけだから、この曲に感銘した指揮者が他のオーケストラでも採り上げるとか、国内ではCDが発売されているので、外国の珍しいCDの蒐集家だけじゃなく一般の音楽ファンに向けた販売に打って出る必要があるでしょう(具体的は外国向けに外国語の解説を付けたCDを外国の販路で販売するとか)。

さて、前置きはこれくらいにして、音楽は重く、鬱々と静かに始まります。主題の手の内を小出しにしつつ音楽を生成させていくさまは、ベートーヴェンの交響曲第9番やブルックナーのいくつかの交響曲みたい。じわりじわりと音楽ができてきて、ほっとするような主題が聞こえたとき、この4つの音が全曲で(変化したりしながら)繰り返し出てきて、音楽を統一しているのですね。
3楽章で70分以上かかる音楽。3つの楽章が、同じように暗く、途中、速い箇所はあるけど、全体の印象としてアダージョな感じ、なのに、聴き手を飽きさせない集中力と技術は素晴らしいものがあると思います。彼の作品は、まだあまり聴いたことがないけど、名曲「吹奏楽のための小品」でも聴かれた、ブラスの鳴らし方がとても上手いし、聴き始めると最後まで聴き通してしまわせる引力が凄いです。ロマン派好きなら、ブルックナーやマーラー同様に魅力ある音楽でしょう。ワーグナーや、ブルックナー、ブラームスやマーラーといった19世紀末のロマン派後期の交響曲の集大成といった感じの音楽になっていると思います。模倣というより、彼はここを目指して音楽を作っているのですね。

わたしは、ロマン派後期の音楽も大好きなので、佐村河内さんの曲に魅力を感じていることを告白しましょう。斜に構えてたくせに。(最初にこの文章を書き始めたときと数週間隔たって、その間に何回か繰り返して聴いたので論調がちょっと変わってますねぇ)
でもね、でもね、素直に感動できたかというとまだ引っかかりがあるのです。
この曲は、わたしの気持ちを反映できているのだろうか、と。言い換えれば、例えば、ベートーヴェンの交響曲第9番を聴いてその理想を自分のものとして完全に共感できるのか?ということなんです。もっと言えば、昔々の青春ドラマみたいに夕日に向かって走って行けば、全て丸く収まっちゃうか、みたいな。子供向けのヒーローものだって、昔みたいに単純に悪の組織をやっつければ済んでいた時代は終わって、正義と悪の境界が曖昧というか何が正義か分かりづらくなってる。もしかしたら現代に純な正義はない。わたしたちは、19世紀末の人よりは、明らかに捻くれて複雑になってるんじゃないかと思うのです。でなければ「ヴォツェック」は生まれ得ないし、タコもあんな皮肉に満ちた交響曲を書かなかったでしょう。ああいう精神性は、ワーグナーもマーラーもまだ持ち得ていなかった。反対に現代を生きてるわたしの感情は、もう後期ロマン派的に語ることができないところにあるんじゃないかと思うんです。もちろん過去の音楽を聴いて感動することはできます。でも今生きている人には、今生きている人の音楽を書くべきではないかと思うのです。それが芸術を創造するということではないかと思うのですよ。

(行ったり来たりしながらゆるゆると続きます)
[PR]

by zerbinetta | 2013-06-07 23:43 | 随想 | Comments(9)

Commented by cyclisttak at 2013-06-18 14:39 x
私も佐村河内氏のHIROSHIMAのCDを何度か聴いたり、テレビで見たりしています。しかし彼の音楽はブルックナーとマーラーを混ぜ合わせたようなものです。テレビを見れば彼の出自・病魔・「命を削る作曲」と私も感動しますが、そういうものを除いて冷静に彼の音楽を聴いたときに何が聞こえてくるだろう、とやってみたのですが、正直な話、残念ながらもう一つピンときません。
Commented by zerbinetta at 2013-06-18 23:31
佐村河内さんの交響曲第1番をたくさん聴かれているのですね。わたしもひねくれ者なのか、どうしても素直に感動できない自分がいます。本当に良い曲なのかは時間が経ってみないと分かりませんね。コンテンポラリーの音楽はそれほど評価が難しいと思いますし、どちらの立場もあり得ると思います。
Commented by Kasshini at 2013-09-25 11:31 x
私自身は、去年の3月に出会いました。その時の感想は、オリジナリティを感じてはいませんでした。この頃、月400時間仕事という廃人状態で、去年の8月お盆明けまで聴かずでした。
佐村河内守さんは、「闇の天才」「痛みの王」等、様々な異名をもっていますが、その一つに、「IQ180の天才」(ワシントン・ポスト誌)がありました。その理由は何だろうと、演繹的に考えながら聴いて、気付いたらファンになっていました。私も結構ひねくれて聴きました。この理由を知りたいがために、プレミアが掛かっていた鬼武者のサントラまで落札しました。
タワレコのインタビューで書かれていますが、主題労作の徹底するところがベートーヴェン的でということを言っていて、耳でそれが理解できてからは、ベートーヴェン的だと思うようになりました。
マーラー的に関して言えば、マーラー交響曲第6番とオーケストレーションの類似をいう声は多いです。マーラーのような作品を書きたいと思っていた時期があることを、自伝で確認しています。
何度も聴いて思うことは、過去の作品の引用は多々あっても、こういうまとめ方をする人は、知らないという印象がありますね(続)
Commented by Kasshini at 2013-09-25 11:40 x
引用の音楽で言うと、シュニトケ(シニートケ)にも近いものを感じました。オーケストレ―ションだと、メシアン、バルトーク、ラヴェル、ゴジラが一番有名な伊福部昭の影響も感じました。
佐村河内守さんは、皮肉を音楽で表現しない人だけれど、三全音に満たされた音世界は、アラン・ペッテションにも近いですし、調性・非調性の感覚は、晩年のショスタコーヴィチ、バルトーク、ダッラピッコラに近いと言う印象がありました。

聴いている主体に対して「お前は何者だ?」と厳しく問いかける音楽という一面があると思います。聴き手として、人間としての「あなた」は一体どういう人なのか、「あなた」はこの音楽から何を聴きとるのか?「あなた」は音楽に何を求めているのか?そんな問いを。
例えば、現代の音楽は、もっと厳しくなくてはという声もありますが、それは戦後の音楽に引っ張られ過ぎてはいないかと思っていたりもします(続)
Commented by Kasshini at 2013-09-25 11:41 x
ファン、アンチ、傍観者それぞれ見ていますが、私自身は、インテグラル思想の大家ケン・ウィルバーのように、様々な見方に触れたうえで、止揚統合してやまない者です。私自身は、熱烈なファンだと周りから見えると思いますが、ファン・アンチ・傍観者問わず、話題を出してリアクションを楽しんでいたりもします。返事は、気が向いたときでもいいですし、嫌であればスルーされても構いません。現代音楽は、時代が経たないと厳密な評価が難しいのは承知しています。
Commented by zerbinetta at 2013-10-05 12:27
わたしはきっと、どちらかというとアンチに近い人と見られてるんだろうなぁ。結構厳しいお言葉をたくさんいただいたし。ブームみたいになってるのでひねくれ根性が、目を曇らせているのかも知れません。音楽会で聴いたらあっさり感激してしまうかも知れませんね。
Commented by zerbinetta at 2013-10-05 12:28
わたしはまだ、今(現代)の音楽の聴き方、評価の仕方が分かりません(というか、分からないということに最近気がついた)。音楽は最近までは、いつも当時の最新鋭のものだけが評価されて残ってきているように思えます。モーツァルトっぽい、ブラームスっぽい、ワーグナーっぽい音楽を書いた優れた技量を持つ作曲家はいたけれども、作品はヲレクラシックを探すクラヲタさんの秘蔵にはなっているけど普遍的にはあんまり聴かれない。
でも、それは今は変わってきていて、昔の作風で書くことも厭わなくなってる(価値のあることとして評価される)のかも知れません。そんな中、佐村河内さんの作品をどう評価していいのか分からなくなっています(彼の交響曲第1番は明快に20世紀初頭のスタイルで書かれていますよね)。
Commented by zerbinetta at 2013-10-05 12:28
未来の人がどう評価するのか興味があります。後世に残っていく作品こそがクラシック音楽の価値の高い作品と考えられていますからね。もちろん、同時代のわたしたちが音楽をどう評価しどう楽しむのかは、話が違いますけどね(昔から当時の人たちを楽しませて高い評価をされながら消えていった作品はたくさんありますでしょう。でもそれはその時代の人にとって価値の低い作品だとは言えないのは明らかです)。

違った意見をぶつけ合って議論するのは楽しいです。頭ごなしに、馬鹿とかゴミだとか言われるのは、何も生まないのでへこみますが。。。
Commented by 笑えますね。 at 2014-02-09 00:48 x
耳が悪いのは、サムラゴウチに限った事ではないようですね。管理人さんの耳は確かでした。競馬でいうなら、一番人気の馬が強い訳ではなく、勝った馬が強い訳です。私は音楽が人を創るのではなく、人が音楽を創ると考えています。音楽とは、ベートーベンより拙い自分と信じています。

<< 楽譜と音楽のはざま 佐藤宏充、... 新しい時代は寂しさと共にやって... >>