ベートーヴェン賞の混乱 ロットとマーラー   

ベートーヴェン作曲賞って確か、ウィーン国立音楽大学、というかコンセルヴァトリウムが1875年に作った作曲賞だと思うけど(今でも続いているのかしら?)、その賞はフランスのローマ賞と共に悲喜こもごも。というか、ベートーヴェン作曲賞ってマイナーですよね。名が知られてるのは、マーラーやハンス・ロットが落選してるから。

ということになってるんですけど、本当でしょうか?
マーラーに関しては、あやふやなことはあるんですけど(マーラーが言った記憶がこんがらがっていて)、「嘆きの歌」で参加していることは間違いなさそう。ただ、マーラーが言うような年ではなく、多分、1881年のコンクールに提出したらしいんです。もちろん、残念ながら賞は取れなかったです。

ロットの方はどうかというと、交響曲の第1楽章をベートーヴェン作曲賞に出したということが、ときどき書かれてもいるのだけど、ロットが1878年にこの曲を出したとされるコンクールは、コンセルヴァトリウムの奨学金を得るためのものだったんです。ここで、ブルックナーの(ロット・ファンには)有名な言葉、「笑うな諸君、この男から将来、素晴らしい音楽が聴かれるのだから」が出たんですね。このとき、7つの作品が提出されて(マーラーもピアノ5重奏曲のスケルツォ(?)で参加して一位(満場一致のではないので最高位ではありません)を取ってます)、奨学金を得られなかったのはロットのだけ。苛めじゃないですか。ロットにというよりもロットを庇護したブルックナーに対する政治的な当て付け感いっぱいです。でもね、結局ロットは奨学金を受け取るんですね。まずはめでたし。

次の1879年にロットがベートーヴェン作曲賞に応募したのかは、資料が見つからないので分かりません。
そして1880年。
この年はロットは2つの作曲賞に応募します。ひとつは、オーストリアの教育省の奨学金。もうひとつはベートーヴェン作曲賞です。何しろ、ロットは貧乏に貧していてお金は喉から手が出るほど欲しかったから。8月が締め切りの国の奨学金の方は、急いでできたばかりの交響曲と田園前奏曲を提出します。9月末締め切りのベートーヴェン賞の方には、弦楽6重奏曲を出しているようです。

悲劇のひとつを生んだ、1880年9月のブラームスとの面会は、国の奨学金のためのネゴシエイション(ブラームスは審査員のひとり)だったんですね。

ロットは結局、10月に精神に異常をきたしてしまうんですけど、皮肉なことに、ブラームスの反対があったにもかかわらず、翌年には奨学金の授与が決まります。ただ、ロットには、作曲に打ち込む術は残されていませんでしたが。

(自分の覚え書きのために)
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by zerbinetta | 2013-06-17 23:56 | 随想 | Comments(0)

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