あまりに雑文 芸術への援助
2013年 07月 09日
だから、税金を芸術科学のために使うのはよしますよ、と突然言い出すのは、芸術科学の首を刎ねるのに等しいことなんです。それでも生き残るのが本物というのは、先にも書いたように芸術科学の本質を分かっていない意見だと思います。ただ、人々が貧困で苦しんでいるのに、お金持ちからも貧乏人からも取る税金で贅沢な芸術科学を援助するというのは、議論の余地があると思います。わたしは、文化の死んだ国、粗末にする国には住みたくないけど、でも、そんなものはいらない、もしくは好きな人たちが勝手にやれば良いという考えはあるでしょう。USなんかは芸術文化に国の予算を使わないじゃないかって。ただ、日本でこれを真似することはすぐにはできないんですね。だって、日本ではお金持ちからたくさん税金を取るシステムだから、お金持ちを社会の感情が許さないというか、なるべく庶民のレヴェルに落とそうとしてる。お金持ちが芸術科学に寄付をしたいと思っても、先に税金に取られちゃってる。それに、公の予算を使わない代わりに、民間から芸術科学にお金が流れるシステムが日本にはない。わたしは、US流のやり方は日本では難しいと思うけど、実はUSのシステムがいいと思ってるんです。芸術科学などの非営利団体への寄付は非課税にして、税金を控除できるようにすれば、いいと思ってます。例えば企業が、文化育成のために芸術団体に寄付すればその分は税金が控除されるようにする。個人でも、例えば、オーケストラなりオペラなりに寄付すれば、その分の税金が控除される。行けなくなった音楽会のチケットを寄付しても、それは税金の控除の対象になる。そんなふうにすれば、民間からのお金が、芸術科学に流れやすくなるし、そういうシステムを作って初めて、公の予算を削るということを言い始めていいと思うんです。そして多分、その方が、芸術科学に税金など無駄だと考える方々の意にかなっていると思うんですね。まあ、ただ問題は、そんな寄付の文化が日本にはないことなんですけど。それは日本とUSの街を歩き比べればすぐ分かります。USでは子供からお年寄りまで、街角にいる乞食の人たち(ごめんなさい。乞食が差別用語になってて使ってはいけないことは知っています。ただ言い換えのホーム・レスでは意味が通じません。英語ではbeggarなんですが)に普通のことのようにお金をあげる人がとても多いんですね。
もうひとつ、好きな人だけがお金を払って参加すればいい、例えば、音楽会は聴きたい人が音楽会を開いてその分かかった費用をチケット代に反映させれば(お金持ちしか行けないような高いチケット代になるでしょう)いいって議論もあります。でも芸術科学ってお金持ちの人だけのためにあるのではないんです。それに、成熟した文化を持つ国が、良い国の基準だとわたしは思います。成熟した文化を持つ国はお金持ちだけが作れるものではありません。だから、社会的責任をきちんと考えるお金持ちの人たちは、寄付をして、芸術科学という形で社会に還元していくんでしょう。イギリスなんかでは、失業中の人たちのために音楽会のチケットの割引もあります。誰にでも、文化を享受できることが成熟した国のあり方だと考えているのですね。
by zerbinetta | 2013-07-09 00:09 | 随想