平和ってふたりでお茶を飲める幸せじゃない? 「hope」 THPO 第11回公演   

2013年10月13日 @練馬文化センター こぶしホール

ブラームス:悲劇的序曲
ラヴェル:クープランの墓
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

諸田和典(語り)
小泉智彦/東京ハートフェルトフィルハーモニック管弦楽団


インターネットでこのオーケストラの音楽会を見つけたときぜひ聴きたいと思いました。それは、わたし好み。コンセプトのあるプログラミング(今回は「hope」)。オーケストラの活動も、理念があって地域や子供たちへのクラシック音楽の普及など社会貢献を活動の柱のひとつにしているからです。ただ、どのレヴェルの音楽を目指しているか、よく分からないので不安ではありました。アマチュア・オーケストラって、とことん音楽を突き詰めていく厳しいセミ・プロのような団体もあるし、みんなで楽しく音楽を演奏することを目的にしているのもあります。それぞれ良さがあるんだけど、ただ、聴くのみの身としては、やっぱり上手い方が好みです。
でも、強烈に背中を押したのは、演奏される曲目にタコの交響曲第5番が入っていたからです。「希望」というテーマなのに、タコの5番。批判も多い「ショスタコーヴィチの証言」以降、最後は果たして希望なのか、強制された希望なのか、ちょこっとタコを聴き親しんでいたら、議論の絶えないとこだし、いろんな解釈で演奏可能な曲ではあるのです。そんなことは百も承知で混じってるこの曲。暗から希望ということだったらベートーヴェンの交響曲第5番に敵うものはないし、それかブラームスの交響曲第1番が文句なくふさわしいと思うのに敢えてタコというのが、わたしの琴線をぴーんと弾いたのです。オーケストラからのメッセージを聴いてきてやろうじゃないかって。勢い込んで。(わたしの家から)練馬まで行くにはそんな勢いが必要です。

会場に来てプログラムを読んでびっくりしたんですが、「希望」というのは戦争から平和への希望ということなんですね。わたしはもっと一般的に悲劇からの希望と思っていたんですが、戦争と特定しちゃいましたか。
そして、この音楽会の一番の特徴は、演奏の前にナレイションが入るんです。だから、戦争の悲惨さを語る短いナレイションが入ったあと、奏されたブラームスはちょっと違うんではないかと、かちんと違和感を覚えてしまいました。だって、ブラームスって戦争にはほど遠い。戦争経験してないよね。「悲劇的序曲」も戦争まるっきり関係ないし(対になってる曲は「大学祝典序曲」)。ちょっと強引すぎやしないかい、ブラームスの曲に対するミス・リーディングを誘導しないかいって思っちゃいました。とは言え、ブラームスの演奏は、どうしてどうしてとても良かったです。不安ははじめっから晴れ渡りました。

「クープランの墓」はますます戦争の悲劇から離れた曲。って思ってました。聴くと分かるように洒落ててほんのりと明るく、この曲を聴いて戦争を思い浮かべる人はまずいないでしょう。オーケストラの演奏も、そのように洒落た雨上がりの柔らかな空のような演奏でした。ところが各曲の前に置かれたナレイションは、ラヴェルが戦争で戦えなかった苦痛、母を亡くした慟哭、友達を失った悲しみが語られます(内容についてはウィキペディアの「クープランの墓」の項に詳しいです)。そして友達へのレクイエムとして書かれたこと。それは事実みたいで、初めて知ったのは嬉しかったけど、暗く感情を込めた語りと、音楽の齟齬が、わたしてきにはちょっとあれでした。レクイエムってヴェルディのような死人のお墓を掘り返してまで死に抵抗するようなものもあるけど、フォーレのようなひたすら天国的で美しい死者を慈しむようなものもあるでしょ。ラヴェルのは、まさに後者に近い、死んだ友達に対して暖かな思いを心におこす、戦争自体とはあまり関係のない、純化した音楽だと思うんです。ラヴェルの物語を熱く語るより、静かに友を想う詩を読んだ方が音楽に合ってるんじゃないかって思いました。

問題のタコの交響曲第5番。彼こそは社会から抑圧された芸術家人生を送ってきたので、叫ぶようなナレイションと音楽が合った感じ。交響曲の楽章の間にもナレイションを入れることに、もしかすると正統派クラシック音楽ファンは眉をひそめるかも知れないけど、わたしは気になりませんでした。3楽章と4楽章の間を間を開けずに演奏する指揮者がいるのでその間のつながりだけ、どうするのかなとは思いましたが。
タコの演奏は、とても真面目で誠実(オーケストラのひとりひとりの表情もとても生真面目)。第1楽章は速めのテンポで、全体的な重みはないけど、トランペットの低音などいい音でタコらしい。この曲で目立ったんですが、管楽器や打楽器が大きく鳴らすのに対抗する弦楽器がちょっと弱かったです。第1ヴァイオリンが12人だったのでもっと人を増やしてせめて16人くらい欲しかったな。人を集めるのが難しいのかも知れませんが。あと、ヴィオラが時折トップの人の音しか聞こえないときがあって、後ろの人も自信を持ってがしがし弾いてくれればいいのにって思いました。
第2楽章は、1楽章に比べて遅めのテンポで、その分諧謔味がなかったけど、真面目な姿勢は好感でした。弦が主体になる第3楽章はもう少し音圧が欲しかったけど、フルートの孤独感や彼岸から聞こえてくるような澄んだチェレスタの音がステキでした。
第4楽章はゆっくり目のテンポで始めて、段階ごとにテンポ・アップ。前半の最後は、指揮者がオーケストラを振りきるように追い立てていましたね。最後は、流れのままに曲を閉じたけど、ティンパニの段階的なクレッシェンドや最後の大太鼓の覆い被さりが凄かったです。ティンパニの人、構えでどんな音を出したいのかよく分かってステキでした。勝利なのか、強制された勝利なのかは、敢えて踏み込まない感じ(でもあっけらかんとしているのでもなく)なのが、わたし的にはちょっともやもやが残ったんですが、良い演奏でした。指揮者は最後、もう少し待って拍手をして欲しかった様子でしたが、この演奏ならすぐ拍手(といってもフライング気味じゃないですよ)で良かったと思います。最後のナレイション、「この曲は私自身だ(タコ)」(うろ覚えなので意訳)というのが、心に残りました。

アンコールは、タコの「ジャズ組曲」から「ふたりでお茶を」。平和とか希望って、大それた題目ではなくて、ふつうに当たり前に、ふたりでお茶を飲めることじゃないかしら。尊敬し会える人と、どこの国の人でも。音楽会がくれたステキな結論ですね。

指揮者の小泉さんは、普通の指揮棒を使ってましたけど、左手のひらひらはちょっとゲルギー入ってるかな。これで髪の毛をせわしなく掻き上げればもっとゲルギー。って真似してるわけじゃないと思うけど。この人、クレッシェンド、デクレッシェンドがとても上手くて、音楽を分かりやすく描いていく手腕はとてもいいと思いました。

このオーケストラ、とてもステキです。コンセプトがはっきりしているのがわたし好みというのもあるけど、なんかじーんと共感してしまいました。アマチュアの音楽家だけではなく、コンセプトに賛同するプロの演奏家も参加しているとのことですけど(今日はひとりかふたりでしたけど)、ぜひ、プロとアマチュアが一緒になってステキな音楽をいろんなとこで演奏していって欲しいです。上手いじゃなくて、ステキな音楽聴きたいって新しい視点ができたみたいで嬉しいです。
[PR]

by zerbinetta | 2013-10-13 00:14 | アマチュア | Comments(0)

<< アマチュアのマーラーの最高峰の... 半沢直樹の生涯に読み替えって、... >>