蛹のからを打ち破れ! ハーディング/新日フィル マーラー交響曲第7番   

2013年11月9日 @すみだトリフォニーオール

マーラー:交響曲第7番

ダニエル・ハーディング/新日本フィルハーモニー管弦楽団


ツイッターで昨日のハーディングさんと新日フィルのマーラー交響曲第7番の演奏が盛り上がっていたので、いても立ってもいられなくなって、チケット衝動買い。聴きに行ってきました。なんか、マーラー7祭りなんですね。同時にインバルさんと都響が同じ曲をやってるなんて。こんなにマイナーな曲なのに。ロンドンでやったら、ハーディングさんとロンドン・シンフォニーでもがらがらでしょう(6番をやったときがそうでした)。

ハーディングさんは、今まで聴いた感じだと、わたし的にはマーラーよりもブルックナーの人です。だからチケット取ってなかったんだけど(しかも高いし)、クック版の第10番はうんと良かったので10番寄りの7番はもしかして気が合うのかも知れないと思ったのも聴きに行く気になった理由です。ハーディングさんはロンドン・シンフォニーの首席客演指揮者だけど、今はロンドンで振るより日本で聴くチャンスの方が大きいんですね。

それにしても東京ってクラシック音楽の受容(需要の方がいい?)が凄いんですね。マーラーの7番でホールがいっぱいになってしまうなんて。こんなの世界中で東京だけじゃないですか。

ハーディングさんと新日フィルのマーラーの交響曲第7番は、確信を持って突き進んでいく演奏。始まりの序奏の部分から速めのテンポではっきりとしたアクセントで進んでいく。実は正直に言うと、第1楽章の途中まで、期待していたのと違ってちょっとがっかりしてたの。意外にオーケストラがダメで、弦楽器、特にヴァイオリンにパワーがないし、缶詰の金属味のような音がして、音色の美しさに欠けているなって思ったの。それに金管楽器が荒いし、ちょっと溜めるべきところをつるりとブドウが口から落ちてしまったように滑っちゃうところがあって、どこまでがハーディングさんの音楽なのかって分からないところがあって、もっと上手なオーケストラで思う存分振ったらハーディングさんの音楽は変わってくるのかなって考えてしまいました。オーケストラは誠実に音楽を演奏していましたよ。もちろん。ただ物足りないんです。もう少し自発的な積極性があればって思いましたもの。でも、聴いていくうちにハーディングさんの手の内が見えてきて2楽章は断然面白く聴けるようになってきました。

もう一度第1楽章に戻ってみると、序奏からそのままの勢いで主部に飛び込んでいく感じや、速めに突き進む第1主題に音楽の勢いを感じました。テンポを落としたのは第2主題の盛り上がるところで、でも、あまりロマンティックではない、むしろ、20世紀の感情よりも理論を優先させたような無機質の音楽を感じました。ハーディングさんはこの音楽を20世紀への序奏だとしっかり捉えているようです。わたしはこの曲はとても色彩豊かで艶やかだと思うんですけど、ハーディングさんはモノトーンで(オーケストラがそうだったからかな?)、ざくざくと切り分けるようなザッハリヒな感じがして、例えば、ベルクの3つの断片に近い感じに聞こえてきました。そしてときどき、アンサンブルが乱れそうになってドキリとするんですけど、多分、これわざとやってる。予定調和的ではない、何が起こるか分からない、綱渡りのような音楽をやろうとしている。
第2楽章は、不思議なアクセントを鋭く強調したりして抽象的な雰囲気を作りながら、第1楽章の勢いのままに行進曲を進めていく。夏の夜の涼やかな風も吹かず、全体的な雰囲気は奇妙で暗い兵士の行進。チェロの歌にほっとするときもあるのだけど全体的には、緊張をはらんだ展開。ハーディングさんはオーケストラにもっと壊れる寸前の音楽を要求しているように思えた。優等生にならないでここがもっと自在に突っ張った音楽をすることを。そう思えてくると俄然、音楽が面白く聞こえてくる。
20世紀初頭のマーラーたちの音楽って、19世紀のしがらみから解放され、調やリズムや音色が個々自立独立し始める胎動を持っていると思うんです。もちろん21世紀の今は、100年前とは違うけれど、ハーディングさんは、お行儀の良いオーケストラから、もっと個の粒立ちのはっきりした音楽を生み出そうと、マーラーの時代とパラレルなことをやろうとしていると確信しました。ハーディングさん本気(マジ)。このオーケストラを変えようとしてる。
第3楽章は、もっとキュリアスな表現が欲しかったけど、これはまだ無い物ねだりかなぁ。でも、オーケストラのハーディングさんの棒に付いていこうとする誠実さや意気込みは感じられたもの。全曲を通してそうだったけど、ティンパニが輪郭のはっきりした音で叩いていて良かったです。ハーディングさんはこの楽章をシンメカルな構成の曲の中心に据えてはいない感じ。次の第4楽章のセレナーデも、なんと!第1楽章から続く同じ空気感で作っていくのでびっくり。一気呵成の直線的な演奏。これは、音色の処理とかだいぶ違うけど、CDで聴いたアバドさんとベルリン・フィルの演奏に近いのかな。ギターとマンドリンの人はこの楽章が始まるときに出てきたんだけど(そうするのは珍しい)、マイクなしでわたしの聴いてた3階席まで音が届いてた。ホールが弱音まできっちり伝えるのね。
第5楽章も賑やかだけど、底抜けに明るくなることなく、やっぱり第1楽章から続く雰囲気で、ひとつの曲の中に閉じ込める。これが、ハーディングさんの解釈なのか、ほんとはもっと多彩な音色で各楽章の色を別々に際立たせたかったのか分からないけど(オーケストラは音色を弾き分けるところまでは成熟してませんでした)、でも、全曲の統一感は大事にしていたんだと思う。そしてそれをぶれずにもの凄く確信を持って成し遂げたので納得のいく演奏。
それと矛盾するようだけど、同時に、個々の表現は崩壊寸前までばらばらの方向に向かわせたかったんだと思う。キュビズムの絵のようにひとつの対象をいろんな方向から見つめてそれを同時にキャンバスに描いちゃうみたいな。描かれた絵は異形のデフォルメされたものだけど、筆のタッチがひとつなのできちんとひとりの人物像に見える感じ。

マーラーが新しい音楽を生み出そうと藻掻いたように、ハーディングさんもマーラーから、そして新日フィルの殻を破ろうと藻掻いてる。マーラーのはちゃめちゃな音楽はお行儀よく演ってもちっとも面白くないというか、音楽の本質を表現できないと思うんです。残念ながらそこが日本のオーケストラの弱いところ。演奏者自身からリスクを犯して大胆に仕掛けてこないし、出る杭になって打たれないようにみんなに合わせちゃう。ハーディングさんはそれではダメ、出る杭になって殻を破らないとと、オーケストラを叱咤激励して変えようとしている。ミュージック・パートナーがどんな職責を持っているのか知らないけど、ハーディングさんには、単にいくつかの音楽会を振りに来るのではなくて、オーケストラとの関わりを深く持ってオーケストラを育てていく意気込みが感じられてとても嬉しかった。ちっちゃな巨人ハーディングさん(若手指揮者の中ではネゼ=セガンさんとともにちびっ子です)。惚れ直してしまったじゃない。

もうひとつ、書いておきたいのは、プログラムの曲目解説が、特に前段の部分が、良かったです。プログラムの曲目解説って、ありきたりの作曲経緯や音楽の構成とかそういうものからそろそろ解放されてもいいと最近よく思っているんですね。どこの曲目解説にも同じようなものが書かれちゃうし、なんならウィキペディア見れば書いてあるし、もっと読ませる文章がいいと思うんです。主観的でいいから、今日なぜこの曲をとか、聴き所、聴き方の例とか、思い入れタップリの文章の方が面白いでしょ。それじゃ初心者に優しくないと言われるかも知れないけど、百科事典的に作曲の経緯とか知ってても音楽が親しくなるようには思えないしね。

こんな、何かが生まれつつある音楽会を聴くのはいいなぁ。来春のブラームスも聴きに来ちゃおうかしら。
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by zerbinetta | 2013-11-09 01:18 | 日本のオーケストラ | Comments(2)

Commented by Miklos at 2013-11-16 01:44 x
これ、行きたかったんですがどうしても逃げられない仕事があって断念しました。新日フィルは長らく聴いてないんですが、やっぱりそれなりみたいですね。しかし、この耳で確かめるためにも、ブラームスは是非とも行くぞ、と決意しましたがな。
Commented by zerbinetta at 2013-11-20 23:10
わたしは新日フィルは初めて聴くんですけど、意外にそれなりでした。
わたしもまだ、首都圏でどこのオーケストラがお眼鏡にかなうのか分かりかねています。って言うか、いまだに来シーズン(あっもはや今シーズン)どこのオーケストラが誰と何をやるのか把握していません。ややこしすぎてと言うか、情報が掴みづらくて。。。

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