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再びの出逢い アリーナ・イブラギモヴァ イザイ、無伴奏ソナタ   

2014年4月30日 @トッパンホール

イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1−6番

アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)


ふふふふ。プチ追っかけをしている大好きなヴァイオリニスト、アリーナ(イブラギモヴァさん)、日本に来てからあまり聴く機会がないので悲しいんだけど、去年の9月以来のリサイタルがやって来ました。今回は単独で、イザイの無伴奏ソナタ全曲!びっくりマークで喜びつつ、実はイザイのソナタあまりよく知らないのでした(CDは持ってる)。予習しようかとも思ったけど、せっかくだから初演的な気分を味わおうとそのまま聴きに行きました。どんな音楽なんだろう?ワクワク。

ソナタは途中休憩を挟んで3曲ずつ順番どおりに演奏されました。まず、久しぶりに聴くアリーナの潤いのあるふくよかな音色にうっとり。バッハの無伴奏で聴かせてくれた、囁くような静かな音色ではなく、歌うような音色。でも、ルクーで聴かせてくれた、大きく表情たっぷりに歌うのとは違う、なんて言うか、じんわりと音の中から歌が浮き上がってくる感じ。ルクーと同じくらいの時代を生きた(ルクーの方が10歳以上年下だけどずいぶんと先に亡くなってる)、マーラー世代のロマン派的な作品だけど、無伴奏ソナタは1920年代の作品だし、ヴァイオリン1挺のための曲だから、ロマン派的な空気を残しつつ、時代は新古典主義、歌に頼らない古典のフォルムを持った演奏を選択したのでしょう。この感じどこかで聴いたことがある。懐かしさがこみ上げてくる。そう、わたしとアリーナが初めて出逢ったリゲティの協奏曲で、混沌の中から浮かび上がってくる歌を感じたあのときのじわりと心にしみ込んできた感動。時を経てまた出逢ったんだ。ヴァイオリンの音色もたっぷりと豊かなのに滋味溢れていて、ベートーヴェンやロマン派の作品を聴いたときよりもシンプルな感じがしたのだけど、あとでプログラムを見たらヴァイオリン変えたんだ。でも、本質は、楽器じゃなくてきっと彼女の音楽へのアプローチの違いが音に出たのでしょう。
わたしは、どうしてアリーナにこんなにも惹かれてしまうのでしょう。ステキなヴァイオリニストがたくさん、同年代だってたくさんいるのに。その答えがはっきり頭に浮かびました。わたしは、彼女の音楽に惹かれてる。とても素直で自然なのに些細なところまで考え抜かれている音楽。いいえ違う。ものすごく隅々まで深く考え抜かれているのに、さりげなく素直で自然体の音楽。彼女が本質的に持っているその音楽に共感するのです。

まず始まりの第1番。第2楽章のフーガは、バッハの影響を受けたメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲のフーガみたいで流れるようなメロディアスなのだけど、アリーナの演奏はそのメロディが途切れずに複数のメロディ・ラインがまるで別々の人が弾いてるようにクリア。本当に1挺のヴァイオリンなの?実は多重録音じゃないかと疑っちゃうくらい。アリーナのスル・ポンティチェロ(っていうの初めて知った)のトレモロの宇宙の遙かから聞こえてくるような(宇宙人の囁き?)音の神秘性に、暗やみの中の無重力感を感じて、音色の幅広さに驚き。
第2番はいきなりバッハでびっくりするけど、そのあとの無窮動の展開から「怒りの日」の旋律が浮かび上がってくるところもたくさんの音符の中から大事なメロディを拾ってつなげて、それはメロディがふたつになっても同じで、横に流れを強く意識させる歌がステキ。重音を弾くと縦の線が意識されちゃいがちだけど、アリーナの重音はそれぞれの音がそれぞれの次の音にちゃんと別々につながっていくの。片方に休符があったらそこは1本の旋律の中の休符にちゃんと聞こえる。
休憩の前の第3番は、単一楽章のロマンティックな音楽。自由に書かれている感じなので、のびのびした感じがとってもステキなんだけど、アリーナの演奏は、自由に歌わせているけれどもしっかりとひとつの大きな形を作っていて、くねくねと彷徨ってるようで終わってみたら、ひとつの形を見せてくれるのがさすが。自由を謳歌しつつ実は手のひらの上で踊らされていた孫悟空のよう。という例えはヘンだけど、音楽を客観的に全体を見通す目がアリーナにはいつも付いてるのを終わってみたら気づかされる。聴いてる最中は、ものすごく没頭するしエキサイティングだけれども、終わってしばらくするとストンと音楽が見えてきて反すうしながら納得させられる感じ。

休憩のあとの第4番はまたバッハの雰囲気に戻って対位法と無窮道のオンパレードだけど、アリーナの演奏は彼女がバッハで聴かせてくれたのとは一線を画してる。艶やかな響きの音で、流れる歌を口ずさんでる。イザイの音楽自体がバッハを仰ぎ見つつもロマン派時代の音楽なのでこれでいいんだと思う。第1番や第2番では、(バッハを意識した)意欲に満ちているところが少し堅苦しくも感じられたけど、ここに来て少しリラックスしてきたみたい。前半の演奏を終えたアリーナも少し余裕のあるところがうかがわれて(それが緩さのように捉えられるところのあるのだけど)、わたしはこれくらいが好きかな。
ところでイザイってどこの人?ベルギーの人だけど、第5番にはヤナーチェクやバルトーク、みたいな東欧の草原の匂いを感じるの。ピチカートが民族楽器のような響きを醸し出してるし。フォークダンスのような終曲も楽しい。この曲を含めてどの曲もそうだけど、ものすごいテクニックを要求される音楽なのに、アリーナからはそのテクニックの難しさをちっとも感じられず、何事もないように弾かれちゃうので、演奏に驚かされることは少ないのが損かも知れないけど、音楽への集中は息を飲むばかり。でも、楽しい。
また単一楽章の第6番はロマンティック。最後の最もリラックスした感じで、お終いの方でハバネラふうの音楽も出すなど、作曲者も遊び心に溢れてる。涼しい顔をして難曲を弾いてしまうのが究極の演奏(おいしいお酒が水のように感じるかのように(らしいね))なのかも知れないけど、アリーナのはそれ。
それにしても、イザイの6曲をまとめて弾くのは体力的にも精神的にも大変だと思うのだけど、やれちゃうんですね。すごすぎ。

今日のイザイの演奏が、イザイの直系の弟子でアリーナの先生でもあったメニューインの薫陶を強く反映させたものかはわたしには分かりません。でも、アリーナの演奏からはアリーナの音楽を強く感じました。メニューインの教えから本質的で大事なところを抜き取って、アリーナは彼女のイザイを作っていったように思えます。彼女らしい、彼女にしかできない音楽を聴いたように思うからです。

今回、アリーナのイザイの無伴奏を聴いて、彼女の音楽の幅広い豊かさに心奪われてしまいました。わたしは、出逢って恋して以来、根っからのアリーナ信者なんだけど、だから、わたしの耳はあばたもえくぼで随分上げ底で聴いてるのかも知れないけど、それを差し引いてもやっぱり類い稀な音楽家だと思うのです。若さゆえの不足がないとは言わないけれども、この人の成長と成熟を同じ時代に聴けることはどんなにかステキなことでしょう。次の日本での公演は、バッハの無伴奏の全曲!になる予定です。多分、とんでもない深化した音楽を聴かせてくれるでしょう。6年前のCDの演奏は、えええーっ全然違うって思うくらい。2年前に聴いた演奏は、本当にそうだったもの。
バッハ、また聴けたらいいな。そして、イザイもCD出ないかしら。今日の喜びを音で思い出したいっ。そしてついでにバルトークとかベリオとか無伴奏曲集も出して欲しいっ。

by zerbinetta | 2014-04-30 01:18 | 室内楽・リサイタル

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