モノクロームな原風景 コパチンスカヤ、アシュケナージ/N響   

2014年6月7日 @NHKホール

グラズノフ:交響詩「ステンカ・ラージン」
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番
チャイコフスキー:「くるみ割り人形」第2幕

パトリシア・コパチンスカヤ(ヴァイオリン)
ウラディミール・アシュケナージ/NHK交響楽団


コパちんはわたしには縁遠い音楽家だと思ってました。まず、わたしは彼女の演奏を生で聴いたことがなかったのです(ロンドンにはあまり来なかったのかなぁ)。彼女の演奏は面白いとの噂を聞きつけてCDを1枚買ったのですが、ほとんど聴く時間もないうちに、ロンドンから日本への引っ越しのどさくさでなくしてしまいました(なくなったCDは2枚。こんな細かなことを覚えてるなんて少ない脳みその無駄遣い)。で、東京で聴けるというので喜んで行ってみました。リサイタルではなくて、N響との共演の方を選んでしまいましたが。

N響は、ずうっと昔、子供の頃、地方に来てくれたのを聴いたことがあるはずです。あと、ワシントンDCに来たときも聴きました(何を聴いたかは覚えてないけど)。でも、東京で、本拠地のNHKホールで聴くのは初めてです。渋谷に行くのも超久しぶり。学生のときは渋谷で飲んだりしたこともあったんですが。それにしても、昔懐かしのお店もまだあったりもしたけど渋谷ではわたしは完全にアウェイというか異邦人だな。

まず、NHKホールだけど、クラシックの音楽会には向かない駄目なホールと言われてるみたいだけど、わたしの感じ(一番上の方の席で聴きました)では、ロンドンのホールで慣れているせいか、特に音響がダメだとは思いませんでした(良いとも思わなかったけど)。

指揮者のアシュケナージさんは、どちらかというと批判的な評判が多いような気がするけど、ロンドンでは結構尊敬されているような感じがします。深部をえぐるようなデモーニッシュな表現はしない人なので、そこが物足りない点でもあるのだけど、温かく誠実な音楽には好感が持てます。

はじめは、グラズノフの「ステンカ・ラージン」。初めて聴きます。有名なロシア民謡「ヴォルガの舟歌」のメロディと叙情的なメロディが交互に出てきて、ステンカ・ラージン(英雄?悪者?)とペルシャの姫の物語を語るんだけど、若いときの作品だけにちょっと凡長かな。「ヴォルガの舟歌」は昔々高校生の頃、友達がテーマ曲のようにぶつぶつ歌ってたのでそれを思い出しちゃって、と全然関係ないところに心は行ってしまう。NHK交響楽団は、音色が柔らかくてきれいで、在京のオーケストラの中では、頭ひとつ抜けているな、と最初感じました。ただ、聴き進めていくと、何だかおとなしいというかやっぱり物足りない気がして、もっととんがった力が欲しいなと、いつも日本のオーケストラに感じる不足を感じました。

そして、楽しみにしていたコパちん。遠くからでよく見えなかったんですが、裸足?わたしにとって3人目の裸足の音楽家です(あとのふたりは、打楽器のグレニーさんとピアノのアリス=サラさん)。
いきなり挑発的な、ノンヴィブラートの弱音のソロで始まってドキリとさせられたんだけど、そのドキリがもうそこら中にちりばめられていて、噂に違わずアグレッシヴな音楽。即興性も失わず、それでいて、決して思いつきではない緻密に計算され尽くされた音楽作り。弱音のこだわり(でも、一番上の席まで音は聞こえてきてた)、敢えて選択された汚い音、ヴィブラートとノンヴィブラートの表現付けなど、灰色の脳細胞を刺激しまくる音楽もすごかったけど、何より、いったん音楽を細部まで分解して自由に組み立てなおしたフレージングの仕方には、キュビズムの世界というか、プロコフィエフのこの曲ってこんな音楽だったっけ?と新しい発見にびっくりすることばかり。それでいて、ちゃんとプロコフィエフしてる。というか、プロコフィエフの音楽を裏から見せてくれた感じ。
第2楽章も吸い込まれるような感情を排除したような弱音から始まって、旋律が繰り返されて音量をあげてくるごとに少しずつ感情の温かみが戻ってくるようなモノクロームの映画のような世界。彼女は彼女の中に涙を枯らしたあとの空虚になった心を持ってる。多分それが、彼女の原風景。モノクロームの写真に固定された世界。そしてそこから彼女の今の生、少し色を持った世界が立ち現れてくる。それは幸せな記憶?不幸せな過去?分からないけど、もう永遠に手の届かない失われた世界なんだ。1枚の写真を残して。。。
一転、躍動感に満ちた第3楽章も、でもやっぱり音楽は分解されて再構成される。意識的に意識のなかを探っていくように。
それは、もう鋭利な研ぎ澄まされた感覚の音楽。こんな音楽作りをした人。。。クレーメルさんだ。コパちんは、クレーメルさんと同じニオイの天才。女クレーメルと呼びたい。この若い人が、これからどんな音楽を作っていくか、心を騒がせながら聴き守っていきましょう。
コパちんは、自由奔放な音楽といい、ステージでの動きといい暴れ馬のようだけど、でも独りよがりではない、ちゃんとオーケストラの方を向いて弾いている。そして、アシュケナージさんとオーケストラは、そんな彼女のホームになるようにサポートしていきました。アシュケナージさんは、どちらかというと中庸で、毒のない常識人な音楽を作る人だけど、その音楽が良い方向に作用して、とんがったコパちんをほどよく中和して音楽をまとめていました。でもね。わたしの中の悪魔の好奇心は、オーケストラまでもが彼女の方向と同じヴェクトルで触れられないほど鋭利な狂気を聴いてみたかったとも思うのです。多分音楽としては崩壊寸前のぞっとするような。
お客さんの拍手とアシュケナージさんに促されて弾いた彼女のアンコールは、奇声を伴う小さな現代曲。彼女らしい。
彼女のバッハの無伴奏も聴いてみたくなりました(怖いもの聴きたさ)。多分、彼女はすぐにはバッハを弾かないような気がするし、バッハは合わないとわたしも思うのだけど、彼女によって分解させられ再構成されたバッハも聴いてみたいの。こんなのバッハじゃない、とみんなに言われるだろうけど、ピカソの絵のようにデフォルメされたバッハもあっていいと思うのよ。今弾けば、色物と言われるかもしれないけど、何十年も引き続ければ、新しいバッハ像が生まれるかもしれない。エッシャーのだまし絵のような精巧に組み替えられた音楽。彼女にはそんな可能性を強く感じるのです。

最後は、「くるみ割り人形」のよっ!太っ腹!、組曲ではなく第2幕全曲。「くるみ割り人形」は全部がステキな音楽のかたまりですからね〜。組曲でやるより全部やる方が絶対いい。全部やると一晩の音楽会を全部使っちゃうから、2幕のみをやるのは、1幕のステキな音楽が聴けないとしても、いいのです。
バレエ音楽を聴くと、バレエのシーンを思い出しちゃって、もうバレエを脳内再生して涙目になるのが常なんだけど、今日の演奏からはなぜかバレエをあまり感じませんでした。音楽的すぎて音楽に集中しちゃったのかしら。不思議な感覚。でも、わたしにとって、この音楽はバレエの音楽なので、ちょっぴり物足りなさを感じました。やっぱりストーリーに沿った音楽なのよぉ〜(多くの音楽は無関係な踊りの羅列といえども)。
でも、今日はコパちんも聴けたし、N響が意外と良いことも分かったし、渋谷は苦手だけど、いい夜でした。今度はちょっと渋谷で遊んで帰ろうかな。と、心にもないことを思ってみたりして。
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by zerbinetta | 2014-06-07 23:47 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

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