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ユートピアはミレドミレドミレド悪夢 N響ミュージックトモロウ2014   

2014年6月27日 @オペラ・シティ タケミツメモリアル・ホール

権代敦彦:utopia〜どこにもない場所〜
細川俊夫:トランペット協奏曲「霧の中で」
猿谷紀郎:交響詩「浄闇の祈り2673」

イエルーン・ベルワルツ(トランペット)
高関健/NHK交響楽団


去年、うっかりしていて(気づいたら終わってた)聴きに行けなかったN響ミュージックトモロウ、今年はしっかり聴きました。だって安い席1000円なんですよ。お値打ちじゃないですか。前の年に日本で初演されたオーケストラ作品に贈られる尾高賞の作品を中心に据えた音楽会です。今年、第62回尾高賞の受賞作品は、細川俊夫さんのトランペット協奏曲「霧の中で」と猿谷紀朗さんの交響詩「浄閻の祈り2673」です。細川さんの方は、わたし、去年の初演を聴いているのですね。今日は聞き比べができる(のかな??)。

それぞれの作曲家さんと音楽評論家の白石美雪さんのプレトークがあって、作品を掻い摘まんで解説して下さります。それが、とっつきにくくてどこを目当てに聴いていいのか分かりづらい多くの人にとって初めて聴く現代の音楽を聴く良いとっかかりになったと思います。とりつく島ができたというか。プログラムにも解説は書いてあるけど、作曲家ご本人の声を聴くのはやはり違いますしね。

最初の曲は権代さんの「ユートピア」。N響の委嘱作品で今日が初演。権代さんが、ユートピアは決して理想郷ではなく苦痛に満ちたというか、わたしには悪夢を見るような音楽でした。わたしの苦手なミニマムじゃないけど、しつこくたった3つの音を繰り返す背景は、緩徐的に精神をむしばんでいくような気がして辛い。もちろん作曲家もそんなユートピアの皮肉でもない泥沼にはまっているのだから作品の意図するところではあるんだけど、聴くのは健康に悪いなぁ。拷問だわ。じゃあ、これが音楽として間違いかというとそうではなく、多分、音楽は文学や絵画と同様に人間の感情のありとあらゆるものを表現するものと考えるのが良いと思うので、(音楽は感覚に一番直接響いてきちゃうので)苦渋の音楽はかなり辛いのだけど、ありだと思うんです。この曲は、とは言っても決して耳に入れたくない汚い音を使ってる訳ではなく、クラシック音楽からの伝統的なものからさほど離れてない、むしろ分かりやすい、しっかりとした力作だと思います。

2曲目は、細川さんのトランペット協奏曲。ソロを吹くのは去年、初演したベルワルツさん。この曲は、ベルワルツさんを想定して書かれているので(トランペットの管を通した声を使うとか)、彼の自家薬籠の中というか、すでに何度か演奏してこなれているせいか余裕を持って吹いていました。なので、演奏としては多分、初演のときよりも良い演奏だと思うのだけど、わたしも聴くのが2回目のせいか、1回目のときほどのドキドキ感はなかったです。バックの高関さんとN響の演奏も、細川さんの協奏的作品が、ソロがシャーマンでそれに対抗するオーケストラという役割を持っている、といいつつもこの曲が「霧の中で」と題するように、オーケストラがむしろ柔らかくソロを包み込むように書かれていることもあって、ソロを包み込んでサポートする方向に振れていたのが、反対に対立の緊張感を後退させてもやんとした雰囲気にしてしまったようで、確かに霧の中かもと思いつつも、わたしはやっぱりある程度のアグレッシヴさは残して欲しいなと思ったのでした。

休憩のあと最後は、猿谷さんの交響詩。伊勢神宮の第62回式年遷宮を記念して書かれた音楽。(後半が)ちょっと長く感じるところがあったのは事実だけど、わたしはこの曲が今日の中では一番好きでした。海(波)を感じさせるようなさわさわとした響きと舞のような動きのあるリズムが心地よくて。視覚的なイメジをいっぱいに広げるような曲でした。解説には雅楽的な響きとも書いてあったけど、わたしにはむしろ西欧音楽の響きの方が強く感じられました。雅楽の持つ、時間の自由な伸縮性や音程の曖昧さのようなものをオーケストラに要求はしていなかったと思うので、雅楽を模倣するものの西欧音楽の論理の上にあったような気がします。

高関さんとN響の演奏はとっても良かったです。どの曲もとても丁寧に譜面を音にしていました。N響、上手いですね。模範的で標準的な演奏だったと思います。聞き慣れた曲ならばこれはもしかすると、個性のない物足りない言う人もいるかもしれないけど、ひとつを除いて初演ではないけれども初めて聴くような今の音楽では、まずきちんと作曲家のイメジどおりの音にすることが、作品の評価を作る上で一番大事で、個性的な解釈はときには作品の姿を歪める場合もあるので、こういう風にきちんとしたプロフェッショナルな仕事はとても素晴らしいものだと思います。作曲者も嬉しいんじゃないかって思うんです。

それにしても、現代音楽の音楽会って、お客さんにいつもの顔が多くて面白い。もちろん、あの顔前にも見たと言うだけでお名前も素性も知らないんだけど(耳に聞こえてくる会話をちょっと盗み聞くと音楽学校の学生や現代音楽をやってる人が多いのかな)、なんかサークルに入ったみたいでウキウキしちゃうんです。音楽が小さな(専門家)サークルに留まるのはイカンという意見もあるけど(と言うかそっちが主流(?))でも、古典が演奏されるようになって現代音楽が分離してくると現代音楽を支持してるのはいつも小さなサークルだったという歴史を考えると別に不自然なことじゃないと思うの。(さらに言うと、ハイドンやモーツァルトが現代音楽だったとき、彼らの音楽を聴いていたのは、わたしたちから見るとごく一部のサークルの人だけ。市民が平等になってみんなが自由に音楽を享受できるようになっても現代の音楽を聴く人って昔と同じ小さなサークルの人たちだけなのよ)。問題は、そのサークルが時を経てじわじわと広がって行くかだよね。マーラーやブルックナーの音楽のように、作曲家の生きていた当時はごく少数の人たちに支持されていた音楽が、今ではたくさんの人に聞かれるようになったように。最初っからみんなに理解できるような音楽ばかりを目指さなくっていいってこと。芸術ってそんな感じでしょ。

by zerbinetta | 2014-06-27 11:11 | 日本のオーケストラ

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