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シベリウス ー現代音楽へのもうひとつの源流 サントリーホール国際作曲家委嘱シリーズ   

2014年8月21日 @サントリーホール

クリストフ・ベルトラン:マナ
パスカル・デュサパン:弦楽四重奏曲第6番「ヒンターランド」
シベリウス:交響詩「タピオラ」
パスカル・デュサパン:風に耳をすませば

ナターシャ・ベトリンスキー(メゾソプラノ)
アルディッティ弦楽四重奏団
アレクサンダー・リープライヒ/東京交響楽団


去年も抽選で当たったサントリー芸術財団のサマーフェスティバル。今年も応募したらまた当たりました!そして何と!去年と同じ席!ここはわたしの指定席?来年は3匹目のドジョウが同じ席でわたしを待っていてくれてるのかしら。
今年は、木戸敏郎さんがプロデュースで、テーマ作曲家(監修は細川俊夫さん)はパスカル・デュサパンさん。くじのあった音楽会は、デュサパンさんの管弦楽の回。しくじったのは、シュトックハウゼンの「暦年」、雅楽版と管弦楽版が演奏されたのを聴き逃したこと。シュトックハウゼンってちょっとハードルが高いのね(ピアノ曲Xは好きです)。及び腰になっちゃった。くやしいぃ。

現代音楽の音楽会というと、外国では髪を立てたりまっ赤に染めたお兄さんお姉さんが付きものだけど、日本ではいつもの音楽会とあまり雰囲気変わらないのね。とんがった若者よ、もっとアンテナ敏感にして!ハイソ(ってw)なホールでのクラシック音楽会だってほんの一部の特別なのを除いては誰でも入れるんだから。

プレコンサート・トークがあるのをすっかり忘れていて、途中から慌てて入ったのですが、そこでは細川さんとデュサパンさんの会話が佳境を迎えたところでした。うううう

最初の81年生まれのベルトランの「マナ」という曲は、彼が24歳の時、初めて書いたオーケストラのための作品ということです。マナというのは、空から降ってくる食べ物のことではなく、ガメラに出てくる古代オセアニアの超自然のエネルギー(?)のことです。これがすごく良かった。初めてオーケストラ曲を書いた人の作品とは思えぬ色彩感と、建築物のような構造感。2群に分けられたオーケストラの間を音が駆け巡り、さらに重層する小さな構造の組み細工がステキなの。真の天才だわ。これからの彼の作品、どうなるんでしょう、もっと聴きたいと思ったけど、痛恨、ベルトランは数年前、30歳の誕生日を待たずに亡くなっていたのでした。ショック

2曲目は、デュサパンさんの弦楽四重奏曲第6番。弦楽四重奏曲なのにオーケストラ付き。不思議な組み合わせだけど、弦楽四重奏のための協奏曲?いいえ、弦楽四重奏を伴ったオーケストラ曲?いいえ。オーケストラを伴った弦楽四重奏曲でした。弦楽四重奏とオーケストラは対峙するのではなく、オーケストラは弦楽四重奏を補うように書かれていて、弦楽四重奏にできないことを、痒いところに手が届く孫の手のようにオーケストラが補完します。それ自体の発想はとてもユニークで、音楽は、いわゆるメロディのない調性もない現代音楽なんだけれども、雰囲気は良くて、耳障りではなく、分かったかと聞かれれば1回聴いただけではよく分からなかったんだけど、惹かれる音楽でした。そして音楽の解き明かしに、休憩のあとで邂逅したのでした。アルディッティ弦楽四重奏団の演奏は、流石。彼らを想定して書かれた曲だし、長い間作曲家との共同作業をしてきているので自家薬籠中。全く隙がない、スタイルを確立した演奏は、作曲者も幸せではないかしら。

休憩のあとは、シベリウスの「タピオラ」。シベリウスの最後の大きな作品。ちん入者のようにここに置かれた作品は、単に作曲家が好きだからという理由以上に音楽のつながりを感じたのでした。リープライヒさんと東京交響楽団の演奏は、えええっっ!シベリウスってこんな曲だったっけ?というシベリウスの演奏としては違和感ありありで、むしろトンデモ演奏であったような気がします。シベリウスの持つ叙情性が欠けていて、骨組みだけが残ったみたいな。まるで現代音楽。でも、そのためにかえって、今日演奏された他の曲とのつながりが見えてきて、今まで気がつかなかったシベリウスの前衛性がさらけ出されたと思います。シベリウスのみではXだけど音楽会全体としては○、みたいな。違和感なくピッタリと正しい場所にはまっていた感じ。
シベリウスの音楽の前衛性は、一言で言うと、その特異な構造(形式?)にあるような気がします。短い細胞に細分化されて積み重ねられる音。点描的だけどウェーベルンのとは違って構造そのものが点描。そういう構造の組み細工が、今日演奏された他の曲とよく似ているの。シェーンベルクが調性を無力化したように、ストラヴィンスキーがリズムを解き放ったように、シベリウスは構造(テクスチュア)を分割して現代の音楽への道筋を作ったと言ったら言い過ぎでしょうか。多分そうでしょう。シベリウスの音楽の後世への影響ってあからさまではないし。でも、多層の構造の音楽ってミニマリズムに通じるところもあるし、何よりもベルトランさんやデュサパンさんの音楽とも意識的に共通性があると思うの。

目から鱗のシベリウスの次に最後に演奏されたのは、「風に耳をすませば」。なんか爽やかアニメ系のタイトルみたい。サントリーホールの委嘱作品で今日が初演。来年、初演される予定のオペラ「ペンデジレーア」(オペラの原作のタイトルが「風に耳をすませば」という悲劇)をメゾソプラノとオーケストラのための組曲に再構成したもの。オペラの中の3つの異なる声の役をひとりの声に集約しているので、音程の幅が広く、ちょっと大変そう。
わたし、(口ずさめるような)歌が否定された前衛音楽ではオペラはもう難しいといつも思ってて、変に妥協した作品にはうんざりなんだけど、「風に耳をすませば」を聴いて、オペラもまだ可能性はあるのかもって思えました。基本的にメロディはないんだけど、声の扱いが自然でオペラとして聴いても楽しめそうだと思えたんです。始まりと終わりにある(オペラの中ではライトモチーフのように使われるそうですけど)静かな子守歌のメロディ(唯一聞こえる口ずさめるメロディ)がとっても印象的でモノクロームの映画を観るようで。
演奏も良かったです。東京交響楽団は安定していたし、ペトリンスキーさんは、性格の違う音域の広い大変な歌を大らかに歌ってくれました。最後の歌は母性でしょうか。

毎年面白そうな企画で楽しませてくれる、サントリー芸術財団のサマーフェスティバル、来年はもっとしっかり参加しようと思います。くじも当てて同じ席取るぞーー。

by zerbinetta | 2014-08-21 02:07 | 日本のオーケストラ

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