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ファン参加型イヴェント 究極の(妄想)プログラム!   

自慢してもいいですかーーーーーー!
おお、フォントサイズ大、しかも赤字で。
音楽マネジメントのジャパンアーツさんがツイッターで応募していた、今、日本をツアー中のサロネンさん、フィルハーモニアにやって欲しい究極のプログラムを考える。残念賞をもらいましたーーー。
サロネン賞は逃したけど、次点でした。サロネンさんのステキなコメントが貰えて超嬉しい!
それにしても楽しい試み。企画のジャパンアーツさんとサロネンさん、フィルハーモニア管弦楽団には心からありがとうを言いたいです。

わたしのプログラムは、

マーラー:交響曲第10番 アダージョ
ベルク:「ルル」組曲
休憩
武満徹:「セレモニアル」
ショスタコーヴィチ:交響曲第15番

でした。過去を振り返りつつ未来を(多くの場合断ち切られても)見つめている作品を選びました。マーラーの未完に終わった最後の交響曲は、マーラーのパーティセルを基に補完完成された作品の最後は、明らかに未来を見ているし、それはマーラーの手になる楽譜で演奏できる第1楽章も同じです。音楽もかなり20世紀に踏み出しています。
ベルクの最後の未完のオペラ「ルル」からの組曲も、特に最後、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢が、女性の権利のために戦う決心をしたところで殺されて幕。そんな未来への思いと断ち切られた希望です。
武満の「セレモニアル」にはそんな直接的なメッセージはないけれども、奈良時代からの楽器、笙を使った音楽は時を漂うように過去から現在、さらに未来へとたゆたっています。
お終いのショスティの最後の交響曲は、子供の頃の思い出を振り返りつつ、最後は彼岸へと向かっています。この未来は、謎めいてるけど、それは現在のわたしたちが持っている未来への不安とシンクロするとても現代的な問題を孕んだ作品だと思います。答えをどう見いだすかは、わたしたちひとりひとりの問題へと還ってきます。音楽はそれに答えを出すでしょうか?

武満の作品が、ちょっと異質なんですが、日本人の作品はどうしても入れたかったし、他に思いつく作品がなかったんです。後から考えてたら、例えばシベリウスの「タピオラ」やヤナーチェクのオペラ「利口な女狐」の最終場面もふさわしいかなっても思いだしてきて。それかドビュッシーの「聖セバスチャンの殉教」の交響的断章。どれもショスティーの交響曲の前に置くには、大きすぎるんですけどね。

それにしても今回、一番嬉しかったのは、サロネンさんがわたしの意図を正確に理解して下さったことです。もうわたしとサロネンさんは音楽でつながってる?なんてファンとしてはうししな状態。狂喜乱舞したのはもちろん、ずうっとにやけてました。

実は、妄想音楽会のプログラムのペイジを立ち上げようとしばらく前から音楽会のプログラムをいろいろ考えていました。こちらはシーズンの音楽会なので、今回のような1回の完成された音楽会とは違うんだけど、最初は、この中からお気に入りのを改変して応募しようかと思っていました。それは、聖杯のプログラム。

ワーグナー:舞台神聖劇「パルジファル」から前奏曲と聖金曜日の音楽
スクリャービン:交響曲第3番「神聖な詩」

スクリャービンを聴きたいからなんですけど、シーズンの中の1プログラムなので究極のプログラムにはストレイト過ぎてちょっと弱い。そこで、スクリャービン、メシアンの移調の限られた旋法つながりにして、さらに鳥シリーズ。と言うことでちょっとひねったのが、

メシアン:コンセール・ア・キャトル
吉松:ピアノ協奏曲「メモ・フローラ」
休憩
スクリャービン:交響曲第3番「神聖な詩」

吉松さんのピアノ協奏曲は、メシアンでピアニストを使うのでもったいないから入れました(結構現実的w)。聖杯から迷い出て旋法的な雰囲気と鳥のさえずりになってしまったんだけど、曲に力がないので没。1回のんきに聴くには良いプログラムだと思うんですけどね〜。きれいな曲だし。
それにしても聖杯のプログラムでは、サロネン賞に選ばれた日本フィルハーモニー交響楽団さんのプログラムが、ほんと1本取られた感じで素晴らしかったです。サロネンさんもべた褒めしてるけど、シベリウスの交響曲第7番を組み合わせるのがもう目から鱗。この発想はすごい!

最後まで迷ってもうひとつ没にしたのは、

ウェーベルン/バッハ:リチェルカーレ
ベルク:ヴァイオリン協奏曲
休憩
リゲティ:ルーマニア協奏曲
シェーンベルク/ブラームス:ピアノ四重奏曲

時間を超えた音楽のつながり。とても気に入ってたんですが、ブラームスの民族色とリゲティのそれを対比させた後半が(リゲティが過去の芸術作品の換骨奪胎じゃないゆえに)弱いかなって思います。シェーンベルク/ブラームスの作品、サロネンさんの指揮でぜひ聴きたいのですが。

サロネンさんの近現代ものがとてもステキなので、そして、近現代ものの方がプログラムを組みやすいので、どうしても近現代ものが多くなりますね。でも、ベートーヴェンもとても良かったし、ハイドンなんかも生き生きと演奏しているので古典も聴きたいです。古典を含めたプログラムを考えられなかったのは力不足。残念。

ひとつの(究極の)プログラム。もっと素直に自分の今一番聴きたいものを選ぶのもありでしょう。「トリスタンとイゾルデ」なんかはもう一度聴いてみたいし、「グレの歌」も聴きたい。何なら「パルジファル」の演奏会形式、全曲も。思い入れの強いプログラムは魅力です。でも、いくつもの中から誰かがひとつ選ぶとすると、個人的な好きなものを選ぶというのはある意味不公平で、客観的な理由が必要です。そういう意味で、ひとつの軸を元に練られたプログラムをうんうんと考えました。これがすごく楽しいのね。コンセプト、曲の組み合わせ、いろんなアイディアが湧き出てきて(たいていはボツですけど)、いくらでもしゃべってられる。実際、一緒に考えた仲良しとは口角泡を飛ばして議論し合いました。言葉でちゃんと説明できる一晩中でも議論を交わすことのできる論理的な創造が音楽会のプログラムの中に、そしてそこでなされる演奏の中に聞こえるのが、究極のプログラムの音楽会なんですね。

♫♫♫

ツイッターやフェイスブックなど、双方向のSNSの時代になって音楽家やホール、マネジメントとファンとの距離が近くなってきたように思います。ただまだ、積極的にSNSを使ってファンとのコミュニケイションを行っているところもあれば、残念ながら一方的に情報を流すだけのところもあります。今回のジャパンアーツさんの企画は、とても面白かったし、音楽会への期待も高まり宣伝にもなった好企画でしょう。答えの返ってくる場所や参加できる企画を喜ぶファンも多いに違いありません。これからも、楽しいイヴェントをどしどしやって欲しいと思います。音楽会、盛り上がっていきましょ。

by zerbinetta | 2015-03-04 15:12 | 随想

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