よりもどし パーヴ・ヤルヴィ/NHK交響楽団 ショスティ5   

2015年2月13日 @NHKホール

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

庄司沙也加(ヴァイオリン)
パーヴォ・ヤルヴィ/NHK交響楽団


来シーズンから音楽監督に就任するパーヴォ・ヤルヴィさんのフライング音楽会2回目は、シベリウスの協奏曲とショスティ。これも楽しみに、でも苦痛の渋谷を通って、出かけてきました。もちろん自由席。さて今日はどうなることでしょう。

まずは、シベリウスのヴァイオリン協奏曲。演奏される回数では、というかわたしが聴いた回数(選り好みほぼ無し)では、ヴァイオリン協奏曲の中で多分ダントツトップな感じ(2番目はブラームスかな)。わたしも大好き。
ソロは庄司さん。彼女を聴くのは2回目です。さわさわと空気が揺れて、ヴァイオリンが歌い出したとき、おや、となってしまいました。蒼穹を高く、すうっと雲を引くように鳥が滑っていくのがわたしのイメジなんですが、庄司さんのはもっとふくよか。ヴィブラートをかけて歌ってました。第2楽章の前半もそうだったんですけど、わたしの好みからいうと歌いすぎ。透きとおった演奏が好きなのですが、庄司さんはうっすらと色を塗り込めた感じなんです。ただ、切れのあるヴァイオリン、アグレッシヴな突っ込みは健在。彼女の思うところの音楽を何の障害もなく表現しきれるところは凄い。誤魔化しのない明確な音たち。圧巻だったのは第1楽章のカデンツァ。上下に駆け巡る速いスケール(音階)にバッハを感じました。ヴァイオリン・パートはバッハの無伴奏の光りが射しているんだけど、ここまで直接的にバッハを感じたのは初めてでした。好みでないとこもあったけど、ここまで演奏されたら納得。兄ビーとN響の伴奏もとっても良かったしね。この曲の伴奏って、すごく難しいと思うんですよ(ものすごく失敗した演奏も聴いたことある)。ヴァイオリンを圧倒してしまうことなく、でも燃えるところは燃えた積極的な演奏で素晴らしかった。こうでなきゃ。
庄司さんのアンコールは、バッハかと思ったら、ピチカートだけでかわいらしい、シベリウスの「水滴」。とてもセンスのある選曲。

ショスティの交響曲第5番は、前回のマーラーほどではないけど兄ビーの面白さが出た演奏。最初の厚い弦の切り方に強い意志を感じました。太い筆でとめる筆遣い。おお、これは。と、ニヤリとしたんだけど、残念なことに、金管楽器がいつものN響に戻っていたのが残念。オーケストラの意地なのか、曲がマーラーのようにはっちゃけてないので極端な表現を避けたのか、面白い演奏にこそ聴き甲斐を見いだしているわたしにはちょっと不満。兄ビーのショスティは、意外と中庸なんだな。2楽章のスケルツォもわりとストレイトフォワードで音楽としては成功してるんだけどね〜、わたし的にはあまり新しい発見はなかったの。全曲の白眉は弦が主体の3楽章。オーボエのソロの孤独感も素晴らしかったし。ひとりの人間の奥深くにあって誰にも届かない孤独のようなものを感じることができました。この前のマーラーのときもそうだったけど、オーボエのトップの人はひとり(じゃないけど)気を吐いていましたね〜ステキでした。第4楽章もほぼ予想通りの展開。’らしさ’を見せたのは、最後の弦楽器のラの刻みの強調。プログラムによるとこのラの叫びは、不倫相手(の愛称)と私(作曲家)を暗示しているらしいんだけど。それはともかく、ラの音を執拗に鳴らすのは好き。とは言え、前に聴いたガードナーさんの演奏がホールいっぱいラの音で満たしたような凄い演奏だったので、それからすればおとなしいかな。ということでおもしろ好きのわたしからみると足りないんだけど、音楽的にはとてもとても素晴らしい演奏でした。最後のラだって音楽的な要求だったし、暗喩とか背景とかそういうのあまり意味をなさない、純粋な交響曲として演奏されていたと思います。逆説的だけど、だからこそそこから、ショスティが描きたかった普遍的な苦悩や希望が聞こえてきたんでしょう。

来シーズンから始まる、兄ビーとN響の共同作業。お互いに一筋縄ではいかないことを予感させたけど、N響が殻を破って世界のトップレヴェルのオーケストラへの足がかりがつかめることを期待しちゃいます。井戸が埋められて蛙が本当の世界に飛び出すことができすように。兄ビーの音楽会にはなるべく参加しなくちゃね。
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by zerbinetta | 2015-02-13 22:37 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

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