ストラヴィンスキー2題 音楽大学オーケストラフェスティバル 3日目   

2015年11月28日 @ミューザ川崎

ファンファーレ
森円花(桐朋学園大学):fanfare〜音楽大学オーケストラ・フェスティバル〜

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」

齊藤一郎/昭和音楽大学管弦楽団

ファンファーレ
野呂望(昭和音楽大学):栄光のためのファンファーレ

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」1910年 全曲版

高関健/桐朋学園オーケストラ

会場をミューザ川崎に移しての音楽大学オーケストラ・バトル、3日目です。まずは例によってファンファーレ対決から。
森さんのfanfare(何てシンプルなタイトル)は、打楽器ふたり(小太鼓、中太鼓、シンバルとか)が入って賑やか。お祭りみたい。旋律が低音から起こしてくるので、ちょっと聞き取りにくいところとか、中間の横に流れる柔らかな旋律の受け渡しが少しぎこちなかった(演奏のせいもあるかもしれない)と感じたけれども、打楽器のビートは大好きなバロックのファンファーレみたくて好きです。
野呂さんは、ここでファンファーレを披露するのもう3回目なんだそうですけど(彼を超える人カモン)、シンプルで短いファンファーレらしいファンファーレ。みんな考え過ぎちゃうところあるので、かえってこういう方が新鮮だったり。いろんなことをやりたい気持ちを抑えてシンプルにまとめるのってむしろ難しいのかも。そこは経験値の勝利かな。

昭和音大の「春の祭典」は、しっかりした演奏だったと思うけど、わたしは、選曲ミスだと思いました。オーケストラに力はあるんだけど、それ以上のものを出すには難しすぎると思うんですね。そもそもがメカニカルな音楽だし(ストラヴィンスキーは音楽に感情を入れるのは嫌っていた人だけど、その中でも「春の祭典」は特にメカニカルな音楽のひとつだもの)、(リズムが)合う合わないのレヴェルは、軽く超えているので、次に求められるのは、個々の楽器の色彩とか、合わせを超えた切れとか、表現の冴えとか、能力は高いとは言え、まだ学生のオーケストラには荷が重いというか、一流のプロに求められるレヴェルでの勝負が必要ですものね。昭和音大は、合奏能力は高いんだけど、(小さな)アンサンブルに少し難があって、楽器がひとつ消えたとき(休みになったとき)全体からひとつ音が失われたような、あるべきところにない、みたいな穴があいちゃうんですね。楽器の出入りを繰り返しながらのアンサンブルを全体的にまだ捉えられていない感じ。オーケストラの他に、いろんな室内アンサンブルの練習をたくさんできればいいのにな。あと、休符になると音が消えちゃうのが気になりました。休符の中にも音楽はあるんデス。なんて言うと、オレ達あんたより「春の祭典」知ってるからって怒られちゃうけど、ただ、聴いて知っている、楽譜を読んでいる、のと体が動いて音を出すのとは、違うところで苦しんでるのも感じられて。でも、果敢な学生の挑戦(いくら古典になったとはいえ、初めては挑戦ですよね)には、拍手を惜しみなく送りたい。だって、明らかにポジティヴなものを演奏から感じたんですもの。この曲が初演されたときも、こんな風だったんだろうな(今の学生さんの方がよっぽど上手いと思うけど)と思わせるところもあって、この曲の原初的な姿がむしろ露わになった感じがして、わたし的には満足感たっぷり。学生さんたちのクラブ活動的なノリというか一体感と演奏後の充実感で顔を輝かせていたのも好感度大。あ、わたしの中で勝手に齊藤君とあだ名を付けた(すみません。齊藤君は高校時代の友達。そんなの知らんがな)、なんか暖簾に腕押し的な雰囲気のコンサートマスターの人、きっと尻に敷かれるタイプだな。ふふふ

桐朋学園は、高関さんと。去年と指揮者のシャッフルがあって、高関さんは去年は国立と、今年国立を振るのは、去年藝大を振った尾高さん。高関さんは去年のブルックナーがとても良かったし、シティフィルでもとても良い音楽を聴かせてくれているので期待大。そしてその期待は満たされたのでした。学生のオーケストラとは思えないような素晴らしい演奏。上手い演奏って技術的なことを超えて音楽に惹きつけられるんですね。高関さんの容赦のない緻密な音楽作りを学生さんが一糸乱れず音にしていく。ナイーヴゆえの懸命さが良い方向で結んで、というか高関さんが学生の良さを引き出しているんだけど、さらにその上、自発的な演奏まで求め応えられていくのは流石。みんな音楽的な意識が高いの。それに、ヴァイオリンのソロを聴いてびっくりしたのだけど、この音にヴァイオリン全体の音色が統一されていてオーケストラの色彩を見事にひとつにしてる。先生たちの指導に一貫した音楽性があるのかな。オーケストラがひとつの有機体になってる。わたし的には、最後ざくざくと切り込んだような演奏(1945年版のような)もツボで、全体に銀色に燦めくような音楽(わたしの火の鳥の音楽のイメジは銀色なんですね。本当は火の鳥はまっ赤なのかも知れないけど。いつかまっ赤な火の鳥を見せてくれるような演奏にも出逢ってみたい)をびしっと締めてくれました。
そうそう、桐朋学園で面白いのは、メンバー表、コンサートマスターの記載がなく、ヴァイオリンとヴィオラの区別もなくひとまとまりにしているのですね。これは、桐朋学園だけで、コンサートマスターといえどもヴァイオリン、ヴィオラの学生のひとりでしかないという意思の表明なのかも知れないですね。

「春の祭典」と「火の鳥」を並べた今日の音楽会で気がついたんだけど、「春の祭典」のオーケストラは巨大だけど、アルトフルートとかピッコロトランペット、バストランペット、ワーグナーチューバなど管楽器群の拡充が主で、ハープやチェレスタ、木琴とかを入れた「火の鳥」の方がより色彩的なんですね。ストラヴィンスキーのオーケストラの音色を扱う巧みさにも改めて感心したのでした。






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by zerbinetta | 2015-11-28 00:07 | アマチュア | Comments(0)

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