円熟から、人生最後への旅 ヴァンスカ/読響 シベリウス最後の3つの交響曲   

2015年12月4日 @サントリーホール

シベリウス:交響曲第5番、6番、7番

オスモ・ヴァンスカ/読売日本交響楽団

ヴァンスカさんのシベリウスを聴きにサントリーに来ました。というのは嘘で、うっかり今日は、上野の都響だと思って上野に行く気満々だったのに、確認したら読響でびっくり。危うく上野に行ってしまうところでした。
気を取り直して。ヴァンスカさんのシベリウスを聴くのは、久しぶり。数年前シベリウス・イヤー(は今年)でもないのにロンドン・フィルとシベリウス・サイクルをやって7曲の交響曲の素晴らしい演奏を聴いたのでした。シベリウス・サイクルは他にも聴いたことがあるのだけど、全交響曲をひとりの指揮者で聴いたのは、ヴァンスカさんだけです。読響とは、3回の音楽会で、交響曲は第1番と2番、それと最後の3つの交響曲等を採り上げます。でも、わたしが聴くのは、最終回の今日だけ、大好きな3つの交響曲の回です。

先に結論を書きましょう。人生を長く生きてきて本当に良かったと思った音楽会でした。シベリウスの最後の3つの交響曲の旅が、人生の後半に入ったわたし自身の時の旅に重なって。これは若い人には分からないだろうな。若い人にはこの音楽会はちゃんとは聴けないだろうなって。全若者を敵に回すような発言だけど、もちろん若い人には若い人の聴き方があるし、わたしも若かったら違うふうに考えただろうし、年寄りといってもまだ人生の後半に入ったばかりの甘ちゃんが何を言うと全老人から反感を買うに違いないのだけど、でもこれしかない適切な時にこの音楽を聴いたと感じた多幸感といったら。(多分それぞれの世代の人がそれぞれ違う風に同じように感じているのに違いないけど)そんな音楽会でした。

ヴァンスカさんのシベリウスは、むしろ熱い。シベリウスの音楽は、怜悧で透明な純化した魂を持った音楽だとよく言われるし、冬をイメジする人が多いように思うんだけど(わたし自身は、ヴァイオリン協奏曲は例外で、交響曲は(北国の)夏のイメジです)、ヴァンスカさんのは少し違うと感じるんです。情熱的で熱い血が通っていて、透きとおっているというより命の濁りがある。生きているって濁を飲み込むことですよね。霞を喰って生きていく仙人ではないのだから。そして今日のヴァンスカさんのシベリウスはそんな生から魂を解放して純化していく旅。

第5交響曲は、人生の頂にあるような、熱と円熟の渦のようなパワー。でも、ヴァンスカさんの演奏は、完全にポジティヴと言うのではなくて晦渋を含んでいるのがユニークだと思うんだ。粘りに粘って解放されるエネルギーの大きさ。決してシベリウス的とは言えない(暖色系の)読響を一音一音煽り勇気づけて音楽を作り上げていく、まさに今そこに産みの苦しみがあるみたいに。ヴァンスカさん鬼神のよう。ただ少し残念なのは、読響がヴァンスカさんの表現(この交響曲では、テンポや強弱の揺れ、表現の幅が大きくて付いて行くのが大変だったかも。でもはっとする弱音の美しさはステキでした。ヴァンスカさんの弱音へのこだわり響きの作り方は素晴らしい)を完全に自分のものとして音にできていないところもあって、例えば、溜に溜めたエネルギーの解放が為し切れていないようにも感じました。ゲスト・コンサートマスターの荻原尚子さん(ケルンWDR交響楽団のコンサートマスター)も読響を引っ張って、ヴァンスカさんの音楽作りに果敢に挑んでいたけど、その先にあるヴァンスカさんが求めていた音楽の深淵には届かなかったみたいな。素晴らしい音楽(シベリウスのだけではなくてヴァンスカさんの)に素晴らしい演奏であった実でももっと出来るハズと欠けがあったのが心残りでした。

休憩のあとは、第6番と第7番が演奏されました(曲の間に指揮者の退場あり)。第6番は、もう大大大好きでずうっとわたしの裡でシベリウスの一番を占めていたものです(今は第7番が同じようにわたしの中に凝っている)。魂が洗われるように透明な響きが大好き。始まりの泉の湧くような清廉な美しさと言ったら。以前聴いたヴァンスカさんの演奏は、でも、むしろ熱が放射されていて、特に第4楽章の情熱は、わたしのシベリウスからは少し離れているとも思ったのですが、今日の演奏は、そういう熱を残しつつも玉が磨かれたように円熟した音楽。ロンドンのオーケストラよりティンパニが控え目だったのも深さを増した感じにさせたのかな。わたしにとって些細な疵(例えば第1楽章で弦楽器が細かい音を奏で合うところ、合わせるのが難しいせいか少し合わせにいってしまったとか)はあったものの、ぐっと心を掴まれる名演。

そして最後の第7番。ヴァンスカさんと読響との音楽の旅の時の旅の終わり。それにふさわしいというか、それしかないだろうというおおきく満ち足りた名演。身体の中が濁りのない水で満たされていってチェレンコフ光のような温度のない光りに包まれていく。最期の時への変容。ありがとうヴァンスカさん。ありがとう読響さん。
最後の音、魂を体の束縛を解いて自由に空に放つように、音を蒼空(そら)に放つところ、サントリーホールの音響を持ってしてもまだ完全には放ちきれなかったように感じたけれども、でも、これでいいんだ。だって、ヴァンスカさんもわたしも(そしてシベリウスだって)まだ、旅の途中なんだもの。今、解き放されてしまったら。。。でも、いつか最後の時が来たら、冷たいひとつの幸せの滴を頬に感じながら、この音を思い浮かべたい。音と共に宙に消えていきたい。






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by zerbinetta | 2015-12-05 13:02 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

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