LSDでトビッパ ソヒエフ/N響 幻想交響曲   

2016年1月15日 @NHKホール

ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための2重協奏曲
ベルリオーズ:幻想交響曲

フィルクハルト・シュトイデ(ヴァイオリン)
ペーテル・ソモダリ(チェロ)
トゥーガン・ソヒエフ/NHK交響楽団


ソヒエフさんは、若手(というかそろそろみんな40代)の指揮者の中で最も好きな人のひとり。そのソヒエフさんが、今勢いの出てきたN響に客演して、はちゃめちゃな幻想交響曲を振るとなれば聴きに行かないわけにはいけません。今日もNHKホールの天井桟敷の人となったのでした。それにしても今日は少しすいていたな~。こんな良い音楽会なのにもったいない。曲目はオーソドックスだから、ソヒエフさんがまだあまり知られていないってことかな。

前半は、ウィーン・フィルのトップ奏者をソリストに呼んでブラームスの2重協奏曲。このおふたりとソヒエフさんは、すでにウィーンでもこの曲を演っているのですね。
さて音楽は、プログラム冊子に書いてあったクララ・シューマンの言葉「これらの楽器は華やかではないからです」通り、なんかとても地味。地味が身上のブラームスでもヴァイオリン協奏曲なんかは派手ではないけど、ここまで地味じゃないから、チェロが足を引っ張ってる?と言う軽口は置いといて、普段オーケストラで弾いてる人がソリストなので、オーケストラの中で弾いているように、オーケストラに溶け込んで演奏していたからじゃないかしら。でもね、クララの言う「この協奏曲に未来はない」は見事に外れました。だって、ブラームスの最後のオーケストラ作品となったこの曲には、ブラームスの円熟がいっぱい詰まってるんですもの。まだ枯れてはいないし、ふたりの気のあったソリストを呼ばなければいけないから演奏機会は減るけど、良い曲だもの。
今日の演奏は、さっき書いたとおり、協奏曲というよりオーケストラ曲として演奏された感じ。でも、オーケストラをリードするソリストの音楽は、ウィーンで過ごした晩年のブラームスの柔らかな香りがしてとても良かったです。ヴァイオリンとチェロが対立せず、同じ音色のパレットを使って秋の豊穣の絵を描いていたのもステキでした。

後半の幻想交響曲は、意外や意外、ひっちゃかめっちゃかな末端肥大症気味の表現主義的な演奏ではなくて、ある意味古典的なフォルムを大事にした演奏。この音楽が、マーラーではなくてベートーヴェンの死後3年という時代に書かれた音楽であることを随所で感じさせてくれるものでした。音楽が整っていて美しい。これにはびっくり。でも、それでいて、特にダイナミクス(音量の振れ幅)でベルリオーズの極端もしっかりと魅せてくれる、ソヒエフさん凄い。ピッコロもちゃんと凶暴だったし、いろんなヴィブラートの付け方への細やかな目配り、フレージング、どこをとってもソヒエフさんの音楽。するすると進む快速テンポで始まって、それを基調に、でも、第1楽章の最後や、第3楽章ではテンポを落としたり、ツボがたくさん。第2楽章は、わたし的に大好きなコルネットのオブリガードは無かったので、勝手に脳内で足して聴いてたのはナイショだけど、華やかでフォーマルな感じの舞踏会が広がって、最後は流行の音を残すことなく閉じていたのは、まだこの曲が正統的な音楽の一枝として演奏されていた時代への好ましい回帰。第3楽章に音楽の内面的な中心を置いた設計も良かったな。それに、やっぱり、ティンパニに4人、人がいるのを見るだけでもワクワクする。さらに後には大太鼓ふたり!そのティンパニの雷鳴は、遠くで不安を煽る轟きで、最後のふたつの楽章で駆け抜けるように音楽が爆発。ここでソヒエフさんは、古典の枠を解放してお祭り騒ぎのカタルシス。ギロチンが落とされる瞬間の断末魔の叫びは、長く引き延ばされてクレッシェンドして。魔女たちの宴はおどろおどろしさ控え目で、小クラリネットの魔物に変容した恋人の踊りは、むしろ明るく健康的。楽しそう。音がヴィヴィッドで、尖った音色の燦めきは、阿片で見たの幻覚と言うより、アッパー系の覚醒剤かサイケデリック系の薬物で決めちゃった感じの幻想でした。
N響は、ソヒエフさんの棒に応えて、日本を代表するオーケストラの矜持を示すように素晴らしい演奏をしてくれたのだけど、でも、わたしの際限ない欲望は、もっと上手いオーケストラだったならなぁ、と感じられてしまったのも事実。ソヒエフさんの音楽以上のものをオーケストラが自発的に生み出して欲しかった。ソヒエフさんの音楽家魂に火をつける好敵手な関係が指揮者とオーケストラの間に欲しいなって思ったのでした。
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by zerbinetta | 2016-01-15 22:49 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

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