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絶望、諦観、自棄 ラザレフ/日フィル ショスティ9   

2015年10月23日 @サントリーホール

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「妖精の口づけ」
チャイコフスキー/タネーエフ:二重唱「ロメオとジュリエット」
ショスタコーヴィチ:交響曲第9番

黒澤麻美(ソプラノ)、大槻孝志(テノール)、原彩子(ソプラノ)
アレクサンドル・ラザレフ/日本フィルハーモニー交響楽団


今シーズンから、定期会員になってみた日フィル。主席指揮者のラザレフさんがショスティの交響曲のサイクルをやっていることは風の噂に聞いていて、うううーくやしいって思いをしていたんだけど、今日やっとその4回目から参加。ショスティの交響曲としては軽い、虚を突いた第9番。ベートーヴェン以降、呪いがかかったというか特別の番号感のある9番。しかも終戦後最初の交響曲。当時のソビエト共産党の期待を見事に外したショスティの皮肉なセンス、なんて勝手なこと言ってるけど、実際のところショスティの心境はどうだったのでしょう?この曲でまた致命的な批判を浴びてしまうのだし。でも、軽妙な交響曲だと思っていた時代も今日で終わり。とんでもない演奏が聴けたのでした。

初ラザレフさんとの出逢いはあまり良くなかったかな。せかせかしてあまり落ちつきない感じで(指揮も音楽も)。ストラヴィンスキーの「妖精の口づけ」は、カラフルなはずのストラヴィンスキーのオーケストレイションが、モノトーンに聞こえて、タイトルからすると甘いロマンティックなバレエのように思えるんだけど(物語を知らないので間違ってたらごめんなさい)、オーケストラの音色の特徴もあってちょっと殺伐とした感じがありました。

「ロメオとジュリエット」はチャイコフスキーが未完で残した2重唱曲をタネーエフが完成させたもの。有名な幻想序曲の叙情的な部分に歌を付けた感じの曲だけれども、わたし、こんな曲があったなんて初めて知りました。2重唱なのに歌手は3人。ソプラノの黒澤さんがジュリエット、テナーの大槻さんがロメオ、もうひとりのソプラノの原さんがロザラインで見事な三角関係、なハズ無く、原さんはほんのちょい役、逢い引きするふたりに朝を告げる乳母役で、出番も一瞬。トリスタンとイゾルデみたいな逢い引きシーン、プロコフィエフのバレエだったら3幕のベッドルームのシーンかな。
ほの暗いロマンティックな音楽は夜の香りがして、オペラのワンシーンのよう。実際チャイコフスキーはオペラを目論んでいたこともあるのですね。歌のおふたりの親密さとか、もう少し肉感的なエロスの香りがあっても良かったとは思いましたが(意外とさっぱりしてた)、珍しい曲を聴けて良かった♡思いがけず知らない曲に出逢うのも定期演奏会の醍醐味ですしね。

そして、ショスティ9。これが。。。
軽妙?洒脱?小さな音楽?とんでもない。ラザレフさんの音楽は、重く、嘲笑と諦めに満ちている大交響曲。胃に鉛を飲みこんだようなずっしりと淀んだ悲しみ。そして自棄。そう言えば、青春の快活な交響曲第1番を第15番の次の曲のように壮大に演奏したスクロヴァチェフスキさんのことを思い出しちゃいました。
第1楽章からある種の恐怖。はしゃぎ方に目が据わってるというか、昔チェコの小さな町で、大勢の(多分)学生が昼間っから酔っぱらって歌って行進してるのを聞いて覚えた恐怖。言葉の通じない異国の町で独りで。そんな孤独な不安がはしゃいでる音楽の向こうから聞こえてきます。尋常な音楽ではない、今日の演奏。ラザレフさんはこの音楽をどういう思いで指揮してるんだろう?ショスティの音楽って一見とは違って、皮肉や暗喩、作曲家のねじ曲げられた思いが絡まった音楽だから、一筋縄ではいかないけど、この曲を淵の底で演奏するなんて。皮肉も暗喩も真実(マジ)になって攻めてくる。深く暗くどろどろした音楽。諧謔は何処?
木管楽器のソロが、3楽章のおどけたクラリネットでさえ、孤独。そして、それは、第4楽章でついに極限へ。怪獣が現れるようなトロンボーンとシンバルの合図で立ち現れるファゴットのソロ。ついにラザレフさんが壊れてしまう。絶望。諦観。自棄。そうとしか思えない表情。指揮棒がリズムを刻まない。背筋が凍る。
そのまま引き摺るようにファゴットが粘るように駆けだして音楽が喧噪しても気持ちは重いまま。もうこうなったら、やけのやんぱち。やけっぱちのどんちゃん騒ぎ。肯定でも否定でもない。救いのない、、、いいえ、刹那で永遠の救いを音楽の喧噪に。。。それは幻影。それともリアル?
すぐには拍手は出来なかった。これが本当の第九?多分、異形のものすごく異端な音楽。でもこれもひとつの真実。だからこそ音楽って怖ろしい。こんな音楽を作り上げてしまうラザレフさん。それに応えた日フィル。我に返って熱い拍手を。

それにしてもラザレフさん。カーテンコールのときステージ上を縦横無尽に(どなたかロボット掃除機のルンバのようにっておっしゃってらしたけど言い得て妙!)歩き回って演奏者を湛えていました。ステージドアの向こうの行き止まりで戻ってきたのもルンバっぽい。そして、演奏する側としてではなく聴く側としても音楽(ご自分の演奏)を楽しんでいる様子が拍手にも表れていて、ステキでした。

日フィルって今、都下で一番面白い演奏をしそうなオーケストラだな。多分オーケストラの技量が指揮者の要求に応えることでいっぱいいっぱいで素直に指揮者の音楽を表現するからだよね。それに個々の奏者の積極性がステキ。

by zerbinetta | 2015-10-23 21:11 | 日本のオーケストラ

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