わたしも体液になりたい 作曲家の個展2015 原田敬子   

2015年10月27日 @サントリーホール

原田敬子:響きあう隔たり III、第3の聴こえない耳 III
     ピアノ協奏曲、変風

廻由美子(ピアノ)
稲垣聡(プリペアド・ピアノ)、シュテファン・フッソング(アコーディオン)
加藤訓子(打楽器)、曽根朗(音響)
中川賢一/アンサンブル・モデルン、桐朋学園オーケストラ


御招待に応募してみたら当たった(!)ので聴いてきました。サントリーホールの作曲家の個展、今年は原田敬子さん。
原田さんは、初めて聴くお名前。全く予備知識が無いので、せめてどんな人か調べるためにウィキってみたら、なんかとっても凄い人で、でも作品(作風)の特徴については書いてあることがちっとも想像できない体たらく。
音楽会に先だって、音楽評論家の高橋健太郎さんを聞き手に、原田さんとピアノの廻さんを交えてプレコンサート・トーク。これがね~~~。ぐだぐだだったのぉ~~。高橋さんが全く仕事で来てなくて、お終いも原田さんに促されて終わりにするという、まず司会者としてダメ。聞き手としても上手くお話を引き出すふうでもなく。ちゃんと仕事しろよー。

さて、原田さんの創作のアイディアは『演奏家の、演奏に際する内的状態を創造する』(以下、二重カギ括弧はプログラムに書かれていた原田さんの言葉)が根底にあるそうです。『音楽を聴くと体液が変化する』というキルヒャーの言葉(1650)。聴衆側の変化が「体液」だそうですが、わたしは果たして体液になれるんでしょうか。
「響きあう隔たり III」(2000-01)では、それは「『自らの音を聴き、他を聴き、そしてその隔たりを感じ取りながら全体を聴く・・・』ことになり、「第3の聴こえない耳 III」(2003)ではさらに、『響きを連結する際に必要な音楽的エネルギーを、物理的には音が発音されない”間”の領域にまで』広げられていきます。10年を隔てた新作、今日が初演のピアノ協奏曲(2013-15)では『強烈な個の自律的な出会いとしてのオーケストラ曲』、そしてさらに「変風」(2015)で『強烈な個性の集合体が、他律的に各々の場所で存在する音楽』と変化していく。その兆しとこれからのキーワードが変風。

分かりましたか?わたしは、プログラムの説明を読んでもやっぱり分かりませんでした。ただ非常に観念的に、頭の中で論理的に組み立てられている音楽だとは分かります。ただそれを耳で聴いて体得できるか?そこが、わたし自身の問題、体液の欠けなんです。聴いたときに少しもやもやした気持ちも残りました。それはきっと、プログラムにも書いてあった彼女の音楽的主張がよく聴き取れなかったから。現代の音楽がまだ、聞き分けられないの。

でもね、頭では理解できなくても素晴らしい音楽!もっと聴きたいしもっと聴かれても良い音楽と感じました。原田さんの音楽は、楽器の音を壊すような極端な特殊奏法を使っていなくて、普通にオーケストラを聴いてきた耳にも素直に入ってくる音で構成されています。多分楽譜を見ると、そして演奏する奏者にとってはものすごく神経を使う難しさがあると思うんだけど、聞こえてくる音は涼やかで、耳を澄ましたくなるけど、緊張を強いるような音楽ではありませんでした(もっと鋭く聴かなきゃいけないのかもしれないけど)。

1曲目の「響きあう隔たり III」ー年譜によると彼女の2作目のオーケストラ作品ーが、外見的には一番複雑で、3人の独奏者(プリペアド・ピアノ、アコーディオン、打楽器)にエレクトロニクス、客席に数人のヴァイオリンを配しています。ただわたしの席からは、客席のバンダを見下ろす格好になっていたので効果はよく分かりませんでした。
外見とは反対に作品が下るにつれて、シンプルだけど、音の関わりは複雑になっていたように思えます。2曲目の「第3の聴こえない耳 III」は、もしかしたら音を伴う「4分33秒」のようなコンセプトの音楽なのかも知れませんね。ただ、実際、わたしは音を聴くしかないので(ステージを見つめているにせよ)、少し頭でっかちかもって思いました。

休憩のあとのピアノ協奏曲(初演)は、音楽としては凄く良かったけど、ブラームスの以上にピアノが目立たなくて、きっとものすごく大変なこと弾いてるのに、え?これ協奏曲?みたいになって残念(採り上げるピアニストがいないと演奏機会が減るから)。内部奏法も多いし、繊細な音をピアノに求められているんだけど、もっとガシッとピアノが前に出てくれば、ピアノとオーケストラの対比や対話、対決が生まれて良かったのにと素人のわたしは思いました。でも、原田さんの興味はそういうところではなく、もっと内面的な音が出る前のエネルギーのやりとりなのかも知れませんね。
最後の「変風」(初演)では、部分部分を細部から組み立てて全体を作る、少し即興的な(楽譜にはきっちり書き込まれているのかも知れませんけど)揺らぎのある音楽でした。
それにしても原田さんの明確な論理性とその論理を離れて音自身が自由になる自律性のせめぎ合い、というか偶然性までが説明可能なフラクタルな方向に進んで行くのかしら。わたし、この曲好きでした。

うーーむ。それにしてもトホホな感想。原田さんが引用していた、安富歩さんの言葉「3歳の女の子の鼻歌が、そのまま複雑化していった音楽」って本質を突いた素晴らしすぎる言葉だな。わたしも音楽を聴いて、一言で的確に中心を射貫く感覚と言葉を身につけたい。センシティヴな体液として。

中川さんの指揮するオーケストラは桐朋学園の学生さんのオーケストラに、アンサンブルモデルンのメンバー7人が入って核を作ります。とても献身的にプロではないけれどもしっかりと仕事をした演奏は素晴らしかったです。作曲家もこういう演奏をしてもらえると、しかも東京のクラシック音楽の中心のひとつのプレステジアスなホールで。
今日はわたしにとってもステキな出逢いでした。
[PR]

by zerbinetta | 2015-10-27 21:37 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

<< 懐かしい人の故郷の音楽 ビエロ... わたしの名演ノート P.ヤルヴ... >>