新・春の祭典ってどんな? 小林/日フィル   

2016年1月22日 @サントリーホール

リムスキー・コルサコフ:交響組曲「シェヘラザード」
ストラヴィンスキー:春の祭典

小林研一郎/日本フィルハーモニー交響楽団


今日は日フィルの定期。誰がなにやるのかなぁ~わくわく~、と思いつつ、誘惑に負けてチラシを見たら、コバケンさんで春の祭典とか。。。ううう~む。いや、コバケンさんがどうのとか言うわけではないんですけどね。コバケンさんが「春の祭典」って似合わない~、振れるんだろか、と勝手に失礼な妄想。ごめんなさい。

サントリーホールのポスターを見てえっ!あれっ?新春の祭典って、なんだ?春の祭典の新しい版?コバケンさんが振るからなんかとんでもない新規感?と、3歩歩いて気がついた。’新春’の祭典じゃ。。。そっかーまだお正月でいいんだ~。お雑煮食べよっ。

メイン曲がふたつ、「シェヘラザード」と「春の祭典」がプログラムに並んでるので、どっちが先かなぁと思いつつ、順当に「春の祭典」があと。エネルギーいるものね、この曲。
「シェヘラザード」は、最初のヴァイオリン・ソロから響く響く。なんかホールの音響を味方に付けまくった感じで(わたしがオーケストラの後ろ側に座っていたせいで、客席の後ろから跳ね返ってくる音がよく聞こえたからかしら)、特に高音が糸を引くように伸びて聞こえたのにびっくり。ヴァイオリンの人の音もふくよか。コバケンさんの作る音楽は、相変わらず独創的というか、コバケン節って言うの?リムスキー・コルサコフの「シェエラザード」を聴いてる感じじゃなくて、コバケンさんの音楽を聴いている感じ。第1楽章は大凪。静かな海をトランクイロ(平穏(?))に滑る船。がなんか現実味がなくて黄泉に下っていくの。静物画の世界。正直戸惑いました。
第2楽章は、一転少し速めのテンポ。管楽器のソロが多くて、聴かせどころを、コバケンさんは各奏者にまかせてる振りをしてしっかりと手綱を締めている感じ。コバケンさんってものすごく怖い、厳しい人だと思いました。コバケンさんは、信頼できる人だと、自由な、自発的な演奏を求めるんだけど、そうでない人には辛辣。そしてそれは、(プロのレヴェルでは)技術的なことと言うよりも、音楽の心の表現を大事にしているような気がしました。ときどき左手を心臓に当てる仕草をしているのは、そんな心の表現を求めているからじゃないかしら。コバケンさんと仲の深い日フィルは、コバケンさんをよく分かっているようだし、コバケンさんもこのオーケストラを信頼しているのが窺えます。コバケンさんが他のオーケストラを振ったのをまだ聴いたことがないから無責任かも知れないけど、コバケンさんってどこよりも日フィルと相性が良いのではないかしら。少なくとも比較じゃなくて日フィルとの相性は抜群と思えました。あっそうそう、響き線を緩めた感じの小太鼓の音色が好みではなかったけどユニークでした(第4楽章も)。
第3楽章はまたゆっくり目のテンポで、やっぱり、いつもの「シュヘラザード」とは違う感じなんだけど、濃厚なロマンティックな歌で、この演奏の白眉でした。そして、気がついたのだけど、この楽章だけ、シェヘラザードの語りではないのですね。王とシュヘラザードの寝間のシーン。だって語り始めるヴァイオリンのソロはないし、シュヘラザードのソロはオーケストラの中に溶け込んでるもの。
賑やかな、第4楽章は、勢いで行っちゃえ、みたいな感じで、タンバリンなんかはリズムが混沌としてたけど、雰囲気があるからいいやというか、雰囲気重要みたいな表現。そんな中、全体的にティンパニが薄めというかおとなしかったのが残念。最後の弱音のコラールは、もう少し音が澄んですうっと抜けたら良かったなと感じたけど、そこがまだ日フィルの限界なのかも知れませんね。でも、第3楽章を頂点にコバケンさんの「シェヘラザード」は楽しめました。

後半は「春の祭典」。これがまたコバケンワンダーランド。「春の祭典」ってよく言われるように、リズムに革命を起こした現代音楽の古典(もちろん、曲自身はもはや現代音楽ではないのですが)。リズムが音楽の重要な要素として和声や旋律と対等の扱いがされた最初の目の覚めるような歴史的な作品です。だからこそリズムの扱いが重要なのだけど、コバケンさんのはそれに真っ向から対立するもの。リズムの鋭さがことごとく無視されていて、もちろん、現代のオーケストラはこの曲を合わせる技術は十分で、ずれたり破綻することはないのだけど、リズムの輪郭が滲んで音の塊になってるの。最初のファゴットのソロから時空の歪みのような伸縮があって、異様なものを予感させたんだけど、まさにその通り、完全にコバケン節(と言うのかな?)になっちゃった。前に聴いた、フルシャさんと都響のキレキレの演奏とは対極的。その結果、プリミティヴな大地の祭り、になったかというとそうでもなく、なんか得体の知れないどろどろとしたものに。大地がぐにゃりと歪んでいた。力業のオーケストラは、歪んだ鏡となって音楽の姿を見せてくれるのです。暗譜で振ってるコバケンさんはそれを意識的にやってる。むむう。あっ、「シェヘラザード」の時と違ってティンパニが思いっきり叩いていたのは良かったです。が、小クラリネットはかなり危うい感じなのが残念。
面白い演奏でした。と言うか、変わった演奏で、変態好きのわたしとしては、良い悪いじゃなくて面白かったと言うしかないのだけど、果たして、これで良いのかという疑問はつきます。コバケンさんは独自の音楽を作っていたけど、日本のオーケストラならその通りに演奏するけれども、超一流の指揮者とたくさん共演して、ひとりひとりが一家言あるような演奏家ばかりが座ってる超一流のオーケストラを前にして、コバケンさんが、オーケストラを納得させることが出来るかどうか、答えのない疑問を持ちました。演奏家を納得させられるかどうか(しかも相手は、例えば「春の祭典」をいろんな指揮者で演奏している強者たち)が、独りよがりの音楽か普遍的な価値を持つものなのか、の分水嶺となると思うんですね。わたし自身は、面白いものが聴けたと喜んでいるものの音楽には納得していないという頭でっかちな自己矛盾を抱えて、音楽の世界から日常へのグラディエイションを会場をあとにするお客さんの流れに揺られながら漂うのでした。
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by zerbinetta | 2016-01-22 22:27 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

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