兄ビーはレオナルド! P.ヤルヴィ/N響 ブルックナー5   

2016年2月7日 @NHKホール

マーラー:なき子をしのぶ歌
ブルックナー:交響曲第5番

マティアス・ゲルネ(バリトン)
パーヴォ・ヤルヴィ/NHK交響楽団


主席指揮者兄ビーとN響の定期公演、今回はブルックナー。中でも壮大な交響曲第5番。ブルックナー・トイレも長くなりそう。女子には関係ないから、余裕でチラリと見物しちゃった。

ブルックナーの前には、マーラーの「なき子をしのぶ歌」。マーラーの歌曲の中で最高傑作と勝手に思ってる心に浸みる悲しい歌。歌い手は、ゲルネさん。ゲルネさんって、猫背風に少し前屈みになって歌うのが、マーラーの、特にこの「なき子をしのぶ歌」みたいな屈折した暗さの歌に雰囲気ピッタリですよね。もちろん、深いバリトンの声も凄い素敵だし。
マーラーは歌曲のオーケストレイションを交響曲とは違って薄くしてる(そういう意味で「大地の歌」は交響曲っぽい)んだけど、パーヴォさんの演奏はまさにそんな感じ。もう少し弦に厚みを持たせてロマンティック寄りの演奏もありだとは思うのだけど、パーヴォさんの選択は、歌曲としての側面をより前面に出したものでした。控え目なオーケストラは、歌の背後に回って見通しの良い音楽を付けるんだけど、この選択は残念ながら凶と出てしまいました。NHKホールがこの音楽には大きすぎた。もう少し小さな響きのいいホールでならこの表現は上手く生きたのでしょうけど、ホールが音楽に余ってしまったのがもったいなさすぎ。ゲルネさんの歌は、言葉の語りを大事にするもので、わたしの3階席までちゃんと聞こえてきましたが、でも、やっぱり、この語るような歌は、親密なホールでよりふさわしく聞こえたと思います。残念だわ。

後半はブルックナーの大曲。大聖堂の偉容を仰ぎ見るような音楽だと思ってたんだけど、パーヴォさんのは違った。大聖堂は大聖堂なんだけど、その緻密に描かれた設計図を見るよう。本物の大聖堂は、想像の先にあって、でもその大聖堂の秘密や全てが明らかになるの。もちろん、設計図は本物の大聖堂ではない。でも、あらゆるものにそれぞれマニアがいるように、設計図マニアというのもいるでしょう。わたしは、とても面白く聴けました。でもね、これが完成形だとは、パーヴォさんも思ってないんじゃないかしら。
パーヴォさんがやってるのは、レオナルド・ダ・ヴィンチがやったようなことなんじゃないかと思う。人の絵を真実に、正確に描くために、彼は、解剖学から学んだ。人体を解剖して、筋肉の付き方や中の構造を調べて、人物の絵に還元しようとした。それと同じように、パーヴォさんは楽譜に書き取られた音楽を解剖して詳細に解き明かすことから始めているような気がしたの。その結果、ブルックナーの音楽の繊細な構造に光りが当たって、それらが設計図を見るように聞こえてきたんだと思う。本当はそこから大伽藍を作ってこそ、本物にしかない聖堂の空気やステンドグラスの織りなす光やクリプトの冷たさに身体中が震えるんじゃないかと思うのだけど、パーヴォさんのブルックナーはまだ、完成を見ていないのか、オーケストラの力がそこまでだったのか(N響はとても良い演奏をしていたのです。ピチカートがうんと素敵でしたし。でも、まだ少し足りない)、それは分からないけど、レオナルドで例えるとたくさんの正確な素描を観た感じです。それは、確かにわたしにとってとても面白かっただけに、最終的な形をいつか観てみたい、聴いてみたいと強く思ったのでした。パーヴォさんのブルックナーは多分、絵はがきのように見えている美しさや荘厳さだけを切り取った風景のような凡愚な演奏ではなく、足元から聖堂のいしずえのアウラが伝わってくるような音楽になるとなるでしょう。いつかそんな演奏をパーヴォさんから聴きたい。

あ、覚え書き程度に。今日の演奏で、はっと思ったのは、第2楽章と第3楽章をアタッカでつなげていたこと。パーヴォさんはご存知かどうか分かりませんが、川崎高伸さんの説(Bruckner Journal 13(1), 2009)に、ブルックナーの交響曲第5番の構造に意識的な対称性が見られるというのがあって、それによると第2楽章(アダージョ)と第3楽章(スケルツォ)も対になっているはず、実際にふたつの楽章の始まりの低弦のピチカートの音型が同じ、だから、このふたつは同じテンポで演奏すべし(ブルックナーは第2楽章を4拍子ではなくアラ・ブレーヴェで書いているのでそれが正しい)ということなんだけど、わたしは、同じ音型が出てくるからといって同じテンポとはちょっと強引だわと思うのだけど、もしかして、今日のパーヴォさんのは、テンポは普通のアダージョと速いスケルツォだけど、2つの楽章をつなげて関連性を付けることによって、最初の楽章とフィナーレの対称性を際立たせたのかな、とも思いました。穿った見方だとは思うんですけど。ただ、2つの楽章の尋常ではない連結には何か深い意味を感じるのです。それがどういうものかまだ分かりませんが。答えを見つけるためにもいつかまた聴きたいです。
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by zerbinetta | 2016-02-07 11:28 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

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