2012年 05月 31日 ( 2 )   

我が青春の讃歌 MTT、ロンドン交響楽団 マーラー交響曲第1番   

31.05.2012 @barbican hall

berg: chamber concerto
mahler: symphony no. 1

yefim bronfman (pf)
gil shaham (vn)
michel tilson thomas / lso


MTTとロンドン・シンフォニーのマーラー、今日は交響曲第1番です。そしてその前に、ベルクの室内協奏曲。今日はなんだかずいぶん空いていたです。3階席がらがら。
音合わせが終わって、MTTが出てくるのに、あれれ?ソリストは?って思ったら、MTTが曲目解説。オーケストラ、この曲は独奏者ふたりに管楽器だけの13人のオーケストラです、にポイントとなるメロディを吹かせながら、分かりやすく説明してくれます。耳になじみのない曲なので、これはいいな。USでは、簡単な解説付きの音楽会、結構あったのにそういえばロンドンでは珍しいな。でーーも、そのせいで解説中に遅れてきた人を入れてたから、わたしの隣に駆け込みで間に合った人が、はーはー息を切らしながら。音楽が始まってもしばらく、はーはーしてたのでなんだか集中できませんでした。席いっぱい空いてるんだからわざわざ隣に座るなよーーって悪態つくところでした。
というわけで、最初はぜーぜーはーはーに、気をとられていて、MTTが示してくれた音律を耳で追うのにあっぷあっぷしてたんだけど、そのせいで(結局わたしのせいなんだけど)音楽を楽しむことをすっかり忘れていました。ちょっとお勉強的に聴いてしまった室内協奏曲。ブロンフマンさんとシャハムさんのソロは見事で、ロンドン・シンフォニーの管楽器も相変わらず上手いったらありゃしないので、ステキな演奏だったんだけど、乗れないまま終わってしまいました。ううむ、わたしの負け。

気を取り直して、マーラーの交響曲第1番。大好きな大好きなわたしの青春の音楽です。クラシック音楽が好きになったきっかけはこの曲ではないけれども、音楽にどっぷり浸かっていく、言い換えればクラヲタになったきっかけは、ラジオで聴いたこの曲のせいです。それはもう強烈に覚えています。
MTTの指揮でこの曲を聴くのは初めてだけど、もうなんというか、素晴らしすぎ。旋律の歌わせ方は丁寧で上手いし、細かな隅々まで目が行き届いていて、どんな些細なところも手抜かりなし。MTTは完全にこの音楽を自分の中に取り込んでいますね。ロンドン・シンフォニーもそれぞれの奏者が、音楽を完璧に理解していて、自発的に演奏してるので、伴奏の和音とか、アクセントの揃え方とか、もう自然に音楽に生まれ変わるのね。そんな優秀なオーケストラを自在にドライヴして、MTTはさっと魔法をかけて音楽にさらなる活力とと命を与える。理想的な指揮者とオーケストラの共演。一見、整いすぎててかえって物足りないと感じる演奏だけど、よく聴くとMTTも結構突っ込んだ表現をしていて、さりげなくデフォルメしてるんです。
第1楽章が終わったところで、客席で携帯電話が鳴って指揮者もオーケストラも笑っていたけど、余裕というか、その和やかな雰囲気で始まった第2楽章が、生命力に満ちあふれていて、思わず泣いてしまった。まさに順風満帆。わたしにも、むやみやたらと(根拠のない)自信があって、肩で風を切って歩いていたときがあったなって。若気の至り。マーラーの音楽にもそんな気風があるよね。希望と挫折。そしてより大きな希望と未来への確信。後年マーラーが最も憧れていた音楽が現在進行形であるんだもん。

第3楽章のコントラバスは、ひとりのソロ(ただ単にソロと書くとひとりのソロなのかパート・ソロなのか分かりませんものね。だから意見が割れるんですが)。わたしは、どっちでもいいです。ゲルギーとロンドン・シンフォニーのときみたいにパート・ソロなのにひとりで弾いてるように聞こえるのもびっくりするくらい素晴らしいし。MTTはおちゃらけた合いの手や葬送の音楽にそぐわないふざけたフォーク・ソング調の旋律をしっかり強調して、特に後者は速めのテンポで、音楽の後ろにあるカリカチュアライズされた風景を描き出していました。動物たちの行進。とてもいい感じ。「カロ風の葬送行進曲」と題されていたけれども、マーラーがインスパイアされた絵自体はカロのものではなくてシュヴィントという人の「狩人の葬送」(この絵)なんですね。
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カロ風というのはむしろマーラーが影響されてたETAホフマンの「カロ風幻想曲」という文学作品からとったみたいですね(この本の序文は「巨人」を書いたジャン・パウルが付けているそう)。とあまり関係のないことを書きましたが、カロのエッチング、ナンシーのロレーヌ美術館で観たことがあります。漫画のように滑稽で哀しくて、独特の雰囲気があって、ああ、マーラーの精神的な雰囲気を共有してるって思いました。真面目になればなるほど滑稽さが同居してしまうマーラーの音楽。おこがましいけど、自分に似ていて共感してしまうのです。

そしてフィナーレ。振幅の激しい音楽だけど、特に叙情的なところが、柔らかで美しく、歌わせ方がとってもステキ。そして、中間の華々しいファンファーレのあと、突然転調がされる場面で、ドキリとするほど長い間合いをとって、わたしはメロメロ。こういう瞬間恋に落ちるのよね。最後のホルンの起立は、マーラーが指定した箇所ではなく、その数小節後だったけど、MTTはマーラーの書いたスコアを尊重しつつも、自分の耳目でマーラーのスコアを読んで、同化してそして異化して、自信を持って演奏しているのが分かる。そして彼のマーラーを見つめる目は温かく柔らかい。MTTのマーラーはわたしには掛け替えのないマーラーです。
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by zerbinetta | 2012-05-31 23:30 | ロンドン交響楽団 | Comments(2)

うわっ!横顔めちゃハンサム ティベルギアン バッハ「前奏曲とフーガ」   

31.05.2012 @jerwood hall, lso st luke's

bach: well-tempered clavier book II, preludes and fugues

cédric tiberghien (pf)


セドリック・ティベルギアンさんは、失礼なことにわたしにとって、アリーナの付録だったんです。アリーナのステキな伴奏者。でも、よく聴いてるうちに、彼かっこいいし、ピアノがとってもステキなことに気がついてきました。ソロの音楽会があったら聴きに行きたいなって思うくらいに。確か、去年か一昨年のシーズンにサウスバンク・センターで音楽会をしているのだけど、そのときは聞き逃して、いよいよ今日が初めて。本当は、3週間前の音楽会だったのだけど、ご病気(怪我だったかしら)のため、今日に変更になったのです。LSOセント・リュークでのランチタイム・コンサート。
バッハのシリーズの一環なので、バッハ。平均率の第2巻から、長調の音楽を抜粋して。

お昼の空気にカタカタと鳴るバッハはなんだか心地良いな。平均律の前奏曲とフーガは、きちきちと書かれているような気がして、実はわたしのバッハ苦手理由になってるんです。音楽としては均整がとれてて美しいと思うけど、ちょっと息が詰まるというか、日本の華道とか茶道とか書道とかの’道’が苦手なわたしとしては(華も茶も書も大好き)、ちょっと心配。

でもさすがいい加減なフランス人!いい加減なわたしと波長が合うんです。なんて言っちゃっていいのか?
セドリックさんは、静かに脈動する血管が命の証のように、音楽をほんのささやかな伸縮をもって演奏したんです。縦線をきっちり等間隔に演奏するのではなくて、ほんのちょっぴり、気づかれないくらいに、伸び縮みのある呼吸をするのですね。その加減がわたしの体の脈動にピタリとあってステキな感覚があったんです。生きているバッハ。
セドリックさんの音は、透明で硬質。ビー玉のような弾けるような硬さがあるので、音楽がクリアでたくさんの音が重なっても音の隅々まで見えてくる感じ。バッハの楽譜が絵になるように。

セドリックさん、楽譜を見つめながら弾いていました。その横顔のきれいなこと。ハンサムな人だけど、横顔が輪をかけてハンサム。ああ、セドリックさんの横にずうっといたい。ずうっと彼の横顔観て過ごしたい。

アンコールは多分、ニ短調の前奏曲。お昼時の音楽会は平やかな気持ちを残して終わりました。
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by zerbinetta | 2012-05-31 00:18 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)