カテゴリ:随想( 119 )   

鳥獣戯画版「トリスタンとイゾルデ」(第3幕作りました)   

勢いに余ってこんなの作ってみました。
鳥獣戯画版「トリスタンとイゾルデ」。元ネタはここです。

c0055376_21591713.png


第1幕
c0055376_21595361.png


第2幕
c0055376_2202898.png

c0055376_2204211.png

c0055376_22134.png


第3幕
c0055376_21535311.png

c0055376_21544472.png

c0055376_2155477.png

[PR]

by zerbinetta | 2015-11-13 21:58 | 随想 | Comments(2)

ファン参加型イヴェント 究極の(妄想)プログラム!   

自慢してもいいですかーーーーーー!
おお、フォントサイズ大、しかも赤字で。
音楽マネジメントのジャパンアーツさんがツイッターで応募していた、今、日本をツアー中のサロネンさん、フィルハーモニアにやって欲しい究極のプログラムを考える。残念賞をもらいましたーーー。
サロネン賞は逃したけど、次点でした。サロネンさんのステキなコメントが貰えて超嬉しい!
それにしても楽しい試み。企画のジャパンアーツさんとサロネンさん、フィルハーモニア管弦楽団には心からありがとうを言いたいです。

わたしのプログラムは、

マーラー:交響曲第10番 アダージョ
ベルク:「ルル」組曲
休憩
武満徹:「セレモニアル」
ショスタコーヴィチ:交響曲第15番

でした。過去を振り返りつつ未来を(多くの場合断ち切られても)見つめている作品を選びました。マーラーの未完に終わった最後の交響曲は、マーラーのパーティセルを基に補完完成された作品の最後は、明らかに未来を見ているし、それはマーラーの手になる楽譜で演奏できる第1楽章も同じです。音楽もかなり20世紀に踏み出しています。
ベルクの最後の未完のオペラ「ルル」からの組曲も、特に最後、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢が、女性の権利のために戦う決心をしたところで殺されて幕。そんな未来への思いと断ち切られた希望です。
武満の「セレモニアル」にはそんな直接的なメッセージはないけれども、奈良時代からの楽器、笙を使った音楽は時を漂うように過去から現在、さらに未来へとたゆたっています。
お終いのショスティの最後の交響曲は、子供の頃の思い出を振り返りつつ、最後は彼岸へと向かっています。この未来は、謎めいてるけど、それは現在のわたしたちが持っている未来への不安とシンクロするとても現代的な問題を孕んだ作品だと思います。答えをどう見いだすかは、わたしたちひとりひとりの問題へと還ってきます。音楽はそれに答えを出すでしょうか?

武満の作品が、ちょっと異質なんですが、日本人の作品はどうしても入れたかったし、他に思いつく作品がなかったんです。後から考えてたら、例えばシベリウスの「タピオラ」やヤナーチェクのオペラ「利口な女狐」の最終場面もふさわしいかなっても思いだしてきて。それかドビュッシーの「聖セバスチャンの殉教」の交響的断章。どれもショスティーの交響曲の前に置くには、大きすぎるんですけどね。

それにしても今回、一番嬉しかったのは、サロネンさんがわたしの意図を正確に理解して下さったことです。もうわたしとサロネンさんは音楽でつながってる?なんてファンとしてはうししな状態。狂喜乱舞したのはもちろん、ずうっとにやけてました。

実は、妄想音楽会のプログラムのペイジを立ち上げようとしばらく前から音楽会のプログラムをいろいろ考えていました。こちらはシーズンの音楽会なので、今回のような1回の完成された音楽会とは違うんだけど、最初は、この中からお気に入りのを改変して応募しようかと思っていました。それは、聖杯のプログラム。

ワーグナー:舞台神聖劇「パルジファル」から前奏曲と聖金曜日の音楽
スクリャービン:交響曲第3番「神聖な詩」

スクリャービンを聴きたいからなんですけど、シーズンの中の1プログラムなので究極のプログラムにはストレイト過ぎてちょっと弱い。そこで、スクリャービン、メシアンの移調の限られた旋法つながりにして、さらに鳥シリーズ。と言うことでちょっとひねったのが、

メシアン:コンセール・ア・キャトル
吉松:ピアノ協奏曲「メモ・フローラ」
休憩
スクリャービン:交響曲第3番「神聖な詩」

吉松さんのピアノ協奏曲は、メシアンでピアニストを使うのでもったいないから入れました(結構現実的w)。聖杯から迷い出て旋法的な雰囲気と鳥のさえずりになってしまったんだけど、曲に力がないので没。1回のんきに聴くには良いプログラムだと思うんですけどね〜。きれいな曲だし。
それにしても聖杯のプログラムでは、サロネン賞に選ばれた日本フィルハーモニー交響楽団さんのプログラムが、ほんと1本取られた感じで素晴らしかったです。サロネンさんもべた褒めしてるけど、シベリウスの交響曲第7番を組み合わせるのがもう目から鱗。この発想はすごい!

最後まで迷ってもうひとつ没にしたのは、

ウェーベルン/バッハ:リチェルカーレ
ベルク:ヴァイオリン協奏曲
休憩
リゲティ:ルーマニア協奏曲
シェーンベルク/ブラームス:ピアノ四重奏曲

時間を超えた音楽のつながり。とても気に入ってたんですが、ブラームスの民族色とリゲティのそれを対比させた後半が(リゲティが過去の芸術作品の換骨奪胎じゃないゆえに)弱いかなって思います。シェーンベルク/ブラームスの作品、サロネンさんの指揮でぜひ聴きたいのですが。

サロネンさんの近現代ものがとてもステキなので、そして、近現代ものの方がプログラムを組みやすいので、どうしても近現代ものが多くなりますね。でも、ベートーヴェンもとても良かったし、ハイドンなんかも生き生きと演奏しているので古典も聴きたいです。古典を含めたプログラムを考えられなかったのは力不足。残念。

ひとつの(究極の)プログラム。もっと素直に自分の今一番聴きたいものを選ぶのもありでしょう。「トリスタンとイゾルデ」なんかはもう一度聴いてみたいし、「グレの歌」も聴きたい。何なら「パルジファル」の演奏会形式、全曲も。思い入れの強いプログラムは魅力です。でも、いくつもの中から誰かがひとつ選ぶとすると、個人的な好きなものを選ぶというのはある意味不公平で、客観的な理由が必要です。そういう意味で、ひとつの軸を元に練られたプログラムをうんうんと考えました。これがすごく楽しいのね。コンセプト、曲の組み合わせ、いろんなアイディアが湧き出てきて(たいていはボツですけど)、いくらでもしゃべってられる。実際、一緒に考えた仲良しとは口角泡を飛ばして議論し合いました。言葉でちゃんと説明できる一晩中でも議論を交わすことのできる論理的な創造が音楽会のプログラムの中に、そしてそこでなされる演奏の中に聞こえるのが、究極のプログラムの音楽会なんですね。

♫♫♫

ツイッターやフェイスブックなど、双方向のSNSの時代になって音楽家やホール、マネジメントとファンとの距離が近くなってきたように思います。ただまだ、積極的にSNSを使ってファンとのコミュニケイションを行っているところもあれば、残念ながら一方的に情報を流すだけのところもあります。今回のジャパンアーツさんの企画は、とても面白かったし、音楽会への期待も高まり宣伝にもなった好企画でしょう。答えの返ってくる場所や参加できる企画を喜ぶファンも多いに違いありません。これからも、楽しいイヴェントをどしどしやって欲しいと思います。音楽会、盛り上がっていきましょ。
[PR]

by zerbinetta | 2015-03-04 15:12 | 随想 | Comments(6)

アマチュア・オーケストラの音楽会で3つの気づいたこと(ゆるやかな提案)   

アマチュアのオーケストラの音楽会に通い始めて気がついたことがあります。それはプロのオーケストラでは気がつかなかったので、きっとアマチュアだからなんだと思います。音楽とはあまり関係ないことなんですが、ちょっと気になったし、気をつければすぐに良くなること(とわたしは思う)なので、ちょっと書いてみますね。上から目線っぽくてごめんなさい。こんな風に思ってる人もいるんだ、と考えてくれれば幸いです。

まずは、指揮台に置かれた譜面。1曲目は開いてることが多いのだけど、2曲目以降、休憩のあとの1曲目までもが閉じてることが多いんです。指揮者がペイジを開く。プロのオーケストラの場合(実は、東京のオーケストラは遠くからしか観ていないのでちょっと心もとないのだけど、ロンドンのオーケストラは)、楽譜係の人が、オーケストラが揃う前に(休憩後のは休憩後)全ての譜面を開けて準備します。わたし、その方がいいと思うんです。その方がスマートだし。細かなことだけど。

2番目は、ステージから聞こえてくる音楽以外の音。プロでは気になったことがほとんどなかったので、これもきっとアマチュアだからかな。弾く前に、弦を引っかけちゃうのは技術的なことなのでしょうがないけど、管楽器の唾抜きの音とか、ミュートを置く音とか、楽器をいじる音とか。そんなのが演奏中、静かなとこで聞こえてくるのは、お客さんが不必要にごそごそするのと同じで興ざめですよね。

最後は、具体的じゃないんですけど、弾き方とか。やっぱり、音楽を楽しんで弾いて欲しいんですね。楽譜が目に刺さるほどじいっと見つめて弾くんではなく、指揮者を見たりコンサートマスターを見たり、まわりとアイコンタクトをしながら、全身で(多少お行儀が悪くなってもいいから)アンサンブルしたら見ていて気持ちがいいと思うんです。これはもう、一流のプロのオーケストラの弾き方を真似して、形から入るのもいいのではと。なんか最近の研究で、音を聴かせるよりも音を消して演奏する映像を見せた方が、オーケストラの上手い下手が当たるというのがあるんだそうで(出典は忘れてしまいました。確かイギリスの新聞)、見た目も大事って思うんですよ。演奏後の拍手の受け方とか、やっぱりかっこつけて欲しいしね。奏者の皆さんが後ろの人まで満足した顔でいるのを見るとこっちまで良かったねって思えちゃうもの。ぜひ、プロのオーケストラの音楽会に足を運んだり、テレビやネットで観たりして、音だけじゃなく見せ方も研究してみて欲しいです。もちろん、音楽の(演奏)の中からそういう仕草が自然に生まれてくるのがゴールなんですが。

あと、蛇足ながら、音合わせのオーボエ、しっかり練習すると、おおっと思わせるかもよ。

以上、些細な気づきでした。上から目線でごめんなさい。
[PR]

by zerbinetta | 2014-03-21 16:41 | 随想 | Comments(2)

カルフォルニア・ロールなベートーヴェン、もしくはたらこスパゲティー・モーツァルト   

今や世界は(といいつつ主に欧米)、日本食ブーム。少し大きな都市なら、日本食レストランはたいていあるし、「ワタシ、ニホンショクダイスキデース」と言う外国人で溢れてる。でも、たいていは地元の嗜好に合わせたなんちゃって日本食。日本で食べるのとほとんど同じのを食べられるのはスタッフが全員日本人っていう高級店にほぼ限られちゃう。多分、反対も真。日本で食べられている外国料理は、たいていは日本人の舌に合わせてる。お客さんのほとんどは日本人だし、どんなにがんばっても全部本国と同じ材料を常に手に入れるのは難しいから。
音楽、特に集団のオーケストラとか、言葉が肝になる歌手とかも同じだと思うの。日本人が演奏する、西ヨーロッパのクラシック音楽ってヨーロッパの人が聴いたら、なんちゃってクラシック。酷いこと言ってるような気がするけど、
外国のオーケストラが演奏する武満徹の音楽って、どこかしっくり来ないよね、日本的な曖昧さがなくなってるみたいな。なんて、無意識に言っちゃったりときどき聞くよね。ということは、日本のオーケストラが演奏するベートーヴェンは、ドイツの人からみるとどこかしっくり来ないに違いない。武満の方がよっぽど国際的な作曲家だから、況んやローカルなベートーヴェンをや、だよね。食べてるもの違うし。

でも、だから、日本のオーケストラで本物(?)のクラシック音楽は聴けない、なんて言ってるのではないのよ。
だって、その国でなんちゃって外国料理が好まれてるのには理由があるはずだし、本物の外国料理が好きって胸を張って言える人はほとんどいないんじゃない。っていうか、本物に親しんでる人ってごくわずかだというか、本物って知らない人が大多数。音楽も同じ。いったいどれくらいの日本人が、「本物」のベートーヴェンを知っているのでしょう?ベートーヴェンの国に住んで日常的に地元のオーケストラの演奏を聴いているのならいざ知らず、いくらフルトヴェングラーのCDでベートーヴェンに精通していても、決して「本物」が分かるとは言えないもの。CDには音しか入ってないんだから。日本で本国から来るのオーケストラでベートーヴェンを聴きまくっていても、それは「本物」を本当に知ることにはきっとならない。日本でもウォーカーズのショートブレッドは買って食べることができるでしょうけど、それは、イギリスでそれを食べることとは感覚が全然違う。これはもうどうしようもない。

っていうか、「本物」ってあるの?
わたしは、カルフォルニア・ロールが大好きだけど、これって江戸前寿司ではないけれども、外国が生んだお寿司の傑作だと思うんです。そういう意味では「本物」を超えた(言い過ぎw)というか「本物」だと思うの。
外国でだって、文化の違う環境でだって、本物以上にステキな音楽は、注意深く大胆に、意識を持ってなされれば生み出すことができるはず。そういう音楽を日本のオーケストラに期待したいのです。
日本人の好みに合った和のテイストの入ったベートーヴェンがあってもいいと思うんです。そんなことを言うと、権威のあるクラシック音楽ファンからは白い目で見られそうだけど、日本のオーケストラの多くはそういうものを目指していった方が良いんじゃないかなって思います。そしてそれが、カルフォルニア・ロールが世界を席巻して、さらにUSから日本に入ってきてお寿司屋さんのメニュウに定着したように、日本風のベートーヴェンがいつか本国でも評価されれば嬉しいなって思うんです。だって、ベートーヴェンの音楽は、時代を超えて国境を越えて生きてるんだもの。
大事なことだから繰り返して言うけど、日本のオーケストラ(の多く)は和のテイストを生かした音楽を目指してみるのがいいんじゃないって、今のわたしは思います。

(音楽の「本物」問題はわたしの中で揺れてるのであっさり意見が変わるかも知れないけど・・・)
[PR]

by zerbinetta | 2013-11-05 23:43 | 随想 | Comments(1)

マーラー 2部からなる交響詩 1889@ブダペスト   

マーラーをちょっぴりかじったクラヲタさんなら、交響曲第1番に「巨人」というニックネームが付いてること「いや、それは間違い。交響詩から交響曲にしたときに「巨人」というタイトルは省いた(事実ではない模様)」と言って文句を言ったり、うんちくを披露したりするかもしれませんね。そう、現在、普通に演奏されている交響曲第1番は、4楽章でタイトルはありません(ただ、「巨人」のタイトルは広く受け入れられてるし、ちなみに国際マーラー協会のウェブ・サイトにも交響曲第1番(ニ長調)「巨人」とあります)。これは、1896年ベルリンで初演されて、そのあともマーラーがオーケストレイションに手を入れた版(最初の出版は1899年)ということになります。
そこに「花の章」という小さな独立した楽譜があるのでこんがらがっちゃうんです。「花の章」は、2部5楽章形式の最初の交響詩(1889年、ブダペスト)とその改訂版の「巨人」、交響曲形式による音詩(1893年、ハンブルク)の第2楽章で、後に4楽章形式の交響曲になるときに取り去られました。各段階でオーケストレイションはだいぶ変わってるので、だから、最終的な4楽章の交響曲に、うっちゃっておかれた「花の章」を挿入して演奏するのは、古くなったキッチンをリフォームしてオール電化にしたのに捨てておいたガスコンロを電磁調理器の上に置いちゃうくらいの違和感なのね。「花の章」の楽譜が見つかって出版された頃は、そういう録音もあったけど(そういえばつい最近のユロフスキさんとロンドン・フィルのも。あのときのがっかり感ときたら)、今はちゃんとハンブルク稿の「巨人」のCDが出てる(細かいことを言えば、この版でマーラーは2回演奏しているので厳密にハンブルクで演奏した楽譜に基づいているのか2回目のワイマールでの演奏(このときのタイトルは交響曲「巨人」)に際して行われたと思われる改訂も入ってるのか、マニアックなことを言い出したら切りがないんだけど)。そうそう、交響曲第1番の解説によく書かれている、各楽章の表題、例えば「座礁、カロ風の葬送行進曲」とかは、この版で採られたもので、前身の交響詩にも、あとの交響曲にもないものなんですね。

で、その前の交響曲第1番の完全オリジナル稿である1889年(明治22年だって)のブダペスト稿は楽譜が見つからず、ハンブルク稿の下書きにちろっと残ってるペイジを見て想像するしかなかったんです。この前までは。でも最近楽譜が見つかったんですよ。カナダのアルノルト・ロゼ・コレクションで(ロゼはマーラーの甥)。90年代に見つかったそれは、但し、第1楽章と第3楽章(スケルツォ)とフィナーレ。第2楽章(のちの「花の章」)と第4楽章(葬送行進曲)はなかったんですね。でも、発見された草稿を元に演奏可能な楽譜を起こして、既存の(ハンブルク稿)の「花の章」と第4楽章を組み合わせて、ブダペストで演奏されたのと可能な限り近い形で演奏されたのでした。
この版の制作に関わったのは、NEC(ニュウ・イングランド・コンセルヴァトワール)の音楽学者カタリナ・マルコヴィックさん、NECの作曲科の学生クリスト・コンダッキさんと指揮者のヒュー・ウルフさん。2011年の夏のことです。そしてその年の9月に、ウルフさんの指揮、NECフィルハーモニアの演奏でアメリカ初演、放送初演が行われたんです。アメリカ初演ということで、その前にどこかで世界初演が行われているはずなんですが、いろいろ調べてみたけどそれがいつどこなのかは分かりませんでした。
マーラーの記念年に行われたこの初演。なぜかそんなに話題にならなくて。。。そう言えば、80年代に日本で行われた、「大地の歌」のピアノ版の初演もあまり話題にならなかったような。ともあれ、なんでこんなに興味のあるイヴェントが秘やかに行われちゃったのか、もったいなすぎ。マーラー好きを自任する人は、特にうんちく好きの人は、ぜひぜひ聴かれるといいと思うんですよ。幸い、ネットの中に音源が残ってるんですもの。特に第5楽章(フィナーレ)は、今まで聴いたことのない音楽でびっくりですよ。最初の主部に入る前のトランペットによる主題の断片提示に被さるホルンのロングトーンのかっこいいこと♡それにびっくりするような始まりの再帰。トランペットの偏愛ぶり。あああ、もう止しましょう。ぜひ、ご自分の耳で驚いて下さいね。

演奏はもちろん、ウルフさん指揮のNECフィルハーモニア。オーケストラは学生オケだと思うんだけど、とてもいい演奏なんですよ。これ、商用CDにはならないのかしらねぇ。もったいない。
ではどうぞ。

この版に関するウルフさんのインタヴュウ(英語)
2011年9月26日の音楽会(ドンファンと2部からなる交響詩)の音源
同じ音楽会の映像(マーラーのみ)、前半後半
[PR]

by zerbinetta | 2013-10-26 23:39 | 随想 | Comments(0)

アリーナとセドリックの来日公演を勝手に応援する   

いよいよ今週末、来週と名古屋と東京でアリーナ・イブラギモヴァさんとセドリック・ティベルギアンさんのリサイタル、3夜にわたるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会がありますね。日本でアリーナのマネージメントをしているユークラシックさんや王子ホールのサイトに彼女のインタヴュウやエッセイが掲載されていました。キーーッ、何でアリーナのことたくさん聴いてるわたしにエッセイ書かせないのーー、なんてじたばたする。はずもなく素人のわたしも勝手にアリーナとセドリックの日本公演を応援することにしました。思い入れだけは人一倍あるから、わたしもちょっと参加してもいいかなって。主観タップリでお目汚しですけど。

アリーナとセドリックのデュオの特徴は、お互いが独立した音楽家で対等であるということ。わたしは、アリーナを協奏曲で初めて聴いたとき以来のアリーナのプチ追っかけでいるのだけど、最初の頃はアリーナのソロやキアロスキュロ・カルテットでしか聴く機会がなくて、アリーナとセドリックのデュオを初めて聴いたときもアリーナの音に耳を集中させていました。でも、よく聴いていくと、セドリックのピアノがアリーナの演奏を引き立てるという以上に、アリーナに仕掛けたり、仕掛けられたり丁々発止の音楽的な対話をしているのに気がついたんです。1+1が3にも4にもなるような、化学反応というより核反応。聞き耳を立てて聴くと、セドリックが痒いところに手が届く演奏をするだけではなくドキリとするような音を弾く瞬間にぞくぞくするの。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタは、だからアリーナを聴くんじゃなくてアリーナとセドリックのスリリングな音楽を聴くんです。そしてその空気感はライヴでしか伝わらないことも多いと思うの。わたしも日本での演奏曲目であるベートーヴェンのヴァイオリンソナタのCDを持っているけど、そのうちの2つは、あの会場で聴いていたという幸運に恵まれています。会場が熱くなるようなエクサイティングな音楽。でも、CDで聴くと同じ音なのに何かが物足りないんです。そこに記録されている演奏はとても素晴らしいし、CDは愛聴版なんだけど、会場での音楽は遥かに凄かった。そんな機会を日本でも持てるなんてなんて幸せなんでしょう。

アリーナとセドリックは若い!だからちょっと目を離したすきに、ぐうんと進化します。アリーナとセドリックでラヴェルやルクーのソナタを3回聴いたけど、毎回少しずつ変わってきて、日々変わっていく音楽を感じることができました。バッハの無伴奏の大きな深化は驚異的です。最後に聴いた去年の演奏はCDで聴かれるのとは全然違う畏敬の念すら感じさせる、宇宙の真ん中にいるような音楽でした。そのとき「CDのとは全く違うさらに素晴らしい演奏でした」と感想を述べると、「そうでしょ」と、してやったりの表情を浮かべていたアリーナが印象的です。

アリーナとセドリックは、同じ頃、BBCのニュウ・ジェネレイション・アーティスト・スキームをもらっていて、そこからデュオが始まってる。2005年。だからおふたりは若くてももう長く組んでいる成熟したパートナー。最強のパートナーと言って良いでしょう。こんなに長くパートナーを組んでるのはムターさんとオーキスさんくらい?おふたりの音楽の相性がいいんでしょうね。

アリーナもセドリックもライヴの人。CDには収まりきれない音楽と即興性がある。ヴァイオリンを弾くアリーナの集中力にはすごいものがあります。弓の毛を何本も切りながら髪を振り乱してがしがし弾いたり(わたし的にはナンバーワン弓の毛切りすと)、すうっと伸び上がるように柔らかな高音を弾いたり、最近は低音もものすごくグラマラスになってきました。セドリックも意味ありげに誘うような音を入れたり、アリーナ以上にエキサイティングに盛り上がったり、さりげなく柔らかな和音を弾いたり。音楽は音だけで楽しめるものではないんです。耳と目と体全部で体験する芸術だということをおふたりは否応なく教えてくれるでしょう。

ロンドンのウィグモア・ホールでもチケットを取るのが困難な音楽会です(そのこと自体がとても珍しいのです)。
だから、ベートーヴェンのソナタは彼らのCDを持ってるし、と欠席を決め込んでいたらもったいなさ過ぎ。CDで知ってる人も、まだ知らない人もぜひ、聞き逃してはいけない音楽会です。ちょっとでも興味を持ったらぜひ。きっと、CDに満足している人ももう一度録音して〜〜と叫びたくなるような演奏が聴けるはずです。東京の方は、最後の日はもうチケットが残っていないみたいだけど、「春」も「クロイツェル」もない1日目の音楽会が一見地味なプログラムだけど、彼らの良さが一番出るプログラムだと思いますよ。
(ちなみに女子的にはセドリックはイケメンさんですよ♡ウフ。そしてアリーナはとってもかわいらしい人です)
何年か前に、「今度はぜひおふたりで日本に来て下さい」ってお願いしてみたことがついに実現です。ワクワクしています。
[PR]

by zerbinetta | 2013-09-09 13:57 | 随想 | Comments(2)

ハイ・インパクト・ファクター・メロディ   

とっても小さなニッチのマニアックな世界では、インパクト・ファクターというのを人々の価値を決める物差しのように一喜一憂したりする人間喜劇が演じられてるのだけど、その他大勢のごく普通の人にとって、全くどうでも良いというかその存在さえも知られていない、インパクト・ファクター、それは、ある人の仕事がどのくらい他の人の仕事の中に引用されたかによって数値化される基準なの。少しわかりやすい例で言えば、グーグル検索で表示される順番が(多分今はもう少し賢くなってると思うけど)、そのペイジ(サイト)が他のサイトからリンクされてる数の多い順に並んでいるのに似ているのかもね。それはそれで、一部のウェブ・サイトを作る人にとって一喜一憂の数字なんだけど。要するに、引用(リンク)されているのが多い方がより重要だってこと。事実を映していないくせに単純で明快な分かりやすい数字。

これをクラシック音楽のメロディで考えると、やっぱり、ハイ・インパクト・ファクター・メロディは、この間挙げた、グレゴリオ聖歌の「怒りの日」ということになるのでしょうか。
でもそれだけじゃつまんないので、もっと探ってみましょう。

あんまり適当に引用すると、パクリとか、著作権は、とか怒られそうだけど、クラシック音楽には、編曲という形でメロディを使うとか、〜の主題による変奏曲とかって他人のメロディを大手を振って使うことができるのです(とは言え、最近のより厳密になった法律上はどうなるのか分からないけど。例えば、作曲家がサザンオールスターズの「愛しのエリー」による変奏曲とか黙って書いたら著作権法に違反するのかしら?昔の音楽であるクラシック音楽には、もちろんそんなめんどくさい法律の話はなかったわけで、ベートーヴェンがモーツァルトが書いた主題で勝手に音楽作ったり、むしろ、たくさん引用された方が、インパクト・ファクターが高くなるように、名誉のあることだったのかも)。

「怒りの日」(は、ミッキーマウス保護法が際限なく改正されたとしても著作権は切れてますね。600年も前の作品だし、作者も不詳だし)
と双璧のハイ・インパクト・ファクター・メロディは、パガニーニのカプリース、中でも第24番だと思います。パガニーニは天才ヴァイオリニストにして作曲家、音楽会が’現象’になるほどのアイドル。カプリースは独奏ヴァイオリンのための曲集です。
この前書いた、ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」が引用したパガニーニのメロディは、このカプリース第24番だし、ブラームスの「パガニーニの主題による変奏曲」(ピアノ)もそう。他の番号のも含むのでは、リストの「超絶技巧練習曲」や「大練習曲」(ピアノ)やシューマンの「練習曲」(ピアノ)が有名かな。このおふたりは実際にパガニーニの演奏を聴いて感化されたみたいだし、リストなんて、「ピアノのパガニーニになる」なんても言ってる。そう言えば、リストの有名な「ラ・カンパネラ」も、パガニーニのヴァイオリン協奏曲のメロディが元ネタですね。シマノフスキの「3つのカプリース」(ヴァイオリンとピアノ)は、有名じゃないけどとろけるようで大好き。一番好き♡
パガニーニと同じヴァイオリン独奏の超絶技巧曲は、クレーメルさんにその名も「ア・パガニーニ(パガニーニへ)」というCDにあるように、往年の名ヴァイオリニスト、ミルシュテインによる「パガニニアーナ」やシュニトケの「パガニーニへ」、ジョージ・ロックバーグの「カプリース変奏曲」。最後の「カプリース変奏曲」は、ベートーヴェンとかマーラーとかいろんなスタイルで書かれてるので面白いです。
もちろんこの他にも、ルトスワフスキー(ピアノとオーケストラ)やカッゼラ(オーケストラ)、ブゾーニ(ピアノ)等、枚挙に暇がありません。実はわたし、前に、パガニーニの旋律を引用している作品を集めようとしたことあるのよね。もちろん!すぐ挫折したけど。

ね、パガニーニってハイ・インパクト・ファクター・コンポーザーでしょ。
でも皮肉なことに、当のパガニーニは、人から真似されるのを嫌がって、楽譜を自分で管理して、リハーサルのときも直前に配って終わったらすぐ回収するとかしてたらしいです。こんな状況を天国で見ているパガニーニは苦々しく思ってるのでしょうか。作曲家が鬼籍に入るたびに、「おいブラームス。俺の曲を勝手に使っただろ」って怒ってるのかしらねぇ。
[PR]

by zerbinetta | 2013-08-29 23:13 | 随想 | Comments(0)

怒りの日とラフマニノフ   

この間、ラフマニノフを聴いたのでなぜかラフマニノフづいています、単純なわたし。
ラフマニノフって甘美なメロディが耳に残る甘いお菓子のような作曲家と目されているところがあるけど、わたし的にはかっこいい曲を書く作曲家。交響曲第3番とかチェロ・ソナタとか一瞬めちゃくちゃかっこいい。そしてそれはかっこいいとしか形容できないようなかっこよさ。そういう音楽を書いた作曲家って意外と少ないのよね。もちろんわたしの勝手な感じなんだけど。

そして、ラフマニノフと言えば、グレゴリオ聖歌の「怒りの日」の旋律。レクイエムで「怒りの日」と言えば、大盛り上がりに盛り上がる(?)曲だけど(モーツァルトとかヴェルディとか)、グレゴリオ聖歌の方は、単旋聖歌だし、静謐な感じだけど、夜に聴いたら何かが出てきそうなおどろおどろしい感じ。
この有名なメロディは、ベルリオーズの「幻想交響曲」で原型に近い形(しかも裸)で引用されてるのが有名だけど、他にも、リストやサンサーンスの「死の舞踏」、チャイコフスキーの「マンフレッド」交響曲の最後にもわんと浮き上がってくるカタルシス、マーラーの交響曲第2番、「嘆きの歌」もかな?、ミャスコフスキーの交響曲第6番。いきなりバッハかと思うイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタの第2番。秘やかに目立たないところでは、ムソルグスキーの「禿げ山の一夜」とか「死の歌と踊り」、オネゲルの交響曲第3番「典礼風」。探せばきっともっといっぱいある。

「怒りの日」の出てくるラフマニノフの曲は、まず(きっと1番有名なのは)、パガニーニの主題による変奏曲。この間聴いた「交響的舞踏」。ラフマニノフの「怒りの日」好きは若い頃からで、交響曲第1番にもしっかり引用されてますね。それから、交響曲第2番と3番にも。そして「死の島」「鐘」。ピアノ曲はわたしはあまり知らないけど、作品39の「音の絵」。
これだけの頻度でこの旋律を引用している作曲家って他にはいないでしょう。よっぽどお気に入りなんでしょうね。それとも取り憑かれた?
最後の審判なんてわたしやだよ〜。わざわざ起こさないで、お墓の中で安寧の眠りをむさぼらせて欲しいよ。復活するより寝てる方がいいもん。
[PR]

by zerbinetta | 2013-08-21 23:08 | 随想 | Comments(0)

種をまき花を咲かせる アバドさんと若いオーケストラ   

アバドさんは大好きな音楽家のひとりです。生で聴いたことは少ないけど、ほんとにステキな神がかった魔法のような音楽をするひとりです。ミューズの神さまに選ばれたひとりですね。

アバドさんは、スカラ座やロンドン・シンフォニー、ウィーン国立オペラ、ベルリン・フィルの音楽監督を歴任したり、指揮者としてエリート街道を歩いてこられた方だけど、ベルリン・フィルを勇退したあとは、ルツェルン音楽祭の祝祭管弦楽団の監督になってオーケストラを改組して、彼を慕う仲間たちと新しいスーパー・オーケストラを作ったり、絶好調の悠々自適。今一番、音楽が充実してるんじゃないかしら。

アバドさんの足跡として、でも、一番目覚ましいとわたしが思うのは、若いオーケストラとの共同作業。EC(いまはEU)ユース・オーケストラの設立当時から関わっていたし、その発展型としてヨーロッパ室内管弦楽団を作ったり、さらには、グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラを作ったり、その発展系としてマーラー室内オーケストラを作ったり、最近ではオーケストラ・モーツァルトを作ったり。自分で作ったオーケストラではなくても、シモン・ボリバル・オーケストラとも積極的に共演してますね。これだけ、若いオーケストラを作った指揮者は他にはいないんじゃないかしら。
そしてアバドさんの凄いところは、作ったオーケストラのどれもが一流のオーケストラに育っていること。ヨーロッパ室内管しかりマーラー室内管しかり、オーケストラ・モーツァルトもすでに上手い。もちろん、アバドさんをしたって若い優秀な音楽家が集まってくるということもあると思うんだけど、団員をどうやって選考してるのか(多分若い人たちだから今の実力だけじゃなくてポテンシャルもしっかり見ているような)、どんなトレーニングをしているのか、どんなリハーサルをしてるのか、きっと素晴らしい方法論を持っているんじゃないかと、そのヒミツに興味がはち切れます。

アバドさんが最も最近作ったのはボローニャのオーケストラ・モーツァルト。ボローニャは、北イタリアの要の都市。食いしん坊のわたし的には、パスタのボロネーゼ(いわゆるミートソース)やボローニャ・ソーセージの方がぴんとくるんだけど、この辺、エミリア・ロマーニャは美食の地域。チーズにワイン、バルサミコ酢など、よだれが出ちゃう。じゃなかった。ボローニャって歴史ある都市だけれども人口は40万人弱。そんな小さな、日本で言ったら仙台とか札幌とか松山とかそんな感じ(?)、町に世界に名だたる若いオーケストラが作れちゃうのよ。アバドさんのマジックも凄いというか、うらやましすぎて、日本でもそんなのできないものかと思っちゃう。日本でやるとしたら、世界に名の通ってるカリスマ的な指揮者って小澤さんしかいないのかなぁ。それか、この間のPMFから常設のオーケストラができないかしら。いつも世界に羽ばたけ日本の音楽家って言ってるけど、同時に日本ではばたけ世界の音楽家って叫びたい。そんな魅力的な音楽の国になれないかしら。
[PR]

by zerbinetta | 2013-08-03 21:43 | 随想 | Comments(0)

ブラヴォー屋   

日本に帰ってきて東京の音楽会をいくつか聴きに行って気がついたこと。
声の良いブラヴォー。
ってか、どの音楽会に行ってもいつもブラヴォーがあるのが不思議。もちろん音楽の感じ方は人それぞれだから、それぞれの演奏にブラヴォーがあっても不思議じゃないんだけど。。。
でも、全部の音楽会にデフォルトでブラヴォーがあるのって?(きょとん)。わたし的にはブラヴォーは、ある程度特別な演奏だし、お客さんの反応がなんだかいつも画一的に(さえ)思えちゃうのよね。拍手するときって、わたしたちが演奏者に感謝したり、思いを表現したりする場所だから、もっと幅があった方がいいと思うんです。ブラヴォー叫んでる人、上手いんだけど(練習してる?ブラヴォー屋さん?)、いつも同じように叫んでるように思えるんだもの(同一人物?)。拍手だって、演奏が駄目だと思ったら遠慮なくしなくてもいいし(わたし結構しないよ)、しみいるような演奏だったら染みいるような拍手、ぱっと喜びに溢れるような演奏だったら、パチパチと嬉しい拍手、拍手だってたくさんの表現があると思うんです(わたしはそういうのたくさん見てきたし)。派手やかな曲だったら指笛で盛り上がってもいいしね。
いつもブラヴォーを叫んでる人に、意見する筋合いはわたしはないし、それぞれの思いで良いと思うのだけど、でも、全体として、きちんと演奏を音楽を評価する場であって欲しいとは思うんですよ。それは良い演奏家を育てることにつながると強く思うんだもの。聴き逃げだけではもったいないしつまんない。インターラクティヴな芸術なんですから、音楽は。
[PR]

by zerbinetta | 2013-08-02 23:15 | 随想 | Comments(0)