カテゴリ:日本のオーケストラ( 91 )   

やっと聴けた 三ツ橋敬子/シティフィル   

2015年10月17日 @ティアラこうとう

プッチーニ:弦楽四重奏曲「菊」(弦楽合奏版)
ヴェルディ/ヘルマン:弦楽四重奏曲(弦楽合奏版)
プッチーニ:グローリア・ミサ

与儀巧(テノール)、与那城敬(バリトン)
三ツ橋敬子/東京シティ・フィル・コーア、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団


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もう9年くらい前かな。わたしがフランスにいたとき、近所のブザンソンで音楽祭をやっていたので観に行った、指揮者コンクール。小澤征爾さんで有名な(でもその後も何人か日本人の優勝者が出ています。この次の回ではヤマカズさんも!)ブザンソンの指揮者コンクール。受付でもうチケットはありません、入れませんと無下にことわられつつも、会場係の人(掃除の人?)にこっちこっちと言われてただで入れてもらった(フランス・クオリティ)のが、セミファイナル。その中に今日の三ツ橋さんが残っていたのです。コンクールってリハーサルを静かに聴いて点数を付けると思いきや、審査員の人たちが、あーしろこうしろと指揮者をいじるいじる。恐〜い。残念ながら、三ツ橋さんはファイナルの3人には残れなかったんだけど、いつか聴いてみたいと思っていました。しばらくイタリアで活動していて最近は日本のオーケストラも振っているのかな。何回かチャンスを逃して今日やっと聴けました。

三ツ橋さんのプログラムは、挑戦的。オペラ作曲家のほぼ知られていない、オーケストラ作品(とは言え2曲は弦楽四重奏曲を弦楽合奏に編曲したもの)。グローリアは、有名なプーランクのだと勘違いしていて、演奏が始まったら全然知らないプッチーニのだったのでびっくり。そんなびっくりプログラムだったけど、会場はいつものようにわりと埋まっていました。シティフィルのティアラこうとう、定期会員が多いのかな。良いですね。

稀代のイタリア・オペラ作家、ヴェルディとプッチーニの弦楽四重奏の元曲はなぜかCDを持っているので知っていました。歌の人らしく、地味だけど(楽曲の編成がそうだからかな)、メロディアスでオペラの間奏曲を聴いている感じ。弦楽四重奏だと線が細くてシャープな感じになるところが、厚みを持った弦楽合奏なのでファジーなところが出てきてよりロマンティックに聞こえます。シティ・フィルの温かみを持った演奏もステキですね。三ツ橋さんも流れに逆らわずさらさらと歌わせるような指揮で、オーケストラを大きくリードしていきます。そんな感じがイタリアン?

プッチーニの「グローリア」は、わたしが勘違いしちゃってたプーランクのとは違って(当たり前!)、オペラの人の本領発揮。恋歌かと思うほど、甘いメロディ満載。まだ、オペラ作家になる前の若い時分の作曲だけど、後の彼の成功を予感させる力作。プーランクの名曲があるとはいえ、全然演奏されないのはもったいないなぁ。クラヲタさん的には隠れた名曲になるんだけど、その中でも小さなニッチェですしねぇ。(隠れた名曲ファンって北欧とかロシアものマニアさんが多いイメジだよね)。でも、聴けて良かった。
シティ・フィル・コーアさんの合唱がなかなか良くて、歌う音楽の本領発揮。反面、男声のソロの役割はあまり大きくないのだけど、ふたりの歌手には、アリアを歌うようにもう少しかっこつけて歌って欲しかったかな。宗教曲の抑制が気持ちの中にあったのかもしれないけど、むしろ素直な歌の音楽だもん。教会の中で恋しちゃうとかもオペラの世界じゃ日常茶飯事だものね。
三ツ橋さんは、大きな身振りでオーケストラをリードしていたけれども、まだ、彼女の棒を完全にオーケストラに伝え切れていないというもどかしさも感じました。もう少し強引にオーケストラを引っ張っていければもっと彼女の音楽を前面に出せるのにと思います。指揮者としてはまだ若造。どこか、小さなオーケストラででも責任指揮者になってオーケストラと一緒に成長していって欲しいな。でも、日本でそういうことは出来ないのよね。イタリアでも他のヨーロッパの国でも、小さな地方のオーケストラからこつこつと始められれば最高なのに。と、いつものように日本人の指揮者のキャリア・パスについて嘆くのでした。次に聴くときは、きっとひとまわりもふたまわりも大きく深くなった音楽を聴かせて下さいね。日本で泥に埋まってしまいませんように。
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by zerbinetta | 2015-10-17 09:58 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

サントリーホール宇宙船になる 下野/読響「ハーモニレーレ   

2015年10月13日 @サントリーホール

ベートーヴェン:「コリオラン」序曲
ヒンデミット:「白鳥を焼く男」
アダムズ:「ハーモニレーレ」

鈴木康浩(ヴィオラ)
下野竜也/読売日本交響楽団

なんかちょっとぼんやりしててね〜。開演直前にホールにふらふらと向かっていたら、当日学生券の方に誘導されてしまった。大人なのに。く や し い

気を取り直して。いつかプロのオーケストラで聴いてみたいと思っていた、下野さん。読響さんで実現です。
まずは、「コリオラン」。厚い弦楽器の音は読響さんらしい充実。ただ、弱音で柔らかな旋律を弾くところで、音量と共に力も抜けてしまったのが残念でした。緊張感を抜いて音をふわりとさせて慰めを意図した演奏だと思うのだけど、力の抜けてしまった音は、膝かっくんされたときみたいに地面に落ちちゃったのよね。弱音でも強い音が出せるようになればもっともっと表現の幅も広がるしいいんだけどなぁ。

初めて聴く、「白鳥を焼く男」は、ヒンデミット特有の無機質感があるかと思えばそうではなく、民謡から採った題材で作曲されてて、とても聴きやすい曲でした。「白鳥を焼く男」から「パルジファル」を連想したんだけど、ちっともそうではなくて、タイトルの元になった最終楽章は、楽しげな俗謡。「子供の魔法の角笛」のようなシニカルな童謡の世界観なのかな。ヴィオラは、読響ソロヴィオラの鈴木さん。ソロとオーケストラとの掛け合いも気が置けない感じでとても楽しい。ステキな曲だし、ステキな演奏でした。良い曲に良い演奏で出逢う、幸せなときですね。

最後は「白鳥」つながり(?)(作品についてアダムズさんは「パルジファル」に言及しています)で「ハーモニレーレ(和声学)」。この曲が日本で演奏されるのは30年ぶり、まだ2回目だそうですけど、でも、アダムズさんは、存命の作曲家なのに、人気があって音楽会でもよく演奏される現代作曲家ですね。大オーケストラを使ったミニマリズムの作曲家と紹介されることもあるけど、確か本人もおっしゃっているとおり、わたし的にもミニマリズムには分類したくない作風だと思います。
「ハーモニレーレ」は、あれ?アダムズさんってこんな感じだっけ?と感じるところもあって、わたしの知ってるアダムズさんとは少し違うと思ったら、初期の頃の作品なんですね。わたしが聴いてきたアダムズさんは、新しめのものが多かったみたい。でも、大オーケストラで奏でられる色彩的で音がレーザー光線みたいに放射される音楽は、巨大宇宙船がカラフルな光を放ちながら宇宙を巡航するようなSFチックな感じ。リズムのずれと重なりに、オーケストラの音色の重なりや配合のずれが加わって、巨大な銀河の渦を現せる様はアダムズさんの面目躍如。読響さんもこういう曲得意よね(とは言え、中の人は数えるのに必死だったかも)という感じで、読響さんのカラフルな音色にピッタリ。サントリーホールがついに地上を離れ、東京の、地球の夜景を外に見ながら宇宙空間に旅立って行く。わたしたちは音の光りを浴びながら宇宙を遊泳して気持ちがいい。途中で、マーラーの交響曲第10番の象徴的なトランペットの叫びが聞こえたとき、びっくりしたけど、あとで読んだプログラムによるとマーラーの書かれなかった交響曲へのオマージュでもあるのですね(アルフォンタスの方はよく分かりませんでした)。

下野さんは、どの曲も的確な指揮でやっぱりステキでした。これからどんどん活躍していくんでしょうね。って、最初にプロのオーケストラでいつか聴いてみたいって思っていた下野さん、と書いて、最後に今思い出しました。この間都響さんと聴いたのでした。うーうーうー、わたしの記憶力の悪さに。。。あああ、情けない。でも下野さんは良い指揮者ですよん。




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by zerbinetta | 2015-10-13 14:29 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

途中で全員入れ替わった アジア・オーケストラ・ウィーク 児玉/大阪交響楽団   

2015年10月7日 @オペラシティ タケミツメモリアルホール

リスト:交響詩「オルフェオ」
ワーグナー:序曲「ファウスト」
ブルックナー:交響曲第9番

児玉宏/大阪交響楽団


アジア・オーケストラ・ウィーク。アジアの普段滅多に聴けないオーケストラが聴けるとあって楽しみにしていたくせにすっかり忘れてしまって、直前にチケット・プレゼントがあって応募したら当たったので聴きに来ました。今年は、大阪交響楽団(ごめんなさい、中国と韓国のオーケストラ。児玉さんをぜひ聴いてみたかったの)。久しぶりのタケミツメモリアル。

大阪のオーケストラ事情を全く知らないので(東京もようよう飲み込めてきたくらいです)、大阪交響楽団がどんなオーケストラか知らないのですけど、堺のオーケストラのようですね。堺というと秀吉の前の戦国時代日本の経済・文化の最先端都市ですね。大好きなくるみ餅がある町。

プログラムは、リスト、ワーグナー、ブルックナーと後期ロマン派爛熟の音楽。ただ、前半の2つは、あまり演奏されない作品。リストの「オルフェオ」は、ハープが指揮台の前。ハープ活躍の曲ではあるんだけど、せっかくハープを目立つところに持ってきたのに、もっとオーケストラを圧倒するくらいに(バランスを崩してでも)弾かせて欲しかったかな。その方が、演奏効果上がると思うんですね。リストの過剰。
ワーグナーの初期の作品(歌劇のじゃなくて演奏会用序曲)もなんかちょっと魅力がないというか、前半の2曲が、あまり演奏されないというのは言わずもがななのかと妙に納得する反面、期待してた(絶賛される方が多かったので)児玉さんってこんなものなのかという疑問も生じて。オーケストラも正直ぱっとしなくて大丈夫なのかと。曲のせいかとも思ったけど、曲の弱点を超えて素晴らしい演奏をする音楽家さんだっているし、大阪交響楽団の活動のひとつのキモってあまり演奏されない音楽も積極的に採り上げるってことらしいから、こういう曲の演奏になれていないわけではなさそうだし。もやもやしながら前半が終わりました。でも、ここでちゃぶ台がえして帰らなくて良かった。

後半のブルックナーは多分、児玉さんの勝負曲。ブルックナーの交響曲を採り上げてきて、とうとう、最後の第9番でその集大成を迎えるという。前半の演奏から凄く心配したんだけど、えええっ、人が変わったの?指揮者をはじめオーケストラの全員が入れ替わってしまったような音。姿形は同じだから魂が入れ替わった?いえ、前半は魂が抜けてた腑抜け?
もうこれが素晴らしかった。悠々としていて何かを仕掛けてくるわけではないんだけど、ブルックナーの音楽だけが聞こえてくるの。演奏効果を敢えて狙ったところがないのにじっくりと聴き入ってしまう集中力が凄い。表情の付け方で、はっと思ったのは、第1楽章の終わりの方の弦楽合奏で静かに奏でられる3連符。なんか、静寂の世界に魂がすうっと引き込まれてしまう感じ。他の部分でも3連符の扱いになんかこだわりがあるなって思いました。これなら、みんなが絶賛するのに納得。もちろんわたしも絶賛。最後の間際のホルンの音(とちってしまった最後の弱音の伸ばしではなくて、その前のフォルテのニュアンス)にちょっと隙があったのが玉に瑕。ミスではないだけに残念。これがなければ超名演だったんだけどな。でも凄いもの聴いた。わたしのブルックナー超名演リストに入れるかどうか悩むぅ。
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by zerbinetta | 2015-10-07 13:21 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

いよいよパーヴォ時代へ ヤルヴィ/N響 「復活」   

2015年10月4日 @NHKホール

マーラー:交響曲第2番「復活」

エリン;ウォール(ソプラノ)、リリ・パーシキヴィ(アルト)
東京音楽大学(合唱)
パーヴォ・ヤルヴィ/NHK交響楽団


兄ビーことパーヴォ・ヤルヴィさんのN響主席指揮者の就任記念公演。マーラーの「復活」の2日目に行ってきました。定期演奏会とは言え、就任記念の特別な音楽会、初日の方が特別感が大きいのかも知れないけど、昨日のアリーナは外せなかったし、2日目の方がアンサンブルもこなれてきていいかなとも思ったり。同じ音楽会が2回とか3回ある場合、何日目に行くのが一般的にいいんでしょうか?

ビューローは「葬礼」(後の交響曲の第1楽章)を聴いて「これが音楽だとしたら、私は音楽が全くわからない」なんて言ったそうだけど、今日わたしは、第5楽章を聴いてこれが音楽かって思った。パーヴォさんの演奏はマーラーの音楽の(構成上の)弱点をそのままにして音楽の外にある強い精神で突き進んだ感じ。音楽の枠に収まらない表現意欲が音楽の世界からはみ出していて。楽譜に書かれてものから音だけを抽出して純粋に表現して素晴らしい音楽に還元する演奏もあるでしょう。が、パーヴォさんは、決して極端なことをしているわけではないのだけど(音のはみ出た面白さだったら去年のシーズンの第1番の方が上でした)、精神世界の(文学的な)表現意欲は、今回が上。それが良いか悪いかは別だし、マーラー自身の音楽がそれについて行ってないがゆえに、音楽が破れかけているということもあったのだと思うんですけど。と、矛盾するんですけど、パーヴォさんの演奏は、決して恣意的な解釈を施した演奏ではなくて、マーラーの楽譜を丁寧に音にしたもの。その結果、マーラーが楽譜に書き記すときにあった心の裡までそのまま音楽にしてしまったということ。特に最終楽章での中二病的な表層は、マーラーの責任。
パーヴォさんは、少し距離を置いて音楽を冷静に美しく鳴らしてる。そのバランス感覚が絶妙。今日の演奏は、一見中庸でありながら(特に美しく演奏された中間楽章は)全然中庸ではない。ものすごく丁寧に作り込まれた音楽。ただそれ故に、もっと熱い音楽をと思う人もいたでしょう。人数をかけた合唱が少し弱かったのがちょっと残念で、最後はわたし自身も、もう少し熱くなりたかった。音楽を超えた力に圧倒されたかった。でも、類い稀な演奏であることもまた事実。パーヴォさんって、音楽の作り方の理にかなった面白さだけではなく、オーケストラの力を引き出すの上手い。響きが濁らずにとてもきれいだし、N響がずいぶん上手くなってると感じるもの。こんなに金管楽器が上手かったっけとびっくりした。パーヴォさんの時代にN響がますます磨きをかけられて良く変わることが期待できそう。わたし的には、主席指揮者じゃなくて音楽監督になって欲しかったけど(N響の事情かパーヴォさん側の事情がそうさせたのかも知れませんが)、パーヴォさんには後々まで語り継がれるN響の一時代を築いて欲しい。蜜月が長く続きますように。


それにしてもパーヴォさんとN響の「復活」。世界的に見ても一流レヴェルの素晴らしい演奏をしたのに、わたしは自慢したいのに、外の国の人は誰も知らない。N響を世界のトップ・レヴェルのオーケストラにしたいのなら、もっとたくさんの人、外国の人にも聴いてもらわなくちゃ。日本国内で放送するばかりではなく、ネット・ラジオやできればオンデマンドで世界中で聴けるようにしたらいいのに(日本のネット・ラジオはNHKも含めて海外で聴けないものが多いんです。反対に外国の音楽会は、ばんばん日本からでもネット・ラジオで聴けるよね)。NHKならそのノウハウも持ってるはずでしょ。やってよ。
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by zerbinetta | 2015-10-04 22:21 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

異次元から来たモーツァルト イブラギモヴァ、ピツァラ、東響 モーツァルト、ヴァイオリン協奏曲   

2015年9月27日 @ミューザ川崎

メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番
ベートーヴェン:交響曲第7番

アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)
パトリチア・ピツァラ/東京交響楽団


アリーナがモーツァルトの協奏曲を弾くというのでチケットを取った東響の名曲コンサート。最近聴きたい度が高まってる東響さんも聴けて一石二鳥。風邪をおしてミューザへゴー。

今日の指揮者は、4年くらい前にデビュウしたばかりのポーランド人のピツァラさん。もちろん日本で振るのも初めて。東響さんよくこんな人探してきたな。大抜擢だよね。さて、どんな音楽をする人でしょう。

始まりの「フィンガルの洞窟」は、海が凪いだり、波が立ったり絵画的な演奏。ただ、音と音の間に見えない隙間があるせいか、少し孤独感を感じもしました。楽しい航海と言うよりちょっと傷心旅行。景色は染みわたるようにきれいなんですけどね。ピツァラさんは、オーケストラにクレッシェンドとかデクレッシェンドとか細かく指示したりしてるんだけど、オーケストラはあまりよく反応していない感じでした。オーケストラの側でも音楽を創ってしまっていたのかな。

そしてアリーナのモーツァルト。今回わたしはステージの後ろ側で聴いていたので、ちょっと独奏ヴァイオリンにはキツイかもしれません。ステージの後ろの席、協奏曲のソリストを聴くのはミューザは少し弱い感じですね。サントリーはわりと音が来るのですが。
アリーナのモーツァルト、どんな風に来るのか、ドキドキだったんです。彼女、ピリオドとモダーンを垣根を作らないで自由自在に行き来するし、でも、同時進行のソナタの相手はモダン・ピアノのセドリックだし、いやでも、何か仕掛けてきそうだ、なんて。ただモーツァルトの音楽はイノセントに音楽の結晶を聴かせてくれる方がいいというか、わたし好きなので、策士策に溺れるみたいなことになったら嫌だなとも。いや〜でも来ましたよ。正直わたし、よく分かりませんでした。モーツァルトが異次元から来たかと思っちゃった。わたし的には、なんだこのヴァイオリニスト、サイテー、と感じた人がいたかもと想像するくらいにびっくり。でも拍手も多かったからこの演奏、すぅっと聴けた人もたくさんいるのかな。わたし、構えすぎていたかな。それにしても、アリーナの表現は多彩。そして、バッハの無伴奏で聴かせてくれたように語り系。それも囁いたり、対話したり、お話ししたりクルクルといろいろな声で。モーツァルトとおしゃべりした気分。白眉は第2楽章の静かな歌うような語り口だったけど、第3楽章の場面ごとに手練手管を尽くして驚きのある音楽を弾きだしていたのには、もうやられたって感じ。むぎゅー。モーツァルトの音楽って今聴いてもこんなにドキドキすると言うか、コンテンポラリーに感じたよ。
若い指揮者とオーケストラは、一所懸命アリーナをフォローしていたけど、自由に弾きまくるアリーナに対して、引き出しが足りてなかったかな。デビュウしたての指揮者にはちょっと荷が重すぎたかしら。アーノンクールさんみたいな人が振ると輪を掛けて仕掛けてきそうだから面白い演奏が聴けたかもと思ってしまいました。
そういえば、アリーナはここに来る前に、ハイティンクさんとロンドン・シンフォニーで同曲を演奏しているはずだけど、どうだったんでしょう。ハイティンクさんってモダン・オーケストラの極致を行くようなクリーミーで柔らかな古典を演奏する人だから、アリーナと火花を散らしたか、高い次元で調和するひとつの音楽にしたのか、気になる〜。
アリーナのアンコールは、バッハの無伴奏ソナタのガヴォット。重音による2つの旋律線の独立した表現の冴えに舌を巻きました。
近々東京で行われる、アリーナとセドリックのモーツァルト、ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会、ちょっと楽しみになってきました。

最後はベートーヴェンの交響曲第7番。ピツァラさんの思いっきり腕の振りどころ。ピツァラさんの音楽は、とても形のよいフレッシュな果物のよう。ゾクゾクって来ることはないけれども、オーケストラをバランスよく美しく鳴らしていく感じ。ただ、ピツァラさんはもう少し、過激な表現がしたかったのかもしれない。オーケストラが少し抑えていたように思えた部分がときどきあったから。そして、まだ完全にオーケストラを掌握して振り切っていないと感じられたところも。特に盛り上がるコーダの部分など、オーケストラの箍を外して駆け抜けていくところ、オーケストラを引っ張っていけず、オーケストラのあとから振っている感じに見えたのがちょっと残念。ただ、まだデビュウしたての若者。とてもステキな原石に見えたので、これからの活躍を期待して見つめることにしましょう。東響さん、定期的に呼んでくれないかな。
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by zerbinetta | 2015-09-27 15:00 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

もっと人を 村中/オーケストラ・アフィア let’s dance!   

2015年9月18日 @紀尾井ホール

プロコフィエフ:交響曲第1番
ラヴェル:クープランの墓
ベートーヴェン:交響曲第7番

村中大祐/オーケストラ・アフィア


オーケストラ・アフィアという初めて名前を聞くオーケストラの音楽会に行ってきました。プロのオーケストラです。東京には日本オーケストラ連盟に入ってるフルサイズのオーケストラの他にも有名、無名のオーケストラがあるのですね。有名なのは室内オーケストラの紀尾井シンフォニエッタとか、古楽のリベラクラシカとか。さて、どのようなオーケストラなのでしょう?紹介を読むと、横浜開港150周年記念事業の際に結成された、横浜OMPオーケストラのメンバーを中心に指揮者の村中さんが結成したオーケストラ。村中さんのオーケストラと言っていいのでしょうね。メンバーは、プロのオーケストラのメンバーやソリスト、フリーで活躍しているプロの音楽家(プログラムには全員の簡単なプロフィールが載っていました)。年に3回(?)の定期演奏会ごとに集まるのでしょう。メンバーの多くは固定されてるみたいだけど、常設のオーケストラではないみたい。

会場に入ってみてびっくり。お客さんが少ないの。全く有名なオーケストラじゃないし、チケット代も高めの設定だからなのかな。小さめのホールの音楽会の弱点かな、安い席を設定できないかもなの。最安値の席って室内楽の音楽会の方が大きなオーケストラの音楽会より高いのが常だものね。チケットの値段はオーケストラの価値でもあるから、簡単には下げられないとは思うけど、チケットの値段を幅のある設定にして安い席も作る工夫できないかしら。まずはたくさんの人に聴いてもらわなきゃもったいない。あとは宣伝かな。わたしもこんなオーケストラがあるなんてちっとも知らなかったし。

始まる前に、村中さんによるトークがあって、この音楽会の収益を先の関東の水害に寄付するとのアナウンスがあり、この音楽会のコンセプトが語られました。「自然と音楽」シリーズの中の「舞曲vs舞極」と題した音楽会。ちょっとダンスというのが、無理やりみたいな感じもしました(というか、音楽ってもともとダンスというか体を動かす力があるよね)。「自然と音楽」「舞曲」とせっかくタイトルを付けたのに、タイトルから曲をあまり思い起こせないのもどうかなぁって。
このオーケストラの特徴というか、村中さんのパーソナリティから来るものだと思うんだけど、熱い。音楽会の前に、絶対法則という冊子がチケットを持ってる人向けにメイルで送られてくるんですけど、実は長い解説みたいでちゃんとは読んでいないんだけど(ごみんなさい)、ゲネプロやその前の段階のリハーサルを有料で公開したり、いろいろ工夫は凝らしているのに、なんかちょっとずれているように感じるのはわたしだけ?リハーサルは高いし、絶対法則もチケット購入者のみの特典なのかなぁという疑問はありました(解説よりもここでしか知られない秘密みたいな魅力が欲しいです)。

前置きが長くなっちゃいましたが、演奏は、流石に若い腕利きのプロを集めたオーケストラだけに特別とは行かないまでも普通に上手いです。
プロコフィエフの「古典交響曲」は、溌剌として少人数オーケストラの機動性を感じさせました。演奏によってはおどろおどろしく聞こえる部分(古典と言いながらプロコフィエフはそういうのを何気に挟んできます)も重心が高いのでさらりとしていたし、尖った表現もあまりなくて、古典的な整ったフォーム。これを良しとするかしないかはお好みですね。わたしはプロコフィエフはひねくれ系が好きです。ダンスといえば、この曲の第3楽章は、ほぼそのままバレエの「ロミオとジュリエット」のパーティーの終わりのシーンに転用されているのだけど、バレエのときのような登場人物たちのいろんな感情がどろどろと交じり合った皮肉さはなく、素直。確かにそういう音楽なんですけどね。

「クープランの墓」は、戦死した友達の思い出を懐かしむ静かな感情を湛えた舞曲集。木管楽器の木漏れ日の光りのような柔らかな明るい色のソロがとてもきれい。小編成のオーケストラの淡い光りはパステルカラーで踊っているよう。今日は、この曲がオーケストラの特徴を一番出しているようで一番良かったです。村中さんの思い入れのある曲みたいで、それが感じられたのも良いし、丁寧に演奏されていたのもステキでした。

リズムの祭典とワーグナーを言わしめたベートーヴェンの交響曲は、ううむ、室内オーケストラの弱点が出てしまったかな。何しろ、第2ヴァイオリンが6人、第1が7人で、フォルテのトゥッティでヴァイオリンの音が消えてしまうのが残念。特に内声になる第2ヴァイオリンが消えるので厚みが失われちゃうんですね。第7番ってコンパクトで雄大なので、音の薄さはダイレクトに欠点に。フィナーレは、音楽も指揮者もオーケストラもみんな煽って推進力のある演奏なのに、消えてしまう第2ヴァイオリンが力強さを削いでしまうところがあってちょっと残念。単純に人数の問題なのでもったいなすぎ。倍ぐらい人数がいれば(それで小さめの普通のサイズ)、もっともっと良くなったでしょう。あっ第2楽章のヴィオラとチェロの丁寧なイントネイション付けは指揮者のこだわりかしら。これは凄く良かった。

アンコールには、愛のダンス、ってわたしは違うと思うけど!、マーラーの交響曲第5番からアダージエット。ああ、でもこれは確かに弦楽合奏の音楽だけど、大オーケストラの交響曲の中の曲であって、室内オーケストラでやると全く違ったものになっちゃうな〜。音楽の持つ豊潤で甘美な香りが失われちゃって薄めたお茶のように(アメリカンのコーヒーと言った方が良いのかな。コーヒー飲まないので分からないけど)、味気なかったです。心を静かに終わるデザートならシューベルトの「ロザムンデ」の間奏曲とかいいのあるのにな。

こういうコンセプトのオーケストラを聴いたのが初めてなので、このオーケストラがこれからどんな風になっていくのか分からないんですけど(ヤマカズさんとTOMATOフィルハーモニー改め横浜シンフォニエッタのような感じなのかしら)、村中さんとオーケストラ、ウィンウィンで成長していって欲しいです。口で言うのは簡単だけど、現実はかなり厳しい(大きな老舗のオーケストラだって苦しんでる)ことは分かっているんだけど。
そうそう、後ろから見る村中さんは、指揮しているとき頭、振り振りしててかわいかったです。
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by zerbinetta | 2015-09-18 13:06 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

名曲ってちょっとの譜面の違いでも価値は揺るがないんだよ 内藤/ニューシティ管 世界初演シリーズ   

2015年9月12日 @東京芸術劇場

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」 抜粋

登川直穂子(蝶々夫人)、ロマン・ムラヴィツキー(ピンカートン)
石川紀子(スズキ)、星野淳(シャープレス)
押川浩士(僧侶)、栗原剛(ゴロー)、北川辰彦(神宮)
東京合唱協会
内藤彰/東京ニューシティ管弦楽団


ひょんなきっかけで聴きに行くことになった、ニューシティ管の世界初演シリーズ(再)。今日は、指揮の内藤さんが校訂したドヴォルザークの「新世界より」と本物の日本のお寺や教会の鐘にこだわった「蝶々夫人」(抜粋)。ドヴォルザークの書いた手稿譜を元に出版されている楽譜にある100カ所以上にわたる間違いを修正して本物のドヴォルザークの音楽を初めて聴かせる(といっても今回がその初演ではなく再演です)との煽り文句満載の「新世界」。プッチーニの(東洋文化の無知からでた)誤りを正すと煽る「蝶々夫人」。プログラムにも詳しく解説されて、音楽会の前に内藤さんが熱く語っていたんだけれども。。。

でもね。これ、ヘン。というか矛盾してない?だって、「新世界から」の方は徹底的に作曲者の書いた楽譜にこだわってるのに、プッチーニの方は、プッチーニが実際にイメジした音を断罪して、彼的に’正しい’音に変える。

内藤さんの指揮は残念ながら、素人の域。手を振って音楽を進めるだけでそれ以上ではない。オーケストラは良く訓練されていて、それでもきちんと演奏していたのは、さすが。ただ演奏からは丁寧な表現付けが聞こえてくるんだけど、あっ、この膨らませ方はあの指揮者の演奏だ、このクレッシェンドはCDで聴いたことがある、という風に何だかいろんな演奏を思い出してしまって、内藤さんはいろいろやってるんだけれども借り物な感じ。そして最大の難点は、指揮者のせいか細かなところ、しかも大切なところでアンサンブルが合わないところ。内藤さんは100カ所以上楽譜を直してると言うけれども、多分そのほとんどは、細かなアーティキュレイションの修正。彼が世界で初めて明らかにしたと言うけど(理系の人だからそんなふうに言うのかしら?でも本物の理系の人だったら自分の研究は世界で初めてなのは当たり前すぎるくらい当たり前なので、自分から自慢げに世界で初めてなんて言わないというか考えもしないんだけど)、普通に指揮者は、少なくてもきちんと演奏をするちゃんとした指揮者は、譜面を批判的に読み込んで自分の音楽を作ってる。それは、いろんな異なる指揮者の演奏を聴いてそれぞれ違ってるように、演奏する人の解釈や裁量に任されている部分だと思うしそうあるべき。だから今回の内藤さんの演奏もその範囲でしかないと思うから(訂正された楽譜を出版するというのは、作曲家が書いたものを明らかにするという意味で意味のあることだと思うけど、音楽を聴くわたしたちにはあまり関係ない)、大ごとのように自慢することではないと思うのね。ただ、プログラムにも書かれていた2カ所の目立った音の違いは、聴いてはっきり分かるものだけに重要なのかな。でも、わたしの結論は、音が1カ所2カ所違ったくらいでは名曲は揺るがないでした。内藤さんには申し訳ないんだけど。それに、スケルツォの部分の音の違いの方は、内藤さんがおっしゃるようにとても大事な音なのかも知れないのだけど、今回、残念ながらアンサンブルが乱れていて、その音の大切さがよく分かりませんでした。というか、ヴァイオリンの人、みんな同じ音で弾いてた?

聴いていて、会場にいて、少し不思議な雰囲気を感じました。プロのオーケストラよりもアマチュアのオーケストラの音楽会の雰囲気を感じたの。どうしてかなと思って原因を探ろうとしたんだけど、ヴァイオリンの音の響きの豊かさが足りないものの演奏は、明らかにアマチュアではなくプロのものだから違うし、予想外に(失礼!)満席に近いお客さんが、このオーケストラに熱心なファンが付いていることが窺えて、もしかしてこれがそんな雰囲気を醸し出してるのかな、と思いました。

休憩のあとは、「蝶々夫人」。内藤さんが自信を持って語っていた、鐘問題。プッチーニのスコアでは、東洋への無知ゆえ、日本のお寺の鐘を(中国の)銅鑼で表現していた、それを正しく日本の鐘の音で演奏する。それから、第2幕の始めで、プッチーニのスコアでは不可能だった(音域外だそうです)、日本の鐘と西洋の教会の鐘が重ねて鳴らすことで、キリスト教に改宗した蝶々夫人と(日本の)仏教との和解という大切な背景を示すことができたそうです。確かにね〜と思うところもある。特に2番目のは、2つの鐘を重ねることによって意味があることだし。でも、鐘を作ってみたものの必要な音量が出なかったとのことで、シンセサイザーで代用するとのことにがっかり。わたしの勝手だけど、電子楽器が苦手で、最初から電子楽器の音楽だったらまだいいのだけど、プッチーニの音楽には敢えてやる必要はないんじゃないかって思いました。
「蝶々夫人」は、確かにわたしにとってなんちゃって和風劇で、むしろいつも西洋人の歌手が日本髪のカツラを着けて和装するということに違和感を抱いちゃってるんだけど(ほんとはこういう考え方良くないんですよね。だって、そうすると反対に、日本人歌手が西洋人の役を歌うのはヘンってことになっちゃう。見慣れないものへの違和感だから頭では分かっていても感覚的にね)、今日は、ピンカートン以外歌手は日本人だったからそこはストンと落ちました。もし、「蝶々夫人」でリアリズムを追求するなら、日本人の役は東洋人で、さらに日本人どおしのやりとりは日本語で歌うくらい極端なことをしないと。でも、オペラって現実の世界じゃないから。。。

歌手はとても良く歌っていたと思います。オーケストラの後ろに一段高くしたステージの上での簡素だけど必要十分な演技もとても良かったし、先にも書いた、日本人の役が日本人の歌手で歌われているのもわたし的には良かったです。でも、オペラの抜粋というかいいとこ取りというのは、主役の歌手にとってほんと大変ですね。舞台に出ずっぱりで休む間もなく、聴かせどころの歌ばかり歌わなきゃならないなんて。特に蝶々夫人はそれでなくてもかなりの声を要求される役なので。登川さんは、少し声が細くて、もう少しふくよかなドラマティックな声があったらもっといいのに、と無い物ねだりだけど、(ヘンケンを含む)わたしのイメジ的には、ぴったりの蝶々夫人。最後まで歌いきる体力もあって、とても良かった。さらに常に蝶々さんに付き添っていたスズキの石川さんも素晴らしくて、歌的にはダブルヒロイン状態。ピンカートン役のムラヴィツキーさんも小粒だけど端正な歌で良かったです。脇を支えた他の歌手も皆さん良くて、バランスのとれた歌手陣と、物語を過不足なくなぞる抜粋の仕方で、蝶々夫人の物語をしっかり楽しめました。いろいろ考えちゃった音楽会でしたけど、最後は純粋に合唱を含めた歌手の方にブラヴィーですね(ふふふ、ちゃんと複数形で言っちゃった)。
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by zerbinetta | 2015-09-12 13:05 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

シンフォニックな愉悦 カンブルラン/読響「トリスタンとイゾルデ」   

2015年9月6日 @サントリーホール

ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」

エリン・ケイヴス(トリスタン)、レイチェル・ニコルズ(イゾルデ)
アッティラ・ユン(マルケ)、クラウディア・マーンケ(ブランゲーネ)
石野繁生(クルヴェナル)、アンドレ・モルシュ(メロート)
与儀巧(若い水夫、舵手、牧童)
新国立劇場合唱団
シルヴァン・カンブルラン/読売日本交響楽団


いよいよ来た。わたし的に今年最大の音楽的イヴェントになるかもしれない、「トリスタン」。これを安い席で聴きたくてわざわざ定期会員にまでなってしまった「トリスタン」(安い席は取れなくても1回券なら普通に定期会員になるよりも安上がりだなんて突っ込みはナシね)。もう期待ではち切れそう。いつもワーグナーをdisってるくせに「トリスタン」は大大大好きなんです。そして音楽が圧倒的に濃い「トリスタン」は劇場で観るよりも、シンフォニックな演奏として音楽会形式でじっくり聴く方が良いとまで思ってるんです。オーケストラの音楽会では、時間的に前奏曲と第2幕が採り上げられることが多いけど、今日は全曲!

前奏曲は、前に聴いたカンブルランさんのブルックナーのさらさら系かと思ったら、意外に粘りけのある演奏。ねっちょりではなく、糸を引くけどすうっとべたつかずに消えていく、納豆系の物理的な粘りじゃなくて、口の中に余韻が残るマカロンのクリームの甘さ。読響さんの明るい音色と相まって、どろどろしない気高い音楽。そしてこの前奏曲で、もう全体が聞こえるように解き明かされちゃった。

前奏曲が終わって、水夫の歌が聞こえていたとき、おおお良い歌。端役(?、目立たなさで言ったらメローとの方が端役か?)の水夫(等3役)にまで行き届いた歌手を揃えているのに大喜び。与儀さんは、第3幕の牧童も愁いに満ちた歌を聴かせてくれて、素晴らしい。いつもステージの後ろのオルガンのところで歌ってるから、ステージの後ろで聴いてたわたしには声だけで姿は見えないのが残念だったけど、それにしても独りででホール全体を満たす声はステキでした。

歌手ついでに。今日の歌い手陣は、超スーパーな人はいなかったけど、凄く高水準で充実。代役だったイゾルデのニコルズさんは、BCJで歌ってるのを聴いてるので、古楽の人かなと思ったら、堂々としつつも澄んだ声で好きなタイプのイゾルデ。もともとキャスティングされてた人をわたしは知らないけど、代役で良かったんじゃないかと思えるくらいの充実ぶり。一方のトリスタンのケイヴスさんの健闘もたたえたい。と同時に、この役は難役なんだなと。健闘しつつもいっぱいいっぱいのところがあってもう一皮剥けたらと感じたから。夜のトリスタンでは、もう少し声の余裕というか闇の魅惑を柔らかく包み込むような奥行き、ふくよかさが欲しかったです。でも、わたし、まだ、理想のトリスタンに出逢ってないんですね。いつの日か理想のトリスタンに出逢うことができるのかしら。そのときはわたしも思いっきり媚薬を飲み干そう。

トリスタンとイゾルデの忠実な僕、ブランゲーネのマーンケさんとクルヴェナルの石野さんもステキでした。物語の説明係として少し過剰なというかト書きを語るような部分も多いのだけど(もちろんワーグナーが悪い)、今日はあまりその饒舌さ、鬱陶しさを感じさせずに、物語を上手に動かしていました。愚直な脳天気さのクルヴェナル。毒薬を媚薬にすり替える罪を負ってイゾルデに尽くし尽くす少女(わたしはこの物語の中で悲劇の中心にいるのはブランゲーネだと思います)。物語を動かす重要な役をおふたりはまるで忠実な僕、音楽に忠義をつくす歌い手として、役を良く知っている、ちょうど良い濃さで歌っていました。

今日、もうひとつの収穫は、日本人を始めとした東洋人歌手の活躍。石野さんと与儀さんに加えて、マルケのユンさんが堂々とした声でとてもステキでした。わたし、マルケの長い独白は、嫌いというかなくてもいいといつも毒づいているんだけど、良い歌手で聴いちゃうとマルケもいいなと思ってしまう。今日もマルケ、良いなと思いました。カンブルランさんと読響の重くなりすぎない味付け具合もあって胃にもたれない感じがわたし好みでした。ヨーロッパやアメリカの歌劇場(残念ながら日本ではオペラが根付いていないので圧倒的にあちらが本場です)で活躍する日本人歌手は、まだまだすごく少ないけど、こういうのを聴くと、日本人も十分活躍できるのにな、もっとみんな出て行ってよって希望を込めて思っちゃいました。

ひとつ残念だったのは、音楽会形式で、演技には重きは置かれていなかったんだけど、歌手によって演技の度合いがバラバラであったこと。演技の仕方がそれぞれに任されていたみたいで、舞台の統一感の不足がもったいなかったです。演技は無しなら無しで全然良いのだけど、みんなが同じように振る舞えば、オペラの交響楽的演奏としてもっと説得力が出たんだと思います。演技無しなら無しにして、もし、多少でも演技を付けるのなら、きちんと舞台監督を付ければ良かったと思います。これはちょっともったいなかった。

でも、「トリスタン」って難しい。インタヴュウの中で、カンブルランさんが歌手のペース配分が難しい、特に今回の公演では第2幕の慣例のカットをしないので(わたし自身は、オペラでもカットしてるのは聴いたことないと思うんだけど)、負担が重くなるので、歌手に配慮した演奏をしなければならないとおっしゃっていましたが、今日は、最後ぎりぎりだったけど、無事歌い切ったと思います。多分、みんなが音に集中して聴いてしまうシンフォニックな演奏会形式での上演の方がオペラでの上演よりも歌手にかかる負担は大きいのではないでしょうか。同じ場所で演奏するオーケストラとも対峙しなければいけないし(オペラのオーケストラはある意味黒子で伴奏だけど、音楽会形式は協奏)、オーケストラも容赦しないでしょうし。実際、カンブルランさんは、手加減無しで、全員の力を120%引き出すようなところで演奏していたように聞こえました。

もちろん、オーケストラも褒めなければいけませんね。いつも、読響に対しては辛口というか、少しウマが合わないところがあるのだけど、光が漏れてくるような楽器の音色や流れるような音楽は、読響にピッタリというか、主席指揮者のカンブルランさんと読響の大きな成果でしょう。指揮者とオーケストラ、そして今日は作品との相性の良さが素晴らしく豊かに実った音楽会でした。
久しぶりに聴いた「トリスタン」。かっこつけて書くと、カオールを口に含んだような、いえ、かっこつけるのは止しにして、辛口のサイダーを飲んだような爽快感とちょっぴりの甘さ好ましい演奏でした。愛のどろどろ感(わたしは「トリスタン」を評してときどきそう言うのですが)とは対極にあるけど、クリスタルクリアな愛と死の物語は、オリジナルの物語にあるストイックなまでの愛の物語を彷彿させるひとつの指標なのかも知れません。
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by zerbinetta | 2015-09-06 10:25 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

世界を創造 ヤマカズ/日フィル   

2015年9月4日 @サントリーホール

ミヨー:世界の創造
ベートーヴェン:交響曲第1番
イベール:アルト・サクソフォンと11の楽器のための室内小協奏曲
別宮貞雄:交響曲第1番

上野耕平(サクソフォン)
山田和樹/日本フィルハーモニー交響楽団


日フィルさん、今度の秋シーズンから定期会員になってみました。日フィルさんって確か、1年を4つのシーズンに区切ってるけど、年度の始まりはいつになるのかな?秋始まり?春始まり?
会場に着くとわたしの椅子の上にカードのようなものが。新しい定期会員へのウェルカムカードでした。なんて心憎い。プチフールもあれば完璧だったのにと思いつつ(オイオイ)、音楽会が始まる前からわたしをうんと喜ばせる。

今日は、わたしの一番、期待の指揮者、ヤマカズさんです。日フィルの正指揮者(というものがどんなものなのか謎ですが。。。(主席指揮者も別にいるので))になられたのですね。正指揮者に関しては言いたいこともあるのですが、それは置いておいて、やっぱり楽しみにしていた音楽会です。

ミヨーの「世界の創造」は確か、クラシック音楽の世界に初めてジャズを採り入れた音楽ではなかったかしら。バレエの音楽。小さな編成の室内楽的オーケストラに混じって、あとで独奏者として共演する上野さんがサックスで参加していました。ヤマカズさんも指揮台無し。演奏は、オーケストラ、こういう音楽にちょっと慣れていないな、と感じさせるところがありました(多分、個人個人はこのような語法も平気なんだと思うけど、アンサンブルになったら顔を見合ってしまうみたいな)。活躍する、トロンボーンのソロがちょっとだけ浮き気味だったけど、やんちゃで良い感じ。

小編成の1曲目からステージを直して、って指揮者の譜面台の高さをメジャーで測って調節してるの初めて見たよ、2つ目はベートーヴェンの交響曲第1番。がプログラムに載っててびっくり。早く帰れる音楽会と思ったら大きなおまけが付いてて得した気分。そしてそのベートーヴェンが面白かった!
まず大きな(倍管した)オーケストラ。最近のピリオド・スタイルの影響を受けた演奏では、モダン・オーケストラを使っていても編成を小さくしてきびきびと演奏するのが流行りだと思うんだけど(特にピリオドを当たり前に聴いてきた若い世代は)、ヤマカズさんはその逆。とは言っても、逆説的にこれもピリオド・スタイルだと思うんだよね。ヤマカズさん自身が、音楽会の前のトークで語っていたように、プログラム・ノートにも書いてあったように、作曲家はできるのなら大きなオーケストラでの演奏も(それがいいのか悪いのかは置いといて時代の雰囲気として)してみたいと思っていたかもしれない。それに、ピリオド・スタイルの先駆者のひとり、アーノンクールさんの言葉を借りると、ピリオドって、単にその時代の楽器を使って当時の演奏を忠実に再現する博物館的な演奏を目的としているのではなくて、当時の人の驚きを今の時代のわたしたちに再現する現代の音楽だから。ベートーヴェンの音楽から新鮮な驚きを生み出していたのは、当時の驚きを今のわたしたちに見せてくれたということ。
ヤマカズさんの音楽は、いつものことながら音楽が今生まれてくるフレッシュさがあって、’古楽器的な’速いテンポの演奏とは反対だけど良い意味で全然巨匠風じゃないのがいいの。大きなオーケストラゆえのもたつきはあるけれどもそれを超える流れはあるし。そして、ヤマカズさんが仕掛けたびっくり箱。第1楽章の最初の主題が戻ってくるところ(再現部の頭)を半分のテンポでゆっくり始めたのに、もうニヤニヤが止まらない。第2楽章の始まりも弦楽器のソロで初めてトゥッティに持っていくとか、楽譜に書いていないことをやっちゃった。と言うかこの清々しいやっちゃった感。普通やらないよね。神聖なベートーヴェンを。案の定、意見は割れたというかやりすぎ、意味わかんねーって批判的な意見が多かったみたいだけど、わたしはヨロコんだ。若さゆえの過剰は、ベートーヴェンの本質だもの。流石ヤマカズさん。こんなことが臆面もなくできちゃうなんて。もっとやれやれーー。パチパチパチ。

休憩後は、イベールのサクソフォーンのための室内協奏曲と別宮の交響曲第1番。さりげなく、休憩前の2曲と対を為してるところが憎いの。
イベールは、有名な「寄港地」とか無名な「祝典序曲」が妙に大好きなんだけど(あとフルート協奏曲とか)、滅多に音楽会にかからないし、サクソフォーンの協奏曲は初めて聴く曲。ガチャガチャしているところと叙情的なところの対比がいべーーーるぅ。ステージの後ろで聞いていたので上野さんのサックスがおとなしく聞こえたけど、バランスは良さ気(普通の席で聴いたらサックスがもっと浮き上がって協奏曲ぽかったのかも)。そのせいもあってか、上野さんのソロは、アグレッシヴに音楽に突き刺さると言うより、柔らかく音楽に沿う感じ。第2楽章の始まりのサックスのソロが春の祭典の始まりのパロディに聞こえてびっくりしました。上野さんかっこいいし、いいな。

別宮の交響曲は、日フィルの委嘱作品。1961年の作曲なんですが、昔委嘱した作品の再演シリーズをやってるんですね。委嘱作品だから、1度は演奏されるものの、新作が再演の機会を得るのはとても難しいので、ぜひ聴かせたい、演奏したいと思えた作品をこのように再演する企画ってすごくいいよね。
で、いきなり、映画かテレビのスペシャルドラマ(年代記みたいなの)の音楽のようなロマンティックな感じの音楽が流れてきてびっくり。へ〜〜こんな音楽書いたのかーーって。前にニッポニカさんで安倍幸明の曲を聴いたときも思ったんだけど、わたし、日本の音楽というと、武満さんや細川さんみたいなコスモポリタンな現代的なものを書く人か、伊福部に代表される分かりやすい民族風の作風の人か、もしくは黛とか矢代とか現代の古典になってる人くらいしか知らなくて、日本のクラシック音楽の黎明期からの人の作品をほとんど知らないんですね。吉松さんが調性的なネオクラシカルな音楽を作る以前の戦後の日本で、ロマン派的というか西欧では20世紀初頭くらいのまだ分かりやすい音楽が書かれていたなんて知らなかったんです。別宮の音楽も、日本風なところはあまりなく20世紀初頭のヨーロッパ風というかもっと言うとミヨーの頃のフランス風。実際にミヨーの教えを受けているんですね。この作品が、日本の音楽史の中でこれからどういう風な位置に納まっていくのか、単に時代遅れの(同じ頃、日本でも涅槃交響曲のような交響曲も生まれてるし)忘れられた曲になるのか、クラヲタさん的に大切にされる知られざる佳曲になるのか、日本の名曲のひとつとなるのか、分からないんだけど、わたしの中では少なくとも、わたしだけが知ってる的な佳曲になるんだわ。
ヤマカズさんと日フィルの演奏は、その音楽の魅力を欠点も含めて正直に伝える誠実なラヴレターのような演奏だったと思います。わたしには魅力が伝わったもの。

今日の音楽会は、始まりの音楽会。前半と後半の対比の妙もいい感じだったけど、ふたりの作曲家の最初の交響曲を採り上げて、それと「世界の創造」を組み合わせるなんて、音楽の生まれるところを聴かせてくれるミューズの粋な計らい。そして、ヤマカズさんってミューズに祝福されたひとりだと思うんだわ〜。
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by zerbinetta | 2015-09-04 19:26 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

踊らな損損 下野/都響 コダーイ、グリーグ、ドヴォルザーク   

2015年9月2日 @東京文化会館

コダーイ:夏の夕べ
グリーグ:組曲「ホルベアの時代から」
ドヴォルザーク:交響曲第4番

下野竜也/東京都交響楽団


下野さんと都響。下野さんは去年音大のオーケストラで聴いて聴きたいと思っていました。今は日本のいろんなオーケストラに客演しているみたいですね。下野さんってチェコもの得意なのかしら?今日はチェコ特集と思ったらグリーグがいた。。。と思ったら、しかもコダーイもチェコじゃないし。わたしの中のヨーロッパ地図、一体どうなってるんだ。

始まりはコダーイ(ハンガリーの人)の「夏の夕べ」。今年は残暑が厳しくないみたいだけど、こういうほんのりと涼しげな曲はいいですね。管楽器のソロの多いこの曲。ただ、都響さんって個々の奏者の音色の色彩感に少し魅力が不足している感じがして、それが少し残念。都響さんの特徴の生真面目で精度の高いアンサンブルは健在で、プリンをめちゃくちゃ鋭利な刃物で切った感じ。でも、プリンをナイフで切って食べるのも何だか味気ないよね。温かみのある木のスプーンで食べたいくらい。

グリーグの「ホルベアの時代から」は、えっ?これグリーグの?っていう感じのグリーグらしさが全く見られない音楽なんだけど、それもそのはず、あとで読んだプログラム・ノートにあった作曲家自身の言葉によると「これは自分の個性を隠す本当に良い練習になった」。ノルウェーのバロック期の作曲家ホルベアの語法を探求することによって自分にはないものを習得しようとしたのですね。弦楽合奏のこの曲もさっきの雰囲気を引き摺っていて、固いクリアな音は北国な感じの透明感なんだけど、わたしの好みは、柔らかな奥行きというか、音にもう少し色気が欲しかったかな。

最後のドヴォルザークの交響曲第4番は、全く初めて聴く曲。ドヴォルザークの交響曲って6番以降しか聴いたことないんだ、わたし(いや第3番はCDに入っていたっけ)。どんなんだろうとワクワクと聴いていたら、うん、やっぱり、さすがドヴォルザーク。どうしてこの曲が滅多に演奏されないんだろう。ドヴォルザークってもっと評価されてもいいのにな。そして、まさにドヴォルザークの生きていた時代の雰囲気を生き生きと映してる。それって、反対に言えば、ドヴォルザークの個性がまだ薄めということにもなるかもだけど、あるところでは、リストを感じたり、シューマンが出てきたり、ワーグナーの初期の音楽を見つけたり、楽しかった。
下野さん、この音楽に自信を持っているのでしょう。確信を持った棒さばきでオーケストラをリードしていきます。音楽を分かりやすく聞かせてくれて、初めて聴くこの音楽もすんなり身体に入ってきました。それにしてもドヴォルザークの親しみやすさ、独善的な民族主義に陥らないインターナショナルな地域性、品の良い中庸さってステキって思ってたら、第3楽章になってどひゃーーー。なにこのはっちゃけぶり。弾けた行進曲。シュトラウスがマーラーの交響曲第3番の第1楽章の行進を労働者の行進のようと言ったそうだけど、その言葉を思い出してしまいました。楽しいデモ行進(ヨーロッパのデモって日本のと違って楽しそうなんですよん)。もしくは子供たちとわいわいとピクニックに行くような気分。ドヴォルザークって。なんか彼の別の一面を見てびっくりしました。ますます親しみがわいて。
続く第4楽章もその気分のうちにいたのだけど、都響の演奏はちょっと生真面目かなぁ。都響らしいと言えば都響らしいんだけど、下野さんは煽ってたのに。ドヴォルザークといっしょに弾けっちゃったらいいのに、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損損って音楽をカオスのぎりぎりのところまで崩していくような勇気が欲しかったです。新しい音楽を知るには、みんなが何となく楽しめるのは今日のような演奏なのかも知れないですけど。
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by zerbinetta | 2015-09-02 15:36 | 日本のオーケストラ | Comments(0)