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生の断片化、もしくは記憶の固着 シルヴェストロフ、交響曲第5番   

お休みの日の夕方、雨が降っている。なんだか物憂いような気怠い午後のまだ夜には遠いたそがれ時。いろいろな過去の、時が凍りついて止まった想い出に心を漂わせてみる。時を止めた廃墟の上に静かに時は流れている。わたしたちの今も、いつか同じように時を止めて、未来から眺められるときがくるのだろう。

シルヴェストロフの音楽は、廃墟を思い起こさせるの。でも、それは過去のものではない、今という時。そこに凍りついた時を未来から眺めているような音楽。時を止めたわたしが、時を越えた先から眺められている。彼を初めて知ったヴァイオリン協奏曲を聴いたときもそう感じた。そして、このCDの交響曲第5番を聴いて、またその追伸といえるポストリュディウムを聴いてその思いを強くしたの。音楽はとても美しい。その響きは不協和音だけど、とげとげしたのではなくて柔らかな響き。そして美しいメロディの断片。そう断片。崩れていく廃墟のように、メロディは断片でしかない。たった2つの音の繰り返しのような。でも、添えられた和音がとても美しいから、音楽が儚いのに美しい。そして、あまりにもロマンティック。ときの彼方に埋もれたロマン主義の廃墟。そしてそれはわたしの今。わたしもその中に埋もれて横たわっている。わたしの体から遊離したわたしの魂がときを越えて音楽と一緒に未来からそれを見つめている。わたしとわたしの生きた時代の廃墟。

音楽が進むともう少しメロディが形をなしてくるのだけど、失われた記憶を手探りで形にするように、その形は、不確かで、曖昧で、柔らかくて、愛おしい。そして静かな闘争が始まるの。失われたものを取り戻すように。時間を戻して記憶の廃墟を、記憶の中にあった世界をわたしのまわりにもう一度取り戻すように。メロディの断片が今度ははっきりとした輪郭を持って奏される。でも。。。メロディは還ってこない。埋もれて目をつぶっているわたしの体はそのまま、目を開けることはない。わたしの魂は行き場所を失って、もう一度ときの中にさまよい出す。ロマンティックな瓦礫はまた砂の中に埋もれるかのように、時を凍らせ眠りにつくの。想い出は決して二度と触れることはできない。

追伸

あなたはもう再びそこには戻れない、でもうんと大切なすてきだった過去の時間を想うとき、どんな気持ちになりますか。想い出が鮮明としてるのに届かないもどかしさ。もやもやして形にできないもどかしさ。甘じょっぱい涙のような気持ち。甘酸っぱい恥ずかしさ。そんないろいろな想いが美しさの向こうにありませんか。交響曲第5番を聴いたあと、体に重みを感じるような、心の中にそんな想い出を見るような感じがしませんか。そして、もう一度だけ、その想い出の中に帰ってみたいという気がしませんか。もしかするとそれは小さな頃読んだ物語の世界に近いのかもしれませんね。美しいピアノの音。儚いメロディ。そのように書かれたのが、ポストリュディウムなのかもしれませんね。

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わたしは今思い出そうとしている。ずいぶん昔観て好きだった絵を。作家の名前をもはや思い出せない。幻想的に廃墟のような裸婦を、未来から観た現代の記憶のように描いた絵たち。頭の中のイメジを検索できればいいのに。
でも、そんな手の届かない記憶が、なんて愛しいんだろう。多分、記憶の中にあるからこそ慈しいのかもしれない。そんな風景をこの音楽は思い出させるの。そして。わたしを何もすることができない、金縛りのような、脳の意識の繊維が運動器官から断ち切られた、静かな雨の世界に連れて行く。なにもできない。なにもしない。電池の切れたサイボーグのわたし。
わたしはこの音楽を表す言葉を残念にも持っていないので、虚脱系音楽と呼んでいるのだけど、聴くと、カラータイマーの切れたウルトラマンのように何もできなくなる、そんな音楽がわたしにはいくつかあるんです。
そのひとつで最大のものが、このシルヴェストロフの作品。そして、グラスのヴァイオリン協奏曲の第2楽章とか、ペルトのいくつかの作品、フェルドマンの「マリの宮殿」。。。
音楽って、癒やしを感じることはあるにしてもポジティヴな希望や力を与えてくれるし、悲劇的な作品でさえ、生きる力を与えてくれる。でも、虚脱系音楽って。吸血鬼のように身体からエネルギーを吸い取ってしまうんです。ネガティヴというんじゃないけど、気を奪い取られるというか、そういう音楽って、もしかするとサティーにその兆しはちょっぴりあったかも知れないけど、つい最近まで書かれることはなかった新しい音楽なのかもしれません。

(2002年の4月に書いたCD(シルヴェストロフ:交響曲第5番、ポストリュディウム:ロバートソン/ベルリン・ドイツ交響楽団)評に書き加えました。実演を聴いた無気力系感想はこちら
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by zerbinetta | 2013-06-19 23:06 | 録音 | Comments(0)

ラ・トゥールの陰翳とカルテット   

ラ・トゥールという画家の絵が大好きです。田舎暮らしの子供の頃、うちにあった百科事典の美術の巻。その中にあった小さな小さな絵に魅せられたんです。頭蓋骨に手を置き蝋燭の小さな明かりの下、瞑想に耽るマグダラのマリアの絵。ひっそりと本の中に佇む1枚。いつかこの絵を観たいと、憧れが裡につのるばかり。浮気もたくさんしました。小学校か中学校の美術の教科書に出てた,マグリットやキリコ、乙女心を掴んだローランサン。USに住処を移してから知り合った,フェルメールやオキーフ。グレコの紫やゴッホの淡い青緑(ゴッホというと鮮烈な黄色って言われそうだけど,わたしにとってはひまわりやラ・ムスメの背景や自画像の後ろのうねうねの色のイメジが強いんです)、ミロの真っ赤。浮気しすぎ?

メトロポリタン美術館は、ワシントンDCからのこのこメトのオペラを観に行ったついでに何回も行きました。そこには,ラ・トゥールがある!確かにあった。蝋燭の火に瞑想するマグダラのマリア。でも、何か違うの。本で見ていたのとは印象が違う。本で見たのはずうっと前だから?記憶違い?

ワシントンDCのナショナル・ギャラリーは大好きな場所。迷路のようなたくさんの部屋を迷いながらの何回目かの逍遙のとき、ふらりと迷い込んだ部屋でへなへなと座り込んでしまった。目の前には、恋い焦がれていたマグダラのマリアがひっそりと座って。燭台下暗し。こんなに近くにあったなんて。わたしたちはついに出逢ってしまった。それ以来、この部屋は、ナショナル・ギャラリーの中で、フェルメールの天秤の女の人の飾ってある小さな部屋とともにわたしの一番の場所。何回、ここに来たことか。ぼんやりと閉館の時間まで座って。(マグダラのマリアの瞑想を描いた絵をラ・トゥールが何点か書いているのを知ったのはそのときです)

メトのマリア
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ナショナル・ギャラリーのマリア
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フェルメールも光りをうんとステキに描いた人だけど、窓の外から光が差し込んできて絵を照らすフェルメールの明るさに対して、小さな蝋燭の光りが絵の内部に消えていくラ・トゥールの光りもステキ。
こんな光りの効果、陰翳法をキアロスクーロ(イタリア語で明ー暗という意味だそうです)ということを最近知りました。もちろんフェルメールやラ・トゥールの専売特許ではなく,広く絵画芸術に使われている方法。
陰翳。谷崎潤一郎が,日本の文化の特異な美質と書いた陰翳。皮肉なことに,今ではどこここも一様に明るい日本にはなくなってしまって,むしろ欧州の家や町に残ってる。

光や影の効果を音楽に取り入れるように、「わたしたちがカルテットにこの名前を付けたのは,第一にこの言葉が好きだから。わたしたちは音楽だけでなくいろんな芸術が好き。わたしたちのレパートリーであるボッケリーニからシューベルトまでの古典のレパートリーはたくさんのハーモニーのコントラストがあって・・・」、とキアロスクーロ(これまでカルテットの名前としてぐぐったとき多く出てきたチアロスキュロと表記していましたが、美術用語としてはキアロスクーロが一般的なようなのでこれからはこう表記します)の名前を冠(いただ)いたカルテットがあります。わたしが愛して止まない,アリーナが第1ヴァイオリンをつとめるカルテット。ロイヤル・アカデミー・オヴ・ミュージックに在籍していた弦楽奏者4人で2005年に結成された(女性4人、2010年頃に第2ヴァイオリンが男性のパブロさんに替わってます)、ピリオド・スタイル(チェロはピンを立てずに膝に抱えて弾きます。他の奏者は立って演奏)のカルテットです。2枚目のCDを先日発売しました。とても楽しみにして予約して買ったんです。このCDには、ベートーヴェンの作品95「セリオーソ」、モーツァルトのk546「アダージョとフーガ」、k428のカルテットが収められてます。

早速聴いてみてびっくり。なんて大胆に削ぎ落とされた音。でも、決してやせた演奏ではなくて、アグレッシヴに光りが明滅する彩度を落としたモノクロームの演奏。色彩のない白黒の写真が、無限大に変化するコントラストで、カラーの写真よりもはるかに多くの情報を含むように、音楽の強さに圧倒される。いわゆるピリオド・スタイルの演奏で、ヴィブラートを排したストレートな音が張り詰めた響きで、ここまで音の輪郭をはっきりさせると、昔の音楽と言うより,はっきりと現代的な響き。一糸纏わぬ裸のベートーヴェンが音楽と格闘している。目のやり場に困ってドキドキしてしまう。裸のベートーヴェンが現代に甦った。ベートーヴェンのシリアスな格闘は、今のわたしたちの格闘とぴたりと共鳴する。ベートーヴェンと一緒に新しい音楽を掴み取ろうと藻掻いてる。
キアロスクーロというカルテットの名前が,まさにそのまま立ち現れる演奏。美術用語のはずのキアロスクーロが、光りが絵の中に固定されてしまう絵画よりも、光と影のコントラストがきらきらと変化する音楽でより豊かに表現されているような感覚さえしてくる。ヴァイオリンに光りが当たったりシルエットになったり。光と影は楽器の間を激しく揺れる。

ベートーヴェンに対して,モーツァルトはもう少し柔らかくなった感じ。モーツァルトには格闘はないから。でもやっぱりそこに新しい響きのモーツァルトがある。1枚目のCDのシューベルトの「ロザムンデ」が、ロマンティック・ピリオドに入り始めた時期の音楽なので、一番優しい。だから、この曲が一番聞きやすいかな。

キアロスクーロ・カルテットはアリーナのカルテットってよく言われるけど、実際音楽を支えてるのは,チェロのクレアさんだと思う。その安定した音の上に、アリーナやパブロさん、エミールさんのが飛び回る。アリーナが引っ張るというより、ひとりひとりが仕掛けたり仕掛けられたりして音楽を作ってる感じ。ひとりひとりが別々の国に住んで、それぞれ自分たちの活動をしながら、でも、きちんと時間をかけてカルテットを組むという新しいスタイルのカルテット。これからの活躍も楽しみです。ハイドン(メンバー・チェンジ前に録音されていたはずだけど没になったのかな)やメンデルスゾーンを聴かせて欲しいし、できたら、ピリオド・スタイルの演奏のために作曲された新作も採り上げて欲しい(委嘱して)。そして、いつか日本にも来てくれないかな。

この文章、大好きなラ・トゥールの絵のキアロスクーロから書き始めたけど、カルテットは、ラ・トゥールの柔らかな光の効果というより、むしろカラヴァッジョのクリアなコントラストのキアロスクーロだったわ。無計画に書き始めるのは駄目、という反面見本ね。めんどくさいから書き換えないけどさ。そして、CDのジャケットや彼らのセンスの良いウェブ・サイトが、キアロスクーロです。サイトの中にはとてもステキな演奏を収めた動画もあるのでぜひ見てみて下さいね。
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by zerbinetta | 2013-05-21 23:04 | 録音 | Comments(6)

チアロスキュロ・カルテットの映像   

UKアマゾンから未だに来る宣伝メイル。すぐ捨てちゃうのが常だけど、今回のお知らせは、大好きなキアロスクーロ・カルテットの新譜。イギリスではもう発売してるんだけど、調べたら,日本は5月上旬の発売。欲しいなぁ〜って思ってたら、うっかりタワー・レコードで割引してたからポチッとしてしまったよ。散財。でも来るのが待ち遠し〜。

キアロスクーロ・カルテット好きなんですよ〜。実は、わたし弦楽四重奏が苦手で、ハイドンとかメンデルスゾーン、シマノフスキくらいしか聴けなくて、モーツァルトは 他の曲(弦楽5重奏だって!)は大好きなのに四重奏曲は苦手なの。ところが、キアロスクーロ・カルテットのモーツァルトは、わたしにもステキだな〜と思えてときどきCDを取り出しては聴くほどの愛聴版。理由はよく分からないんだけど。
この2005年結成の若いカルテット(第2ヴァイオリンが1回メンバー・チェンジしてます)、それぞれがソロやオーケストラや室内楽奏者として活躍してて、しかもそれぞれ別の国に住んでる。専門のカルテットではないし、まだまだ発展途上だと思うのだけど(正直カルテットとして聴いた場合、ハーゲン・カルテットなんかと比べると完成度はまだ赤子のよう)、どういうわけか、気が合うのよね。大大大好きなアリーナが弾いてるというからではないでしょうけど。ピリオド・スタイルのカルテット。ぜひ、古典のレパートリーをばしばし録音して欲しいな。そしていつかぜひ,日本で聴けますように♪待ってマース。

キアロスクーロ・カルテットの演奏、ここで観られます。ぜひ。アリーナかわいいよ♥
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by zerbinetta | 2013-04-14 20:02 | 録音 | Comments(2)