カテゴリ:ロンドン交響楽団( 89 )   

奇跡は2度起こせる! ヤンセン、ゲルギエフ、ロンドン交響楽団 シマノフスキ&ブラームス1   

11.10.2012 @barbican hall

szymanowski: symphony no. 1; violin concerto no. 1
brahms: symphony no. 1

janine jansen (vn)
valery gergiev / lso

8月の終わりに9月10月のロンドン・シンフォニーのチケットを取ったとき、行けそうなのは全部とったれ、と取ったんです。そしたら、うっかり、ゲルギーのシマノフスキ、ブラームス・シリーズは間を開けて2回ずつ演るんですね。真ん中にツアーに出るのでツアーの最初と最後にロンドンで演るみたいです。今日は何を聴けるんだろうとるんるんとチェックしたら9月に聴いたのと同じ曲目でがっかり。でも、ヤンセンさんのシマノフスキの協奏曲は圧倒的だったからまた聴けて嬉しいかも。でも、あんな神がかった奇跡的な演奏をもう1回できるんだろうかと懐疑的になったり。揺れてるわたしの心。

でもそんなことは、演奏が始まったとたん霧散しました。奇跡って2度起こせるんですね。というか、2度起こした人たち凄すぎ。
ステージを降りたヤンセンさんってとっても清楚な感じの美人さんなんですが(今日も休憩のあとのブラームスを客席で聴いてらっしゃいました)、ステージに上がると別人。獲物を狙う豹のようなしなやかな鋭さ。冷ややかなエロスというか、月の光の世界のような、でも陰だけどカラフル。わたしの求めるシマノフスキの音楽がそのままありました。シマノフスキの音楽とヤンセンさんのヴァイオリン、ゲルギーとロンドン・シンフォニーのオーケストラがピタリと一致する奇跡的な名演。大大大好きなシマノフスキの協奏曲でこんな演奏を2度も聴けたわたしはなんて幸せ者なんでしょう。
今日のアンコールは、前回に引き続いてリーダーのシモヴィックさんとデュオだったけど、ツアー中に進歩したのよと笑わせて、同じプロコフィエフの2つのヴァイオリンのためのソナタから別の楽章。おふたりがアイ・コンタクトしながら楽しそうに弾いて、とてもステキでした。
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ブラームスの交響曲第1番は前回、良かったけど、まだ良くなれる伸びしろがあったところが前回の欲求不満だったけど、今日はそれらを完全修正。ゲルギーの手の中に音楽が収まった感じです。奏者もホルンに本来のプリンシパル、ティモシー・ジョーンズさん、ティンパニもナイジェル・トーマスさん。役者が揃ったって感じ。やっぱ、わたし、ゲルギーのブラームス大好きかも♡このシリーズの後半が聴けないのが返す返す残念。でも、CD化されるそうですから、それを心待ちにしましょう。
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by zerbinetta | 2012-10-11 14:37 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)

ゲルギーが大好きだーーー ゲルギエフ、ロンドン交響楽団 ブラームス、シマノフスキ第2夜   

23.9.2012 @barbican hall

brahms: tragic overture
szymanowski: symphony no. 2
brahms: symphony no. 2

valery gergiev / lso


昨日に引き続き、ゲルギー、ロンドン・シンフォニーのブラームス、シマノフスキ・シリーズの第2夜。第2番です。ブラームスの「悲劇的序曲」とそれぞれの交響曲第2番です。朝、リハーサルを聴いて期待がめちゃ高まっています。絶対ステキな音楽会になる確信あり。そして確信は、「悲劇的序曲」が鳴り始めると現実に変わりました。

素晴らしい緊張感。張り詰めた雰囲気。ゲルギーの真っ直ぐな解釈。ゲルギーはオペラの指揮者だから、このドラマはないけどドラマチックなオペラの序曲みたいな音楽を劇的に音にしていました。真っ正面から攻める正攻法。それにしてもゲルギーの指揮を見ていていつも思うのだけど、彼の中には音楽しかない。音楽が溢れるほどに詰まっている。多分この人、1日24時間、音楽のことを考えていて、音楽以外のことは頭にないんだろうな。わたしの友達にも分野が違うけど同じ空気を持ってる人がいっぱいいて、そういうの、よく分かるし、大好き。好きなことに熱中する子供みたい。だから、ゲルギーの指揮っていつ見ても手抜きなし。夢中になって音楽してる。もちろん、上手くいかないときはあるけど、それは決して手を抜いているからではなくって、一所懸命やってもダメなときもあるし、アスリートが走るごとに自己記録を更新するわけではないのと一緒。と、話がそれて、上手く行ってなかったことを仄めかした体になってしまいましたが、事実は反対。とてもステキな音楽でした。

シマノフスキの交響曲第2番は、第1番からぐんと進化している。オーケストレイションの過剰がなくなってすっきり、見通しがいい。とっても叙情的。後のシマノフスキのアラビックな神秘性はまだないけど、うねうねと揺れながら一筆書きのようにつながっていく終わりのない、一息で潜ってどこまで泳げるか息を止めてその先の世界を見るような快感。生温かなロマンチシズム。こういう曲は、ロンドン・シンフォニー得意よね。朝のリハーサルのときはもっと歌ってと言われてたけど、艶のある歌で音楽が流れて、美しい夢のような世界。ゲルギーも音楽の流を損なわず、盛り上がるところは盛り上げて、弱音はあくまで美しく、まあ、それが反対に、とりとめのないような鵺のような演奏に感じる人もいるかもなので好き嫌いは分かれるかな。わたしは、曲がそうなので明確に分かりやすく演奏するよりいいと思うんですけどね。

ブラームスの交響曲第2番。ブラームスの田園交響曲とも呼ばれているらしい、柔らかな気の置けない曲。がしがしと緊張で満ちた交響曲第1番や「悲劇的序曲」でブラームスとゲルギーの親和性の高さを聴かせてくれたけど、果たして、対照的な性格を持つこの音楽をどう演奏するか興味があったんです。ゲルギーのイメジとしては前者が合ってる感じだし。でも、予想に反して、このブラームス、第1番よりも良かったんです。自然体で何も特別なことをしていないんだけど、すっかりわたしのツボにはまって。まず第一にオーケストラが上手い。わたしが聴いたブラームスの交響曲の中で一番オーケストラが上手いかも。そして、ブラームスってオーケストラが上手くないとダメなんだって思いました。マーラーやシュトラウスや近現代の音楽みたいにアクロバティックなオーケストラの書き方をしていて、技術的な要求が高い曲よりももっとオーケストラの良し悪しが出てくるように感じたのです。今日のロンドン・シンフォニーは世界最高のオーケストラのひとつと自信を持って言える。ゲルギーがしなやかにオーケストラの美質を引き出して、オーケストラも気持ちよさそうにブラームスを演奏してるし。もしわたしがオーケストラの一員だったら、ブラームスが弾きたいな。第2ヴァイオリンがとっても面白そう。ブルックナーはヴィオラだけどブラームスは第2ヴァイオリン♪
ゲルギーのブラームスへのアプローチは、作曲家を尊敬して、作為を加えず作意を尊重するという姿勢。爆演、怖面のゲルギーのイメジとは真反対の(とはいえ顔つき、指揮姿はいつものゲルギーだけど)、優しい柔らかな演奏です。さわさわと緑の風が吹く、太陽の光りに満ちた音楽をブラームスとゲルギー、そしてロンドン・シンフォニーが奏でていきます。そしてなんと言っても静かな場面での静謐さに満ちた、平和な、温かな音が素晴らしかった!なんだか、子供の頃、遠くにポプラ並木の見える原っぱで遊んでいた頃の幸せな気持ちを思い出しました。すうっと心に入り込みました。わたしは、この演奏がゲルギー会心のブラームスじゃないかと思います。

あー今日はますますゲルギーが大好きになった1日。素晴らしい指揮者だわ〜。
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by zerbinetta | 2012-09-23 23:36 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)

ゲルギー・イン・リハーサル   

23.9.2012 @barbican hall

valery gergiev / lso

ロンドン・シンフォニーのディスカヴァー・デーの午前の部に行ってきました。午前10時のバービカン・センターは閑散として静かで、夜の音楽会の前の空気とは全然違う。のもいい感じ。今日はゲルギーとロンドン・シンフォニーのリハーサル。今晩の音楽会、ブラームス、シマノフスキ・シリーズ第2夜のリハーサル。

午前10時前、ステージでは音出しをしたり、三々五々集まってくる団員。今日はテレビ・カメラのクルーが来ていました。話しているのを聞くとフランスのテレビ・クルーみたい。どうしましょ。雨だからめっちゃ普段着で来てるし。って映る気満々。ってことはないんですよ〜。ロンドン・シンフォニーのドキュメンタリーを撮るのでしょうか。このあと、オーケストラはヨーロッパのツアーに出かけるみたいですね。

ゲルギーのリハーサル、前半にシマノフスキ、後半がブラームスでした。オーケストラも揃ってさあリハーサルとゲルギー登場。とその前に、テレビの人からオーケストラに説明があって(多分撮影のこととか)、ちょっと長かったので出鼻をくじかれて、ゲルギー、上着を指揮台のバーにかけて開始。どんなリハーサルをするのでしょう。

さらりと音楽を流してました。左手はズボンのポッケに突っ込んで、右手だけでさらりと。音楽をさっと1回通してお終いってリハーサルなのかな。しかし、ポケットに手を突っ込むとはやる気ないのかしら、なんて思っていたのだけど、ふうむ、ゲルギー、右手だけでテンポを示すだけで、まず、オーケストラに自発的な演奏を求めているのね(と、あとで気がつきました)。
黙って全部通すのかなぁと思ったら、お終いの方で止めて、最初の方から細かく練習していきます。今度はちゃんと左手もつけて。そう、最初、オーケストラに自由にやらせてそこから音楽を形成していくのですね。ちょっとたどたどしい英語というか、話し方がそうなのかもしれないけど、でも、要点をついた言葉で、冗談も交ぜて、指摘していきます。でも、言葉でというよりは、ゲルギーがいるだけで音楽が生まれてくるのです。決して身振りは大袈裟ではないし、表情豊かではないのだけど、身体から出る見えないオーラみたいなものが音楽を作っていくのを見るのは、見ていてとっても興味深(おもしろ)い。リハーサルは気になる箇所を重点的に繰り返して、指示はかなり細かいです。アーティキュレイションとか歌い方とかダイナミクスとかバランスとか、ゲルギーがこんなに細かな人だとは思ってなかったですもの、びっくり。ゲルギー以外と粘着質。まあオーケストラが上手いので2、3回で良くなるんだけどね。

休憩後のブラームスのリハーサルも同様。ポイント・ポイントを抑えて細かく作っていきます。こんなにやったらいくら時間があっても足りないんじゃないって思ったら、ちょうど1時に時計を確認して計ったようにリハーサル終了。ゲルギーのリハーサルの効率の良さ、時間管理の上手さにめちゃくちゃ舌を巻きました。ゲルギーが素晴らしい指揮者の所以ですね。それにしても、ブラームスの交響曲のステキさは、部分部分を聴いただけのリハーサルからもう十分に伝わってきます。今夜の音楽会がむちゃ楽しみ♡

リハーサルのあと、リーダーのシモヴィックさんと話し合うゲルギー
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by zerbinetta | 2012-09-23 03:21 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)

シーズン開幕!! 今年はゲルギエフ、ロンドン交響楽団 ブラームス、シマノフスキ・シリーズ   

22.9.2012 @barbican hall

szymanowski: symphony no. 1; violin concerto no. 1
brahms: symphony no. 1

janine jansen (vn)
valery gergiev / lso


いよいよ今シーズン開幕です!わたしはシーズン途中までしか聴けないけど、というかちょっぴりかすった程度にしか聴けないけど、シーズン開幕は迎えることが出来てわくわく。今年はゲルギーとロンドン・シンフォニーで開幕です。去年はオペラで開幕してバレエ、そしてオーケストラはロンドン・フィルだったんだけど、今年はオリンピックのためバレエの開幕は遅れて10月、オペラはチケットを取らなかったリングで開幕なのよね。オーケストラの1番はロンドン・シンフォニーから。

今年のゲルギー、ロンドン・シンフォニーの目玉は、ブラームスとシマノフスキの不思議な組み合わせ。シーズンを通して、ブラームスの交響曲全部と、シマノフスキの交響曲全部(4曲ずつ)、シマノフスキの2つのヴァイオリン協奏曲、ブラームスの「ドイツレクイエム」とシマノフスキの「スタバト・マーテル」が演奏される魅力的なプログラム。おそらくシマノフスキは、ゲルギーにとって初めて集中的に採り上げる作曲家。ここ最近ゲルギーは、数年にわたるマーラーの全曲演奏会をしたり、シチェドレンやドゥティユーを集中的に採り上げたりレパートリーの開拓を意識的にしているフシがあります。それと組み合わせられるブラームスは、多分今まであまり振ってこなかった(少なくともロンドン・シンフォニーとの数年間で古典は、サー・コリンさんやガーディナーさんたちに任せていたような感じな)ので、ゲルギーの古典も怖いもの聴きたさで興味あります。ゲルギーは、ロンドン・シンフォニーではお国ものやマーラーや近代音楽で、しっかり自分の良さを見せつけていた感じ。ブラームスでどんな演奏をするのか(ピアノ協奏曲は前に聴いているけど、それは独奏者の音楽が強く反映するから、ゲルギーの音楽とは完全には言い切れない)、聴いてみたかったんです。

今日は、ブラームス、シマノフスキ・プログラムの第1弾。1番です。シマノフスキの交響曲、ヴァイオリン協奏曲、ブラームスの交響曲の全て第1番。それにしても、何でブラームスとシマノフスキの組み合わせなんだろう?全然、音楽が違うと思うんだけど。どちらも交響曲を4曲、残しているからかな?プログラムが有機的に構成されている必要はないけど、何か意味を勘ぐっちゃいますね。
シマノフスキ、大好きなわたしにはもう本当に魅力的な企画。交響曲第1番なんて、こんな機会でもないと聴く機会なんてないし。

シマノフスキの交響曲第1番は、いろんなものが大過剰でちょっとよく分からない感じの音楽。音楽の骨格に、良くしよう良くしようと粘土をべたべた塗っていったらよく分からないものになってしまった感じ。オーケストレイションが、とにかく厚塗りしたようで、かえって不透明になってしまったように思えました。ごちゃごちゃしすぎてそれぞれのパートがくっついた団子のようにお互いの輪郭がはっきりしません。ゲルギーの演奏は、オーケストラを豊かに鳴らしてゴージャスな感じでした。木管楽器はコーヒーの中に渦を描いて沈んでいくクリームのように、クリーミーな輪郭がはっきりしてとてもステキだったし。音のお団子は、でも、演奏の責任ではないなぁ。
曲調は、リヒャルト・シュトラウスに似てると解説には書いてあったけど、わたしはそれほどシュトラウス色を感じませんでした。わたしはむしろ、スクリャービンや初期のシェーンベルクの匂いを感じました。前に聴いた初期の作品、「演奏会用序曲」がシュトラウスと言っても信じてしまうくらいにうり二つだったので、意外。あっでも、世評はやっぱりシュトラウスに似ているとうことなので、わたしの感じ方の違いかもしれません。

ヴァイオリン協奏曲第1番、わたしの大大大好きな曲は、ソリストにジャニーヌ・ヤンセンさんを迎えて。ヤンセンさんは、すごくいいと思ったときがあったり、普通かなと思うときがあったり、多分曲との相性でしょうけど、あなたについていきます! と宣言できる音楽家ではなかったので、今日はどっちかなぁと思いつつ、奇跡がっ!!あわわわ、何だか魂が音楽に連れ去られて、空虚になった体がぽかんとしちゃいました。唖然。圧倒的。第2主題のあたりで涙がぽろぽろ出始めて、カデンツァでがつんと来てしまった。もう最高の出来。一世一代の名演。CDを含めて今まで聴いたこの曲の中で最高の演奏。
ヤンセンさんのシマノフスキは透明なエロス。着エロってのかしら?ちがう?この音楽ってふたつの正反対の要素が、表と裏の曖昧なメビウスの環のように同時に存在しているんですね。静と動。清楚でエロティック。冷たくて熱い。そんな音楽をヤンセンさんは見事に音にしました。冷たい火花がスパークするように、アグレッシヴな熱い感情を冷たい閃光で音にする。めまぐるしく変わるきらきらとでこぼこのガラス玉を通した光りの色彩のような音。情熱的でも熱くならない冷静なコントロール。それを外から俯瞰してではなく、裡から作り上げていく凄さ。
ゲルギーとロンドン・シンフォニーのバックもヤンセンさんを盛り立てるように、あるときは積極的に、あるときはひっそりと、実に上手く音楽をつけていきます。もともとカラフルな音色のオーケストラ。オーケストラとソリストのお互い刺激しあって、協奏の妙を味わいました。

後半は、カジュアルな私服に着替えたヤンセンさんが近くの席に座りました。さっきまで牝豹のように鋭くヴァイオリンを弾いていたのに、今は、すうっと清楚な若者という感じです。かわいらしい。出番のあと、客席で音楽会の続きを聴くソリストさんはあまり多くないのだけど、一緒に音楽好き仲間って気がして嬉しくなりました。
ゲルギーのブラームスは、意外や意外、好きかも。確かに小さな瑕(わたしにとって)もいくつかあった。ティンパニがトーマスさんじゃなくって(シマノフスキは乗り番だったのに)、最初のティンパニの連打がわたし好みじゃなかったり、アンサンブルの乱れがあったのもの、素晴らしい演奏。ゲルギーはあまり仕掛けてきません。じっくり丁寧に堅固な石の建造物を造るように音楽を組み立てていくのだけど、ゲルギーと言ったらロシアものとか思ってる人から見れば、辺境のレパートリーであるブラームスなのに、揺るぎのない自信を持って音楽を作っているのがありありと分かります。どこをとっても、曖昧に誤魔化しているところはなくて、どのひとつひとつの音符もなぜそれがそこにあるのか、そういう風に演奏するのか、言葉で説明できるような演奏です。ゲルギーはブラームスをとても雄弁に語ってる。去年聴いた彼お得意のレパートリー、チャイコフスキーの交響曲第5番の演奏よりも揺るぎない(あのときのチャイコフスキーは、ゲルギーが過去の演奏を捨てて新たな音楽を生み出そうとしている苦悩のが分かりました)。ただ、100%の演奏かというとそうではなく、少し伸びしろが感じられました。

今日のゲルギーは楊枝の指揮棒。指揮棒いらないんじゃね、と思いつつ、それにしても、ゲルギーとシマノフスキ、ゲルギーとブラームスのアフィニティの高さを感じさせる、これからのブラームス、シマノフスキ・プログラムの充実を予感させるのに十分な演奏でした。これはぜひ、CDに残して欲しい。マイクが立っていたし、このシリーズの音楽会、2回ずつあるのできっと録音されるのでしょう。ぜひCDを、とツイートしたら、CD化されるとの回答。これは待ち遠しいですよ。楽しみ〜〜。
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by zerbinetta | 2012-09-22 20:55 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)

きゃー速すぎて朝ごはん歌えない ノセダ、ロンドン交響楽団「運命」   

21.06.2012 @barbican hall

wagner: prelude and liebestod from tristan und isolde
berg: three fragments form wozzeck
beethoven: symphony no. 5

angela denoke (sp)
gianandrea noseda / lso


恥を忍んで告白しましょう。今日の指揮者、ノセダさん、わたしずうっと日本関係の人だと思ってました。だって野瀬田さん。ね〜、日本人っぽい名前でしょ。日本人じゃなかったらきっとロシア人?だって、ゲルギーのマリインスキーで主席客演指揮者だったから。でも、なんとイタリア人だったんですね。びっくり。BBCフィルハーモニック(BBCシンフォニーとは別物です)の指揮者をずっとやっていて、今はイタリアのオペラ劇場の指揮者です。プロムスとかで何回かチャンスはあったようだけど聴くのは初めて。さてさて。

始まりは「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死。いきなり始まっていきなり終わっちゃう曲。今日は歌付きで、デノケさんが歌います。彼女、今、ロイヤル・オペラでサロメを歌ってるんですね。合間を縫っての登場。
その演奏なんですが、わたしはちょっと気持ちがそわそわと落ち着かない感じで、この曲には海というか水のイメジがあるんだけど、ちょっとこせこせしてお風呂で溺れちゃった感じに聞こえました。テンポが速いわけではないのだけど、なんだかこうピタリと止まらないうちに次に行っちゃうせわしげな感じ。それは歌が入っても同じでした。オーケストラ主導だからかしら。もう少したっぷり大らかにしても良かったのではないかと思います。

2曲目の「ヴォツェック」からの3つの断章は、ベルク自身がオペラを組曲にした作品です。オペラの上演が難しいとの理由で、指揮者のシェルヘンが作曲者に勧めて書かせたようです。ソプラノ独唱を含む3つの楽章。実際こちらの方がオペラよりも先に演奏されています。
これはもうさっきと打って変わって素晴らしかった!音楽がクリアで、ベルクが書いたミニチュア細工のような精緻な音楽が全てきちんと聞こえてくる演奏。だから曲の緊密な構成まで分かるようで、本当に凄い。それに艶があって(「ヴォツェック」の音楽って、「ルル」と違って艶やかしさに欠けると思っていました)、とげとげとした音楽なのに聴いてて心地良いのです。これは絶対、オペラを聴いてみたいと思いました。

休憩のあとは、ベートーヴェンの交響曲第5番。タイトルには短いし分かりやすいので通り名で「運命」と書きましたが、もちろん、名前は付いてないのです。この有名な始まりのじゃじゃじゃじゃーーん。とたんにびっくりしてしまいました。速い。むちゃ速い。オーケストラが途中で振り落とされるんじゃないかと思うくらいの暴れ馬の疾走。あの「朝ごはんの歌」が早口すぎて歌えないほど。古楽器の演奏で速い演奏もあるけど、それに負けず劣らずというかそれよりも速いくらい。そしてそれは、ピリオド演奏からの解釈じゃなくて疾風怒濤の激しい、嵐の海の小舟みたいに翻弄される運命なんです。それにしてもよくオーケストラ落ちなかったな。さすがロンドン・シンフォニー。
こんなふうに始まったからとってもワクワクしながら聞き始めたんですけど、第2楽章からはなんだか普通の感じに戻って、ちょっと残念。ってわたし、第2楽章をアレグレットくらいでスキップして欲しかったのか。ううむ、じゃあ、ここで対比を付けて、運命の動機が出てくる第3楽章で爆裂テンポに戻るのかって期待しても、肩すかし、第4楽章も堂々としたテンポで。いや〜わたし、何を期待してるんだろ?とても良い演奏ではあったんだけどね。でも第1楽章で瞬間風速50メートルに煽られたから、最後まで煽られていたかったというか、オーケストラ全員が振り落とされてもわたしだけは付いていく〜というか。でも、最後盛り上がって興奮してたからいいか。お客さんもずいぶん盛り上がってたしね。わたしがちょっとへそ曲がりだけど、とはいえ、ちゃんと楽しんでいました〜。
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by zerbinetta | 2012-06-21 06:01 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)

痛恨の微睡、もしくは至福の時 ピレシュ、ハイティンク、ロンドン交響楽団 モーツァルト、ブルックナー   

14.06.2012 @barbican hall

purcell/steven stucky: funeral music for queen mary
mozart: piano concerto no. 23
bruckner: symphony no. 7

maria joão pires (pf)
bernard haitink / lso


本当は今日はフィルハーモニアのチケットを持っていました。でも、ハイティンクさんのブルックナーをどうしても聴きたくなって、チケットをリターンしてこっちに来てしまいました。買うときもずいぶん悩んだんですが。。。
その理由は、ハイティンクさんのブルックナー交響曲第7番は前に、シカゴ・シンフォニーとの演奏を聴いて、あまりよい印象を持たなかったこと、でもロンドン・シンフォニーとの第4番は同曲のわたし一番の演奏になったこと、この間のロイヤル・コンセルトヘボウとの第5番がいまいち焦点が合わなかったことで、ハイティンクさんのブルックナーをどう捉えて良いのか、わたしの中でもやもやしてたからです。今日聴いたからといってもやもやが晴れるとは思わないんだけど、でも晴れたらいいなと、淡い期待もあって。第7番大好きだし。ピレシュさんのモーツァルトなんて至福の時だしね。

と、思っていたのに。のに。なんと、モーツァルト、うつらうつらと眠ってしまったんです。痛恨の極みだわ。全く聴いていなかったわけではありません(言い訳)。ただ音楽の心地よさに、心がとろけてしまって、夢とうつつを音楽に乗ってゆらゆらと。演奏者とモーツァルトには悪いけど、でも、こんなステキな生演奏でうっとりと眠るのって至福の贅沢ですよね(恥の上塗り)。ううう、悔しい。最近は音楽会で寝ることがないのでちょっと油断してた。モーツァルトじゃなくてブルックナーで寝るべきだったわ。だって、ちょっとくらい寝ても同じことやってるし。

ピレシュさんのモーツァルトの前には、パーセル、スタッキー編曲の「メアリー王女のための葬送音楽」が演奏されました。管楽器のための音楽です。そういえば、リハーサルで聴いた前回は、パーセルの弦楽合奏のための作品、今日は管楽器と対をなしたプログラムですね。もともとは合唱のための音楽でしょうか。管楽器のコラールがとってもきれい。でも、ジュビリーのおめでたいときにこの音楽はありかってもちらっと思った。

そのブルックナー、霧が晴れるように明快な演奏なんだけど、ハイティンクさんへのもやもや感は消えることはなかった、というか、ハイティンクさんのブルックナーが一筋縄ではいかないことが分かりました。曲によってわたしとの相性がこうも違ってくるのにびっくりしてます。
ハイティンクさんのブルックナーの第7番はとってもストレイトに美しい演奏。ロンドン・シンフォニーの音色の柔らかさも相まってとってもきれい。ではあるのだけど、とろけるようなクリーミーな音楽ではなくて、芯は固いアルデンテのような音楽なんです。大好きなカラヤンの演奏で比較すると、晩年のウィーン・フィルとの録音ではなくて、ベルリン・フィルとの録音の方。カラヤンが自分のやりたい音楽を徹底的に表現した硬質な、でも美しい演奏なんだけど、ハイティンクさんのを聴きながら、なぜかそれを思い出していました。音楽が渓流のようにさらさらと流れて、第1楽章は、息の長い歌の最初の主題こそ、普通に幅広いテンポで歌っていたんだけど、第2主題、ダンスのような第3主題は速めのテンポで、すっと流れてすがすがしい。ブルックナーの音楽を渓流に例えた時点で、頑固なブルヲタさんから見れば、なんたることってなるのでしょうが(例えるなら大河に例えられることが多いような気がする)、わたしは、ありだなって思いました。スマートでかっこいい。

第2楽章は澄み切った青空。暗さが全くなくって、静かな充足感と、速いテンポで弾かれた第2主題の美しさと慰め。重さよりかろさ。ワグナーの死に際して書き進められたワグナーチューバの4重奏から始まるコーダのところも、決して悲しみではなく、安らぎのある表現。悲しみのかけらもない。ブルックナーの音楽に悲しみなんてあり得ないんだと思った。だって、彼は深く神さまを信じているから。すでに神さまに救われている人に欠けとか悲しみなんてないのですね(キリスト教ってそういう信仰でしょ)。ブルックナーはそりゃ俗世で、諍いとか認めてもらえない辛さとかあったと思うけど、神さまの前では全てが解決されてて悲しみなんてなかったと思うし、神さまへの捧げものとして作曲していた音楽にも、悲しみが持ち込まれる余地なんてなかったに違いないって思います。そういうことをハイティンクさんの演奏を聴いて強く感じた。ただ、ハイティンクさんがそんなカトリック的な音楽をしていたからというわけではないんですけどね。多分、ハイティンクさんはより現実的に、楽譜に描かれていることを丁寧に抽出して職人的に音にしていたんだと思う。

後半の第3楽章も第4楽章も、ハイティンクさんのザッハリッヒな演奏は冴えています。余計な感情は捨てて、きわめて丁寧にしつこく、音楽の美しさを追求して引き出してる感じ。だからこそからっとすがすがしい。第4番のときはもうちょっとウェットな演奏だと思ったんですが、音楽の完成度の高い第7番は、楽譜をきちんと音にできれば十分に素晴らしい音楽になるので、小細工は必要ないんですね。確固とした意志を持って、余計な精神論を伴わない純粋な音楽を作っているのだと思います。でも、そんな硬質な解釈なのに、ロンドン・シンフォニーが柔らかな音色で応えるから、もうなんとすっきりと清々しく美しいんでしょう。ハイティンクさんとロンドン・シンフォニーのいいとこ取りをして最良の成果を出した演奏ではないでしょうか。
ただ、それをわたしが好きかどうかは別。納得しつつも、もっと好きな演奏あるかなぁなんて思ったりして。少し感情移入する隙間のある演奏が好きかな。

オーケストラはハイティンクさんを本当に敬愛しているようです。ハイティンクさんを称えるオーケストラ全員の拍手は、たっぷりと心のこもったもので、今日の音楽会で一番感動したのは、このときでした。本当に良い関係なんだ。いつまでもこの友情が続きますように。
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by zerbinetta | 2012-06-14 07:29 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)

こんにゃくゼリーには気をつけて ピレシュ、ハイティンク、ロンドン交響楽団リハーサル   

10.06.2012 @barbican hall

(rehearsal)
purcell: chacony in g minor
schubert: symphony no. 9
mozart: piano concerto no. 20

maria joão pires (pf)
bernard haitink / lso


LSOのディスカヴァリー・デー、シューベルトで、午前中、ロンドン・シンフォニーのリハーサルがあったので行ってきました。ほんとは1日のプログラム(午後はLSOセント・リュークスでシューベルトについての講演と「鱒」の演奏)だったんですが、日曜日に早起きしたせいで眠く、よるも音楽会があったので、午後の部はスキップしてしまいました。

さて、朝10時のバービカン・センター、人が閑散としていて、なんだかいつもの場所じゃないみたい。ロンドン・シンフォニーのメンバーも私服で三々五々集まってきます。リハーサルの朝のこんな雰囲気好き。ハイティンクさんも私服でステージに出てきて、指揮台には椅子があったけど指揮するときはほとんど立ったまま指揮していました。元気なおじいさん。

1曲目のパーセルのシャコンヌは弦楽合奏のとってもきれいな曲。それにしても、当たり前ですが、ロンドン・シンフォニーはリハーサルでもロンドン・シンフォニー。もう上手い。上手すぎる。とろけるように音色がきれいで、もうこれ以上何を望むとこあるのって思うくらいだし、ゲネプロだからもうほとんど出来ているんだけど、ハイティンクさんは、途中止めて気になるところを繰り返させてました。オーケストラの方からもリーダーのシモヴィックさんをはじめとして何人かから意見が出て、お互いに納得のいく音楽作りをしていました。この曲を聴いただけでも今日来た甲斐があります。

2曲目は本番と順番が違ってシューベルトの交響曲第9番(とプログラムに書いてあるのでそう書きます。もちろんハ長調の大交響曲)。ホルンのユニゾンが始まった瞬間、えっ!っと思ったとたんこんにゃくゼリーを飲み込んで喉に詰まらせてうぐうぐびっくりした感じ。テンポが速くてレガートで、わたしの好みとは全然違った。ハイティンクさんはこの曲は、部分部分しかリハーサルしなかったので、全体の音楽がどうなってるのか分からないので、何とも言えませんが、どうなんだろう?序奏ではなく主部の一部(第3主題的に)としての扱い?ううむ。全体を聴いてみたくなりました(残念ながら本番は聴きに行かないのです)。
それにしても、ロンドン・シンフォニーのリハーサル、遅刻してくる人が何人かいて、ロンドンらしくてゆるいなぁって思いました(ロンドンは地下鉄がよく止まるので目的地に時間どおりに着けない、というのをどうやら普通のこととして思ってるフシがあるのですよ)。
そうそう、今日のオーボエの人、めちゃくちゃ上手くて、わたしは、シスモンディさんをロンドン・シンフォニーに呼ぶ会(CLYK)会長なんだけど、今日の人も正直、ロンドン・シンフォニーのスタイルに合ってるし、この人でもいいなか、と悔しいけど思いました。で、あとで調べてみると、なあんだ、フィルハーモニアの主席のコーウィーさんでした。それならロンドン・シンフォニーに横滑りはないかな。安心して(?)CLYKを続けることが出来ますね。

休憩があって最後は、ピレシュさんとモーツァルトのピアノ協奏曲第20番。これは通しで演奏されました。これがもう至福。ピレシュさんのピアノが聞こえたとたんに心がメロメロ。ピレシュさんのピアノは端正で、音楽しか感じさせない。感情も情景も音符の中に、出てくる音の丸い粒の中にビー玉の模様のように閉じこめられていて、音だけが心の上に撥ねるの。本物の音楽を弾くピアニストのひとり。あんなに小さくて手も小さいだろうからハンディもあると思うんだけど、全くそんなことを感じさせない、ナチュラル系のお洋服のように飾らない自然な音楽。ロンドン・シンフォニーも柔らかな上質の音でピレシュさんをサポート。リハーサルでこれだけのものを聴かせてくれるんだから、本番ではさぞかし幸せなときが流れるんだろうな。

PS 本番を聴かれたMiklosさんのブログはこちら

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by zerbinetta | 2012-06-10 00:25 | ロンドン交響楽団 | Comments(4)

異次元の歌 MTT、ロンドン交響楽団 マーラー交響曲第5番   

03.06.2012 @barbican hall

mozart: violin concerto no. 5
mahler: symphony no. 5

gil shaham (vn)
michel tilson thomas / lso


MTTとロンドン・シンフォニーによるマーラーのシリーズ、第3回にして最終回は交響曲第5番です。前2回が良かったので自然と期待が膨らみます。今日は、シャハムさんのソロでモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番と。

シャハムさんって良い感じにおじさんになりましたね。前に聴いたのは(この間のをのぞいて)、10年くらい前で、まだ若くてかっこよかったんだけど、今はにこやかおじさん。でもそれが人柄が滲み出てるみたいでいいんです。ステージの上でとても楽しそう!
モーツァルトの協奏曲はこの間ズーカーマンさんのソロで聴いたばかり。聞き比べになりました。
MTTとシャハムさんのモーツァルトは爽やかロマン。ちょっぴり甘いけど、まだ開いていない、うぶさを秘めたプラトニックな恋のよう。というより、まだ手をつないだばかりの人と、草原にピクニックに来たような爽やかさ。爽快に風が吹く。青空が高い。おじさんふたりが若者のモーツァルト。っていうかこのおふたり若いよね。老獪な感じがなくって音楽がストレイト。柔らかな現代楽器の音楽だけど、べたべたとならずに寒天のようにさくっと切れる。かといって下手な古楽器演奏のように音が真っ直ぐになりすぎないのがいいの。この頃はふたりでおしゃべりするだけでも楽しいのよね。手をつないで駈けるのも。ふたりは見つめ合い、そして音楽は謎かけの微笑みを残してすうっと消える。そのあと何があったか、なんて言うのも野暮。

休憩のあとは、マーラーの交響曲第5番。この曲もつい先日、ガッティさんとフィルハーモニアで素晴らしい演奏を聴いたばかりなのでした。そして今日またここに素晴らしい演奏が。
MTTは交響曲第4番や第1番で聴かせてくれたとおり、マーラーの音楽を自家薬籠中にしりつくしていてもう盤石な音楽作り。今日は、旋律の歌い方というか音楽の伸び縮みが前にも増して自由で、よく聴くとかなりデフォルメされているんだけど、それが実に自然でちっともわざとらしくなく、さりげないふうを装ってるのでもうそこからしてMTTマジックにはめられる。同じことをマゼールさんがやると変態なのに、MTTがやると仕掛けてるようには聞こえない。そんな、MTTの音楽をロンドン・シンフォニーが最高の精度でフォロー。上手いのなんのって。特にトランペットのコッブさんのソロは完璧。ああどうして、MTTはサンフランシスコではなくロンドンで録音してくれなかっただろうって言うのは、サンフランシスコには失礼?
MTTの良さは、俗なところが取り繕うことなくしっかり俗っぽいのに、それがまた歌心に溢れていてとってもきれいなところ。マーラーの音楽は、特にこの交響曲第5番は高尚な部分と俗っぽい部分がごちゃ混ぜにしてるっぽい感があって、深い悲しみに包まれてると思ったら、突然メランコリックに大泣きしてみたり、起伏が激しくて急にどこに連れて行かれるか分からないんです。交響曲第1番の第3楽章の気分を拡大した感じ。その対比の扱いがMTTはとっても上手くて、音楽の美しさという大きな器の中に入れ込むのだけど、ちゃんと器からはみ出ている部分を作るし、まああほんとにもうわたしのツボ。

第1楽章は、悲しみに包まれてるけど、美しく柔らかく音楽が流れていく。ゆっくり目のテンポで旋律の扱いはものすごく丁寧。そしてそれに絡んでくる対旋律も見事に浮き上がらせて、複雑な音楽なのに聴いた感じは透明で淀まない。短いフレーズの中での緩急の差が大きめにとられていて、時間の感覚が曖昧になってくる。歩みのある葬送行進曲というより、気持ちの揺れる心象的な葬送曲。そして常に柔らかな慰めがあるので深刻になりすぎないの。
続く第2楽章は、第1楽章を発展させてさらに複雑にした音楽だけど、やっぱりここでもMTTの音楽は明確で濁らない。表現の幅は大きくて、かなり大胆に演奏しているのに、聞こえてくる音はスマートで、良い意味で中庸に聞こえちゃうのがMTTの凄いところ。真ん中でチェロのパートソロで出てくる独白は、思いっきり音を抑えて、ドキリとするような表現。

スケルツォは、MTT節全開だったな。ホルンのソロのティモシー・ジョーンズさんは、深い音で朗々と。この間のフィルハーモニアのケイティさんが柔らかで女性的な音だとすると、ジョーンズさんは、ワイルドで男性的。どちらも上手いんだけど、この曲にはジョーンズさんの音の方が合うかな。そしてこの楽章の、フォーク・ダンスのような俗っぽい踊りの音楽はまるでMTTを待っていたような、彼によって音楽の底にあったものが目を覚ましたかのよう。音楽が品位を失う一歩手前で表現を止めて、感情に直接訴えてくる流行歌のような音楽でも見事に芸術的。ピチカートでワルツが奏でられるところのリズムの自由さは凄かったな。あんなところでも完璧に合わせられるオーケストラも凄いけど。

アダージエットは、うっとりとするような世界。この間のガッティさんの演奏が風がさあっと吹き抜けるような演奏だったのに対して、MTTはもったりしないけど遅めのテンポで夢の世界を作ってく。なんて美しい、満たされた世界。時が止まったよう。それはホルンの合図に朝が来ても同じでした。目が覚めても時間の感覚がない。今どこにいるのか、今どの辺の時間にいるのか、分からなくなっていつまでも音楽が続いていく錯覚に襲われました。そしてそれは希望。この音楽がいつまでも鳴り続けていればいいのに。終わってしまうなんて嫌。それがどんなに勝利のファンファーレでも現実世界に戻るより音楽の中に住んでいたいと思ったのでした。最高の音楽。MTTのマーラーはどれも良かったけど、そして交響曲第5番は、ガッティさんやマゼールさん、ネゼ=セガンさんの素晴らしい演奏を聴いてきたけど、今日のマーラーはわたしのマーラー体験の中でも最も完璧だったもののひとつになったのでした。

MTTさんありがとう。充実した表情ですね
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by zerbinetta | 2012-06-03 17:02 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)

我が青春の讃歌 MTT、ロンドン交響楽団 マーラー交響曲第1番   

31.05.2012 @barbican hall

berg: chamber concerto
mahler: symphony no. 1

yefim bronfman (pf)
gil shaham (vn)
michel tilson thomas / lso


MTTとロンドン・シンフォニーのマーラー、今日は交響曲第1番です。そしてその前に、ベルクの室内協奏曲。今日はなんだかずいぶん空いていたです。3階席がらがら。
音合わせが終わって、MTTが出てくるのに、あれれ?ソリストは?って思ったら、MTTが曲目解説。オーケストラ、この曲は独奏者ふたりに管楽器だけの13人のオーケストラです、にポイントとなるメロディを吹かせながら、分かりやすく説明してくれます。耳になじみのない曲なので、これはいいな。USでは、簡単な解説付きの音楽会、結構あったのにそういえばロンドンでは珍しいな。でーーも、そのせいで解説中に遅れてきた人を入れてたから、わたしの隣に駆け込みで間に合った人が、はーはー息を切らしながら。音楽が始まってもしばらく、はーはーしてたのでなんだか集中できませんでした。席いっぱい空いてるんだからわざわざ隣に座るなよーーって悪態つくところでした。
というわけで、最初はぜーぜーはーはーに、気をとられていて、MTTが示してくれた音律を耳で追うのにあっぷあっぷしてたんだけど、そのせいで(結局わたしのせいなんだけど)音楽を楽しむことをすっかり忘れていました。ちょっとお勉強的に聴いてしまった室内協奏曲。ブロンフマンさんとシャハムさんのソロは見事で、ロンドン・シンフォニーの管楽器も相変わらず上手いったらありゃしないので、ステキな演奏だったんだけど、乗れないまま終わってしまいました。ううむ、わたしの負け。

気を取り直して、マーラーの交響曲第1番。大好きな大好きなわたしの青春の音楽です。クラシック音楽が好きになったきっかけはこの曲ではないけれども、音楽にどっぷり浸かっていく、言い換えればクラヲタになったきっかけは、ラジオで聴いたこの曲のせいです。それはもう強烈に覚えています。
MTTの指揮でこの曲を聴くのは初めてだけど、もうなんというか、素晴らしすぎ。旋律の歌わせ方は丁寧で上手いし、細かな隅々まで目が行き届いていて、どんな些細なところも手抜かりなし。MTTは完全にこの音楽を自分の中に取り込んでいますね。ロンドン・シンフォニーもそれぞれの奏者が、音楽を完璧に理解していて、自発的に演奏してるので、伴奏の和音とか、アクセントの揃え方とか、もう自然に音楽に生まれ変わるのね。そんな優秀なオーケストラを自在にドライヴして、MTTはさっと魔法をかけて音楽にさらなる活力とと命を与える。理想的な指揮者とオーケストラの共演。一見、整いすぎててかえって物足りないと感じる演奏だけど、よく聴くとMTTも結構突っ込んだ表現をしていて、さりげなくデフォルメしてるんです。
第1楽章が終わったところで、客席で携帯電話が鳴って指揮者もオーケストラも笑っていたけど、余裕というか、その和やかな雰囲気で始まった第2楽章が、生命力に満ちあふれていて、思わず泣いてしまった。まさに順風満帆。わたしにも、むやみやたらと(根拠のない)自信があって、肩で風を切って歩いていたときがあったなって。若気の至り。マーラーの音楽にもそんな気風があるよね。希望と挫折。そしてより大きな希望と未来への確信。後年マーラーが最も憧れていた音楽が現在進行形であるんだもん。

第3楽章のコントラバスは、ひとりのソロ(ただ単にソロと書くとひとりのソロなのかパート・ソロなのか分かりませんものね。だから意見が割れるんですが)。わたしは、どっちでもいいです。ゲルギーとロンドン・シンフォニーのときみたいにパート・ソロなのにひとりで弾いてるように聞こえるのもびっくりするくらい素晴らしいし。MTTはおちゃらけた合いの手や葬送の音楽にそぐわないふざけたフォーク・ソング調の旋律をしっかり強調して、特に後者は速めのテンポで、音楽の後ろにあるカリカチュアライズされた風景を描き出していました。動物たちの行進。とてもいい感じ。「カロ風の葬送行進曲」と題されていたけれども、マーラーがインスパイアされた絵自体はカロのものではなくてシュヴィントという人の「狩人の葬送」(この絵)なんですね。
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カロ風というのはむしろマーラーが影響されてたETAホフマンの「カロ風幻想曲」という文学作品からとったみたいですね(この本の序文は「巨人」を書いたジャン・パウルが付けているそう)。とあまり関係のないことを書きましたが、カロのエッチング、ナンシーのロレーヌ美術館で観たことがあります。漫画のように滑稽で哀しくて、独特の雰囲気があって、ああ、マーラーの精神的な雰囲気を共有してるって思いました。真面目になればなるほど滑稽さが同居してしまうマーラーの音楽。おこがましいけど、自分に似ていて共感してしまうのです。

そしてフィナーレ。振幅の激しい音楽だけど、特に叙情的なところが、柔らかで美しく、歌わせ方がとってもステキ。そして、中間の華々しいファンファーレのあと、突然転調がされる場面で、ドキリとするほど長い間合いをとって、わたしはメロメロ。こういう瞬間恋に落ちるのよね。最後のホルンの起立は、マーラーが指定した箇所ではなく、その数小節後だったけど、MTTはマーラーの書いたスコアを尊重しつつも、自分の耳目でマーラーのスコアを読んで、同化してそして異化して、自信を持って演奏しているのが分かる。そして彼のマーラーを見つめる目は温かく柔らかい。MTTのマーラーはわたしには掛け替えのないマーラーです。
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by zerbinetta | 2012-05-31 23:30 | ロンドン交響楽団 | Comments(2)

お葬式にはこの音楽を MTT、ロンドン交響楽団 マーラー交響曲第4番   

27.05.2012 @barbican hall

beethoven: piano concerto no. 3
mahler: symphony no. 4

llýr williams (pf)
elizabeth watts (sp)
michel tilson thomas / lso


マイケル・ティルソン・トーマスさん(MTT)はロンドン・シンフォニーの主席客演指揮者のひとり(もうひとりはハーディングさん)。毎年数公演振りに来るのですが、今シーズンは何故か多くて、冬にフランスものを2回振って、今回3回にわたってマーラーの交響曲を演奏します。今日はその1。交響曲第4番。マーラーの交響曲の中では一番編成が小さくて、明るい軽い音楽だけど、わたし的には最も演奏の難しい(なかなか良い演奏に出会えない)音楽のように聞こえます。親しみやすい、古典的(ハイドン的)に見せかけて、とてもたくさんの仕掛けをマーラーが施してると思うから。MTTの演奏は、サンフランシスコ・シンフォニーとのCDを持っていて、好きな演奏のひとつなんだけれども、さて、ロンドン・シンフォニーとの今日はどうでしょう?

このシリーズでは、マーラーの交響曲の前に、協奏曲があって、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、室内協奏曲(ピアノとヴァイオリンが独奏)が演奏されるのだけど、そのソリストには、ピアニストのブロンフマンさん、ヴァイオリニストのギル・シャハムさんがクレジットされていました。でも、今日はブロンフマンさんが病気で急遽、代役にウィリアムズさんが登場です。メイルによると、ブロンフマンさん、次の音楽会では多分大丈夫だろうということ。大事に至らなくて良かった。

ウェールズ出身のウィリアムズさんの音楽は、めちゃロマンティック。ブロンフマンさんが、がっしりと構築されたドライで強固なベートーヴェンの演奏を予想させたのに対して(わたしの勝手なイメジです)、ロマン派の音楽を聴くように大らかに歌う。ちょっとびっくりしちゃいました。MTT自身のベートーヴェンも確か、ここまでロマンティックな演奏じゃなかったと思うので、これはピアニストの音楽でしょうね、きっと。でも、オーケストラもしっかりとそれに応えて、仄暗くもクリーミーで柔らかな演奏でした。ベートーヴェンのピアノ協奏曲には、例えば第5番の第2楽章のように、とってもロマンティックな音楽があるのも事実だけど、わたし好みの演奏かな、と思うと、そうではありませんでした。でも、ここまで外連味なく演ってくれると納得です。

休憩のあとは、マーラー。マーラー聴き始めの頃は、マーラーっぽくないって偉そうなこと言って、あまり好きな曲ではなかったんだけど、今はとっても好き。わたしの好きな演奏は、仕掛けを面白く効かせてくれる演奏。この曲の第1楽章と第2楽章に、マーラーはバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタのフーガで見せてくれたような対位法の仕掛けを存分に埋め込んでいると思うのだけど、何となく聴いただけでは分からないその妙を上手に聴かせてくれる演奏が好きなんです。MTTの演奏は、細かなところを強調するより、丁寧に全体の絵を描くような演奏。ありゃ、わたしの好みとはちょっと違うな〜、と思いつつ、予想外の木管楽器の強調とか、トランペットのコッブさんのヴィブラートめちゃくちゃきれいだわ、なんて思いつつ、聴いて、でも、MTTの語り口が分かり始めてくると、これはなかなかステキって思えて、第1楽章の最後の方からは、とっても楽しめたんです。
第2楽章のスケルツォでは、調弦を高くしたヴァイオリンのソロが活躍で、そういえばリーダーのシモヴィックさん、ロンドン・シンフォニーのテストを受けていたときは、やっぱりMTTの指揮だったのよねって思い出して、あのときは、ずいぶん体を揺すって、指揮者よりも目立っていたわ〜、でも今ではピッタリとロンドン・シンフォニーのリーダーにはまって、良い人選んだんだわって思ってなんだか嬉しくなっちゃった。

そして今日の圧巻は、究極の美しさで奏でられた第3楽章。音楽はゆっくりと息が長く弾かれるのだけど、オーケストラは全く息切れせずに十分な呼吸で弾いていく.上手い。上手すぎ。MTTのマーラーは、彼のオーケストラ、サンフランシスコとの演奏がとっても高い評価を受けてるけど、ロンドン・シンフォニーとの方が親和性が高いのではないかって思いました(交響曲第3番ではサンフランシスコとのCDよりもその前に録音されたロンドンとのCDの方がわたしは好きです)。この音楽はなんという幸福感。天国の扉が開く前のお墓の中の音楽なのに。天国へ至る道の安らかな眠り。決めた!!わたしのお葬式で音楽が流れるとしたら絶対、この曲を流して欲しい。幸せに包まれて死のときを過ごしたいし、来訪者にも満ち足りた死を感じて欲しいから。安易に葬送の音楽を流されるのは嫌。

マリナーさんのうっとりするような弱音のクラリネットで始まったフィナーレ。というか、プロローグの天国の音楽。ワッツさんのソプラノはときおり音量がもう少し欲しいかな(2階で聴いていました)と思ったけれども、清んだ中性的な声でこの音楽の雰囲気にピッタリ。MTTは緩急を付けてくるくると変わる景色を上手く描き出していました。

MTTのマーラーの演奏はロンドン・シンフォニーの柔らかな美しさを最大限に引き出したうっとりととろけるような最高級のマーラー。美しい一幅の宗教画のような世界。まろやかな幸福感に満ちあふれていて、マーラーの描き出した音世界を見事に音にしている。魂が救済される死がこんなに美しく満ち足りたものだなんて。
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by zerbinetta | 2012-05-27 07:50 | ロンドン交響楽団 | Comments(4)