カテゴリ:ロンドン・フィルハーモニック( 85 )   

ショスタコーヴィチ交響曲第16番!! スクロヴァチェフスキ、ロンドン・フィル   

26.10.2012 @royal festival hall

brahms: piano concerto no. 1
bruckner/skowaczewski: adagio from string quintet
shostakovich: symphony no. 1

garrick ohlsson (pf)
stanisław skowaczewski: / lpo


うっかり舌をかんでしまいそうなお名前の元気老人、スクロヴァチェフスキさんとロンドン・フィルの音楽会。10年くらい前に聴いたときにすでにおじいさんだったけど、今日もおじいさんでした。90歳?でも、さすがに指揮台からぴょこんと飛び降りて喝采を受けるのはないけど、矍鑠としていて、指揮台に安全バーもなし。もちろん立って指揮ですよ〜。お元気〜。

音楽会はいきなりブラームスの大作交響曲のようなピアノ協奏曲第1番。ピアノはギャリック・オールソンさん。わたし的にはオールソンさんといったら、ブゾーニのピアノ協奏曲のCDで弾いてる人、なんだけど。聴くのはUSで以来だからずいぶん久しぶり。アメリカを拠点に活躍してる人は、ヨーロッパに時々しか来ないし、反対もまたしかり。大陸の人でイギリスに滅多に来ない人もいるしね。

ぎゅーんと凝縮したエネルギーで始まる音楽は、作曲者の年齢に似合わない枯れた色合いがあるのだけど、でも若いエネルギーに溢れていて、御年90歳のスクロヴァチェフスキさんは、歳に似合わないフレッシュなエネルギーが音楽から立ち上ってきて、勢いのあるバネが弾けるような始まり。オーケストラの重心がちょっと高いのが玉に瑕だけど、グレイ・スケールの渋い色彩はブラームスのもの。オールソンさんのピアノは、体育会系の重いヴィルトゥオーゾという印象だったけど(だってブゾーニの協奏曲)、派手ではないけど安定した音楽がステキでした。どっしりと落ち着いた感じが良い感じ。第2楽章が特にステキでした。でも、なんだかこのお二人の音楽、時間を超越しているようで、決して激遅の演奏ではないけど、時間(長さ)の感覚が薄くなっていく感じ。

次のブルックナーのアダージョでは、ますます時間が歪んでいつ果てるともしれない音楽。わたしはこの曲の原曲、弦楽5重奏曲を知らないけど(と偉そうに言いつつCDを持ってたり)、弦楽オーケストラで奏でられる悠久の時間。指揮のスクロヴァチェフスキさん自身の編曲なので、細部まで自分のものとしてご存知なのでしょう、音楽と一体になった、でも、没入系ではなくてどこか客観視して透徹な目で楽譜を体現しているような演奏でした。交響曲のアダージョのように重たい感じはなくて、透き通ったブルックナー、幽けき豊穣という正反対の意味の言葉を重ねたような音楽でした。

どういうわけかお終いに持ってこられたタコの交響曲第1番。わたし的にはこの曲が、発表当時、現代のモーツァルトと評されたように、若い溌剌として、諧謔的でもあり、軽いノリの音楽と思ってました。だから、音楽会の最初に来る音楽かなーーって感じで、最後をこの曲で締めるのはちょっと違うなーって。そんなふうに思ったのです。
ところが聴いてみるとこれが、あれれ、確かに聞こえてくる音楽はわたしの知ってる交響曲第1番の曲なんですけど、でも、聴いたことのない音楽のように聞こえて。諧謔味が若い素直なそれじゃなくて、老獪な、そうそう、交響曲第15番の第1楽章のような、何もかも知った後のような老獪な諧謔。レントとか全体に時間軸が引き延ばされたような重さ、でも決して遅いテンポのだるい演奏とは違う、不思議な感覚は、交響曲第15番に近い、というか、これ、交響曲第16番?彼(か)の曲の次に来るような音楽。交響曲第1番を聴いていながら、最晩年の幻の傑作、第16番を聴いた感じ。

今日の音楽会は曲目からして早めに終わるだろうと予想して、風邪引きのわたしにはいいかなと思っていたのに、終わってみたら10時近く。決してゆっくりした演奏ではなかったと思うんだけど、わたしの時間どこに行ってしまったのだろう?不思議な音楽会でした。終わってからスクロヴァチェフスキさんのサイン会もあったようで、なんだかとことんお元気なおじいさんだな。末永く指揮者界の長老としてステキな音楽を聴かせて欲しいです。
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by zerbinetta | 2012-10-26 00:09 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(0)

うわっ!ステキなチェロ! ソル・ガベッタ、エルガー チェロ協奏曲   

12.10.2012 @royal festival hall

prokofiev: symphony no. 1
elgar: cello concerto
sibelius: symphony no. 2

sol gabetta (vc)
vassily sinaisky / lpo


何故音楽会に行くのか?そこにチケットの山があるからだ。と、登山家のように言い訳してるんだけど、今日の音楽会、チケットがあって、どうしてチケットを買っていたのか、分かりません。数合わせに買ったのかしら?まあいいや、わたしは登山家、チケットの山を崩さなければ。というわけで、なんだかよく分からないまま、マスタークラスのlso聖ルカからサウスバンク・センターへ移動です。

今日の指揮者のシナイスキーさん、全く知らない人です。いつもならワクワクしながら聴くんですけど、今日は風邪ひいたみたいで、ちょっともったり気分。で聴き始めたら、やっぱり、う〜ん、プロコフィエフの交響曲第1番、いいところもあるのだけど、何だか全体的にもっさりしてる。軽めなのか、重厚なのか、古典風なのかアヴァンギャルドなのか、いろいろはっきりしない感じ。どれかひとつに突き進んでくれれば分かりやすいのに。オーケストラは上手かったです。

2曲目のエルガーのチェロ協奏曲は、雨の日の哀しい気持ちにさせられる、ダウナーな、しみじみと良い曲なんですけど、今まで知らなかったチェロのガベッタさんがめっちゃ良かった!深い味わいの高級感溢れる木目のような肌触りの音色で、最初の一音からぐさりと刺さりました。チェロの表板の艶やかに磨き上げられた渋みのある琥珀色の音が滋味に溢れた音楽と重なり合ってもうそれはステキな時間。彼女のチェロの音色はステキだし、テクニックもあるし、音量も豊かで、ガベッタさんに一目惚れ、じゃない、一耳惚れ。お姿もとっても美人なんですけどね。でも、それ以上に彼女の音楽。琥珀の中に閉じこめられた虫の化石を掌にとって、過去の時間に思いをはせるような、とても大切な小さな心の箱の温かさを感じる音楽。しなやかにしっとりと歌うチェロは完全にわたしのツボ。うっとりと、1音も漏らすまいと聞き耳を立てて聞き惚れました。最近聴いたチェロ弾きの若手の中では、わたし的にピカイチ。今日の音楽会来て良かった!アンコールには、ラトヴィアの作曲家、ヴァスクス(peteris vasks)さんの無伴奏の曲を弾いてくれました。これは、エルガーの協奏曲とは対照的に、寒々とした孤独感のある細い繊細な音で、彼女の音楽性の幅広さを示していました。そして、彼女の歌付き(ハミング)。艶めかしさがあってどきり。
音楽会終了後、サイン会があったので空いてたので(ほぼ一番乗り、ロンドンでサイン会に長蛇の列ができるのはあまりありません。できても日本ほどではなさそうです)、ちゃっかりプログラムにサインしてもらいました。CDは会場でも売られていましたが、アマゾンで買う方が安いのでそちらで。グリモーさんと組んだCD、注文しました♬
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休憩のあとはシベリウスの交響曲第2番。最初に戻ってこれも何だかよく分からないように感じました。シベリウスって短い旋律や旋律ともいえない動機が点描的に編み込まれて音楽になってると思うんだけど、近くで観た点描画のように転々がつながらないので全体像がよく分からない、と思ったんです。寄せては返す波のように最後は盛り上がるので良いのですけど、わたし的には全体的な流が欲しかったです。オーケストラは冷たいトーンで良く鳴っていたんですけどね。

というわけで、わたしとしてはぼんやりした感想なんですけど、風邪ひいて頭ぼんやりだし、少し遠くで聴いていたせいもあるかなって思います。でも、何回も言う!ソル・ガベッタさんは素晴らしいチェリストです!
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by zerbinetta | 2012-10-12 22:36 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(2)

鐘かね〜、ロシアの鐘が鳴り渡る〜 ユロフスキ、ロンドン・フィル「鐘」   

29.9.2012 @royal festival hall

shchedrin: concerto for orchestra no. 2 (the chimes)
miaskovsky: silentium
denisov: bells in fog
rachmaninoff: the bell

tatiana monogarova (sp), sergei skorokhodov (ten),
vladimir chernov (br)
vladimir jurowski / lpc, lsc, lpo


ユロフスキさんとロンドン・フィル、今日は鐘シーズ。と、プログラムを見て気がつきました。近現代のロシアの作品を集めて、またまた挑発的なプログラミング。受けて立たなきゃ。聴く方も真剣。

始めはシチェドリンのオーケストラのための協奏曲第2番「鐘」。わたし、CD持ってたのにすっかり忘れてました。オケコンはジャズの語法で書かれた第1番の方がインパクトが強いので。なので、音楽を思い出すこともなかったんだけど、そういう意味ではうぶな気持ちで聴けましたよ。低音の静かに大きな波が重層して底から揺れる向こうから、突然鐘が鳴り出して音楽が動き出す。まさに鐘の登場にふさわしい音楽。決して分かりやすい音楽ではないけれども、というかどちらかというと暗くて苦渋に満ちている、交響的な作品。協奏曲と名前がついてるような派手さやアクロバティックな感じはなくて瞑想的。重なる低音がほどけて、鐘のしたにロシアの聖歌のような音の流を生み出すのもステキ。ユロフスキさんとロンドン・フィルの演奏は、この曲を初めて聴くようなもののわたしには比べるすべもないのだけど、とてもステキな音楽だと思ったので、聴き所を突いた良い演奏だったのだと思います。不満を感じませんでした。

2つ目のミャスコフスキー。彼の作品は前に同じユロフスキさんとロンドン・フィルで交響曲を聴いたことがあります。が、滅多に聴けない作曲家ですよね。今日は「シレンティウム」という作品。鐘特集なのに「沈黙」というタイトル。silenを何故かsirenに勘違いして(典型的な日本人!)、ああこれは、きれいな歌声で男たちを溺れさせるセイレーンの物語ね、と、勘違いにはすぐに気がついたのだけど、気づかないふりして、海の音楽っぽいなぁと勝手に想像していたのでした。だって、暗く低くうねるような音楽は海を想像させたんですもの。ミャスコフスキーを前に聴いたときも思ったんだけど、この作曲家、あんまり演奏されないのがもったいないくらいステキ。ユロフスキさんにはこれからもときどき採り上げてもらいたい音楽家です。

休憩のあとはデニソフの「霧の中の鐘」。今度は正真正銘、鐘の音楽。でも、今までの音楽とは対照的に、高音がきんきんと鳴る曲です。小さなチャイムの音楽。作曲家のデニソフは、名前がエジソン。親が発明王のエジソンの名前にちなんで付けたと、プログラムには説明があったけど、物理化学の道に進んで欲しかったようです。ということが、関係あるのかないのか分からないけど、音楽はちゅーんちゅーんというSFの機械のような響き。人工的なノイズのようで(耳に不快なものではないけど)、でもそういう不純物を含まない数式のような響きがとってもきれい。デニソフの音楽、初めて聴くけど好きかも。

最後はラフマニノフの大作、ずばり、「鐘」。これは前に、ビシュコフさんとBBCシンフォニーのステキな演奏を耳に記憶してるんだけど、今日のユロフスキさんとロンドン・フィルの演奏もそれに負けず劣らずの良い演奏。まず、ロンドン・フィルハーモニックとロンドン・シンフォニーの大きな混成(間違いではありません)合唱が、迫力があって素晴らしかった。独唱は、ビシュコフさんのときには少し及ばないと感じたものの、でも十分。ユロフスキさんがぐいぐい引っ張っていく音楽もステキで、勢いがある演奏は聴いていてすかっと気持ちが良いものです。叙情性は少し後退するものの、がしがしと骨太の交響的表現は何にもましてかっこいいです。

ユロフスキさん、ロシアの近現代のあまり知られていない作品を紹介するのに使命感のようなものを持っているみたいですね。毎シーズン意欲的に作品を採り上げて、記憶に残る音楽を聴かせてくれます。演奏から自信が溢れていて、作品を絶対に信頼してそれに応える素晴らしい演奏をこれからも期待したいです。
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by zerbinetta | 2012-09-29 00:11 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(0)

ざらざらした双子 ユロフスキ、ロンドンフィル「影のない女」「フィレンツェの悲劇」   

26.9.2012 @royal festival hall

strauss: die frau ohne schatten (orchestra excerpts)
zemlinsky: a florentine tragedy

heile wessels (bianca), sergei skorokhodov (guido bardi),
albert dohmen (simone)
vladimir jurowski / lpo


ロンドン・シンフォニーのシーズン開幕に続いて今日は、ロンドン・フィルの開幕です。もちろん、指揮者は主席指揮者のユロフスキさん。2つのオペラです。しかもどちらもマイナー。シュトラウスの「影のない女」のオーケストラ部分の抜粋、とツェムリンスキーの短いオペラ「フィレンツェの悲劇」。相変わらず、ユロフスキさん、お客の入りを考えない挑発的なプログラムを持ってきますね。去年もマニアックなプログラムでシーズンを開けたんだけど、今年は、残念ながらお客さん少なかった。どうしてかなぁ、もったいない、オペラ指揮者として優れた一面をコンサートで見せてくれたのに。

シュトラウスの「影のない女」は、ざらざらとして(バラクとその妻(名前なし、このオペラで名前の与えられている登場人物はバラクだけ)のシーンが特に)、あと、テーマがわたしにはきつすぎて、あまり好きではなくて、オペラを観たのは2回だけ。なので、どのシーンの音楽が採られて演奏されたのかは、よく分からないんだけど、歌なしでシンフォニックなシュトラウスのオーケストラの醍醐味を味合うことが出来たと同時に、歌がないのに、オペラの物語(あらすじは知っているので)を楽しむことが出来ました。ユロフスキさんはぐいぐいとオーケストラを引っ張っていくスタイルの演奏。オーケストラをかなり締め上げて自分の思う音を出している印象。独裁者という訳ではなく、強いオーラに演奏者が巻き込まれる感じかな。ゲルギーがオーケストラの自発性にかなりの部分を任すのに対して、全ての音を明確にコントロールして演奏している雰囲気があります。指揮者もオーケストラも成長中だから、かな。
それにしてもシュトラウスの曲ってどこを切っても金太郎飴のようにシュトラウスの香りがぷんぷん。黄金色のゴージャスな色彩のオーケストラ。艶やかに磨き抜かれていてすべすべ。ざらざらした2幕の物語も音楽だけ取り出すとやっぱり豪華だもんね。

休憩のあとは、ツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」。CDは持ってるけど生で聴くのは初めてです。ほとんど演奏されることはないのではないでしょうか。オペラだけど60分ほどと短いので帯に短しって感じですし(何かと一緒に上演されることになりそうです)、正直なところ内容にあまり魅力がありません。登場人物はたった3人。テノール、バリトンとソプラノ。舞台はフィレンツェの商人シモーネの家。1幕もののオペラなので舞台転換はありません。今日はコンサート形式だったので関係ないけど。ただ、正直、これは劇場で観てもつまらないだろうな、と思いました。舞台は地味だし、お話はオペラにするにはちょっとつまらないし。元々戯曲なので、舞台で演じられる作品だけど、多分オペラにすることで台詞が延びちゃって物語の進行が間延びしちゃうのかなって思いました。
でも、今日はコンサート形式ですから音楽だけ。3人の歌手は指揮者の横で、若干の身振りはあるけど演技なしで歌います(でも、実際に舞台にかけたとき歌手にどれくらいの演技をするかは分からないな、というような歌の内容)。というわけで音楽に集中なんですけど、今日はちょっと歌手が弱かったです。オーケストラは豪華に鳴り響いてるんだから、歌手もゴージャスに、なんなら内容も関係なく艶やかに歌って欲しいなんてとんでもないこと思ったりして。出てくる人が、王様や王子さま、お姫さまじゃない小市民なので、話の内容が現実的というかちまちましてるので、あまり面白くないというのも、言葉を発してる歌に対して濡れ衣。最後も、何であっさりこうなるのという感じで虚を突かれて終わっちゃったし。
一方のオーケストラの方は、快調。この曲、シュトラウスの音楽とそっくりなんですね。さっきの「影のない女」と双子の兄弟みたい。ユロフスキさんがこの2曲を今日一緒に採り上げた理由が分かりました。ただ、ツェムリンスキーは不思議な作曲家ですね。この音楽を聴いているとずいぶんと退行しているみたいで、シェーンベルクの先生なのに、もっと先に行けなかったのかな。このオペラの題材だったらシュトラウス風の音楽を付けるよりも、乾いたがさがさしたヴォツェックみたいな音楽の方が合うのに。なんて悪口言ってるけど、ユロフスキさんの演奏は手綱が引き締まっていて良かったです。そういえば今日は、ロンドン・シンフォニーの主席ホルンのパイアットさんがゲストで5番ホルンを吹いてました。
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by zerbinetta | 2012-09-26 22:30 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(0)

音楽会早退 ヘルムヒェン、ユロフスキ、ロンドン・フィル チェコのマスター・ピース(前半)   

02.05.2012 @royal festival hall

janáček: suite, the cunning little vixen
dvořák: piano concerto
(suk: symphonic poem, ripening)

martin helmchen (pf)
vladimir jurowski / lpc, lpo


風邪ひきました。一昨日の朝起きたとき妙に喉が痛くて、空気乾いてるせいかなって高を括ってたらどんどんひどくなって、今日はなんだか熱っぽくもあります。何とか会場に着いたものの、絶不調。とても音楽を聴ける状態ではありませんでした。咳を止めるのにも一苦労。というわけで、ちゃんとした感想は書けませぬ。ユロフスキさんとロンドン・フィル、今シーズン最後というのにもったいない。

ヤナーチェクの「利口な女狐」の組曲は、ターリッヒが組んだものを一昨年なくなられた指揮者、マッケラスさんが改訂したもの。マッケラスさん、ヤナーチェクの音楽の普及に尽力を傾けていた方ですからね。チェコのオーケストラに招かれたとき、チェコ語も勉強したそう。彼の追悼音楽会でも、「利口な女狐」の最終シーン(めちゃくちゃ良い曲)が演奏されました。
このオペラは本当にステキなんです。子供向けの振りをして立派な大人向け、というか大人こそ感動する。なので、ぜひオペラを観たいのだけど、歌のない組曲版は、ほとんどオペラの筋とは関係ないようなので、この曲を聴いてオペラを想像するのは無理かな。それに、2楽章に分かれているのだけどどちらもアンダンテで、同じような雰囲気なのがちょっと退屈でもったいない。女狐のアジテーションのシーンとかスパイスになる音楽、オペラにはあるのだけど、歌がないとやっぱりダメなのかな。演奏自体は良かったので、ユロフスキさんにはぜひ、オペラを振ってもらいたいのだけど。ユロフスキさん、オペラ指揮者なのに彼のオペラ、まだ聴いたことないのが残念。ロイヤル・オペラでもイングリッシュ・ナショナル・オペラでも彼を呼ぶべき。(ユロフスキさんのイギリスでのオペラの活動場所はロンドン・フィルがレジデント・オーケストラのグラインドボーンです。って今ウェブ・サイトを見たら、なんとユロフスキさん「利口な女狐」振るじゃない。でも、高いんですよね。むちゃくちゃ。しかもきちんとした格好をしなきゃいけないんです)

ドヴォルジャークのピアノ協奏曲は初めて聴く曲。ドヴォルジャークの協奏曲は、チェロ協奏曲があまりにも有名で、ヴァイオリン協奏曲が土臭い隠れた名曲、そしてピアノ協奏曲が滅多に演奏されない、マニアックな曲ではないでしょうか。聴いた感じでは、ところどころドヴォルジャークらしい親しみやすさ、美しさが聞こえるけれども全体としては散漫として、マイナーにとどまるのもさもありなんな感じ。演奏のせいではないと思います。ヘルムヒェンさんは前に見たとき(2、3年前)よりずいぶん大人になった感じだけど、柔らかなタッチできれいな音でピアノを弾いていたし、ユロフスキさんのオーケストラも上手かったです。ピアノの蓋のおもてにカヴァーがかかっていたのは初めて見るけど、音色や音量の調節でしょうか?

で、ここまで聴いたところで、限界。ごほごほ咳をしながら、フェスティヴァル・ホールをあとにしました。
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by zerbinetta | 2012-05-02 08:31 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(2)

打楽器フェチ感涙と太ゴシック体のブラームス ヴァンスカ、ロンドン・フィル   

18.04.2012 @royal festival hall

schumann: overture, genoveva
kalevi aho: sieidi, concerto for solo percussion and orchestra
brahms: symphony no. 1

colin currie (pc)
osmo vänskä / lpo


自分でもどうしてこのチケット持ってるんだろうと訝しんでたら、アホさんの打楽器協奏曲の初演でした。アホさんって聴いたことあったよねと思ったら、サーリアホさんの勘違い。アホさんの音楽は初めて聴きます。今日の指揮者は、ヴァンスカさん。この間のブルックナーの交響曲第4番(へなちょこ版)のときは、アホな観客がいて頭に来たけど、数年前のシベリウス交響曲サイクルといい、ブルックナーといいロンドン・フィルとは相性が良くいつもステキな演奏を聴かせてくれてます。今日はどうなるでしょう。期待期待。

小手調べは、シューマンの序曲「ジェノヴェヴァ」。マイナーなオペラですがずうっと前にCDで聴いたことあります。正直あまり印象に残ってないなぁ。今聴けばもちょっとよく分かるのかも知れないけど。序曲の方は10分足らずの短い曲なので、それなりに楽しめるのですが、やっぱりあまり特徴はないかな。ヴァンスカさんがどうしてこの曲を採り上げたのかは分からないけど、演奏は良かったです。糸を引くような弦楽器がくどくない仄かなロマンティックで。こういうグラディエイションは好きです。シューマンってバランスの人だと思うんですよね。もちろんロマンティックであるのだけど、べたべたとしてしまうと良さが失われるというか。

さあいよいよ、アホさんの打楽器協奏曲。ピチピチの新作。今日が初演です。シューマンが始まる前からステージの上には打楽器がいっぱいのってて、ソリストはひとりだけど、オーケストラの中の打楽器も拡大充実。それにしても打楽器協奏曲って人気なのかしらね。ロンドンで打楽器協奏曲の初演を聴くのは今日が3度目のような気が。
アホさんは名前を知っていたので聴いたことがあるように思ってましたが、実は今日が初めて(もしかして前に、遅刻してクラリネット協奏曲を聴きそびれたことがあったかも知れません)。サーリアホさんなら何回か聴いたことあるのに(クラリネット協奏曲も!)。
その打楽器協奏曲、最初の部分がめっちゃかっこよかったです。オーケストラの中のステージの左右に振り分けられた大太鼓が同時にずどんと打ち鳴らされて楔が入る。打楽器のソロ(コリン・カリーさん)は、ステージ向かって右手から9つの打楽器をひとつひとつ順番に演奏するのだけど、最初はジャンベというアフリカの楽器。ストラップで肩からかけて素手で叩きます。アフリカの楽器だし、打楽器というと原初的なアフリカのイメジがあるのだけど、わたしはこの部分を聴いて、深い針葉樹の森を感じました。そのときまで、アホさんの曲であることを忘れていて、あっ!そうだ、アホさんってフィンランドの人だったって思い出したくらい。高く細長い木の森の中のざわめき。楽器は次にダラブッカ、トムトムと小太鼓、マリンバ、指揮者を挟んで、木魚とウッドブロック、ヴィブラフォン、銅鑼と続きます。そして後半は反対に左から右へと楽器を移っていきます。それぞれの楽器ごとに、音楽が区切られていて、続けて演奏されるのだけど、少しずつ表情が変わります。音程のある、マリンバやヴィブラフォンの部分はずいぶんロマンティックでした。また同じ楽器でも前半と後半では曲想が変わります。この曲はソロに加えて3群のオーケストラの打楽器が大活躍なので立体的に打ち鳴らされる打楽器が、打楽器フェチのわたしにはツボ。もう、すっかりはまりました。すっきり爽快。それにしても、大音量の(最後は静かに閉じたけど)こんなカタルティックな音楽のあとで、ブラームスはきついだろうと、隣に座ってた音楽会仲間(いつも音楽会で見かける人)とうなずき合う。

一瞬果たしてその通りになったブラームス。最初なんだかそわそわした感じでした。最初のティンパニの連打を打楽器協奏曲の続きのようにフォルティッシモで打ち付ければ溜飲も下がるのでしょうけど、そんなことしたら音楽壊れちゃいますからねぇ。でも、ちょっぴり期待した。へへ。ヴァンスカさんのブラームスは、テンポを大きくでも自然に揺すぶって、ダイナミックに音楽を作る感じ。ロマンティックというより骨太。太い筆でかくかくと、止めもすうっと抜くように引くのではなく、そのままの太さで止める感じ。決してデミュニエンドしないとかぼつりぼつり音符が切れるとかそういうことではなく、音がそのままの太さ(大きさではなく)で放たれる感じ。最初、オーケストラがヴァンスカさんのテンポ感についていけないところが聞こえて、大丈夫かなぁと思っていたら案の定、序奏の真ん中あたりで、弦楽器と木管楽器が1拍ずれてしまう事故。でも、大きな事故はそれだけで、さすがに、徐々に良くなって、ヴァンスカさんにぐいぐい引っ張られて、最後は充実感と共に終わりました。打楽器協奏曲に勝った?
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by zerbinetta | 2012-04-18 07:57 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(2)

指揮者変更でがっかり、そして混乱 ロンドン・フィル マーラー、交響曲第9番   

28.03.2012 @royal festival hall

mozart: violin concerto no. 3
mahler: symphony no. 9

lisa batiashvili (vn)
matthew coorey / lpo


ネゼ=セガンさんは、一目惚れ以来ずうっと大好きな指揮者です。ロンドン・フィルとのマーラーの交響曲第9番、今シーズンのプログラムが発表になった1年も前から一番楽しみにしていた音楽会のひとつなんです。なのでむっちゃわくわくしながら会場に着いたら、ホールの入り口で紙を手渡されて、ええええっっっっっ!指揮者変更!聞いてないよぉ。ネゼ=セガンさん、お腹くるインフルエンザのため降板。ぐぅぅ下痢止め飲んで来てよぉ。楽章ごとにトイレ行っていいからさぁ。なんて言ったところで、インフルエンザは伝染病だからなぁ。仕方ないねぇ。そういえば去年も、ズウェーデンさんがインフルエンザで突然降板。そのときもマーラーでしたね(第6番)。呪われてる、マーラーwロンドン・フィル。あああ、でもがっくり。。。今日は隣町で、アリーナがサンサーンスの協奏曲を弾くことになっていて、泣く泣くそちらを諦めてネゼ=セガンさんにしたのに。feliz2さんによると、アリーナのサンサーンス、予想どおりとっても良かったそうなので、ほんと悔しい。予想できたらそっちに行ったのに。むむむ、これでキャンセル3連チャンだわ。

気を取り直して。ってどうやって気を取り直したらいいのぉ。プログラムの前半は、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番。これは指揮者なしで、ソリストのリサ(・バティアシュヴィリさん)が弾き振りすることになりました。オーケストラの人数は、少なく第1ヴァイオリンが6人。今日は前半、ゲスト・リーダーにゲオルギエワさんが座りました。この人がゲストに来られるのは、わたしが知ってるだけで2回目。ブルガリア出身のきれいな人で、現在シュトゥットガルト放送交響楽団で弾いてるそうです。我らがショーマンさんは降り番かなと思ったら次席で弾いてらっしゃいました。
華やかなドレスで登場のリサ。ヴァイオリンを弾かない間は、ちょっとぎこちない感じもするけど、右手でちゃんと指揮していました。確か彼女は弾き振りでCD出していましたよね。でも、オーケストラは自発的にアンサンブルをしていたので、彼女がしたのはキューを出すくらい。もちろん、彼女がソロを弾くので、やりたい音楽はリハーサルの段階できちんと伝えているでしょうが。なので指揮者がいなくてもちっとも問題なく、でも、ネゼ=セガンさんがどんなモーツァルトを演るか興味はあったんですけど(ソリストと指揮者のせめぎ合いとか聴くの好きだし)。
リサのモーツァルトは、ドレスに負けず劣らず、ふくよかで柔らかい感じ。決して厚い音を出しているわけではないのですけれども、大らかで力強くて、それでいて優しく清楚。リサもなんだか最近とっても音楽が深くなっているように思えて嬉しいです。彼女の演奏を聴いていると、耳で聞いているというよりなんだか、景色の中に迷い込んだ気になるんですね。彼女の音楽からはいつも風景が見えてる。それがなんだか心地良いのです。

休憩後はいよいよ、マーラー。さて、指揮者は、慌ててもらった紙きれを読むと、30代半ばのまだ、メジャーなキャリアを歩み始めていない人。オーストラリア生まれ、イギリス・ベースで活動しているそうで、しばらく前までロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニックで副指揮者を務めていたそうです。今は自分のオーケストラ持ってらっしゃるのかしら?書いていないので分かりませんでした。
さあ、そんな若者のクーレイさん、実直そうな青年です。大丈夫かなぁ、いきなりこんな大曲。しかも人生の最後にふさわしいような音楽。ドキドキあわあわしながら聞き始めると、意外といいのですよ。ちゃんと音楽になってる。もしかして、この人、凄い?と考えつつも、これだけで判断していいものかどうか。まず、オーケストラが、非常事態に自発的に音楽をしている。去年の交響曲第6番での突然の指揮者変更のときもそうだったけど、オーケストラがいつも以上に集中して、自ら音楽を奏でているのを感じるのです。それから、多分、ネゼ=セガンさんの降板は急遽決まったので、リハーサルはすでにかなり進めていたんではないかって思えるのです。音の表現の端々にネゼ=セガンさんの音が聞こえるようで。かなりゆっくり目のテンポで演奏されていたけれども、これもネゼ=セガンさんのテンポを踏襲したのではないかと思ったのです。これくらいの若い、まだ経験の浅い指揮者が、リハーサルをほとんどしないで自分の音楽を押しつければ崩壊することは天才でもなければ間違いない。もちろん、部分部分には、彼の音楽の表現を付けようとしているところも感じられたけれども、それは音楽全体ではなくて、ごく一部。実務的な利をとった演奏なのではないかと思ったのです。クーレイさんは、あるとき突然現れる天才、ではなかったと思います。それは、この曲で音楽会を支配する司祭になれなかったことが証明しています。明らかによい演奏だったんだけど、神が降りてきたようにオーケストラと会場の聞き手を音楽の秘蹟に導くまでには至らなかった。楽章の間にぽつりぽつりと拍手が起こって、それをコントロールすることができなかったから。音楽の緊張の持続が、音のないところで途切れてしまうんですね。ただ、クーレイさんは誠実な実務者として十分な実力を持った指揮者であることも間違いありません。短期間のうちに、破綻なくこの曲をまとめ上げ演奏してしまうのですもの。これだけど、なんの予備知識もなく純粋に聴けば、かなり立派な演奏の部類にはいると思います。特にフィナーレは、蕩々と流れて美しい名演でした。

正直に告白すると、それで、わたし、よく分からなくなってしまいました。クーレイさんの音楽をどう聴いたら良いのか。わたしの音楽を聴く耳の未熟さがもろに出てしまいました。むしろ、素直に演奏を聴ければ良かったのに。余計なことがくるくるくる。
クーレイさんには、代役ではなくて正式な音楽会で聴いてみたいです。そこで、初めて、彼の音楽を評価しましょう。彼はきっとステキな音楽を奏でてくれると信じています。
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by zerbinetta | 2012-03-28 08:29 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(0)

天国的な長さのブラームス「ヴァイオリン協奏曲」 ベル、ユロフスキ、ロンドン・フィル   

22.02.2012 @royal festival hall

mozart: symphony no. 32
brahms: violin concerto
zemlinsky: psalm 23
szymanowski: symphony no. 3

joshua bell (vn)
jeremy ovenden (tn)
vladimir jurowski / lpc, lpo


ジョシュア・ベルさんってわたしにとってかっこいい人ではなくて、美しい人なのです。頭の上から天に引っ張られる感じで、ヴァイオリンを弾くお姿が(おを付けさせてもらいます!)とってもきれい。見目麗しいので目の保養になります。ということはすっかり忘れてて、シマノフスキの交響曲ねらいでチケット取りました。シマノフスキ大好きなんです。でも演奏機会が少ない。何故か今シーズンはロンドン・シンフォニーでもブーレーズさんがヴァイオリン協奏曲と今日と同じ交響曲第3番を演るし、なんと!来シーズンはゲルギーがシマノフスキで特集組むんです。来シーズン、ロンドンにいないことがなんと悔しい!!!

モーツァルトは興味津々。ユロフスキさんは、ハイドンが得意で古典がちゃんと振れる人、というのがわたしの評価だけど、モーツァルトはまだちゃんとは聴いていないので、これはしっかり聴かなくちゃと思ったのです。基本的に古楽的なアプローチを採る人なので、ティンパニとトランペットは昔の、ホルンは普通のホルンでした。
交響曲第32番は、とても短い曲。序曲って言うんですね。ほんとに序曲みたいな曲でした。この小さな音楽だけで、ユロフスキさんのモーツァルトを云々するのは無理だけど、太鼓がぽんぽこ鳴る愉しげな演奏で、ユロフスキさんのモーツァルトへの適性を垣間見たような気がします。

そしてブラームスの協奏曲。正直に告白すると、戸惑いました。ベルさんは、ほんとに美しくて、お姿だけじゃなくて音もとおっっても美しいんですけど、どうしてか、わたしとはウマが合わないんです。大好きなのにとっても大好きなのに、一緒にいると緊張しちゃって口がきけなくなって気まずい雰囲気が漂ってしまう彼。大好きなのに恋人同士にはなれない関係。そんな感じなのです。
今日のブラームスもやはり気まずくておろおろ。確かにソロが入ってぴーんとベルさんの世界にオーケストラが引き込まれたのはさすがですが、何かもやもやと霧の中にいるよう。確かに道を失ったのです。今わたしがどこにいるのか迷子になったのです。ブラームスの音楽って、決して古典派の音楽ではないけれども、がっしりと構成された形式美のある音楽。丹念な設計図の元に音楽が組み立てられていて、どこにいても、今ここだなって分かる感じ。だけれども、ベルさんのは、時間が引き延ばされている(決してゆっくりと演奏したという意味ではありません。時間の流れが緩やかになった、もしくはよく分からなくなった感じです)のか、今どこにいるのか、どこを迷っているのか曖昧になっているのです。音楽を外枠から作らないで、部分部分を丹念に弾き込むことで音楽を作っているのかな。それぞれのときはうっとりするほど美しいんですけど、つながりが失われてる。ふうっとそれに気がついて、ああ、今この瞬間の音楽に身を委ねればいいんだなって思ったとき、永遠に続くかのような時間が愛しくなってきて。
最近音楽の形式的な美しさに目覚めてきたわたしには、ちょっと期待をはぐらかされた印象です。第3楽章なんかは活気があって良かったんですけど。

休憩のあとはツェムリンスキーの詩篇23篇といよいよシマノフスキ。両曲とも合唱が入ります。合唱は、最近ずうっと好調なロンドン・フィルハーモニック・コーラス。アマチュアの団体ですがとっても上手くて、今日もステキな合唱を聴かせてくれました。今日のような大きなロマンティックな音楽が一番得意みたい。演奏時間が10分くらいなのにマーラーとか初期のシェーンベルクみたいな肥大した音楽。世紀末テイスト。何が世紀末テイストかと言われると困っちゃうんだけど、調性のしっかりした19世紀にも無調になった20世紀にもどちらにも行けず、狭間でふらふらしてる感じかな。伸びやかでほのぼのしている牧歌的な音楽ねって、ふと記憶をたどったら、そうだった、詩篇23篇って憩いのみぎわの詩だった。詩篇の中でもっとも平安に満ちて美しい詩。友達の名前が総登場するので大好きな詩だったのでした。ユロフスキさんのオーケストラも暖かく歌の世界を包みこんでステキでした。短さを感じさせない壮大な演奏でした。

一方のシマノフスキの交響曲第3番「夜の歌」は冷たい寒色系の音楽。この音楽って、実はラジオの解説を聴いて初めて気がついたんですけど(って遅すぎ!)、トリスタンとイゾルデをふんだんに引用してるんですね。そしてそれに相応して、ユロフスキさんはもの凄くねちっこくこの曲を演奏しました。大オーケストラと大合唱団による遠大な官能のうねり。わたし、この曲さらっときらきらと流れるシマノフスキ・テイストの音楽だと思っていたんだけど、水飴のようにねっとりとしてて、エロティックな音楽だったと大発見。ロンドン・フィルの本来の寒色系の音色もぴたりと合って素晴らしい名演となりました。テナーのオヴェンデンさんも、きらきらテナーではないけれども、声の感じがこの曲に合っていて文句なし。どっぷりと夜の艶めかしい世界に浸って、でも何か秘匿してしまいたい性の本能が身体の中にたっぷりと湧き上がってきて、なんだかこのまま寝付けなくなってしまいました。まさに、「君よ、寝るな!」です。
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by zerbinetta | 2012-02-22 07:57 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(2)

最高の作り手による若いワイン ブルックナー交響曲第9番 ネゼ=セガン、ロンドン・フィル   

04.02.2012 @royal festival hall

bruckner: christus factus est; symphony no. 9; te deum

christine brewer (sp), mihoko fujimura (ms),
toby spence (tn), franz-josef selig (bs)
yannick nézet-séguin / lp choir, lpo


ブルックナーの未完の大作、交響曲第9番。若手ブルックナー指揮者の第一人者、ネゼ=セガンさんの指揮で。期待するでしょう。だって、ロンドン・フィルとは、交響曲第7番、第8番とモニュメンタルな演奏を聴かせてくれたんですもの。わたしが彼を「発見」したのは第7番、そして、第8番は圧倒的な名演でした。いよいよ第9番です。ブルヲタさんの間では交響曲第8番が圧倒的人気みたいだけど、わたしは第9番が好き。そして今日は、変わった形式。交響曲の前に、合唱のモテット、第3楽章のあとフィナーレとして「テ・デウム」が続けて演奏されるのです。この未完成の交響曲を完成型として聴くのは初めてです。「テ・デウム」は何故か出だしの音楽は良く知ってるのに聴くのは初めて(もしかすると昔ラジオで聴いたことがあるかも)。始まる前に、ネゼ=セガンさんが、今日の音楽会ではこの3曲をひとつの曲として続けて演奏する旨、間に拍手はしないようアナウンスしました。この試みの是非はあとで書くとしてまず音楽。

最初のモテットですでに涙腺崩壊。5分くらいの短い曲ですが、この合唱だけの音楽が祈りに満たされてとっても良かったんですよ。ブルックナーのモテット、初めて聴きましたがとっても良いです。交響曲書くより宗教曲をもっと書けば良かったのにって思っちゃうくらい。
そしてそのまま続けて、交響曲第9番。大人数の合唱が交響的に書かれているので、全く違和感なく始まったというか、宗教音楽の続き、宗教音楽として交響曲が演奏されているように思えました。まさに、「愛する神に捧げる」音楽。この言葉がここまで真実味を持って聞こえたのは初めてです。だって、今日は前奏としてモテット「キリストはこうあらせられた」を演奏して、交響曲のフィナーレ、結論として「テ・デウム」が演奏されてるんですもの。まさに愛する神に捧げるのが交響曲の主題になってます。

交響曲、ネゼ=セガンさんのブルックナーに特徴的な遅めのテンポ。と思ったんですけど、ブロックごとにテンポを変えてきました。以前に第7交響曲の第4楽章で聴いたのと同じような(あれほど極端ではありませんでしたが)解釈。音楽会のあとのディスカッションでは、ネゼ=セガンさんは、ブルックナーの交響曲を枠から(構造から)捉えて演奏するのではなく、細部にこだわって組み立てていった結果、巨大な構造物ができあがるように演奏するとおっしゃっていました。それぞれの細部を独立にこだわって演奏することで、こういう解釈になるのでしょうか。正直に言うと、第1楽章はわたしの好きなタイプではありませんでした。わたしはもう少しインテンポな演奏が好みです。それに、残念ながらわたしの席では、楽器の音がそれぞれ分離して聞こえてしまって(特にベルがこっちを向いてるフルートとホルンが)、音楽が多少ちぐはぐに聞こえました。なので、わたしにとって最高のブルックナーの演奏ではなかったのですが、でも、最高に共感できる演奏ではありました。

彼の演奏したこの曲のCDを持っているのですが、どういう訳か、音が遠くで聞こえてくるように感じる演奏なのです。でも、同じようなことを今日の演奏でも感じました。どんなに強奏しても。乱暴にならず余裕を持って響かせてる感じ。神に捧げる音楽として、丸く美しい音楽を心がけたのでしょう。その美質は第3楽章に生きました。ネゼ=セガンさんの談では、「皆さんそうは思わないでしょうが、わたしとしては速めのテンポだったんです」。いいえ、十分ゆっくりしたテンポだったですよ。ロンドン・フィルの弦楽セクションは、清廉な響きでとっても上手いので、この祈りの音楽がとってもステキでした。ブルックナーが、自身の死を悟りながら書いた音楽にもかかわらず、最後の最後にブルックナーに交響曲を完成させる時間を与えてくれなかった神をどう思ったかは分からないけれども、不安よりも平安に満ちてる。そして、フィナーレを置くことによって、3楽章の交響曲として演奏したときと違いがあるのかの問いに対しては、「分からない。多分違うのかも知れないけど、違わないかも知れない」とのことだったんですけど、やっぱり、最後はフィナーレを予感させていたのは、続けて「テ・デウム」が演奏されるという期待があったからかしら。

独唱者は、第2楽章と第3楽章の間に入場して(オーケストラの後ろの合唱団の真ん中で歌いました)、交響曲と「テ・デウム」の間に隙間が生まれないように工夫されていました。交響曲と「テ・デウム」の間に若干の間を取ったのは、第3楽章の余韻を大事にするためですね。「テ・デウム」を交響曲のフィナーレに置くことは、ブルックナー自身がが生前、示唆したことがあるそうなんですが、調が合わないとかいろいろ問題があるそうです。でも今日、実際に聴いて、全然問題ないと思いました。調の不整合性は、はちゃめちゃなマーラーの交響曲に慣れた耳にはあまり違和感を感じさせないし、作曲年代が違う(から様式が少し違う)と言っても、すでに本体の交響曲に第7番の引用はたくさんあるし、それも問題ありません。確かにブルックナーがフィナーレを完成させていたら全く違うものにはなったでしょうけど。でも、圧倒的な音楽的な力は、こういうやり方があっても(全てではない)いいな、と感じさせるものでした。

やっぱり合唱がとっても良くて、アマチュア(と言ってもかなり選抜されているんじゃないかしら)の合唱団でもかなり実力があります。オーケストラに負けない迫力はあるし、イギリスって実は合唱が盛んで、底辺が広い分、頂点も高いんですね。それから独唱陣も、この曲のため(たった1回の演奏会)に連れてこられたのに、贅沢すぎるメンバー。全員間違いなくとても良かったんですけど、一番目立っていたテナーのスペンスさんが良かったです。テナーなのに中低音が充実して声が豊か。声とオーケストラが、こぞって神を称える音楽は、愛する神に捧げたこの交響曲のフィナーレに論理的に全くふさわしい。1時間半を超える長大な交響曲として完成して、なんだか時を忘れて、というかまわりの世界が無になって永遠の音楽の中にいたみたい。素晴らしい体験でした。

ネゼ=セガンさんは、10年前、ブルックナーを初めて採り上げたとき、今日と同じように演奏したそうです。本人いわく「ロマン主義的なので」、スケッチを元に別の人が完成させたフィナーレには全く興味がないそうです。彼のそうした信念に裏打ちされた、全くぶれのない解釈の演奏だったと思います。重ねて言うと、わたしにとって最上のブルックナーの演奏ではありませんでしたが、最高に納得できる素晴らしい心に残る演奏でした。30代半ばのネゼ=セガンさん、多分、まだ、作曲家の人生の最後に書かれた音楽を演奏するにはまだ若くて足りないところもあるでしょう。でも、ロマネ・コンティのような最高の作り手による若いワインのような味わいで(といいつつ、ロマネ・コンティってワイン屋さんで空きボトルを見たことがあるだけですけどね、想像想像)、これから上手に熟成させれば最高のワインになる、そんな可能性を秘めた音楽でした。
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by zerbinetta | 2012-02-04 08:43 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(0)

家族団らんのプロコフィエフ プロコフィエフ 国民的作曲家?最終夜 ネゼ=セガン、ロンドン・フィル   

01.02.2012 @royal festival hall

prokofiev: symphony no. 1; violin concerto no. 2; symphony no. 5

janine jansen (vn)
yannick nézet-séguin / lpo


プロコフィエフ 国民的作曲家?の最終夜は、主席客演指揮者のネゼ=セガンさんを迎えて、有名曲3曲。古典交響曲とヴァイオリン協奏曲の第2番、そして交響曲第5番。メインになる音楽会は6回だったんですが、わたしはそのうちの4回聴いたことになります。交響曲の第2番と第7番を聴きそびれたことは残念ですが、とっても充実したシリーズになりました。プロコフィエフの滅多に演奏されない音楽が聴けたことも嬉しいです。

交響曲第1番の「古典」。今までロシアの指揮者の、古典に見せかけてるんだけど実は結構どろどろの音楽なんですよ〜的な演奏ばかり聴いてきたので、さらりと古典、さりげなくプロコフィエフ・スパイスを効かせた、典雅で粋な演奏を聴きたいなって、音楽会の前に思っていました。と、こう書いたら今夜のネゼ=セガンさんの演奏、そんな古典的な演奏だと思うでしょう。いえいえ、それは音楽会の前にわたしが勝手にこんなんだったらいいなって思っていただけで。でも、ロシアっぽいというか、斜に構えた演奏ではなかったです。颯爽と古典、さりげなくスパイス、とまでは行かなかったけど、わりとさらりとした梅酒。ただ、わたしの座った席のせいか、木管楽器と弦楽器のバランスが悪かったです。というか、木管楽器がちょっときんきんと聞こえた。弦楽器もも少し数を減らして軽やかに弾く方がわたしは好きかな。なにせ古典志向だから。

人気の(というか、今シーズンたくさんロンドンに登場)ヴァイオリニスト、ヤンセンさんを迎えての協奏曲第2番は不思議な感じの演奏でした。「古典」ではさらり、とまでは行かなかったのに、今度は完全にプロコフィエフ臭が抜けてる。もともとの音楽も暖かみのあるプロコフィエフ成分の薄い音楽だと思うんだけど、それがさらに薄まって、なんだか、暖炉の前で家族で団らんしている感じ。プロコフィエフがこんなにのほほんと平和でいいんでしょうか。答えはイエス。いいんですよ。暖炉の火がちろちろ揺れるのを見ながら、幸せを語るのも。それにしても、ヤンセンさんむっちゃ優しく弾くなぁ。彼女には何か独自の音世界音楽世界があるように思えます。無理矢理解釈しているのではなく、とっても自然に。とてもユニークであれっと思うこともあるけど、ああそうかぁって発見に嬉しく思うことも多いし、ステキです。今日のプロコフィエフは、彼女の特徴のレガートが美しく歌って、特に第2楽章なんて至福。くつろいだプロコフィエフもステキ。それにしてもヤンセンさん大きいなぁ。ネゼ=セガンさんがちっちゃいので(しんぱしー!!)、ますます大きく見えるというか指揮台の上にいてもネゼ=セガンさんの方がちっちゃいぞ。

でも、ネゼ=セガンさんはちっちゃな巨人。音楽は大きいのです。音楽は背丈じゃありません!(必死)
ネゼ=セガンさんの交響曲第5番は、どっしりと構えた巨大なものを見上げるような演奏。でも、重々しいのは第1楽章で、最後の楽章は颯爽と馬で駆ける大平原のよう。
始まりの朗らかな木管楽器から!と思ったんですよ。今まで気がつかなかったんだけど、セカンド・フルートが下で音を伸ばしているのですね。それが、朗らかさに抗するように意味ありげで、全体の構成を予感させたんです。うねうねと重厚で粘りけたっぷりの音楽。でも、重層する音の層はしっかりと整理されていて、各パートがクリアに聞こえる。前に聴いた、ロストロポーヴィッチさんの演奏が、重層する音たちを、他のパートよりも大きく弾いて全部聞こえさせちゃえという力業だったのに(これはこれで凄かった)、ネゼ=セガンさんのはスマート。音楽のテクスチュアが透けて見えてくるよう。ゆっくり行くところと速いテンポのところをしっかり対比させて、胃にもたれかけた重りをそれをさらりと流し込むグラニテの絶妙なコンビネイション。
それにしても、プロコフィエフのこの曲って朗らかな感じで始まるのに、常に破滅というかカオスに向かっているなぁ。どの楽章も(特に第1と第4楽章がそうなんですけど)最後は、まとめると言うより、全てを解放してエントロピーを最大にするというか、ごちゃごちゃにしたまま取り残す方向に向かって突き進んでるみたいだし、最後の最後のはちゃめちゃさは、プロコフィエフの面目躍如。ネゼ=セガンさんもやんちゃに煽ってましたしね。この間の交響曲第6番に続いて素晴らしい演奏でした。ブラヴォー
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by zerbinetta | 2012-02-01 23:05 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(0)