<   2009年 09月 ( 4 )   > この月の画像一覧   

一期一会   

kurtag: stele
mahler: symphony no.2
adriana kucerova (sp), christianne stotijn (ms), vladimir jurowski /
london philharmonic choir, lpo @royal festival hall


今シーズン、中心に聴こうと思ってるロンドン・フィルハーモニックのシーズン・オープナーは昨日だったんですけど、それには行かず2日目の今日のに行ってきました。その理由は昨日はマーラー1曲だったのに、今日はそれに加えてクルタークの曲がプログラムされていたからです。同じ値段なのでついついコストパフォーマンスをとってしまった。さてさて、クルタークの作品「石碑」は、マーラーの「復活」に輪をかけて大編成。かなり技巧的なピアノ(連弾)が入るし、打楽器もたくさん。これが10分ちょっとくらいの短い曲だったんですけど、とっても良かったんです。始まりは皆さんのとあってないよぉ、気持ち悪〜いって思ったんですが、これわざと音程をぼかしてあるんですね。そういえば演奏前の音合わせもしてなかったし。してやられた! 調性的な部分がちらりちらりとあって、やっぱり調性的なものがあると大海の中に島をぽっかり見つけたというか、とりつく島があってほっとするんですね。ピタゴラスの整数比は生きてるというか美しいものは美しく感じるんです。とっても力のある音楽で魅力を感じました。クルタークもっと聴いて行かなくちゃだわと思って、うちのCDケース見てみたら、この曲のCD持ってた〜〜。今まで気がつかなかったなんて。確かにほとんど聴いたことのないCDだったけど。。。

でメインはマーラーの交響曲第2番「復活」。休憩を挟むと思ってたんだけど、休憩がなくて、休憩時に買おうと思っていたプログラム、別になくてもいいんだけど音楽会のプログラムずうっととっておいてるんです、わたしの唯一のコレクション、うっかり残念。音楽会が始まる前に買っておくんだった。他の音楽会のチケットを買うのに時間をとられて席に着いたのが開演間際っていうのがあったんだけどね。さて、ユロフスキさんとロンドンフィル、昨シーズンはマーラーは交響曲第10番の作曲者の手になる部分、アダージョと交響曲第1番、そして葬礼を演奏しています。葬礼は今日演奏される交響曲第2番の第1楽章の元になった曲です。わたしはそれを聴いているので、交響曲版だとどういう演奏をするのか楽しみでした。オーケストラの大きさからして違うんですね。ユロフスキさんの演奏は、第1楽章の主部は基本的に音をスタッカート気味に短く、快活テンポ。それに対して夢見るような第2主題はじっくり速度を落として対比をつけます。基本的には葬礼のときの演奏の仕方と同じなんですけど、オーケストラも大きくなってるし、凄みが違います。そしてなんといっても凶暴さまで感じ出せる2台のティンパニ。深みのある音で思いっきり叩いてました。これ凄かったです。きっちりと音楽を締めていましたし、離れたところに配置された2台の掛け合いが面白くてずうっとティンパニばかり見ていました。一転、第2楽章はゆったりとしたテンポで静かに奏でられていきます。安らいだ感じにわたしもぼんやりと我を忘れていました。音楽って一音一音聞き漏らすまいと張り詰めて聴くのもあれば、音に身をゆだねて一瞬一瞬戻ってこない移ろいを忘我に楽しむという聴き方もあると思うんです。そしてそれは音楽の持ってる性格にも。この第2楽章はピンと張り詰めた気持ちで聴く音楽ではないと思うんですね。まさにマーラーが仕掛けたとおり第1楽章とは全く別の世界に連れてこられます。自分がどこにいるか分からなくなっていたときに、ティンパニの強打で思いっきり我に返らされました。心臓に悪かった。それくらいの強打でしかも最後の音を思いっきりスタッカートで裁断して。とたんに現実の世界に引き戻されたというか無理矢理音楽に振り回されてる感じです。どこに連れて行かれるんでしょう。そして、また中間部のトランペットの歌の柔らかで夢のようなこと。最後の打楽器の余韻が消え去らないうちに静かに歌い始めたアルト。コラールを舞台の左手上(合唱席)で吹奏させて、でも1回目のコラールは2本のファゴットを含むのでステージのオーケストラから移動して(ホルンとトランペットはあとでステージ裏で演奏する人たちです)ってなんと贅沢なことなんでしょう。そしてわたしはこのコラールの部分の最後に出てくるオーボエを聴いてびっくりしてしまったのです。これって、、、第9番のアダージョの主題。今まで何回も聴いてきたのに、気がつかなかった。。。じゃああのフィナーレは天国への希求? とか関係のないことが瞬間頭によぎったりして。ついにフィナーレはもうやりたい放題。ユロフスキさんがぐいぐいとオーケストラを引っ張っていきます。そしてあのティンパニですから、煉獄や闘争の場面は超かっこいい!手に汗握るドラマ。この長い楽章が短く感じてもっともっと聴いていたいと何度思ったことか。最後はステージ裏で吹いてた金管楽器も表に出てきて全員で復活を讃えます。わたしは最後独唱者も合唱と同じパートを歌うように書かれていることで、独唱者の声は個別には聞き取れないけれども、マーラーは全員で復活を讃えることを訴えたんだと思っています。今日のユロフスキさんの解釈はそれをさらに敷衍してものなのではないか、なんて勝手に凄く共感しました。そして、わたしがもっと聴いていたいというのを最後のロングトーンを引き延ばすことでちょっぴりかなえてくれたのでした。ものすごく感動しました。フィナーレの後半はずうっと涙を流していました。それは会場にいた誰もが感じていたことのように思います。オーケストラもとても上手かった。特にティンパニは、オーケストラをねぎらう中で指揮者が最初に立たせていました。それからトロンボーンのソロ。もちろん彼より上手なトロンボーン奏者は他のオーケストラにもたくさんいるでしょう。でも、彼の演奏はまさに今日の演奏にあるべき場所であるべき音で吹かれたのでした。彼の表現が曲の表現と完璧に合っていました。

公演後、指揮者のユロフスキさんを囲むインタヴュウがあったんですが、ユロフスキさんの生の声を聴けて良かったです。こもった朴訥な感じの英語で話していましたが、朴訥っぽいのに話し始めると結構長く語るというか、ずいぶんと素朴な若者って感じ(あっわたしより若いんですよ、彼)。お客さんの質問に答えて彼がおっしゃるには、マーラーの交響曲は順番にひとつずつ採り上げていきたいと。例外は断片で残ってる第10番のアダージョだと。去年は第1番(とアダージョ)、今年は第2番だったので来年は第3番を期待できるのでしょうか。それ以降わたしは聴くことができるのでしょうか。彼の後期のマーラーは聴きたくもあり、マーラーが作曲した年齢に彼が達するのを待ちたくもあり、複雑な心境です。そしてお客さんのひとりが言ってました。「1962年、オットー・クレンペラーの指揮で聴いて以来、最高の復活だった」って。多分、わたしたちの気持ちは同じでしょう。音楽会は一期一会です。もう2度と聴くことはできません。たとえ録音されてそれが聴けたとしてももうそれは同じものではありません。いわば実物と写真の違いみたいな。今日の音楽会ももうわたしの記憶の中にしかありません。でも、記憶に残る演奏です。いつか、何ヶ月後かなん10年後になるか分かりませんけれど、今日の演奏は2009年に聴いたユロフスキさんの演奏以来最高の演奏と言う日を楽しみに待ちたいと思います。ああ、しかし、今シーズンはあと2回は復活聴くんですけど。。。

c0055376_832122.jpg

[PR]

by zerbinetta | 2009-09-26 08:31 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(4)

ちょっと疑問のシカゴ・シンフォニー   

haydn: symphony no.101
bruckner: symphony no.7
bernard haitink / chicago symphony o. @royal festival hall


昨シーズンはロイヤル・コンセルトヘボウとブルックナーを演ったハイティンクさん。80歳になってもますます元気。今シーズンはシカゴ・シンフォニーとブルックナーの交響曲第7番です。ロンドン・シンフォニーでもマーラーなどを振るので80歳の記念年ということでしょうか。今日はハイドンの交響曲第101番、「時計」と。この曲、前にも聴いたことがあるので、ハイティンクさんお好きなんでしょうか。音楽は時計が止まったような静かな動きのない序奏で始まりました。これにはびっくり。時間の始まる前の始原の宇宙に漂ってる感じ。オーケストラの音色がしっとりしたものではなく、摩擦力のないスルリとした感じだったので余計漂ってるように聞こえたのでしょう。十字架上の7つの言葉みたい。でもその静けさは主部が始まると一気に破れました。ハイドンらしい快活な音楽。わたしは交響曲ならこっちのハイドンが好き。ハイティンクさんとシカゴ・シンフォニーはステキなハイドンを聴かせてくれました。交響曲というとマーラーやブルックナーなどの大編成の派手なのが人気で、ハイドンやモーツァルトをきちんと演奏できる人が少なくなってきている気がするのがとっても残念です。ちゃんと聴くとこんなにステキなのにね。
ブルックナーの交響曲第7番はブルックナー苦手なわたしの一番大好きな曲。この世で最も美しい交響曲だと思います。そんな思い入れのある音楽。ハイティンクさんとシカゴ・シンフォニーはどんな演奏をするのでしょう。静かな弦楽器のトレモロからあの美しい旋律が浮かび上がったとき、ああやっぱりいいなぁって引き込まれます。中庸のテンポで丁寧に歌うのですが、ハイティンクさんの演奏は音の止め方に特徴があるように感じました。4分音符短め。シカゴ・シンフォニーは確かシカゴの金管と呼ばれるくらい金管楽器が鳴りの良い、上手いオーケストラだと思っていましたが、今日のハイティンクさんの演奏は金管楽器を抑え気味。そして第1楽章前半は金管楽器の音が貧弱で、さらにミスの多い、なんか集中力を欠くような演奏でした。最近のオーケストラはどこも上手になって、ミスをするの聴くのが珍しくなったくらいだと思っていたのですが、シカゴからこんなにミスを聴けるなんて思ってもみませんでした。あっわたしはミスはだめだと言ってるのではないのですよ。音を外したりするのはしょうがないと思うんです。でも、今回のは基本的な刻みのリズムがとれてないとか、なんか消極的に自信なさげに聞こえるとか、ミス以前の問題のようなミス。わたしの方もなかなか音楽に集中できなかった。期待しすぎ?でもハイティンクさんとシカゴよ。しかもハイティンクさんはたまにシカゴを振るんじゃなくて、シカゴの主席指揮者なんですもの、もっとオーケストラと意思の疎通があってもいいような気がします。正直、シカゴ・シンフォニーが上手かったのは昔のことなのかなぁって思ってしまいました。もちろんそれでも上手いんですけどね。弦楽器なんかものすごくいい音出してたし。ハイティンクさんの演奏はいつものブルックナーのときのようにいたって自然。でも、今回はちょっぴりハイティンクさんの意志を感じました。とにかく流れるように美しく音楽を奏でることです。確かにこの曲はブルックナーの交響曲にあって特異的に音楽が流れてブルックナーに特徴的なブロック構造はあまり目立たないのですが、ハイティンクさんはことさら自然な音楽の流れを重要視してたように思います。テンポはをなるべく動かさず、目立ったテンポの変化はあまりありませんでした。3楽章のスケルツォとトリオの間にさえあまり差をつけていませんでした。それはこの曲の中で唯一ブロック構造の目立つ第4楽章でも同じ。ブロックごとに区切って対比の面白さを聴かせる演奏もありと思うのですが(ネゼ・セガンさんのように)、さらさらと流れる草書体のブルックナーもいいなと思いました。もうひとつの音楽を常に美しく鳴らすことに関しては、金管楽器を抑えすぎている感じがして最初上手くいってないように思いました。第1楽章後半からは持ち直したのですが、それでも金管合奏がわんわん鳴るところはもっと開放的に音で遊んだ方がわたしは好きです。大きな音で無邪気に金管楽器を鳴らすのをブルックナーは楽しんでいたように思うのです。ひとつの音楽の中に納めるのではなく、音楽をはみ出してならした方がなんかもっとブルックナーらしいなんて、ブルックナーをあまりよく知らないくせに思うんです。演奏は盛大な拍手とスタンディング・オベーションで迎えられましたが、わたしは今書いたような引っかかりがあったので、大きな拍手はしませんでした。
[PR]

by zerbinetta | 2009-09-24 08:59 | 海外オーケストラ | Comments(2)

タコ八〜〜   

rachmaninov: piano concerto no.2
shostakovich: symphony no.8
helene grimaud (pf), vladimir ashkenazy / po @royal festival hall


フィルハーモニアもロンドンフィルもシーズンまとめてチケット取ったんだけど(まとめて取ると割引になるので)、チケット・オフィスのコンピューターに問題があったらしく、割引されず定価でチケットが発券されちゃいました。なのでチケット・オフィスにクレームを入れて割引を得るためにチケットを返送したのだけど、新しいチケットがまだ手元に届いてな〜い。ので、チケット・オフィスで発券してもらうことにして行ってきました。フィルハーモニアのシーズン・オープニング。特別な行事があるわけではなく普通の音楽会です。チケットは前に取ったのでなんの曲を演るのか前の日に調べて、おおおタコ八〜〜〜。タコ好きのわたしにはたまりません。しかも8番。タコの交響曲の中でも13番に次いで大好きな曲。しかし不人気なのか滅多に音楽会にかかりません。ラッキー。そしてもうひとつはラフマニノフのピアノ協奏曲。グリモーさんのピアノです。グリモーさんは昨シーズンも2回聴いてるからここでは3回目。かなりの高頻度(確か今シーズンもう1回聴きます)。そして指揮者はアシュケナージさん。これってわたしが気に入って聴いているCDの演奏とオーケストラを含めて同じメンバーじゃない。なんとなくCDも聴いたりして予習なんかしてみたり。期待が高まります。
グリモーさんのピアノは低音をしっかり強調して割と堅めのタッチで相変わらず男らしい。音のつぶつぶが固いから弾けるようにクリアで曖昧さがなくて、ラフマニノフの持つ甘やかな叙情性を一見拒否するような厳しさがある。でもそこに秘かに感じられる夢のような抒情が際だつのよね。厳しい人がふと見せた優しい笑みのような本物の優しさみたいな。彼女のラフマニノフを聴くのは2回目だけどいつも変わらない。アシュケナージさんのオーケストラは上手いですね。さすがフィルハーモニア。卒がありません。特にヴァイオリンのいとを引くような感じがステキでした。会場は大きな拍手。ここでもグリモーさんは大人気です。
休憩を挟んでいよいよタコ。タコというのはもちろんショスタコーヴィチですよん。曲は暗い低弦の叫びから始まります。音の最後を絞り出すように膨らませて弾き切ってなかなか気合い入ってるなって感じ。弦楽合奏の透明な響きに時折トランペットが重なって、CDで聴いてたときはうっかり気がつかなかった〜、オーケストラとしては聴かせどころというかとっても神経を使うところだと思うんだけど、各パートが完全に一本の線になって聞こえるのはさすがアンサンブルの上手いフィルハーモニア。中声部の刻みの和音の丁寧なこと。神経の行き届いた美しい演奏です。タコ8はショスタコーヴィチの交響曲の中では第11番と共に最も凍てつく寒色系の音楽だと思うのだけど、フィルハーモニアの澄んでいるけれどもほのかな暖かみを持つ音色は、この曲を極寒のさらさらと固い雪にせず、さらさらとしているけど少し柔らかな雪に留め置いています。これは音楽の純粋な美しさを表現したいアシュケナージさんの欲しい音色にまさにぴったりなんじゃないかと思います。それにしてもショスタコーヴィチはマーラー以降の大交響曲作家として大きな交響曲を書いてきたと思っていたけど、今日のステージのオーケストラはそんなに大きくないし、考えてみると彼の交響曲って7番の例外を除いてCD1枚に収まるっていうかブラームスと同じようなサイズなのですね。それに打楽器や金管楽器が勇ましく鳴って重厚なのかと思いきや、高音重視でわりと軽いことに気がつきました。アシュケナージさんの音楽は、第2楽章後半で徐々にテンポを速くして狂気に満ちた表現はあったけれども、スコアに書かれた音を純粋に音楽にして美しく奏でるということに徹底していたように思えます。マーラーでは楽譜の後ろにある19世紀的などろどろしたものを取り去って純粋に楽譜を音にすることで、新しい音楽に光を当てるような演奏が近年流行っていて成功してると思うけど、アシュケナージさんがショスタコーヴィチにとった方法はこの方法ではないかと考えるんです。ただ、この方法がショスタコーヴィチに対して成功するかについては評価の分かれるところで、彼独特の皮肉や逆説、痛烈な風刺が感じられず、素直すぎるんじゃないかしらとも思うのです。多分、アシュケナージさんが表裏のないとっても純粋な人で、皮肉を言ったり人を疑ったりすることがない方なんじゃないかとさえ思えるのです。ソヴィエトから亡命して、彼の存在はソヴィエトから抹殺されたこともあってうんと大変な人生を送っていらっしゃると思うのに、こんなに素直な気持ちを保ち続けることができることが不思議でなりません。少しは皮肉も言ってやろうか、とかわたしなら考えるのにね。そこがアシュケナージさんの音楽とショスタコーヴィチの音楽の決定的な違いだと思うんですが、もちろん、楽譜に書かれた音を純粋に美しく表現するのですから、とってもステキだし、わたしも実はアシュケナージさんのショスタコーヴィチってCDも何枚か持っていて大好きなんですけど、音楽が終わったあとこんなに爽やかな気持ちで聞き終えて良かったんだろうかとも思ってしまったのは事実です。彼のショスタコーヴィチへの愛は十分すぎるほど伝わってきましたが。それにしてもアシュケナージさんってお茶目な方なんですね。終演後のステージでの振る舞いがちっとも偉ぶってなくて、なんか軽くて、ほんとに愛すべき人なんだなぁって思いました。
[PR]

by zerbinetta | 2009-09-22 07:31 | フィルハーモニア | Comments(0)

飛び出せ 科学くん   

c0055376_674162.jpg

ligeti: le grand macabre
wolfgang ablinger-sperrhacke (piet the pot), frances bourne (amando),
rebecca bottone (amanda), pavlo hunka (nekrotzar),
frode olsen (astradamors), susan bickley (mescalina),
susanna andersson (venus, gepopo), andrew watts (prince go-go),
alex olle, valentina carrasco (dir), peter van praet (lighting designer),
baldur bronnimann (cond) / english national opera @london coliseum


2009/10シーズンの音楽会始まりました〜。なんと、予定外にイングリッシュ・ナショナル・オペラでのリゲティ、グラン・マカブルです。仕事のボスが「リゲティ知ってる?」「あっわたし好きです」「ENOでやるよ」って言うのであわててチェックしてチケット取りました。ENOまでちゃんと見てなかった。初日です。
リゲティは好きだけれども、オペラは観るのも聴くのも初めて。 いったいどんな感じでしょう。 とりあえずあらすじだけは調べて行きました。 神話っぽい荒唐無稽でシンプルなお話。 裏を読めばいろいろあるんだろうけど。
演出は死を概念的にではなく肉体的に捉えて(演出家談)、 大枠は勢いよくおいしそうに食事(楽しくセックスして暮らす)したら、食べ過ぎで苦しんで(彗星が近づいてきて地球滅亡)、最後はトイレで出してすっきりする (と思ったら滅亡せずにみんなハッピー)(この大枠のプロットは最初と休憩後の始まり、そして最後に映像で流れました。休憩後の始まりはスクリーンに映し出される女の人のおしり(裸ではありません、念のため)でするするとスクリーンが上がってステージ上の巨大なオブジェのおしりがそこに現れるという笑える演出で、さらにそこから秘密警察が現れるというどたばた)という話で、舞台にうずくまる 大きな人のオブジェのまわりでお話は進みます。 おしりから出てきたりお腹の中で踊るのは、なんだか町田康さんの 小説のよう。 そして、ただの白いオブジェの顔の表情が変わったり崩れたり、 燃えたり、骸骨になったり、プロジェクターで表現してると思うん ですが、ハイテクを駆使しててリアルさが凄かったです。 骸骨なんてちゃんとオブジェの中に骨があるみたいだったし。
音楽もとってもステキで、っていうかわたしリゲティとはとっても アフィニティー高いんだな〜って思った。 特に印象深かったのは、低声のリズムの上に楽器がどんどん重なってきて巨大なポリフォニーを作る部分(かっこいい!)やアマンドとアマンダの2重唱のハーモニー、腹の中でのダンスパーティーのシーンの音楽(振り付けはマイケルジャクソン風)等々。最後の方の彗星が近づいて地球が滅びるところなんて、あっ2001年 って思っちゃった。アトモスフェール。 あっアマンドとアマンダは出てきたときはずうっとセックスしてるんですが、衣装(?)は科学くんっぽくてちょっと可笑しかった(もちろんイギリス人知るわけないんですが)。
アンチアンチオペラというだけあってものすごくしっかりした オペラコミック。 完全にオペラです。わたしは現代のオペラって歌を殺してしまってる部分が多くてつまらなく感じることが多かったんですけど、このオペラはしっかりと声を扱った類い希な作品だと思います。現代作品なので歌えるメロディはほとんど出てこないけど、 声の、歌の力を思い知らされました。 歌手は超一流の人が出ているわけではありませんが、聴いていて十分オペラを楽しめる質を保っていました。ヴィーナスとゲポポ(秘密警察長官)を歌ったアンダーソンさんが舞台上を走り回ったりコミカルな演技で大活躍だったんですけど声がちょっと細くて弱かったかな。ゴーゴー王子のカウンターテナー、ワッツさんがうんと良かったです。頭ひとつ抜けていた感じ。
とっても良かったのでもう1回聴きに行こうかしら。
(写真はプログラムから。 ねっ科学くんでしょ)
c0055376_681386.jpg

[PR]

by zerbinetta | 2009-09-17 06:06 | オペラ | Comments(0)