<   2009年 10月 ( 16 )   > この月の画像一覧   

懐かしい再会   

prokofiev: classical symphony
rachmaninoff: piano concerto no.2
tchaikovsky: symphony no.4
piers lane (pf), alexander vedernikov / lpo @royal festival hall


LPOのシーズン・プログラムで、写真を見つけたとき、あっこのひと見たことある、誰だっけ?ってつたない記憶をたどっていくと、あっそうだ、数年前、演奏を聴いてこの人ただ者ではないって思ったアレクサンドル・ヴェデルニコフさんではないですか。もう一挙に嬉しくなって、今シーズン待ち遠しい音楽会のひとつになったのです。

ステージに上がったヴェデルニコフさんの姿を見たとき、あ〜やっぱりこの人だって懐かしさが込み上がってきて、今日はどんな音楽を聴かせてくれるのだろうってわくわくしました。始まりはプロコフィエフの古典交響曲です。軽く洒脱に演ると思いきや、結構重厚。テンポが遅いという訳ではなく、音が重め。例えば金管楽器の低音を強調したりとか。なので、ハイドン風の音楽よりもプロコフィエフ風の現代感覚が表に出た感じ。わたしは室内楽風な洒落た感じに現代風のウィットが入る演奏が好みだけど、こういうのも想像していなかっただけに面白い。やっぱりプロコフィエフはロシア人なんだなぁと思ったのでした。

2曲目はピアーズ・レーンさんを迎えてラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。これが良かったんですよ。オーケストラが。ものすごくロシア的というか、暗くて情念があって、低弦の動かし方が独特な感じで、オーケストラの音色が指揮者でこんなに変わるとは思いもしませんでした。ピアニストのレーンさんは初めて聴く人。オーストラリア生まれ、ロンドン在住の見た感じは中堅どころのピアニストです。プログラムの写真と違って髪は金髪のカーリー(写真では短髪でした)。(最近なぜかピアニストの髪型を必ずコメントしてない?わたし) テクニックは十分ある感じで、速い部分をかなり速く弾いたりしてうわっと思ったし、音量もたっぷりあるのですが、もうちょっとロマンティックに弾いてもいいかなって思いました。音色がモノトーンだったのはオーケストラに合わせたのでしょうか。わたしには指揮者主導のコンチェルトのように聞こえました。ロンドン在住のピアニスト和香さんのブログによるとレーンさん人間的にとおってもステキな人みたいです。そしてお茶目の極みはアンコール。クワイ河マーチの主題によるベートーヴェンのピアノソナタ風(ほんとの曲目は知らない)。面白い面白い面白い! 会場大笑い。これ音だけじゃなくてピアニストの表情も面白いのよね。そして終わりそうで終わらない最後。笑わせてもらいました。すっきり。

最後はチャイコフスキーの交響曲第4番。わたしはこの曲カラヤンとベルリンフィルの演奏で親しんでるのでどうしてもそのイメジ先行。でも、わたしは最初のホルンのファンファーレを聴いたとたん鳥肌が立って引き込まれました。なんと勢いのある懐の深いステキな音色。ヴェデルニコフさんの音楽は、特にテンポの面でいつもわたしの予想を裏切ります。それはわたしの好みではなかったりもします。今日も第1楽章の主部の入りのヴァイオリンは溜めなしでいきなり快速テンポ、そしてわたし的には雪の中で夢を見るような仄暗い第2主題はさらに飛ばします。でも、それがぴたりとはまるのがヴェデルニコフさんの不思議。わたしの好みではなくても、すっかり納得しちゃうし、これもいいなって思えるのです。コーダのいきなり倍速テンポも、多分楽譜通りなんでしょうけどここまでやるのは初めて聴いた、ぴたりとはまってかっこいい。ただもしかすると、ヴェデルニコフさんのテンポ設定、ちょっと大雑把かもしれません。主題が戻ってくるときのテンポが最初のテンポと違ってたり。これはわざとやってるのかもしれませんけどね。第2楽章はちょっと気になったかな。そして最後、運命の主題が戻ってくるところでは、ファンファーレの終わりを急ブレーキ。そしてヴェデルニコフさんの壊れっぷりがほんとに良かった。現実に運命に打ちのめされた感じ。本当に運命交響曲として演奏してる(確かに運命交響曲ではあるんだけど、表題性には乏しいよね。伝えたいことは弱いし。運命からの解決方法とかさ)。人形遣いがヴェデルニコフさんを指揮台の上で運命の糸を切ったみたい。劇を見てるよう。もちろん最後は群衆の中に紛れて華々しく終わったんですけどね。それにしても、さっきも書いたけど、ロンドンフィルがまさにロシアの音を出している。オーケストラの音をここまで変えてしまうヴェデルニコフさん、やはりただ者ではない。

ヴェデルニコフさんは現在45歳くらい。ボリショイ劇場で活躍されていて、今回の演奏(オール・ロシアもの)は、ロシアではこんな風に演奏されているんだっていう感じのローカルな感じのもの。インターナショナルな水で薄めた感じではない、濃い血が流れてるゆえかえって普遍性を獲得している、そんな感じ。それは彼の経歴がロシアの地に根ざしていたからかもしれない。今年はボリショイ劇場を辞めて、デンマークのオーケストラの主席指揮者になるみたい。これからはますます国際舞台での活躍が増えると思うけど、ぜひずうっとロシアの濃い血の流れる演奏を聴かせて欲しいと思います。こういう指揮者は今では貴重だしステキだもの。
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by zerbinetta | 2009-10-30 07:19 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(2)

予告編としたら○かな   

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scriabin: reverie, piano concerto
wagner/de vlieger: the ring, an orchestral adventure
yevgeny sudbin (pf), neeme jarvi / lpo @royal festival hall


この間の音楽会であまりに感動してしばらくは音楽会は行きたくない、新しい音楽を上書きしたくない、と思っていたのに行ってしまうんですね、音楽会。チケットはシーズン始まる前に買ってあるのですから。でも、感動ってひとつじゃない。モーツァルトが完璧な音楽を作曲したからベートーヴェンはいらないかというとそうではなく、ベートーヴェンが偉大でもシューベルトはステキだし、感動の形なんていくらでもある。分かっていてもでも、上書きしたくない気持ちもあって、そんな感じじゃ、今日の音楽会は不利ですよね。でも、パパビー(わたしだけの勝手なあだ名)ことネーメ・ヤルヴィさん、大好きだし聴きたいしね。曲も珍しいスクリャービンのピアノ協奏曲とかだし。

始まりは、ソロを含まないオーケストラ作品としては、最初の夢という曲。たった4分ほどの音楽。そして次はピアノ協奏曲。ピアノ協奏曲の方が書かれたのは先。初期のスクリャービンは後期のようにヘンな宗教(?)に染まってないので、ものすご〜くロマンティック、ショパン的。なのでこの2曲はとおってもロマンティックなのです。夢見るような音楽、あっ最初の曲はまさに夢だった。ピアノを弾いたのは、ロシア出身、現在ロンドン在住の弱冠28歳のピアニスト、エフゲニー・スドビンさん。とってもほっそりした身体で、髪の毛はちょっと硬そう。そしてちょっとかっこいい系。この人のピアノの音色、きらめく星のようでとってもステキだったの。硬質だけど丸みがあって、混じりけのない透明な色彩。うっとり。パパビーは若いピアニストを立てるようにサポート、ピアニストに寄り添うように音楽を奏でました。拍手に応えて、アンコール。多分スクリャービンの(初期の)小品だと思うのですが、音色が好みっていうのもあるのかな、これも良かったです。

休憩のあとは指輪。オーケストラ部分を抜粋して作ったダイジェスト版。15時間のオペラが1時間に。こういう試みは今日のデ・ヴリーガーさんの他にもマゼールさんのもの(わたしもニューヨークとワシントンDCで聴きました)などがあります。指輪は聴きたいけど時間がないという忙しい現代人にはお勧めかもね。あとわりと歌ものが苦手な人にも。長〜〜いオペラをものすごく縮めてるだけに場面がざくざくと進みます。物語おかまいなし。映画の予告編みたいね。重要なストーリーは隠されてて。それが不満と言えば不満ですけど、かえって全曲が聴きたくなったので予告編としては○でしょうか。でもね〜、普段はワグナーの長いくどいオペラに、じゃなかった楽劇とかに悪態をついてるわたしですけど、もしプッチーニやヴェルディが同じ題材でオペラを書いたらさくさくと1日で終わるでしょうなんて文句を行ってるわたしですけど、これはちょおっと短すぎるんじゃね。だって、ワグナーを聴きたい人はワグナーに浸りたいと思ってると思うのよ。ワグナーって麻薬みたいものだから。だとしたらもっと長くていいんじゃない。普通の音楽会でもマタイ受難曲だって3時間以上あったりするんだし、一晩の音楽会が指輪で終始するのがいいと思うのよ。それでこそワグナー体験。なのでラインの黄金とワルキューレで1時間くらい、休憩を挟んでジークフリートと神々の黄昏が1時間半くらいで作ればいいんじゃないかなぁ(これでも短すぎ?)。これくらいあれば、わりとストーリー追えると思うのよね。わたし的にはこれくらいがちょうどいいと思うし、家でも聴きやすいんじゃないかな。歌のラインは残念だけど楽器に置き換えて。
パパビーの演奏は、大局的に音楽を捉えて、でも、丁寧に、パパビーらしい良い演奏でした。彼、とてもレパートリー広いですけど(ものすごいマイナーな曲をいっぱいCDに録音してる)、どれも手抜きのないきちんと丁寧な演奏。そういう彼の美質がここにも現れていたと思います。オーケストラをきちんと鳴らすことにも長けてるし、丁寧な爆演タイプな感じだけど、わたしそういうの好きだし。そして意外なことに時折見せるかわいい指揮ぶり(はあと)。ますます気に入ってしまいました、ヤルヴィ一家の長。
そして、今日は珍しくアンコールも。ローエングリーンから第3幕への前奏曲。あっこれを聴くと結婚行進曲を期待しちゃうんだよね、オーケストラ版では続かないけど。はきはきと盛大に鳴らした演奏でした。今日もたくさんのマイクが立っていたのでCDになるのでしょうか(BBCのラジオ3ではないようです)。ローエングリーンはCD用のサーヴィスかな。ほんとのことを言えば、わたしは指輪の世界に浸ったまま音楽会をあとにしたかったな。だからこそ、一晩の音楽会にフィットするCD2枚分の長めの抜粋版が欲しいなって思うんですけどね。
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by zerbinetta | 2009-10-28 04:33 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(0)

聴けなかった音楽会   

実は今日はわたしが秘かに応援してるヴァイオリニスト、アリーナ(イブラギモヴァさん)のリサイタルだったんです。ピアニストのティベルギアンさんとのベートーヴェンのソナタ集。ものすごく行きたくてときめいてたんだけど、そろそろチケット買おうかなと思ってた頃には既に売り切れ。間際ではないんですよ。小さなホールとは言え、他の音楽会は、(結構有名な人のも含めて)、売り切れになってないし。多分、学生とか団体さんにまとめてチケットが出たせいじゃないかと邪推してます。残念。ものすごく残念。悔しかったので彼女のカルテットのチケット取ってしまいましたわよ。
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by zerbinetta | 2009-10-27 01:21 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)

弱冠34歳にして現在最高のブルックナー指揮者   

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rautavaara: incantations, concerto for percussion and orchestra
bruckner: symphony no.8
colin currie (pc), yannick nezet-seguin / lpo @royal festival hall


本末転倒というかまるで馬鹿みたいなんだけど、音楽会に行くとき、ブログのことを考えてタイトル何にしようかどんなこと書こうかなんて悩んでるの。今回はロイヤル・フェスティバル・ホールに行く途中でワインとチーズフェアに引っかかっちゃったからそのことを書こうか、ステージに打楽器がたくさん並んでいたのでそのことを書こうか、今日初演される曲の作曲者ラウタヴァーラさんってわたしの憧れの師匠、岡田節人さん(音楽学者の岡田暁生さんのお父さん)が紹介していた人よね、とかいろいろ考えてたんですけど、ブルックナー聴いたら全部すっ飛んじゃった。ヤニック ネゼ・セガンさんのブルックナー、去年のシーズンに交響曲第7番を聴いて感激したので、今シーズン期待度ナンバーワンの音楽会だったのです。そしてそれはわたしの過剰な期待に違わないどころか、予想をさらに裏切ってもうとんでもないくらいに感激したのです。でも、ブルックナーのお話を始める前に、ラウタヴァーラさんのから始めましょう。そうそう、ボックス席にエッシェンバッハさんみたいな方がいらっしゃったのですが、本物かしら。遠目だったしわたしは顔の認識能力に問題があるのでちょっと自信ない。でも再来週エッシェンバッハさん、このオケ振るのよね。

写真にあるようにステージにはたくさんの打楽器が並んでました。インカンテイションズは打楽器協奏曲。作曲者の言葉を借りればインカンテイションズは、例えば北極圏のシャーマンに見られるような歌われる呪文、魔法の間に歌われるもの、または精霊の世界の神秘的な交感の歌、ということです。いきなりオーケストラのトゥッティで歴史を題材にした恋愛映画のテーマのような音楽が始まります。メロディックでロマンティック。プログラムノートを見るとラウタヴァーラさんの作風はネオロマンティックと言うことですが、中途半端なネオロマンではなく本当にロマンティック。メロディが口ずさめます。打楽器はマリンバとシロフォン中心でこちらもメロディック。聴きやすい音楽が今は求められているんでしょうかね、かえってちょっと恥ずかしいけど、でもここまで徹底されると気持ちいい。第2楽章はマリンバがメロディを奏でていって、第3楽章は、あっそうだ、吉松隆さんの音楽に似ている。そういえば、ラウタヴァーラさん、鳥の声(テープ)とオーケストラのための音楽書いてらっしゃらなかったっけ。吉松さんも鳥の声の模倣音楽に入れてるよね、メシアンほどじゃないけど。たまにはこういうあずましい音楽を聴くのもいいな。

休憩のあとはいよいよブルックナー。大作の第8番、ハース版です。実はわたしこの曲はハース版でしか聴いたことないんですね。
ネゼ・セガンさん、前回の第7番の時に引き続き今回も暗譜。全身で音楽を伝えます。ネゼ・セガンさんの指揮はきちんと拍子を取った上で表情を的確に伝えるので、見ているだけでどんな音楽を求めているのか分かります。オーケストラの人もとても演奏しやすいのではないかしら。今日のオーケストラはものすごく充実していて完璧にブルックナーの音を出していました。懐の深い弦楽器も良かったけど、特にホルンとワグナーチューバ、バスチューバが良かったです。金管楽器が開放的な音の遊びをしてこそブルックナーってわたしは思うんですよね。
音楽は多少マルカート気味の低弦の切れ切れの動機から。粘ると思ったのですが、予想に反してここでは粘らなかった。でもここから徐々に盛り上がっていく音楽が、ウワバミがのたうっているような(どういう訳かここを聴いているといつもジークフリートの大蛇のシーンを思い浮かべるのです)様子で、暗黒の世界に引き込まれる感じ。速度を落とすところではうんと落として緩急をつけていきます。それがもうそうでなければいけないようにはまりまくり。スケルツォの主部でも絶妙な変化をつけたんですよ。びっくり。ネゼ・セガンさんの表現はオーケストラをドライブする爽快感を求めて自在に振る舞う(という演奏もわたしは好きですが)というのではなくて、もう完全に自然な音楽の必然として表現している。例えて言うならば、若者が高性能のスポーツカーを思いのままに操る爽快感を求めているのではなくて、F1のドライバーが最高のスピードを求めてスポーツカーを操るという理にかなったしかたかな。アダージョは多分ゆっくりと演奏されたと思うんですけど、時を忘れて無限に音楽の世界のなかを彷徨うような、わたしほとんど何をされたか覚えていません。フィナーレで現前される音の大伽藍。信じられないほど荘厳な音楽。演奏時間は多分90分近くになるんじゃないかしら。ネゼ・セガンさんにブルックナーの魂が降りてきたかのように感じました。というか指揮者もオーケストラも会場も一体となってブルックナーの音楽に共鳴していました。最後はへなちょこブラボーもありましたが、スタンディングオベイション。わたしも隣のおじさんと顔を見合わせてしまいました。言葉はなくても同じ気持ちです。会場を後にするお客さんたちも興奮気味に音楽を語り合っていました。こんな音楽会経験は一生の間にもそんなにないでしょう。あの場に居合わせたことが幸せです。

ブルックナーの交響曲って何だろうって少し考えました。ブルックナーってベートーヴェンの精神では交響曲を書いていない、ハイドンやモーツァルトに精神を根ざしているんではないかって。もしくはただ純粋に音楽を書いてる。でなければ、ベートーヴェンでさえ避けてる、スケルツォの主部をそのままダカーポするなんてしないんじゃないかな。それはブルックナーが敬虔なカトリック教徒ゆえだと思うんですけど、ブルックナーの音楽の構成にはヒューマニティーが欠落してると思うんです。例えば闘争から勝利とか苦悩から歓喜へとかそういう人間的なもの。それはブルックナーの見ている神の世界にはない。神は最初から勝利してるのであり、人間の救いは人間の努力とか善行とかではなく神の一方的な恩寵によってなされる。そこには理由なんてないし、説明できる原因と結果なんてない。というのがブルックナーの音楽が持ってる基本的な構造じゃないのかしら。交響曲の1楽章から4楽章までの精神的なドラマは無視されている、というかはなから考えられていないような気がするの。例えば、例外的に交響曲第7番のアダージョには尊敬するワグナーの死を聞いて、慟哭のようなコーダが挿入されているけれども、だからといってそのあとの音楽の構成には全く影響を与えていないと思う。すぐに村の踊りのようなスケルツォが始まって、フィナーレもアダージョの追悼とは全く関係のないところで成り立っている。ワグナー追悼の音楽はたまたまそこに挿入されただけで、それによって物語が生まれることもないし、ワグナーの死がなければそれが挿入されることもなかっただろうと思うんです。精神的なドラマは成り立っていない。交響曲第8番もそんな音楽だと思うんです。ブルックナーは苦悩だの勝利だのというドラマを書いていない。ブルックナーが創ったのは音楽による大聖堂じゃないかしら。わたしは今まで誤ってブルックナーの音楽の中にドラマを求めてしまっていたのかもしれません。多くの解説でも例えばブルックナーの音楽を表すのに苦しみ、慰め、闘争、勝利という言葉を使ってるし、それをそのまま鵜呑みにしてた。でもそれはきっと違う。もっと純粋な神への畏敬の音楽。わたしは今日の演奏を聴いてそれを確信しました。わたしが見たものは音楽の大聖堂。神々しく響くただの音楽です。

この音楽会の模様は、10月30日の午後7時から(イギリス時間)BBCのラジオ3で放送されますが、その後1週間、ラジオ3のサイトでオンデマンドで聴くことができます。ぜひ、聴いてみてくださいね。あっ先日のハイティンクさんのマーラーの大地の歌も現在聴けるようです。期間限定なのでお早めにね。相変わらずドライな音ですが。
英語ですが、ネゼ・セガンさんのインタヴゥーがLPOのサイトで聴けます。
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by zerbinetta | 2009-10-24 09:40 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(2)

80歳にしてなお若く   

mendelssohn: overture, the hebrides
brahms: symphony no.3, piano concerto no.2
yefim bronfman (pf), christoph von dohnanyi / po @royal festival hall


ドホナーニさんの80歳のお誕生日コンサートです。ドホナーニさん、80歳にはとうてい見えない。若い。始まりはメンデルスゾーンの序曲、ヘブリディーズ諸島。日本ではフィンガルの洞窟と言った方が通りがいいですね。今年はなにげにメンデルスゾーンの記念年なんですが、なぜかこの曲ばかりに当たります。3回目かな、たしか。交響曲第2番やエリアを聞き逃したのはちょっと痛かった。10分くらいの小品なんですけど、これがとってもいい演奏だったの。さやさやと弦楽器が動く様が、霧のスコットランドな感じがして弱音がきれいで引き込まれるようでした。今日の音楽会は期待できる!って思った瞬間。

ところがなのです。わたしったら、全然調子悪くて、音楽を聴いてもなぜか気が散る。ふと仕事のこと考えたり、音楽に集中できずに余計なことばかり。演奏が悪かったというのではちっともないのです。わたしの方が悪かった。それにしてもブラームスの交響曲第3番って細かい音符が多くて合わせるの大変そう。特に木管楽器は最初から最後まで細かい音符を吹き続けてるって感じ。その点フィルハーモニアは上手いので安心して聴けます。ドホナーニさんの演奏は全くの自然体で、奇をてらうところも、何か仕掛けてやろうということもなにもなく、一見普通の演奏です。でも、それでいて退屈することもなく、一定の緊張をはらんで美しく音楽が奏でられていく。熟達した本物の音楽がそこのあったと思います。

休憩後のピアノ協奏曲第2番はわたしには分かりづらい曲。第1番の方は大好きなんですけどね。第2番はなんだか、とらえどころがないというか、第1番が男性的で雄大なのに第2番は女性的で繊細って思っていたら、第1楽章と第2楽章はそうでもない感じだし。出だしのホルンのほのぼのとしたソロで騙された? でも音楽が進むと同じ主題が行進曲調で鳴るのですね。ブロンフマンさんの演奏はさばさばとして感傷を配したリアリスティックなもの。それがこの曲の前半2楽章と合ってる。後半2楽章はうって変わって秋の日のメランコリーな感じになるんですけどね。第3楽章のチェロのソロは良かったな〜。
今日のオーケストラは変わった配置。左手から第1ヴァイオリン、チェロ、その後ろにコントラバス。右手に向かってヴィオラ、第2ヴァイオリンの対向配置でした。マイクがたくさん立っていたので録音されてたんでしょうね。ドホナーニさんとフィルハーモニアはブラームスの交響曲第2番と4番のCDを出しているのでその続きでしょう。昨シーズンの第1番は聞き逃しちゃったな。残念。
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by zerbinetta | 2009-10-22 20:50 | フィルハーモニア | Comments(0)

リベンジとか言うの?   

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ravel: l'heure espagnole
bonaventura bottone (torquemada), christopher maltman (ramiro),
ruxandra donose (concepcion), yann beuron (gonzalve), andrew shore (don inigo gomez)

puccini: gianni schicchi
stephen costello (rinuccio), thomas allen (gianni schicchi), maria bengtsson (laeretta) etc.

richard jones (dir), antonio pappano / roh @covent garden


実はロイヤルオペラのチケット争奪戦に敗れて、というか参加すらしなかった、ロイヤルオペラ秋の部は静観だったんですけど(ロイヤルオペラのチケットは秋、冬、春とシーズンを3つに分けて売り出します)、大好きなトリスタンとイゾルデやカルメンを観そびれて地団駄を踏んでいたんです。とっても好評だったのでなおさら。なので悔しくって、見境もなくチケット取ってみました。日本語でリベンジって言うの?英語だときつい言葉だし、ってか意味違うし、口にしにくい言葉だけど。で、なんだかよく分からないけど買ったのがこれ。1時間ほどの短いオペラが2つ。で、何も考えずにチケットをとったあと、よくよく見たら、ラヴェルとプッチーニのオペラだったのね。しかも喜劇らしい。ラヴェルは以前、セミステージド・オペラで子供と魔法を聴いて以来。プッチーニの喜劇は初めて。これ1曲しかないのね。ネットであらすじを調べたらどちらも面白そう。
考えてみると今シーズン初めてのロイヤルオペラですね。オペラハウスの豪華な感じがやっぱりいいです。あっでも、お客さんは着飾った人ばかりではないんですよ。って言うより、わりと普段着な人(友達の家にお呼ばれしたときに着ていく恰好くらい)が多いんです。わたしも仕事場から直接なのでもちろん普段着。今日はジーンズにシャツ、セーターでした。

ラヴェルのスペインの時は、冷静に見るととんでもない不倫の話。時計屋のご主人が仕事で外出している隙に不倫をする話だけど、3人の男の人が登場してしまうどたばた。奥さんとしたら時間がないので早くコトに至りたいのに長々と詩を読み続けるロマンティックな詩人、地位とお金で口説いてくるお金持ち、ただの力持ちの男の人のうちどの人を選ぶかってお話。最後はご主人が帰ってくるのだけど、力持ちの素朴な男の人が選ばれて、セクシー・バックダンサー付きのハッピーエンドというか大団円。ご主人存在感なくてちょっとかわいそう。時計の中に人が隠れたり、その時計を担いで振り回したり、笑いどころたっぷり。それにラヴェルのスペイン風の音楽がとっても効果的に使われていて面白さを盛り立てます。頭空っぽにして楽しい。歌手の皆さんもそれぞれ不足なく上手でオーケストラもラヴェルらしい繊細でカラフルな音で鳴らしてました。うんうん良い良い。

休憩のあとはプッチーニのジャンニ・スキッキ。幕が上がったとたん、 人が死んじゃった。いつものプッチーニなら最後に人が死んで涙で幕を下ろすのに、いきなり死んで遺産騒動のどたばた喜劇。これが面白いのなんのったら。もうずうっと笑いながら観てました。それにしてもプッチーニ上手い。プッチーニらしさを全く失わずに効果的に喜劇の音楽を付けてる。シンコペーションばりばりのバーンスタイン並みの部分もあったりして。これが唯一の喜劇だなんてもったいない。プッチーニにはもっと長生きして、もっと喜劇を作曲して欲しかった。このオペラの中には「私のお父さん」という有名なアリアがあるって解説の書いてあったけど、わたし、知ってるかしら、気がつかずに聞き逃してしまわないかしらって心配してたら、誰でも知ってる超有名曲でした。短いアリアだけどステキ。歌手は芸達者なトーマス・アレンさんを筆頭になかなか。私のお父さんを歌ったベングトソンさんはちょっと弱い感じがしたけど、若いからいいかな。おばあさんが見かけによらず張りのある声で歌ったので見かけとのギャップ(もちろん歌手はおばあさんではないのです)が可笑しかった。

2つで2時間ほぼ笑いっぱなしで、こんなに笑ったのは久しぶり。心のリフレッシュになりました。もちろん、幸せ〜。
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by zerbinetta | 2009-10-20 20:48 | オペラ | Comments(0)

またふられた   

schubert: symphony no.5
mahler: symphony no.4
klara ek (sp), bernard haitink / lso @barbican hall


ハイティンクさんとロンドン交響楽団のシューベルト、マーラーシリーズ、2回目は前回とうって変わって、朗らかに明るいシューベルトの第5番とマーラーの第4番の交響曲です。どちらもほとんど翳りがなく明るくうきうき。そして今日はシェーファーさんが歌います。のハズだったのだけど、ご病気で急遽エクさんに変更になってしまいました。残念。シェーファーさんに振られたのは今回で2度目。前はメトのルルでした。会場にいたお客さんも同じ気持ちだったみたく、降板のアナウンスがあったときため息が出てました。でもね、エクさんもとおっても良かったんですよ。
プログラムはシューベルトから。スキップしちゃいたくなるくらいに快活な交響曲第5番。もちろん影の部分もあるんだけど、後期の作品のような深刻さはなくて、青春の悩みみたいな、後で考えたら何でわたし、そんなことで悩んでたんだろうみたいな陰影。でも、こういう素直な曲こそ演奏するのって難しいと思うんですよね。空っぽになっちゃったり退屈な感じになっちゃったり。ハイティンクさんってこの間聴いたハイドンもそうでしたが、こういう曲って実はとっても似合ってるというか実に上手に演奏すると思う。とっても幸せな気持ちにさせられたもん。

後半のマーラーの交響曲第4番も幸せな曲。そして一見、とってもシンプルで小さくて、所謂マーラーらしくなくて、軽くて明るい曲。でも、実はマーラーの音楽の中で最も対位法の実験がなされている複雑な曲だと(第1楽章と2楽章)わたしは思ってる(実はピエール・ブーレーズさんからの受け売りなんだけどね。インタヴューかなにかでそのような発言をなさってる)。マーラーは以前、指揮者のビューローに自作の葬礼(もしかすると交響曲第2番の第1楽章だったかもしれない)をピアノで聴かせたとき、「あなたの音楽に比べたらトリスタンとイゾルデはハイドンの交響曲のようだ」「これが音楽だとしたら私は音楽が全くわからないことになる」と揶揄されてる。それに対する皮肉な回答が(もうビューローは亡くなっていたけど)この曲だと思うんです。ハイドンの交響曲は決して軽い小さな音楽ではない。そこにはものすごくたくさんの驚くべき仕掛けや工夫が凝らされてる。マーラーは一見ハイドンのような軽い交響曲の外観を持つ、でもほんとは本物のハイドンのようにたくさんの仕掛けを忍び込ませてこの曲を書いているんじゃないかしら。それを発見して以来、わたしはこの曲を聴くとき、どのようにそれを表現するかに耳を澄ましてる。そんな固定的な聴き方はほんとはいけないんだけど。
ハイティンクさんの演奏は残念ながらそんなわたしの好みには反しました。実験的なポリフォニックな出し入れよりもメロディを重視した演奏。対旋律の絡みはあまり聞き取れませんでした。そして、なんと第1楽章はわりとインテンポで演奏したので、突然速くなったり遅くなったり(確か楽譜にもそういう表情の指示があったように思う)気分の変化がなくて、瞬間瞬間重視よりも全体の構成を見据えた演奏。なので第3楽章、第4楽章はとってもいいのだけど、急遽代役を務めたエクさんもこの音楽にふさわしいステキな歌でした、始めの2つの楽章はちょっぴり残念でした。
でもね。わたしはこの曲には冬の楽しいイメジがあるんです。白い雪景色の街に楽しげな人々の行き交い。クリスマスとかお正月な感じ。今日のハイティンクさんの演奏はなぜかその景色を明快に頭の中に映してくれたのです。ここまで明快に表現された演奏はわたし初めてです。そしてハイティンクさんはその景色をひとつの絵として額縁に入れてくれました。本物の景色を見ているはずなのに大きく構図をとられた本物以上の絵。ハイティンクさんの大局的な構成感を持った演奏はそんな演奏でした。わたしのこの曲に対する理想的なイメジ。仕掛けの表出に関しては不満があったのに、音楽の持つ絵画的な魅力に満足。ひとつの音楽を聴いてるひとりのわたしなのに一方で不満、同時に一方で大満足。不思議な経験でした。
今日のお客さんは大拍手。そりゃそうです。こんな幸せな曲たちだもの。拍手も盛大にね。
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by zerbinetta | 2009-10-17 08:35 | ロンドン交響楽団 | Comments(2)

ルスランとリュドミラの白髭の魔法使い   

glinka: overture, ruslan and ludmila
glazunov: violin concerto
dvorak: symphony no.9
nicola benedetti (vn), leif segerstam / po @royal festival hall


勝手に応援してる若いヴァイオリニストのひとり、ニキ(ニコラ・ベネデッティさん)が弾くのであらば聞き逃す手はありません。そして今日の指揮者はセーゲルスタムさん。何とも独特の風貌のでもちょっぴりお茶目でステキな指揮者です。身体が大きいので足がちょっとお悪いのが心配ですが。
始まりはグリンカのオペラ、ルスランとリュドミラの序曲。この曲とっても溌剌と速いので巨漢のセーゲルスタムさん、素速く振れるかしら? 重戦車みたいな超重量級の演奏しちゃうんじゃないかしら? なんて勝手に心配してみたりして。でも心配無用。なんと熱い溌剌とした演奏でしょう。ちょっと荒いところはあるものの音に込められた熱気はすごい。ティンパニ打ち放題。そうそう、セーゲルスタムさんって情熱的な演奏をするんだったわね。で、それでいて透明で暑苦しさのない、しっかりと組み立てられた演奏。セーゲルスタムさんの指揮はわたしにはわりと大雑把に見えるけど、フィルハーモニアの人たちは速い音符を一糸乱れぬアンサンブルでそろえていました。さすが、アンサンブルのいいオーケストラ。ルスランとリュドミラというとマリイインスキー劇場のDVDを持っているのだけど、その中に出てくる魔法使いが長い白髭で、セーゲルスタムさんみたい。ああやっぱりこの人は森の魔法使いなんだわ。

グラズノフのヴァイオリン協奏曲は初めて聴く曲だけど(というかグラズノフの曲自体初めて? と思ったらバレエのライモンダが彼の作品でした)、抒情的で親しみやすい音楽でした。第1楽章がちょっと盛り上がりに欠けて退屈でしたけど。トランペットのファンファーレが鳴るところはかっこよかったな。ニキはとっても安定したテクニックで、叙情性豊かに歌っていきます。こういうヴィブラート多めというかふくよかな感じの曲ってニキに良く合う感じ。カデンツァは重音の上に片方は常にトリルをしているといううんと難しそうな感じでしたが、もう憎いくらいに余裕で弾いていました。ニキはこれからどのように成長していくのでしょう。どんな曲を弾いていくのでしょう。肉感的で艶やかな音が彼女の持ち味ではあるけれども、デビューCDで弾いたシマノフスキのコンチェルトで聞かせた怜悧で理知的な面もバランス良く持っていて、これからがとても楽しみな人です。ベートーヴェンやブラームスなんかもいつか聴かせて欲しいな。

最後の新世界からも熱のこもった演奏でした。ワシワシと心をつかんできます。第1楽章のリピートのない演奏を久しぶりに聴いたけど、こっちの方がいいよね。振り出しに戻らなくても十分この曲知ってるし。第2楽章の中間部、コントラバスのピツィカートにのって木管楽器や弦楽器がコラール風の旋律を奏でる静かな部分が特に印象に残りました。わたし、マニアックな曲ばかり聴きたがる傾向があるんですが、たまにはこんな有名曲もいいな。オーケストラも適当に流すんじゃなくて熱く演奏してくれたのもまるです。
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by zerbinetta | 2009-10-15 08:12 | フィルハーモニア | Comments(0)

大地の歌   

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schubert: symphony no.8 (unfinished)
mahler: das lied von der erde
christianne stotijn (ms), anthony dean griffey (tn),
bernard haitink / lso @barbican hall


先日聴いたハイティンクさんの大地の歌があまりにも良かったのでもう一度聴きに行きました。先日の公演では不満なこともあったから。実は日記には書かなかったけど、雑音が酷かったんです。わたしは周囲の雑音にはかなり寛容なんですけど、咳や飴の袋をごそごそやる音が今までこんなにあったことあったっけ?って思うくらい酷かったの。あと、テナーの声があまりちゃんと聞こえなかったのは席のせいもあるかなとも思ったんです。なので今回はフンパツしてステージにわりと近い席。25ポンド。地元のオーケストラの音楽会は10ポンド以下の席と決めているので(外国からの公演は安い席を取りそびれたのでちょっと高め。と言っても20ポンドくらいまでかな、だいたい。1ポンドは100円感覚です)、かなりのフンパツでしょ。さて、その席のせいか今日は落ち着いてゆったりとした気持ちで聴くことができました。2回目ということもあるのかもしれませんが。そして、歌がしっかり聴けて良かった。前回聴いた印象とだいぶ違って、グリフィーさんもしっかり歌ってるなと思いました。そのせいで今回は歌ばかりに耳を澄ましてしまいました。グリフィーさんには前回、大変きついコメントを書いてしまって申し訳なく思いました。ごめんなさい。
席のせいだけではなく演奏も前回を上回っていたと思います。歌手とオーケストラの呼吸の合わせ方も前回よりしっくり来てましたし、オーケストラのソロもより自然な自由さが加わっていたと思います。そしてなにより、ハイティンクさん、歌手のお二人、オーケストラ、そしてお客さんの音楽に対する集中度が違いました。ハイティンクさんは一点の曇りも隙もなく音楽の隅から隅にまで目を配った演奏で、目立たない伴奏の音ひとつひとつまでまさにここにその音がある必然性を感じさせる演奏です。オーケストラもそれに応えて見事にそれを表現していました。ハイティンクさんの解釈はとても真摯で厳しいものです。楽譜を丁寧に音にする以上に音楽の背後にある哲学まで余すところなく伝えようとしています。その結果、第1曲と終曲はものすごく絶望的な音楽になりました。マーラーは生前、この曲を聴いたら自殺者が出るのではないかと語ったそうですが、まさに本当にそれがあり得るかもと言うような絶望感です。特に終曲の闇の淵から聞こえてくるような暗いコントラバスの響きは凄かった。恐ろしくて身震いしてしまいました。また、多用されるソロの孤独な響き。世界が空虚になって独りぼっちの世界に連れて行かれます。ハイティンクさんは、うんと美しい音楽を作っていたと思います。第3曲や第4曲ののどかな美しさの刹那、そして他の曲での暗い絶望の中にほのかに現れるもの狂おしいまでの美しさ。ハイティンクさんはこの音楽の持つ厭世観、途方もない絶望に逃げることなく正面から向かっていきます。その結果、わたしは絶望の淵に立たされる。のに。なのに、マーラーは最後、なんと美しい音楽を与えたのでしょう。きらめくチェレスタの響き、ギターやマンドリンのあえかなるつま弾き。幽玄閑寂な響きの世界。大地が再び花開く春。わたしはその中にすうっととけていきます。魂が大地と共に永劫に回帰していくように。マーラーの自然への思い、時への思い、そして故郷への思い。ヨーロッパを離れることを余儀なくされた悲しみ。自分には故郷がないと感じながらも、強く抱く望郷の思い。わたしのはマーラーほど強くはないけれども、同じような思いに心が共鳴する。とけていくことの充足感。そして永遠に在り続けることの不思議。聴いたあとの深い感動と思いは前回と同じ。永劫回帰への希求。
最後ハイティンクさんは全ての力を出し尽くしたかのように放心しているように見えました。拍手は控えめでした。ステージへの階段の上り下りががきつそうなハイティンクさんに対する心遣いでもあるし、この曲に対して熱狂的な拍手をしたのでは音楽を壊してしまうでしょう。いみじくもお客さんのひとりが言っていました。今日の観客はとても素晴らしかったと。わたしも同じ思いです。音楽会を聴いたと言うより、とても重い経験をしたという気持ちです。
(今日は(多分前回も)マイクがたくさん立っていました。録音されているのでしょう。LSOは自主レーベルでライヴ・レコーディングを盛んに出しているので、大地の歌もCDが出ることが期待できるかもしれません。記念に持っていたいです)
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by zerbinetta | 2009-10-13 08:09 | ロンドン交響楽団 | Comments(4)

永遠への希求   

schubert: symphony no.8 (unfinished)
mahler: das lied von der erde
christianne stotijn (ms), anthony dean griffey (tn),
bernard haitink / / lso @barbican hall


ハイティンクさんとロンドン・シンフォニーによるシューベルト、マーラーの交響曲演奏会、第1弾。シューベルトの未完成とマーラーの大地の歌でした。風邪はうまく峠を越えたみたいで、油断するとぶり返してしまいそうですが、なんとか音楽を聴ける状況になりました。昨日の時点では今日は無理って思っていたのでラッキー。ハイティンクさんは人気でステージに出てきただけで大きな拍手。ロイヤルオペラの監督を務めたり、ロンドンフィルを率いたりロンドンとは縁の深い人ですしね。
シューベルトはささやくような始まり方です。ハイティンクさんはこの出だしと、第2主題の始まりをほんとに美しい美音で弾かせてわたしたちを音楽に引き込みます。ゆったりとしたテンポ設定で仄暗い情感を込めていきます。対して2楽章はテンポは速くないのだけれどもさくさくと刻んで歩くように進んでいきます。この対比が出したかったのかなぁ。ただ、オーケストラにまだハイティンクさんの意図が染みわたっていないように聞こえることもあり、わたしにはまだ消化不良のように感じられました。でも、最後のほのかな明かりが射すところはうんときれいだったんです。この瞬間のために音楽があったんですね。

大地の歌はマーラーの音楽の中ではCDではよく聴かれる曲だと思うんだけど、なかなか実演では聴かれないような気がします。わたしが聴くのも今日が2回目。期待してました。テナーが予定されていた人が病気のためキャンセルで急遽グリフィーさんに変わりました。これがちょっと残念な結果になってしまいました。第1曲では声が通らずオーケストラに負けっぱなし。音程も悪くて発声にもムラがあるようでした。テンポもゆっくり目に演奏するハイティンクさんのテンポと合わないところが多々あり、大事な曲だけにがっかりでした。3曲目はなんとか持ち直して、第5曲が一番良かったかな。ストテインさんは安定していて、ステキでした。でも圧巻は終曲。友と別れてから永劫の大地に同化していくところが感動的でした。ハイティンクさんとロンドン・シンフォニーは最高級のマーラーの音色で、出だしのホルンから音が違いました。こういうのを聴くとロンドン・シンフォニーって上手いって思います。木管楽器のソロも上手くて特にフルートとバスクラリネットやファゴットなんかの低音楽器が印象に残ってます。大地の歌というとどういう風に解釈するのかいつも考えてしまいます。愛する大地に春が巡ってくるのに、わたしは友と別れて独り死出に旅立つのか、春を希望と捉えて未来へつなぐのか。もちろん、楽譜に書かれた音符を美しく音にして純粋な音楽の美しさを表現するということもできるでしょう。様々な解釈、表現が可能できちんとそれを表現できていれば、どれが正しくてどれが間違いっていうものではありません。そして今日、ハイティンクさんは新しい視点を見せてくれました。死でも生でもない永遠。春、美しく花開く大地に永遠に在りたいという希求。花開く大地は、決して前年の春とは同じではありません。生命は死にまた生まれてきます。大地の営みは生と死の輪廻です。マーラーはその輪廻の中に永遠を見つけその中に在ることを希求したのではないでしょうか。生とも死とも切り離された純粋な魂として。今日聴いたその音楽からそれが強く感じられました。ハイティンクさんの音楽は永遠を表現していたように思えます。時間が意味を失った永遠。よく知っている大地の歌なのに、何度わたしはどこにいるのか迷ったでしょう。音楽は時間にそった刹那の芸術なのに永遠のときが感じられた不思議。音は鳴り終わったのに音楽は続いている。涙がゆっくりと頬を伝わり続けたのは、帰り道の寒さのせいではないよね。地下鉄の中でも涙がほろり。
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by zerbinetta | 2009-10-11 08:38 | ロンドン交響楽団 | Comments(4)