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うふふ ご招待   

朝、寒くて起きたら見事な雪。ロンドンにも雪が積もるんだった(去年も一昨年も積もりましたよ)。と、珍しくお天気の話題で始めたり。ここでは音楽会のことだけで、他の話題はほとんど書かないからね〜。一応私生活は謎にしておこうと。秘密諜報員だからさ。
数日前、ロンドン・シンフォニーからメイルが来ました。音楽会の前のレセプションと音楽会のご招待。わたしはちっともロンドン・シンフォニーの会員じゃないんだけどね〜。たくさんチケット買ってるからかしら。去年もメイルが来た気がするけど、あまりよく読まないで放っておいたら日が過ぎちゃった。今年はしっかり受けますよ。音楽会のご招待のあった日のチケットはすでに持っていたので、他の日に変えてもらうことに。ロンドン・シンフォニー太っ腹。ますます好きになっちゃうじゃない。でも一番は同じロンドンでもフィルハーモニックだけど(ひそひそ)。で、どの日にしようかなぁ〜って見てみたら、行ける日はほぼ全部チケット買ってあるじゃない。うむむむ。せっかく招待されてるのでどこか都合をつけなければ(せこいっ)。
レセプションは出ようかどうか迷ったけど(多分仕事が終わらない)、でもモルド・ワインやミンス・パイの言葉に惹かれて出席と返事をしてしまいました。なんとか最後の方で滑り込んでお菓子を口に入れるのだ。フランスでもそうだったけど、ヨーロッパではクリスマスにスパイスを入れたホット・ワインを飲むのです(それぞれの国で名前や作り方がちょっぴり違ってるけど)。フランスでは有名なアルザスのクリスマス市にも行ったのに、ヴァン・ショーを飲みそびれて悲しい思いをしたので、今年こそモルド・ワインを飲むのだ。そういえばUSではクリスマスはエッグ・ノッグだったなぁ。アルコール・フリーのエッグ・ノッグ大好きだった。ああ、また飲みたいっ。
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by zerbinetta | 2010-11-30 09:09 | ロンドン交響楽団 | Comments(2)

今年も見事な富士額   

26.11.2010 @royal festival hall

mozart: piano concerto no. 25
bruckner: symphony no. 9

andreas haefliger (pf),
günther herbig / lpo


昨日の事件後まだキズが癒えないまま音楽会へ。週日に4日も連続して音楽会があるときつい。どうしてこんなチケットの取り方しちゃったんでしょう。ばかばかばか。
でも、今日は去年のシーズンに聴いていいなと思った、ギュンター・ヘルビヒさんの指揮。白髪に見事な富士額がいいの〜〜。さて今日はどんな音楽を聴かせてくれるのでしょう。ちゃんと聴けるかしら。

前半はモーツァルトのピアノ協奏曲、K503のハ長調。モーツァルトの音楽は心のリハビリにぴったりですね。人間の感情が全て美しい音楽の中に含まれてる。なんて言いつつ、モーツァルトの音楽を好きになったのは結構後のこと。そして今でもちゃんと聴けてるとはとうてい言えない。いつかモーツァルトの音楽が本当にわかる日が来るのでしょうか。わたしもマーラーみたいに死ぬときモーツァルトと言ってみたい。と余計なことを書いちゃったけど、このハ長調の協奏曲はオーケストラにトランペットもいたりして堂々として絢爛。ステキだなぁ〜と思いながらぼんやりと聴いていました。指揮者もピアニストもオーケストラも突出してない代わりに安心して音楽に身を委ねられる演奏。ピアニストのヘフリガーさんって有名な歌手のヘフリガーさんの息子さんなんですね。わたしの記憶が正しければ、お父様の歌、ではなく語り(グレの歌)を聴いたことあります。あっ何わたし、お父様の思いで語ってる。アンドレアス・ヘーフリガーさんは、モーツァルトを丁寧に弾いて良かったですよ。わたし、モーツァルトを弾くのが一番難しいと思っているので、こうして心にすっと来るモーツァルトを弾く人を高く評価しています。と言いつつ、はっとする瞬間がもっとあったら良かったな。第1楽章のカデンツァは良かったけど。

後半はブルックナーの交響曲第9番。ロンドン・フィルは過去にブルックナーでは交響曲7、8、6番と名演を聴かせてくれているので期待していました。このオーケストラ、マーラーよりもブルックナーの方が得意な感じだしね。ヘルビヒさんのブルックナーは比較的速めのテンポで音楽の流れを作っていくもの。第1楽章なんかはブロック構造が明確というか極端な感じな音楽だけど、ヘルビヒさんのはそこで流れが淀まない。とてもスムーズに音楽が流れていくの。フレーズもレガートでくっつけないで、きちんと一音一音明確に切る部分もあって新鮮。最初はあまり目立たなかったテンポの変化も、少し音楽が進むと大胆になって、速い部分では短いパッセージでもおっ!っと思うくらい速くしたり、これはちょっとオーケストラが戸惑っていたこともあったけど、ブルックナー好きの人に言わせればブルックナーらしくないって言われるかもしれないけど、どうせブルックナー分かるはずない女子(そう言われたことある)のわたしにはとっても良い感じでした。ヘルビヒさんの良さは音をとても開放的に良く鳴らすことです。金管楽器、特にホルンを思いっきり気持ちよく鳴らしていて、テンポの変化と共にブルックナーの音遊びをとても上手に聴かせてくれたと思います。きちんと練った演奏だったと思うけど、テンポを揺らす部分では自由な感じに聞こえて、なんだかオルガンの即興演奏を聴いてるみたい。ブルックナー最後の交響曲、生への別離の音楽、なんてCDの帯に書かれると必要以上に重厚長大になっちゃいそうですが、ヘルビヒさんのは、てらいのないちょうど良い大きさの演奏。わたしはこのくらいのブルックナー、好きだな。ただ、ひとつだけ残念だったのは、会場のロイヤル・フェスティヴァル・ホールの残響が短くて(かなりデッドなホールです)、休止部の余韻がなかったこと。残響の長いホールで聴いていれば教会のオルガンみたいでいいのにな、もったいないなって思いました。
実は、第7番やあの第8番でとんでもない名演を聴かせてくれたネゼ=セガンさんが今シーズンは第9番を演るんじゃないかってシーズン前は期待してたんです。彼はマーラーに回ってブルックナーはなし。でも、ヘルビヒさんのも良かったので満足です。と言いつつ、来シーズンはネゼ=セガンさんでブルックナーの交響曲第5番を期待したいな。ヘルビヒさんはベートーヴェンかブラームスを演ってくれないかな。と、勝手に思ったり。そういえば、ロンドン・フィルってベートーヴェンあんまり演奏しないなぁ。
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by zerbinetta | 2010-11-26 09:07 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(2)

ポゴレリチ事件   

25.11.2010 @royal festival hall

liadov: the enchanted lake
tchaikovsky: piano concerto no. 1
shostakovich: symphony no. 5

ivo pogorelich (pf),
tugan sokhiev / po


いまだに混乱しています。支離滅裂な文章(いつもだけど)お許しください。

ソヒエフさん聴きたさにとったチケットでした。で、協奏曲があって、ピアニストがポゴレリチさんでした。名前は知っています。ショパン・コンクールで有名な事件を引き起こしたことも知っています。なんだか変わった演奏をする人だということは、友達に聞きました。どんな変わった演奏なんだろうと思って、普通の演奏を知らなきゃ始まらないということでCDで予習したりもしました(珍しいっ!)。 
ステージに現れたポゴレリチさんは、取り立てて変わった人には見えませんでした。でも、有名なオーケストラの前奏のあとにフォルテッシモの和音のリズムがピアノに出た瞬間からびっくりしてしまいました。場違いな強音。一音一音が重くねっとりと鍵盤にまとわりつく。オーケストラを完全に無視した独善的な演奏。テンポもめちゃくちゃ。そして、多すぎるミス・タッチ。わたしはミス・タッチや楽器奏者の小さなミスはあんまり気にしない方ですが、ここまで酷いと気になります。ミス・タッチを恐れず強い表現をしてると反論されるかもしれないけど、わたしには不必要なミス・タッチに聞こえました。表現したいことに技術がついて行けてないのはプロフェッショナルとして許されないことだと思います。もしかしたら彼は、わざと予測不可能な音を入れているのかもしれませんが。主部の速いところにやっと入って、って、ここまででぐったり疲れちゃったもん。何が起こるか分からない緊張感。普段はアンサンブルの上手いフィルハーモニアが合わせるだけでこんなに苦労しているのを初めてみました。主部の速いところに入って、ってずいぶんと遅い。なんだか指が回ってない感じ。これもわざとなのでしょうか。オーケストラとピアノは相変わらずかみ合わず。指揮台に立ってるソヒエフさんは針のむしろでしょうね。ピアノになんとか合わせるだけで精一杯で音楽を作るところまでいってない。リハーサルでだいたいのテンポ設定までは合わせていることは、ピアノが入る前のオーケストラのテンポ設定で分かります。でも、それ以上のことを勝手にやってくる。指揮者も小節の頭の音が弾かれてから次の音が弾かれるまでテンポが分からない。ポゴレリチさんは自分のことだけで他の人と合わせることなんて頭にないのでしょう。こんなの合奏する音楽じゃない。
動揺しながら、わたしはポゴレリチさんの美質を見つける試みをしてみました。オーケストラが消えてピアノのソロの部分では、ポゴレリチさんはうんとゆっくりとピアノを弾きました。時が止まるように。その音楽は悲しいほどに美しいのかもしれないとも感じられるような気がします。でも、フォルテッシモの部分があまりにわたしを壊してしまったので、ちゃんとは聴けません。音楽を聴くことにこんなにも嫌悪感を感じたのは初めてです。わたしにはポゴレリチさんが絶望を持って音楽を破壊しているようにしか思えませんでした。音楽の廃墟。音楽を信じることのできない音楽家が自暴自棄になって弾いた音楽。ならば弾かなきゃいいのに。
確かに、ポゴレリチさんは音楽にある絶望を表現していたと思います。本当に絶望的だった。悲しくなった。ポゴレリチさんは自分自身に絶望しながらピアノを弾いていたように思いました。もっと良く弾きたいのに弾けない。唸るような息を出しながら鍵盤を叩いてた。自分の出す音に納得していないようにも見えた。途中で放り投げて帰ってしまうんじゃないかとさえ思った。こんなに悲しい音楽をする人を初めて見た。もちろん悲しい音楽なんてたくさんあるし、悲しい演奏だってたくさんある。でも死に至る病で音楽を塗りつぶすのは初めてだ。
目の前にちゃぶ台があったらひっくり返したかった(実は一度やってみたい)。もし、席が端っこだったら、席を立っていたでしょう。30分間が苦痛でした。胃の腑に鉛を入れられて重い感じ。心をヤスリで削られてささくれ立たせられる感じ。

わたしは、作曲家の意思は尊重すべきとは思いますが、それは絶対ではなく、演奏家にかなりの自由が許されると思っています。再現芸術である音楽は、作曲家と演奏家が芸術家として対等な立場にあると思っているからです。何が何でも楽譜通りに弾かなければならないとは考えていません。でも、それは自分勝手に弾いて良いということではありません。正しいということはあると思うんです。ポゴレリチさんは今回、チャイコフスキーの協奏曲から絶望を表現していた。何に絶望しているのかよく分からないけど、音楽そのものに対して絶望しているのかもしれない。確かに、ヴィルトゥオーゾ協奏曲のようでもあるこの音楽の底にもひとかけらの絶望はあるのかもしれない。チャイコフスキーは常に心の中に絶望を秘めていたのかもしれない。だからそれを取りだして表現してみた、というかもしれない。でもそれは正しい? そんな小さな絶望も希望も誰でも持っている。気持ちが絶望に傾くこともあれば希望に満ちることもある。
例えば、多分、世界で最も力強い希望の書である新約聖書の中には、イエス・キリストの言葉として「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という、究極の絶望の言葉があります。でも、この言葉だけを取りだして聖書は絶望の書と主張するのは間違いでしょう。聖書の全体を通して聖書を語らなくては間違いになってしまうのですから。「不正にまみれた富で友達を作りなさい」というイエスの言葉もあります。じゃあクリスチャンは大いに不正を働こうというのも間違いでしょう。チャイコフスキーのピアノ協奏曲に含まれているかもしれない小さな絶望のかけらを曲に敷衍して演奏してしまうのは、間違いだと思うんです。もうひとつ、わたしは、演奏に戸惑って(というか腹が立って)、家に帰ってからネットで過去のポゴレリチさんの演奏に関する感想を読んでみたのですが、他の曲に対してもポゴレリチさんが同じような姿勢を取っているらしいことを知りました(他の人の感想なので確信は持てないでいるけど何人かが今日のわたしと同じような気持ちを例えばショパンの音楽から感じています)。もしそうだとすれば、彼はどの音楽を弾いても同じようなことを表現していることになります。これって、おかしくない? 違う音楽には違う感情が込められてると思うのです。ポゴレリチさんの演奏は、例えば白いものも薄ピンクなものも、青と白のしましまもようなものも全部黒く塗りつぶしてしまうような、全部自分の主張で塗りつぶしてしまうような演奏。これ正しい?

わたし、正しいこと、と言い過ぎでしょうか。わたしだって正しいことが今ではそんなに単純なことではないことも知っています。ひとつの正しいことがいつも正しいとか限らないことも。でも、それでも正しいことはあると信じたいのです。言葉を換えていえば希望でしょうか。でなければ、何でもありの絶望のカオスになってしまう。今日の演奏のように。でも、好意的に解釈すれば、彼は全く異なるものを見せてくれたのかもしれません。悪魔的なもの、ダークサイド。わたしがそれにもの凄く嫌悪感を示すのは、わたしの裡にあるそれを見せつけられたからかもしれません。普段できるだけ封印しているもの、パンドラの箱をこじ開けられそうになったからかもしれません。聴いてはいけないものを聴いた感じです。わたしの裡にある黒いどろどろとした負の感情は絶対に封印しておきたい。でなければ、わたしは簡単に悪のサイドに行ってしまう。なんだかダース・ベイダーになったアナキンみたい。

確かにポゴレリチさんの演奏はブラック・ホールのような引力があったかもしれません。2度と再び聴きたくないかというと、リサイタルだったら、安ければ、怖いもの聴きたさで聴きに行ってもいいかも、いや行くべきではないと逡巡すると思うし。わたしが最後にとっても違和感をもったのは、拍手の大きさ。この演奏を拒否したわたしは拍手しなかったけど、たくさんの人が拍手している。あの絶望を受け入れることができたのかしら。それとも礼儀だから。何も分からないから。わたしの勝手な気持ちかもしれないけど、絶望を受け入れられる人って、あまりたくさんいて欲しくない。わたしだって自分のダークサイドなんて見たくない。

もうこの演奏に心をかき乱されてしまって他のことは覚えてないんのです。もちろん、ポゴレリチ前のリャードフの音楽は印象派の音楽を彷彿させるステキに演奏されたし、ポゴレリチ後のショスタコーヴィチの交響曲はあんなことがあったにもかかわらずきちんと演奏されたと思います。でも、わたしには音楽を聴く力はもうなかった。音はなっていてもわたしの上を素通りしていく。音楽を聴きたくないって思ったのは多分初めて。昨日近くの席に座ってたカップルが、今日も隣の席に座って、話してみたら、タコが好きでタコのある音楽会ばかりチケット取ってるのよ〜って、タコ好きのわたしもびっくり嬉しい。やっぱ女子はタコよね〜って鼻息も荒く、今度タコやるときまた会えるといいね〜なんて言ってたのが唯一の救い。
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by zerbinetta | 2010-11-25 07:10 | フィルハーモニア | Comments(6)

拳をおろせ   

24.11.2010 @royal festival hall

stravinsky: scherzo fantastique
prokofiev: piano concerto no. 3
shostakovich: symphony no. 11 'the year 1905'

oleg marshev (pf),
vasily petrenko / lpo


ペトレンコさんと言ったらわたしは初めて聴く指揮者さんですが、実は一部のタコファンから絶大な支持を集めていて(大袈裟?)、タコの交響曲サイクルのCDが大変好評だそう。ということをずいぶんと前から知っていたので、ロンドン・フィルの2010/11年シーズンが発表されたとき、彼の名前を見つけて、そしてタコ11の文字を見て小躍りしたのです。タコ11は実は高校生の頃、初めて聴いたときからずうっと好きだったのです。今思い出したのですが、この曲を元に小説まがいのものを書いて、先生に褒められたりもしました。そして、この音楽を聴くと、熱い血がカラダにたぎって最後は拳を振り上げてしまうのです。そういえばあの頃のわたしは、共産主義に共鳴していましたっけ。というか今でも、資本主義または自由経済主義は立ちゆかなくなっていくと思っています。なあんてことは音楽には関係ありませんね。

ペトレンコさんの第一印象は、髪の毛七三でした。なにそれって感じです。でもだって、指揮者さんって、変わったおしゃれな髪型の人多いじゃない。金髪のきれいな髪がきっちり分けられていたのはわたし的にはちょっとインパクトだったんです。そして若い。今日初めて知ったのですが、彼34歳なんですね。びっくり。

最初の曲は、ストラヴィンスキーの初期の作品、幻想的スケルツォ。ふわふわと浮遊感のある軽い音楽と演奏で、今日の肩慣らしと言うところでしょうか。でも、ふわりと羽のような音をオーケストラから上手に引き出していて、とっても良かったです。そして。ペトレンコさんの動きはとってもかわいかったです。最初、クルミ割り人形(魔法が解けて王子様の姿になった方)みたいって思っちゃいました。首を振って表情を表すところなんてそんな感じ。でも、もっと似てたのはミスター・ビーン。手の動きがなんだかミスター・ビーンの指揮姿に似てる。似てる似てる絶対似てる。ひとりほくそ笑むわたし。

プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番は、オレグ・マルシェフさんのソロで。この人も初耳のピアニストです。強烈な個性で印象に残るピアニストではない感じがしましたが、きっちりと弾いてきます。この人指が長い。プロフィールによると、ロシアの4大作曲家、チャイコフスキー、ラフマニノフ、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチの協奏曲を全部録音した最初の人だそうです。ロシアものには自信があるんですね。今日も安定していましたから。でも、わたしが面白いと感じたのはオーケストラ。ペトレンコさんのオーケストラはアイディア満載で、いろんな音が聞こえてきました。わりとよく聴く曲なのに、こんな音あったのってたくさんの発見。そして、打楽器の叩かせ方がいいっ。これはタコに期待できる。

タコの交響曲第11番は、ミスター・ビーン封印で完全にシリアスモード。さっきまでの柔らかな表情を捨てて真剣な顔つきで指揮していきます。始まりの凍てつく冬の広場は、でも、氷点下20度とかじゃなくて、マイナス4度くらい。タコって、わりと暖色系の音を混ぜてるんですね。そして美しい。緊張感の中にも艶々とした美しい音楽。ペトレンコさんは、この音楽を映画としてではなく、音楽的に磨き抜いて演奏している。白黒の記録映画としてではなく、それを新たにリマスタリングしてヴィヴィッドな映像としてよみがえらせるのでもなく(だってそんなことしても読み取れる情報量には大きな差はないし)、音楽として交響曲として演奏している。音楽の心に直接訴える強さ、エモーショナルな昂揚を信じて。そしてそれはとっても成功していたように思います。第2楽章の市民の行進と、それに発砲する皇帝軍の血なまぐさいシーンも、映像が目に浮かぶと言うより、音楽が耳からではなく心に直接入ってくるよう。盛り上がるところは金管楽器や打楽器をはじめ、十分に強奏されるのだけど、決して音の美しさを捨てることなく、音楽としてまとまってる。全体的にはむしろ淡々と進む音楽は、それでいてとっても悲しい。第3楽章のヴィオラのメロディも素っ気ないほどの弾き方で、かえって悲しみが深くなる。この楽章でペトレンコさんは泣いていたように思います。何回か手で目を拭っていました。もちろんわたしだって。
タコの音楽って謎の引用が多くて、特に1905年という副題(ロシア皇帝軍が民衆に向かって銃撃する血の日曜日事件があった年です。これを機にロシアは革命に突き進みました)を持つこの交響曲は、民衆の歌っていた歌とか革命歌とか、レーニンの愛唱曲とかがたくさん引用されていて音楽に意味づけを行っていると、解説書には書かれています。各楽章に情景描写を思い起こさせる副題も付いてます。革命に向けて立ち上がる民衆の力が最後には示されていて、ソヴィエトの意にかなった音楽なのでしょう。それはそうなんでしょう。表面的には。でも、今日の演奏にはそれを感じることはできなかった。引用とか意味とか、全部外したところに現れる音楽の本質が読み取れたんです。この曲が決して、1905年の悲劇的な出来事について書かれた音楽ではないこと。発砲する兵士は、皇帝軍だけじゃない、当時のソヴィエト政府でもあるし、現在だって、悲しいけど同じことがたくさん繰り返されてる。そんな普遍的な悲劇、わたしたちも加害者に簡単になりうる悲劇(視野を広げれば暴力は戦争だけではなく、経済的な暴力もあるし、個人の心の中にだって他者に対する暴力は潜んでる)をこの音楽は描いているんだって素直に思えました。記録的な映像では具体的すぎて感じることが難しい奥に潜む普遍的なものをいともあっさり音楽は見せてくれます。そういう演奏でした。
引用からタコが音楽に隠した意味を読み取るのは知的興奮を覚えることも事実だし、そこから多くを得られるのも事実でしょう。わたしもいろいろ穿った捉え方をしたりしています。でも、タコが交響曲第5番で引用したビゼーのカルメンの有名なハバネラのメロディ。あの歌の歌詞から読み取れる意味を推察したりしていますが、わたしは、実は、引用なんて意味ないよ、なんてタコの皮肉も聞こえるのです。だって、ハバネラってビゼーがカルメンの中に間違えて借用した音楽なんだもん。スペインの雰囲気を出すのに引用したのはキューバの音楽。引用を詮索しても何もないことだってあるとタコは言ってるのかもしれません(メタな感じですが)。
最後の楽章は、ちっとも勝利ではありませんでした。少なくともわたしはここから市民の未来と勝利を感じることはできませんでした。広場の朝の回帰は歴史が繰り返すことを象徴してると感じたし、音色は常に暗く重い。特に打楽器が打ち鳴らされて静かにコーダが始まってからは、もう全く勝利感なし。そして最後、鐘を含む打楽器が打ち鳴らされてそのまま音を止めずに音が減衰していくフェルマータ。音楽は静かに終わったのです。拳は振り上げられなかった。わたしが今まで聴いてきた(そう感じてきた)音楽は間違いだったんです。現実はもっと複雑で深刻。正しい勝利なんてない。ぞっとして静かに音楽が終わるのを待ちました。残念ながらオーケストラのトゥッティの大音響が切れた直後に拍手する人もいました。これはでもしょうがないですよね。そういう音楽だと思ってた人も(わたしを含めて)多いと思うし。でもその拍手は会場には広がりませんでした。多くの人は指揮者が手を下ろすのを待っていただけかもしれないけど、そこに音楽の意味を感じ取った人もたくさんいたと信じて思いたい。打楽器の音が切れたあと会場から大きな拍手が始まりました。ほんとは、指揮者がまだ音楽の中にいたのでもうちょっと待ってもという気持ちもありましたが。わたしはしばらく拍手できませんでした。日本で発売されたペトレンコさんのこの曲のCDの帯には「この曲にブラヴォーは似合わない」のコピーがあったそうです。まさにその通りの演奏でした。このキャッチ・コピーほんとに秀逸ですね。カーテンコールに呼び出されたときもペトレンコさんはまだ音楽の中に沈んでいました。なので写真はありません。そういう気持ちにはなれなかったので。ただ、最後に出てこられたときはやっとにこやかな顔をされて動きが剽軽だったです。そのときわたしもほっと嬉しくなりました。良い音楽会を共感できた気持ちです。ペトレンコさん、ステキです。ロンドンにはまた来てくれるのでしょうか。それともわたしがリヴァプールまで追いかけていこうかしら。
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by zerbinetta | 2010-11-24 22:08 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(6)

うっとりと幸せ   

23.11.2010 @st john the baptist church

debussy: violin sonata
lekeu: violin sonata
ravel: violin sonata (1923-7), violin sonata (1897), tzigane

alina ibragimova (vn), cédric tiberghien (pf)

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ウィンブルドンに行ってきました。わたしだってテニスするし。なぁんてね、ウソです。ウィンブルドン音楽祭というのがあるのです。ウィンブルドン周辺で2週間にわたって室内楽の音楽会が開かれるのです。わたしも全然知らなかったんだけど。でも、アリーナとセドリック(・ティベルギアンさん、これからは親しみを込めてセドリックと呼ぶことにしましょう)のリサイタルがあると知れば話は別。家からはちょっと遠いいのだけど出かけてきました。プログラムはなんと、オール・フランスもの。ドビュッシーとルクーのソナタ。そしてラヴェルのヴァイオリンとピアノのための音楽全曲。新しいレパートリーです。とっても楽しみに行ったのに、相変わらず鈍臭いわたし、ウィンブルドンの駅降りて早速迷子。立ちすくんでしまいました。でもなんとかつっかえつっかえ会場の聖バプテスマのヨハネ教会にたどり着きました。まず会場のこの教会のことについて触れましょう。暗くてよく分からなかったんだけど、新しめの教会で、石造りではなく高い天井は木張り。ステージは普段説教するところにしつらわれているのですが、こちらの教会の常で、後ろに祭壇があって、演奏者と後ろの壁の間に距離があります。これがね、今日の音楽会をとってもステキなものにしたの。柔らかな響きと、絶妙にブレンドされる直接音と間接音、この教会はヴァイオリンとピアノのリサイタルにぴったりだと思いました。そしてもうひとつ。お客さんがステキでした。アリーナとセドリックが生み出すあたたかな音楽の空気と、お客さんの醸し出すあたたかな空気が渾然一体となって、音楽会をよりいっそうステキなものにしていたと思います。小さな町の小さな音楽祭。本当の音楽好きが集まった気の置けない雰囲気の空間でした。あの場にいられたことをとっても幸せに思います。

アリーナは黒のパンツ・スタイル。セドリックは黒のTシャツにジャケット。ふたり並ぶと、口の感じが似てて兄妹みたい。アリーナは髪切りましたね。肩まであった髪の毛が短くなってる。照明が少しだけ赤みを帯びたライトを使っていたので、アリーナの肌が自然に白く輝いてお人形のよう。それにしてもアリーナの指ってほんとにきれい。ヴァイオリンを弾くのにちょうど良いサイズだと思う。眉根を寄せて弾くアリーナだけど、ときどき見せる控え目な笑顔がとってもステキ。おふたりの演奏は相変わらず息ぴったりで、アイコンタクトはあんまりなしで音楽で息を合わせてる。セドリックはときどきアリーナの手を見て合わせてたけど。音楽は本当に弾き込まれてました。11月には今日の曲が(全部かどうか分からないけど)スタジオ録音されているハズなので(今後ハイペリオンからCDで出る予定だそうです)、よっぽど弾き込んでるんでしょうね。それにしてもこの曲はツアーなんかで採り上げていないようなのでもったいないです。今後、CDの発売に合わせてツアーで採り上げるのかもしれませんが。

音楽はフランスものです。セドリックがフランス人だから、実はとっても期待していました。そして、期待以上でした。
最初のドビュッシーのソナタは銀色の月の光に映える波のよう。もしくは月光浴。透明で冷たい音色だけど冷たすぎない、ちょうど白ワインの飲み頃の温度。ピノ・グリのようなさりげなく豊かな香りもあって。アリーナの表現も多彩で、かすれるような最弱音から口笛のようなフラジオレット、ヴィブラートの付け方も繊細。それにしてもアリーナの音色なんてきれいなんだろう。今日はほんとにヴァイオリンの音色にうっとり。実はドビュッシーのヴァイオリン・ソナタって苦手だったんだけど、これなら白ワイン飲みながらうっとり聴いていたい。
初めて聴くルクーのソナタは一転、迸る情熱と青春。訳もなく海に叫んだり、太陽に向かって走ったり、そんな行き場のないもてあまし気味の情熱が奔流となって音楽に現れる。筆圧の高い音楽。ヴァイオリンとピアノの音楽の枠を壊すぎりぎりのところで成り立ってる音楽。アリーナとセドリックは、それを余すところなく素直に音にしていく。音楽としては構成とかまだ成熟していない面もたくさんあるんだけど、そんな弱さもはるかに超える若い情熱。これほどまで共感して勢いよく弾かれちゃうと、わたしも一緒に叫びたくなる。これはまさに今にしかできない演奏。青春は大人になると思い出になっちゃうから。

休憩の後はラヴェル。アリーナのラヴェルは洗練されたエスプリに満ちたもの。後年のソナタなんかは場末の盛り場で聞こえるような音楽が出てくるけど、アリーナの手にかかると粋。もっとあばずれてセクシーに弾くのが好みな人から見れば物足りないかもしれないけど、でも、アリーナの音楽は、つんとすまして優等生ぶってるというのとも違う、楽譜から読み取った音楽できっちり弾かれてる。だから、音楽的にとっても自然で納得できる。音色もドビュッシーのときより白くあたたか。この音楽会で、宮沢賢治の詩集を思い出したんだけど、彼の詩にはいろんな灯りが出てくる。水銀灯や白熱灯、ステエションの信号。そんな光りの色合いの多彩さをアリーナとセドリックの音色から感じました。
ツィガーヌは、うんと情熱的に、でもしっかり理知的にとっても良いバランスで弾かれていたと思います。なんかもう充実しきった演奏。ふくよかな音色でおいしいケーキをたっぷり食べた感じ。そしてデザートのあとの紅茶は、アンコールに弾かれた小品。わたし、この曲の名前が分からなかったんだけど、聴かれていたvoyager2artさんの情報によるとラヴェルのフォーレの名による子守歌だそうです。

先にも書いたけど今日の音楽会の曲はスタジオ録音でCDになる予定だそうです。春に聴いたクロイツェルでアリーナとセドリックはもの凄い高みに達していると感じたけど、今日あっさり超えちゃいました。このCDも楽しみです。来年中には出るのかしら。苦手だったラヴェルとドビュッシーが好きになりそうです。
そうそう、野暮な話だけど、アリーナは右手のセドリックは左手の薬指に指輪をしていました(ヴァイオリニストは左手で弦を押さえるから右手に指輪をする人多いです)。彼らが指輪をしているのを見るのは初めて。おふたりはとっても親密そうだから婚約したのかな。だったらステキだな。あっこの話は話100分の1で聞いてくださいね。わたしのうわさ話など当てになりませんから。
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by zerbinetta | 2010-11-23 11:12 | 室内楽・リサイタル | Comments(6)

オーケストラを上手くするには そのいち (を書こうと思ったんだけど)   

オーケストラだって生き物。伸び盛りの時期もあれば、絶頂期もあり、黄昏的な時期もあると思う。わたしが、USに住んでいた頃、我らがナショナル・シンフォニー(誤解されている方も多いので一応書いておくと、ナショナルと付くから政府の御用達団体、国立の団体ってことはなく独立した普通のオーケストラです。土地柄、政府の行事で演奏することはあるみたいだけど)は、オーケストラとしては底の時期でとってもひどかったんです。コンサートマスターをはじめ、ロストロポーヴィチさんの時代の団員が高齢化していて、世代交代の狭間。コンサートマスターがいない時期もあって、大変。ボストンから若い、バー=ジョセフさんをコンサートマスターに迎え入れてからは、ぐんぐんと良くなって音楽会が楽しくなりました。わたし、上手なオーケストラより、伸び盛りの生きのいいオーケストラが好きなんです。ぴちぴちした若者好きなの。ロンドンで言うと、我らがロンドン・フィルハーモニックが今、そんな状態にあると思います。若いユロフスキさんを主席指揮者に迎えて、ユロフスキさんもかなりこのオーケストラに時間を割いているので、両者の関係が密接で良い方向を向いていると思う。ロンドンの他のオーケストラと比べると若干レベルが落ちるのだけど、でも、はまったときはこれ以上ないって素直に思っちゃえる凄い演奏をすることがあるので、聞き逃せません。音楽は生き物。それが面白いところ。だからこそわたしは応援してるんです。
BBCシンフォニーは、地味だけどなにげに上手い。ビエロフラーヴェクさんの下で、安定して良い演奏を聴かせてくれるし、安定してるけど停滞感がなくて不思議。ロンドンでやる音楽会自体は少ないけど、それはきっと放送局のオーケストラとしてコンサートの他に多様な仕事をこなすからでしょう。さらにたくさんの現代曲を演奏するので、音楽の鮮度を高く保っていられるのかもしれません。
今シーズンびっくりしたのは、なんと言ってもロンドン・シンフォニー。ずうっと高値安定で、とっても上手いしいつも充実した演奏をしていたんだけど、なんか余裕がありすぎて勢いみたいなのを感じなかったんだけど、今シーズンは、一段高いところにのぼって、輝きを見せてる。音楽が充実しているように感じるの。ゲルギーの去年のデュティユーさんを中心に据えたフランス現代物のシリーズや、今期のシチェドレンさんのシリーズが、ロンドン・シンフォニーに新しい空気を上手く入れているように思える。ゲルギー自身も新たなレパートリーを開拓しながら自分を成長させてるような感じがするし、いい感じ。それにしてもゲルギー、あんなに忙しいのによく新しい曲を勉強できるなぁ。
フィルハーモニアにはね〜、やる気があるときはいいんだけど、サロネンさんあんまり来ないからねぇ。上手いのは上手いんだけど、ぴりりとする特徴がない感じ。一昨年のシーズンの夢の都市ウィーンは良かったんだけどね。今シーズン後半から来シーズンにかけてのバルトークの特集に期待しましょう。でも、これ日程の都合であまり聴きに行けないんだ。
ロイヤル・フィルハーモニックは、近くで音楽会があまりないのでほとんど聴いたことがないのです。デュトワさんが主席指揮者になって、変わって行くのでしょうか。たまには聴きに行かなくっちゃ。

ありゃりゃ。タイトルのことを書けずじまいに脱線だけで終わってしまいました。そににでがんばるぞ〜〜。しばしお待ちを。
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by zerbinetta | 2010-11-22 08:44 | 随想 | Comments(0)

シンデレラなわたし   

20.11.2010 @royal opera house

prokofiev: cinderella
marianela nuñez (cinderella), rupert pennefather (the prince),
gary avis, philip mosley (cinderella's step sisters)
christopher saunders (cinderella's father),
laura morera (fairy godmother), jester (paul kay), etc.
frederick ashton (choreography)
pavel sorokin / orchestra of roh


友達からチケットもらったので行きました。劇場の一番高い席。あっ高さですが。シンデレラは昨シーズン3回観ていたので、今回はいいかな、と思って取っていなかったんです。4月にももう1回あるようなのでそのときにでも行こうかなとも思ってたし。でも、チケットもらえればもう喜んでいきますよん。今日の回は、もともとコジョカルさんがクレジットされていたのですが、怪我のため降板(大丈夫かしら。早期の回復を祈ってます)。ヌニェスさんが代役です。ヌニェスさんのシンデレラって楽しそうなんですよね。全体のトーンが喜劇なのでそれでいいのです。ロッシーニのチェネレントラも思いっきり喜劇だしね。ロイヤル・オペラ・ハウスでは多分今シーズンから、開演10分前にファンファーレが鳴るのですが、今日は、パーセル・スクールのsong eun choi さん12歳、の作曲した曲でした。なかなかどうしてすごいすごい。
もう何度も観て書いてるので、簡単に総評するだけにとどめますね。喜劇だけに細かいことは気にせずに楽しんじゃえばいいのだ。ほんとに楽しく幸せになれたし。
ソロキンさんの指揮するオーケストラはとても良い音を出してました。プロコフィエフの音楽好き。シンデレラはワルツの中のチューバのソロが大好きです。あんなチューバのソロをかけるなんて天才。シンデレラのヌニェスさんは、前回よりさらに切れが増してるように思えました。彼女は今、ロイヤル・バレエで一番きらきらしてる人じゃないかな。あと高田茜さん。王子のペネファーザーさんは、古典バレエの主役では初めて観ましたが、大柄ですっきりした王子様でしたがちょっと控え目だったかしら。物語を盛り上げたのはやっぱり、アグリー・シスターズと道化役のケイさんでした。道化役といえどもとっても目立つおいしい役なのです。ケイさんの踊りも切れがありましたね〜。それから、妖精ゴッドマザーのモレラさんは相変わらず貫禄があってステキ。妖精は夏の妖精をチェさんが、冬の妖精を小林光さんが踊っていました。ヒカルさんはゆったりとした優雅な踊りは上手いですね。
そうそう、今日は劇場に向かっているとき、楽屋口から出てくる蔵健太さんとすれ違いました。バックアップでいらしたのでしょうか。そして帰り道では出演を終えたストイコさんとすれ違いました。いよいよわたしのバレエ熱は楽屋の出待ちに至るのでしょうか。ほんとはしたいところだけど、次の日の仕事のことを考えるとなかなか無理なのよね〜。今日は珍しく帰りに近くのレストランで食事をしました。12時には慌てて帰りましたよ。シンデレラだもの。チューブなくなっちゃう。わたしのガラスの靴、王子様が拾ってくれてないかなぁ。
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by zerbinetta | 2010-11-20 02:57 | バレエ | Comments(0)

ふるさとは遠きにありて思うもの 現実ではない   

19.11.2010 @barbican hall

shchedrin: piano concerto no. 4 'sharp keys'
mahler: symphony no. 1
olli mustonen (pf),
valery gergiev / lso


マーラー記念年にはそっぽを向いてる、ゲルギー、ロンドン・シンフォニーのマーラー。でもその前に、シチェドリンさんのピアノ協奏曲第4番。シーズン・オープナーでは第5番を採り上げていたので、彼のピアノ協奏曲を聴くのは2度目。ゲルギーは今シーズンシチェドリアンさんのチクルスを組んでるんです。これが楽しみで。バービカン・センターの玄関に15分前に着いたら、入り口脇の妙なところに黒い車が一台。奇異に思って中を見たらゲルギーが。
さて、今日の協奏曲は前回の打鍵バリバリの音楽とは趣が変わって、吉松隆さん風。分かりやすい和声の中に音をちりばめる感じで、より耳に馴染みやすい音楽。ただ、音が不揃い、というのはひとつの分散和音の中で音の強弱をひとつの音符ごとにつけてるので、これは難しそう。2つの楽章からできているのだけど、最初の楽章はそんなピアノの分散和音風の音たちに、オーケストラがロシア正教の聖歌風の旋律を後ろで奏でたり、夢見るような音楽。何か音が現実的でなくて、そう、夢の中の世界。次の楽章の予告編があったあと、ロシアの鐘と題された第2楽章。明るいチャイム音色を模したピアノと高音のベルとフルートでなんだかクリスマスの楽しい朝の雰囲気だなって思っちゃった。この音楽はクリスマス・イヴに見た夢の世界。そして、最後、現実にかえって、ってなんだかくるみ割り人形の世界ね。という感じの楽しくも美しい音楽だったのですが、2つの楽章で1時間近く。内容の割にちょっと長かったかな。ムストネンさんのピアノはこの曲にぴったりの、ガラス玉のような音色。透明で寒色系な音色感は、紋切り型に北欧の音(ムストネンさんはフィンランドの人です)なんて言ってしまいそうだけど、でもなぜかそう思うのよね。
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さて、マーラーの交響曲第1番は、ロンドン・シンフォニーで聴くのは2度目です(前回はハーディングさん)。でも、ゲルギーのマーラーを聴くのは、オープニング2日目の第5番や、プロムスでのワールド・オーケストラとの第4番と第5番を聞き逃しているので、ずいぶん久しぶり。前回はマリインスキーのオーケストラと第9番でした。CDでも聴いたことがないので初物に近いですね。
全然関係ないけど、とっても気になったのが、どうしてここでこの曲を演奏するのか、なんです。今シーズンはマーラー記念年といえどもゲルギーはあんまり関係なさそうだし、第5番と3月に予定されてる第9番は、進行中のマーラーの交響曲全曲のライヴ・レコーディングがおこなわれるから分かるんですけど、もう録音も済んでる第1番がなぜここで? いやつまらない疑問なんですけどね。愚問なんで愚答をすると、これから日本ツアーが始まるので、マーラーの曲を3曲用意するのに(リクエストされた?)、器楽だけで比較的演奏しやすい第1番を選んでそのリハーサルがてら演奏したとか。でも、わたしとしては来年演奏される(日本ツアーでは演奏されるみたいですが)第9番がらみで、演奏されたのならいいな、と。だって、第9番ではこの第1番が徹底的に回想されるんですもの。青春の音楽。

ゲルギーの第9番。前に聴いたとき不思議な感想を持ちました。そのときの日記を引用しますね。

ー引用ここからー
こうなるとマーラーも期待できる。マーラーの音楽って狂気というか突き抜けていっちゃったところがあるから。ただ美しく弾いただけでは物足りないの(美しい演奏がだめっていってるんじゃないよ極限まで美しさを極めた演奏だってものすごいもの)。指揮台に立ったときからもうすでに狂気を醸し出してるゲルギーの震える指揮棒(割り箸サイズの白い棒を使ってました)にオーケストラと一緒に全神経を集中させるわたし。ぎこちない歩みのように(音楽がそう書かれている)聞こえてきた音楽は少しゆっくり目。弦楽器はわりと硬質の冷たい音色。さぁ、これからもの狂おしいくらいに過去に過ぎてきた青春に憧れるのだわって思っていたのに、音楽はそんなわたしを拒否するかのように、夢見るような切ない感傷を一切切り捨てた音楽。いつまでたっても夢見ない音楽に戦慄が走って鳥肌が立つ。どうして?この恐怖。音楽を聴きながら、ゲルギーの青春時代って辛い思い出したくないものだったのかな、旧ソヴィエト時代ってそんなに暗かったのかなって勝手に勘ぐってしまいました。熱にうなされたような悪夢。青春の郷愁がそんな風に聞こえるなんて。となりに死神がいるんだわ。わたしはマーラーの音楽って暗くて辛くて悲しいときもあるけど、本質的にはオプティミスティックな音楽だと思っていました。第9交響曲だって、居心地のいい過去と決別して新しい世界に足を踏み出していく音楽だと考えていました。そしてそういう風に解釈できる演奏も多いと思います。でも、ゲルギーのは全然違う。キーロフオーケストラの冷たい硬質な音色によるところもあるけれどもゲルギーは死の音楽ととらえてる。この先どういう風に音楽は進むのでしょう。

第2楽章と第3楽章は、それほど変わったところのない演奏でした。ただ、音楽は瞬時も飽きさせるところのないしっかりとした強靱なものでした。そして最後のアダージョ。速くもなく遅くもない淡々としたテンポで音楽は進むのだけど、どちらかというと冷たい音色で、透明になって消えていくようでした。心が暖まって感動すると言うより、何だか空になっていくような自分が消えていくような不思議な感じでした。どう言ったらいいのだろう。わたしがいなくなってしまったの。音楽だけになってしまったの。第1楽章は死の音楽だったけど、最後の結論は、わたしは死んでしまったのかまだ息をしているのかどうしていいのか分からなかったの。ただ消えてしまった。もしかするとゲルギーは楽譜に書いてあることをそのまま音にしたのかも知れません。音を感情で包んでぼやけさせないで、音だけに語らせたのかも知れません。わたしが聴いたゲルギーのマーラーはこれだけだけど、もっと他の曲も聴いてゲルギーの音楽を確かめてみたいです。

ゲルギエフさん/マリインスキー・オーケストラ @ケネディ・センター in DC

2003年3月の日記 ー引用ここまでー

青春の夢や憧れ力みが悪夢のように暗く恐ろしく演奏されたのでした。そして今日の第1番。出だしのフラジオレットから硬質の音で、感傷を寄せ付けない雰囲気。テンポが速いわけではないのだけど、音楽が前に前に流れる感じです。牧歌的なところ(序奏のホルンのアンサンブルとか、第1主題とか)は、普通に牧歌的なんだけど、全体を支配してるのはなんとも言えない孤独感。特に真ん中のゆっくりした部分でのチェロの独白は、道に迷った森の中で孤独に包まれて絶望してる感じ(でもこのチェロがとっても上手かったです)。わたしは、もしかすると青春を美化しすぎてたのかもしれない。前に(といってもベルリンの壁崩壊のあとですが)初めて東欧に行ったとき、無言の圧迫感みたいなものを感じて、ここにはわたしが逃げてきた過去があると思ったことがあります。子供時代は美しい思い出だけど、現実には、貧しかった田舎の景色が広がります。窓から見える無機質の灰色の団地。重い曇り空にのぼる家々からの黒い煙。わたしが子供時代に過ごした町は記憶の中では自然と幻想に満ちたステキなところだけど、現実にはそこに戻って住みたくはない。もしかしたらマーラーもゲルギーも同じなのではと感じました。マーラーの子供時代(クラリネットやトランペットのファンファーレや猥雑な音楽で引用されてる)は、ノスタルジーはあるものの現実にはそこには戻りたくない逃げてきた過去なのではないか。ゲルギーも、よく分からないけど、ってか勝手に想像するだけだけど、国の複雑な事情を考えると、あそこには帰りたくない、甘美にデコレイトされた記憶の中だけにとどめておきたい、そんな場所なのではないか。音楽はそういうふうに語ってるように思えました。第2楽章は溌剌と推進力があった唯一の明るい楽章だけど、トリオに入る前のホルンの合図は異様な感じがしたし、トリオの音楽も夢見がちなのに冷めている。第3楽章のパロディも淡々と進むが故に屈折してる(新しい主題に入る前の微妙なアチェレランドがステキでした)。中間部もヴァイオリンの音をかなり抑えて解決しない感じだし、続く第4楽章も盛り上がるのだけど、圧倒的な勝利には至らない感じ。それにしても、マーラー、第4楽章のとろけるような第2主題をどうして十全に再現しなかったんでしょう。無惨に引き延ばされちぎられ、でも、最後のオーボエがあまりに心に沁みるように断片を歌って。ああ、やっぱりマーラーも還りたくなかったんだ。
ずいぶんと頭で聴いて演奏です。混乱して考えさせられました。演奏自体は、完璧ではなかったけど、とっても上手かったです。やっぱりロンドン・シンフォニー上手い。ゲルギーも自分のやりたい音楽をきちんと表現していました。かなり気合い入ってたです。第3楽章冒頭のコントラバスはパート・ソロだったけど、弦の音が細っそりと聞こえて、ソロみたいでびっくり。ちょっと残念だったのは、オフ・ステージのトランペットを鳴らしたあとで、ドアの音がきしきしいってたこと。静かな箇所だけにあの雑音は余計。今までそんなことなかったのにな。
不思議なマーラーでした。ゲルギーのマーラー感はかなりユニークかも。他の曲でも聴いてみたいです。CD買うしかないのかな。

PS 最後の最後で一瞬無音のところがあったんだけど、あれはわざとなのか落ちたのか。ずうっと鳴らされてる打楽器が落ちるとは思えないので、やっぱわざとなのかなぁ。
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by zerbinetta | 2010-11-19 20:54 | ロンドン交響楽団 | Comments(6)

じゃじゃ馬かも   

17.11.2010 @royal festival hall

strauss: death and transfiguration
mahler: rückert-lieder
ravel: daphnis et chloé, suites nos, 1 & 2
nathalie stutzmann (ca),
kazushi ono / lpo


タイトルは、最初の曲、シュトラウスの「死と変容」を聴き終わったときオーケストラに持った素直な感想です。最初の音が小さくヴァイオリンに出たとき、おやっ! ちょっと軽いと思ったんです。シュトラウスの音にしては薄い感じで。わたしはこの音楽はシュトラウスがワグナーの影響をもろに受けてる、ねちっこい音楽だと思うんですね。テーマも死だし。最初重苦しければ苦しいほど、後半の解決が生きてくると思うんです。だから、今日の軽めのトーン、クリアなすっきりした音作りでは、なんだかそれらしくないというか。ゆったりとたゆたう魂のような輪郭の曖昧な音が欲しいと思うんです。そこにあるんだけどよく見えない、音がするけど聞こえない、誰そ彼と心に問うような。そして、いつものロンドン・フィルの弱点が出てしまったというか、各パートの関連性が弱くて、なんだか音楽がひとつにまとまらなかったような気がするんです。指揮者の音楽作りが空回りしてるというか。なので、あまりのれませんでした。冷めた目で、耳で(?)聴いてました。ロンドン・フィルって結構乗りこなすのが難しいじゃじゃ馬かも。そう思うと、この間のジンマンさんは凄かったんだな。何しろオーケストラの音を根本から変えてしまっていたのですから。
紹介が遅れました。今日の指揮者は、日本人の大野和士さん。小澤さんの次の世代では最も活躍しているひとりですよね。だからなのか、今日は日本人っぽい人(ごめんなさい。中国人とか韓国人さんたちと区別つかないので)多かったです。わたし自身は初めて聴く人です。最初の出逢いはあまり上手くいかなかったみたいです。

2つ目はマーラー記念年シリーズ。リュッケルトの歌。もの凄くステキなラヴ・ソング。歌はナタリー・シュトゥッツマンさんです。始まっていきなりびっくりでした。だって突然、細かな音符の走る、「私の歌を覗き見しないで」が鳴り始めたんですもの。わたしの知ってる順番はいつも「私は仄かな香りを吸い込んだ」が最初なので、ポンと香りが弾ける木管楽器の音を期待してたんです。そしたらね〜。ってわけですよ。でも、この5つの歌はそれぞれ独立の音楽なので、順番は決められていないんですね。シュトゥッツマンさんの声は、人の声のような、というと変な言い方だけど、話し声のような味わいのある声。ホントに聴いてすぐ、あっ人の声って思ったんです。不思議ですよね。でも、クラシックの歌の声って、ときに楽器のように扱われるので、普段の人の声とはちょっと違うかもしれないんです(ということに気づかされた)。シュトゥッツマンさんは、響き抑えめで語るように歌ったのでそう感じたのでしょう。ラヴ・レターって全世界に向かって歌い上げるものではなくて、ひとりで密かに読むものだもの。ただ、わたし的にはもう少し、華やかさがあっても良かったかなとも思いました。シュトゥッツマンさんの声は、コントラルトで落ち着いた趣はあるけど、明るい華がないと聴きながら思ったのです。でも、音楽会が終わってしばらくした今はなんかしみじみと心に残っています。やっぱりラヴ・レターだったんだなぁって。そういえば、マーラーは「美しさゆえに愛するのなら」を実際ラヴ・レターとして書いてるんですね。アルマが見ていた、ワグナーのオペラの楽譜に密かに挟んでおいて。でも、アルマがなかなか楽譜を見ないので、焦れたマーラーは、アルマに楽譜を見てごらんと言ったとか。この曲だけは、マーラーはオーケストレイションしていないので、本当に個人的なラヴ・レターとして書いたのかもしれませんね。演奏は、4曲目の「美しさゆえに愛するのなら」と最後の「私はこの世に捨てられて」が良かったです。コール・アングレのソロも良かったし、特に最後の曲の、交響曲第5番のアダージエットの旋律が出てくるところが味わいがあってステキでした。あんな風に弦楽器に出られたら泣かないわけにはいかないじゃない。
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最後のダフニスとクロエは圧巻でした。わたしは全曲か第2組曲しか聴いたことがなかったんだけど、第1組曲というのがあったことを今日知りました。でも、第1組曲は正直、これだけで演奏されると退屈かなって感じで、どうせ演るなら全曲っても思うんだけど、できたらバレエで観たいなぁとも思ったのでした。大野さんがフランスやフランス語圏で活躍されてたことなのか、彼の音楽がフランスに親和性があるのか、オーケストラがフランスものに合うのか、それぞれの理由が少しずつ重なってると思うんですけど、前半で気になったばらばら感がここでは全くなく、ソロもオーケストラから飛び出しつつ音楽のまわりを回る衛星のようにひとつの音楽に留まっていてとっても心地良いんです。これはもしかしたら、よく言えば個性を大事にする、わがままな音たち(まるでフランス人)を上手にコントロールするラヴェルの技なのかもしれませんが、同時に指揮者の大野さんの技でもあると思います。明るく繊細できらきらしてる。大野さんも自信を持って音楽を作っているのが聴いてるわたしにもよく分かります。そして最後は大いに盛り上がって、会場のお客さんも大喜びでした。
大野さん、今、リヨンの劇場にいらっしゃるんですね。リヨンは近くに住んでいたことあるのに行ったことなくて、残念です。とってもきれいな町らしい。ポール・ボキューズにも行ってみたかったな。じゃなかった、大野さん、フランスを足がかりにぜひ、世界中で活躍して欲しいです。明晰な音楽を作るステキな指揮者さんです。

大野さんとリーダーのピーター・ショーマンさん
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by zerbinetta | 2010-11-17 09:46 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(2)

抱かれたい男の人ナンバー・ワン (妄想)   

ふふっ。突然ですが、わたし、抱かれたい男の人ナンバー・ワンはキムタクでも福山さんでもなくて(さっきググって調べてみた)、断然、ディミトリー・ホロストフスキーさんなんです。なんと言ってもセクシー。男の色気むんむん、フェロモンぷんぷん。ホントにハグされたら失神しそう。もうむちゃ大好き。そういえば、最近までロイヤル・オペラでリゴレットのタイトル・ロールのせむし男(これ差別用語なんですね。これもググって分かった。でも、なんて言い換えればいいんだろう?)を歌ってたんですね。わたしすっかり行きませんでした。だって、観てるだけで抱いてくれないんだもん。じゃなかった、このプロダクションのDVDは持ってて、最初のシーンがあまりに淫猥で好きじゃないなぁなんて思ってたから。リゴレットは何回か他で観てるし、まあいいかなぁと思ったし。でも、観た方々の評判が結構いいので、ううう行けば良かったと後悔中。せむしになってもホルストフスキーさんきっと、愛せるし。
妄想ついでに、一緒にいて楽しい男の人ナンバー・ワンは、フアン・ディアゴ・フローレスさん。彼絶対、笑わせてくれたり、話も面白そうなんですもの(ロッシーニのイメジ)。あっ、ロイヤル・バレエの蔵健太さんも好き。蔵さんとはぜひ河原でキャンプしながらジンギスカン食べたり、トウモロコシ食べたりしたいっ。
ついでについでに、お父さん候補ナンバー・ワン(なんじゃそれ?)はルネ・パペさんか指揮者のアンドリュー・デイヴィスさん。おふたりとも絶対優しいお父さんだと思う。じゃあ本命の結婚したい男の人ナンバー・ワンは。これが意外と思い浮かばないんですね。う〜〜ん。ジョン・レリアさんかな。そういえば、なんかオペラの歌手ばかりで、やっぱわたしオペラ好きなのかな。きっと、好きの要素に声がステキな人っていうのがあるので、オペラの人になるのかしら。バレエの人はみんなかっこいいんだけど、声が分からないから、どんな人かよく分からないしね。
あと、一緒にケーキバイキングに行きたい人は、アリス・サラ・オットさん。彼女のとろけるような笑顔は甘いケーキにぴったり。あんな笑顔されたらわたしのケーキとられてもいいし(バイキングだし)、とろとろになって一緒にケーキ楽しみたい。
こんなわたしの憧れの人は、ナタリー・デッセーさんとパトリシア・プティボンさんです。あんな風にステキにかわいくなりたい。
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by zerbinetta | 2010-11-16 07:44 | 随想 | Comments(7)