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やっぱり胸は大きい方がいいのか アンナ・ニコル@ロイヤル・オペラ   

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26.02.2011 @royal opera house

turnage: anna nicole

eva-maria westbroek (anna nicole)
susan bickley (virgie), gerald finley (stern),
andrew rees (doctor yes), alan oke (j. howard marshall II), etc.

richard jones (dir)

antonio pappano / ro chorus, orchestra of roh


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ものすごく宣伝されてた、ロイヤル・オペラの新作、アンナ・ニコル。ショップから、パネル、劇場の中に飾ってあるヒストリカルな胸像やホールの中の天使像、さらには幕にまで、どこもかしこもアンナ・ニコル一色です。伝統と格式のあるロイヤル・オペラ・ハウスがプレイメイトに乗っ取られた! 全然いつもと違う雰囲気。この時点からすでにオペラは始まっていたんですね。宣伝の甲斐あってか、お客さんいっぱいで連日満員みたいです。現代作品なのにびっくりですね。なんといっても題材がヴィヴィッドだからですかね。いつもより女子のスカート短い人多めです。

ヴェルディの時代は高級娼婦がオペラの主役を張れるのだから、現代だったら、プレイメイトでヌード・ダンサーもやっていたアンナ・ニコルが主役を張るのも当たり前、と思いましたが、戦前にもルルがいましたね。でも、fuckとかbitchとかtitとか、いわゆる使ってはいけない単語がばんばん出てくるし、あまりにも今なゴシップなのでちょっとびっくりしました。ヴェルディの時代も椿姫を観てびっくりした人も多かったのかも知れません。当時の今という感覚を忘れると過去の作品の意味も間違って解釈してしまうかも知れないって危険に思い至りました(このオペラには関係ないんですけど)。

タネジさんの音楽はミュージカルと言うには重くて分かりづらいけど、ジャズやポピュラー音楽の要素もたっぷり入っていて分かりやすい音楽です。オペラとミュージカルの間の(ときどき議論になるけど)ありそでなさそな垣根が意味をなさない感じです。舞台が話を引っ張っていくので、音楽は分からなくても(実際は音楽も舞台を引っ張っていくのですが)、テレビドラマや映画のバックに流れる音楽のようにも聴けます。オペラを初めて観る人にも、オーセンティックなオペラを先入観で期待されちゃうと戸惑うでしょうけど、楽しめるんじゃないかと思いました。音楽は合唱がストーリーを引っ張っていてどちらかというと合唱オペラ系ですかね(ボリスゴドノフとかビリー・バッドみたいな)。でも、現代作品には珍しく(?)ステキなアリアもありますし、オペラの娯楽性を持ったしっかりした作品だと思います。
物語も現代のテンポでさくさくと進むし、取捨選択が良くできていて、話が停滞せずに流れがよいです。このあたりは映画的。歌詞も笑わせるところも多くて(喜劇ではないけど)、楽しめます。ただ、この物語から何を感じたらいいのか、まだちょっと整理が付いていません。波瀾万丈の境遇の中にあっても子供を愛する母であるアンナに共感するのか、人生の成功物語に共感するのか、成功のあとの暗い影を感じるのか、いやもっとゴシップを楽しむ現代人の姿を考えさせるのか、成功の鍵は豊胸にあり。豊胸手術は受けた方がいいのかなぁって思うのか。あっそれは個人的な感想だけど。。。でも、胸大きかったら違う人生歩めたのかなぁ。a is small no use at all....あああ。

パパーノさんとオーケストラは控えに回ったけど、とっても良かったです。そして物語を導く合唱がとても良い。舞台に上がっていた人はみんな演技も上手かったし、楽しめました。これ、中途半端にやるととってもつまらないものになると思うんですね。みんな吹っ切れてやっていたのが良かったです。歌手では主役陣がとっても良かったです。アンナのお母さんのビックレイさんや、アンナに豊胸手術をするドクター・イェスのレースさん、ほんとにおじいさんだった(メイクアップかしら)ハワード・マーシャルのオクさんは、それぞれ重要な脇役をしっかり歌っていました。アンナ・ニコルに次ぐ準主役のステーンのフィンレイさんは、とっても良いバリトンになりましたね。軽めの役を上手に演じつつ、良い声で歌ってオペラを引き締めます。この人、重い役よりもこういうなんか飄々とした人物が似合うような気がします。最初に彼を見たのがパパゲーノだったので、それが刷り込まれてるから、というような気もしますが。

タイトル・ロールのウェストブロークさんは、もうこの人がいなければこのオペラは成立しないだろうと思うくらい、はまり役でした。役になりきっていて、演じるのも上手いし、歌も凄くいい。この役って、現実のそしてついこの間まで生きていた人なので、顔を知ってる人もたくさんいるだろうし、歌手を選ぶであろう役だと思います。しかもセックス・シンボルになるくらいだから美人でグラマー(豊胸手術はしてるけど)。誰でもができる役ではありません。また反対に歌手にとっても、この役は引き受けづらいだろうと思います。ウェストブロークさんを得て、このオペラは幸せだろうし、成功したんだと確信します。ちなみにパネルやポスターになってる写真はウェストブロークさんです。

この後このオペラがどう受け入れられて(あるいは受け入れられずに)いくのか、よく分からないけど、少なくとも、’今日’の作品として楽しめました。
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左から、フィンレイさん、パパーノさん、タネジさん、ウェストブロークさん、オクさん
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ウェストブロークさん
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by zerbinetta | 2011-02-26 09:57 | オペラ | Comments(2)

マーラーの9番聴き比べ? 匂い立つ   

25.02.2011 @royal festival hall

maher: lieder eines fahrenden gesellen
maher: symphony no. 9

christopher maltman (br)
christoph eschenbach / lpo


ラトルさんとベルリン・フィルの途轍もない音楽を聴いたばかりなので、音楽がちゃんと聴けるか心配だった音楽会。しかも1日空いているものの、前回の5夜連続が響いてお疲れ気味。今日はきっとダメだろうな、寝てしまうだろうなと、弱気になって会場入り。でも、わたしとしてはベルリン・フィルがどんなに凄くても、地元至上主義だから、地元の団体の音楽会は聴きたいのです。オーケストラだって上手さ加減は二の次。実際ロンドンでは、一番上手いロンドン・シンフォニーよりも今日のロンドン・フィルを押してるしね。ものすごい完璧な美人よりも、そんなに美人じゃなくてもちょっとおっちょこちょいなのがかわいくて好きっていう人もいるよね、ねっ、ねっ(切実)。そんな感じ。

エッシェンバッハさんは好きなので、期待はしていたんです。去年のブルックナーも良かったし、指揮をしないボレロも最高に良かった。マーラーは音楽会では聴いたことないんですけど、ニューヨーク・フィルのリハーサルで第6交響曲を部分的に聴いていて、本番を聴けないのがうんと残念だな〜って思ったのでした。彼の音楽の素晴らしいところは、彼は彼の裡に絶対的な静寂を持っていてそれを音楽で表現できること。トランクイロの音楽がうんと凄いんです。

始まりの「さすらう若人の歌」はマルトマンさんのソロ。この間、パパゲーノを聴いたばかりだし、この人もロンドンではいろんな役を歌っていて、いつもステキな歌を聴かせてくれる。今日の歌もとっても良かったです。声が重暗い感じは、鬱々とした、というか大人になれば些細なことでしかないようなことにもいちいち重く考えてしまう青年の恋する人生の歌にとても良く合っていていい感じでした。前にコノリーさんが歌うのを聴きましたが、この曲は、バリトンが歌うのが好きだな。オーケストラの方は先日のベルリン・フィルのが耳に付いてるせいか残念なことに荒さが目立ちました。でも、マーラーの匂いはより強く感じるんですね。オーケストラ自体に稀代のマーラー指揮者テンシュテットの伝統を感じるんです(多分楽譜もテンシュテットも使っていた楽譜を使ってるでしょう)。ベルリン・フィルもアバドさん時代からはマーラーも盛んに採り上げるようになっていますが、アバドさんもラトルさんも古いタイプのマーラー臭のするマーラーを演奏する人ではないのでなおさらそう感じたのでしょう。どちらが良いかは好みもあるし、わたしなんかはどっちも好きなんですけどっ。

でも、このままオーケストラが荒かったら、上手いオーケストラを聴いたばかりなので、ちょっと残念だなって思っていたら、交響曲第9番では見違えるような緻密な演奏が展開されました。こちらを重点的にリハーサルしてきたのかしら。
第1楽章はものすごくゆっくりとした演奏です。そしてとても静か。と言っても音が小さいわけではありません。フォルテッシモはちゃんとフォルテッシモだし、最高の力を持って死の動機が再現されるところのティンパニの打ち込みは強烈で凄かったし、音楽が激しくないわけでもありません。それなのに音楽が静寂を表現してるんです。達観しているというか、解脱した境地にあるというか。第1楽章なんかはもの狂おしいくらいの青春への愛惜の音楽だと思うのですが、その渦中に入り込まないで遠くから見ている感じ。かといって客観的な演奏でも、分析的でもなく、感情を抑えているわけでもなく、不思議な感じ。解脱してしまうともう精神は揺れないということでしょうか。でも、何かが心に染み込むのです。
第2楽章は、具体的に舞曲のリズムを持った音楽なので、もう少し、肉を伴ってる感じ。溌剌としたリズム感もあるし、アチェレランドで仕掛けてきたり(オーケストラはちょっとついて行ってなかったけど)、第1楽章で聴いた特異さは目立ちません。とは言え、どこかいっちゃってるんですね。エッシェンバッハさんは、音楽全体を通して、あっちに行っちゃってるというか、狂気に走っているみたいなところもあって、実はそれってマーラーの演奏でわたしが大切に思ってることのひとつなんですけど、狂気がしっかりと表現されていて(なんだか、解脱しているのと矛盾があるみたいだけど、現実の世界から観ると解脱って一種の狂気ではないでしょうか)、わたしの好きな演奏です。
第3楽章で狂気はさらに加速して始まりから速いテンポ。高い音の木管楽器は、上手い具合にいっちゃってるし、金管楽器も打楽器も狂気の音楽を後押ししています。落ち尽きなく流され続ける魂。そして天上の救いのようなトランペットのソロ。トランペット主席のベニストンさんの音色とってもきれいだった。彼こんなに上手かったっけ?今日は彼と、ホルンの主席のリアンさんが抜群に調子良かったです。あと、リーダーのショーマンさん。ショーマンさん派手なソロを弾くわけではないけれども、音楽にぴったりと寄り添うものすごく音楽的なソロでした。惚れ直しました。
そしてフィナーレ。第1楽章から推測してものすごく良くなるって予想していましたがまさにその通り。ゆっくりとゆっくりと涅槃の境地に流れていきます。弦楽合奏のすばらしいこと。さらにヴァイオリンやヴィオラ、チェロのソロ(今日のヴィオラとチェロは客演主席の方でした。ロンドン・フィルのチェロの主席のおふたりもものすごく上手いんですけどね)が、良かったです。最後はなんだか宗教的な儀式が執り行われているよう。消えていく者の魂がひとすじの煙となって空に昇り高みに消えていく、そんな感じ。静かに静かに消えていきます。悲しくもない、嬉しくもない完璧な死。誰も悲しまず、誰も喜ばず、すうっと無になる。心に透明な穴は空くけど、それもすぐに満たされていく。わたしもこんなふうに失われたい。最近若い、ドゥダメルさんやネルソンズさん(放送)で、肯定的なあたたかなこの音楽の最後を聴いて目から鱗が落ちるように感動したけれども、エッシェンバッハさんはマーラーが本来書いたような感動を与えてくれました。比べること自体が全く意味がないことだけど、ラトルさんとベルリン・フィルのマーラーを聴いた耳にも全く遜色がない素晴らしい演奏でした。わたしの、マーラーの交響曲第9番経験の中でも間違いなく上位にくるものです。来週のゲルギーとロンドン・シンフォニーの演奏が楽しみ、でもあり不安。果たしてどうなるでしょう。ドキドキ
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by zerbinetta | 2011-02-25 03:02 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(3)

listen again LPO   

2月19日に行われた、ヤニック・ネゼ=セガンさんとロンドン・フィル、韓国のイケメン独奏者のおふたりによる音楽会、モーツァルトの協奏交響曲とマーラーの大地の歌が、LPOのサイトで聴けます。録音はちょっと平べったくなってる感じだけど、歌はマイクで直接拾ってるので良く聞こえます。ちょっと聞こえすぎってってくらい。歌付きの音楽会は、会場のどこで聴くかで印象がずいぶん変わりますね〜。3月10日(GMT)まで。ぜひ聴いてみてくださいね。
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by zerbinetta | 2011-02-24 19:45 | ロイヤル・フィルハーモニック | Comments(2)

幸せの極み   

23.02.2011 @barbican hall

brahms: es tönt ein voller harfenklang
wolf: elfenlied
mahler: symphony no. 3

anke hermann (sp), nathalie stutzmann (ca)
stefan dohr (hr), marie-pierre langlamet (hp),
tamás velenczei (posthorn),
london symphony chorus, bbc singers, choir of eltham college
simon rattle / berliner philharmoniker


IMAXって観たことありますか? わたしはあります。わたしの観たのは、ファンタジアとかだけど、画面が大きいだけでこんなに感動するのかってびっくりしました。今回、4回にわたってベルリン・フィルを聴いてきて、実は同じような感想を持ちました。オーケストラって上手いだけでこんなに感動するのかって。もちろん、普通に上手いんじゃなくて次元の違う上手さ。どうしても、音楽よりもオーケストラの上手さに耳が先に行ってしまう。もちろん、ラトルさんの作る音楽もとっても良くって、ラトルさんってほんとに聴かせる音楽を奏でてくれる。しかも自然でわざとらしさがなく、何よりも音楽が愉しい。この人、純粋に音楽が好きなんだなっていうのが音の端々からにじみ出てくる。この間のマーラーの交響曲第4番を聴いて、このコンビで一番聴きたいマーラーは交響曲第3番か第7番だって思ったけど、さっそく、それが実現しました。いよいよ、ベルリン・フィルのロンドン公演の最後を飾るのがマーラーの交響曲第3番。

しかもその前に、短い曲がふたつ。ブラームスの女声合唱とホルンとハープのための4つの歌から「高らかにハープの音が響く」とフーゴ・ヴォルフのメーリケ歌曲集から「エルフェンリート(妖精の歌)」。マーラーの交響曲で歌うシュトゥッツマンさんの出番が少ないから、短い歌曲をプログラムに入れたのかなぁって思ったら、さにあらず。なんとヴォルフの短い音楽のために、ソプラノのヘルマンさんを呼んでいたのです。びっくり。
ブラームスの曲は、ホルンのドールさんの独壇場。なんかこの3日間のベルリン・フィルの音楽会、ドールさんのためにあったみたい。大活躍過ぎるくらいに大活躍。もう憎らしいくらいに上手くて、文句の付けようもありません(もちろん、文句なんて言いませんよ〜。あんな音楽を聴かされたらははは〜って平伏したくなります(水戸黄門の印籠じゃないって))。で、このホルンの音が山にこだまする角笛のようで、ああ、ここからマーラーの交響曲第3番の世界が始まるんだなぁって思いました。
そして、エルフェンリートは、そういえばヴォルフもなにげにマーラーと同い年で去年は生誕150年だったんですね。すっかり影が薄いけど。もちろん、ヴォルフのエルフェンリートはアニメのエルフェンリートととはほど遠く(フランスに行ったとき、日本のアニメオタクの友達から勧められて観たDVDがエルフェンリートでした。ちょっと困った。。。)、シェイクスピアの夏の夜の夢の妖精なんですね。妖精が軽やかに飛び回るような音楽。マーラーの方で言ったら、第2楽章や第3楽章の雰囲気かしら。わざわざ、ソプラノ歌手まで呼んでの贅を尽くしたプログラミングの妙。この始まりの2曲で、マーラーの交響曲第3番の世界観を確固としました。わたしの気持ちは、ザルツカンマーグートの山々の麓に飛んでいきました。そんな景色に思いを馳せていると、いよいよマーラーの音楽が溌剌としたホルンのユニゾンで始まりました。

マーラーの音楽は、マーラー自身が語ったように、山の偉容や、静かにたたずむ湖面、風に揺れる花々、森の暗さ、鳥たちの鳴き声、自然の全てを音に閉じこめたものでした。いいえ、音楽で世界を創ってしまった、音楽からも演奏からもまさにそのように感じたのです。深く突き抜けるような威厳のある音色、さわさわと軽い風のような音色、どっしりと重い沈み込んだ音色、どこまでも透明できらきらとした音色、明るい音、鄙びた音、真面目な音、剽軽な音、ありとあらゆる音色の妙によって表情豊かに奏でられる音楽。ラトルさんの音作りには一点の曇りも迷いもなく、どこまでも自然に、ステキなニュアンスや表情を付けた音楽。全ての音が生き生きとして、命にあふれかえってる。

第一楽章の始めの金管楽器の切り立つ岩のような峻烈な響き。鋭く打ち込まれるティンパニと大太鼓。木々の緑に反射する日の光のような木管楽器。さっと頬を涼やかに流れる夏の風のようなヴァイオリンのソロ。真ん中のホルンとヴァイオリンのソロのあとで、すうっとテンポを落として入ってくるとろけるようなチェロ。乱痴気に騒ぎ回るピッコロや小クラリネット。展開部の終わりのこの部分って、真面目におとなしくやったらつまらない。ラトルさんはさすが、羽目を外してくれました。そして最後の加速。
大好きな第2楽章の野原で寝ころびながら風に揺れる花を見ているような音楽。絶妙な柔らかさとニュアンスで奏でられる弦楽合奏と木管楽器たち。第3楽章のちょっぴり反響のあるステージ裏から聞こえるポスト・ホルンのなんて柔らかな響き。トランペットの主席のヴェレンツェイさんが管の長いトランペットで吹いていましたが、完璧なソロに感激、うっとり。そして、第4楽章の始まりのコントラバスの超弱音。ホールの1階の真ん中あたりで聴いてたわたしの耳にもかすかに聞こえるくらい。それでいてベルリン・フィルの楽器の音ってしっかり鳴ってるんです。音が小さいからと言って音が弱くならないの。弦楽セクションなんかは、ピアニッシモからフォルテッシモまで同じ音色で弾けるので、マーラーの音楽によく出てくる、ひとつの音符で音を膨らませたりするとことか、フォルテから突然音量を落とすスビト・ピアノがもうとってもきれい。アルトはステージの後ろの方ホルンの横で歌ったんだけど、第3楽章と第4楽章の間にそって出てきました。実は、颯爽と指揮者の隣に登場してきたらどうしようかって思ってたのでした。だって、盛大な拍手が起こって音楽が途切れることが間々あるんですもの。シュトゥッツマンさんの、声はまるで円柱形の管の楽器のよう。人の声とは思えないような輪郭のはっきりした響きです。神々しいばかりに。深い心の底から聞こえてくるような声はニーチェの詩にぴったりです。そして一転して、第5楽章では人間の声。声もここまで音色を変えてくるなんて、シュトゥッツマンさんに脱帽。ロンドン・シンフォニー合唱団とBBCシンガーズの女声合唱は、とっても良かったです。少年合唱も上手かった。ビムバムじゃなくて歌詞を歌うところでは、手でメガホンを作るようにして歌った演出が微笑ましくてステキで、何か大事なことを伝えてる感じがして、こういうのいいなって思いました。ラトルさんのアイディアかしら。
そのままフィナーレへ。ヴァイオリンの主題を少し速め、チェロの主題を遅いテンポ設定で、わたしとしてはもっともっと遅い演奏が好みなんだけど、だって、この幸せなときを終わらせたくないから、少しでも長く音楽が続いて欲しいから、ベルリン・フィルの弦楽合奏の底力を感じさせる、究極の美しさを持った演奏でした。ただひたすら音楽に身をまかせている感じ。フルートの旋律が空に響いたときは、もう切なくて切なくて悲しくなってしまいました。だってもうすぐ音楽が終わってしまう。最後は、わたしの思いとはうらはらに、どんどん音楽が進んで、もっと粘ってくれればいいのにと思いつつ、終わっちゃった。でも、幸福感は残った。わたしは確実にひとつ幸せを手に入れたんだと思います。だって、この記憶はいつまでも消えないから。ラトルさんの音楽はほんとに凄いですね。会場は全員総立ちのスタンディング・オベイション。

それにしてもベルリン・フィルの金管の人って体力ありますね。トランペットの主席の人は最後の最後のトロンボーンとのコラールのところで、ちょっとへろりとしてしまったけど、すぐさま楽器を変えて持ち直したし、第一、普通のオーケストラならたいてい使う補助奏者を置かずに楽譜に書かれた人数きっちりで吹いてる。そしてベルリン・フィルのアンサンブル能力の高さと言ったら。彼らは自分たちで合わせているのですよ。指揮者に合わせているんではないんです。だって、ふたりのティンパニ奏者が同時に叩くところはお互いに見合って叩いてるし、管楽器だってお互いの音を聴きあって、それは弦楽器も同じ、全員が他の人の音を聴きあって演奏しているんです。指揮者は、合わせることに振り回されずひたすら音楽することに全霊を注げる。

ラトルさんとベルリン・フィルはこの4日間の音楽会で、音楽の喜びを強く感じさせてくれました。ラトルさんは本当に音楽する幸せを演奏して伝えることのできる希有な指揮者のひとりだと思います。ひとりひとりが馬鹿みたいに上手く、高い音楽性を持ったヴィルトゥオーゾ集団のベルリン・フィルを演奏者の個性をつぶさずに、自発的に音楽するオーケストラとして統率することは並々の才能ではないでしょう。
ラトルさんは、この4日間にマーラーを中心に据えて、音楽の喜びを素直に表せる本当にステキなプログラムを持ってきてくれました。「大いなる喜びへの賛歌」、音楽や芸術の神「ミューズを率いるアポロ」なんかは象徴的な題名だし、題名のないハイドンやシューベルトの交響曲、そして最後のマーラーの交響曲第3番も愉しい喜びや幸福感のある音楽。そして、シューベルトやブラームス、ヴォルフは、歌謡的なマーラーの音楽の性格を浮き立たせて見せてくれました。この音楽会のひとつでも聴けた人を幸せものと呼びたい。体はきつかったけど、4つとも聴けたわたしは天下一の幸せ者ですね。

(ラトルさんとベルリン・フィルによるマーラーの交響曲第3番。ロンドンでの音楽会ではないですが(去年のルツェルン音楽祭での録音)、BBCラジオ3のこちらのペイジで聴くことができますよ。期間限定なのでお急ぎを。他にもミューズを率いるアポロやシューベルトのザ・グレイト、マーラーの交響曲第4番なども聴けます)
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by zerbinetta | 2011-02-23 11:20 | 海外オーケストラ | Comments(6)

わたしってば日頃の行い良すぎ?   

22.02.2011 @barbican hall

haydn: symphony no. 99
toshio hosokawa: horn concerto -moment of blossoming
schubert: symphony no. 9

stefan dohr (hr)
simon rattle / berliner philharmoniker


今日こそ、余裕を持って仕事を終えよう。気持ちよく音楽会を聴こうと思ってたのに、やっぱりぎりぎりに終わって、って鞄をチェックしたら、うわっチケット持ってくるの忘れた! しまった、多分普通だったらクレジット・カードで再発券できると思うんだけど、今回の音楽会は4つの音楽会をバービカンとサウスバンク・センターで分けていて、4ついっぺんに取ったとき、どちらでも取れるのでサウスバンク・センターからチケットを買ったんです。そして今日の音楽会はバービカン。もしかすると、バービカンでは再発券できないかも知れない。。。しかたがない、いったん家に寄ってチケット取ってこよう。最初のハイドンは諦めよう。シューベルトが聴けるからいいや。
って思ったんですけど、間に合った。。。ハイドン聴けて良かった。とっても良いハイドンでした。わたし、ラトルさんのハイドンのCDを持っていて、その中の交響曲第22番「哲学者」がものすご〜く好きで、愛聴しているんだけど、今日のハイドンもめちゃ良かった。CDでもやってるように、ロンドンではハイドン得意のユロフスキさんがやるように、古楽的なアプローチで来るかと思ったら、ふくよかで美しい、ベルリン・フィルを駆使しての、柔らかなカステラのようなハイドン。ハイドンって技術的には演奏するの簡単そうだけど、勢いでごまかせないので、指揮者やオーケストラの技量がもろに出ちゃうのよね。ハイドンやモーツァルトこそ上手なオーケストラで聴きたい。最高に贅沢な至福のハイドンでした。

2曲目は、細川俊夫さんの新作、ホルン協奏曲。コレペティのお仕事をされてるともんべさんのブログによると、ベルリン・フィルのヴァイオリン弾きの方が「くだらない曲だ」と言っていたとか。で、どんな変な曲だろうかと思って聴いてみたら、普通の現代音楽でした。楽音的でない音も使われていないし、わたしはいい曲だと思いましたよ。まあ、ヴァイオリンは風の音を模倣したり、ピアノで音をずうっと伸ばしていたり、弾くの楽しそうじゃなかったけど。わたしたちは聴いて楽しんでるだけだけど、演奏する方は、弾きっぱなしで疲れたり、刻みしかなかったり、高い音ばかりだったり、いろいろ苦労があるから、曲に対する感じ方もいろいろですね。もちろん、つまらないからといって手を抜くベルリン・フィルではなかったです。
ホルンのソロは、昨日もオーケストラの中でとっても目立っていたドールさん。もう、言葉が出ないほど上手い。楽器を吹いてる次元を超えて、音楽を会場いっぱいに奏でてる。面白いのは、ホルンやトランペットが客席の2階にも何人か配置されていて、特に、ホルン・ソロとオーケストラの中のホルンがエコーのように共鳴しながらかけ合うの。英語のタイトルがmoment of blossomingで、開花のとき、満開のとき、とでも訳すのでしょうか、華やかな感じなんですけど、わたしが受けた印象はもっと静的で、秋の野山か春早く芽吹いた野山に渡る風のような情景。和風の音階が使われている訳じゃないけど、時間の流れの曖昧な感じは日本的かしら? 最後は作曲者も出てきて拍手をもらっていました。

そして、大大大好きなシューベルト(プログラムに交響曲第9番と書いてあったのでそうしました。ハ長調の大交響曲)。この曲はラトルさんとベルリン・フィルで以前に聴いたことがあります。初ラトルさんだったときです。そのときは、小さなオーケストラでっていう印象だったんですが、今日数えたら、ヴァイオリンが12人ですから普通のサイズですね。前回は前に演奏したシベリウスの交響曲第7番でヴァイオリンを16人も座らせていたので、小さく感じたのかも知れません。それから、アクセントやデミュニエンドの付け方が個性的で、シューベルトの楽譜のせいかなって思ったんですが、今日は普通に聴けたので、記号の解釈を一般的なものにしたのかも知れません。
そんなことはさておき、とっても立派なシューベルトでした。大交響曲の名前にふさわしい(シューマンが勝手に付けた名前ですが)。明るいひなたの音色で、どこをとっても音楽が溌剌としていて、第2楽章が特に良かったんですけど、前半の低弦のリズムが毅然として、なんか真実を目を見て語ってくる感じ。間をとったゲネラル・パウゼのあとは、一転して柔らかな過去を叙述するような語り口。ほんとラトルさんの音楽作りってステキ。第4楽章の徹底した同音反復も、かなり奇異な音楽だと思うけど、同じ音が繰り返されるごとに力がみなぎってきて、巨大な音楽を締めくくるのにふさわしい。褒め言葉を書き始めたらきりがないくらい。でも、今のわたしにはシューベルトはそんな立派な音楽を書く人ではないんです。もっと親密な気の置けない音楽を書く人。もちろん、交響曲だから、そうではないのかも知れないけれど、わたしにはちょっと立派すぎて、気軽に言葉を交わせない感じ。シューベルトが遠くに行ってしまった。わたしにはシューベルトは室内楽の人だなぁ。
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by zerbinetta | 2011-02-22 09:34 | 海外オーケストラ | Comments(0)

胡蝶の夢   

21.02.2011 @barbican hall

stravinsky: apollon musagète
mahler: symphony no. 4

christine schäfer (sp)
simon rattle / berliner philharmoniker


今を去ること1年前、突然家に手紙がやってきたのね(予告をしてやってくる手紙もないけど)。来年のベルリン・フィルのロンドン公演のチケット売り出しますっての。ちょっと興奮したけど、ロンドンってチケット争奪戦がそれほど凄くなくて、今までわたしはのんびりチケットを買っていたから、慌てることないやって思っていたんだけど、試しにウェブ・サイトをのぞいてみてびっくり。うわわ、もうあんまりないっ。わたしお気に入りの安い席は壊滅。慌ててチケット取りましたよ。ベルリン・フィルの人気のもうひとつの理由は、指揮者。ラトルさんは地元が生んだスーパー・スターですものね。と言うわけで、昨日から4夜連続、ベルリン・フィルなんです。実はかなりしんどい。今日も仕事がぎりぎりでなんとか間に合った。正直前半は無理かなって諦めてたもん。

その前半はストラヴィンスキーのミューズを率いるアポロ。わたし聴いたことあると思っていたら、弦楽合奏だけでびっくり。初めて聴く曲でした。しかもわたしの予想では、12音系の音楽だと思っていたのに、新古典主義の時代の音楽でした(何と勘違いしてたんだろう?)。でも、プルチネッラと違って、バロックを採り入れると言うより、もっと歌謡的な旋律を使っていたと思います。どこかで聴いたことがあると思う旋律が出てきたんですが、どうしても思い出せな〜い。それにしてもベルリン・フィルの弦楽合奏って美しいですね。暖かみがあって、そして弱音がとってもきれい。音の取り方やニュアンスが、パート内だけじゃなくて、弦楽セクション全部でしっかり統一されていて、もう全員で同じ音楽を弾いてる。こう書くと、なんだ当たり前のことじゃないって思われそうですが、音の隅々まで、響きの先まで音楽が統一されてるのって、ものすごいことなんです。なんかとっても凄いものを聴いたと思いました。
この音楽ってバレエの音楽なんですね。優雅で美しい踊りが目に浮かぶようです。バレエも観てみたいなぁ。

後半はマーラーの交響曲第4番。重箱の隅をつつくようなんですが、わたしにとってこの曲のキモは、始まりのフルートと鈴のリズムの処理なんです。(一部の)マーラー・ファンにカルト的人気を誇るベンジャミン・ザンダーさんの解説CDで、口からつばを飛ばすような勢いで(彼の音楽会の前の解説って名物なんですよ)、フルートと鈴がインテンポで、クラリネットとヴァイオリンがリタルダンドをかけることによる時間の歪み効果を説明していました。で、わたしが実際時間の歪み効果を体験してびっくりしたのが、マゼールさんとニューヨーク・フィルの交響曲第3番。この曲も、冒頭のホルンが再現されるところの直前で、インテンポで刻まれる小太鼓のマーチとリタルダンドがかかるオーケストラの間で時間の歪みが出るのだけど、マゼールさんはさらに小太鼓を客席の後ろで叩かせることによって空間も歪めて見せたの。この効果が本当に凄くて印象に残ってるんです。で、始まりからわたしは聴き耳。でも、わたし、ラトルさんがちゃんとそうやるっていうこと知ってるのよね。だから驚きもしないけど。
って思ったらとんでもない! ラトルさんの始まりは予想外に遅いテンポ。なので、あとから入ってくるクラリネットとヴァイオリンのリタルダンドはあまり目立たなかったんだけど、その直後、主部に入ってにわかに快速テンポ。普通は最初の鈴のリズムと主部との間でテンポを合わせる演奏が多いのだけど、これにはびっくり。目が覚めた。わたしはこの音楽ってフルートと鈴に導入されて、時間がゆがんで夢の世界に入る、と解釈してたんだけど、ラトルさんのは、目が覚めて、現実に戻る、という解釈。だと最初、思ったんです。でも、どちらが現実、どちらが夢? 目が覚めたら、ファンタジーの世界で現実に生きていて、実はそれは夢だった、という感じ。第2主題ではテンポを落としてまた夢?の世界に戻る。ラトルさんのテンポ設定は、この第2主題と始まりの鈴を同じテンポにしたんですね。それが分かったとき、斬新なアイディアに鳥肌が立ちました。上手い! 鮮やか。目から鱗。

マーラーの交響曲第4番は、一般にシンプルで小さくて軽い音楽だと言われてるけど、わたしはそうは思わないんです。一見ハイドンふうの古典的な音楽に聞こえるけど、実は、ものすごく複雑な対位法が駆使された斬新な音楽だと思うんです。マーラーは対位法を積極的に使った作曲家だと思うけど、この曲の第1楽章と第2楽章が、マーラーが書いた最も複雑な対位法の音楽だと思います。とっても実験的。特に第1楽章なんかは、音の重なりが和声的な方法ではなくてほとんどが対位法的な方法で書かれているんです。でも、それは表面から隠されていて、それに気づかされる演奏はあまりないように感じます。ラトルさんは、もうそれは見事なまでに、マーラーが巧妙に施した仕掛けを聴かせてくれました。ふふふ、これがわたしの聴きたかった音楽なんです。もうわたしはウォーリーを探せ状態。面白いゲームをマーラー/ラトルさんから仕掛けられて喜んで遊んでる状態。何しろこれは子供の国の音楽ですからね〜。
それにしてもやっぱりベルリン・フィルは上手い。ソロの目立つ曲だけど、ひとりひとりがほんとに上手くて、しかもソロを吹く(弾く)ときは、協奏曲の独奏者のよう。特にホルンのシュティファン・ドールさん、上手すぎ。みんなが自発的な音楽をしていて、それを導いてひとつの音楽にまとめ上げているラトルさんの手腕もとっても凄いんだろうなって思うの。そうそう、今日のコンサート・マスター(ロンドンのオーケストラと違ってリーダーではなくてコンサート・マスター)は日本人のカシモト・ダイシンさんで、もちろん、第2楽章のヴァイオリン・ソロでも大活躍。でも彼にばかり注目が行くけど、忘れてはいけないのが、ヴィオラの主席(ファースト・プリンシパルではないので普通のオーケストラでは副主席に当たるのかしら?)にも日本人のシミズ・ナオコさんがいらっしゃることです。凄いですよね、ベルリン・フィルの首席奏者。

第3楽章はゆったりの部分と早い部分でメリハリを付けて、もうオーケストラの美しさが言葉にならないくらいの至福の時間。こんな音楽を聴けるなんてものすごい贅沢。いよいよ天国の扉が開く前、ホルンに復活の旋律が出てくるところなんて、ああわたしも早く天国へって思っちゃう(おまえは地獄に堕ちろっていうつっこみはここではなしよ)。静かに静かに終わってそのまま第4楽章のクラリネットが出てくるところは、なんてあんな弱音をきれいに吹くんだろうって思っちゃった。急な場面転換ではなくて、ふわりと立ちのぼるような景色の変わり目。ソプラノのシェーファーさんは、わたしの席からはちょっと、抑えすぎかなぁって思ったけど、オーケストラがピアニッシモになるところで、ものすごく抑えて歌ったので、声量不足ではなくてあのバランスで音楽を作っていたんでしょう。それにしてもステキなマーラーでした。

でもね、純粋に音楽に感動できたかというと、残念ながら素直にハイとは言えないんです。まだまだわたし、仕掛け探しに夢中で、この曲の音楽を頭でとらえてしまうんですね。わたしがもっと成長して、この曲を純粋に音楽として心でとらえることができたとき、初めて音楽に感動したと言えるのでしょう。ものすごく愉しくて、面白くて(interesting)、涙まで流して聴いていたんだけど、わたしが聴いたこの曲の中で間違いなく1番であると思うんだけど、ウォーリーを探さなくて済むようになるまで、ハイと言うのは待とうと思います。素直じゃないかしら?

シェーファーさん、パンツルックで上は体の線が出ない服装だからかしら子供っぽく見えました、とラトルさん、後ろにシミズさんが見えますね
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by zerbinetta | 2011-02-21 20:26 | 海外オーケストラ | Comments(4)

わ〜いっ BBC music magazineの表紙   

c0055376_8514272.jpgふふふ〜3月号のBBC music magazineの表紙アリーナです!! 思わず買っちゃった。まだ読んでいないけど、アリーナの記事とこの間のケイト・ロイヤルさんの記事も。それからユジャとデヴィッド・フレイの短いインタヴュー。定期購読しようと思ったのに、思わず買っちゃった。
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by zerbinetta | 2011-02-21 08:50 | Comments(0)

マーラー中心   

20.02.2011 @queen elisabeth hall

schubert: string quartet in c minor, D.703
schoenberg string quartet no. 2
mahler: piano quartet movement
schoenberg: chamber symphony no.1

anna prohaska (sp)
bishara harouni (pf)
simon rattle & members of berliner philharmoniker


いよいよ怒濤のサイモン・ラトルさんとベルリン・フィルハーモニック・デイズ。マーラー記念年でもあるので4日間にわたり、マーラーやそれに関連した音楽を中心に採り上げられます。今日はその1日目。ベルリン・フィルの団員による室内楽。プログラムはシューベルトの四重奏の断章、シェーンベルクの四重奏第2番と室内交響曲の第1番、マーラーのピアノ四重奏の断章です。聴いてみて分かったんですが、とっても粋なプログラム。
まずはシューベルト。シューベルトの音楽がマーラーの音楽に直接つながることをまざまざと聞かせてくれました。シューベルトの持つ親しみやすい歌謡的な旋律、長大な形式感は、まさにマーラーの音楽に続くもの。あとで聴いた、マーラーのピアノ四重奏でそれが直接証明されました。ベルリン・フィルの四重奏もステキでした。いつもオーケストラで弾いているから気心が知れているのか音楽もぴったり。弱音の取り方なんてとってもきれい。チェロのクァントさんがステキでした。あの髪型好きだし。

シェーンベルクの四重奏第2番はソプラノの独唱の入るものです。こちらは、マーラーから直接つながってくる音楽。マーラーがまだ大地の歌を書いていた頃の初期の作品なので、語法は新しいけど、まだとてもマーラー的な部分が多いの。ソプラノは若くて黒髪のきれいなプロハスカさん。この人とっても上手い。まだ20代? これからがものすごく楽しみです。ロンドンにもたくさん歌いに来てくださらないかなぁ。

そして、マーラーの最初期の作品(今、楽譜が残ってる作品としては一番若い頃の作品じゃないかしら。16歳での作曲)、ピアノ四重奏の断章。わたしはこの曲をCDで知っていたけど、今日は違う作品のように聞こえました。もしわたしがこの曲を知らないでいて、誰かがシューベルトの音楽だよと言ったら、ほとんど信じてしまいそう。最後の方にマーラーらしい(シューベルトでは決して書かなかった)ロマの音楽ふうのヴァイオリンのソロがあるので、そこでシューベルトじゃないって疑いを持ちそうだけど、間違いなくマーラーの音楽の出発点はシューベルト。ピアノの左手の扱いはシューベルトそっくりだしね。ピアノを弾いたハロウニさんは、遠くから見た感じではイケメンでした。ああもう少しわたしの目が良かったらお顔がよく見えたのに。って赤ずきんちゃんに出てくるオオカミみたいなこと言ってるわたし。

最後は、シェーンベルクの室内交響曲第1番。マーラーがこの曲の初演を聴いて、非難の嵐の中、拍手をし続けた作品。でも、マーラーに「曲のよさはわからないが、おそらくシェーンベルクが正しいだろう」と言わしめた作品。弦楽5部のソロに、2管編成くらいの管楽器。この音色感は面白いです。ここでも、マーラー的な音型がたくさん聞かれて、マーラーはどう思うか分からないけど、彼の音楽はシェーンベルク(や彼の仲間のベルク)に引き継がれていったんだって音で分かりました。ベルリン・フィルのほぼ主席の人たちのアンサンブルは、音がきれいで各パートがそれぞれとっても上手くて流石です。あっ忘れちゃならない、ラトルさんが指揮しました。

こうして並べられると、音楽史の流れが聞こえて、ほんとに面白いですね。こういうプログラムの音楽会大好きです。
あっそうそう、内田光子さんが会場に来ておられました。彼女はときどき音楽会で見かけるんですけど、お客さんとしてきているときは、もう普通のお客さんに完全にとけ込んでいて、一緒に音楽を聴いてる音楽好き仲間感がしてとってもステキです。多分ご自分でチケットを買って来てらっしゃる感じがします。前にお見かけしたときはわたしと同じ安い席だったしネ。
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by zerbinetta | 2011-02-20 09:50 | 室内楽・リサイタル | Comments(2)

それが美しければ美しいほど、幸せであればあるほど   

19.02.2011 @royal festival hall

mozart: sinfonia concertante
maher: das lied von der erde

stefan jackiw (vn), richard yongjae o'neill (va)
sarah connolly (ms), toby spence (tn)
yannick nézet-séguin / lpo


大好きなネゼ=セガンさんのマーラーの大地の歌。期待していた反面、とっても不安だったんです。若い指揮者があの寂寥感を出せるのかって。確かに最近聴いた、ドゥダメルさんやネルソンズさん(こちらは放送)の第9番の美しく肯定的な演奏には、はっと感動させられたけど、歌詞を伴う大地の歌はあのような解釈はなされ得ないだろうと思って。だとしたら、やはり枯淡の境地にならないとこの音楽の感動的な演奏は無理だろうって。で、聴いた結果は。。。

その前に、ふたりの韓国系イケメンソリストを迎えてのモーツァルトのシンフォニア・コンチェルタンテ。韓国系と言っても共にUSで活躍している人で、ジャッキーさんの方は韓国人とドイツ人の両親でUS生まれ。石田衣良さん似。かな? ヨンジェ=オニールさんは、ソロが終わったあといちいちジャッキーさんに向かってどや顔するのが面白かったの〜。
音楽は最初っからびっくり。ネゼ=セガンさん、最初のふたつの音符を弱く、3つ目をフォルテで弾かせるという荒技に出て。ネゼ=セガンさんのアクの強いモーツァルトはモーツァルト的ではないと言ったら言えるけど(表現主義的というか新古典派を通った古典派)、それを面白く聴かせてくれるのは、なんだか感心しちゃった。第2楽章は、お金持ちの邸宅をそのまま使った美術館の匂いがして(思い浮かべたのはニューヨークのフリック・コレクション)、中庭を観ながらそぞろ歩いてるような気がしてステキでした。ソリストのおふたりももちろんステキ。わたしは韓流ドラマというのにちっとも興味がなくて(っていうか日本のも、ドラマって見続けるのめんどくさいのよね)、韓国ブームには疎いんだけど、今日はちょっと韓流もいいなって思いました。ステキな音楽家に次から次へと出逢えてとっても嬉しい。

さて、後半の大地の歌。結果は。最初に答えを言っておくと、最後は涙でぼろぼろでした。まさか、こんなことになるとは。。。
ネゼ=セガンさん、コノリーさんとスペンスさんと一緒に、いつものようににこやかにステージに登場。指揮台に立って、少し間を置いて手を左右に広げて上げたとたん、稲光のように緊張が走る。この空気の転換のあまりの見事さ。光りが走ったようでした。そんな見事な緊張の中始まった音楽は、アグレッシヴ。速めのテンポで、音の輪郭をはっきりさせて、容赦なくテノールの歌に襲いかかるオーケストラ。でも、音は濁らないし、とてもクリアで色彩的な音色。激しい中でも美しい。でも、このときは、わたしの不安が的中したって思ったんですよ。美しいだけじゃなくてもっと、厭世的な暗い気分が必要なんじゃないかって。若いゆえの限界みたいなものを感じてしまったんです。オーケストラは見事にドライヴされていて、オーケストラ音楽として聴く分には良いのですけど。ああ、やっぱり今日は音楽の外にいて眺めているのかなぁて思ったんです。
でも「秋に寂しきもの」を歌い出したコノリーさんの歌を聴いて、心が融けていく。なんて寂しげにこの音楽を歌うんでしょう。コノリーさんは、ロンドンではとてもたくさん歌ってる人で、レパートリーもめちゃ広くて、こんなにいろんなのをしょっちゅう歌って大丈夫っても思うんですけど、聴いていて全く外れがないんですね。とても実力のある方。でも、今日はそれに輪をかけて凄かった。この人の歌、気持ちの入れ方が半端じゃないような気がします。歌詞の世界を創ってる。そんなふうに歌われるとオーケストラだって黙ってはいられません。マーラーの世界にしっかりと沈み込んでいきます。
「青春について」と「美について」はもともと若者を歌った音楽ですから、若い指揮者のアプローチが生きないはずがありません。とっても美しく、夢のように溌剌と。でも、これが今日の演奏の重要なポイントになるんですね。この2曲はターニング・ポイントになる重要な音楽ですし、そして、音楽が美しくなれば美しくなるほど、最後の結論が切なく心に刺さるのです。わたしはずうっとこの世界にいたい。東屋で友達とお酒を飲んでいたい、池のほとりで花を摘んでステキな男の子にナンパされたい、そういう若い時代が永遠に続きますように。
いよいよ後半は、それらへの惜別の音楽です。まずは酒の中に自暴自棄に逃げ込むの歌。今日のテナーはスペンスさんでしたが、この人も声に張りがあってとっても良かったんです。少しお上品な感じもしましたが、でも、美しさを強調する今日の音楽には合ってました。この音楽の中では、まだお酒に溺れるだけで希望はあるんですね。現実を見なくて済むから。一生酔っぱらって暮らせればきっとなんといい人生なんでしょう。
もちろんそれは、深い淵から聞こえてくるような、ホルンやハープ、ドラやコントラバスの低い音色に打ち砕かれます。ここのホルンの低い音、とっても雰囲気のあった音色でした。音楽はゆっくりと進みます。心の淵を覗くように黒く。でも美しく。コノリーさんの歌の孤独感も寒々と冴えわたって世界にひとりで別れを告げる気持ちを聴くのは身につまされる思い。永遠に美しいもの、憧れ、永遠に青春のままの友、にひとり時間の歩みを進めてわかれていく悲しさ。無限なものと有限なものの対比。世界が美しすぎるゆえに音楽が美しすぎるゆえにいっそう心に冷たく沁みます。それにしてもマーラーは最後、なんというとんでもないことそしてくれたんでしょう。美しい世界にさらにマンドリンとチェレスタで光りを与えるなんて。もうずいぶんと前から涙がこぼれていたんですが、これで我慢ができなくなりました。ぼろぼろとこぼれる涙。
こんなにいい演奏なのに、最後しばらく拍手できませんでした。ネゼ=セガンさん、コノリーさん、スペンスさん、ロンドン・フィルのひとりひとりの音楽家たちは本当に素晴らしいものを聴かせてくれました。これを書きながら、思い出し泣きしています。本当にたくさんの心からの感動を経験しているロンドンの音楽生活。この幸せな時から離れるとき、わたしは、今日の大地の歌と同じ思いを味わうのでしょう。でも、失っていく幸せは、それがわたしにとって一瞬のものでも幸せなことに違いはありません。

(照れ隠しに蛇足)
そして今日初めて気がついたんだけど、大地の歌の構成。マーラーの交響曲って真ん中に中心となるスケルツォを挟んだシンメトリックな構造が多いのだけど(典型的なのは交響詩「巨人」や交響曲第5番や第7番。第2番や第9番(ふたつの中間楽章がスケルツォ)、第10番(3つの中間楽章がスケルツォ)も変則的だけど似たような構造ですね)、大地の歌は6楽章なのでしっくり来ない。第1と第2楽章をひとつの対として、第6楽章の間を3つのスケルツォ(のような音楽)で挟むということも言われてて、そうだとも思ってたんですけど、実はそれぞれの歌手の歌う3つの楽章がスケルツォ(のような音楽)を挟んでシンメトリックな構成を取っていることに気がついたんです。テナーが歌う奇数楽章は「大地に郷愁を寄せる酒の歌」「春に酔えるもの」という厭世的な雰囲気のある酔っぱらいの歌に挟まれて「青春について」。アルトもしくはバリトンが歌う偶数楽章は、「秋に寂しきもの」と「告別」という孤独な離別の歌に挟まれて、若き日の仄かな恋を歌った「美について」。形式的にも内容的にも明確な一幅の対をなしているではありませんか。中心にあるのは若き日の美しい思い。そしてそれへの別れ。これは今日の音楽会のおまけみたいなものですけど、今まで気がつかなかったことにびっくりするくらい、わたしには大きな発見でした。
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by zerbinetta | 2011-02-19 03:02 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(2)

聴き手失格   

17.02.2011 @barbican hall

gary carpenter: fred & ginger
brahms: violin concerto
wagner: siegfried idyll
strauss: tod und verklärung

janine jansen (vn)
daniel harding / lso


最近絶好調のロンドン・シンフォニー。今日も期待に胸を膨らませて行ってきました。ハーディングさんのシュトラウス、今日は死と変容です。
音楽会はカーペンターさんのフレッド・アンド・ジンジャーという5分足らずの新作(5分以下の曲を委嘱されて今日が初演です)で始まりました。始まったとたん、あっ和風って思いましたが、アメリカのジャジーな雰囲気も持っていて、聴きやすい分かりやすい音楽でした。若い人の作品かと思ったら、還暦の方なんですね。十分な長さのある曲も聴いてみたいと思いました。

2曲目はブラームスのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリンはオランダ人のジャニーヌ・ヤンセンさん。ロンドンではときどき演奏している方ですが、何故かわたしは聴くのは初めて。と思ったら、ロンドンに来てすぐの頃、聴いていたんですね。すっかり忘れてた。
正直最初よく分からなかったです。この人上手いのか下手なのか。音程がわたしの音程と違った感じがして、音の粒も不揃いな感じがしたんです。昼間に大好きなアリーナを聴いているので、それが耳に付いてて、ちゃんと聴けなかったんだと思います。先入観や他の人の演奏のことなんて考えずにその人の音楽をきちんと受け止めなきゃいけないのに、音楽の聴き手失格ですね。一端、敢えて目を閉じて、音だけ聴き始めたら、なんとか持ち直しました。自信ないけど。彼女の音は柔らかい感じで、凛とした音が好みのわたしの音ではないけど、弱音は音に力があって良かったです。第2楽章と第3楽章はとても良い演奏だったと思います(第1楽章は途中までちゃんと聴けてないので分かりません)。彼女の演奏はまた機会があったら聴き直してみたいです。ハーディングさんのオーケストラがちょっともたついちゃったかな。第3楽章のリズムがちょっとぎこちなかったし。曲が終わって拍手のとき、彼女は係の人から花束をもらったとき(女性演奏家には花束が手渡されます)、ささっとオーボエの人に花束を渡しに行きました。第2楽章のオーボエのソロきれいでしたからね。オーボエはまたも客演のシスモンディ(nora cismondi)さん。ずいぶん長く客演してますね。オーディションの試用期間でしょうか。彼女のオーボエとってもステキなんだけど、ちょっとソリスティック。ウィーン・フィルの奏者のように身体を揺らしながら吹く姿は、ちょっとロンドン・シンフォニーの文化から浮いてる感じ。わたしとしては彼女に来て欲しいけど(オーディションじゃなくて単なる客演で来てるだけかも知れませんが)、ロンドン・シンフォニーの音や文化には合わないかも知れないな。でも彼女なら、どこでも一流のオーケストラに採用されるでしょう(オーケストラの音楽と彼女の音楽が合えばですけど)。

ヤンセンさんはオランダ人らしく大柄。小柄のハーディングさんの方が小さい?
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噂のシスモンディさん
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後半はジークフリート牧歌と死と変容。ジークフリート牧歌が良かったの〜〜。確かコジマのお誕生日にワグナーがサプライズで贈った音楽なんですね。ステキ〜。わたしも誕生日にベッドで寝ていたら外から生のステキな音楽が。ってされてみたい。あっでも今の時代だからってクセナキス張りの音楽が聞こえてきたら寝覚め悪いかも。暖かくて幸せで、今日はこの演奏が一番良かったかな。
で、期待していた死と変容はちょっと期待はずれ。確かに壮麗にオーケストラはなっていたし、これだけを聴けば普通に良かったと思えたかも知れないんですけど、前回のシュトラウスを聴いてしまっていますからねぇ。もっとできるんじゃないかと思ってしまうんです。アンサンブルも荒く聞こえました。何かちぐはぐ感があって音楽に没入できない。そういえばこの曲へのオマージュがスーパーマンの音楽になってるのよねなんて、あまり関係ないことを考えていたりして。地平線に沈む荘厳な落日を音で感じるような忘我の境地には至れませんでした。リハーサル不足かも知れないなぁ。指揮者もオーケストラも聴いてるわたしも生き物だから、いつも最高の状態でいられるわけではないし、こんな日もあるのがまた音楽会通いの面白いところだと思うんですけど。
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by zerbinetta | 2011-02-17 20:23 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)