<   2012年 09月 ( 13 )   > この月の画像一覧   

鐘かね〜、ロシアの鐘が鳴り渡る〜 ユロフスキ、ロンドン・フィル「鐘」   

29.9.2012 @royal festival hall

shchedrin: concerto for orchestra no. 2 (the chimes)
miaskovsky: silentium
denisov: bells in fog
rachmaninoff: the bell

tatiana monogarova (sp), sergei skorokhodov (ten),
vladimir chernov (br)
vladimir jurowski / lpc, lsc, lpo


ユロフスキさんとロンドン・フィル、今日は鐘シーズ。と、プログラムを見て気がつきました。近現代のロシアの作品を集めて、またまた挑発的なプログラミング。受けて立たなきゃ。聴く方も真剣。

始めはシチェドリンのオーケストラのための協奏曲第2番「鐘」。わたし、CD持ってたのにすっかり忘れてました。オケコンはジャズの語法で書かれた第1番の方がインパクトが強いので。なので、音楽を思い出すこともなかったんだけど、そういう意味ではうぶな気持ちで聴けましたよ。低音の静かに大きな波が重層して底から揺れる向こうから、突然鐘が鳴り出して音楽が動き出す。まさに鐘の登場にふさわしい音楽。決して分かりやすい音楽ではないけれども、というかどちらかというと暗くて苦渋に満ちている、交響的な作品。協奏曲と名前がついてるような派手さやアクロバティックな感じはなくて瞑想的。重なる低音がほどけて、鐘のしたにロシアの聖歌のような音の流を生み出すのもステキ。ユロフスキさんとロンドン・フィルの演奏は、この曲を初めて聴くようなもののわたしには比べるすべもないのだけど、とてもステキな音楽だと思ったので、聴き所を突いた良い演奏だったのだと思います。不満を感じませんでした。

2つ目のミャスコフスキー。彼の作品は前に同じユロフスキさんとロンドン・フィルで交響曲を聴いたことがあります。が、滅多に聴けない作曲家ですよね。今日は「シレンティウム」という作品。鐘特集なのに「沈黙」というタイトル。silenを何故かsirenに勘違いして(典型的な日本人!)、ああこれは、きれいな歌声で男たちを溺れさせるセイレーンの物語ね、と、勘違いにはすぐに気がついたのだけど、気づかないふりして、海の音楽っぽいなぁと勝手に想像していたのでした。だって、暗く低くうねるような音楽は海を想像させたんですもの。ミャスコフスキーを前に聴いたときも思ったんだけど、この作曲家、あんまり演奏されないのがもったいないくらいステキ。ユロフスキさんにはこれからもときどき採り上げてもらいたい音楽家です。

休憩のあとはデニソフの「霧の中の鐘」。今度は正真正銘、鐘の音楽。でも、今までの音楽とは対照的に、高音がきんきんと鳴る曲です。小さなチャイムの音楽。作曲家のデニソフは、名前がエジソン。親が発明王のエジソンの名前にちなんで付けたと、プログラムには説明があったけど、物理化学の道に進んで欲しかったようです。ということが、関係あるのかないのか分からないけど、音楽はちゅーんちゅーんというSFの機械のような響き。人工的なノイズのようで(耳に不快なものではないけど)、でもそういう不純物を含まない数式のような響きがとってもきれい。デニソフの音楽、初めて聴くけど好きかも。

最後はラフマニノフの大作、ずばり、「鐘」。これは前に、ビシュコフさんとBBCシンフォニーのステキな演奏を耳に記憶してるんだけど、今日のユロフスキさんとロンドン・フィルの演奏もそれに負けず劣らずの良い演奏。まず、ロンドン・フィルハーモニックとロンドン・シンフォニーの大きな混成(間違いではありません)合唱が、迫力があって素晴らしかった。独唱は、ビシュコフさんのときには少し及ばないと感じたものの、でも十分。ユロフスキさんがぐいぐい引っ張っていく音楽もステキで、勢いがある演奏は聴いていてすかっと気持ちが良いものです。叙情性は少し後退するものの、がしがしと骨太の交響的表現は何にもましてかっこいいです。

ユロフスキさん、ロシアの近現代のあまり知られていない作品を紹介するのに使命感のようなものを持っているみたいですね。毎シーズン意欲的に作品を採り上げて、記憶に残る音楽を聴かせてくれます。演奏から自信が溢れていて、作品を絶対に信頼してそれに応える素晴らしい演奏をこれからも期待したいです。
c0055376_0124627.jpg

[PR]

by zerbinetta | 2012-09-29 00:11 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(0)

スキップしてくるくる回りだしちゃうグローバルなわたしたちの第九 サロネン、フィルハーモニア   

27.9.2012 @royal festival hall

kurtág: ...quasi una fantasia...
beethoven: piano concerto no. 1, symphony no. 9

leif ove andsnes (pf)
giselle allen (sp), anne-marie owens (ms),
andrew kennedy (tn), james rutherford (br)
esa-pekka salonen / philharmonia chorus, po


さらに、昨日のロンドン・フィルに引き続き、今日はフィルハーモニアの開幕です。もちろん指揮はサロネンさん。フィルハーモニアもシーズン開幕には、大作を持ってきますね。今年は、ベートーヴェンの交響曲第9番をピアノ協奏曲第1番とクルタークの「幻想曲のように」と共に。

ピアノが真ん中にあって誰もいないステージを尻目に、客席が何だか煌びやかに。あれ!?もしかして、アコスタさん?と思うまもなく、ロイヤル・バレエの面々、20人弱でしょうかが客席に入ってきました。アコスタさんの他に、マクレー夫妻、マリアネラさん、マルケスさん、あと名前を知らない(ロイヤルの人でしょうか?)きれいなロシア人の若者、それにモニカ・メイスンさんも。音楽会そっちのけでわたし、トキメキ。心も目もそちらに。招待されたのでしょうね。

始まりのクルタークの音楽は、ステージにはピアノ、そして指揮者のサロネンさんがこちらを向いて指揮です。少人数の楽器はロイヤル・フェスティヴァル・ホールのサイドの上のボックス席に2人か3人ずつです。わたしの一番近くのボックスにはフィルハーモニアのマスコット・ガール(勝手に決めた)、フィオナちゃん。そしてピアノは、なんとアンズネスさんが弾きました。音楽は、正直1回聴いただけで何とも言えないんですけど、適度に耳優しい静かな広がりを持つシンプルな音楽でした。後ろの方の隅っこの席で聴いたので、会場いっぱいを使った空間的な効果は少し欠きましたが、いろんな方向から等分に聞こえてくる音は静けさの中に広々とした世界が広がりました。

2曲目はオーケストラもステージに出てきて、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番。ベートーヴェンの若い頃の作品らしく、ハイドンやモーツァルトっぽくもあり、清々しくて透き通った作品。アンズネスさんのピアノの音色が、すっきり透明でとってもきれい。音のつぶつぶがビー玉のようにクリスプでカラフルなんです。そして、第1楽章のきらきらと音が落ちていくピアノとかドキリとする瞬間もあって、とっても充実した演奏。さすがアンズネスさん。女子的にはサロネンさんとアンズネスさんのコンビ、いいですね〜。目にも麗しいし。

休憩時間はミーハー心大満開。用もないのにふらふらしてダンサーさんの傍を行ったり来たりの不審者。それにしてもみんなすらっとしてきれい。ステージで観るとちっちゃくて少しふっくら見えるマルケスさんもすらりと背が高く見えて、とってもプロポーションがいいんです。男性陣も引き締まってステキにかっこいい。スーツやドレスを着て普段メイクのダンサーさんって観る機会あまりないからもう嬉しくって。

バレエの皆さんが席について、いよいよ第9番交響曲。さて、サロネンさんはどんな演奏を持ってくるのでしょう。サロネンさんは昨シーズンからベートーヴェンの交響曲を採り上げていて、まずは奇数番号、1番、3番、5番、7番を聴きました。その演奏は、意外にもオーソドックスな正攻法。奇を衒わずに円熟した音楽で聴かせる、でもサロネンさんらしい若々しい溌剌とした演奏。きっと今日もそんな演奏になるでしょう、と期待しました。
音楽は、最初っからサロネンさんらしいワクワクする演奏。快速テンポで飛ばして吹き抜ける風が気持ちいい。オーケストラはいつものように、ホルンは普通の、トランペットは無弁の、ティンパニは小さな古いタイプのティンパニです。なので、スミスさんのティンパニは炸裂せず、オーケストラの中のバランスで、でもしっかりと楔を打つように鳴っていました。
そんな、切れ切れでワクワクするようなサロネンさんの演奏でしたが、第3楽章まではわりとオーソドックスといえばオーソドックス。安心して聴ける演奏。第3楽章の天国的な響きはマーラーの交響曲第4番のアダージョを聴くような美しさだったけどね。でも、それが一変したのが合唱の入るフィナーレ。まず、攻撃的なトゥッティのあとのチェロとコントラバスのレチタティーヴォ。一瞬肩透かしのような柔らかな静かな音で始まって、ゆっくりとテヌートをかけて諭すように。普通ここ、アクセントを付けて決然とはっきりした主張をするように、いっそ攻撃的なくらいに演奏されることが多いと思うのだけど、剛とすると柔、これにはびっくり。頭を巡らせるよりも早く直感的に、あっ!現代は力でねじ伏せるのではなく、じっくりと相手を理詰めで説得することこそ民主的なやり方なんだと、はたと膝を打って。凄く現代的な演奏。第1楽章も第2楽章も第3楽章も頭から否定するのではなく、きちんと諭してる。そこから、サロネンさんのやりたい放題。もうにやにやして嬉しくってスキップして駆け回りたくなるような気持ち。こんな楽しいベートーヴェンの第9なんて滅多に聴けない。素晴らしい!
独唱は4人4様。それぞれ自由に歌って、個性が交わらず統一感がない。でも、それがいいの。だって、今は多様性と個人主義が大事な時代。サロネンさんはあえてこんな歌手を選んで自由に歌わせているのだと思いました。それを統一するのが合唱。フィルハーモニアの合唱団がこれがまたとても素晴らしかったです。
荘厳なコラールが静まって弦楽合奏になるところ、ノンヴィブラートの素朴な響きになって、突然モンテヴェルディの時代の空気が広がったよう。サロネンさんは、バロックから現代までの様々な様式の響きをちらりと聴かせてくれて、ほんとグローバルでまさに今の時代、わたしたちの第9。ベートーヴェンのはちゃめちゃな音楽をはちゃめちゃに演奏してくれて楽しいったらありゃしない。面白い、CD向きの演奏ではないけど、これこそベートーヴェンの本質だわ。今日は目の保養も出来たし耳の保養も出来て、心楽しくにこやかに笑いながら会場をあとにしたのでした。
[PR]

by zerbinetta | 2012-09-27 00:43 | フィルハーモニア | Comments(0)

ざらざらした双子 ユロフスキ、ロンドンフィル「影のない女」「フィレンツェの悲劇」   

26.9.2012 @royal festival hall

strauss: die frau ohne schatten (orchestra excerpts)
zemlinsky: a florentine tragedy

heile wessels (bianca), sergei skorokhodov (guido bardi),
albert dohmen (simone)
vladimir jurowski / lpo


ロンドン・シンフォニーのシーズン開幕に続いて今日は、ロンドン・フィルの開幕です。もちろん、指揮者は主席指揮者のユロフスキさん。2つのオペラです。しかもどちらもマイナー。シュトラウスの「影のない女」のオーケストラ部分の抜粋、とツェムリンスキーの短いオペラ「フィレンツェの悲劇」。相変わらず、ユロフスキさん、お客の入りを考えない挑発的なプログラムを持ってきますね。去年もマニアックなプログラムでシーズンを開けたんだけど、今年は、残念ながらお客さん少なかった。どうしてかなぁ、もったいない、オペラ指揮者として優れた一面をコンサートで見せてくれたのに。

シュトラウスの「影のない女」は、ざらざらとして(バラクとその妻(名前なし、このオペラで名前の与えられている登場人物はバラクだけ)のシーンが特に)、あと、テーマがわたしにはきつすぎて、あまり好きではなくて、オペラを観たのは2回だけ。なので、どのシーンの音楽が採られて演奏されたのかは、よく分からないんだけど、歌なしでシンフォニックなシュトラウスのオーケストラの醍醐味を味合うことが出来たと同時に、歌がないのに、オペラの物語(あらすじは知っているので)を楽しむことが出来ました。ユロフスキさんはぐいぐいとオーケストラを引っ張っていくスタイルの演奏。オーケストラをかなり締め上げて自分の思う音を出している印象。独裁者という訳ではなく、強いオーラに演奏者が巻き込まれる感じかな。ゲルギーがオーケストラの自発性にかなりの部分を任すのに対して、全ての音を明確にコントロールして演奏している雰囲気があります。指揮者もオーケストラも成長中だから、かな。
それにしてもシュトラウスの曲ってどこを切っても金太郎飴のようにシュトラウスの香りがぷんぷん。黄金色のゴージャスな色彩のオーケストラ。艶やかに磨き抜かれていてすべすべ。ざらざらした2幕の物語も音楽だけ取り出すとやっぱり豪華だもんね。

休憩のあとは、ツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」。CDは持ってるけど生で聴くのは初めてです。ほとんど演奏されることはないのではないでしょうか。オペラだけど60分ほどと短いので帯に短しって感じですし(何かと一緒に上演されることになりそうです)、正直なところ内容にあまり魅力がありません。登場人物はたった3人。テノール、バリトンとソプラノ。舞台はフィレンツェの商人シモーネの家。1幕もののオペラなので舞台転換はありません。今日はコンサート形式だったので関係ないけど。ただ、正直、これは劇場で観てもつまらないだろうな、と思いました。舞台は地味だし、お話はオペラにするにはちょっとつまらないし。元々戯曲なので、舞台で演じられる作品だけど、多分オペラにすることで台詞が延びちゃって物語の進行が間延びしちゃうのかなって思いました。
でも、今日はコンサート形式ですから音楽だけ。3人の歌手は指揮者の横で、若干の身振りはあるけど演技なしで歌います(でも、実際に舞台にかけたとき歌手にどれくらいの演技をするかは分からないな、というような歌の内容)。というわけで音楽に集中なんですけど、今日はちょっと歌手が弱かったです。オーケストラは豪華に鳴り響いてるんだから、歌手もゴージャスに、なんなら内容も関係なく艶やかに歌って欲しいなんてとんでもないこと思ったりして。出てくる人が、王様や王子さま、お姫さまじゃない小市民なので、話の内容が現実的というかちまちましてるので、あまり面白くないというのも、言葉を発してる歌に対して濡れ衣。最後も、何であっさりこうなるのという感じで虚を突かれて終わっちゃったし。
一方のオーケストラの方は、快調。この曲、シュトラウスの音楽とそっくりなんですね。さっきの「影のない女」と双子の兄弟みたい。ユロフスキさんがこの2曲を今日一緒に採り上げた理由が分かりました。ただ、ツェムリンスキーは不思議な作曲家ですね。この音楽を聴いているとずいぶんと退行しているみたいで、シェーンベルクの先生なのに、もっと先に行けなかったのかな。このオペラの題材だったらシュトラウス風の音楽を付けるよりも、乾いたがさがさしたヴォツェックみたいな音楽の方が合うのに。なんて悪口言ってるけど、ユロフスキさんの演奏は手綱が引き締まっていて良かったです。そういえば今日は、ロンドン・シンフォニーの主席ホルンのパイアットさんがゲストで5番ホルンを吹いてました。
[PR]

by zerbinetta | 2012-09-26 22:30 | ロンドン・フィルハーモニック | Comments(0)

ゲルギーが大好きだーーー ゲルギエフ、ロンドン交響楽団 ブラームス、シマノフスキ第2夜   

23.9.2012 @barbican hall

brahms: tragic overture
szymanowski: symphony no. 2
brahms: symphony no. 2

valery gergiev / lso


昨日に引き続き、ゲルギー、ロンドン・シンフォニーのブラームス、シマノフスキ・シリーズの第2夜。第2番です。ブラームスの「悲劇的序曲」とそれぞれの交響曲第2番です。朝、リハーサルを聴いて期待がめちゃ高まっています。絶対ステキな音楽会になる確信あり。そして確信は、「悲劇的序曲」が鳴り始めると現実に変わりました。

素晴らしい緊張感。張り詰めた雰囲気。ゲルギーの真っ直ぐな解釈。ゲルギーはオペラの指揮者だから、このドラマはないけどドラマチックなオペラの序曲みたいな音楽を劇的に音にしていました。真っ正面から攻める正攻法。それにしてもゲルギーの指揮を見ていていつも思うのだけど、彼の中には音楽しかない。音楽が溢れるほどに詰まっている。多分この人、1日24時間、音楽のことを考えていて、音楽以外のことは頭にないんだろうな。わたしの友達にも分野が違うけど同じ空気を持ってる人がいっぱいいて、そういうの、よく分かるし、大好き。好きなことに熱中する子供みたい。だから、ゲルギーの指揮っていつ見ても手抜きなし。夢中になって音楽してる。もちろん、上手くいかないときはあるけど、それは決して手を抜いているからではなくって、一所懸命やってもダメなときもあるし、アスリートが走るごとに自己記録を更新するわけではないのと一緒。と、話がそれて、上手く行ってなかったことを仄めかした体になってしまいましたが、事実は反対。とてもステキな音楽でした。

シマノフスキの交響曲第2番は、第1番からぐんと進化している。オーケストレイションの過剰がなくなってすっきり、見通しがいい。とっても叙情的。後のシマノフスキのアラビックな神秘性はまだないけど、うねうねと揺れながら一筆書きのようにつながっていく終わりのない、一息で潜ってどこまで泳げるか息を止めてその先の世界を見るような快感。生温かなロマンチシズム。こういう曲は、ロンドン・シンフォニー得意よね。朝のリハーサルのときはもっと歌ってと言われてたけど、艶のある歌で音楽が流れて、美しい夢のような世界。ゲルギーも音楽の流を損なわず、盛り上がるところは盛り上げて、弱音はあくまで美しく、まあ、それが反対に、とりとめのないような鵺のような演奏に感じる人もいるかもなので好き嫌いは分かれるかな。わたしは、曲がそうなので明確に分かりやすく演奏するよりいいと思うんですけどね。

ブラームスの交響曲第2番。ブラームスの田園交響曲とも呼ばれているらしい、柔らかな気の置けない曲。がしがしと緊張で満ちた交響曲第1番や「悲劇的序曲」でブラームスとゲルギーの親和性の高さを聴かせてくれたけど、果たして、対照的な性格を持つこの音楽をどう演奏するか興味があったんです。ゲルギーのイメジとしては前者が合ってる感じだし。でも、予想に反して、このブラームス、第1番よりも良かったんです。自然体で何も特別なことをしていないんだけど、すっかりわたしのツボにはまって。まず第一にオーケストラが上手い。わたしが聴いたブラームスの交響曲の中で一番オーケストラが上手いかも。そして、ブラームスってオーケストラが上手くないとダメなんだって思いました。マーラーやシュトラウスや近現代の音楽みたいにアクロバティックなオーケストラの書き方をしていて、技術的な要求が高い曲よりももっとオーケストラの良し悪しが出てくるように感じたのです。今日のロンドン・シンフォニーは世界最高のオーケストラのひとつと自信を持って言える。ゲルギーがしなやかにオーケストラの美質を引き出して、オーケストラも気持ちよさそうにブラームスを演奏してるし。もしわたしがオーケストラの一員だったら、ブラームスが弾きたいな。第2ヴァイオリンがとっても面白そう。ブルックナーはヴィオラだけどブラームスは第2ヴァイオリン♪
ゲルギーのブラームスへのアプローチは、作曲家を尊敬して、作為を加えず作意を尊重するという姿勢。爆演、怖面のゲルギーのイメジとは真反対の(とはいえ顔つき、指揮姿はいつものゲルギーだけど)、優しい柔らかな演奏です。さわさわと緑の風が吹く、太陽の光りに満ちた音楽をブラームスとゲルギー、そしてロンドン・シンフォニーが奏でていきます。そしてなんと言っても静かな場面での静謐さに満ちた、平和な、温かな音が素晴らしかった!なんだか、子供の頃、遠くにポプラ並木の見える原っぱで遊んでいた頃の幸せな気持ちを思い出しました。すうっと心に入り込みました。わたしは、この演奏がゲルギー会心のブラームスじゃないかと思います。

あー今日はますますゲルギーが大好きになった1日。素晴らしい指揮者だわ〜。
[PR]

by zerbinetta | 2012-09-23 23:36 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)

ゲルギー・イン・リハーサル   

23.9.2012 @barbican hall

valery gergiev / lso

ロンドン・シンフォニーのディスカヴァー・デーの午前の部に行ってきました。午前10時のバービカン・センターは閑散として静かで、夜の音楽会の前の空気とは全然違う。のもいい感じ。今日はゲルギーとロンドン・シンフォニーのリハーサル。今晩の音楽会、ブラームス、シマノフスキ・シリーズ第2夜のリハーサル。

午前10時前、ステージでは音出しをしたり、三々五々集まってくる団員。今日はテレビ・カメラのクルーが来ていました。話しているのを聞くとフランスのテレビ・クルーみたい。どうしましょ。雨だからめっちゃ普段着で来てるし。って映る気満々。ってことはないんですよ〜。ロンドン・シンフォニーのドキュメンタリーを撮るのでしょうか。このあと、オーケストラはヨーロッパのツアーに出かけるみたいですね。

ゲルギーのリハーサル、前半にシマノフスキ、後半がブラームスでした。オーケストラも揃ってさあリハーサルとゲルギー登場。とその前に、テレビの人からオーケストラに説明があって(多分撮影のこととか)、ちょっと長かったので出鼻をくじかれて、ゲルギー、上着を指揮台のバーにかけて開始。どんなリハーサルをするのでしょう。

さらりと音楽を流してました。左手はズボンのポッケに突っ込んで、右手だけでさらりと。音楽をさっと1回通してお終いってリハーサルなのかな。しかし、ポケットに手を突っ込むとはやる気ないのかしら、なんて思っていたのだけど、ふうむ、ゲルギー、右手だけでテンポを示すだけで、まず、オーケストラに自発的な演奏を求めているのね(と、あとで気がつきました)。
黙って全部通すのかなぁと思ったら、お終いの方で止めて、最初の方から細かく練習していきます。今度はちゃんと左手もつけて。そう、最初、オーケストラに自由にやらせてそこから音楽を形成していくのですね。ちょっとたどたどしい英語というか、話し方がそうなのかもしれないけど、でも、要点をついた言葉で、冗談も交ぜて、指摘していきます。でも、言葉でというよりは、ゲルギーがいるだけで音楽が生まれてくるのです。決して身振りは大袈裟ではないし、表情豊かではないのだけど、身体から出る見えないオーラみたいなものが音楽を作っていくのを見るのは、見ていてとっても興味深(おもしろ)い。リハーサルは気になる箇所を重点的に繰り返して、指示はかなり細かいです。アーティキュレイションとか歌い方とかダイナミクスとかバランスとか、ゲルギーがこんなに細かな人だとは思ってなかったですもの、びっくり。ゲルギー以外と粘着質。まあオーケストラが上手いので2、3回で良くなるんだけどね。

休憩後のブラームスのリハーサルも同様。ポイント・ポイントを抑えて細かく作っていきます。こんなにやったらいくら時間があっても足りないんじゃないって思ったら、ちょうど1時に時計を確認して計ったようにリハーサル終了。ゲルギーのリハーサルの効率の良さ、時間管理の上手さにめちゃくちゃ舌を巻きました。ゲルギーが素晴らしい指揮者の所以ですね。それにしても、ブラームスの交響曲のステキさは、部分部分を聴いただけのリハーサルからもう十分に伝わってきます。今夜の音楽会がむちゃ楽しみ♡

リハーサルのあと、リーダーのシモヴィックさんと話し合うゲルギー
c0055376_22224277.jpg

[PR]

by zerbinetta | 2012-09-23 03:21 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)

シーズン開幕!! 今年はゲルギエフ、ロンドン交響楽団 ブラームス、シマノフスキ・シリーズ   

22.9.2012 @barbican hall

szymanowski: symphony no. 1; violin concerto no. 1
brahms: symphony no. 1

janine jansen (vn)
valery gergiev / lso


いよいよ今シーズン開幕です!わたしはシーズン途中までしか聴けないけど、というかちょっぴりかすった程度にしか聴けないけど、シーズン開幕は迎えることが出来てわくわく。今年はゲルギーとロンドン・シンフォニーで開幕です。去年はオペラで開幕してバレエ、そしてオーケストラはロンドン・フィルだったんだけど、今年はオリンピックのためバレエの開幕は遅れて10月、オペラはチケットを取らなかったリングで開幕なのよね。オーケストラの1番はロンドン・シンフォニーから。

今年のゲルギー、ロンドン・シンフォニーの目玉は、ブラームスとシマノフスキの不思議な組み合わせ。シーズンを通して、ブラームスの交響曲全部と、シマノフスキの交響曲全部(4曲ずつ)、シマノフスキの2つのヴァイオリン協奏曲、ブラームスの「ドイツレクイエム」とシマノフスキの「スタバト・マーテル」が演奏される魅力的なプログラム。おそらくシマノフスキは、ゲルギーにとって初めて集中的に採り上げる作曲家。ここ最近ゲルギーは、数年にわたるマーラーの全曲演奏会をしたり、シチェドレンやドゥティユーを集中的に採り上げたりレパートリーの開拓を意識的にしているフシがあります。それと組み合わせられるブラームスは、多分今まであまり振ってこなかった(少なくともロンドン・シンフォニーとの数年間で古典は、サー・コリンさんやガーディナーさんたちに任せていたような感じな)ので、ゲルギーの古典も怖いもの聴きたさで興味あります。ゲルギーは、ロンドン・シンフォニーではお国ものやマーラーや近代音楽で、しっかり自分の良さを見せつけていた感じ。ブラームスでどんな演奏をするのか(ピアノ協奏曲は前に聴いているけど、それは独奏者の音楽が強く反映するから、ゲルギーの音楽とは完全には言い切れない)、聴いてみたかったんです。

今日は、ブラームス、シマノフスキ・プログラムの第1弾。1番です。シマノフスキの交響曲、ヴァイオリン協奏曲、ブラームスの交響曲の全て第1番。それにしても、何でブラームスとシマノフスキの組み合わせなんだろう?全然、音楽が違うと思うんだけど。どちらも交響曲を4曲、残しているからかな?プログラムが有機的に構成されている必要はないけど、何か意味を勘ぐっちゃいますね。
シマノフスキ、大好きなわたしにはもう本当に魅力的な企画。交響曲第1番なんて、こんな機会でもないと聴く機会なんてないし。

シマノフスキの交響曲第1番は、いろんなものが大過剰でちょっとよく分からない感じの音楽。音楽の骨格に、良くしよう良くしようと粘土をべたべた塗っていったらよく分からないものになってしまった感じ。オーケストレイションが、とにかく厚塗りしたようで、かえって不透明になってしまったように思えました。ごちゃごちゃしすぎてそれぞれのパートがくっついた団子のようにお互いの輪郭がはっきりしません。ゲルギーの演奏は、オーケストラを豊かに鳴らしてゴージャスな感じでした。木管楽器はコーヒーの中に渦を描いて沈んでいくクリームのように、クリーミーな輪郭がはっきりしてとてもステキだったし。音のお団子は、でも、演奏の責任ではないなぁ。
曲調は、リヒャルト・シュトラウスに似てると解説には書いてあったけど、わたしはそれほどシュトラウス色を感じませんでした。わたしはむしろ、スクリャービンや初期のシェーンベルクの匂いを感じました。前に聴いた初期の作品、「演奏会用序曲」がシュトラウスと言っても信じてしまうくらいにうり二つだったので、意外。あっでも、世評はやっぱりシュトラウスに似ているとうことなので、わたしの感じ方の違いかもしれません。

ヴァイオリン協奏曲第1番、わたしの大大大好きな曲は、ソリストにジャニーヌ・ヤンセンさんを迎えて。ヤンセンさんは、すごくいいと思ったときがあったり、普通かなと思うときがあったり、多分曲との相性でしょうけど、あなたについていきます! と宣言できる音楽家ではなかったので、今日はどっちかなぁと思いつつ、奇跡がっ!!あわわわ、何だか魂が音楽に連れ去られて、空虚になった体がぽかんとしちゃいました。唖然。圧倒的。第2主題のあたりで涙がぽろぽろ出始めて、カデンツァでがつんと来てしまった。もう最高の出来。一世一代の名演。CDを含めて今まで聴いたこの曲の中で最高の演奏。
ヤンセンさんのシマノフスキは透明なエロス。着エロってのかしら?ちがう?この音楽ってふたつの正反対の要素が、表と裏の曖昧なメビウスの環のように同時に存在しているんですね。静と動。清楚でエロティック。冷たくて熱い。そんな音楽をヤンセンさんは見事に音にしました。冷たい火花がスパークするように、アグレッシヴな熱い感情を冷たい閃光で音にする。めまぐるしく変わるきらきらとでこぼこのガラス玉を通した光りの色彩のような音。情熱的でも熱くならない冷静なコントロール。それを外から俯瞰してではなく、裡から作り上げていく凄さ。
ゲルギーとロンドン・シンフォニーのバックもヤンセンさんを盛り立てるように、あるときは積極的に、あるときはひっそりと、実に上手く音楽をつけていきます。もともとカラフルな音色のオーケストラ。オーケストラとソリストのお互い刺激しあって、協奏の妙を味わいました。

後半は、カジュアルな私服に着替えたヤンセンさんが近くの席に座りました。さっきまで牝豹のように鋭くヴァイオリンを弾いていたのに、今は、すうっと清楚な若者という感じです。かわいらしい。出番のあと、客席で音楽会の続きを聴くソリストさんはあまり多くないのだけど、一緒に音楽好き仲間って気がして嬉しくなりました。
ゲルギーのブラームスは、意外や意外、好きかも。確かに小さな瑕(わたしにとって)もいくつかあった。ティンパニがトーマスさんじゃなくって(シマノフスキは乗り番だったのに)、最初のティンパニの連打がわたし好みじゃなかったり、アンサンブルの乱れがあったのもの、素晴らしい演奏。ゲルギーはあまり仕掛けてきません。じっくり丁寧に堅固な石の建造物を造るように音楽を組み立てていくのだけど、ゲルギーと言ったらロシアものとか思ってる人から見れば、辺境のレパートリーであるブラームスなのに、揺るぎのない自信を持って音楽を作っているのがありありと分かります。どこをとっても、曖昧に誤魔化しているところはなくて、どのひとつひとつの音符もなぜそれがそこにあるのか、そういう風に演奏するのか、言葉で説明できるような演奏です。ゲルギーはブラームスをとても雄弁に語ってる。去年聴いた彼お得意のレパートリー、チャイコフスキーの交響曲第5番の演奏よりも揺るぎない(あのときのチャイコフスキーは、ゲルギーが過去の演奏を捨てて新たな音楽を生み出そうとしている苦悩のが分かりました)。ただ、100%の演奏かというとそうではなく、少し伸びしろが感じられました。

今日のゲルギーは楊枝の指揮棒。指揮棒いらないんじゃね、と思いつつ、それにしても、ゲルギーとシマノフスキ、ゲルギーとブラームスのアフィニティの高さを感じさせる、これからのブラームス、シマノフスキ・プログラムの充実を予感させるのに十分な演奏でした。これはぜひ、CDに残して欲しい。マイクが立っていたし、このシリーズの音楽会、2回ずつあるのできっと録音されるのでしょう。ぜひCDを、とツイートしたら、CD化されるとの回答。これは待ち遠しいですよ。楽しみ〜〜。
c0055376_20564132.jpg

[PR]

by zerbinetta | 2012-09-22 20:55 | ロンドン交響楽団 | Comments(0)

ひとりヴァイオリン・オーケストラ テツラフ バッハ無伴奏   

19.9.2012 @wigmore hall

js bach: sonata no. 2, partita no. 2, sonata no. 3, partita no. 3

christian tetzlaff (vn)

テツラフさんはカヴァコスさんと共にヴァイオリニスト男子の中で一番大好きなふたり。今までもとってもステキな演奏を聴いてきたけど、リサイタルは今回が初めて。それと、テツラフさんはわたしが大好きなヴァイオリニスト、アリーナが師事しているヴァイオリニストでもあるのです。だとすれば、アリーナがこれからどこに向かっているのか分かるような気がするし、同時に、すでにステキな世界を作っているアリーナがテツラフさんのコピーにならないか心配になったり、と聴く前からうんと余計なことを考えてしまいました。こんなことを考えながら会場に座ってるお客さんはわたしひとりでしょう。アリーナにもテツラフさんにも余計なお世話だろうし。

そんな雑念も音楽が始まると霧散してしまいました。テツラフさん凄いっ!圧倒的な奥行きの深さ。1挺のヴァイオリンから奏でられる、フルオーケストラのような多彩な音色と音楽のパワー。テツラフさんが宇宙を司っているよう。音がウィグモア・ホールを越えて天上の宇宙まで鳴り響いてる感じ。音楽の波に飲み込まれるよう。自由自在で饒舌でちょっとおしゃべりしすぎのところは好き嫌いが分かれるかもしれないけど、参りました、脱帽です。

テツラフさんの音楽はとっても筋肉質でがっしりとでもしなやか。どんなパッセージも憎らしいくらい余裕で、豊かな音で弾き切るの。男性の胸の厚さを感じさせる安定感。音楽は、とっても細かいところまで目が行き届いていて無駄な音や曖昧なところは一切ないのに拘わらず、骨太で太い筆で一気に書き上げたよう。立ち留まることなく一本道をずんと迷いなく進む感じ。バッハの音楽が巨大な構造物として眼前に立ち現れる。果たしてバッハをここまで壮大にしていいのかという疑問はあるけれども、かといってロマン主義的な解釈ではなくって、バッハの音楽の芯は外さないことにびっくり。わたし、バッハって宇宙の音楽だとは思っていなかったんです。宇宙は宇宙でも、裡なる宇宙というかミクロ・コスモスというか、小さいけれども無限の広がりを持ったもの、という風に勝手に思っていたんです。テツラフさんはそれを解放して、星々の音楽にしてた。襟を正して、真剣に音楽と対峙せざるを得ない演奏でした。そして、心が熱くなって。
わたしには、前半の2番のソナタとパルティータよりも後半の3番2曲の方が好みでした。特にソナタの第3番は快演。
圧倒されて充実しつつ、ちょっと疲れてよれよれしながらホールをあとにしました。はぁぁ、凄いの聴いた。

最初の話題に戻って、アリーナのさらさらと囁くような演奏(大好きです!)とは全くベクトルの違うバッハ。大声で叫ぶとか演説するような演奏ではないけれども音の圧力がとっても高くて大波を受け止めるような感覚。アリーナは、こういうバッハを目指すのでしょうか。去年、パルティータ2番のシャコンヌを聴いたとき、スケールの大きな演奏をしていたので、もしかするとアリーナのバッハの演奏も変わっているのかもしれません。まだまだ若い、進化途上の音楽家ですから。いつか、彼女の新しいバッハを聴いてみたいです。

ごめんなさい。テツラフさんの演奏に圧倒されたのに、なぜかお弟子で大好きなアリーナのことばかり書いてしまいました。
[PR]

by zerbinetta | 2012-09-19 23:18 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)

日常の表現 ヘッド・スペース・ダンス   

11.9.2012 @linbury studio theatre, roh

head space dance: three & four quarters

studies in m
javier de frutos (choreography)
christopher akrill, charlotte broom, clemmie sveaas

in the skin i'm in 1
didy veldman (choreography)
charlotte broom

in the skin i'm in 2
didy veldman (choreography)
christopher akrill

after the interval
luca silvestrini (director)
christopher akrill, charlotte broom, clemmie sveaas

in the skin i'm in 3
didy veldman (choreography)
clemmie sveaas

light beings
mats ek (choreography)
christopher akrill, charlotte broom


プロムスも終わって、夏の音楽祭シーズンが終わったんだけど、来シーズンの始まりにはまだ間のある中途半端な時期。取りあえずビールじゃなかった、ロイヤル・オペラ・ハウスのリンバリー・スタジオであるバレーを観てきました。ロイヤル・バレエではなく小さなカンパニーのモダン・バレエ。たまにはこんなのもいいでしょう。
わたしはバレエの人ではないし、バレエを観るなら古典、それも全幕ものの物語バレエ、から始まって少しずつ、モダンを観るようになったので、素人も素人。楽しむ自信もありません。そんな感じでのこのこ出かけていきました。自分の好きなものだけを観る、という潔さがなくて、何でも観てやろうと思ってしまう人なので貧乏暇なし。損な性格です。

今日は女性ふたり、男性ひとりの3人のダンサーが踊ります。ヴェルドマンが振り付けた「in the skin i'm in」という、それぞれのソロのために創られた作品が新作です。
たった1回観ただけの素人が言うのもおこがましいんですけど、最初のバッハの音楽に付けられた「studies in m」は、繰り返しの多いアブストラクティヴな作品で、バッハの音楽の無機質な一面を緻密になぞっていく感じ。時計みたい。といって人肌を感じないかというとそうではなくって、確かに踊ってる人の体温を感じるんです。こんな感じは、去年ギエムさんの舞台を観たときにも感じたんですけど、同じ、コンテンポラリー・ダンスでもロイヤル・バレエの舞台では感じなかったので、不思議。出てくる人が少ないからかなぁ。

今日文字通り一番面白かったのは、「after the interval」。リハーサルのシーンとか楽屋落ちのコミカルな舞台なんですけど、おかしくて良く笑いました。舞台で行われていることはある意味、現実の日常。あっそうか。古典は夢を見せてくれるけど、今日の舞台は、日常を見せてくれるんだ。バレエで、自分と地つながりの現実を観るのが、嬉しいかと言われると、わたしは、舞台の夢が観たい人だけど、直接自分の現実に突き刺さってくるものもたまにはいいかな。結構わたし、保守的なんだ。
少しわたしの視野が広がったかな。そうだといいな。
[PR]

by zerbinetta | 2012-09-11 23:51 | バレエ | Comments(0)

お祭り! プロムス・ラストナイト   

8.9.2012 @royal albert hall

last night of the proms

nicola benedetti (vn)
joseph calleja (tn)
jiŕí bělohlávek / bbcsc, bbcso


お祭りです!
プロムスのラストを飾るプロムス・ラストナイト(そのままやん)。とっても人気があってチケットが取れないんです。アリーナとギャラリーの立ち見の当日券もかなり早くから並ばなければ買えないんですね。普通のチケットもくじ引き。プロムスの音楽会を5つ以上買った人には、まず、優先的にチケット購入のためのくじ引きの権利がもらえて(チケットを買うときラストナイト・チケット購入の抽選に参加するかどうか聞かれます。チケットを買ってない人も一般用に割り当てられた席の抽選にあとで参加できます)、ははは〜、今回初めて当たりました!!メイルが来たときにはなんのことか分からずびっくりしました!ラストナイト、テレビで放送されるし、お祭り騒ぎは楽しいとみんなが言うのだけど、実はわたし、それほど興味がなかったのですっかり忘れていたんです。でも、せっかくくじで当たった権利(一生分のくじ運を使い果たしたかも)、もったいないので安い席を2枚(2枚までしか買えません)買うことに。1枚は誰か友達に売ろうと、きっと欲しがる人はいるだろうと買ってみました。チケット売り出しの朝、激戦かなぁと思って1番にサイトにアクセスしたら、すらすらと入れて、チケットもいっぱい残っていて、安くて良い席が買えました。ラッキー♬

お祭りなので演奏の評価はしません。アリーナでは大きな風船がふわふわとはねてたし、鳴り物入りだし、会場にいる人たちは、音楽会ではなくてお祭りを楽しむテンションだもの。でも、演奏はどれもステキでした。手抜きなし。聴くところではお客さんもちゃんと聴いていましたしね。オーケストラは男性は黒の盛装だけど(プロムスではBBCシンフォニーは白のジャケットをいつも着てるんですが)、女性はカラフル。いつもと違って適度に華やか。

でもやっぱり、楽しむべきは、お祭りの雰囲気。しかめっ面で、訳知り顔で、クラシックを聴くという雰囲気は全くなく、みんなが高揚して楽しんでる。大きな国旗を掲げたり(日の丸も何個かありました!)、小さな旗を振ったり。わたしも即席のちっちゃな旗を作って振ってました。なんの旗だって?それはヒミツ。
音楽もポピュラーな小品とちょっとマイナーなのを上手い具合にミックスして、それとちょっぴりビエロフラーヴェクさんのお国ものも、新作も、ヴァラエティに富んでいて、大きな曲は、ニッキー(・ベネデッティさん)をソロに迎えたブルッフのヴァイオリン協奏曲。わたし的には、前にボエームを聴いてときめいてしまったカレヤさんの出番がもっと欲しかったけど、ステキなプログラムだったと思います。カレヤさんもなんか天性の明るさでお祭り気分を盛り上げてたし。ニッキーは文字通り花を添えてたし。このおふたりのゲストはなかなかです。
そしてゲストは他にも。びっくりゲストだったんですけど(情報漏れてた?)、オリンピックのメダリストたちも登場。ジョン・ウィリアムズさんのオリンピック・ファンファーレも演奏されたのでした。ロサンジェルス・オリンピックのとき書かれた曲だけど、かっこいいですよね、これ。ついでに(?)スターウォーズも演奏して欲しかった!

でも、今年のラストナイトのスペシャルは、今シーズンでBBCシンフォニーを退任してチェコ・フィルの指揮者になるビエロフラーヴェクさん。スピーチは下手だけど(失礼。でもそれがかえって飾りのない誠実な人柄を表しているのですね)、オーケストラもお客さんもわたしも彼のことが好きで、もっと長く主席指揮者を続けて欲しいと思っていただけにうんと残念。もちろんこれでビエロフラーヴェクさんとBBCシンフォニーの関係が終わるわけではないどころか桂冠指揮者になることだし、いつまでも良い関係でいてステキな音楽を聴かせて欲しいです。先にCBEに叙勲されているので、メダルをぶら下げて指揮したり。温かな雰囲気で、ビエロフラーヴェクさんを送り出しました。

最後は、プロムスを始めたヘンリー・ウッド、ープロムスの期間中胸像がステージの後ろに鎮座してて、今日はそれに桂冠されました(ラストナイトの行事のひとつ)ーの「イギリスの海の歌の幻想曲」、エルガーの「威風堂々」、パリー/エルガーの「イェルサレム」、「国歌」、と国威発揚コーナー。会場も一緒になって歌うのだけど、わたし歌詞知らないから歌えないしイギリス人じゃないし。まあでも、お祭りということで、にわかイギリス人になって楽しみましたよ(フィッシュアンドチップス好きだし)。最後は隣の人と手をつないで合唱。「蛍の光」が始まったとき、ああ、紅白歌合戦(って確か最後に蛍の光歌うよね?)っても思ったけど、こっちの「蛍の光」、本場スコットランド民謡の、はしみじみしてなくてクリスプ。友達とお酒を酌み交わす歌みたいですからね。

とっても楽しい夜でした。ロンドンにいるうちに1度は経験したいと思っていたので、良かったです。夏が終わったーーって感じです(ロンドンに夏があるのかは別にして)。こんな音楽会、日本にもあればいいのにな。

国旗がはためく会場
c0055376_0115830.jpg

お祭りを楽しむならアリーナ。風船ボールが客席をあっちに行ったりこっちに来たり
c0055376_0123381.jpg

ニッキーとカレヤさん。ビエロフラーヴェクさんが後ろの方に。指揮台も国旗だらけ
c0055376_0125776.jpg

[PR]

by zerbinetta | 2012-09-08 00:03 | BBCシンフォニー | Comments(11)

覚醒!わたしの日本人 能「隅田川」/オペラ「カーリュー・リヴァー」   

7.9.2012 @christ church spitalfields, london

sumidagawa / curlew river

kanze motomosa: sumidagawa

tomotaka sekine (dir)

tomotaka sekine (madwoman), kenkichi tonoda (ferryman),
hideshi norihisa (traveller), etc


-------------------------------

britten: curlew river

david edwards (dir)

jun suzuki (madwoman), akiya fukushima (ferryman),
michio tatara (traveler), jun itoh (abbot), etc.

dominic wheeler / tokyo university of the arts, young british opera singers


語りたい音楽会というものがある。音楽会のあと、一緒に聴いた友達と語り合いたくなる、たくさん言葉にしたくなる、そんな音楽会。それが今日の、能とオペラのコラボレイション、観世元正の能「隅田川」とそれにインスパイアされて作曲されたブリテンのオペラ「カーリュー・リヴァー」の同時上演でした。能は観たことない癖に大好きっぽいし、同じ題材のブリテンのオペラを同時に演るなんてステキじゃない、持っていたウィーン・フィル2日目のチケットをあっさり友達に売って、こちらのチケットを喜々として取ったのでした。しかし、そのわりに、初めて行く教会、いつものようにあっさりと道に迷って、着いたのはぎりぎり、というかちょっぴり時間過ぎてたんだけど、幸運なことにまだ始まっていなくって、ぜーぜーいいながら席に着いたのでした。

会場はロンドンの教会。能舞台は作られていましたが、ずいぶん勝手が違う、というような心配があったものの、舞台袖からの様式的な地謡と囃子方の登場から本物でした。能を観るのはほぼ初めてです。ちゃんと楽しめるのか不安だったけど、楽師がみんな揃って謡が始まるとそんな心配はあっさり霧散。わたしの裡の日本人が目覚めたのでした。その感覚がめちゃ新鮮で、自分のことながら自分でも感動しちゃった。日本人でいて良かったぁ、と。日本にいた頃、毎週末(日曜日だったかしら)、朝のラジオで能楽の鑑賞(?)を目覚まし代わりに起きていたことも思い出して、そうして知らずに能楽に親しんでいたこと、親戚が趣味で能をやっていて能舞台を観たことはないけど小さい頃から何となく能に親しんでいたこと、数回観た能・狂言のことまで、胸に満ちてきて、わたしの日本人が身体の中に膨らんできたんです。だから始まりから涙。それにしても、謡の言葉が理解できたのはびっくり。能って、というか室町時代に作られた「隅田川」は室町時代の言葉で語られると思っていたのだけど、現代語に翻訳してあるのでしょうか、それとも毎週、謡を聴いてきた成果?
舞台が始まってしばらくして落ち着いて見回すと、会場は日本人が多いものの、イギリス人もたくさん。字幕はなし。プログラムにあらすじは書いてあるものの、理解出来るかしらってちょっぴり心配だったけど、こんなとこに来るのは先鋭的なアンテナを張った人ばかり。あと出回りの反応をうかがったら楽しんでた様子。わたしの鼻もちょっぴり高くなりました。(多分、本当は外国人の方には、ブリテンのオペラを先に演って、あとから能をやったら話が理解しやすかったかもしれませんね)

能の経験値があまりに低いので、上手く評価することは出来ません。でも、めちゃくちゃ心に響いたことは確かです。普段西欧音楽ばかりを聴いてるわたしにとって、音楽の斬新さは、日本人ですから一応教養としてくらいは知っていても、もう目眩がするくらいの段差。西洋の音楽とは、全く理を異にする音楽は、日本に生まれていながら日本のことをあまり知らないわたしにはものすごく新しいものに聞こえました。
舞も、余剰が完璧に削ぎ落とされ、白い和紙に書かれた水墨画のように、余白の大きな動きの少ない所作は、普段バレエばかり観ているわたしには新鮮。そういえば、この能のスタイルで「トリスタンとイゾルデ」を演出したいなという大きすぎる野望を持っているわたしでした。
音楽も舞も、西洋のそれと比べたら極めて抑揚が少ないのだけど、でもお腹の底から沸いてくるうねりのような表現のかたまりは、狂女が語る物語と共に蓄積され、1周忌の供養をされている子供が、拐かされて別れた自分の子供であると明かすクライマックスで放たれた巨大なエネルギーが涙腺を崩壊させる。でも本当のクライマックスは、そこではなく、物語の緊張が静まったあとに子供の声が聞こえて迎えるのですね。さっきのクライマックスが心を揺り動かされるどうのクライマックスとすると、最後のは心が止まる静のクライマックス。平安とも諦観、もしくは無情とも取れる全く正反対の要素を複雑に配合した終わり。わたしは、東洋人なので悟るように立ち尽くしました。

それにしても、能を観てこんなに心が揺さぶられるとは思いもしませんでした。今日の演者たちは、多分、観世流の方たちだと思うのですが、能の家のことを全く知らないわたしにはそれがどういう仕組みなのか全く分からないのだけど、とっても素晴らしい演じ手であったことはわたしにも分かりました。だって、観るものを引き付ける強さは半端ではなかったんですもの。子供の声は、女性の方でしたが、能って女性もいるのですね。初めて知りました。

休憩中にオペラの舞台、ごみのようなものでステージを飾って、が作られました。そして、来日した折に「隅田川」を観て感激したブリテンが作曲したオペラ「カーリュー・リヴァー」。隅田川は架空の川、カーリュー・リヴァーになってますが、物語は基本的に能を踏襲しています。というか、ほとんど変えていない。このオペラを観て、ブリテンがいかに「隅田川」に感動したか分かります。そして、芸術家の異文化の芸術を受け入れる懐の深さ、理解力に驚愕しました。多分、他の文化をきちんと理解して自分の裡に受け入れるのには、その人の中に確固とした自分の文化があることが必要でしょう。残念ながらわたしには、日本人としてのそれがなくて、どの外国の文化もぼんやりとしか理解することが出来ません。その決定的な違いに気づかされたような気がします。

ブリテンのオペラは、能楽師の登場に変えて、カトリック教会で神父たちが香を焚き歌いながら教会堂の中を静かに歩くように、聖歌を歌いながら登場人物が会堂からステージに上がって始まります。ブリテンの作品には、「ビリー・バッド」とか(もしかすると「ピーター・グライムズ」も)(キリスト教の)宗教的な香りを感じる音楽があるのだけど、このオペラもそのひとつかもしれません。外見的な、例えば始まりと終わりが教会の宗教儀式のような体裁をとっていることもあるけど、もっと本質的に、このオペラの内容に宗教的なものを感じたのです。わたしは、ブリテンがキリスト教を信仰していたかどうかは分かりません。それに、ブリテンの音楽の内容が、例え「ビリー・バッド」で十字架を象徴するようなところがあったとしても、キリスト教に則っているとは言えません。もう少し、曖昧な宗教観を感じます。「カーリュー・リヴァー」では、最後の場面、子供の声が聞こえてくるところですが、に救いのようなものを感じたのです。そしてそれは、とても興味深いことに「隅田川」の精神とは全く違います。「隅田川」には空虚な無常観が感じられけど、「カーリュー・リヴァー」は満たされた平安。それにしても、同じ題材で、同じ登場人物(名前は変わってるにしろ)、同じ物語、で再創造したものが、外見はそっくりなのに別の内容になってるのが素晴らしい。能をただオペラに翻案しただけではなくって、芸術が創造されてる。多分それが、先に書いた、文化の受容の凄さにつながってるんだと思う。

とても小さな編成の器楽アンサンブルと、主な歌手は日本人でした。アンサンブルは、ウィーラーさんの指揮とオルガンの元、東京芸術大学の大学院生が主なメンバーでしたが、とっても上手かったです。各パートはソロでかなり難しいと思うんだけど、難なくこなしていて素晴らしい音楽を聴かせてくれました。歌手の皆さんもとっても良かったです。狂女のスズキ・ジュンさんが特に印象的でした。なんかわたしよりきれいだし。
演出も休憩時間に舞台にごみ(のようなもの)を配置して、ううう、ちょっとあれかな、と思ったんですが、観てみるとそれはちゃんと舞台に合っててしっぽりと背景になっていました。狂女は変に着飾ったホームレスさんのような、おかしな衣装で、近くの若いカップルはずうっと笑っていましたが、お話の内容に合っていて、いろいろ変な飾りがぶら下がった帽子を取るという形での場面変換も工夫されていてとっても雄弁だったと思います。能と同じように舞台がシンプルなのでこれが凄くドキリと効果的でした。

こちらの舞台もむっちゃ感動しました。ずしりときました。そして、誰かとたくさんおしゃべりしたいと思いました。もちろん、今観て感じたこと、考えたことをです。なんだか、わたしの裡からたくさんの言葉が湧き水のように溢れてきて、ひとりだったのが寂しかったほどです。一晩中でも語り明かしたいと思いました。

会場の運営は、(ロンドン在住の?)日本人の、多分、芸大の関係者の皆さん、のボランティアで行われていました。それがなんだか、自分たちの舞台を作るんだみたいな、学園祭ののりみたいな、仄かな熱気に包まれていて、ステキな雰囲気でした。演じ演奏してくれた人たち、準備されてた人たちにありがとうと声を大きくしていいたいです。
(そう言えば全然関係ないけど、葉加瀬太郎さんが前半の能を観てらっしゃいましたね)
[PR]

by zerbinetta | 2012-09-07 00:32 | オペラ | Comments(2)