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半沢直樹の生涯に読み替えって、あれっ? 東京楽友協会交響楽団第95回定期演奏会   

2013年9月29日 @すみだトリフォニー

ブラームス:大学祝典序曲
ワーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から第3幕への前奏曲、徒弟たちの踊り、第1幕への前奏曲
シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

松岡究/東京楽友協会交響楽団


はがきが来たんですよ。ご招待の。この間聴きに行ったからかなぁ。招待されればもちろん行きます。ツイ友の人、乗ってるしね。ふふふ、楽しみ〜。
昨日の都民交響楽団がものすごく上手かったので、今日はどうかなぁってちょっと思っていたけど、今日も純粋に音楽を楽しめました。東京楽友協会交響楽団もすごく上手い。前回聴いたときは、弱音での弦楽器の音の強さが弱いなって思ったけど今日はちっとも気になりませんでした。

大学祝典序曲は生では初めて聴くかも。ずうっと前にラジオから流れてきたのを聴いたとき、何これ?ブラームスの出来損ないみたいな、ドヴォルジャークの曲かなぁなんて思って聴いていたらブラームスその人の曲で。ブラームスの交響曲全集みたいなのの余白にもあまり入ってこない曲よね。まあ名誉博士号をもらったときにお礼の印に書いた機会音楽なんだけど。でも、今日ちょっと考え改めました。だって、声部の対位法的な絡ませ方とかステキなんだもの。そして、それは指揮者とオーケストラがクリアに声部を際立たせて演奏していたせい。素晴らしいです。

次の「マイスタージンガー」はよくある第1幕への前奏曲だけではなくて、第3幕への前奏曲、第3幕の「徒弟たちの踊り」、第1幕への前奏曲が続けて演奏されました。プログラムを見たとき、最初のは第3幕の終曲(第1幕への前奏曲が合唱を伴って回帰される)と勘違いして???でしたが、前奏曲だったんですね。これはとっても良いプログラミング。第1幕への前奏曲は、管弦楽曲として華々しく終わるし(オペラの前奏曲はそのまま終わらずに本編につながる)、最後に還ってくる音楽でもあるから第3幕のオーケストラ部分のいいとこ取りのよう。オペラは歌合戦に6時間もかけるのって、ワグネリアンでないわたしはうんざりするんだけど、これならばコンパクトで良いです。わたし向き。多分、大学のオーケストラでは必ずやる定番(ってわたしの大学だけ)なので勝手知ったる堂々とした演奏でした(強引な帰結)。第1幕の前奏曲がオペラの中の曲のように、あまり重たくせずにすうっと演奏されたのも良かったです。

そして「英雄の生涯」。「マイスタージンガー」の前奏曲と一緒に演奏されたことによって、この2つの曲が似ているなぁって思いました。堂々とした英雄的な幅広い主題、柔らかな愛の動機、主人公を哄笑する細かな音符、そして、「英雄の生涯」の勝利のクライマックスと「マイスタージンガー」のダヴィデ王の動機のリズム。まっこれらは穿った勝手な解釈なんだけどね。でも、そう思って聴くとヒミツを発見したみたいで楽しい。
コンミス(コンサートマスター)のソロを乞うご期待とのことでしたけど、難しいソロを健闘して弾いていました。すごいですね。音楽全体を支えるソロですもの。もしわたしがコンマスだったら絶対辞退する!欲を言うともっと色気をってことなんですけど、やっぱり甘さ控えめの日本人は、甘すぎて頭が痛くなるようなヨーロッパのお菓子を食べてないとほんとのことは理解できないのかもね。一般論だけど。でも、どろどろしない描きすぎない内助の功は、代わりになぜかテレビドラマの「半沢直樹」の内助の功の描き方を思い起こさせてくれて。あっちらりちらりと見ただけで素っ頓狂な感想かも知れませんが。そうして、英雄の生涯の主人公が、シュトラウスではなくて脳内で半沢直樹に置換されて、でも、なぜかぴったり合うよね。お役所の攻撃を妻の愛に支えられて蹴散らす半沢直樹。勝利するもなぜか左遷されて、思い出に浸りつつ、ときにお役所の理不尽を思い出しながら死んでいく半沢直樹。そんな話だよね、だいたい?

それにしても素晴らしい「英雄の生涯」でした。指揮者とオーケストラの間もとっても上手くいってるような、お互いに信頼しあって演奏していた感じです。このオーケストラも長く聴き続けていきたいオーケストラですね。
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by zerbinetta | 2013-09-29 00:11 | アマチュア | Comments(0)

プロコフィエフってもっと快活でユーモアのある人だと思うよ 都民交響楽団第116回定期演奏会   

2013年9月28日 @東京文化会館大ホール

シベリウス:交響曲第6番
プロコフィエフ:交響曲第5番

冨平恭平/都民交響楽団


連戦です。中野から上野に行く間、電車にゆられてアマチュア・オーケストラをどんなふうに聴くか、楽しむかつらつら考えていました。一流のプロの演奏を聴くのと同じなのか、聴く方として同じように音楽を楽しめるのか、なんてことをとりとめもなく。答えがでるでもなく、いつかこのお話はしてみたいと、未来に向かって賽を投げて。

都民交響楽団は幻のアマチュア・オーケストラとも言われているそうです。なぜって定期演奏会が全部往復はがきで申し込みの招待制だかららしいんです。招待制っていうのはいいんだけど、往復はがきとは。。。それを当日、会場でチケットと引き替えなきゃいけなくて、長蛇の列。2000人ばかりの人にふたりの人で対応するのだから。これもうちょっとなんとかできないのかなぁ。来た人に良い席から確実に配分できるのは良いことだけど(無料の指定券を送る方式だと来ない人もいるだろうから)、それでもちょっとアナクロ感はぬぐえないよね。並ぶの嫌いだし。

そんな負の感情のまま音楽会へ。ところが。音合わせの音を聴いて、しゃきん。いい音じゃない。期待してもいいかな。でも、プロコフィエフはともかく、シベリウスの交響曲第6番は、始まりの透明な弦楽アンサンブルが命になるので、アマチュアには難しいかなって思ったんです。でも、このオーケストラの透明感はどうでしょう。プロ並みと言ったら言い過ぎだけど、ものすごく高いレヴェルで音楽してる。っていうか、技術的なことにあまり惑わされずに音楽に集中できる。すっきりした演奏もわたしの好み。前に聴いたサラステさんの演奏のような解釈。第1楽章の真ん中あたりの木管楽器の速いパッセージのバランスとか、第1楽章の最後で大胆にテンポを落とすとか、平穏さを保ちながら進む最終楽章とか。弦楽器があまりヴィブラートをかけないのもステキ(これは、アマチュアのオーケストラの弦楽器の特徴かな?)。演奏の姿勢に、ではなく純粋に音楽に感動しました。

プロコフィエフの交響曲第5番は、ねっとりと糸を引く重さ。なんだかとても気分が重くなるような暗い音楽。テンポは基本的にインテンポで、焦らされるほどにゆっくり目。確かにプロコフィエフのこの曲にそんな面もあると思うんですよ。でも、同時にプロコフィエフの音楽って突き抜けるユーモアもあると思うんです。そのユーモアの部分がほとんど感じられませんでした(特に第3楽章と第4楽章のヴォーカロイドの歌が似合う速い楽章で)。最後もっとはちゃめちゃに速くなってくれーーーって思いながら聴いていたけど、息が苦しくなるまで潜って、死にそうになって最後、水面に出てぷはーと息した感じ。我慢に我慢を重ねて我慢し尽くした。そこまで徹底的に重苦しい曲なのかな、とプロコフィエフ好きのわたしは思うのです。そう言えば、前に聴いた金山さんの演奏も同じような感じだったな。経験が少ないのに強引だけど、日本の人はプロコフィエフの音楽をこういうふうにみてるのかしら。もっとたくさん聴いてみたくなりました。

オーケストラは穴がなくてとても上手い。コンサートマスターの人のソロはなかったけど、この人めちゃ上手そう。ずっとにこやかに弾いていて。あとで調べたら、ヴァイオリンの先生で、練習用のCDまで出している方なんですね。どうりで。このオーケストラは、練習が厳しくて(毎回出席することを義務づけてる)、団員になっても4年に1回、試験があるそうです。めちゃ音楽に真面目。こういうオーケストラを聴くのはいいな。(ただ、全てのアマチュア・オーケストラがみんな、こんなふうに厳しくなるべき、とは思いません。趣味で音楽をやるのにはそれぞれいろんな制約があるでしょうから)

アンコールには、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。弦楽器とティンパニの音楽。この曲もとても美しく演奏されました。シベリウスステキ。管楽器はお休みだったので、きっとあると思っていたとおりアンコールはもう1曲。今度は、プロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」から行進曲。この軽快な行進曲もなんだか随分重く演奏されちゃいました。ユーモア満載のオペラなんだけどな。冨平さん、シベリウスはとってもステキに演奏するのに、プロコフィエフはわたしの好みからするとちょっと重すぎ。この人は透明度の高い音楽の方が得意なのかも。

このオーケストラ、一発で好きになってしまいました。はがきを出しても当たるかどうか分からないけど、せっせと聴きに行こうと思います。チケットが必ずもらえる賛助会員になればいいのかな。
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by zerbinetta | 2013-09-28 23:59 | アマチュア | Comments(0)

バレエ教室発表会初潜入 クリビア・フィルハーモニカー管弦楽団第4回定期演奏会   

2013年9月28日 @中野ゼロホール

シュトラウス:「バラの騎士」組曲
ベートーヴェン:交響曲第7番
プーランク:バレエ「牝鹿」(全曲)

田中舞花(演出)
クリビア・バレエカンパニー
山口琢也/クリビア・フィルハーモニカー・フェストコア、クリビア・フィルハーモニカー管弦楽団


想像するに、オーケストラの皆さんってバレエの伴奏するのだるいと思ってると思うのよ。その証拠にロイヤル・オペラ・ハウスのオーケストラがバレエを演奏するときの、テキトーさったらときに頭にきちゃうもの。バレエ観てる人は演奏なんて聴いてないし、酷いときには音楽だけの部分はお喋りしてたり、やってられんよ、っていうのは少しは分かるけど、音楽と共に総合芸術よね。
そんな感じなので、楽しむためのアマチュア・オーケストラ、わざわざバレエの伴奏に特化したオーケストラがあるなんて思ってもみませんでした。でも、これがあるんですね。びっくりして、チケット取っちゃいました。でも、考えてみれば、「白鳥の湖」とか「くるみ割り人形」とか「ロミオとジュリエット」とか、オーケストラとしても全曲演奏してみたい曲っていっぱいありますね。バレエ音楽好きがいたっておかしくない。今回は半分が純粋オーケストラだけど、バレエの全幕ものもやるそう。

道に迷いながら(駅の反対方向に出てしまった)会場に到着すると、れれれ、家族連れ多し。というか、アマチュア・オーケストラの音楽会って元々家族連れが多いのだけど、今日は年齢層がいやに低い。席のまわりで子供がはいはいしてたり。公演のママ友の年齢層。お兄さんお姉さんが出てるの?

プログラムの前半は、舞曲をテーマにしたオーケストラの音楽(ベートーヴェンの交響曲第7番も舞踏の聖化って言われたでしょ)。後半のバレエのステージのために、ステージ前方はマットを張っているのでオーケストラは後ろの方で演奏しました。なので、ちょっと響きが鈍い。おっ、わりといい音出すなと思ったら、なんだかちょっとうるさい感じがしてどうしてかなぁと思って聴いていると、あっそうか、バランスが悪いんです。みんな同じように音を出していて、大きい音の楽器も小さい音の楽器もそれぞれの楽器のフォルテやピアノで吹いてるから、全体としていびつになってるんですね。オーケストラ全体のバランスの中で音量を決めなきゃいけないのに。オーケストラの人がそこまで分かってない、とも言えるけど、指揮者の責任大きいですよね〜。あと、「バラの騎士」はもっとねっとりとした色気が欲しいと思いました。いきなりセックスのあとシーンから始まるオペラですから。甘さ控えめのケーキなんて食べてたらダメです。ウィーンの脳天に突き刺さるような甘いお菓子を食べて演奏しなくちゃ。あっ全然関係ないけど、アウローラ管弦楽団の女神様、ここでも弾いているのですね。あれっと思ってメンバー表を見たら名前がありました。

後半はバレエ、「牝鹿」。プーランクのこの曲は聴いたことがなかったのでこれを聴きたかったのです。あと、多分アマチュアのバレエってどんなんだろうって。で、予想が大きく外れてしまいました(無知なだけ)。新国とかで観るようなバレエをアマチュアががんばって踊るんだろうと思っていたんだけど、街のバレエ教室の発表会の良くできた版なんですね。踊る人は幼稚園児くらいの子供から(だからママ友層多かった)、大人のバレエ、まで。かわいいっていったらかわいいし、幼稚園児といえどもわたしよりよっぽど上手に踊るのだけど。。。バレエ好きだけど、自分がバレエをすることに全く縁のないわたしはちょっと居場所を間違えたみたいでおしりがむずむずしてしまいました。ただ、演出は、もちろん完全芸術優先ではないけど、踊れる人にはそれぞれ短い見せ場(といっても高速回転するとか難しいリフトするとかそんなんじゃないけど)が作られていてなかなかよく考えているなって思いました。男女3人ずつ、ソロの人が、教室の先生もしてらっしゃるのかな、牧阿佐美バレエ団の人でした。ひとりかっこいい男の子いたよ〜〜♡
もしかして、この中に将来のスターになる人もいるのかも知れません。街のバレエ教室がどんなものなのか、将来プロのダンサーになる人は特別な教室に行くのか、そういうのよく分からないので、っていうか知り合いのことかもいないので、また来るかと言われれば(今度は全幕ものをやるそうです)、ううん、と言葉を濁してしまうかも知れません。でも、こういう場はきっとステキだし、アマチュアのオーケストラがそんな活動に絡んでいるのはとっても嬉しいです。プーランクの洒落た音楽も楽しめましたよ。ロイヤル・オペラ・ハウスのオーケストラもこれを見習って真面目な態度で演奏して欲しいです。
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by zerbinetta | 2013-09-28 22:30 | アマチュア | Comments(0)

おお!意外と顔覚えてるぅ アウローラ管弦楽団「大地の歌」特別演奏会   

2013年9月22日 @ミューザ川崎

タネーエフ:歌劇「オレスティア」序曲
マーラー:大地の歌

小林由佳(メゾソプラノ)、志摩大喜(テナー)
長田雅人/アウローラ管弦楽団


ロシア専門オーケストラのなぜかマーラー。宗旨変えしたの?って訝しんだら、プログラムによると、団員さんが何人か不惑の年を迎えるので記念音楽会をやろうというノリで、定期公演でない特別演奏会だからロシア以外でもあり、ということだったらしい。まぁ、本人さんたちがいいのならいいんだけど、女神様がコンサートマスターではないのは(前回のビルによると女神様を中心に集まってるオーケストラとのことだったので)、忸怩たる思いでいる人もいるのかなぁと勝手ドラマを妄想したりして。でも、何となく見覚えのある人が第2ヴァイオリンの2列目に座っていて、今日の女神様は下々に降りてきたのね、なぁんて思ったというか、自分でも顔を覚えているのにびっくり。親の顔ですら間違ってしまうわたしですから。
まあでも、「大地の歌」の解説にタコの交響曲第14番との関連が書いてあったりして、ロシア・オケの意地がぽろりと。ただね〜〜、「少ない練習回数、なかなか参加者が集まらなかった」等を理由にして聴き苦しい点を言い訳するのは、このオーケストラのことが聴く前から嫌いになるほど、言ってはいけない魔法の呪文。バルス。
公にステージで演奏する以上、プロもアマチュアもなく、ほんとはもっとできたんだ、なんて言い訳することもなく、音楽をしなきゃいけない。それが、音楽に対する最善の奉仕でしょう。それができないのなら演奏なんて止めちゃえ。

かなりがっかり来た。好きだったのに。
そんな気持ちで聴き始めた、タネーエフの曲。タネーエフの名前も初めて聞きました。作曲家として有名、というより先生として、スクリャービンやラフマニノフ、プロコフィエフなどを育てた人なんですね。凄い。自身はチャイコフスキーに作曲を習って、彼のピアノ協奏曲のロシア初演でピアノを弾いているんですね。作風は、だから、ロシア的というより、チャイコフスキーのように西欧的な感じ、と思いました。ただ、ちょっと演奏が、この曲の良さを引き出すところまではいっていませんでした。それほど、凄い曲ではないので、そんな中から良さを見つけて引き出すのは難しいことだけど、前にこのオーケストラを聴いたときに印象的だった「好きこそ」の覇気があまり感じられませんでした。ぼんやりした感じ。初めて聴く曲だけど、プログラムの解説がとても分かりやすいガイドになっていて、嵐の果てに最後、突如美しい旋律が現れる、平安のうちに曲を閉じるんですけど、ティンパニのばちを前半と後半で変えれば良かったのにって思いました。嵐が晴れたのに、ドンヨリとした音色のままだったので。

「大地の歌」って難しいですよね。どうなることかと思いました。というか、歌が。。。テナーはオーケストラに完全に消されてしまってました。オーケストレイションの薄いところでも、なのでちょっと致命的。正面で聴いていたので場所が悪かったということではありません。もちょっとがんばって欲しかった。メゾソプラノは、この曲には声が軽くて明るいなと思いましたが、健闘。こちらは楽しめました。
オーケストラは、第1楽章はちょっとと思った箇所もあったけど、プログラムに言い訳書いてた割には健闘。皆さん、結構マーラーの音楽の弾き方を分かってらっしゃる。背景の作り方とか和音のバランスとか、分かってないととんでもないものになるもの。管楽器は、かなり健闘していて、フルートのソロやバスクラリネット、セカンド・ホルンの人が上手かったです。あとチェロのトップ。ただ、弦楽器の音程の悪さはもうちょっとなんとかして欲しかった。ファジーな音程やばらばらなリズムがデフォルトで出せるアマチュア・オーケストラのために誰か、現代作曲家が曲書いてくれればいいのに、なんて失礼なことを考えながら聴いていました。第6楽章に至っては、ひとりひとりもうかなり音程がずれてきていたので、一度、音合わせをすれば良かったのにと思いました。
長田さんの演奏は、さくさくと速めのインテンポで、オーケストラが綻ばないように引っ張っていたと思います。これが彼の本来の音楽かどうかは分からないけど、成功していたのではないかしら。カチカチと無情に進む時計のように、でも思ってもみなかった意味で無常感を感じました。う〜ん、やっぱり「大地の歌」は難しいです。

今回、オーケストラの言い訳姿勢にはがっかりしたけど、上から目線で言うと、もう一度チャンスをあげましょう。次の音楽会でヘマをやったらもう愛想を尽かします。上手いとか下手とかそういうのじゃないんですよ。愛です愛。
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by zerbinetta | 2013-09-22 00:19 | アマチュア | Comments(4)

かっけぇぇーー イブラギモヴァ、ティベルギアン ベートーヴェン、Vnソナタ全曲演奏会 第3日   

2013年9月20日 @王子ホール

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第6、3、9番

アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)
セドリック・ティベルギアン(ピアノ)


クライマックスの「クロイツェル」を含む最終日。わたし的には、最初の日がクライマックスで、「クロイツェル」は凄い曲だけど、まだまだ、という気があったんだけど、一気にひっくり返ってしまいました。「クロイツェル」がーーー。

音楽会は、第6番から。この曲も第1楽章のかわいらしい旋律が大好きなんですよ〜っていつも大好きって言ってるような気がしますが、でもだって、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ、どの曲も大好きなんだもの。もうたっぷり音楽に浸っていたかったのに、集中力を欠くちょっとした事件があって、大丈夫かしらと思ったけど、音楽の求心力が強くてしっかり音楽につながっていられた。普通ならちょっと動揺してしまうのに。アリーナとセドリックとベートーヴェンの作る磁場には余計な雑音は入り込めないのね。続くしっとりとした2楽章もいいですし、明るくかわいい3楽章もステキ。この曲もピアノとヴァイオリンのバランスが絶妙で、優しい音楽。セドリックのクリスタル・クリアーな音色もこの曲に合ってるしね。強引な自己主張が見られないアリーナとセドリックの演奏だからこそ、かえってベートーヴェンの音楽の素直な明瞭さが生きるのかな。彼らの演奏の偶数系が特に好き。

第3番は、おや、モーツァルトっぽいと始まりつつ、あらぬ方に行ってしまう一筋縄ではいかない感じ。第2番と共にわたし的にはベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの中で一番マイナーな曲だけど、アリーナとセドリックの演奏は楽しく聴けてしまう。突然移り変わる表情が見事に表現されていて、それは音だけじゃなくて、弾いてる姿にも表れていて、音楽って耳で聴くだけはなくて、目で観ても楽しまなくちゃって思う。(極論かも知れないけど)耳の聞こえない人でも音楽会って楽しめると思うし、ライヴでの圧倒的な情報量の多さは、家でCDとかでしか音楽を聴かないなんてもったいなすぎというか、音楽の多くの部分を知らないまま終わっちゃってると思うんですよね。

それにしても、今回のベートーヴェン、ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会で感じたのは、前に聴いたときとアリーナとセドリックの演奏が予想通り豊かに深化してると思ったのと同時に、わたしの裡でこれらの音楽に対する理解が深まっていて、より面白く聴けたこと。彼らの演奏をウィグモア・ホールで聴いたときは、わたしはまだ、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタをほとんど知らなかったと思うんです。CDは持っていたので聴いたことはあっても、聞き込むってことはしていなかったし。わたしがこれらの音楽をたくさん聴いたのは、アリーナとセドリックのウィグモア・ホールでライヴ録音されたCDで。なのでわたしにとってここが原点なのね。だから、アリーナとセドリックの演奏には特別な思い入れがあるし、わたしにとって聴き慣れた標準的な演奏。だけど、より深化した彼らと、少しだけ音楽に親しくなったわたしの化学反応は、予想以上に幸せな果実。本当にベートーヴェンの音楽が好きになったし、これから、彼らの音楽を聴き続ける楽しみを再確認できたのが嬉しい。ほんと大好きなおふたり。

お終いは「クロイツェル」。これは特別。こんな曲を弾くときアリーナは、女神というか神の乗り移った巫女のよう。最初の独奏部分から、CDになってる3年前のウィグモア・ホールでの演奏と比べてリッチ。バッハの無伴奏でも音楽のスケールが大きくなってるのでさもありなんで完爾。そして駆け抜けていく音楽の疾走感と集中力は唖然、というか腰が抜けてあわあわと聴いてしまう感じ。正直、鬼気に迫る感じは、髪が肩まであって髪の毛が弓に絡まないのかって緊張して聴いていた、弓の毛を何回も切った、ウィグモア・ホールでの方が凄かったけど、彼方からニヤリと振り向いた余裕の感じられた今日の方が、聴き手のわたしの変化もあって、ぞくぞくした。がしがしと弾ききってふうっと空中に放り出されるように優しい音楽が鳴る対比も1ミリのずれもなくて、濁らない白黒のコントラスト。かっこよすぎ、というか、口をあんぐり開けてかっけぇぇーー。第2楽章は、今までの曲の緩徐楽章で聴かせてくれた、ロマンティック寄りな演奏ではなくて、即物的な感じ。高音で透き通って空を舞う音色に合わせて、そこから音楽を作っていった感じ。グラマーな艶のある音楽ではなくて、不純物を含まないきらきらと反射する渓流のような音楽。最後のプレストは、楽しく弾けるような音楽だけど、アリーナとセドリックの演奏は、(クロイツェルの全体がそうだけど)コントラストの強いモノクロームの音楽。一流の写真家のモノクロームの写真が、カラーのより遥かに情報量が多くて、目に見えない裏に潜むものまで表現するように、彼らも音楽の奥にあるものまで表現しているよう。彼らの演奏した音楽を受け止めるのには、わたしがまだまだ成長しないとダメだな。口を開けて腰を抜かしてたらダメなんだ。もっとちゃんと向かい合わなきゃ。相手は天才ベートーヴェン、天才音楽家たちだもの。

アンコールの「春」の緩徐楽章には、完全に1本取られてしまいました。前の日と同じようにシューベルトが来ると思ったのに。そして、昨日の演奏にもまして優しくロマンティックに語られた音楽は、心の高揚を鎮めて、甘いデザートを食べたような心持ちにさせてくれました。なんとステキな音楽会の幕引き。3日にわたる音楽会の最高のエンディングです。アリーナとセドリック、本当にありがとう。そしてまた、ステキな音楽を聴かせて下さい。その日を心から楽しみにしています。
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by zerbinetta | 2013-09-20 00:30 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)

シューベルトの風 イブラギモヴァ、ティベルギアン ベートーヴェン、Vnソナタ全曲演奏会 第2日   

2013年9月19日 @王子ホール

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5、2、10番

アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)
セドリック・ティベルギアン(ピアノ)


アリーナとセドリックのベートーヴェン、ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会の2日目。今日は「春」のある日。「春」って「田園」交響曲みたい。嵐の来ない「田園」。(第1楽章に嵐成分ちょっぴり入ってるけど)って今日急に思い至った。情景は違うけど気持ち的には似てるの。スケルツォも入って組み立て方も似てるしね。
そんな「春」すうっと澄やかな演奏。もう少し、デモーニッシュに仕掛けてくるかと思ったけど、のどに透き通る微炭酸の発泡水のような心地。とは言え、細部まで丁寧によく仕込み抜かれた演奏。おいしい水、おいしいお米みたいに気づかずにいっぱい食べちゃうけど、それはおいしいからとさりげない極上にあとで気づいて嬉しくなっちゃうような。アリーナの伴奏にまわったところが実にバランスがとれててステキなの。それにしてもこのおふたり、絶妙のバランス。ふたりだけなのに、全然音色も音量も違う楽器なのにオーケストラのアンサンブルのように音楽を奏でる。最高のオーケストラは室内楽のように演奏するって言うけど、最高の室内楽はオーケストラのように音色を混ぜるんじゃないかな。そしてやっぱり、緩徐楽章がうんと丁寧に歌われていてステキ。ロマンティック寄りだけどロマンティックになりすぎない、心から歌ってるのに歌いすぎない絶妙な感覚。古典からロマンへ渡る橋の途中の視界のきいた眺め。それでこそ、ベートーヴェンにしか見られなかった景色。時代にまたがるベートーヴェンにしか書けなかった音楽。アリーナとセドリックの演奏からは、何ものでもない、どんな色眼鏡も通さない、ベートーヴェンその人の音楽が聞こえるんだ。

第2番はそのおふたりのアンサンブルがとても行き届いた演奏。この曲、とても大胆で実験的で、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタの中で、一番よく分からない感の残る音楽。ショパンのピアノ・ソナタ第2番のお終いみたいに。シンコペイションも多いし合わせるの大変そう。いきなりスケルツォのような音楽で始まるし、ヴァイオリンの扱いも独特。でも、しっとりと哀愁に満ちた緩徐楽章や楽しいフィナーレもあって魅力的。アリーナとセドリックの気心の知れた、でもお互いにドキリと刺激し合うアンサンブルの演奏は、勝ちが分かってるスポーツの試合を途中の展開にドキドキしながら安心して観ているような心安けき緊張感。こういう曲は親密なアンサンブルの演奏で聴きたいよね。

第10番は、他のソナタたちが若い頃に書かれているのにぽつんと離れて、いわゆる晩年スタイルになろうとしている時期に書かれた曲。と、なんだかつまらない解説めいた書き方をしたんだけど、それが受け売りでも知識でもなく、音楽となって聞こえてきたの。形式的なものをわざと壊して、気ままな散歩のような、ベートーヴェン自身が築いてきて完璧に仕上げたものを壊して、新しい世界に入り込んでいく音楽。そしてそこに確かにシューベルトの風を感じる。シューベルトってベートーヴェンより随分後って感じがするけど、シューベルトが亡くなったのってベートーヴェンが亡くなって1年半後。だからシューベルトの生きた時代ってベートーヴェンの晩年にほぼ重なって、ふたりはウィーンの同じ空気を吸っていた。ベートーヴェンはシューベルトを知っていたのか知らなかったのか分からないけど、この第10番の演奏からは確かにシューベルトのエコーが聞こえたの。
突然行き先を失って逍遙する音楽は、アリーナとセドリックのおふたりにかかると、新しい景色の発見にはっとするステキな音楽。街角に立って景色を見回すと、見たことのない風景に誘われるかのように目当てのない道を選んでしまう。でも、その寄り道こそが楽しいんですよね。このおふたりの演奏は、今この瞬間に生まれる新しい景色を初めて見るように驚きつつ即興的に楽しんでるように聞こえる。もう何度も演奏して、隅々まで音楽を知っているのに、音楽がいつも新しく湧き上がってきて、今この瞬間をおふたりが、そしてわたしたちが愉しんでる。こんな演奏そうそう聴けるものじゃないと思う。でも、この人たちいつもそんな音楽をするのね。ライヴの人。だからきっと好きなんだ。

「春」の緩徐楽章もそうだったけど、今日の演奏、あっ昨日もだ、ゆっくりした楽章が、とても豊かに歌っていて(でも歌いすぎない)とてもロマンティック寄り。アリーナだったら、ヒストリカルな楽器でピリオド・スタイルの演奏を選択することもできたと思うけど(彼女のカルテットではこの時代の音楽をピリオド・スタイルでもっぱら演奏してるしね。その場合セドリックはフォルテ・ピアノを弾くかどうか分からないけど)、この楽器で弾いている必然性がよく分かりました。現代楽器の良さを武器にして、でも決してロマン派以降の弾き方ではない、素顔のベートーヴェンの音楽を弾いてるのね。そして、ヴァイオリン・ソナタを書いたそれぞれの時代のベートーヴェンの音楽を弾き分けてるのね。全10曲のソナタを作曲順に弾いていく、聴かせていくというのもありだけど、こうして違う時代の作品を混ぜることによって、作品の特徴がよく分かって面白かった。それをさりげなく弾き分けるアリーナ凄い凄い。

今日のアンコールもシューベルトのソナチネ(昨日は3番からで今日は1番から)。ほら、シューベルトとベートーヴェンつながってる。
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by zerbinetta | 2013-09-19 22:58 | 室内楽・リサイタル | Comments(2)

歓喜の再会 イブラギモヴァ、ティベルギアン ベートーヴェン、Vnソナタ全曲演奏会 第1日   

2013年9月18日 @王子ホール

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第1、4、8、7番

アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)
セドリック・ティベルギアン(ピアノ)


アリーナのプチ追っかけのわたし、もう小っちゃな胸がはち切れそうになるほど期待していた音楽会です。アリーナとセドリックのベートーヴェン、ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会。ウィグモア・ホールの再来です。そして今日は中でも一番楽しみにしていた、名のないソナタ、第1番、4番、8番、7番。有名なのが入っていないけど、大好きな曲の組み合わせ。しかも、CDにもなっているウィグモア・ホールでの音楽会、この回だけは聴けなかったんです。完全なソールド・アウト。フレンズの時点で売り切れていてわたしには手も足も出ず。リターン・チケットも全く出ませんでした(あとの2回もソールド・アウトだったんですけど、リターンが出て聴けました)。そんな貴重な音楽会、日本ではわりとすんなりチケットが手に入った様子。今日のは間際まで残席があったのですが、今日の時点で売り切れ(他2回はすでに売り切れ)。日本でのアリーナ人気も盛り上がってきたようで嬉しいやらチケットが取りづらくなりそうで困ったやら。

とか言いつつ、今回はセドリックを聴こうと思ってきたんです。CDを聴くうちに、アリーナとセドリックのライヴを聴くうちに、ややっセドリックただ者ではない!ってなってきて。イケメンだし。
結論から書くとその通り。今日のセドリック、凄かった。完全に音楽をリードしているというか、全休符ではっとするような間を取ったり、アグレッシヴにアリーナを追い立てたり、ライヴならではのやりたい放題。アリーナも相手知ったるセドリック、余裕綽々で受けて立って完璧に合わせてくる。このおふたり、今日は仕掛けに仕掛けてお客さんを驚かせてやろうって話し合ってたかのような熱演。それでいて決して音楽が崩れない、どころか嵐のベートーヴェン、なのに客観的でもあり、まあもう楽しかった。風邪を引いて薬のせいか、上のまぶたと下のまぶたがくっつきそうだったのに、演奏を聴き始めると興奮して音楽に没入。

今日のアリーナとセドリックの演奏は、速めのテンポで一気に一筆で音楽を描き上げるような感じ。しかも細い筆ではなく太い筆で。アリーナの音は、前にも増して、艶や豊かさを増していて、表現の幅が広くなってる。透き通った弱音も、ヴィブラートの自在さも健在。息継ぎをしないような長いフレージングは、ひとつ間違えるとフレーズの切れ目が曖昧になって音楽が訳分からなくなっちゃうけど、そこは見事にコントロールして、思い切ったアクセントと相まって、切羽詰まった渇望感をよく出してる。反面歌うところは、ステキに歌ってロマンティック度が2割増し。ベートーヴェンの音楽から迸る嵐のような激情を素直に包み隠さず聴かせてくれるの。やっぱり、ウィグモア・ホール(CD)のときから深化してる。
とはいえ、CDで聴かせてくれたある種の完成度の高さからは、後退している。今日の彼らには、何か新しいものを見つけるための葛藤を感じたの。1回完成させたものを壊して、もっと深くに潜る、新しい発展途上。いつの日か、彼らの納得のいくベートーヴェンができあがったら、とてつもない新しい世界の予感。その芽が今出てきたところ。そしてそれが放たれたとたん、古くなって新しい峰を登り始めるんだわ。倦くことのない探究心。

第1番は、わたしの大好きな曲。若々しくてかわいらしくて。第1楽章は弾き始めで、ちょっぴり慎重なところがあったけど、第2楽章の静かなところとアグレッシヴに来るところの対比ったら。セドリックがかなり仕掛けてきてアリーナを刺激する。今日のセドリックはとても積極的。荒ぶれた音楽でも、決して音を壊したりしないぎりぎりなところで、客観的にコントロールされているのがさすが。アリーナも激しいところでは激しく、静かな部分では、空に漂ってるベートーヴェンの魂から音をすうっと引き出すように紡いでいく。音楽の生まれる瞬間のふわりとした生毛。美しくて激しい音楽に涙が出そうになる。青春の疾風怒濤。切れば血が飛び散る音楽。

第4番の冒頭でアリーナの弓があさっての方に滑っちゃったのにはドキリ。アリーナも一瞬苦笑い。短調のこの音楽も青春の嵐。今日の主題は、嵐の青春かしら。快速テンポで激しい音楽が続きます。彼らの発展途上が若いベートーヴェンの発展途上と重なって、そして、わたしの親譲りの無鉄砲でむやみに未熟な青春に重なって、音楽がわたしとシンクロナイズする。嵐のあとの澄み切った空気や甘くて少し酸っぱい恋や、チョコレイトのようなほろ苦い友情、健やかな歌。アリーナの音楽ってどうしてこんなに居心地が良いのでしょう。そう思うのわたしだけ?そんなことないですね。一緒に聴いていたお客さんもアリーナとセドリックの音楽に心を動かされている、そんな空気を感じました。でもどうして?好きという以外にまだ言葉を見つけられていません。

第8番もわたしの大好きな曲。ベートーヴェンのかわいらしい系の音楽が好きなの。アリーナの演奏もかわいらしい系に向いてるような気がしてたし。セドリックの左手のバスが、心臓の、歩く足の、くるくると考えを巡らせる頭の、体のリズムとちょうど合って心地よい。特にアンダンテのリズムがわたしの体と心と歩調を合わせていて気持ちよく刻まれるの。裏拍の大きなアクセントが、こんなにも楽しく心を弾くなんて。やっぱり好きだ〜〜。これで、ダンサブルなフィナーレがもっと弾けて足踏みばたばた踊りまくれば完璧。いつの日かの次へのお楽しみ。

アリーナがぜひベートーヴェンのソナタで聞いて欲しいと言っていた第7番。短調の緊迫感のある第1楽章。でも、ベートーヴェンの短調って不思議と悲しみ成分低めなんですね。なんかもっとポジティヴなエネルギーに満ちてる。泣きながら前に向かって走ってる感じ。それが証拠にすぐに一転明るく無邪気な旋律が出てくるもの。雨の空と虹の対比。でもやっぱり、この曲の演奏も緩徐楽章が絶品。前に増して豊かに艶を帯びた音色で静かに歌うのがとろけるようにステキで、迸る感情のというより(理知的な)言葉の嵐のような音楽と見事に対比されて音楽に健全な中心点を作ってるような気がします。どの曲も音楽の作り方に説得力がある、というか、音楽の中にあるものを上手に引き出して、ただうっとりと体中で音楽を聴いていれば幸せって感じられる演奏でした。たくさんの発見や心を掴まれるドキリがあったけど、それでいて音楽にトゲがなく素直ですーっと入ってくるところが、ほんと極上のブルゴーニュの白ワインを飲むみたいで、ほんのり体が上気してステキな夜でした。
アンコールはかわいらしいシューベルトのソナチネ。

明日も楽しみです。
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by zerbinetta | 2013-09-18 00:13 | 室内楽・リサイタル | Comments(2)

アリーナとセドリックの来日公演を勝手に応援する   

いよいよ今週末、来週と名古屋と東京でアリーナ・イブラギモヴァさんとセドリック・ティベルギアンさんのリサイタル、3夜にわたるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会がありますね。日本でアリーナのマネージメントをしているユークラシックさんや王子ホールのサイトに彼女のインタヴュウやエッセイが掲載されていました。キーーッ、何でアリーナのことたくさん聴いてるわたしにエッセイ書かせないのーー、なんてじたばたする。はずもなく素人のわたしも勝手にアリーナとセドリックの日本公演を応援することにしました。思い入れだけは人一倍あるから、わたしもちょっと参加してもいいかなって。主観タップリでお目汚しですけど。

アリーナとセドリックのデュオの特徴は、お互いが独立した音楽家で対等であるということ。わたしは、アリーナを協奏曲で初めて聴いたとき以来のアリーナのプチ追っかけでいるのだけど、最初の頃はアリーナのソロやキアロスキュロ・カルテットでしか聴く機会がなくて、アリーナとセドリックのデュオを初めて聴いたときもアリーナの音に耳を集中させていました。でも、よく聴いていくと、セドリックのピアノがアリーナの演奏を引き立てるという以上に、アリーナに仕掛けたり、仕掛けられたり丁々発止の音楽的な対話をしているのに気がついたんです。1+1が3にも4にもなるような、化学反応というより核反応。聞き耳を立てて聴くと、セドリックが痒いところに手が届く演奏をするだけではなくドキリとするような音を弾く瞬間にぞくぞくするの。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタは、だからアリーナを聴くんじゃなくてアリーナとセドリックのスリリングな音楽を聴くんです。そしてその空気感はライヴでしか伝わらないことも多いと思うの。わたしも日本での演奏曲目であるベートーヴェンのヴァイオリンソナタのCDを持っているけど、そのうちの2つは、あの会場で聴いていたという幸運に恵まれています。会場が熱くなるようなエクサイティングな音楽。でも、CDで聴くと同じ音なのに何かが物足りないんです。そこに記録されている演奏はとても素晴らしいし、CDは愛聴版なんだけど、会場での音楽は遥かに凄かった。そんな機会を日本でも持てるなんてなんて幸せなんでしょう。

アリーナとセドリックは若い!だからちょっと目を離したすきに、ぐうんと進化します。アリーナとセドリックでラヴェルやルクーのソナタを3回聴いたけど、毎回少しずつ変わってきて、日々変わっていく音楽を感じることができました。バッハの無伴奏の大きな深化は驚異的です。最後に聴いた去年の演奏はCDで聴かれるのとは全然違う畏敬の念すら感じさせる、宇宙の真ん中にいるような音楽でした。そのとき「CDのとは全く違うさらに素晴らしい演奏でした」と感想を述べると、「そうでしょ」と、してやったりの表情を浮かべていたアリーナが印象的です。

アリーナとセドリックは、同じ頃、BBCのニュウ・ジェネレイション・アーティスト・スキームをもらっていて、そこからデュオが始まってる。2005年。だからおふたりは若くてももう長く組んでいる成熟したパートナー。最強のパートナーと言って良いでしょう。こんなに長くパートナーを組んでるのはムターさんとオーキスさんくらい?おふたりの音楽の相性がいいんでしょうね。

アリーナもセドリックもライヴの人。CDには収まりきれない音楽と即興性がある。ヴァイオリンを弾くアリーナの集中力にはすごいものがあります。弓の毛を何本も切りながら髪を振り乱してがしがし弾いたり(わたし的にはナンバーワン弓の毛切りすと)、すうっと伸び上がるように柔らかな高音を弾いたり、最近は低音もものすごくグラマラスになってきました。セドリックも意味ありげに誘うような音を入れたり、アリーナ以上にエキサイティングに盛り上がったり、さりげなく柔らかな和音を弾いたり。音楽は音だけで楽しめるものではないんです。耳と目と体全部で体験する芸術だということをおふたりは否応なく教えてくれるでしょう。

ロンドンのウィグモア・ホールでもチケットを取るのが困難な音楽会です(そのこと自体がとても珍しいのです)。
だから、ベートーヴェンのソナタは彼らのCDを持ってるし、と欠席を決め込んでいたらもったいなさ過ぎ。CDで知ってる人も、まだ知らない人もぜひ、聞き逃してはいけない音楽会です。ちょっとでも興味を持ったらぜひ。きっと、CDに満足している人ももう一度録音して〜〜と叫びたくなるような演奏が聴けるはずです。東京の方は、最後の日はもうチケットが残っていないみたいだけど、「春」も「クロイツェル」もない1日目の音楽会が一見地味なプログラムだけど、彼らの良さが一番出るプログラムだと思いますよ。
(ちなみに女子的にはセドリックはイケメンさんですよ♡ウフ。そしてアリーナはとってもかわいらしい人です)
何年か前に、「今度はぜひおふたりで日本に来て下さい」ってお願いしてみたことがついに実現です。ワクワクしています。
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by zerbinetta | 2013-09-09 13:57 | 随想 | Comments(2)

譜面をめくる音と共に音楽が始まる サントリーホール国際作曲家委嘱シリーズ   

2013年9月5日 @サントリーホール

フランチェスコ・フィリデイ:全ての愛の身振り
細川俊夫:松風のアリア ーオペラ「松風」より
細川俊夫:トランペット協奏曲「霧のなかで」
リゲティ:ミステリーズ・オヴ・ザ・マカーブル

バーバラ・ハンニガン(ソプラノ)
ジェロエン・ベルヴェルツ(トランペット)
多井智紀(チェロ)
準メルクル/東京フィルハーモニー交響楽団


サントリーホールのサマーフェスティヴァルのひとつ、チケットが当たったので行ってきました。テーマ作曲家、細川俊夫さんの音楽会、管弦楽の方です。それにしてもわたしとサントリーホールの相性の悪さといったら。今日も地下鉄間違えてしまった。溜池山王駅ってわたしが日本を離れるちょっと前にできたんですね〜。どうりで。わたしがいた頃は六本木駅からてくてく歩いて行きましたもん。というわけで、音楽会に先立って行われた細川俊夫さんへのインタヴュウは遅刻。途中から聴きました。

今日の音楽会では主役の細川さんの他に、それを挟むように、フィリディさんとリゲティの曲が演奏されました。細川さんのお話によると、細川さんの音楽は生真面目、彼らの音楽には突き抜けた不真面目さがあるとおっしゃっていました(ちょっと記憶が曖昧で正確な言葉ではないのですが)。
始まりのフィリディさんの音楽は、大太鼓と、えっ?なんの音?ヴィオラの人たちの譜面をめくる音で始まりました。要所要所でヴィオラの(そしてときにはチェロも)譜面をめくる音(きっちりと拍を揃えて)が音に加わります。大太鼓の音は弔いの音でしょうか。一定のリズムが心地よいのです。チェロの独奏は多井さん。こういう曲弾き慣れている感じでとても上手い。チェロのパートはオーケストラと対立すると言うより、オーケストラの空気の中に溶け込んで漂うように歌っている感じ。チェロの音は、こんな抽象的な音楽でも人肌のような優しさがあるので好き。曲のタイトルを知らないで聴いていたのですが、わたしには、山の自然の中の音楽。鳥の声とか風の音とかそんな音たちが聞こえていたように思えました。途中、何か大きな力が加わってそれは破壊されてしまうのだけど、徐々に静まるとまた大太鼓の静かな音に自然の音たちが戻ってきて、破壊と再生の物語のように思えました。うん、これは良い曲。でも、作曲者本人によるプログラム・ノートを読むと全然違ったんですけどね。音楽によってわたしの中から紡ぎ出されたものと作曲者が紡いでいるものは、絡まり合うのか絡まないのか分からないけど、わたしにはわたしの聴き方しかできないしそれでいいの。
追伸:フィリディさんは、今どきのちょっとお洒落な芸術家ふうのお兄さんでした。

細川さんのは休憩を挟んで2曲。オペラ「松風」より松風のアリア。ハンニガンさんの歌とベルヴェルツさんのトランペットの独奏が入ります。わたし、細川さんって基本的にオペラティックな作曲家だと思うんですね。例えば、協奏曲の独奏のとらえ方がそうなんですが、独奏に「人」を当てている。これってまさしくオペラの歌ではないですか。オペラの歌は人間そのものですから。「松風」と言うからには和風の音楽を思い浮かべたんですけど、さにあらず。きっちりとした西欧オペラの音楽になっていました。現代オペラにありがちな、歌を意識するあまり、中途半端なメロディ的な要素を持ってくる過ちを犯すことなく、かといって人間の声が楽器的、機械的な音にならずに、ちゃんと歌われていてすごいなぁと思えます。きっと成功したオペラではないでしょうか。残念ながらわたしは、細川さんのオペラを聴いたことがないけど、ぜひ聴いてみたいと思いました。

トランペット協奏曲は、今回の委嘱作品。サントリーホールと北ドイツ放送交響楽団との共同委嘱です。今日が初演。NDRの方は来年の3月に初演です。先にも書いた、インタヴュウでもおっしゃっていたとおり、細川さんは協奏曲を、人(特にシャーマン的な性格を持つ)(独奏)とそれを取り巻き、ときに荒々しく覆い被さる自然(オーケストラ)の対立として関係づけているとのことで、このトランペット協奏曲にもそのような側面があると言います。特に、トランペットに課せられる人声の歌(独奏のベルヴェルツさんがジャズか何かの歌手でもあり声がいいということから使ったそう)は、人間としての楽器に上手くはまっているそうなんです。声は、マウスピースを取った楽器の管を通したり、直接叫んだりだったんだけど、異質なものではなくて、トランペットという楽器の一部のように聞こえました。
「霧のなかで」というタイトルのように、オーケストラは終始静かに曖昧な音でまわりを包み込むのだけど、わたしにはソロとオーケストラが対立ではなくて、和解しているように強く感じました。

最後は、リゲティのオペラ「グラン・マカブル」からの音楽。このオペラは観たことがあります!訳の分からないカオスのオペラですけど、むちゃ力強い傑作。その中の音楽を抽出したものですけど、どの部分かは思い出せませんでした。何しろはちゃめちゃな物語、歌詞、音楽なのですから。オーケストラは少人数のアンサンブル。指揮者はなくて、銀髪のカツラを被ってボンデージ・ルックの歌手のハンニガンさんが、なにやら指揮の真似をしているのは、オペラの演技的なものをかねてかなと思って観てたら、変拍子とかも実に正確に振ってオーケストラを合わせているのが見えて、真似事ではなく本当に指揮していたんですね。そしてその指揮と、歩いたり地団駄を踏んだりの動きがオペラのコミカルさを出していてとても良かったです。まっすぐ立って歌ったら、この曲、はちゃめちゃなオペラから持ってきたこの音楽はとてもつまらないものになってしまったでしょう。歌も素晴らしかった。これはもう八面六臂の大活躍のハンニガンさんが圧倒した世界でした。今日の音楽会、完全にこれに集約されてしまいました。素晴らしすぎ。わたしの観たオペラは、残念なことにハンニガンさんは出ていなかったんですけど、ハンニガンさんでまた観たいなぁ。どこかで上演されないかしら。無理?
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by zerbinetta | 2013-09-05 23:50 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

愛の大暴走 アントネッロのモンティヴェルディ「ポッペアの戴冠」   

2013年9月3日 @川口リリア音楽ホール

モンテヴェルディ:ポッペアの戴冠

彌勤忠史(演出)

和泉万里子(ポッペア)、彌勤忠史(ネローネ)
澤村翔子(オッターヴィア、運命の神)、酒井崇(オットーネ)
末吉朋子(ドゥルジッラ、美徳の神)、和田ひでき(セネカ)
赤地佳怜(アモーレ)、他
濱田芳通/アントネッロ


愛って正義も運命を良識も何もかも踏み倒して暴走していく、それでこそ愛。まわりの人を殺したり追放したり不幸にして真実の愛へと暴走していく暴君ネロ(ネローネ)。愛の果実は、部下の妻、ポッペア。オペラは、ネローネとポッペアのW不倫の本気の愛を朗らかに讃えます。愛最高。愛が一番。あらすじを読むと昼ドラ真っ青のどろどろとしたお話なのに、実際、普通の演出では笑いの要素はあってもシリアスな感じになるのに、これをロッシーニばりの喜劇に翻案。音楽も自由度を生かして現代的な要素も採り入れながら、はちゃめちゃに楽しくビートを刻み、ロック魂。字幕もそれに合う言葉を使って訳してたし(コメディ・ドラマを観ている言葉遣い)(バーズマンさんのミュージカル版「ラ・ボエーム」が同じように字幕を1950年若者言葉に直して成功)、たまに出てくる笑いを取る日本語のセリフも粋。それが今日の「ポッペアの戴冠」の印象でした。

バロック以前の音楽の専門集団、アントネッロが3回にわたって繰り広げるのは、オペラの創始者(事実はモンティヴェルディの前にオペラを書いた人はいるので、彼の「オルフェオ」は史上3番目のオペラということになるのですが)モンティヴェルディの3つのオペラ、「オルフェオ」「ウリッセの帰還」「ポッペアの戴冠」。今日はその1回目、「ポッペアの戴冠」です。
わたし、モンティヴェルディを偏愛しているので、この公演の情報を知ったときは狂喜乱舞。すぐにチケットを買って心待ちにしていました。特に「ポッペアの戴冠」は、まだ1度も観たことがなかったので期待度大です。モンティヴェルディのオペラはオペラ史の上でも重要だし、オペラ史上最高傑作のひとつでもあるのに、なかなか演奏されないんですね。現代のオーケストラではなく、バロック・オーケストラが必要なせいもあると思うのですが(確かレスピーギが現代オーケストラ用に編曲していますね)、バロック・オペラをなかったことにしている感といったら。バロック・オペラを主に上演する小さな劇場(昔のオーケストラは音量が小さいので)がどこか(地方がいいな)に欲しいですね(この状況は海外でも似てはいますが)。

川口には初めて来ました。意外と近いのにびっくり。埼玉ってもっと遠いと思ってた。リリア音楽ホールは中規模のホールで、バロックの楽器を演奏するのに適したサイズ。オーケストラピットはなくて、オーケストラはステージの上で演奏。その後ろに台が誂えてあって、そことオーケストラの前でオペラが演じられます。ステージ後ろの上のパイプオルガンのあるバルコニーが神さまの世界。オペラ・ハウスのステージをフルに使うのとは違うので、セットの変更とか演出上の制約はあるけど、歌とオーケストラが一体となって聞こえるし、シンプルな演出なのでかえって良いのです。オーケストラを挟んで後ろと前に分けたことによって、場の違いや奥行きも十分感じられましたしね。

まず、喜劇ということについて書きましょう。
確かに、リブレットを丁寧に蒸留して不純物を取り除いて抽出すると、このオペラ、愛のドラマになる。最後の2重唱なんてほんとに美しい愛の賛歌。そして、夫も妻も理を唱える哲学者も愛の邪魔者。なので、わたしたち誰もが知る(史実はそうだとも言い切れないとしても)暴君ネロとポッペアの良識や理性の困難を乗り越える愛の物語として語られるのに他意はないと思うの。まあポッペアの側には女の打算(皇后になるという)も見え隠れしているので、単純な男と狡猾な女の影絵も見ることになるのですが。物語の暗い部分、ネローネを諫めることにより、死に追いやられる哲学者セネカ、恋敵、ポッペアを殺そうとする企みがばれて島流しに遭う皇后(元妻)をさらりと流して、喜劇の隅に配置するというのは秀逸な演出。それらの人のお付きの人たちが狂言回しに上手くはまっているのが良いの。
それにね、今の時代、真実の愛って滑稽でもあると思うのよ。周りも見ずに自分を失って愛に溺れるって、本人たちは真面目でも端から見れば可笑しくない?真実の愛=不義の愛、陰惨な陰謀と悲劇をからっと笑い飛ばして見せるのは、道徳離れした物語への強烈なカリカチュアでもあると思うのよね。
そしてそれは、神々の世界でも同じ。最初のプロローグで、この物語の本質が決定された演出も分かりやすいし良かったです。神さまなんてそんなもの。だって人間の写しなんですから。(ワグナーの「指輪」も内容通りに音楽をもっと軽くおちゃらけたものにしたら良かったのに)愛の神アモーレの傲慢ぷりったら。運命も美徳も愛にかなわないって。愛のまま、愛欲の思うとおりに生きる世界、ムフフ、ちょっと見てみたい、やってみたいような気もするけど、どんなカオスになるのでしょう。だからこそ笑い飛ばすしかない。
喜劇にするために、設定を極道の世界にしています。ネローネはやくざの組長、オッターヴィアは極道の妻、ポッペアは愛人から正妻にのし上がるホステス、というように。それが、モンテヴェルディのオペラの世界観をとても分かりやすくわたしたちに伝えている感じがして成功していました。

歌手は男声陣が良かったです。ネローネのカウンター・テナーの彌勤さん、演出もかねて大忙し、がものすごく安定していてカウンター・テナーでこんなにふくよかに自然に歌えるのかって驚くほどだし、セネカの和田さん、オットーネの酒井さんもとても良かったです。
女声では、ポッペアの和泉さんがすごく良かったです。アモーレの赤地さんも良かったけど、いいときと悪いときの差があったかな。でも、全体的にとても良くまとまっていたので歌手に不満はありません。
濱田さんのアントネッロもすごく良くて、特に即興的なところや、深い打楽器のビート感(アントネッロの十八番(?))は、古い音楽を聴いているというより、今のわたしたちの音楽の感覚に近いものを聴いた感じです。休憩後の第2幕の始まりは、打楽器(タンバリン)2台のセッションがロックのノリでびっくりしました。見慣れない昔の楽器(ガンバとかシターとか角笛みたいなコルネットとか)を含むオーケストラは今のオーケストラとは全く違うけど、博物館的な音楽ではなく、現代感覚溢れる乗りのいい音楽を演るのがこの楽団なんですね。日本で古楽を聴く層がどんな人なのか分からないけど、クラシックになじみのない若者にかえってアピールできそうな音楽です。ぜひそんな人たちにも聞いてもらいたい。

ほんとに素晴らしかった音楽会だったんですが、一点だけお小言。ホールの関係で1回の休憩を含めて3時間に収めるために省略が少しあったのが残念でした。10時までしか使えないホールもなんだかなぁって思うし、そんなホールを借りちゃうのもなんだかなぁって感じです。音楽会が終わってロビーに出たとたん、施設の閉館時間ですから早く出て下さいと言われるのはせっかくの楽しいオペラのあとにちょっと無粋でした。

次回は12月に「オルフェオ」。今度は短いので大丈夫でしょう。モンテヴェルディの最初の「オペラ」、牧歌的でのんびりした音楽(でもそれがステキ)をアントネッロがどんなアプローチでやってくるのか、今からすご〜く楽しみです。バロック聴いたことのない人もぜひ。
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by zerbinetta | 2013-09-03 09:53 | オペラ | Comments(2)