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音楽を続ける意思? 新日本交響楽団 第91回定期演奏会   

2013年10月27日 @すみだトリフォニーホール

ワーグナー:リエンツィ序曲
シベリウス:交響曲第6番
ドヴォルジャーク:交響曲第9番「新世界より」

新田ユリ/新日本交響楽団


台風一過の青空。気持ちよ〜い秋空。こんな透明な空気はシベリウスによく合いそう。というわけで、シベリウスの日本での第一人者のひとり、新田さんが大好きなシベリウスの交響曲第6番を振るというので聴きに行ってきました。オーケストラはアマチュアの新日本交響楽団。最近は東東京のホールを中心に音楽会を開いている、もうすぐ結成50年の老舗アマチュア・オーケストラ。期待できそう。

演奏が始まる前に、プログラム冊子を見ると、指揮者の新田さんによる、シベリウスの交響曲第6番の解説。第6番と第7番につながる旋法と調性について、先のインキネンさんと日フィルの第6番と第7番を続けて演奏したことに稿を起こして(彼女はインキネンさんとプレトークを行った。そしてこのやり方に疑問を持っているとのこと)、充実した内容、というかもっと読みたい。字数制限があって(?)言いたいことが言い切れていない(第7番については今日は関係ないので、短くしか語られていない)ので、シベリウスをテーマにした講演みたいのしてくれないかしら。ぜひいろんなお話を聞いてみたい。

リエンツィ序曲は、トランペットのソロで始まったときから、おや?初めて聴く曲だわ、変ねぇと思ったら、曲が進むにつれて、聞いたことのある音楽が聞こえてきて、単に始まりの部分を忘れていただけなのでした。わたし的にはこの曲は、ローエングリンとマイスタージンガーの合わせ技的な感じがするんですけど、新田さんは、じっくりとねちっこく(テンポも遅めなのかなぁ)、後期のワーグナーのスタイルで演奏したのでした。恋愛禁制の序曲やホ長調の交響曲のようなヴェルディのオペラ的な影は聴かれませんでした。休符の部分の音楽にちょっと不満を感じましたが(音が切れたとたんに音楽も切れてしまうような感じ)、丁寧な音楽作りには好感が持てました。つかみOK。

リエンツィ序曲に続いてシベリウスが演奏されるのだけど、弦楽器の人が全員舞台袖に引っ込んだのにちょっとびっくり。曲ごとにいったんみんな舞台を降りるのかなって思ったけど(どこかのオーケストラがそうだった)、そうではなくて、ハープを指揮者の前に持ってくるためでした。ハープがなにげに活躍する曲だけど、こんな配置は初めて。新田さんのこだわりかしら。
シベリウスの交響曲第6番はアマチュア・オーケストラには難易度の高い作品だと思う。始まりの弱音での弦楽合奏の透明感は、かなり上手に弾かないと出せないと思うんですね。それに、後期のシベリウスらしい、細かい音符とフレーズをアラベスクのように重ねて作る音楽は、アンサンブルがよっぽど上手くないとばらばらに崩れちゃうと思うんです。とは言え、先日、都民交響楽団のステキな演奏を聴いてるので、アマチュアだからと言って無理だとは言えないな、と思っていました。
今日の新日本交響楽団は、とっても健闘していたんだけど、始まりの和音の音の取り方が、わたしにはしっくりこなくて、どこがいけないのか分からないんだけど、ちょっと居心地の悪さを感じてしまいました。普段聴いているCDとかと違う曲な感じに聞こえてしまいました。そんな感じでドキドキしながら聴いていたら、中間の弦楽器が細かい音符で囁き合うのが続くところで、弦楽器の人たちが訳分からなくなってしまって、多分、木管楽器も落ちてしまったと思うんだけど、止まってしまいました。ドキリとしたけど、さすが新田さん、何でもないようにさっと指示を出して、ちょっと先の部分から仕切り直し。新田さんは各パートの入りを全部明確に指示しながらの指揮。演奏を最後まで進めるやり方。もちろん、練習のときに新田さんの音楽は伝えてあるのだろうけど、残念ながら音楽をするというところまではいきませんでした。それでも、どうしてか、心に来るものはありました。音楽を続ける意思というもの?よく分からないけど、ちょっとじーんときました。

このオーケストラって、新田さんの指揮だったからかも知れないけど、指揮者が思ってるのと一瞬遅れて音が出てくるように感じました。ちょっと消極的というか自信がないわけじゃないと思うんだけど、闇の中に音を発して引っ張っていく人がいないように感じたんです。もっと攻めていった方がきっと良くなるよ。

最後の「新世界より」は、安心して聴けました。第2楽章のイングリッシュ・ホルンもとても上手くて、シベリウスよりも弾きやすいせいかな、のびのびと演奏していたように思います。新田さんも、部分部分のテンポとか短い音符の切り方に彼女の音楽を聴かせてくれて、良かったと思いました。今日のMVPは、ティンパニかな〜。男の人も女の人もとってもしっかり叩いていました。

新交響楽団の次の音楽会は、イギリスものです。どんな音楽が聴けるのか楽しみにしましょう。
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by zerbinetta | 2013-10-27 23:45 | アマチュア | Comments(0)

マーラー 2部からなる交響詩 1889@ブダペスト   

マーラーをちょっぴりかじったクラヲタさんなら、交響曲第1番に「巨人」というニックネームが付いてること「いや、それは間違い。交響詩から交響曲にしたときに「巨人」というタイトルは省いた(事実ではない模様)」と言って文句を言ったり、うんちくを披露したりするかもしれませんね。そう、現在、普通に演奏されている交響曲第1番は、4楽章でタイトルはありません(ただ、「巨人」のタイトルは広く受け入れられてるし、ちなみに国際マーラー協会のウェブ・サイトにも交響曲第1番(ニ長調)「巨人」とあります)。これは、1896年ベルリンで初演されて、そのあともマーラーがオーケストレイションに手を入れた版(最初の出版は1899年)ということになります。
そこに「花の章」という小さな独立した楽譜があるのでこんがらがっちゃうんです。「花の章」は、2部5楽章形式の最初の交響詩(1889年、ブダペスト)とその改訂版の「巨人」、交響曲形式による音詩(1893年、ハンブルク)の第2楽章で、後に4楽章形式の交響曲になるときに取り去られました。各段階でオーケストレイションはだいぶ変わってるので、だから、最終的な4楽章の交響曲に、うっちゃっておかれた「花の章」を挿入して演奏するのは、古くなったキッチンをリフォームしてオール電化にしたのに捨てておいたガスコンロを電磁調理器の上に置いちゃうくらいの違和感なのね。「花の章」の楽譜が見つかって出版された頃は、そういう録音もあったけど(そういえばつい最近のユロフスキさんとロンドン・フィルのも。あのときのがっかり感ときたら)、今はちゃんとハンブルク稿の「巨人」のCDが出てる(細かいことを言えば、この版でマーラーは2回演奏しているので厳密にハンブルクで演奏した楽譜に基づいているのか2回目のワイマールでの演奏(このときのタイトルは交響曲「巨人」)に際して行われたと思われる改訂も入ってるのか、マニアックなことを言い出したら切りがないんだけど)。そうそう、交響曲第1番の解説によく書かれている、各楽章の表題、例えば「座礁、カロ風の葬送行進曲」とかは、この版で採られたもので、前身の交響詩にも、あとの交響曲にもないものなんですね。

で、その前の交響曲第1番の完全オリジナル稿である1889年(明治22年だって)のブダペスト稿は楽譜が見つからず、ハンブルク稿の下書きにちろっと残ってるペイジを見て想像するしかなかったんです。この前までは。でも最近楽譜が見つかったんですよ。カナダのアルノルト・ロゼ・コレクションで(ロゼはマーラーの甥)。90年代に見つかったそれは、但し、第1楽章と第3楽章(スケルツォ)とフィナーレ。第2楽章(のちの「花の章」)と第4楽章(葬送行進曲)はなかったんですね。でも、発見された草稿を元に演奏可能な楽譜を起こして、既存の(ハンブルク稿)の「花の章」と第4楽章を組み合わせて、ブダペストで演奏されたのと可能な限り近い形で演奏されたのでした。
この版の制作に関わったのは、NEC(ニュウ・イングランド・コンセルヴァトワール)の音楽学者カタリナ・マルコヴィックさん、NECの作曲科の学生クリスト・コンダッキさんと指揮者のヒュー・ウルフさん。2011年の夏のことです。そしてその年の9月に、ウルフさんの指揮、NECフィルハーモニアの演奏でアメリカ初演、放送初演が行われたんです。アメリカ初演ということで、その前にどこかで世界初演が行われているはずなんですが、いろいろ調べてみたけどそれがいつどこなのかは分かりませんでした。
マーラーの記念年に行われたこの初演。なぜかそんなに話題にならなくて。。。そう言えば、80年代に日本で行われた、「大地の歌」のピアノ版の初演もあまり話題にならなかったような。ともあれ、なんでこんなに興味のあるイヴェントが秘やかに行われちゃったのか、もったいなすぎ。マーラー好きを自任する人は、特にうんちく好きの人は、ぜひぜひ聴かれるといいと思うんですよ。幸い、ネットの中に音源が残ってるんですもの。特に第5楽章(フィナーレ)は、今まで聴いたことのない音楽でびっくりですよ。最初の主部に入る前のトランペットによる主題の断片提示に被さるホルンのロングトーンのかっこいいこと♡それにびっくりするような始まりの再帰。トランペットの偏愛ぶり。あああ、もう止しましょう。ぜひ、ご自分の耳で驚いて下さいね。

演奏はもちろん、ウルフさん指揮のNECフィルハーモニア。オーケストラは学生オケだと思うんだけど、とてもいい演奏なんですよ。これ、商用CDにはならないのかしらねぇ。もったいない。
ではどうぞ。

この版に関するウルフさんのインタヴュウ(英語)
2011年9月26日の音楽会(ドンファンと2部からなる交響詩)の音源
同じ音楽会の映像(マーラーのみ)、前半後半
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by zerbinetta | 2013-10-26 23:39 | 随想 | Comments(0)

アマチュアのマーラーの最高峰のひとつ(?) TAMA21交響楽団創立20周年記念公演   

2013年10月14日 @府中の森芸術劇場・どりーむホール

マーラー:交響曲第3番

菅原章代(メゾソプラノ)
和の会女声合唱団、ゆりがおか児童合唱団
現田茂夫/TAMA21交響楽団


参りました。すごく良かった。アマチュア・オーケストラのなし得る最高のマーラーの演奏のひとつじゃないかしら。

わたしは2ちゃんねらーじゃないのだけど、検索でときどき引っかかったときに2ちゃんねるのスレッドは読むことがあります。そこにTAMA21交響楽団のことが書いてあって、好悪取り揃えていろんな意見が、まああまり内容ないんだけど、2ちゃんねるの常で、悪口が多いかな。そこからのわたしのイメジは、腕利きのアマチュアを釣り上げて集めて短い練習時間で音楽会をするプライドの高いオーケストラ。音楽大学出の若い人が多いんだろうなって勝手に想像してみました。
でも、百聞は一見にしかず。
全然違うじゃない。
まずメンバーが若くない。といったら語弊があるのだけど、40代50代の人もたくさんいそうだし、若い人ばかりのオーケストラではなく、いろんな世代にまたがってる。このオーケストラ、前身は多摩が東京に編入されて100年の記念のために1回限りの特別オーケストラとして作られたんだけど、それがずっと続いて20年。今日は20周年の記念公演。オーケストラの成人式ですね。長く続けてこられたことは、アンサンブルにもしっかり表れて、非常に成熟したアンサンブル。これは一朝一夕ではできないよ。2ちゃんねるから膨らんでいたわたしの想像はすっかり覆ってしまったのでした。

どのパートも穴なく良かったんだけど、特に特に素晴らしかったのが、第1楽章のトロンボーンのソロ!それに第3楽章のステージ裏でのポスト・ホルン(多分コルネットで代用?トランペットの人が吹いていました)。アマチュア・レヴェルを遥かに超える上手さ。1楽章のチェロとコントラバスの速い音符もきっちり揃っていてびっくりした。

現田さんのマーラーは、緩急を付けたりするものの、流れを重視した演奏。アマチュアのオーケストラからこれだけの音楽を引き出す手腕はなかなか。無理をさせることなく安定感のある音楽作り。正直、この長い曲、途中で飽きちゃうかなって心配してたけど(長いなぁって思った演奏あります)、最後まで集中して聴けて嬉しい。
第1楽章はそれぞれの場面ごとにほぼインテンポで、盛り上がる1歩手前でときどきさらりとテンポを落とすのだけど、大仰になりすぎないところが、気持ちの流れを先へ先へと進めていくのが、若々しくて気持ちよいのです。峻険な山を目に浮かべることはできなかったけど、とても気持ちのいいピクニック。ザルツカンマーグートでマーラーが見ていた山って、インスブルックやスイスのアルプスのような烈しく険しい山じゃなくて、丸みを帯びた柔らかい山だよね。
第2楽章の雰囲気もそんな、牧歌的な自然の感じ。府中までとことこやってきたわたしの気分にぴったり。第3楽章も、暗い森のちょっと妖しいものが潜む感じじゃなくて、開けて明るい。おにぎり持って(おかずはウィンナと卵焼き!)、遠足にきた感じの音楽。とっても軽やか。そう言えば、むか〜し野原に寝っ転がってウォークマンでこの曲を聴いたことが思い出されました。さすがに金管楽器は、ちょっとお疲れ気味でした。
第4楽章は、ちょっとつるりと行き過ぎたかなぁ。さすがにこの薄いテクスチュアの音楽を上手いとは言えアマチュアで聴かせるのは難しいかなぁ。でも、全体の音楽の中にはちゃんとまるくはまっていましたよ。
第5楽章の合唱は女声も子供も良かったです。子供の声が、プロ(セミプロ?)の少年合唱団の声のようにこなれてなくて、子供らしいナイーヴな声だったのがかえってステキでした。合唱と歌のソロは、第4楽章が始まる前に入れたんですけど、これは、第1楽章のあとに入れて欲しかったです。マーラーは第1楽章のあとに長い休みを置くことを念頭に置いていたし、第2楽章から最後まではある意味ひとつながりの音楽だから。第1楽章のあとなら拍手が入ってもいいと思うんですよ。それから、合唱を座らせるのは第6楽章が始まって盛り上がったところで、が良かったな。解釈の違いかも知れないけど、第5楽章の終わりと第6楽章の始まりはひとつながりだと思うから。
大好きな第6楽章は、わたし的にはもっと感情の引っかかりが欲しかったです。速めのテンポで、すらりと。たいていの演奏でがくんとテンポを落とすチェロの旋律が出てくるところもそのままインテンポで、そのかわり(?)音楽が盛り上がる手前の区切りでテンポを落として、溜めをとるんだけど、もう少しうねうねと音楽を歌わせる方がわたしの好みかな。わたしにとって泣く音楽なんだけど、今日は最後まで清々しい思いで聴いていました。それにしても、金管楽器も息を吹き返して、最後まで途切れることなく吹ききった、奏しきったのはお見事。最後のダブル・ティンパニがずれていたのはお愛嬌。とてつもなく充実した良い演奏でした。

多摩はちょっと遠いけど、また聴きに来たいな。次は30周年に向かって、ますます充実した音楽ができますように。良いオーケストラへのさらなる成長を期待してます。
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by zerbinetta | 2013-10-14 23:52 | アマチュア | Comments(0)

平和ってふたりでお茶を飲める幸せじゃない? 「hope」 THPO 第11回公演   

2013年10月13日 @練馬文化センター こぶしホール

ブラームス:悲劇的序曲
ラヴェル:クープランの墓
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

諸田和典(語り)
小泉智彦/東京ハートフェルトフィルハーモニック管弦楽団


インターネットでこのオーケストラの音楽会を見つけたときぜひ聴きたいと思いました。それは、わたし好み。コンセプトのあるプログラミング(今回は「hope」)。オーケストラの活動も、理念があって地域や子供たちへのクラシック音楽の普及など社会貢献を活動の柱のひとつにしているからです。ただ、どのレヴェルの音楽を目指しているか、よく分からないので不安ではありました。アマチュア・オーケストラって、とことん音楽を突き詰めていく厳しいセミ・プロのような団体もあるし、みんなで楽しく音楽を演奏することを目的にしているのもあります。それぞれ良さがあるんだけど、ただ、聴くのみの身としては、やっぱり上手い方が好みです。
でも、強烈に背中を押したのは、演奏される曲目にタコの交響曲第5番が入っていたからです。「希望」というテーマなのに、タコの5番。批判も多い「ショスタコーヴィチの証言」以降、最後は果たして希望なのか、強制された希望なのか、ちょこっとタコを聴き親しんでいたら、議論の絶えないとこだし、いろんな解釈で演奏可能な曲ではあるのです。そんなことは百も承知で混じってるこの曲。暗から希望ということだったらベートーヴェンの交響曲第5番に敵うものはないし、それかブラームスの交響曲第1番が文句なくふさわしいと思うのに敢えてタコというのが、わたしの琴線をぴーんと弾いたのです。オーケストラからのメッセージを聴いてきてやろうじゃないかって。勢い込んで。(わたしの家から)練馬まで行くにはそんな勢いが必要です。

会場に来てプログラムを読んでびっくりしたんですが、「希望」というのは戦争から平和への希望ということなんですね。わたしはもっと一般的に悲劇からの希望と思っていたんですが、戦争と特定しちゃいましたか。
そして、この音楽会の一番の特徴は、演奏の前にナレイションが入るんです。だから、戦争の悲惨さを語る短いナレイションが入ったあと、奏されたブラームスはちょっと違うんではないかと、かちんと違和感を覚えてしまいました。だって、ブラームスって戦争にはほど遠い。戦争経験してないよね。「悲劇的序曲」も戦争まるっきり関係ないし(対になってる曲は「大学祝典序曲」)。ちょっと強引すぎやしないかい、ブラームスの曲に対するミス・リーディングを誘導しないかいって思っちゃいました。とは言え、ブラームスの演奏は、どうしてどうしてとても良かったです。不安ははじめっから晴れ渡りました。

「クープランの墓」はますます戦争の悲劇から離れた曲。って思ってました。聴くと分かるように洒落ててほんのりと明るく、この曲を聴いて戦争を思い浮かべる人はまずいないでしょう。オーケストラの演奏も、そのように洒落た雨上がりの柔らかな空のような演奏でした。ところが各曲の前に置かれたナレイションは、ラヴェルが戦争で戦えなかった苦痛、母を亡くした慟哭、友達を失った悲しみが語られます(内容についてはウィキペディアの「クープランの墓」の項に詳しいです)。そして友達へのレクイエムとして書かれたこと。それは事実みたいで、初めて知ったのは嬉しかったけど、暗く感情を込めた語りと、音楽の齟齬が、わたしてきにはちょっとあれでした。レクイエムってヴェルディのような死人のお墓を掘り返してまで死に抵抗するようなものもあるけど、フォーレのようなひたすら天国的で美しい死者を慈しむようなものもあるでしょ。ラヴェルのは、まさに後者に近い、死んだ友達に対して暖かな思いを心におこす、戦争自体とはあまり関係のない、純化した音楽だと思うんです。ラヴェルの物語を熱く語るより、静かに友を想う詩を読んだ方が音楽に合ってるんじゃないかって思いました。

問題のタコの交響曲第5番。彼こそは社会から抑圧された芸術家人生を送ってきたので、叫ぶようなナレイションと音楽が合った感じ。交響曲の楽章の間にもナレイションを入れることに、もしかすると正統派クラシック音楽ファンは眉をひそめるかも知れないけど、わたしは気になりませんでした。3楽章と4楽章の間を間を開けずに演奏する指揮者がいるのでその間のつながりだけ、どうするのかなとは思いましたが。
タコの演奏は、とても真面目で誠実(オーケストラのひとりひとりの表情もとても生真面目)。第1楽章は速めのテンポで、全体的な重みはないけど、トランペットの低音などいい音でタコらしい。この曲で目立ったんですが、管楽器や打楽器が大きく鳴らすのに対抗する弦楽器がちょっと弱かったです。第1ヴァイオリンが12人だったのでもっと人を増やしてせめて16人くらい欲しかったな。人を集めるのが難しいのかも知れませんが。あと、ヴィオラが時折トップの人の音しか聞こえないときがあって、後ろの人も自信を持ってがしがし弾いてくれればいいのにって思いました。
第2楽章は、1楽章に比べて遅めのテンポで、その分諧謔味がなかったけど、真面目な姿勢は好感でした。弦が主体になる第3楽章はもう少し音圧が欲しかったけど、フルートの孤独感や彼岸から聞こえてくるような澄んだチェレスタの音がステキでした。
第4楽章はゆっくり目のテンポで始めて、段階ごとにテンポ・アップ。前半の最後は、指揮者がオーケストラを振りきるように追い立てていましたね。最後は、流れのままに曲を閉じたけど、ティンパニの段階的なクレッシェンドや最後の大太鼓の覆い被さりが凄かったです。ティンパニの人、構えでどんな音を出したいのかよく分かってステキでした。勝利なのか、強制された勝利なのかは、敢えて踏み込まない感じ(でもあっけらかんとしているのでもなく)なのが、わたし的にはちょっともやもやが残ったんですが、良い演奏でした。指揮者は最後、もう少し待って拍手をして欲しかった様子でしたが、この演奏ならすぐ拍手(といってもフライング気味じゃないですよ)で良かったと思います。最後のナレイション、「この曲は私自身だ(タコ)」(うろ覚えなので意訳)というのが、心に残りました。

アンコールは、タコの「ジャズ組曲」から「ふたりでお茶を」。平和とか希望って、大それた題目ではなくて、ふつうに当たり前に、ふたりでお茶を飲めることじゃないかしら。尊敬し会える人と、どこの国の人でも。音楽会がくれたステキな結論ですね。

指揮者の小泉さんは、普通の指揮棒を使ってましたけど、左手のひらひらはちょっとゲルギー入ってるかな。これで髪の毛をせわしなく掻き上げればもっとゲルギー。って真似してるわけじゃないと思うけど。この人、クレッシェンド、デクレッシェンドがとても上手くて、音楽を分かりやすく描いていく手腕はとてもいいと思いました。

このオーケストラ、とてもステキです。コンセプトがはっきりしているのがわたし好みというのもあるけど、なんかじーんと共感してしまいました。アマチュアの音楽家だけではなく、コンセプトに賛同するプロの演奏家も参加しているとのことですけど(今日はひとりかふたりでしたけど)、ぜひ、プロとアマチュアが一緒になってステキな音楽をいろんなとこで演奏していって欲しいです。上手いじゃなくて、ステキな音楽聴きたいって新しい視点ができたみたいで嬉しいです。
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by zerbinetta | 2013-10-13 00:14 | アマチュア | Comments(0)