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楽しんで真面目 東京大学フィロムジカ交響楽団第40回定期演奏会   

2014年6月29日 @文京シビックホール

ドヴォルザーク:劇的序曲「フス教徒」、交響詩「真昼の魔女」、交響曲第7番
小笠原吉秀/東京大学フィロムジカ交響楽団


実は結構気に入ってる東大フィロムジカの音楽会に行ってきました。3回目かな。このオーケストラ、ヘタではないけど、アマチュア・オーケストラの中でももの凄く上手いというわけではありません。でもとても良い音楽をするのです。みんなすごくよく勉強(譜読み)してるのが分かるんです。バランスの取り方が音楽的でちゃんと全体の中で自分の位置が分かってるの。こんなことを言うと失礼かもしれないけど、新日フィルよりいいって正直な気持ち思った。

今日は、ドヴォルザーク三昧。あっ、名前の表記、ドヴォルザークに変えました。ドヴォルザークは有名な作曲家だけど、そこはそこ、ちょっとクラヲタっぽい選曲。新世界ではなく7番。イギリスではなく7番。交響曲第7番って第6番と第8番に挟まれてちょっと地味ですよね?それと、「フス教徒」と「真昼の魔女」。

真面目な音合わせ(みんなラの音出してる。賑やかに音出ししてる人がいないの)のあと、「フス教徒」。初めて聴く曲だけど、どこかで聴いたことあると思ったら、スメタナの「我が祖国」の中に同じ旋律があるのね。フス関係の聖歌か何かからの旋律らしい。交響曲第7番も関連のある楽想があるらしい(あとでウィキペディアで知ったんだけど気がつかなかった)ので、結構、プログラム考えられてるな。

最初に書いたように、このオーケストラ、上手いのだけどもの凄く上手い、というわけではありません。でも、ちゃんと音楽のことを考えて演奏しているというのは、伝わってくるのです。しっかり合奏練習をしてくる他に、パートで時間をかけて音楽について話し合いながら各自の役割を確かめている感じがするんです。指揮者から伝えられる音楽だけじゃなく、オーケストラが話し合って作ってきた音楽みたいな、何だか、いつも音楽のことを侃々諤々と言い合ってきたのをどういう訳か演奏から感じます。カラー印刷のプログラムの曲目解説も音楽の時間の自由研究発表のような楽しんで真面目。
だから、聴いててわたしは心地良いんですね。自分も音楽に参加してるような気がして。たぶんわたしも音楽のことはおしゃべりだから。

小笠原さんの指揮は、ここ数年ずっと演奏を重ねてきて、去年からはこのオーケストラの常任指揮者になっただけに、このオーケストラの音楽を上手く引き出していました。お互いに良い関係にあることをうかがわせます。ドヴォルザークの音楽のブラームスに似た客観性を大事にして、ありがちな情に流されないところが良かったです。
演奏が終わって、小笠原さんが、コンサートマスターの女の人に握手を求めているのに、コンサートマスターは知らんぷり。えっ?仲が悪い、んじゃなくて、彼女が正面(客席)を見ていて気づかなかっただけだけど、ちょっと笑えた。小笠原さんもちょっと困ったでしょう。


アンコールは、スラヴ舞曲。そりゃ当然よね。アンコールは、音楽会の本番が終わった気安さがあって、音がより自由でしなやか。もしかすると、メイン・プログラムでもそんな余裕があればもっと良くなるのかなとも思いました。がんばりすぎると体が硬くなっちゃうみたいな。
わたしももう一度、大学生をやってオーケストラ入りたいな。でも、東大にはもう入れないだろうな。算数できないし。1時間も机に座って勉強する根性もないしね。はは


♪♪
東京大学フィロムジカ交響楽団の次の音楽会は、第41回定期演奏会が12月21日、なかのZEROホールです。
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by zerbinetta | 2014-06-29 01:47 | アマチュア | Comments(0)

ユートピアはミレドミレドミレド悪夢 N響ミュージックトモロウ2014   

2014年6月27日 @オペラ・シティ タケミツメモリアル・ホール

権代敦彦:utopia〜どこにもない場所〜
細川俊夫:トランペット協奏曲「霧の中で」
猿谷紀郎:交響詩「浄闇の祈り2673」

イエルーン・ベルワルツ(トランペット)
高関健/NHK交響楽団


去年、うっかりしていて(気づいたら終わってた)聴きに行けなかったN響ミュージックトモロウ、今年はしっかり聴きました。だって安い席1000円なんですよ。お値打ちじゃないですか。前の年に日本で初演されたオーケストラ作品に贈られる尾高賞の作品を中心に据えた音楽会です。今年、第62回尾高賞の受賞作品は、細川俊夫さんのトランペット協奏曲「霧の中で」と猿谷紀朗さんの交響詩「浄閻の祈り2673」です。細川さんの方は、わたし、去年の初演を聴いているのですね。今日は聞き比べができる(のかな??)。

それぞれの作曲家さんと音楽評論家の白石美雪さんのプレトークがあって、作品を掻い摘まんで解説して下さります。それが、とっつきにくくてどこを目当てに聴いていいのか分かりづらい多くの人にとって初めて聴く現代の音楽を聴く良いとっかかりになったと思います。とりつく島ができたというか。プログラムにも解説は書いてあるけど、作曲家ご本人の声を聴くのはやはり違いますしね。

最初の曲は権代さんの「ユートピア」。N響の委嘱作品で今日が初演。権代さんが、ユートピアは決して理想郷ではなく苦痛に満ちたというか、わたしには悪夢を見るような音楽でした。わたしの苦手なミニマムじゃないけど、しつこくたった3つの音を繰り返す背景は、緩徐的に精神をむしばんでいくような気がして辛い。もちろん作曲家もそんなユートピアの皮肉でもない泥沼にはまっているのだから作品の意図するところではあるんだけど、聴くのは健康に悪いなぁ。拷問だわ。じゃあ、これが音楽として間違いかというとそうではなく、多分、音楽は文学や絵画と同様に人間の感情のありとあらゆるものを表現するものと考えるのが良いと思うので、(音楽は感覚に一番直接響いてきちゃうので)苦渋の音楽はかなり辛いのだけど、ありだと思うんです。この曲は、とは言っても決して耳に入れたくない汚い音を使ってる訳ではなく、クラシック音楽からの伝統的なものからさほど離れてない、むしろ分かりやすい、しっかりとした力作だと思います。

2曲目は、細川さんのトランペット協奏曲。ソロを吹くのは去年、初演したベルワルツさん。この曲は、ベルワルツさんを想定して書かれているので(トランペットの管を通した声を使うとか)、彼の自家薬籠の中というか、すでに何度か演奏してこなれているせいか余裕を持って吹いていました。なので、演奏としては多分、初演のときよりも良い演奏だと思うのだけど、わたしも聴くのが2回目のせいか、1回目のときほどのドキドキ感はなかったです。バックの高関さんとN響の演奏も、細川さんの協奏的作品が、ソロがシャーマンでそれに対抗するオーケストラという役割を持っている、といいつつもこの曲が「霧の中で」と題するように、オーケストラがむしろ柔らかくソロを包み込むように書かれていることもあって、ソロを包み込んでサポートする方向に振れていたのが、反対に対立の緊張感を後退させてもやんとした雰囲気にしてしまったようで、確かに霧の中かもと思いつつも、わたしはやっぱりある程度のアグレッシヴさは残して欲しいなと思ったのでした。

休憩のあと最後は、猿谷さんの交響詩。伊勢神宮の第62回式年遷宮を記念して書かれた音楽。(後半が)ちょっと長く感じるところがあったのは事実だけど、わたしはこの曲が今日の中では一番好きでした。海(波)を感じさせるようなさわさわとした響きと舞のような動きのあるリズムが心地よくて。視覚的なイメジをいっぱいに広げるような曲でした。解説には雅楽的な響きとも書いてあったけど、わたしにはむしろ西欧音楽の響きの方が強く感じられました。雅楽の持つ、時間の自由な伸縮性や音程の曖昧さのようなものをオーケストラに要求はしていなかったと思うので、雅楽を模倣するものの西欧音楽の論理の上にあったような気がします。

高関さんとN響の演奏はとっても良かったです。どの曲もとても丁寧に譜面を音にしていました。N響、上手いですね。模範的で標準的な演奏だったと思います。聞き慣れた曲ならばこれはもしかすると、個性のない物足りない言う人もいるかもしれないけど、ひとつを除いて初演ではないけれども初めて聴くような今の音楽では、まずきちんと作曲家のイメジどおりの音にすることが、作品の評価を作る上で一番大事で、個性的な解釈はときには作品の姿を歪める場合もあるので、こういう風にきちんとしたプロフェッショナルな仕事はとても素晴らしいものだと思います。作曲者も嬉しいんじゃないかって思うんです。

それにしても、現代音楽の音楽会って、お客さんにいつもの顔が多くて面白い。もちろん、あの顔前にも見たと言うだけでお名前も素性も知らないんだけど(耳に聞こえてくる会話をちょっと盗み聞くと音楽学校の学生や現代音楽をやってる人が多いのかな)、なんかサークルに入ったみたいでウキウキしちゃうんです。音楽が小さな(専門家)サークルに留まるのはイカンという意見もあるけど(と言うかそっちが主流(?))でも、古典が演奏されるようになって現代音楽が分離してくると現代音楽を支持してるのはいつも小さなサークルだったという歴史を考えると別に不自然なことじゃないと思うの。(さらに言うと、ハイドンやモーツァルトが現代音楽だったとき、彼らの音楽を聴いていたのは、わたしたちから見るとごく一部のサークルの人だけ。市民が平等になってみんなが自由に音楽を享受できるようになっても現代の音楽を聴く人って昔と同じ小さなサークルの人たちだけなのよ)。問題は、そのサークルが時を経てじわじわと広がって行くかだよね。マーラーやブルックナーの音楽のように、作曲家の生きていた当時はごく少数の人たちに支持されていた音楽が、今ではたくさんの人に聞かれるようになったように。最初っからみんなに理解できるような音楽ばかりを目指さなくっていいってこと。芸術ってそんな感じでしょ。
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by zerbinetta | 2014-06-27 11:11 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

やってもやっても切りがなーい ハーディング/新日フィル リハーサル   

2014年6月27日 @すみだトリフォニー

ブラームス:交響曲第1番

ダニエル・ハーディング/新日本フィルハーモニー管弦楽団


(今回も文句ばっかりです)
トリフォニーホールのウェブ会員(無料)の再登録をしたら新日フィルのリハーサルに招待されたので、午前中にかかわらずのこのこ出かけてきました。リハーサル大好き。

ハーディングさんと新日フィルは、わたし的にはダメダメだし、ハーディングさんのブラームスの交響曲第1番は前にロンドン・シンフォニーとのを聴いたとき納得がいかなかったので、本番には行きません(というか安い席(といっても高い)売り切れてた)。本番の音楽会では、この曲の他にピアノ協奏曲第1番もやるのだけど、午前のリハーサルは交響曲のみ。協奏曲のリハーサルは午後に入っているようです。

私服の団員さんたちがステージで音出し。遅刻してくる人、いないのね(ロンドン・シンフォニーは遅刻者いた)。
ハーディングさんは、冒頭からやり始めたんだけど。。。あのティンパニの連打が。。。打ち進むごとに緊張感がなくなってぼんやりしていくのって、なぜ?1回止めて2度目はまだ良くなったけど、ちょっとあんまりじゃない。ティンパニはオーケストラの楔なのに。ハーディングさんは細かく、分奏したりして、リハーサルを進めていくんだけど、50分弱の曲に正味2時間半程度のリハーサルじゃ全然追いつかない。4楽章なんかは最初の部分をちょっと弾いただけ(せっかく来たトロンボーンの人たちにアリバイを残すように)。もちろん、今日が初めてのリハーサルじゃないだろうし、リハーサルの時間はたいていこんなものだから、というより、1日のプログラムを午前と午後に分けてやるので長いと思う、でも、これじゃ練習時間がいくらあっても足りない。ハーディングさんはかなり基礎的なところも練習させてました。もちろんプロだから弾けてなくはないんだけど、音楽ができてないの。オーケストラの基礎ができていないからかしら。

新日フィルのことばかり悪く言ってるけど、首都圏のオーケストラって、それぞれのオーケストラの芯というか形(音)を作ることがおろそかになっているような気がするのです。脱線すると、例えばホールの問題。どこのオーケストラもひとつのホールに定期演奏会を固定しないで、いくつかのホールで定期演奏会をしてる(東響のように地方都市にもフランチャイズを持っているというのはいいんです)。オーケストラの音はホールが作るのに、いろんなところで弾くから音の芯が作れない。前に、ニューヨーク・フィルがエイヴリ・フィッシャー・ホールを離れて音響の良いカーネギー・ホールに本拠を移す議論があったとき、ニューヨーク・フィルの音が失われるからダメだみたいな意見があって、(実際には他にもいろいろ要因があったのだけれども)ボツになったことがあるの。わたしもあの輝かしい金管の音は、音の悪いエイヴリ・フィッシャー・ホールでこそできたもので、カーネギーに移ったらほわほわになるなって思って心の中で反対していたので、計画がおじゃんになったと知って嬉しかった。脱線しちゃったけど、首都圏のオーケストラって本拠となるホールとの関係が希薄すぎると思うの。新日フィルもここトリフォニーが本拠だけれども定期公演はサントリーホールでもやるし、例えば今回のブラームス・サイクルの3回の公演のうちトリフォニーは1回(同じプログラムを2回という方が正確かな)だけ。新日フィル、トリフォニーで聴くよりサントリーで聴いた方が良いという人もいたりして。だめじゃん。

それともうひとつ、というか今回こちらが言いたかったのだけど、指揮者の役割が曖昧でどのオーケストラも実質的な責任指揮者がいないと思うの。これはいつかちゃんと書こうと思ってるんだけど、オーケストラの音を作っていく核になるひとりの指揮者、英語だと principal conductor とか chief conductor とか music director と呼ばれている職分、がいないのね。日本のオーケストラの指揮者の職分の名称ってもうこんがらがっちゃってて何が何だかさっぱり分からないんだけど、新日フィルの場合は、メッツマッハーさんが conductor in residence(日本語では何と言うのだろう?)と music partner of NJP(これも意味不明の職分だわ)のハーディングさんが責任指揮者と言うことになるのかしら?あら、music adviser なんて方もいるぞ。故人だけど。。。アドヴァイザーの方は霊界からオーケストラを導くのかしら、なんて冗談はともかく、メッツマッハーさんとハーディングさんがそれぞれシーズン定期の1/4ずつの公演を振るそうです。では、新日フィルの音を作る責任指揮者は誰でしょう?
例えば、ベルリンフィルと言えばカラヤン(ちょっと古い?)と言うようにカラヤンがベルリンフィルの音を作ってきたし(今はラトルさん。カラヤン時代、アバド時代とは随分音が変わってきてるでしょ)、オーマンディーとフィラデルフィアとか、必ず主席指揮者とオーケストラの音は結びついてる。今はひとりの指揮者がそこまで強烈にオーケストラに君臨することは少なくなったけど、でも、マリインスキーと言ったらゲルギーだし、フィラデルフィアはネゼッチが現在音作り中(まだ就任2年目)。
わたしは、メッツマッハーさんもハーディングさんもとてもやりづらいと思うのね。だって、どちらが新日フィルの音に責任を持っているか分からないじゃない。ウィーン・フィルのように(N響もそうかな?)主席指揮者を置かずに客演だけでやっているところもあるけど、あそこは余暇のオーケストラだからねぇ(彼ら(ウィーン)の本業はオペラのピット)。外国人だから(時間的に)難しいなんて言い訳しないで、ひとりの指揮者にきちんとオーケストラを育ててもらった方がいいんじゃないかと思うんです。できたら、ドホナーニさんとかみたいに徹底的に厳しい人に。
今の新日フィルの力では、ハーディングさんのやりたいこと、以前のもっと基礎的なところで躓いているようにわたしには思える。2兎を追わずに、メッツマッハーさんかハーディングさんかどちらかひとりに決めて(もうひとりは首席客演指揮者に)オーケストラを任せてしまったらいいのにと強く思います。そうしたら、ハーディングさんももっとできると思うのに。

もちろん練習と本番は違います。本番では化けたのでしょうか?
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by zerbinetta | 2014-06-27 01:00 | 日本のオーケストラ | Comments(2)

ダンスホールでハルサイ フルシャ/都響   

2014年6月24日 @サントリーホール

オネゲル:「パシフィック231」
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番
ストラヴィンスキー:春の祭典

ピョートル・アンデルシェフスキ(ピアノ)
ヤクブ・フルシャ/東京都交響楽団

先日の都響に引き続き、またもや都響@サントリーホールです。今日のお目当ては初めて聴くアンデルシェフスキさんのピアノ。ネット友達がすごくいいと絶賛するんですもの。聴かずにはおれません。指揮は、若いフルシャさん。彼らの世代で最も傑出した指揮者のひとりでしょう。都響とはもう何回か振りに来ています。

オネゲルの「パシフィック231」は、汽車が動き出すのを描写した音楽、新幹線や京急線じゃなくて良かった、重い鉄のかたまりが蒸気で重厚に動き出してから疾走するまでの音詩。確か、高校の頃、音楽の時間に鑑賞したっけ。生で聴くのは初めて。オネゲルって交響曲第3番とか大好きだけど、ほとんど音楽会でかからないのよね。もっとオネゲル、メジャーにならないかしら。それにしても、重い鉄のかたまりのようなエネルギーを持つ演奏でした。現代の高性能の電車ではなく、音楽も手作り感のあるアナログっぽいところも良かった。ホルン、もちょっとだけがんばれ〜。

お目当てのアンデルシェフスキさん。実は全く予備知識がありません。年齢も知らなかったのですが、意外と若い(もう少しお歳の人を想像していた)。そして、プログラムをあとで読んで、ポーランドxハンガリーの人だと分かりました。
バルトークの3番目の、最後の協奏曲は、叙情的で聴きやすい作品。ティンパニとピアノの競奏なんてぶっ飛んだこともなく、亡命後のバルトークの変化を象徴しているようだけど、でもめちゃ名曲。バルトークの乾いた音楽には、サントリーホールはウェットで響きすぎ(ティンパニの反響音が横から一瞬遅れて聞こえるよね@P席)なのがちょっと心配だったけど(昔、ムジークフェラインでバルトークを聴いたときも音が響きすぎて何だかもやもやしてしまった)、その心配は、第1楽章を聴き始めて現実になった、と思いました。ちょっともわんもわんしてる。と思ったのもつかの間、気にならなくなったのは、この曲がバルトークの他の作品に比べて柔らかい音楽だから、とともにアンデルシェフスキさんの透明で明確な打鍵があったからでしょう。都響のシャープな音も良かったです。それにしてもアンデルシェフスキさんのピアノは美しい。不純物のない蒸留水のようなきらきらする美しさ。それに、泉のように音楽が湧き上がってくる。もう、全ての音がそこにあることが意味を持っていて、楽しそう。余分な音が一切ない。夜のプールに浸かって星を見るように、音楽に浸かって音の燦めきを見る。香を聞くように五感の全てを研ぎ澄ませて音たちの軌跡を見る。
都響もアンデルシェフスキさんをきっちりサポート。第2楽章のヴィブラートを控えた弱音の弦楽合奏の響きの美しいこと。アンデルシェフスキさんのピアノの音がオーケストラにも感染してる。お互いの音楽が複雑に化学反応を起こして高みへと登る。なんてステキな演奏。
アンデルシェフスキさんのアンコールは、協奏曲の続きのような、柔らかな、民謡を題材にしたバルトークの歌(「3つのハンガリー民謡」より)。自由に歌うピアノ。幼い頃の記憶の中の歌みたい。そしてもう1曲。バッハの「イギリス組曲」から「サラバンド」。純粋で美しいバッハ。バッハを取り巻くいろんなしがらみからも自由に離れてアンデルシェフスキさんの音楽だけが聞こえてくる。いいな、いいな。アンデルシェフスキさんに恋に落ちてしまいました。また、好きなピアニストができてしまった。わたしの心は恋でいっぱい。


もう前半だけで大満足で満ち足りていたんだけど、後半の「春の祭典」がこれまた凄かった。都響の凄みが感じられる演奏。都響がこんなに良いオーケストラだって初めて知りました(と言っても聴くのまだ2回目ですけど)。そしてそれを見事に引き出したフルシャさんすごいすごい。彼はもう「春の祭典」そのものなんですもの。指揮台に立っているだけで彼の音楽がびしびしと伝わってきます。一点の曇りなく完璧に音楽に降臨してる。あとで知ったんだけど、フルシャさん今日初めて「春の祭典」を音楽会で振ったんだって。全然そうは見えなかった。フルシャさんを聴くのは多分、3回目だけど、聴くごとに成長しているように思える。まだ30代半ば。これからがもの凄く楽しみな指揮者ですね。
そのフルシャさんの「春の祭典」は、決して奇をてらったものではなく、むしろ、ほぼ“普通の”演奏なんですが、とにかくリズムの切れというかビート感が素晴らしいの。頭ゆらして踊りたくなる感じ。もう、1階席なんて椅子取り外して立ち見にして、踊れるようにすればいいのに。そんなロックのライヴ・ハウス感覚の音楽なんです。ここまで体感するビート感覚を鮮明にした演奏もなかなかないんじゃないかしら。学校でクラシック音楽とは、とか言ってお行儀良くモーツァルトやベートーヴェンを聴かせるより(彼らの音楽も聞き込むと時代の最先端を行く超ロックな音楽なんですけどね。慣れるのに時間がかかる)、「春の祭典」を体を自由に動かしながら聴かせると、クラシック音楽が好きになる子が増えるかもしれないのに。クラシック音楽って決して修行のように聴く音楽じゃないし、今の感覚に近い音楽の方が分かりやすいと思うんだもの。「春の祭典」はもはやモーツァルトより体の感覚で分かりやすい音楽ですよ。

アンデルシェフスキさんも客席で聴いてらっしゃいました。終わったあとサイン会があるから聴いていたのかな(プログラムの後半を客席で聴くソリストの方はそれほど多くないですよね)。ちょっとがつんときてしまったので、普段はあまり興味ないんですけど、うっかりサイン会の列に並んでしまいました。アンデルシェフスキもフルシャさんも、気の置けない感じでとってもフレンドリー。ますます好きになりました。アンデルシェフスキさんは、来年2月にリサイタルがあるのを知って速攻でチケット取ってしまいましたよ。ふふふ、楽しみ〜〜♡
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by zerbinetta | 2014-06-24 19:58 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

ブラームスを舐めるなよ 新日フィル   

2014年6月20日 @すみだトリフォニー

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲、交響曲第4番

イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)
ダニエル・ハーディング/新日本フィルハーモニー


暗黒面です。罵詈雑言の数々が飛び出しますので、そういうの嫌な人は読まないなりなんなり自衛の手段を取って下さいね。

楽しみにしている指揮者、ハーディングさん。ミュージック・パートナー(ってなに??)の新日フィルとの今シーズンは、ブラームス。3回に分けて交響曲全曲とピアノ協奏曲第1番、ヴァイオリン協奏曲です。全部行きたかったんだけどお財布が。。。そこで、聴きたかったファウストさんのヴァイオリン協奏曲の回にしました。そしてそれは(きっと)大正解。今日は、ファウストさんの素晴らしさを語らなければなりません。と言って、ファウストさん、特別なことをやってるのではありません。弱音へのこだわりが特出する点と言えば言えるけど、とっても正攻法で真っ直ぐに音楽に向き合っています。だから地味と言えば地味。この人は、決して美音というわけでもなく、テクニックに圧倒されるでもなく、でも、ブラームスの書いた楽譜をものすごく深く読んでいる感じが聞こえてくる音楽から強く感じられました。1音1音丁寧に丁寧にブラームスが書かなければならなかった音符を音にしていって。もうブラームスの音楽しか聞こえないんです。耳は彼女の音に集中して引き込まれて、この曲の最も印象的な演奏のひとつになりました。類い稀な名演。なのです。
ところが、オーケストラの方は、楽譜に書いてあることをちゃんとやったよ、音にしましたよ、という程度でしか弾いてない。楽譜を読んでブラームスの音楽を表現しているところまでは全然行ってないの。オーケストラの中心的なレパートリーの作曲家なのに、ブラームスの音楽が分かっていない。もちろんプロだからそれなりにきれいな音で正確に吹いたり弾いたりしてるんだけど、音楽がない。音に必然性がないというか、音があるべきところに収まっていないというか(特に内声)、音楽と関係ない音で弾いている(音程やリズムは正しくても)感じがありあり。ファウストさんがもの凄い高みで弾いているのに、そこから霊感を得ることもなくただ漫然と弾いてるの。ヴァイオリンが前に出られない第2楽章の始まりなんて、、、ああ。
それでも、先に書いたように名演になったのはファウストさんがいらしたから。こんなオーケストラをバックに孤高の音楽を貫き通したのがもう信じられないくらい素晴らしかったです。
そして、アンコール。バッハの無伴奏パルティータからの1曲。彼女のバッハの無伴奏、何年か前に聴いたのだけど、とても良い演奏だったけど、今ひとつ完全にはぴんとこなかったのです。でも今日は、この短い楽章を聴いただけでも来て良かった。自由なんだけど崩れていない、ユニークにして正攻法のバッハ。わたしの大好きなアリーナの囁くようなスタイルとは全然違うんだけど、全然違っていい。バッハって少し角度を変えてみるだけでこんなに違うんだ。なんて深い音楽。前からこんな演奏だったのかしら。前に聴いたときはわたし、何を聴いていたのだろう。彼女が深化したのか、わたしもちょっぴり変わったのか。そういえば、アバドさんと録音したベルクのヴァイオリン協奏曲がとても良い演奏なんだけど、この間ウェブ・ラジオで聴いた、ハイティンクさんとの演奏(いみじくもアバドさんの追悼に捧げられた)の同曲がもうめちゃくちゃ素晴らしくて感動したのだけど、短い間に、ファウストさんの音楽が変わってきてるんでしょうか。バッハの演奏、全部聴いてみたい。これから、ちゃんと聴いていかねばならないヴァイオリニストがまたひとり増えました。

休憩のあとの交響曲第4番は、ファウストさんがいなくなってハーディングさんの孤軍奮闘。ハーディングさんのブラームス、実は前に交響曲第1番を聴いたときちょっと違うなって思っていたのでした。早熟の天才ハーディングさんも30代後半になって殻を破るのに苦しんでいた時期もあったように思えるし、今は円熟に向かう序奏のような時期かもしれないけど、ハーディングさんの求めていた交響曲第4番は、ブラームスを真正面から見つめたようでとても納得できました。丁寧に音楽を紡ぎ出して、もう最初からすうっと優しく湯葉を掬い出すように、ふうっと生まれてきた音楽をすくい取って、過度なロマンティシズムのない、でも決してかちこちの形式的なものではなく、溌剌として生命の息吹を感じさせる音楽です。それが分かるだけに、切ない。新日フィルは、どうして、ブラームスの音楽を汲み取った演奏をしないんだろう。ハーディングさんがせっかく音楽の形を作っていても、個々のニュアンス、それも特別なところではなく音楽の通底に流れる全てのところで、弾き流してしまうんだろう。そこにあり得ない音色や、和音のバランス、歌わせ方が、雑というかもはや楽譜を仕事で音にしただけで、音楽の中の音の意味を考えていない心ない演奏。あなたたちプロでしょ、って言いたくなる。わたしにとって、良いオーケストラは、技術ではなく音楽が自然にきちんと分かって弾いていること。超一流のオーケストラと言われるところは、上手い以上に本当に音楽が分かっていて、表現の仕方は演奏によって違うけど、この音はもうこうでしかないという演奏をする。普通のオーケストラは、だいたいそれが出来るけれども、慣れない曲だったり指揮者の解釈に馴染まないと音楽が分からなくなることがあったりする。でも、新日フィルはそれも出来ていないよう。ファースト・ヴァイオリンはいい音で弾いていたのに。オーケストラのレパートリーの中心のひとつのブラームスでですよ。ブラームスを舐めるな。これなら、ひとつの曲を時間をかけて練習するアマチュア・オーケストラの方が、ヘタでも良い演奏をする。だって音楽的だもの。

もちろん、わたしが、新日フィルとの一期一会に失敗しただけかもしれない。でも、たくさん音楽会のある中で、もう一度、新日フィルを選ぶには勇気がない。1回で判断するべきでは、ひとりの指揮者で判断するべきでは、ないということは分かっていてもね。わたし、独善的すぎるかしら。
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by zerbinetta | 2014-06-20 00:12 | 日本のオーケストラ | Comments(4)

ビントレーさんの最終公演 新国バレエ「パゴダの王子」   

2014年6月15日 @新国立劇場

パゴダの王子

ベンジャミン・ブリテン(音楽)
デヴィッド・ビントレー(振付)
レイ・スミス(衣装・装置)

小野絢子(さくら姫)、福岡雄大(王子)
湯川麻美子(皇后エピーヌ)、山本隆之(皇帝)
八幡顕光(北の王)、古川和則(東の王)
マイレン・トレウバエフ(西の王)、貝川鐵夫(南の王)
福田圭吾(道化)、他
新国立劇場バレエ団

ポール・マーフィー/東京フィルハーモニー交響楽団


今シーズンの新国バレエの千秋楽です。と同時に、芸術監督のビントレーさんの最後の公演と言うことになります。わたしは、新国バレエを観はじめてからまだ日が浅くて、ビントレー監督時代しか知らないし、しかもそれもほんの1年ちょっとしか知りません。それでも、まわりのバレエ・ファンの方たちがビントレーさんになってバレエ団が良くなったって言う声をたくさん聞いたし(反対にビントレーさんが新しい演目を増やしてつまらなくなったという声があるのは知っていますが、わたしの周りでは聞かれませんでした)、わたし自身もビントレーさんの「シルヴィア」や「ペンギン・カフェ」「カルミナ・ブラーナ」、(どれもビントレーさんの代表作と言って間違いないでしょう)等を観れたことはとっても良かったし、そして今回の「パゴダの王子」はビントレーさんからの新国立劇場バレエ団への最高のプレゼントです。バレエ団にも良い方に変わっていく雰囲気を感じることができました。1年ちょっとの新参者ですけど、わたしにもお別れの気持ちを表せる仲間に加えて下さい。

いつものように道化の前振り、福田さんは昨日と少し変えてきましたね、で楽しくバレエが始まります。
最近のわたしは唯さん推しで、さくら姫のキャラクターは唯さんが合いそうだって思っていたので、絢子さんは、実はそれほど期待していませんでした。と思って観はじめたら、絢子さん失礼なこと言ってごめんなさい。レヴェルが違いました。最近の絢子さん、少し影が薄いなって心配していたら、今日の圧倒的自信に満ちた踊り。完全に物語の世界観を彼女の中に熟成して揺るがないの。曖昧なところがなく、さくら姫に同化してる。だから、踊りも仕草も内面から必然的に溢れて力があるというか、感情がずんずんと心に突き刺さってくるの。踊りがきれいとか正確とかの一線を越えた踊り。同じことは、王子の雄大さんにも言えて、あっそうか!おふたり、バーミンガムで客演してきたのね。異国の地で目の肥えたお客さんの前で踊った経験は、確かに自信と踊りの力になっているのだわ。
エピーヌの湯川さんも、こういうきつそうな役お似合いよね、さくら姫をびんたするところはちゃんと(?)びんたしてたし、手を抜かないw怖ろしい継母をきっかり演じて良かったです。湯川さんはお姫様タイプではないので、古典の主役はなかなかつかないような気がするけど、エピーヌやこの間の運命の女神とかクールで強い役で舞台に圧倒的な存在感を発揮するので(「眠りの森の美女」の魔女も良さそう)、そういう役をどしどし踊って欲しいし、そんな演目をこれからもやっていって欲しいと思います。

彼女たちはとっても良かった、心にずしりとくるところがあったのに、でも、わたしには具体的に何が良かったかって書けない。アラベスクがきれいだったとかジュテがどうのとかピルエットが云々だとか(バレエ用語、意味が分からないのでテキトーに書いてます)、そういう技術的なことが分からないのですね。技術的な上手さ、凄さが芸術的な表現につながるのは論を待たないのだけど、その部分をわたしは多分、見落としてる。でも、またでもだけど、同時に彼女らの踊りは、技術云々を言葉にすることを寄せ付けない本質的な表現があったとも思うのです。だって、観てて上手い(確かに上手い)とかきれい(確かにきれい)とか、そんなの思う間もなく「パゴダ」の物語の中にわたしもいたんですもの。ただただ、心の共振を受け入れるだけ。だからわたしは、ちゃんとした批評は本物の評論家さんたちに任せておいて、心のままにバレエを受け入れる。このブログを全否定するようだけど、言葉にならない、できない部分がわたしにとって一番大事なところなのかもしれない。
もちろん、冷静に観れば不足の部分もあります。一握りのスター・ダンサーが持っている眩いばかりに放射される息を飲む圧倒的なオーラはまだ彼女たちにはありません。まだ若いし、経験を積んでこれからの伸びしろの部分でしょう。でもそんなことは、今日のビントレーさんの最後、という特別な公演の疵にはならない。特別な想いが舞台にも客席にも満ちていたから。

幕が下りたあと、ビントレーさんが舞台に呼び出されて、ささやかなお別れカーテンコール。派手な花束贈呈やスピーチやそういったものはないけれども、今日お休みだった団員さんたちも舞台に上がってのセレモニー。会場は大きな暖かい拍手に包まれて、ビントレーさんって本当に愛されていたんだ、ありがとうという思いが一体となって感動的でした。ビントレーさんの客席を見つめる姿がとても印象的でした。「パゴダの王子」の一連の公演のあと、ビントレーさんのインタヴュウを含む短い特別映像が放映されてたんだけど、半分以上が来期の宣伝でがっかりしてたところだったんだけど、このセレモニーで不満を払えました。わたしもありがとうの言葉をたくさん拍手に乗せていました。目は洪水。

新国立劇場バレエ団がビントレーさんを失ったことは、わたしは残念に思います。確かに、イギリスのバレエ団の監督との掛け持ちで、シーズンを通してずっといられないことはマイナスだったでしょう。ほんとは、バレエ団の公演のときには必ずいらっしゃるロイヤル・バレエの前監督、モニカさんのような姿が良いのかもしれません(モニカさんはちょっと極端でしたが)。でも、今回、絢子さんと雄大さんがバーミンガムに客演したように、お互いのバレエ団の(他のバレエ団との)交流の可能性が失われたかもしれないことは大きな損失であると思えます。ダンサーは世界に飛び出して成長すると思うので(特に日本はアウェイだし)。日本のバレエ団が海外から優れたダンサーを呼ぶことは茶飯事だけど、反対に日本のバレエ団に所属するダンサーが海外で客演する機会はまだまだ少ないと思うのですね。日本のダンサーのレヴェルは高いのにもったいないです。バーミンガムと東京が姉妹バレエ団のような関係になってダンサーの行き来(そしてお互いのカンパニーの引っ越し公演)ができればいいのにって妄想していたので残念です。でも、これでビントレーさんとのつながりが切れると言うことではないと思うので、素晴らしい作品を次々に生み出しているひとりの類い稀な芸術家としてお付き合いを続けていって欲しいです。彼の作品、ほんとに新国バレエ団向きのものがたくさんあるので、続けて上演されていって欲しいなと思います。わたし、大好きだもの。

来シーズンからは大原さんが芸術監督になられます。大原さんには、ビントレーさん路線を継ぐとは言わず、日本のバレエ界のしがらみに縛られず、彼女のやり方でバレエ団を良くしていって欲しいと願います。「眠りの森の美女」の現代的焼き直しである「パゴダの王子」でひとつの時代の幕が下り、「眠りの森の美女」で新しい時代の幕が開くことは何か象徴的です。古典への回帰と言われてるみたいだけど、好き嫌いではなく、バレエ団とバレエの観衆の成長のために何が大事で何をなすべきか、きちんと考えて答えを出していって欲しいと、バレエ・ファンのひとりとして(偉そうにと怒られちゃうけど)思うのです。
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by zerbinetta | 2014-06-15 12:15 | バレエ | Comments(0)

予想外の裏切り 米沢唯 新国バレエ「パゴダの王子」   

2014年6月14日 @新国立劇場

パゴダの王子

ベンジャミン・ブリテン(音楽)
デヴィッド・ビントレー(振付)
レイ・スミス(衣装・装置)

米沢唯(さくら姫)、菅野英男(王子)
本島美和(皇后エピーヌ)、マイレン・トレウバエフ(皇帝)
福田圭吾(北の王)、輪島拓也(東の王)
小口邦明(西の王)、宝満直也(南の王)
高橋一輝(道化)、他
新国立劇場バレエ団

ポール・マーフィー/東京フィルハーモニー交響楽団


これが本命です!「パゴダの王子」、唯さんのさくら姫。お腹痛いのもちゃっかり治って、元気に観ました。今日はちょっぴり奮発して、ステージ近めのサイド。好きな席だと思いつつ、何だか中途半端な奮発が情けない。。。

さて、この舞台。指揮者やオーケストラが出てくる前に始まるのです。下りている幕前で、道化がひとり芝居。これが面白くって。昼と夜の部では、違う人なんだけど、それぞれ自由にお客さんを楽しませます。今日は、ワールドカップで日本が負けたので、新聞の号外を持って悲しんだり憤ったり、ステージから客席の写真を撮ったりして、でも「会場内での撮影は固く禁止されています」のいつものアナウンスが入るとしまったと反省したり、この部分は夜の高橋さんの勝ちだな(って勝ち負け??)。

やっぱり音楽。やっぱり(やっぱり重ね)この音楽ステキだと思うんです。どうしてかって。だって、音楽が物語をがんじがらめに縛らないでいろんな想像力を掻き立てるので、振付に大きな可能性があるんですもの。実際、マクミランとビントレーさんの物語は違うし。そしてわたしもいろんなことを想像しながら観てました。できもしないのに最近、自分だったらこういう風にしたいなぁなんて妄想するのが好き。いつも言うように、新国立劇場のバレエの演奏、とってもいいので。

物語。昼間に気づかなかったところにいろいろ気づいて目から鱗。昼間のわたしは何を見ていたのでしょう。わたしの目は節穴?やっぱり、まだわたしには、バレエを1回観て理解する力はないんだな。ほんと恥ずかしい。もう初心者と逃げることはできないくらいの回数は観てるのに結局、観る目は変わらず永遠の初心者以下。
このバレエ、現代版「眠りの森の美女」なんですね。4人の王(子)の求婚とか、最後の大団円とか構成の仕方とか、呪いをかけられるのが王女ではなくて王子なんだけど、あっ!これ、「眠り」って気づいたときは、えっへんと鼻の穴を膨らませちゃいましたよ。自慢しようと思ったら、プログラムにすでに書いてあった。なぁんだ、みんな知っていたんだ。そういう見方で見ると、呪いにかけられた王子を救うのが、単純な王女のキス(マクミラン版)ではなくて、ビントレー版では、真実を知ったさくら姫と呪いをかけた継母との対峙というのは意味深い大きな変更。わたしは、真実を知って愛する兄を救う象徴的なキスでもいいかなと思いました(ついでにわたしの妄想は、この兄妹が兄妹を超えた愛に目覚め、兄にして夫、妹にして妻のワグナー世界に溺れていく、、、話が違いますね)。
でも急に霧が晴れるように一番うろこが落ちたのが、前史の部分。お昼に観たときは、プロローグの描き方が弱くて物語の筋道がよく分からないなんて文句を言ってたんだけど、全くお恥ずかしい、海の底で記憶の底の子供の頃の出来事を見せていてここで物語がぱっと晴れるて転換点。だからこそのプロローグでの暗示、物語が立体的に解き明かされる考えられた構成になってるんだけど、観ているわたしたちと同時に子供の記憶を失っていたさくら姫の記憶も晴れるという共体験。ビントレーさんの語り口の上手さに脱帽です。それに、ここで子供(のダンサー)を出したところが秀逸。(昼間は何で子供に気がつかなかったんだろう?見切れる席で観てたので目に入らなかった??)
もちろん、物語を伝えるダンサーの力、唯さんの物語力も大きいのかも知れません。

その唯さん。今回の「パゴダ」の公演で一番楽しみにしていたダンサーです。わたし唯さん推しなので。わたしの贔屓目を差し引いても、切れのある唯さんの踊りはさすがでした。プリンシパルの貫禄みたいなのも感じられたし、ひとつひとつの動作がぴたりとはまって美しいんですね。ただ、不意を突かれてドキリとしたんだけど、裏切られた。。。最初の方のシーンで、どこだったかな、エピーヌを見るところで、目が一瞬何かを企んでいるような表情をしたのをわたしは見逃さなかった。唯さんが踊った他の演目でも感じたんだけど(「ドン・キホーテ」での踊り子とかオディールとか)、彼女には本質的にファム・ファタールなところがあるんじゃないかしら。ただ、この役では、さくら姫が継母エピーヌに対して腹に一物あるんじゃないかと勘ぐらせてしまうので、わざとその表情(もしくは唯さんの自然な表情)をしたのかもしれないけど、わたし的には違うなって思いました。一瞬の出来事なんですけどね。唯さんには本格のファム・ファタールなマノンとかカルメンとか踊って欲しいなぁ。

唯さんとペアを組んだ王子の菅野さんも、にゅろにゅろのサラマンダー(トカゲではなくサンショウウオですのよん。伝説の火喰いトカゲのことを言うんだとしても、これもいわゆるトカゲではなくてサンショウウオ。両生類です)だけでなく、普通(?)の踊り(ビントレーさんの振付はモダンな部分もあるけど、古典をリスペクトしたものです)もとってもいいし、唯さんとのパートナーリングもしっかりしていました。おふたりともフレッシュ・プリンシパルだけど、流石と思わせるものは持っているのね。流石。

エピーヌの美和さんは、彼女がきりっとした顔立ちの美人さんなのでとってもメイクが似合ってました。なので表情は好き。ただ、踊りは昼間観た長田さんのと随分印象が違って、ソフトというかもっと鋭さが欲しいと思いました。長田さんの方は、主役が若手だったこともあるかもしれないけど、舞台の中で圧倒的な印象を与えていましたから。

予想どおり、1回目より、2回目の方が理解も深まってまるで違うものを観ているように楽しめました。やっぱりバレエは何回も観なくちゃです(自己正当化w)。
「パゴダ」好き〜〜。空席があるのがもったいないよぉ。もっとみんな観なきゃ。
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by zerbinetta | 2014-06-14 23:37 | バレエ | Comments(0)

つかみはOK 新国バレエ「パゴダの王子」   

2014年6月14日 @新国立劇場

パゴダの王子

ベンジャミン・ブリテン(音楽)
デヴィッド・ビントレー(振付)
レイ・スミス(衣装・装置)

奥田花純(さくら姫)、奥村康祐(王子)
長田佳世(皇后エピーヌ)、山本隆之(皇帝)
江本拓(北の王)、古川和則(東の王)
マイレン・トレウバエフ(西の王)、貝川鐵夫(南の王)
福田圭吾(道化)、他
新国立劇場バレエ団

ポール・マーフィー/東京フィルハーモニー交響楽団


「パゴダの王子」はずうっと観たいバレエだったの。とは言っても、前に観たときのタマちゃんのエピーヌの怖さと、マリアネラさんのローズ姫の究極の美しさを湛えたゆっくりとしたソロの踊りが印象的でどうしてもまた観たいって、だから、マクミランのを観たいと思っていたんだけど、同時に、日本で初演されたビントレー版の「パゴダの王子」の評判も伝え聞いてたので、これも観たいって。それが今日叶います。
でも、心配なことがあったの。マクミラン版の「パゴダの王子」の強烈な印象を持っていたので、ビントレー版を観るのを邪魔しないかなって。上手に観るためには、まずはマクミランを忘れなきゃいけない。きっとすぐにはできない。なので、本命の唯さんのを観る前に1回、観ておきたかったの。Z券抽選は外れたので、今日のお昼の部の公演のZ券を並んで買いました。新しいバレエは人気がないらしく、余裕で買えました(この間のカルミナ・ブラーナもそう。もったいなさ過ぎ)。唯さんは今日の夜。今日は立て続けに2回観ることになります。ははは

ビントレーさんの「パゴダの王子」は、新国立劇場バレエ団のために2011年に振り付けられたもの。あの地震の年です。ビントレーさんはそのとき日本にいらして、日本を舞台に家族の再生を主題にした自身の振付に大地震の経験が影響しているとおっしゃっています。多分、新国立劇場バレエ団にとって宝物となるであろう舞台。という想像は、舞台を観たあと確信に変わったのでした。

まず、音楽。わたしは、このブリテンの音楽、ブリテンらしくてとってもいいと思うんですね。「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」からは随分と離れた20世紀の音楽なので、そういうバレエばかり観ている人には耳馴染まないかもしれないし、本場ロンドン(ブリテンはイギリス人、クランコ版の初演はロイヤル・バレエ)でも人気なかったけど、バレエへの創造性を掻き立てる音楽は素晴らしいと思います。2年前にロンドンで観たときは、いつも適当に弾いてるロイヤル・オペラ・ハウスのオーケストラもちゃんと弾いていて、でも、ちょっとぴんとこなかった部分もあったんですが、今日のマーフィーさんと東京フィルの演奏を聴いて、ローカル色が抜けていて、良い意味で癖のないのがかえって音楽に近づきやすくしていてとっても良かったです。ほんと、新国立劇場のバレエは、音楽がいつもステキ。これは、他所のバレエ団ではあまりないよね。

ビントレーさんの振付は、舞台を日本にしたり、ローズ姫をさくら姫、エピーヌを姉妹からさくら姫の継母で皇后にした改変はあるけど、物語の全体的な印象はもともとの物語を遠く逸脱することなく、筋立ての秀逸さに感心。第2幕をエピーヌが先導するので(マクミラン版では道化が先導)、エピーヌの出番が多かったのも良かった。それに妖怪かわいいし、海の世界のシーンは、ブリテンの音楽がピーター・グライムズの海の音楽を彷彿させるのでぴったり。ちょっと不満は、物語の全体像を決定づけるプロローグが羅針盤としては弱かったのと海の国が楽しい竜宮城なのか試練なのかはっきりしなかったこと。それと、第1幕のオーボエのステキなソロに乗ってのさくら姫のソロの踊りのテンポが速めに設定されていたこと。これは、マクミラン版のゆっくりした難しい踊りを息を飲む神々しさで踊ったネラの残像が残っているからだけどね。そういうことで、前に観たマクミラン版をどれくらい解毒しているか分からないけど、これからあと2回観る楽しみは期待できそう。というか、これを新国立劇場バレエ団のために作ってくれたビントレーさんにいちバレエファンとして心から感謝。(ああでも第2幕のお終いの方から急にお腹が痛くなって脂汗垂らしながら観てしまったのが残念)

踊りは、ソリストの堀口さんと奥村さんがさくら姫と王子でロール・デビュウ。お二人ともすごくよく踊っていたし、これからの活躍が楽しみだけど、小粒感があったのは、しょうがないかな。でも、これをステップにどんどん主役を踊って活躍して欲しいです。その資質は見て取れましたよ。
わたし的には、道化の福田さん、コミカルな西の王のトレウバエフさんが良かったです。このおふたりが物語にクスッとスパイスを効かせるのですね。
でも、今日圧倒的に良かったのが皇后の長田さん。ちょっとお顔が優しいのが玉に瑕(だって温かな美人さんだもの)だけど、踊りは素人目のわたしにもはっきりと違いが分かりました。素晴らしいステップ。今シーズン、プリンシパルになったばかりだけど、とても巧いしどんどん主役を踊って欲しいですね。

予想以上に満足してしばらく休憩。夜の部に備えまーす。お腹だいじょぶかしら。
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by zerbinetta | 2014-06-14 00:13 | バレエ | Comments(0)

おやじの楽器 はいどん楽遊会 その十一 バリトン三重奏   

2014年6月8日 @雑司ヶ谷拝鈍亭

ハイドン:バリトン三重奏曲第101番、87番、66番、109番、96番、97番

ライナー・ツィパーリング(バリトン)
若松夏美(ヴィオラ)
鈴木秀美(チェロ)


そそくさとサントリーホールを辞して、心は雑司ヶ谷に。
今日の雑司ヶ谷拝鈍亭。珍しい楽器です!バリトン。
バリトンという楽器をご存知でしょうか?男声のバリトンじゃあございません。英語のスペルが違うし、ドイツ語ではヴィオラ・ディ・ボルドーネというヴィオール族の楽器。えっ?ヴィオール族が何かって?ウィキペディアで調べて〜〜(責任放棄)。繊細で複雑、ゆえに演奏も難しいことから音楽の舞台から去って久しいこの楽器、近年、復元されて演奏もされるようになったのだけど、ガンバの名手、ツィパーリングさんもそのひとり。それにしてもこんな珍しい楽器を、プライヴェイトな感じのこんなステキな空間で、名手の演奏で聴けるなんて、ステキすぎる。拝鈍亭は、珍しい楽器聴きたさに集まった熱心な音楽好きでいっぱい。

バリトンの曲はハイドンが書いた。彼の雇い主のエステルハージ侯爵がバリトンにはまって(彼自身も弾いたらしい)、ハイドンに曲を書くように催促したから。その結果、ハイドンはバリトンのための曲を170曲以上も書いて、125曲ほどが現存しているバリトン三重奏とのこと。そして、ここ、日本のエステルハージこと(今わたしが言った)雑司ヶ谷拝鈍亭のご主人が「バリトンいつやるの?」と拝鈍亭の始まり以来催促し続け、今日ついに実現。この機会を逃してしまったら2度と聴けないようなバリトンの夕べ。ご住職、どうもありがとう。

初めて聴くバリトン。古風で素朴な感じのする音色だけど、ちょっと癖があって、ヴィオラとチェロの音に溶け込むかと思うと、どちらかというとさりげなく自己主張をして派手さはないのにソロイスティック。振興のヴァイオリン族には与しないのよ、という頑固一徹、古風なおやじみたい。朴訥でおやじの手のようにごつごつとした太さと柔らかさのある音色は、やっぱりおやじがふさわしい。でも、とっても繊細なところも同時にあるんですよ。弓で弾く楽器だけど、2曲目かな、で突然、異質なリュート(をはじくような)音が聞こえてきてびっくり。あとで気づいたんだけど(曲の合間に鈴木さんが説明してくれました)、バリトンって後ろ側に共鳴弦が付いていて、右手の弓で弾きながら左手で弦を押さえつつ、親指で共鳴弦をはじくというパガニーニもびっくりの高度な技が使えるんですね。これがまた効果的で。とはいえ、この複雑さがこの楽器の寿命を短くしたみたい。マニアックにいろいろ詰め込んで自滅したというか、ちょっと繊細すぎて扱いが難しかったというか。

ハイドンの音楽はみんな、やっぱりハイドン、というかわたしの大好きなハイドン師匠の音楽なんですね〜。バリトンはこんなステキな音楽をたくさん残してくれたハイドンに感謝しなくてはいけません。この曲たちがあるだけで、バリトンを復活させる意味があるもの。今日、6曲を聴いたけど、どれも個性があって、愉しくて、いつものことながらウィットがあって、短調の音楽ではバリトンの音色のもの悲しさもあって(おやじの悲哀、っておやじかよ、バリトン)、バリトンのいろんな面を聴かせてくれて聴いていて飽きません。むしろもっと聴きたい。高音の楽器(ヴァイオリン)が入っていないので、地味なんだけど、これは歓迎される滋味さで、大人の楽しみだなぁ。わたしはイ短調の第87番が好きだったかな。

演奏ももちろん言うことのないくらいステキで、目の大きなツィパーリングさんの音楽はもちろんのこと、若松さんと鈴木さんの気心の知れたアンサンブルがとても心地よかったです。

今日はふたつの音楽会、珍しく室内楽のはしごでしたが、本当にステキな1日になりました。音楽で満たされてる幸せ。


次回のはいどん楽遊会は、10月26日、雑司ヶ谷、本浄寺拝鈍亭にて。弦楽三重奏とフルート三重奏です。予約無しで木戸賃1000円以上を握ってゴーです(値段等は変わるかもしれないので事前に調べてね)。
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by zerbinetta | 2014-06-08 22:31 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)

またカタツムリ バボラークさんのホルンを含む室内楽   

2014年6月8日 @サントリーホール ブルーローズ

メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第5番
ライネッケ:ホルン、ヴァイオリン、ピアノのための三重奏曲
レイハ:ホルンと弦楽四重奏のための五重奏曲(六重奏版)

ラデク・バボラーク(ホルン)
クァルテット・ソレイユ
福崎雄也(ヴァイオリン)、内藤由衣(ピアノ)
??田秀(コントラバス)


またまた、カタツムリです。だって梅雨だもん。今日は降そうだし。初めて入るサントリーホールの小ホール、ブルーローズです。サントリーホールの室内楽シリーズのひとつ、バボラークさんのホルンの室内楽。バボラークさんの名前は知っていました(確か、水戸室内管でも吹いていましたよね)が聴くのは初めて。

最初は、クァルテット・ソレイユさんという若い女性4人のカルテットでメンデルスゾーンの弦楽四重奏。ときどき、告白しているとおり、わたし弦楽四重奏は苦手で、でもハイドンのとメンデルスゾーンのは好きという特異体質。なので今日は嬉しいメンデルスゾーン。メンデルスゾーンの四重奏ってバッハへのオマージュがあると思うの。第2番が特にそうだと思うけど、今日の第5番もバッハ風のプチ・フーガな展開があって、そゆのが好きなのね。それに彼の四重奏ってとてもちょうど良くて、足りないところも多すぎるところもない絶妙な書かれ方をしてるよね。
クァルテット・ソレイユは、サントリーホール室内楽アカデミーのフェロー。若いといいつつ、結成10年。その特徴が両方ともしっかり出ました。4人それぞれ違う色のパステル・カラーの軽やかな衣装で、とても明るく爽やかなメンデルスゾーン。長く活動しているだけあって、アンサンブルがとっても良くって、このクァルテットは、ひとつの団体としてしっかりまとまっていて好印象(ソリストがさっと集まって弾く急造カルテットだと、カルテットとしての熟成がされてなく、音楽があちこちを向いてしまってることがよくあります)。音楽を弾く喜びに満ちていて、また聴きたいなって思わせるものがあります。反面、若いだけに、ひとりひとりの技量がまだ弱くて、個々人がもうひとまわり上手くなったらもっともっと良くなるんだろうなって発展途上感もありました。

次のライネッケの三重奏曲(作品274のオリジナルがヴァイオリンの代わりにクラリネットの方)は、ホルンのバボラークさんに、サントリーホール室内楽アカデミーからヴァイオリンの福崎さんとピアノの内藤さんが弾きます。福崎さんと内藤さんはサントリーホール室内楽アカデミーのフェローの若い人。これはもう完全にバボラークさんの音楽。もちろん、若いおふたりもきっちり丁寧に弾いていて不足はないんですけど、バボラークさんの音楽を目の当たり、耳の当たり(?)にして、驚きと尊敬の気持ちを抱きながら、彼の音楽を吸収しようと懸命。先生と生徒みたいで対等の関係で音楽をしているところまでは、さすがにいってないけど、彼らの中にある敬意は間違いなく音楽をステキなものにしていました。偉大な指揮者とそれに奉仕するオーケストラみたいな関係かな。それにしてもバボラークのホルンは自由自在で、完全に彼の歌。ホルンが全てを語ってる。彼ならプロポーズもどんなに言葉を重ねるより、ホルンを吹いた方が全てが伝わりそう。そんな情景を妄想中。

最後は、レイハの「ホルンと弦楽四重奏のための五重奏曲」六重奏版という1曲の中に四重奏、五重奏、六重奏という言葉が揃い踏むややこしいタイトル。バボラークさんのホルンにソレイユの4人、それにコントラバスの??田さんが加わっての演奏。本来の五重奏でいいのにと聴く前は思いましたが、若いカルテットをベテランのコントラバスが支えるだけで、とても安定した響きと音楽になったのが面白かったです。ソレイユとバボラークさんだと、ソレイユはバボラークさんに吞まれちゃうかもしれないという危険を??田さんが入ったことで、しっかりとバランスがとれた感じがしました(さすがに、バボラークさんの音楽とソレイユの音楽にはまだまだ差が。大人と子供といった感じでしょうか)。

ホルンを含んだ曲はどちらも楽しい音楽で、気の置けない感じは若いアンサンブルにはぴったり。バボラークさんのホルンは絶品で、ホルンが前に出てくるところも凄いけど、裏に回って和音を支えたりするところなんかの音楽の作り方まで全く手抜き無しの素晴らしいものでした。ただ伸ばしている音にもどれだけ音楽が伴っていたか。音楽に常に謙虚で誠実であるところが一流の証なんでしょうね。今度は、ブラームスやリゲティのトリオとか深い精神性を持った作品でも聴いてみたいです。楽しいホルンだったらハイドンも聴きたいなぁ(単なる好み)。

毎年やってるサントリーホールの室内楽の庭シリーズ、わたしは初めてで、今回これひとつなんだけど、若手の安い値段で聴けるのもあったり、マスタークラスもあったりで、来年はもっと積極参加してみたいです。若い音楽家さんのを聴くのも楽しいですからね。
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by zerbinetta | 2014-06-08 00:07 | 室内楽・リサイタル | Comments(0)