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ぐいぐい引っ張る辣腕 アン/読響 オール・チャイコフスキー   

2014年7月29日 @ミューザ川崎

チャイコフスキー:「眠りの森の美女」からワルツ、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第6番

松山冴花(ヴァイオリン)
ダレル・アン/読売日本交響楽団


今年のフェスタサマーミューザ、わたしのクライマックスがこれです。指揮者のダレル・アンさん。2007年のブザンソン国際コンクールの優勝者。のこのことセミファイナルを聴きに行って、切符売り場に行ったらもうチケットないと言われて、せっかく日本から(ウソ)来たのに〜って地団駄踏んでたら、劇場の係の人がこっちこっちと言ってただで入れてもらった思い出のコンクールです。わたし自身は、別の人が優勝するかなぁと聴いていたのだけど、意外にアンさんが優勝して、ううむ、わたしの耳もまだまだだなぁと思ったんです。で、彼がどんな風になっているか聴いてみたいと。そのとき、セミファイナルに残っていた人に結構活躍中の三ツ橋敬子さんがいらして、審査員にいじられて大変だなって思いました(コンクールでは審査員は黙って聴いているだけではなくて、ここをやってとかこうしたらとか指揮者をいじり倒すんです)。

そんなこんなでのこのこやって来た川崎。今日は音楽会の前に公開リハーサルではなく(残念)、ホールでプレコンサート(これ英語的にヘンじゃない?)。どこでも座れるかと思ったら、持ってる本公演のチケットと同じ席で聴かなきゃならないのがちょっと残念。自由に座らせても良いのに〜とも思ったけど、結構お客さん多いし、あまり時間を置かずに本コンサートなので、混乱がないようにするのにしょうがないかな。
木管5重奏のラヴェル「クープランの墓」と弦楽合奏でモーツァルトのディヴェルティメント。コンサートマスターの日下紗矢子、おしゃべりも上手ですね。弦楽合奏は指揮者なしで自由だけど、オーケストラでは指揮者に納得しない、、、なんてこともない、などとドキリと笑わせてくれたり。最後も、みんなを回れ右させてステージの後ろのお客さんにも礼をさせたり、なんか良い人だ〜〜。

オール・チャイコフスキー・プロ。始まりはなんといきなり、「眠りの森の美女」からワルツ。よくアマチュア・オーケストラのアンコールでかかるし、夜中のNHKのBSの音楽番組のテーマでもあるね。わくわく感ったらハンパない。ステキな音楽会の予感。アンさんの指揮は、客演オケで安全運転しつつも熱い感じで、緊張しつつも自信を持って振ってるのが分かる。きっと得意なんですね。

2番目のヴァイオリン協奏曲のソロは、松山さん。初めて聴く人です。でー、それがー、わたしとは接点のないタイプでー。たっぷりとよく響く美音で歌わせるのは、久しぶりに聴くジュリアード系かしらーと思ったら、ジュリアードで勉強されてた方で、タイプとしては、サラ・チャンさん系なんだけど、彼女ほどはアクは強くなくテクニックを押し出す主張はなく(チャイコフスキーの協奏曲って華々しいヴィルトゥオーゾ要素もあるから、テクニックを魅せる弾き方をしてもいいと思うの)、ちっちゃなサラ・チャンって感じ。アクが抜ける分、いいかなと思いもしたけど、意外とそうではなかった。かなり緩急を付けてテンポを揺らすのだけど、ことごとくわたしの感覚の外に行ってしまって。これはわたしにはダメだなと思いました。決して彼女がダメとかじゃなくて、上手いし、いい音だし、合う人には合うんだと思います。むしろわたしのような人は少数派かも。

協奏曲では、随分テンポを揺らしたけど、これは多分松山さんの趣味だとは思ったけど、実はアンさんもそうなのかしら、と心配しつつ、「悲愴」。この「悲愴」がすごく良かったです。アンさんはわりとインテンポでストレートな表現。奇を衒わない王道な「悲愴」です。がっしりとして男らしい(これって性差別?)。そしてアンさんとともに演奏をまさにぐいぐいと引っ張ったのがコンサートマスターの日下さん。いや〜〜、これは凄い。漢字の凄い。強烈なリーダーシップでオーケストラを引っ張って、もう気持ちが良いくらい。さすが、ドイツのオーケストラでもコンサートマスターを務めてるだけあるわ。英雄を尻に敷く妻の日下さんですもの(過日の「英雄の生涯」のソロですよぉ)。今日は指揮者を尻に敷いて、じゃなかった、指揮者と火花を散らすことなく、痒いところに手が届くように指揮者の孫の手になって、今日の演奏の素晴らしいところは、指揮者半分、コンサートマスター半分の辣腕的リードの力でしょう。
もうひとつ、アンさんの「悲愴」で印象に残ったのは、第2楽章の(2つ目の)主題が、最終楽章の主題となって再現されるんですね。第2楽章ではドキドキと脈打つティンパニに乗って、そしてフィナーレでは、コントラバスの不整脈に乗って。下降する別れの主題は知っていたと思うけど、今日初めて気づいたというか、パズルのピースがはまったように目の前が開けた。今までどうして気がつかなかったんだろう?何回も聴いてる曲なのに。試しに家でCDを聴いてみたけど、変、やっぱり、第2楽章とフィナーレのつながりが強く感じられませんでした。やっぱり、アンさんの演奏は特別だったんだわ。そういうつながりを強く意識して演奏したのに違いない。アンさん、なかなかやるなぁ。これから、どしどし活躍して欲しいな。コンクール聴いたんだよ〜、予想は外れたけどって自慢できるから。
それと、日下さんが乗るときの読響はできるだけ聴きたいな。ってコンサートマスターまでは事前に発表しないんだよね〜。残念。
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by zerbinetta | 2014-07-29 22:51 | 日本のオーケストラ | Comments(2)

これは恋です 瀧村依里+orchestra failte第3回演奏会   

2014年7月27日 @習志野文化会館

ベルリオーズ:「ローマの謝肉祭」序曲
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
シベリウス:交響曲第2番

瀧村依里(ヴァイオリン)
村本寛太郎/orchestra failte


恋って天啓のように突然やってきます。そして好きになるのはみんなが認めるイケメンくんとは限らず、何と言うこともない人になぜか恋することもあります。自分でも分からない不思議な感覚。それが恋。な〜〜んて恋愛が苦手種目のわたしがとくとく言うことじゃありませんね〜〜。
音楽家さんとの出逢いも同じようなことがありますね。わたし一押しのプチ追っかけをしてるアリーナのときもそうでしたし、今日、ヴァイオリンを聴きに来た瀧村依里さんもそうなんです。大雪の降った日、上野でこれもアマチュア・オーケストラとベートーヴェンの協奏曲を弾いたのを聴いて淡い恋に落ちました。依里さんは、ウィーンから帰ってきて去年の暮れから、読売日本交響楽団の第2ヴァイオリン、トップの契約団員として活躍されている若手ヴァイオリニストさんです。日本音楽コンクールで優勝したり華々しい履歴を持った方ですが、ソリストとして活躍されるより、オーケストラや室内楽奏者としての活動に重きを置いてらっしゃるみたいですね。

orchestra failte(オーケストラ・フォルチェ)は、結成2年目の若いオーケストラです。団員さんも若い方が多いです。村本寛太郎さんが常任指揮者で年に1度ずつ、アンサンブルとオーケストラの演奏会をしているようです。オーケストラの演奏会、今日のが第3回です。習志野文化会館に来るときはとても暑いというイメジがありますが、今日も熱烈暑かった。
音楽会が始まる前、ロビー・コンサートがありました。珍しい、ファゴットのソロと2重奏、トロンボーンのアンサンブル。ロビー・コンサートは、おちゃらけというかむにゅむにゅ。ファゴットの曲は、ファゴットらしくてとぼけて面白かったです。ファゴットだけの曲を書く作曲家いたんですね。

始まりは「ローマの謝肉祭」、昨日も聴いた。さすがにプロのオーケストラとはひとりひとりの技量が全く違うので比べようもないのだけど、丁寧な音作りは好感度高いです。つかみOK。

お待ちかねの依里さんがソロを弾くメンデルスゾーンの協奏曲は、期待通りの演奏。依里さんの音楽って、控え目で、尖った主張は聞かれないのだけど(もしかするとそこが物足りないと思う人はいるかと思う)、とても丁寧で、寛いだ感じの空気感が音楽を微笑みを持って聴かせてくれるんです。美しいメロディに溢れてるメンデルスゾーンの協奏曲はそんな依里さんの美質に合っていて、ふわりと青空に浮かぶような感覚もあって良かったです。とても上手い人だと思うんだけど、決してひけらかさないんでね。メンデルスゾーンの協奏曲として、誰が聴いてもああこれだと思わせる模範的な、それでいて正しいのではなく、ステキな演奏でした。依里さんへのひと耳惚れは正解だったみたい。恋の確信。オーケストラの仕事が多くて、リサイタルや室内楽がどのくらいできるのか分からないけど、なるべく(プチですから)追っかけていきたいとほんわかと思いました。モーツァルトの協奏曲とか聴きたいな。
アンコールにはオーケストラ伴奏を付けてエルガーの「愛の挨拶」。これ、ほんとはピアノの伴奏で軽やかな音楽だと思うのだけど、オーケストラのもったりとした伴奏に依里さん自身のちょっと重たい演奏が、朝の行ってらっしゃいの軽いキスが、本格的な大人のキスのようになっちゃって、これはちょっとわたし的にはどうかと思いました。kiss & rideはワシントンDCの地下鉄の駅に書いてあって、みんなチュッとして出かけていくんだなと微笑ましく思っていたんだけど、ロンドンではkiss & ride禁止の無粋な看板があったりして、ディープなキスが渋滞を引き起こすからなんだろうけど、ってそんな「愛の挨拶」を思い出してしまいました。
休憩後のシベリウスにも依里さん、着替えて、第2ヴァイオリンの片隅で弾いてらっしゃってたのが好感度大大。この前もそうだったけど、オーケストラで弾くのが本当に好きなんでしょうね。今日のオーケストラは、依里さんと同世代の人が多そうなので和気藹々な感じも良かったです。

最後のシベリウスの交響曲第2番は、難解というか一筋縄ではいかないシベリウスの交響曲の中では、一番普通っぽい曲。シベリウスって日本では人気だけど、分かってるってかかると実は分かってなくて足を掬われちゃう怖さがあると思うんですね。今日の演奏は、技術的な限界はあるけど、とてもよく練習してしっかり準備された満足できる演奏だったと思います。このオーケストラならでは、というのはこれから見つけていく課題だと思うけど、この若いオーケストラのこれからの成長が楽しみに思える一里塚になったように思えます。指揮の村本さんは、彼の個性を発揮するには少し物足りなかったけど、オーケストラを上手にコントロールしてオーケストラから積極性のある音を引き出していたのはステキでした。常任指揮者ということなので、これから関係が深くなってオーケストラと共にやりたい音楽をより高い次元で作れるようになるのを期待して聴いていきたいと思っています。

アンコールは、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。弦が少し弱いのでどうかなと思って聴き始めましたが、清冷な響きでちょっとじんときちゃいました。とっても良かった。


♪♪
orchestra failteの次の公演は、第4回定期演奏会が来年1月25日、新宿文化センターです。ブラームスプログラム。
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by zerbinetta | 2014-07-27 00:56 | アマチュア | Comments(0)

ファンファーレでお出迎え スダーン/東響 フェスタサマーミューザ開幕   

2014年7月26日 @ミューザ川崎

ベルリオーズ:「ローマの謝肉祭」序曲
シューマン:チェロ協奏曲
サンサーンス:交響曲第3番

ダーヴィド・ゲリンガス(チェロ)
松居直美(オルガン)
ユーベル・スダーン/東京交響楽団


ミューザ川崎が毎年夏に行ってるフェスタサマーミューザkawasaki。首都圏のオーケストラが一堂に会して、チケット代もお安く(都響のように定期公演の方が安いのもありますが)、プレコンサートや公開リハーサル(どちらも当日の本番のチケットが必要)などの得がたいイヴェントも。今年、初めて参加します。川崎はちょっと家からは遠いんだけど、ブザンソンのコンクールで見たダレル・アンさんが聴きたかったのと、この機会にまだ聴いていないオーケストラを聴いてみようとぼちぼち出かけることにしました。今日がその開幕日。ミューザ川崎を本拠地(のひとつ)にしている東京交響楽団でオープニング・コンサート。3時の公演の前に、お昼にオープニング・ファンファーレ、それから公開リハーサルがあります。そりゃもうお昼から聴きに来るでしょ。

10分くらい前に着いたらホールの前の広場にすでに人混みができていたけど、そちらには参加しないでベンチに座って待ちます。どうせちびっ子だから一番前にいないと見れないし、音はどこでも聞こえるし。東響さんの金管楽器と打楽器(ティンパニまで)の演奏会用ファンファーレ。あとで調べたら三澤慶さんの「音楽のまちのファンファーレ」~フェスタ サマーミューザKAWASAKI によせて~ という曲だそうです。音楽祭りの始まりを告げるかっこいいファンファーレでした。金管楽器の編成も大きいしスターウォーズっぽい。これもスダーンさんが指揮されてたんですね。わたし、見えなかったので全然気がつきませんでした。

ファンファーレで開幕するといよいよ楽しみにしていた公開リハーサル。本番を控えたゲネプロですから細かくやると言うより最後の調整という感じ。わたし的には予告編みたいな。それでも、いくつかの箇所をやり直したり、サンサーンスの交響曲の弦楽器のとあるパッセージを「モーツァルトのように(弾いて)」とおっしゃっていたのが印象に残りました。前主席指揮者であるスダーンさんと東響のモーツァルトやハイドンの仕事が、とても実り多い結果を生んだと聞いていたのがさもありなんという感じがしました。

本を読んだり、本を読んだり、2時間ほど時をつぶして、いよいよ音楽会。東京交響楽団は(多分)初めて聴きます。東京といいながら川崎と新潟に本拠を持ってるオーケストラ(サントリーホールでも定期演奏会やるんでしたっけ?)。意外と団員さんに外国人が多いのも特徴かな。さて、どんな風でしょう。あっもう、予告編聴いてるんだけどね。

わたしには東響は、柔らかい色彩のあるオーケストラだと感じられました。色合いが透明で明るい感じ。すっと軽めな感じかな。演奏も丁寧で、「ローマの謝肉祭」なんかはもう少しはっちゃけた感じがある方が好きなんだけど、サンサーンスは良かったです。
真ん中のシューマンのチェロ協奏曲は、チェロのゲリンガスさんの演奏がステキでした。オーケストラの後ろの席で聴いていたんだけど、ミューザ川崎のホールは、わたしに背を向けて弾いているチェロの音が意外なことにわりと良く聞こえてびっくり。演奏は夢見心地な、ついうっかりうとうとしてしまうような、わたし的にはステキなシューマンでした。だって、わたし、シューマンって夢見るように、ほんとに夢見るように聴くのが好きなんですもの。そういう音楽だと思うんですね。アンコールには、(あとで調べて曲名が分かったんですけど)ヴァスクスの「本」という、声つきの無伴奏曲。この曲、多分、前にガベッタさんのアンコールで聴いたことあると思うんだけど(同じ曲がどうかは自信がない)、弾きながらの歌(ハミング)が入るのでちょっとびっくりするけど、面白い曲ですね。アンコールにピッタリ。ゲリンガスさんは大きな拍手を受けていました。

休憩のあとのサンサーンスは、東響の音にぴったりの感じ。スダーンさんも美しい響きを作る人だし。リハーサルのときおっしゃってたモーツァルトのようにというのもすごくよく分かりました。モーツァルトもサンサーンスも蒸留された美しさがある。とてもステキに聞こえたんだけど、わたしは、この曲ってとても人工的な(artificial)なものだと思うんですね。巧みに精巧に作り込まれた音楽。自然(nature)のものではないまさに人の手の技。自然の対極にある人工美=芸術(art)だと思うんです。そう考えたとき、今日の演奏は、ほんのちょっぴりだけ人工的ではない部分、人の手の届かない自然の不確定さを感じたのです。完全に人工的な構成の庭を造るフランス人と、借景を採り入れる日本人の感覚の違いのようなものがあるのかなぁと。とても微妙な曖昧な感想なんですけど。

今日はホルンの後ろの方に座っていたんですけど、この曲ってホルンの1番の人よりも3番(2番かな?)の方が活躍するんですね。管の違いなんでしょうか。あと、スダーンさんと東響って音の出方がほんの少しだけ遅れてくるような気がしました。縦の線が合わないとかじゃなくて(合ってたし)、指揮しているのと音の間にごく僅かな間があるというか。
東響はスダーンさんの時代を終えて、ノットさんとの時代がこれからやってくるんですけど、桂冠指揮者になられたスダーンさんと東響の関係がステキに続いて、いつか彼らのモーツァルトとか聴けたらと楽しみが増えました。
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by zerbinetta | 2014-07-26 23:11 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

初めての一般参賀 インバル/都響 マーラー/クック交響曲第10番   

2014年7月21日 @サントリーホール

マーラー/クック:交響曲第10番

エリアフ・インバル/東京都交響楽団


インバルさんが東京都交響楽団と素晴らしいマーラー交響曲サイクルをしていることは、様々な場所で絶賛されていたので知っていました。最近記念年のあったマーラーの音楽は、またか〜と思うくらい聴いてきたからいいやと思ったのと、のんきなわたしはチケット争奪戦に参加もせずに敗れていたので残念ながらそちらは聴けなかったけど、番外編というか完結編の交響曲第10番は安い席(これ大事)があっさり取れてうきうきわくわく。実はマーラー/クックの交響曲第10番、マーラー関連で一番好きとうっかり言いそうになるくらい好きなんです。でも、チケット争奪戦にはならなかったみたいなので、この曲はマーラー・ファンの人たちから敬遠されてるのかな。もったいない。もちろんマーラーの作品とは言わないけど(クックの名前を省くのはクックに対してもマーラーに対しても失礼(もちろんマゼッティ版ならマーラー/マゼッティ))、マーラーが最後に見ていた世界に触れられる素晴らしい作品だと思います。インバルさんもおっしゃっていたとおり、クックのリアライゼイションは、マーラーが残した音符にできるだけ忠実にあまり付け加えることをせずにしているので、オーケストラが薄いと感じることも多いけど、一番マーラーらしいです。他の人の手が入れば入るほど、それがどれほど注意深くマーラーの音楽に迫ろうとしていてもマーラーから離れていってしまうのは面白いですね。

このイヴェントのために、インバルさん自身が音楽を解説する催しが過日あったんですけど、わたしはそれには参加できず、でも、ツイッターとかで要旨が公開されていたので、それを読んだんですけど、インバルさんの考えとわたしの考えがちょっと違っていて、どんな演奏になるんだろうと、期待と不安。わたしも大好きな曲なので思い入れがありすぎるんですね。

サントリーホール、(というかどこのホールでも)お気に入りのオーケストラの後ろ側の席。指揮者を見ながら一緒に音楽をするような気持ちで聴きます。インバルさんをこうして見るのって初めてかしら。って言うかインバルさん自体、初めて??嫌が上でも緊張が高まったときに始まった、ヴィオラのパート・ソロ。インバルさんは、このマーラーが書いたとてつもなく抽象的で、マーラーが書いた最も謎に満ちた旋律を明確な意思を持って、大きくふたつのフレーズのまとまりとして演奏したんです。うええ、こんなやり方初めて聴く。無意味な音列に聞こえてた音が生きているかのように聞こえてくる。もうこの時点でインバルさんの世界に引き込まれてる。
インバルさんの演奏は実に豊か。一応スコアが埋まっている程には音符はあるけど、まだ完成にはほど遠いすかすかな楽譜(クック版ではマーラーが書いた音符のみの全集版に少し音を加えています)なのに、音楽が完成品として迫ってくる。インバルさんはこの版を早くから採り上げて演奏している指揮者のひとりだけど、(できあがったスコアが先にあって完成された音楽としてこの曲を見れるハーディングさんのような若い世代の指揮者のように)彼にとってこの曲は、決定されていない疑問符のつく音楽ではなく、マーラー/クックの確固たる作品として彼の中で育ってきたんだと思わせる揺るぎのない音楽に仕上がってる。力強く滔々と流れるアダージョ。っていうか、でもこの楽章って「アダージョ」って呼ばれてるけど、むしろ悪魔のアンダンテだよね。ほとんど向こうの世界に行ってしまったような。無機質なのに肉厚で音楽に魂のようなものが乗っていて、悪魔に魂を奪われる前の生きた音楽。三途の川の一歩手前で踏みとどまってる。決して死んだ音楽ではなく。

この音楽ってなんだろう。わたしは、全てに別れを告げた第9から続いて、一歩踏み出した音楽だと思っていたの。第9から始めて新しい世界に踏み出す、という。だって、第9番のフィナーレと第10番のはじめの楽章の類似性が第10の「アダージョ」を第9交響曲のポスト・スクリプトのように思わせるんですもの。実際、マーラーの書いた第10番「アダージョ」の演奏には、そんな演奏が多いしね。でも、5楽章の交響曲の第1楽章として組み込まれた場合、同じ音楽が違った意味を持ってくると思うんです。第9交響曲の終わりのアダージョを受けての新しい始まり。そう思っていました。
でも今日の演奏は違ったんです。それはわたしには、より踏み込んだ、第9交響曲と切り離された全く新しい音楽に聞こえました。例えば、第5交響曲で新しい時代を告げたように。もしくは第8のあとに「大地の歌」を書いたように。前の作品との間に深い溝が横たわっています。
ただ、残念な、とても残念なことに、わたしははっきりとそれを言うことができません。なぜなら、第9番の演奏を聴いていないから。インバルさんの第9の演奏が、お別れの音楽ではないかもしれないからです。前の音楽会を聴けなかったことがこんなに悔しかったことありません。マーラーって1曲1曲がもちろん独立した作品であると同時に全ての作品が大河ドラマ的な流れ、関係性を持ってると思うんですね。今回のインバルさんのシリーズのように交響曲を順番に全曲演奏するとき、指揮者がマーラーの音楽の全体像をどう捉えているのか(もちろん個別に扱うのもあり)にとても興味があります。ということを今回痛く思い知りました。マーラーの音楽はたくさん聴いてきたのに、ひとりの指揮者で連続して全部聴くという体験がまだないのが残念です。

第1楽章で聴かれた特徴は、もちろん、その後の楽章でも健在です。オーケストレイションが薄いところも、不足を全く感じさせず、むしろ、室内楽的な響き、1本の孤独な旋律が、それが必然として確定されていたように、調和の取れた静物画のように、というよりシンプルなクレーの天使シリーズの線描のように、最後に作者がついた到達点のように聞こえます。インバルさんの音楽への信頼、そして楽譜を音にする芸術家の信念が、楽譜を超えた演奏を生み出したように思えます。決して大袈裟なこと、見得を切らずに、淡々と楽譜を音にしていく職人技だけで、音楽の内面を掘り下げ、固唾を吞んでひとつの音も聞き漏らしてはいけない特別な音楽を目の前に生み出していきます。これを聴いて、マーラー/クックの音楽はまがい物だと言える人は、とても大切なものを捨てているかもしれない。この音楽会を聴けた人は、なんて幸せなんでしょう。

インバルさんのマーラー/クック交響曲第10番は、希望の音楽。もちろん、単純にハッピーな音楽ではありません。むしろ苦渋に満ちてる。でも、未来を信じることができれば、そしてそれを見つめていれば、どこかにどんな小さくても希望は見つかる。それが慰めとなって心を温める。マーラーは多分、大きな絶望の中にも最後に希望を見ていたのではないかと思わせる。それは、単純にアルマとの関係ではなくて、わたしは、むしろ音楽そのものではないかと思うんですね。シェーンベルクの音楽が理解できなかった、時代の最先端を走っていたのにいつの間にか若い世代に追い越されて、新しい音楽を生み出すことができないと感じた絶望。音楽の未来への不安。そして新しい宗教観。でも、不協和音の積み重ねや調を超えようとする意思、不規則で複雑なリズム、そして多分、最低限の簡素な音、最後まで音楽の先頭で藻掻き続けていた証がここにはある。最後のうねるような弦楽器の叫びは、悲痛だけど、それでも希望が見える。虹が架かって終わる。契約の虹が。

あまりに余計なことを書きすぎました。わたしにとってマーラーの音楽は、感覚的に心地良いというより頭を刺激する音楽です。良い演奏であればあるほどいろんなことを考えてしまいます。マーラー/クックの交響曲第10番を聴くのは3回目です。前に聴いたハーディングさんとロンドン・シンフォニーの演奏も類い稀な名演でした。でも、今回のインバルさんと都響の演奏もそれに勝るとも劣らない演奏だったと思います。わたしにとっては、ずっと心に残る演奏でした。わたしの方もこの曲をもっと良く受け止める準備ができていたのが自然に感じられたのもとても嬉しかった。少しは成長してたんですね。

インバルさんと都響のマーラー・サイクルのまさに集大成だったのでしょう。都響はインバルさんの棒に的確に反応して(多分、インバルさんは今日(2日目)の演奏でも音楽を生きて生み出すように即興的な部分もあったんだと思います)積極的で誠実な音楽作りをしていました。インバルさんと都響は相思相愛のとても良い関係のように見えました。都響ってほんとに良いオーケストラですね。都響を持ってることに東京の人は、ウィーンがウィーン・フィルを持ってるように、ニューヨークがニューヨーク・フィルを持ってるように、誇っていいと思います。
オーケストラの人たちが退出したあとも鳴り止まない拍手。インバルさんのソロ・カーテンコールがあって、初めて見る一般参賀。わたしも音楽に打ちのめされて呆然と拍手を送っていました。しみじみと泣きながら。ありがとう。インバルさんと都響の皆さん。


(PS:2回目の葬送の謎に思いを馳せます。4楽章と5楽章をつなぐ葬送の太鼓。マーラーはここで幽体離脱したかのように葬儀を遠くから眺めている。今までそんな客観的な死はなかったと思うのに。そして、最後は復活でも天国でもない、現実の世界に戻ってきているかのよう)
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by zerbinetta | 2014-07-21 01:44 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

若気は至っちゃえ 東京大学歌劇団第41回公演「ドン・カルロ」   

2014年7月20日 @サンパール荒川大ホール

ヴェルディ:ドン・カルロ

伊藤祐(総監督、指揮)
山内亮輔(演出)

杉戸亮介(ドン・カルロ)、松沢康司(フィリポ2世)
緒方美穂子(エリザベッタ)、大島麗子(エボリ公女)
三浦香奈子(テバルド)、岡本航(宗教裁判長)、他

東京大学歌劇団管弦楽団、東京大学歌劇団合唱団


学生のオペラ。オペラやバレエってわたしの思い込みでは、アマチュアとプロの間にものすごい大きな力の差があって、アマチュアで楽しむのはわたしにはきついかなぁなんて漠然と思っていました。バレエもオペラも個人技がとって大事で、例えば、カウフマンさんが歌うから、コジョカルさんが踊るからっていう理由で観に行っちゃう人もいるくらい。でも、アマチュア・オーケストラを積極的に聴きに行ってる今のわたし。オペラにも興味があったんだ。去年、この団体を見つけたとき聴きそびれてしまったので、今回はぜひ聴かなきゃと。思い出してみると、わたしがオペラを初めて観たのは、音楽大学の学園祭だったんだ。だからアマチュア。それに、アマト・オペラ(厳密にはアマチュアではないけれども)のような感じなのかな。

東京大学歌劇団は、東京大学と名が付いているけど、学生だけの団体ではないようです。東京以外からも来ていたり、ちょっと組織が分からないんだけど(多分東大生を中心として、関係者が集まってる感じかな)、オペラをやりたくて集まったアマチュアなのですね。

「ドン・カルロ」は初めて観ます。今日のは、イタリア語の4幕版です。最初は、ううむ、やっぱりプロとは違う、見劣り、聴き劣りするなと、予想通りのことを感じたのですが、観ている中にそんなことはあまり気にならなくなってきました。それより、お話のおもしろさに惹かれていきました。舞台は至ってシンプルで大道具なんかはほとんどないし、歌手たちは大袈裟な動きをしないので、演奏会形式のに少し毛が生えたくらいの舞台なんだけど、物語を伝えることに重きを置いたのでしょうね。初めのうちはまあ、普通のオペラらしいオペラなんだけど、最後、カルロが逃げるのに恋人のエリザベッタと別れを惜しむ歌を歌ってるのを聴いたとき、オペラのお約束だけど、のんきに歌ってる場合じゃないのにねと思いながらいたら、追跡者につかまって、あまりにオペラ的じゃない物語にびっくり。というかメタ・オペラ的でおおおと思ったんですけど、これで殺されて悲劇で終わるのねと思ったら、なんの脈絡もなく天の声が響いてまさかの大どんでん返し。うわ〜面白い。ヴェルディやるぅ。

演出をされた方がプログラムに書いていたのだけど、ヴェルディのオペラは物語を平気でないがしろにした何も考えない演出がはびこっていて(ヴェルディの台本も悪いんだけど)オペラ・ファンもそれを望んでるような宗教的なところがある(プログラムの文章を翻案してます)なあんて、若者の勝ち気が気持ちよいなぁって思いつつ、物語を面白いと感じられたのはきちんと演出がされていたからなんですね、きっと。まあわたしは、めちゃくちゃな演出も全く何も考えていないわけではないとは思うのですが。。。

総監督、指揮をされた方は、学生です。多分二十歳そこそこ。なんですけど、それが信じられないくらい、充実した音楽をしていました。よっぽど勉強して準備しているのでしょう。指示も的確だし、そんじょそこらのお金をもらって指揮をしている人たちよりいいかもって思ったくらい。理系の方みたいだけど、指揮者になった方がいいかも。

東大の団体は、フィロムジカもそうだけど、会場での写真撮影、録音はOKみたい。もちろんフラッシュたいたり、演奏中に気が散るようなことは嫌だけど、大らかでいいな。普通の音楽会やオペラでもカーテンコールのときは写真が許されるようになればいいのに。ホールの著作権がどう絡むのかは、わたし詳しくないので何とも言えないんだけども。

意外と言ったら失礼だけど、楽しめた、いいもの聴けたと思えた公演でした。アマチュア・オペラもありだな。わたしにはたくさんのステキな発見があったもの。


(アマチュアなので個人名を出すのは控えようかとも考えましたが、歌劇団のウェブ上にも公開されているし、むしろ名無しなのはおかしいと考えて出演者の名前を伏せてはいません)


♪♪
東京大学歌劇団の次の公演は、第42回公演が12月28日、三鷹市公会堂です。「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「ジャンニ・スキッキ」です。
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by zerbinetta | 2014-07-20 00:52 | アマチュア | Comments(2)

大絶賛! 東京シティ・バレエ団 ロミオとジュリエット   

2014年7月13日 @ティアラこうとう

ロミオとジュリエット

セルゲイ・プロコフィエフ(音楽)
中島伸欣(構成、演出、振付)
石井清子(振付)

中森理恵(ジュリエット)、石黒善大(ロミオ)
李悦(ティボルト)、春野雅彦(パリス)
加藤浩子(乳母)、高井将伍(マキューシオ)、その他
東京シティ・バレエ団

井田勝大/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団


前に、ふとテレビで「バレエの祭典」というのを観ていたら、東京シティ・バレエ団のベートーヴェン交響曲第7番という作品が目を捉えたの。とてもいい。すごくいい。それなら、ぜひ、東京シティ・バレエ団をちゃんと観てみたい。ということで公演を探してみたら、「ロミオとジュリエット」をやるというので早速チケットを手にしたのでした。

東京シティ・バレエ団は、東京シティ・フィルと共に江東区と芸術提携しています。江東区にバレエ文化を根付かせるという大胆な発想で、ティアラ江東での公演の他、バレエ教室などを行ってバレエを区民をつなぐ役割をしています。新国立劇場バレエのようなフラッグ・シップを担うバレエがある一方、市民の身近にあるバレエってステキじゃないですか。バーミンガム・ロイヤル・バレエがバーミンガムのマリインスキー劇場がサンクトペテルブルクのおらが町のバレエ団という意識を市民が持っているようには、日本の新国立劇場バレエは、地元のバレエ団という意識が小さい感じがして、でもそれは野球なんかでも同じ(みんな巨人好きだし。USだと、ヤンキーズのファンは主にニューヨーク関係の人。全国区の球団なんてないのね。チーム名も都市名で呼びますしね)で日本人には地元最強という意識がもともと弱いのかもしれませんね。
そしてテレビで観た限りでは東京シティ・バレエ団ってとっても上手いし、値段を見たらそれほど高くない。ティアラこうとうは、もともと小さな作りなのでわたしの座った一番上の後ろの方でもステージに結構近いんです。これで3000円ならお得感あり(早くにチケット取ると同じ値段でももっと前の方がとれたと思います)。
近くの席に、昨日プリンシパル・ロールを踊って今日お休みの人たちが座っていました。


「ロミオとジュリエット」はもちろん、マクミラン版が有名で、わたしも大大大好きです。中島/石井版の「ロミオとジュリエット」はどうでしょう。ドキドキしながら観はじめると、いきなり組曲版の「モンタギュー家とキャピレット家」の音楽、あの順次重ねられる金管楽器の不協和音で始まってびっくり。序曲はないの?さすがに続いて朝の街のシーンにいったんですけど、ちょっとびっくりした。この和音旋律を悲劇を予想させるライト・モチーフとして使ってるんでしょうか。わたし的にはそこまでしなくても良いと思いました。他にも、音楽の順番変えやカットがあったんですが、プロコフィエフの音楽が物語に沿ってきっちりと充実しているだけにもったいないと思いました。多分、バレエ団の都合によるカット、例えば、3馬鹿トリオの踊り(組曲では「マスク」)などはまるまる削除されているのは、音楽がいいだけにもったいないです。3人の中のペンリーヴォの存在感がほとんどないのは、ここに優れたダンサーを用意できないという事情があったからでしょうか。音楽ついでに、演奏をつとめた、井田さんと東京シティ・フィルは、もう少しがんばって欲しかったです。まとまっていたものの、プロコフィエフの音楽を音楽に集中して堪能できるパワーがなかったです。

振付は、マクミランのをベースにしていると思われたのですが(マクミランもラブロフスキーのをベースにしてると思われる)、細かな部分はだいぶ変わってるし、大きな変更もあります。でも、マクミラン版に親しんでるわたしにも違和感なく十分楽しめました、という程度ではなく素晴らしいと思いました!マクミランよりもこちらが好きという人がいてもいいくらいに。シンプルなセットなどは、予算や設備の都合もあるのかな、とも思いましたが、必要十分だし、何よりも小さなバレエ団でもここまでの作品を作ることができることを示したという点で大満足です。
さっきも書きましたが、もともと存在感の薄いペンリーヴォの踊りを省いたり、娼婦たちを目立たなくしたりしたのは、残念な変更で、これは、街の雑多な人たちをこれでもかというくらいにひとりひとり描いていくマクミランの方が上手いです。シェイクスピアの猥雑さや言葉遊びは、舞台上にひとりひとり生きたたくさんの人を乗せて絡み合わせることで生きてくると思うんです。

東京シティ・バレエ団は演劇的なバレエ団です。
名前のない役のひとりひとりがきちんと顔を持って演技していました。ロイヤル・バレエ流ですね。ロイヤル・バレエでバレエに馴染んだ身としては、こんなバレエ団が日本にもあってとても嬉しいです。もともと演劇であるシェイクスピア原作の作品は、このバレエ団向きの演目と言って良いでしょう。
中島/石井版で特筆すべきは、お終いの方でジュリエットの心象風景を表す黒子の骸骨たちが登場したこと。これはとってもステキと思いました。ジュリエットとの踊りは、ジュリエットの内面をとても象徴的に的確に表していましたから。反面、神父に託された手紙を持って行く僧が途中、伝染病騒ぎに巻き込まれてロミオにそれを渡せなかったことを示すシーンは、物語を知っている人ならば分かるとは思ったけど、知らない人は分からないなと思いました。物語を追う演出、すれ違いのシーンはロミオとジュリエットの悲劇に向かう重要な鍵かもしれないけど、表面的に物語を追うことで、かえって散満になったという印象を受けました。マクミランの大胆な取捨選択に軍配、かな(物語を簡素に集中させて、ロザリンデや娼婦など登場させた脇役ひとりひとりの描き方が凄いから)。

中森さんのジュリエットは、パリスを紹介されたときちょっと興味を示してみたり、初めての男に対して初心だけど冒険してみたいような思春期の少女を少し現代的に演じていたと思います。ただ、決定的な瞬間、例えばロミオを見て一目で恋に落ちるところとか、滑らかでシームレスに流れていたような気がして、それが少し物足りなかったです。一瞬で容赦なく変わる運命が悲劇ですから。感情が平坦なのは、日本人っぽいのです。でも、これらは、中森さんなのか、演出がそうなっているからなのかは、1回観ただけなので分かりません。違うキャストでも観たかったし、もっと何回も観たいと思いました。この公演キャスト違いで2回しかやらないなんてもったいなすぎ。
石黒さんのロミオも中森さんのジュリエットと息ぴったりで、バルコニーのシーンの喜びに満ちた踊りは美しかったです。若いおふたりがこれから成長してスターになっていくことを期待しましょう。敢えて若いキャストの日を選んだんだけど、わたしにとっては正解でした。(でもやっぱり違うキャストでも観たい!)

まわりを固めるダンサーたちもそれぞれに良かったです。突出したオーラを放ってる人はいなかったけど、舞台を楽しむには十分。というか、ひとりひとりしっかりしていますね。舞台の中にまとまっていました。全体としてみたときのまとまり方がちょうど良いというかとてもバランスがとれていて舞台に集中できました。

それにしても、予算の少なそうな小さなバレエ団でもここまで素晴らしいものができるという驚きと喜び。自分の文章を読み返してみると、斜め目線で批判的な書き方してると自分でも思うけど、ほんとは見終わってめちゃくちゃ感激したのですよ。わたし絶賛です!それに、中島/石井版は、シンプルで上演しやすそうなのでもっといろんなところで上演されればいいな、と強く思いました。上質なバレエを見せてくれる東京シティ・バレエ団は、これからは外せないバレエ団に決定。応援します。
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by zerbinetta | 2014-07-13 11:11 | バレエ | Comments(0)

気が合うのっていいね 一橋大学管弦楽団サマーコンサート   

2014年7月12日 @すみだトリフォニーホール

ボロディン:「イーゴリ公」より「ダッタン人の踊り」
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
フランク:交響曲

三浦友理枝(ピアノ)
木村康人/一橋大学管弦楽団


すごく良かった!
お昼の音楽会のあと、ふらりともうひとつ音楽会に行ってみたのです。学生オーケストラがもっと聴いてみたかったのと、フランクの交響曲を聴いてみたかったから。フランクの交響曲って有名だし、好きな曲なのになぜか縁がなくて、まだ1回しか聴いたことがないんですよね。どうしてでしょう、いい曲なのに。

一橋大学は、行ったことがありません。なんちゃって理系のわたしには、縁がないというか、あっでも、高校の友達が行ったっけ、って随分昔の話。どんな演奏をするのでしょう。
「ダッタン人の踊り」を聴いて、おや、このオーケストラなかなかやるなって好印象をいだきました。学生って、わりと時間を自由に使えるから、クラブ活動にどっぷり浸かれる。朝昼晩、オーケストラのことを考えてもいいし、情熱を燃やすことができる貴重な時間ですよね。練習もみっちりするから、初心者の人もいるかもしれないけど、概して良い音楽をするのは大学オケだと思った。アマチュア・オーケストラを聴くならまず学生オーケストラを聴け。な〜んてね。

2曲目は三浦さんを迎えてのラフマニノフの有名な協奏曲。三浦さんのことチラリと美人ピアニストと宣伝されてたのを見たけど、そんな宣伝しなくていいよね。わたしも三浦さんのこと別の人と勘違いしていたんだけど。でも、確かにかわいらしい人だわ〜。
ピアノのアルペジオで静かに始まった音楽。緊張がホールを包みます。アマチュア・オーケストラの薄い響き(弦楽器に濃度の高い重い響きを求めるのはアマチュアにはさすがに難しいと思う)は暗い情念からは少し離れた位置にあるけど、三浦さんの音も柔らかく羽のような響きなので、かえってお互いの音楽の方向は一致していたと思う。三浦さんの手首ってなんて柔らかくしなやかなんでしょう。がんがんと弾きまくることなく、とても丁寧に音楽を紡いでいく。彼女は自分の特質をきちんと理解して彼女の音楽、彼女でなければいけない音楽をきちんと表現してる。それが、とてもステキにラフマニノフの叙情的な音楽に光を当てて、でも決して情に流されることなく音楽を理知的に組み立てていく様がとっても良かった。すごくいい音楽だと思った。なんかとっても気が合うというかツボ。あとで分かったんだけど、彼女がこの協奏曲を通して弾くのは今回が初めてだそう。でも、そんなことを感じさせない充実した音楽でした。美人売りは好きではないので、聴く前は敬遠してたけど、彼女はとても良い音楽家だなと思いました。これからも聴いていきたい人がまたひとり増えました。できたら、ソロ・リサイタルか室内楽で聴いてみたいです。きっと、大きなオーケストラと対峙するより、もっと彼女の良さが出ると思うから。

休憩後のフランクの交響曲もすごく良い演奏でした。粘りが。納豆をものすごくよくかき混ぜたときの糸を引く粘り。それがおいしさなのよね。指揮者の木村さん、学生オーケストラからこんな粘るような表現を引き出すなんてただ者ではない?よっぽど学生たちをこねくり回したのでしょう。あっそれは納豆。しっかり学生たちを鍛えたんでしょうね。基本的にはゆっくりしたところ、特に循環される最初のテーマを粘って、メリハリを付ける音楽を分かりやすく捉える解釈だけど、ひとつひとつの表現がストンと心に落ちるんです。気が合うというか。第2楽章は、反対にさくさくと進めて、過剰にロマンティックにならないように配慮して、構成の緊密さを感じさせる感じ。学生たちも、そんな指揮者の音楽に一所懸命についていって、終わってみれば、ふううと唸る充実した演奏でした。オーケストラに弾ききったという充実感が感じられると、こちらも爽快ですね。


♪♪
一橋大学管弦楽団の次の音楽会は、第62回演奏会が12月5日、東京芸術劇場です。
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by zerbinetta | 2014-07-12 23:23 | アマチュア | Comments(0)

好きゆえに厳しい? フィルハーモニア・ブルレスケ第11回定期演奏会   

2014年7月12日 @杉並公会堂

リムスキー・コルサコフ:「ロシアの復活祭」序曲
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
プロコフィエフ:「ロミオとジュリエット」から

長崎麻里香(ピアノ)
東貴樹/フィルハーモニア・ブルレスケ


ブルレスケと言ったら、わたしにとっては、マーラーの交響曲第9番のロンド・ブルレスケとか、シュトラウスのずばり、ブルレスケとか、大栗裕さんのバーレスクとか、なんです。ふざけた感じの意味だけど、このオーケストラ、早稲田大学のオーケストラのひとつ、早稲田フィルハーモニーの卒団生で作った社会人オーケストラなんだそうです。何でブルレスケ?
パンフレットやプログラムの表紙になってる切り絵調の絵がステキで目を引きました(ずっと、「ペレアスとメリザンド」の絵かなと勝手に思っていたのは恥。「ロミオとジュリエット」のバルコニーのシーンでしたね)。そしてちょっと、「ロミオとジュリエット」が気になって聴きに来ました。明日バレエ観るし。好きだから。会場には若い人が多かったです。

最初の「ロシアの復活祭」は、わたし的には、そーそーなんだけど、おおっ、たんたたたんたたたんってロシアのリズムって前に聴いたときのこと思いだして(「ルスランとリュドミラ」序曲とかラフマニノフのピアノ協奏曲第3番にもしつこいくらい出てくるよね)、ニヤニヤ。演奏の方は上手くまとめてるというか、エンジンを暖めているところがあって、もう少し爆発してもいいのに、と思いました。コラールとか管楽器の音出しが神経質になるくらいとても丁寧な一方、弦楽器の扱いが管楽器ほどこなれてないと感じたのは、指揮者の東さんが金管楽器奏者ゆえなのかしら。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲は、長崎麻里香さんのソロ。長崎さんは、フランスで勉強されていたということで、同じくフランスに行かれてた東さんとはフランス・ペア、ということが強調されていたけど、チャイコフスキーはちょっとフランスから遠いような。で、結果、わたしにはちょっと受け入れ難かったです。最初のピアノの和音から、なんか違和感を覚えて、音色とかもわたしの感覚とは合わなかったんです。これはきっと良い悪いではなく、合う合わないだと思うんだけど。。。その人が凄いと分かっていても合わない人っているんですよね。わたしの場合すぐ思い浮かぶのは、実演でのクレーメルさんとかムローヴァさんとか。こればかりは仕方ないよね。
長崎さん、この曲、あまり弾いたことないのかな、堅かったようにも思えて。このまま聴き通すのは苦痛かなぁと思っていたら、
第2楽章の始まりの前奏のところで、お客さんが入ってきて一番前の席に音を立てて座ったの。長崎さんもそちらをちらっと見て。これで糸が切れるんじゃないかと思って心配したら、おや、反対に余計な力が抜けたみたいで、良くなりました。わたしの感覚とは違うんですけど、それでも、さっきまでの違和感が薄くなって、これならいいな、と思いました。長崎さん、CDを出したり室内楽の音楽会をしたり、活躍されている若手なので、今度は彼女の得意のフィールドで聴いてみたいです。

プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」はブルレスケ版ということで、3つの組曲からバレエの物語にだいたい沿って10曲を抜粋、編成したものが演奏されました。「モンタギュー家とキャピレット家」「少女ジュリエット」「僧ローレンス」「メヌエット」「仮面」「ロミオとジュリエット」「タイボルトの死」「別れの前のロミオとジュリエット」「ジュリエットの墓の前のロミオ」「ジュリエットの死」の順番なんだけど、バレエに馴染んでると、「仮面」はそこかよ、とか「僧ローレンス」はいらないようなとか、ちょっと突っ込んでみたくなる意地悪。というか、やっぱりバレエの方が耳に馴染んでると順番が違うと話が前後しちゃってこんがらがっちゃう。
なかなかの迫力で演奏されたのだけど、少し、単調だったように感じました。この曲、どうしてもバレエのシーンを思い出して涙することが多いのだけど、そこまで感情移入できなかったというか、バレエを観たことある人どのくらいいるんだろうって思いました。バレエはものすごく強いエモーショナルな力を放ってるから、バレエのすじに沿った演奏をするのなら物語の力が感じられなければ、いたずらに音だけが耳につく状態になっちゃうもの。せっかく力を持ったオーケストラなのにその点が少し残念でした。でも、学生オーケストラの仲間が社会人になっても音楽を続けたいと集まるのっていいですね。


♪♪
フィルハーモニア・ブルレスケの次の音楽会は、第12回演奏会が来年の7月11日、練馬文化センター大ホールです。
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by zerbinetta | 2014-07-12 02:44 | アマチュア | Comments(0)

手作りの温かみ BCJのブランデンブルク協奏曲 @調布音楽祭   

2014年7月6日 @フェスティバルホール

バッハ:ブランデンブルク協奏曲(全6曲)

鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン


日本で一番のオーケストラは?と聞かれたら、迷いなく脊髄反射で、バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)と答えるでしょう。合唱団と古楽オーケストラなのでちょっとずるいかもしれないけど、でも、わたしたちの宝物だと思うし、世界中に胸を張って誇りたい。わたしたちにはBCJがあると。
そのBCJが今回は器楽だけの音楽会。バッハのブランデンブルク協奏曲全曲です。これは聴かずにはいられないでしょう。しかも、調布音楽祭の公演なので安い!嬉しいことばかりです。
ブランデンブルク協奏曲を聴くのは、でも、たったの2回目。前のは、ヒラリーとかチョーリャン・リンさんとか、フルートのパユさんとかソリストたちが集まって仲間内で楽しく音楽をする寛いだ感じのステキな音楽会。現代楽器です。そして今日は、ピリオド楽器。わたしは、バッハなら絶対、古楽器でしょうなんて最近思ってるので(わたしの持ってるCDも古楽器での演奏)、これは嬉しい(しかも我らがBCJだし)。でも、聴き終えてみると、頭で考えていたのと聴いたものでは全然違う!!想像を超える素晴らしさ!

調布に行くのは初めて。駅前をふらふら降りて、会場の調布グリーンホール(フェスティバルホール)は、ロータリーを越えたすぐ。郊外に来た感じ。調布音楽祭は、去年から始まった音楽祭。今年は2回目。調布市在住の鈴木優人さんが総合プロデューサーを務めていらっしゃいます。BCJは、決して調布の団体ではないのだけれど、主催の優人さん(鈴木さんが多いので名前で)やメンバーの何人かが住んでらっしゃるという地の利を生かして、BCJを中心にした一本筋の通った音楽祭になってます。決して古楽に特化された音楽祭ではないのだけど(地元の音楽大学のオーケストラの公演もあります)、小さな町の(バロック音楽を中心にした)音楽祭は、ボーヌ・バロック音楽祭や栃木蔵の街音楽祭(これはもうなくなったのかな?)を思い出させます。

会場に行ってみて分かったのですが、小さな音楽祭です。街のお祭りの雰囲気があって、手作り感満載なのが好印象。プロデューサーの優人さんが手ずから音楽祭のTシャツを売っていました。気の置けないゆるやかな感じがステキで、瞬時に好きになりました。わたしが調布の人だったら、もう絶対毎日通うのに。東京を挟んで反対側から来るので、それは厳しい。でも、今回、この音楽祭を知った僥倖を胸に、来年はたくさん参加しよう。したい、と思わせる音楽祭です。

さて、ブランデンブルク協奏曲は、逆順、第6番から順番に演奏されました。雅明さんのお話では、編成の地味な方から、派手やかな方になって良いとのこと。確かにね〜。
目から大きな鱗のようなものがどさどさ落ちた。古楽を聴くのは初めてではないけど、こんなにクリーミーに混じり合う音がするなんて。古楽器の音色って輪郭のはっきりした尖った感じのツンとした音だと思っていたのに、お互いにデレっと混ざり合い溶け合うなんて。いいえ、やっぱり、ヴィブラート控え目の、現代楽器に比べたら乾いた響きなのだけど、それぞれの楽器の音がそれぞれの音を保ちながら同時に複雑に絡み合ってひとつの大きな響きを作るんです。普段合唱の中で弾いてるから、声を中心にして音を溶け合わせる耳に長けているのかしら。これは。。。絶句。
現代楽器は機能性を進化させて、均質で艶やかで大きな音を作り出すけど、失ったもののなんて大きなことか。もちろん、古楽器が良くて現代楽器がダメという単純なものじゃないし、ロマン派以降の音楽は現代楽器の発達無しに生まれなかったんだけど、わたしたちって、現代楽器と古楽器を共に楽しめるなんてステキな時代に生きているんだろうっていう幸せ。いえ、楽器のせいよりも演奏者の素晴らしさを褒めるべきですね。もの凄い高みで、隙がなく完璧な音楽を奏でているのに、でも同時にそこにいることでふっと笑みが出るような寛いだ雰囲気があって、楽しそうで、ここにいることが嬉しくてたまらなくなる気持ちにさせられる、ほんと、この手作りの音楽会にぴったりの演奏なのです。ひとりひとりの奏者が楽しんで音楽しているだけじゃなく、一緒にいるわたしたちまでが楽しんで音楽してる空間。やっぱり音楽って聴くんじゃなくて全身で体感するんだ。

第3番は、3というのが強調されているそうで、2楽章しかないんだけど(第2楽章は1小節の終止形しか書かれていないそう)、そんなはずはない、とのことで第2楽章に、バッハの3にちなんだ作品、3台のチェンバロのための協奏曲のアダージョの第2楽章を編曲して挿入。お得な気分。
そして圧巻は、トランペットにギィ・フェルベさんを迎えての第2番。超高音を要する超難曲。バッハの同僚のトランペット奏者ゴットフリート・ライヒャは、高い音を吹いた翌日に心臓麻痺で亡くなったとの逸話まで。肖像画に描かれたライヒャが持っている楽器はポスト・ホルンのようにくるくる巻いた楽器だけど(当時、王の儀式用の楽器だったトランペットをホルンのようにくるくる巻いて誤魔化して普通に使えるようにしたとか)、今日はそれに音階が取れるような孔のあいた楽器。バッハの時代のトランペットを観るのも初めてだったけど、演奏が凄かった。フェルベさんはいとも楽々と(そう聞こえる)、吹きこなしていて鳥肌もの。高い音が柔らかくてちっとも耳にツンとこなくて、オーケストラととろけ合う。高音のトランペットがオーケストラの中で鳴ってるなんて!神業。

最後は第1番の賑やかな音楽で終わって、でも、これ、素朴な感じではなくて(わたしの持ってるCDのは素朴なの〜)、お祭りの雰囲気に合った、楽しい踊り。体が自然に動いちゃうみたいな。雅明さんはクラシックは嫌い、と挑発的なことをおっしゃっていましたが(調布音楽祭の総合プログラム)、ほんと、彼らのバッハはクラシックじゃなくて、今生まれてきたもぎたての音楽。わたしはバッハ苦手のつもりだけど、そんなこと言ってられない体が反応してしまう音楽。ほんと、素晴らしかった。うんと幸せな気持ちで調布をあとにしました。また来年!
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by zerbinetta | 2014-07-06 01:08 | 日本のオーケストラ | Comments(0)

トランクイロの音楽 葛飾フィルハーモニー管弦楽団第47回定期演奏会   

2014年7月6日 @かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール

ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」
ドビュッシー:小組曲
ベルリオーズ:幻想交響曲

石崎真弥奈/葛飾フィルハーモニー管弦楽団


葛飾フィルハーモニー女性指揮者シリーズ(勝手に命名してます)。前回、田中祐子さんがこのオーケストラを振ったのを聴いて、指揮者もオーケストラも良かったので、今回のチケットを取ったんです。指揮者は田中さんと2012年の東京国際音楽コンクールで1〜3位なし入賞を分け合った(+聴衆賞の)石崎真弥奈さん。まだ20代の指揮者です。このコンクール、入賞者には結構今活躍されている方おられるんですね。コバケンさんや井上ミッチーさん、最近では川瀬さんや下野さんなどなど。田中さんや石崎さんにもこれからぜひ活躍して欲しいですね。

葛飾フィルハーモニーはとても恵まれたオーケストラ。区の支援を受けて、練習場所に困らないし、トレーナーもたくさん。これは良い演奏をしなくちゃデスね。

まずは、「ローマの謝肉祭」序曲。石崎さんはいろんなメロディが賑やかに駆け巡る音楽を手際よく捌いていくけど、これはしょうがないとは言え、フォルテの速いパッセージで弦楽器の音量が落ちてしまうのは、おしいなぁ。華やかに盛り上がる部分だもんね。

2曲目の小組曲は、印象派の絵のような音楽だと思うのだけど、例えば、第1曲目の「小舟にて」は、わたし的にはモネの池の絵の上に舟を浮かべたイメジなんだけど、今日の演奏は、もう少し強い日差しのゆったりとした波のうねりを感じました。ターナーの絵かな。強奏でも決して音を割らない、柔らかな色彩の音にまとめているのは良かったです。

でも、指揮者の特徴が出たのは、やっぱり「幻想」。大好きな、というかどういう訳か、最近ますます好きになっていく曲。この曲を聴くと思うとつい嬉しくなってにんまりしちゃうんです。今日はどういう演奏になるんだろう。
石崎さんの指揮は、丁寧だけど最初少し物足りなくも感じました。オーケストラをしっかりつかまえてはいるんだけど、安全運転というか。もう少し大胆に仕掛けていっても良いのでは、と感じました。仕掛けられる曲ですしね。とはいうものの、後半、第4楽章からは、オーケストラの音を解放して、ばんばん吹かせていたのがとっても良かったです。金管楽器も打楽器も大張り切り。5楽章の鐘はステージの外に置いて、そちらに指示を出すのも忙しく、チューバには思い切りアクセントを付けて、表情付けが表現主義的でわたし大喜び。最後をもっと追い込むようにするともっとわたし好みなんだけど、それはそうとして、じんわりと涙。この指揮者上手いなって思った。でもね、多分、一見、石崎さんの特徴は、最後の方で見せた、オーケストラの音を解放する力と言われるかもしれないけど、わたしは、彼女の大きな美点は、前半でときどき聴かせてくれた、絶対的なトランクイロ(日本語にはしにくいんだけど敢えて言えば静寂)の表現じゃないかと思いました。音楽の起伏の中でフォルテがあって相対的に決められるのではなくて、最初から何ものにも影響されないトランクイロ。ヒースの荒野にひとり立ったような孤独な静寂。こんな風な音楽を発見したのは、随分前に聴いたエッシェンバッハさんのリハーサルのとき(マーラーの交響曲第6番)で、同じような音楽をすごく久しぶりに石崎さんに見つけて、ぅわ〜と思ったんです。これって、とってもユニークな美質だと思うので、ぜひ、育てていって欲しいです。石崎さん、まだまだまだこれからだと思うけど、良い指揮者になって欲しいな。

アンコールはラヴェルの「マ・メール・ロア」から終曲(「妖精の園」)。アンコールって、曲名を言ってから演奏される場合もあるけど、何が聞こえてくるかわくわくと構えるのも好き。静かに始まって、だんだん音楽の形が整えられてきて、あっ、この曲知ってる!ってなったときの嬉しさ。「マ・メール・ロア」はイントロクイズで当てられるほど知らないからね。
お客さんも地元の人多そうだし、定点を持って地元でしっかり活動している(団員は他所から来ている方も多いのでしょうが)のはとってもステキですね。わたしは地元、ではないけど、今の家からは一番行きやすいホールのひとつなので応援してます。


♪♪
葛飾フィルハーモニー管弦楽団の次の音楽会は、第48回定期演奏会が12月7日、かつしかシンフォニーヒルズです。珍しい、ニールセンの交響曲第3番だって♪
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by zerbinetta | 2014-07-06 00:35 | アマチュア | Comments(0)